2005年01月の日志

出愛は神様からのご褒美
 出愛は神様からのご褒美。何時何処で誰と何とどのようにどのようなタイミングで出会うかによって、人生は変ると思う。中でも人との出愛は大きいものがある。小学校4年生の時の恩師との出愛、これが今の私を創った。伊豆の踊子、本との出愛。シェーン、映画との出愛。茶道との出愛。たくさんの友、先輩、etc
 今回の沖縄の旅もたくさんの出愛があった。昨年の3月の遊書展で「球志意」という文字を通じて出愛をして、その後、メールを通じて心を通じあうことが出来ているYさん。天使のように素晴らしい、素敵な方だ。Yさんにとっても僕にとっても、出愛を深化させていって、お互いの人生のプラスにして行きたいと願っている。「月の会」というのがあって、ここのメンバーの方がいつも沖縄での遊書展で支援活動をして下さっている。このメンバーでの新海君の激励会に参加して、Rさんにお愛した。凛とした清清しさのある「美らかーぎ=チュラカーギ」(=ウチナーグチ、沖縄の方言で美人という意味)。一目見ても志事が出来ると拝察できる方。このような人とお話しているとそれだけで楽しい。月ぬ美しや(=つきぬかいしゃ)というお仲間の人の居酒屋で談笑して、話に花を咲かせ心を通わせ合う。私にとっては珍しい美味が並ぶ。沖縄には「出逢りば兄弟=イチャリバチョウディ」という言葉があって、友達の友達は友達という感覚がある。勿論、イイ人がいい人を引力で引き合うという作用が働き合う。
 カンボジア小学校建設募金のための美世咲Tシャツを余分に持って行ったのに、足らないようになってしまうほど完売した。
本当に有難いことだ。心から感謝をせずにいられない。
(2005年 1月 31日 [月曜日])

教師根性
 S君は沖縄で出会った24歳のナイスガイの若者。ペンションびせざきで働いていた時に出会った。彼は元横浜暴走族のヘッド。引退式の時は800人が集まったというから、その人望たるや凄いの一語に尽きる。おそらく、小泉首相が引退式をしてもその人望だけでは100人も集まらないだろう。
 彼がペンションを卒業して、那覇の企業に勤めるとき、そのお祝いに革靴とネクタイとボールペンをお祝いにお贈りした。その恩を終生忘れないでいてくれているのかどうか、あむりえ蔵部という泡盛のショットバーの責任者として、その店の開店の時に報告をくれた。根っからの教師根性が染み付いている私は居ても立ってもいられずに、その開店祝いに駆けつけた。結婚式の折も縁があって、みんなで作る人前、海前結婚式だったため、自然な流れで私が司祭を勤めることになった。私が沖縄に行くと、赤ちゃんを連れてわざわざ挨拶に来てくれる。今回は独立して、島酒家という泡盛の卸元の有限会社を設立する、激励会、お祝いに駆けつけた。みんな心ある人たちが集まってこのような集まりをするのが、沖縄の一つの文化。そのような中で私の遊書展も皆様のお蔭で拡がりを持たせていただいている。50ぐらいのホテルやお店で私の書が飾られており、1000を超える家で私の書が毎日、見て頂いて、元気を配布させていただいているそうだ。
 教師根性でなくとも、みんな年上の人は若い頑張っている若者を見ると、力になりたい、何とかしてあげたいと思うのではないだろうか。かつて自分がそうして貰ったように・・・。
2005年 1月 30日 [日曜日]

生まれ変りの変化成長
 美世咲。「愛と平和が美しくこの世に咲きますように」という想いを込めて製作したTシャツを届けるために、備瀬崎、熊さんのいるペンションびせざきに行って来た。ここは私の心の故郷。字遊人西口賢治が生まれた所だ。
 ここには私にとって素晴らしい『気』が流れているところだ。宇宙からの気、海からの気、空からの気、ここにいる人の気、ここにくる人の気。全てが私にとってエネルギィーとなるものである。人間は動物としての一個の固体としての誕生のほかに、いろいろな機会に、いろいろな形で、いろいろな役割で生まれたり、生まれ変わるものだと思う。西口賢治は両親が産んで下さった。教師としての西口賢治は恩師が産み育てて下さった。そのような考え方は成り立つものであると思う。だから、字遊人としての私はここで生まれ、今、ここで育っている。
2005年 1月 29日 [土曜日]

