読書感想文

時間がおありの方は、ぜひ、ご一読を!
地球は大きな幽雅な妖怪アパート
~「妖怪アパートの幽雅な日常」を読んで~
 人生小学校60年生 西口 賢治
「“自分”ってものをしっかり作ることができなかった人間は、何があっても自分に自信が持てないんだよ。たとえそれが悪いことでもね。それが自分のせいだと思えないんだよネ。そこに自分はないんだよ」そうなんだと僕は心からうなずいてしまった。そして、新しい発見をしたような気がした。学ぶということ・勉強することの意義、大切な目標、何のために勉強するのかの答えは「自分を作ること」にあるのだと60のおじさんは心から得心してしまった。今からでも決して遅くはない。「今、ここから」よりよい人間、心豊かな自分づくりを目指して頑張ろうとこの本を読んで学ぶことができた。
 この「妖怪アパートの幽雅な日常」の本は、神森小学校の六年生の女の子が担任の先生に贈って、それを読んだ先生が、面白いのでぜひ、にとすすめて下さって読み始めて見た。今まで千冊以上は読んできただろうか、本当のことを言うとタイトルからの第一印象では、文学作品で読み育った僕は正直引いてしまった。でも、読みすすめていくうちに、僕はこの物語世界にのめり込んでしまって、自分自身がこのアパートの住人になっていた。感情移入してしまって、夕士になったり龍さんになったり、時には詩人にも画家にもなった。そう考えてみると一人の人間における人格の幅はそういうものではないだろうかと思った。自分という人間性の中に善も悪も美も醜も持っていて、すべての登場人物の資質が自分という人間性の中にもあるのだと思った。性別を超えて秋音ちゃんに似た部分もあるし、まり子ちゃんのような部分もある。そう考えるとある面で自分自身がとても恐ろしくさえ感じた。ワルの竹中も僕の心の中にはあるだろうし、あのクリの母親のような恐ろしさも内在しているのだと気づかされた。だからこそ僕たちは学ぶことによって自分を作り、なりたい自分をめざして勉強していくのだと思った。その中で真善美を求めて人間らしい、自分らしい人間を作っていくのだ。
 妖怪アパートの住人は決して妖怪ではない。ぼくが60年生きて来た現実の世の中にはもっと魅力あふれる素敵な人もたくさんいるし、残念ながらもっと悪い人もいる。また、妖怪のような不思議なもの、パワーを持った人もいる。このアパートの住人、世界はある面でこの世の中、地球の縮図でもあるような気がした。その中で自分は、どのような自分を作って善悪美醜のどこに身をおいて生きていくかが大事なのだと考えさせられた。私たちは「ヒト」としての動物の部分と「ひと」としての人間の部分を持って生きている。それは野生的、知性的というようにおおざっぱにわけることは難しいけれども、僕はヒラメキのような感性を大事にした野性的な部分も大事にしたいし、一方、人生のいろいろな場面で正しい判断ができるように知性的な部分も育てていきたい。生きていくということが学ぶということだと思えるので教科の学習も大切であるが、知識の質と量を増やすだけの勉強ではなく、知性や知恵につながる勉強をしていきたいと強く考えさせられた。
 この物語に出てくる物の怪(もののけ)は、その人の野性的な部分、ヒトとしての心身頭の中にみんなが内在して持っているものだと思う。僕も時々、いろいろなたくさんの人に字を書かせて頂いて差し上げた時に、「神さんがついているのですか?」って言われることがあるが、もしかするとそれは僕の中の物の怪のことだろうか?でも、それは何も特殊な特別なことではなく、みんなが60兆の細胞の不思議なモノの中にいい意味で物の怪があるのだと思う。イイ物の怪になるか、悪い物の怪になるのかも、清く正しく美しいそして優しい心を学んで育てることによって自分を作り、自分の中にある物の怪・豊かな才である才豊・個性を発見していくのが自分作りであり、学ぶということの一つの目的であるとこの本から教えて頂いた。
 『もっとみつめたい。人間としての自分を。もっと磨きたい。自分という人間を。そのためには、今この世界はあまりにも乾いている。カサカサに。』でも、カサカサな世の中に生きているというのは、まぎれもない事実だとして、だからこそ、みんなが力を合わせて一緒懸命になれば、潤いのある美しい日本を作っていけると僕は信じている。確かにこの世には良い妖怪アパートも、悪い妖怪アパートもどちらもあるようだ。どちらの住人になるかは自分次第。何が正しいか、悪いのかを判断できるようになるのは、人生の学び方次第。ぼくは夕士君のように秋音ちゃんのように、そして、龍さんのようなカッコイイ人になれるように楽しく、一生勉強していこうと思った。人との出愛・本トの出愛・全ての出愛を大切にして、僕は愛される物の怪になりたいと思った。
~出愛のご縁を頂いた神森小・6年生の愛する仲間へ~