ラストサムライ
主演/トム・クルーズ 渡辺謙
無条件に降伏して絶賛しよう。グチ・もんく・屁理屈を捨てて、この映画を評価したい。アメリカ人が描いた、探求した。「侍」「武士道」は生半可なものではなく、戦前に学者が日本人を分析して「菊と刀」を著したように、かなり研究して「武士道」を描いている。
どちらかというと美化しすぎているぐらいだが、日本人としてはうれしい限りだ。
これは監督・製作・脚本を手がけたエドワード・ズウィックの実力だろう。今まで描かれた日本映画にはがっかりさせられ続けてきた。しかし、この作品には大きな矛盾はない。「グラディエーター」の脚本を手がけて実力もあり、ハーバード大学で、かのライシャワー教授に学んだことも大きいかもしれない。「恋に落ちたシェイクスピア(99)」「Iam
Sam(01)]をプロデユースしているという幅の広さにも驚嘆する。
トム・クルーズも無条件にかっこよかった。渡辺謙の迫真の演技も賞賛に値する。唯一の女優として出演した小雪も素晴らしかった。おそらく筆者の目に狂いがなければ、これからの映画界を代表する女優になるだろう。はまり役といえばそうかも知れまいが、昔の日本人女性の慎ましくも控えめで芯の強い女を見事に演じていた。
この映画には風景としての日本のよさが描かれている。日本人が忘れかけようとしている、日本人の精神、アイデンティティを、当事者である日本人よりも美化して捉えている。
「葉隠入門」で三島由紀夫が、武士道とは死ぬことと見つけたり、と著したのを巧みに借りて、主人公の勝元(渡辺謙)が、「どのように死んだか」という天皇の問いに、トム・クルーズ演じる南北戦争での西部のサムライに「どのように生きたかを話したい」と答えるセリフは感動ものだ。監督が、脚本が映画の高で最も言いたいセリフが一つあるとするならば、日本人とアメリカ人の侍とサムライの違いとして、『生と死』をテーマに訴えたいのかもしれない。
大袈裟に言えば、日本人の精神史を語るに、今、2003年から今後の10年は、明治維新のような重要な時期なのかもしれない?このままでは間違いなく日本人は、日本人の心としてのアイデンティティを国際化という濁流に飲み込まれていこうとしているのかもしれない。政治・経済を最優先して、国際化が正しいとする考えには大いに疑問が持たれる。
東洋があり、西洋があり、それぞれが主体性を大事にして、それぞれの国家としての個性を重要視した国際化でなければならない。もし、監督エドワード・スウィックが問題提起としてこの作品を日本人に贈ったとするならば、日本人は「日本人の魂」について、もっともっと考えなければならない。また、映画というものは、そのようなメッセージを贈るものである。
「美意識」は心の問題だ。また、美意識というものは教育の範疇であり、塾の教育の中でも充分指導していけるにないようではないだろうか?しかし、これは文科省の指導要領にも触れられていないし、塾の指導方針にも謳われていない項目だ。本当にこれでいいのだろうか。100年先の予測は誰もできない。ましてや、100年後の日本の教育・自塾のことなど誰も考えてはいない?しかし、意識だけは持っていたい。