スーパー・チューズデー~正義を売った日~
アメリカ映画の面白いところ、ダーテイーな部分を浮き彫りにして
本当にありそうな話を映画にする
あえて比べれば、ドラゴン・タトウーの女は、もうストーリーを忘れた
これはその点では実に物語性が高く評価できる
本当にありそうな話を映画にする
あえて比べれば、ドラゴン・タトウーの女は、もうストーリーを忘れた
これはその点では実に物語性が高く評価できる
栄えあるアメリカ合衆国大統領の座をめざし、
民主党予備選に出馬したマイク・モリスは、
選挙ツアー最大の正念場を迎えようとしていた。
ペンシルベニア州知事として政治家の実績を積んだモリスは、
ハンサムで弁舌に優れ、カリスマ性も十分。
そのうえ清廉潔白な人柄と揺るぎない政治信条で多くの有権者を魅了し、
ライバル候補のプルマン上院議員をじわじわと引き離しつつある。
来る3月15日のオハイオ州予備選に勝利すれば、
その勢いに乗って共和党候補をも打ち破り、
ホワイトハウスの主になることはほぼ確実。
マスコミも「オハイオを制す者は国を制す!」と煽り立て、
一週間後に迫ったスーパー・チューズデーの決戦に全米の注目が集まっていた。
監督・ ジョージ・クルーニー
主演・ライアン・ゴズリング、ジョージ・クルーニー
民主党予備選に出馬したマイク・モリスは、
選挙ツアー最大の正念場を迎えようとしていた。
ペンシルベニア州知事として政治家の実績を積んだモリスは、
ハンサムで弁舌に優れ、カリスマ性も十分。
そのうえ清廉潔白な人柄と揺るぎない政治信条で多くの有権者を魅了し、
ライバル候補のプルマン上院議員をじわじわと引き離しつつある。
来る3月15日のオハイオ州予備選に勝利すれば、
その勢いに乗って共和党候補をも打ち破り、
ホワイトハウスの主になることはほぼ確実。
マスコミも「オハイオを制す者は国を制す!」と煽り立て、
一週間後に迫ったスーパー・チューズデーの決戦に全米の注目が集まっていた。
監督・ ジョージ・クルーニー
主演・ライアン・ゴズリング、ジョージ・クルーニー
子どもの教育を考える会の歩み
インドで(2001,5)
2001年、何かに誘(いざな)われてインドへの旅に出た。あえて言えば、お釈迦様の聖地に赴きたいという気持ちがあった。カルカッタへ立ち寄ったのを機にマザーテレサの教会のミサに出た。あの時の尼僧の「天使の声」は今も忘れられない美しいものとして心に強く残っている。地上のものとは思えぬあの美しさが私を変えたのか、時間の許す範囲でボランテイア活動をさせて頂いた。
「死を待つ人の家」 飛び込みのお手伝いで役に立つ筈もないのだが、リーダーの指示を受けて一心にさせて頂いた。配膳の準備、そして点滴を受け て、寝ている人への食事のお手伝い。初めての体験で私は余裕すらなく直向に取り組ませていただいた。無理な姿勢で不自然だったのであろうか、その寝そべっている病人の方が、目配せをして自分の体のヨコに座るように伝えて下さった。
ボランテイアをしてあげているのだという傲慢さ、お手伝い、手助けをしてあげているのだという不遜さ を私はガツンと一撃の下に叩きのめされた。労わるべき私が労わられた。あの想いは決して忘れることができない・・・。お役に立たせていただく謙虚な心を私はその「死を待つ家」で、死を待っている人に教えていただいた。
カンボジアで(2006.11)
今 私の願いごとが かなうならば 翼が欲しい
この背中に 鳥のように 白い翼 付けてください
この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
ヌグっても拭ってもぬぐいきれない涙というものがある。「伸びゆく子供たち」と名づけられた孤児院の15人の15歳から6歳の子供たち。私たちへの歓迎の意を伝えるために、日本語で歌って下さった。誰が教えて下さったのだろうか・・・ もし、この子たちに神様が翼を上げたとしたら、どんな遠い所であったとしても、それが天国であっても、この子たちは間違いなくお母さんの所へ飛んで行くだろう。可愛いはずの歌声が私には母への叫び、哀願のように聞こえてきた。慰問をさせて頂いて、気まぐれな同情心を持って、学用品やお菓子を差し上げて表面的な子供たちの明るく元気な姿に感動させられて、本当にそれだけでいいのだろうか・・・。愛って、心って伝えられるのだろうか・・・。「できることから始めよう」この想いは、この子たちの歌声が私の魂に伝えてくれたこと。
ケニア・スラムの街で(2007.5)
