忠恕(ちゅうじょ)
忠恕(ちゅうじょ)
論語と私の出愛は高校3年生の時に、佐藤君という友達から「この本を読めよ」というものだった。正直な所、一切何が書いてあったか覚えていなくて記憶にない。しかし、孔子の教え、孔子の精神は『忠恕』であるという一語だけが残った。30歳くらいまでは、色紙にもほとんどこの言葉を書いてきた。自分が忠恕、真心と思いやりがある人間かどうかは別にして、18歳の時からこの言葉が私の心に刻まれたことは確かである。以来、そう心がけたいと願って生きてきたことも事実である。
私が言葉に敏感になったのは、おそらく小学校4年生の時の恩師の影響だろう。「たけのこ」という更半紙に来る日も来る日も、毎日の日記を書き続けた。思えばこちらは自分の分だけだけれども、先生は50人の生徒に毎日、コメントを書いて下さった。その一語は明確に覚えてはいないが、今もなお、私の心の襞にしっかりと美化されて付着しているものと思う。それが潜在意識となって私を動かしているようにも思える。私にとって生きる力となる心の教育をして下さったのだろう。今の私がいるのは恩師、山岸義人先生のお蔭の賜物だと思う。
川端康成の小説の一節、龍之介の詩の一節、宝石のように煌く言葉たちが私の心の中でいつも光っている。それが40年、50年という積み重ねの中で、さらに磨かれて輝きを増して来ている様に感じる。物理的な財産は何もないけれど、言葉という宝物をたくさん、皆様から頂戴しているように思える。
(2005年 4月 1日 [金曜日]