与那国島物語⑩


新嵩喜八郎さん
1947年6月30日、僕は与那国島の祖納に生まれました。
小学生時代を与那国島で過ごした後、那覇へ移り住み、その後東京の高校へと進学。卒業後も東京で暮らしていました。
島を離れて生活していても、いつも心の中は故郷与那国島への思いでいっぱいだったんですよ。島を離れているからこそなおさらだったのかもしれませんね。島のために何かしたいといつも願っていました。
と、青年時代の頃を振り返りながら語りました。
東京で生活する中、ダイビングのライセンスを取得し、インストラクターやさまざまな資格を取得しました。
海洋博が終わった頃、与那国島のナンタ浜で港湾建設工事が始まるのを知り、職業潜水夫として働くために島へ戻りました。島に帰りたかったんですよ。
岩盤にダイナマイトを埋め込んでの浚渫工事は危険を伴うハードなものでしたが、島の発展に携わる仕事が出来て、とても嬉しかったですね。
でも、何年か経ち、港湾建設工事も一段落つくと、島で暮らす日々が終わりました。仕事がなかったんです、与那国島には。
その当時、南西航空が与那国島と石垣島の間に19名乗りの小型プロペラ機を就航させていましたが、座席は島民が利用する分でいつも満席。観光客を呼べる状況ではなかったんですよ。
遠い島、国境の島、人口2000名ほどの島ですから、仕方がありませんでしたけどね。美しい風景や自然が残る恵みの島に人を呼べないので観光産業というものが存在しませんでした。
それで仕方なく石垣島に渡り、商売を始めました。
なぜ、石垣島だったかというと、母を一人島に残しているため、東京や那覇ではなく、いざというときにすぐに戻れる場所として石垣島を選んだのです。
石垣島では手広く商売をしていました。いろいろありましたけどね。
たくさんの人との出会いもありました。
月日は流れ、ある日嬉しい知らせが舞い込んできました。
そして、私は島へ戻る決心をしたんですよ。
嬉しい知らせというのはね、南西航空が与那国島と石垣島の間に大型プロペラ機YS-11型機を就航させることが決まったというものだったんです。
座席数が大幅に増えると、観光客も利用できるようになる。
島に人がやってくる、島に人を呼べる。
美しく素晴らしい、与那国の風景や恵みの海を世界中の人に見て知ってもらえる。よし! 島へ戻ろう。観光で島を発展させよう!
石垣島での商売をたたみ、島に戻りました。そして、まず、土地を買って生活の基盤である家を造りました。落ち着いて仕事をするために。
母が経営している「入船旅館」を改装し、完全個室のホテルを作り「ホテル入船」としてリニューアルオープンさせました。
たくさんの人が訪れるようになれば、旅人にとって快適な宿が、プライバシーを守れる宿が必要になりますからね。
ダイビングの経験を生かして、与那国島で初のダイビングショップを開くことにしました。
さあ、島の海を知り尽くさなくてはいけません。パーフェクトでセーフティーなガイドをするのがショップの使命ですからね。
まずは、舟のヘリにつかまりながら海中を覗いて島の周りをくまなく調べることにしました。
変わった地形や、「ん? これは?!」と思ったところで潜って確かめ、ポイントマップを少しずつ作り始めました。
そんな日々が続く中、新川鼻と呼ばれる岬の海底を覗いてみることにしました。
その日「せーの」と海中を覗いてみると、水中メガネ越しに広がる光景に、自分の目を疑いました。
何だ!! これは!!
身の毛の湯立つ思い とはあのときのようなことを言うのでしょう、きっと。
ほんとに、全身の毛がモワモワっと直立したんですよ。心臓は激しく鼓動し、頭の中は目に映ったものをどう受け入れたらいいのか混乱しました。
気を落ち着けてもう一度海の中を覗いてみました。
さっきと同じ光景が広がっていました。夢ではない!!
これまで見てきた数々の海中の風景とは明らかに違うものが聳え立っている。
興奮覚めやらぬ中、潜水を開始しました。
階段がある、構造物がある、水路のようなものもある。
これは宮殿か! 遺跡か!
素晴らしい、これは、この島に神様がくれた恵みに違いない。
それが私が海底遺跡を発見した日でした。
その後、何度も潜って調査しました。
そして、このポイントを海底遺跡ポイントと名づけることにしました。
きれいだ、美しい、だけでは人は簡単には動かない、遠い場所だからなおさらだ。しかし、こんなに素晴らしいものが海底に存在していることを伝えると、日本だけでなく世界中からひと目みたいと島を訪れるようになる。
島が活気付くぞ、島が栄えるぞ。
クルーザーも買いました。
いい海、いい船、いいガイド、そしていい宿がすべて揃い、もてなす環境も整いました。
故郷を離れて暮らしていた青年時代からずっと抱いていた思い、「生まれ島を世界に伝えたい。美しい風景と、恵みの海を持つ与那国島を」自分の宿に泊まってもらい、自分の船に乗ってもらい、自分のガイドで美しい海を案内する仕事がしたい。と願ってきたことが叶えられたのです。
与那国島は、母なる島、私の魂の場所です。
私はこれからもずっと、この島を大切にしながら愛し続けていきたいのです。
たくさんの人々にこの島の魅力を知っていただき訪れてもらえるよう、命ある限り島のために尽くしていきたいんです。
と、笑顔で語る中、クリクリ眼がキラリと輝きました。


与那国滞在中、ずっと新タケさんにお世話になりました
そして、海の素晴らしさを満喫させて頂きました。
心から神謝です。ご一緒していただいた大谷会長・清水社長に神謝です。

座間味・伊是名・与那国
美ら島の離島は何処を訪ねても
素晴らしい何かに出愛ます
それは言葉で何といえるものではありません
あなたの心が感じるものだからです
波照間・西表・・・
そこにあるのは海、産み、宇美
宇宙の美なのです
生命の起源・根源があります
だから、人は水のある海に惹かれのだと思います