ハウルの動く城
宮崎駿監督作品
アニメが映画として確固たる地位を得た。日本では宮崎駿監督の力が大きい。実写では不可能の世界を描くことが出来るという点において評価できる。
「世界の約束」という主題歌、谷川俊太郎氏の詩がいい。「涙の奥にゆらぐほほえみは・時の始めからの世界の約束/いまは一人でも二人の昨日から・今日は生まれきらめく・初めて会った日のように/思い出のうちにあなたはいない・そよかぜとなって頬に触れてくる/木漏れ日の午後の別れのあとも・決して終わらない世界の約束/今は一人でも明日は限りない・あなたが教えてくれた・夜にひそむやさしさ/思い出のうちにあなたはいない・せせらぎの歌にこの空の色に・花の香りにいつまでも生きて」。これをエンディングに倍賞知恵子が歌うのも実に爽やかで良かった。
私見で申し上げると「となりのトトロ」「魔女の宅急便」の頃の宮崎作品が判りやすくて良かった。最近は宮沢賢治にも似た世界があって、単純には解せないところがありそうな気がする。日曜日の午後の映画館、子供連れが多く子供たちの反応の方がよく、純でピュアにとらえているような気さえした。宮沢賢治も同様に不純な大人には解しようもない、宮沢宇宙、賢治の世界があるように、宮崎アニメもその域に達してきたのであろうか?
筆者の映画歴もかれこれ50年近くになる。もう何千本観てきたかは判別しようもない。思い起こせば中学時代からノートに寸評を記していたのを記憶する。その間、どのような映画であっても上映中に寝たことがない。しかし、今回はイットキ、眠りの世界に陥ってしまった。それは作品の巧拙の問題ではない。その観点で言うならばよすぎたのかも知れない。この映画は観る人に、観る人の大脳にα波を発信している。観ている内に気持ちが良くなって来て、気がついたら画面が変っていて、初めて眠りに陥ったのに気づいた。もし、効果を狙ってα波を出しているとするならば凄いことであるし、そうでなくて観客が安らかな一瞬の眠りについているのだとすれば、これはある面で凄いと言わざるを得ない映画だ。声優陣も揃っていた。倍賞さんは流石に、それがアニメだろうが映画だろうが、ナチュラルに演じ、18歳から90歳に一瞬で変化する妙味を実に巧みに演じた。木村拓也も向こうにキムタクの顔が見えなかったということは、成功したといえるだろう。映画界に確固としたジャンルを築いたという点で宮崎駿監督、そして、この作品に拍手喝采を送りたい。映画も一つの芸術である。美を探究するという点において映画もアニメ作品も分け隔てはない。アニメだから描ける世界もたくさんあるのだ。おもしろいものはいい。美しいものはいいというスタンスで受け入れたい。
学校という授業のスタイルは明治以降、変化進展がない。塾は果たしてどうだろう。形式と内容において、深化と進化を図るべきところはないのだろうか?人類の歴史の発展に大いに役割を果たしたのは言語だ。映画も教育も言語を媒体とする。ある意味で言語が原点であるとも言える。21世紀は千年紀の始まりだ。そして2005年、どこかで何かが原点に戻って、原始から始めなければならないことがあるのではないだろうか。それは人間対人間の愛をベースにしたヒューマンリレーションだと思いたいのだが。