チャリティー遊書展の活動の中でご縁があって出会った松下照美さん。単独でケニア・ティカの街で孤児やスラム、少年院、ストリートチルドレンの子供たちのために奉仕活動をしておられる。一人ではちょっと引いてしまうかも知れない、スラムの街にテルミさんと入って行った。子供たちが駆け寄って来て群がる。街を歩き、小学校を訪問して子供たちに「ふるさと」の歌を唄ったり、筆で字を書いてもらったりして遊んだ。街中を歩くその間、一人の少女がずっと私の手を固く握って離さなかった。私の肩の下にある頭は砂場で砂をかぶったような状態で、粗末な衣服に素足。水道もない衣食住の何もかもが、不自由さ極まりない所で、無邪気にけなげに屈託なく生ききろうとするその姿に、純粋な瞳の眼差しに私は天使を見た。何もないから物欲がなく、欲しがるものがない。今、元気に命があることをただただ神謝して生きているようにすら見える。スラムを歩いている間、ずっと握りしめられたあの手の感触。それは温もりというよりも魂を持った人間の体温だったような気がする。結美愛した手が感じたもの、それを忘れないでいたい。それが今の私のボランテイアの活動へのエネルギィーとなっているような気がする。
一人では何もできないけれど、お声掛けをして呼びかけをさせて頂いて心からお願いすることはできる。かつて、60年の歳月の中で、人様にお世話になって生かされて来て、今、あることに神謝して、「誰かにして貰ったことを誰かにさせて頂こう」という願いを持って続けさせて頂こう。まだまだ、批判を甘んじて受ける覚悟は出来ていないけれども、それが、私が導かれているこれからの生き方のような気がする。
2001年、何かに誘(いざな)われてインドへの旅に出た。あえて言えば、お釈迦様の聖地に赴きたいという気持ちがあった。カルカッタへ立ち寄ったのを機にマザーテレサの教会のミサに出た。あの時の尼僧の「天使の声」は今も忘れられない美しいものとして心に強く残っている。地上のものとは思えぬあの美しさが私を変えたのか、時間の許す範囲でボランテイア活動をさせて頂いた。
「死を待つ人の家」 飛び込みのお手伝いで役に立つ筈もないのだが、リーダーの指示を受けて一心にさせて頂いた。配膳の準備、そして点滴を受け て、寝ている人への食事のお手伝い。初めての体験で私は余裕すらなく直向に取り組ませていただいた。無理な姿勢で不自然だったのであろうか、その寝そべっている病人の方が、目配せをして自分の体のヨコに座るように伝えて下さった。
ボランテイアをしてあげているのだという傲慢さ、お手伝い、手助けをしてあげているのだという不遜さ を私はガツンと一撃の下に叩きのめされた。労わるべき私が労わられた。あの想いは決して忘れることができない・・・。お役に立たせていただく謙虚な心を私はその「死を待つ家」で、死を待っている人に教えていただいた。
カンボジアで(2006.11)
今 私の願いごとが かなうならば 翼が欲しい
この背中に 鳥のように 白い翼 付けてください
この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
ヌグっても拭ってもぬぐいきれない涙というものがある。「伸びゆく子供たち」と名づけられた孤児院の15人の15歳から6歳の子供たち。私たちへの歓迎の意を伝えるために、日本語で歌って下さった。誰が教えて下さったのだろうか・・・ もし、この子たちに神様が翼を上げたとしたら、どんな遠い所であったとしても、それが天国であっても、この子たちは間違いなくお母さんの所へ飛んで行くだろう。可愛いはずの歌声が私には母への叫び、哀願のように聞こえてきた。慰問をさせて頂いて、気まぐれな同情心を持って、学用品やお菓子を差し上げて表面的な子供たちの明るく元気な姿に感動させられて、本当にそれだけでいいのだろうか・・・。愛って、心って伝えられるのだろうか・・・。「できることから始めよう」この想いは、この子たちの歌声が私の魂に伝えてくれたこと。
ケニア・スラムの街で(2007.5)
チャリティー遊書展の活動の中でご縁があって出会った松下照美さん。単独でケニア・ティカの街で孤児やスラム、少年院、ストリートチルドレンの子供たちのために奉仕活動をしておられる。一人ではちょっと引いてしまうかも知れない、スラムの街にテルミさんと入って行った。子供たちが駆け寄って来て群がる。街を歩き、小学校を訪問して子供たちに「ふるさと」の歌を唄ったり、筆で字を書いてもらったりして遊んだ。街中を歩くその間、一人の少女がずっと私の手を固く握って離さなかった。私の肩の下にある頭は砂場で砂をかぶったような状態で、粗末な衣服に素足。水道もない衣食住の何もかもが、不自由さ極まりない所で、無邪気にけなげに屈託なく生ききろうとするその姿に、純粋な瞳の眼差しに私は天使を見た。何もないから物欲がなく、欲しがるものがない。今、元気に命があることをただただ神謝して生きているようにすら見える。スラムを歩いている間、ずっと握りしめられたあの手の感触。それは温もりというよりも魂を持った人間の体温だったような気がする。結美愛した手が感じたもの、それを忘れないでいたい。それが今の私のボランテイアの活動へのエネルギィーとなっているような気がする。
一人では何もできないけれど、お声掛けをして呼びかけをさせて頂いて心からお願いすることはできる。かつて、60年の歳月の中で、人様にお世話になって生かされて来て、今、あることに神謝して、「誰かにして貰ったことを誰かにさせて頂こう」という願いを持って続けさせて頂こう。まだまだ、批判を甘んじて受ける覚悟は出来ていないけれども、それが、私が導かれているこれからの生き方のような気がする。