微笑んで
微笑んで
眼を閉じて
ふっと息を吐いて
肩の力を抜いてごらん
そんなに頑張らなくていいんだよ
耳を澄まして
ほっと息を吸って
足の力をゆるめてごらん
そんなに力まなくていいんだよ
あなたはあなた ぼくはぼく
みんな違ってみんないい
人が頑張っているから
頑張らなければならない
そんな決まりは無いんだよ
太陽は太陽 月は月
みんな違ってみんないい
人ができているから
できなければ恥ずかしい
そんなことは決してない
もっと気楽に
もっと気安く
力を抜いて微笑んで
歯を食いしばって頑張って
努力忍耐並べ立て
周りの人にもピリピリさせて
突っ走ることも良いけれど
力を抜いて微笑んで
自分は自分 人は人
萬事OK受け入れて
人それぞれのスタンスを
受け容れて認め合い
手をつないで微笑んで・・・
ガラスの巨塔
まだ最後まで読みきっていませんが面白い小説です
NHKの裏側が見えるように思えます。
私たちはマスコミを通じて表の虚像を見せ付けられています
それに対する警告の意味でも読んでおくべきかも・・・
■醜悪な大放送局の裏事情いま話題の書「ガラスの巨塔」を読みました。
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1558021/
NHKのプロデューサーだった今井彰氏が書いた小説です。
小説ではありますが、この書の新聞広告は今井氏ご本人の写真を大きく載せています。内容は事実に基づくというメッセージでしょう。
確かにおもしろい小説でした。NHKらしき半国営テレビ局の内部の状況がなまなましく描かれています。もちろん批判的な視点から、限りなく醜く、といってもよいでしょう。
NHKの実態を知るには貴重な資料かもしれません。
実は私はこの書に関して映画監督の森達也さんが産経新聞に書評を書いてくださったのを読んでいました。本を読むより先に書評を読んだのです。というよりも森さんのこの鋭いえぐるような書評を拝読したために、その本を読んでみたくなったともいえます。
そしていま自分の読後感がなにかと自問すると、森さんの書評にもどっていくから不思議です。僭越ながら私の総括の読後感も森さんの「評」とほとんど同じだと感じたのです。
以下がその森さんの書評です。
アフリカのサバンナで暮らす母ライオンと仔(こ)ライオンのドキュメンタリーを、あなたは観(み)ているとする。情愛溢(あふ)れる母親と可愛(かわい)い子供たちだ。
次に視点を換える。ライオンに狩られるトムソンガゼルの親子のドキュメンタリーだ。草を食(は)む彼らのそばに凶暴そうな雌(めす)ライオンが忍び寄ってくるシーンを観ながら、あなたは何を思うだろうか。
認知する事実は視点によって変わる。時には反転する。特に現実に規定されるドキュメンタリーは、視点がすべてと言い換えることもできる。
だから優れたドキュメンタリストの多くは、公正中立や客観性などのドグマを信じない。善悪二元的な観点にも同意しない。人が100人いれば100通りの事実がある。
だからこそ不思議だ。この小説の著者である今井彰は、長くドキュメンタリーを撮り続けながら、なぜこれほどあからさまな二元論的世界観を提示できるのだろう。
この物語の主人公である西悟は、かつて「プロジェクトX」というお化け番組のプロデューサーとして一世を風靡(ふうび)した今井自身の明らかな投影だ。その栄光と没落の描写は、まさしく自己を正当化しようとの今井からの視点に他ならない。無邪気なほどに単面的だ。西に嫉妬(しっと)し今の地位から引きずりおろそうと画策する上司や同僚たち、番組のやらせ問題を追及する他のメディアの男たちは、すべて例外なく醜悪な男たちとして描かれ(笑い方が必ずのようにヒヒヒなのだ)、西と彼を庇護(ひご)する男たちは高潔な人柄として描かれる。この臆面(おくめん)のなさはある意味ですごい。
NHKの派閥人事については、確かによく耳にする。志ある作り手から、「敵は外ではなく中にいます」との言葉を聞いたことがある。それらの裏事情を知る意味ではこの実録小説は、多少の役に立つという見方もできる。
さらに、人はこれほどに自己正当化と美化に埋没してしまうということ、そして視点が変わればこれほどに光景が変わるということ、そんなことを知りたい人にとってこの本は、多少の意味を持つかもしれない。(幻冬舎・1680円)
評・森達也(作家・映画監督)