中1のN君から学ぶ。
 中1のN君は、とてもいい子で、間違いなくやれば出来る子。しかし、教育的配慮、見地からいくと、「如何にやらせるかが」一番大事なことである。知的好奇心が強く、素直で明るい。今の所、関心興味の対象が学習方面に向いていないということ。この方向を、軌道修正してあげるのが、教師の役割、教育力だと思っている。修正というのもおこがましい。何も間違ってはいないのだから。N君の今の興味の対象はパソコン、ちょっと聞いてみると、中1レベルとは到底考えられないほど熟知している。これをもっと深化させてあげて、勉強にも矛先を上手く向けさせてあげれば、グ〜んと学力は伸びるはずなのだ。
 先ずは手始めに、英語と国語は僕が教えさせて戴くので、変りにパソコンは教えてくださいと、頭を下げている。この関わり方は、子供の優越感をとても満足させることが出来る。そして、これを元に築いたヒューマンリレーションは、とても友好でお互いの信頼が深まる。対等の付き合いというのが子供たちが願う、大人たちへの付き合いなのである。先生と生徒、教科を教えるという点では先生かもしれないが、人間としては対等である。大きな支店から見れば、一寸、先輩、先に生まれたというだけなのだ。
N君からいろいろなことを学ばせていただこうと思っている。「人生、みな師なり」という観点から言えば、N君もまた、こちらの姿勢次第で師となり得るはずなのだ。
(2005年 1月 28日 [金曜日])

風邪にご注意、咳には金柑。
 合格祈願もあって、除夜の鐘を知恩院に聴きに行きました。霙まじりの寒さと、冬期講習のハードさもあって、例年の私ならそれぐらいではへこたれないのですが、年末の過密スケジュールで不覚にも風邪を引いてしまいました。お正月3が日は完全静養。4日から、冬講・受験合宿とこじらせた風邪のせいで、病院にも真面目に通院するも、咳が酷く、睡眠中も2,3時間毎に体が温まると咳き込んで寝むれない。いよいよ授業中も咳き込んで大きな声が出せない。受験生に風邪を移したらという心配は、これは仕事柄お互い様というか、子供の風邪と大人の風邪はうつらないとか?。窮地に陥って見つけた解決策が、金柑の食用。咳をこじらせるとこうなると言うのは承知しており、いつも早めの対応が、病院の正月休みで手遅れての緊急事態。10年ぶりぐらいの症状に思い出したのが、金柑。火曜日に尼崎の三和商店街の市場に行って1キロ500円なりの金柑を買って来た。ものの見事というか翌日にはケロッとしたように咳が止まる。ご存知のようにのど飴にも柑橘系、特に金柑が使われているが、勿論、体質で合う合わないはあるでしょうが、私には咳の特効薬です。
 今回の風邪を学習効果にして、風邪は万病の元、元気が一番、健康が全てということを肝に銘じて注意していきたいと思う。
受験生諸君!子供たち。大事な志事を持ってるお父さん。家の中心お母さん。どうぞ、風邪に用心してください。
(2005年 1月 27日 [木曜日])

一冊の写真集(本)
■お互いの想いが響きあって
   おもしろい遊書が生まれる
■あなたのとなりの人にひとりだけ
   愛を語ろう平和を語ろう
    そうすればみんながつながりあえる
■ことばは心を伝え
       愛を語るもの
■ことばを通じて
  恋愛ごっこしたい
     それが夢です
■人間として動物としての
 感性と野生を表現したい
■美ら島の心は 愛と平和
■夢幻の法則
  心に描くこと
  ことばにして口に出すこと
  文字にして書き現すこと
■人生はいつどこで誰と何と出会うかによって
 決まると思うのです。
 出会うということは出会ったものに
 愛を出すということです。
 愛を出し会ってこそ出愛です。
 人との出愛 ものとの出愛
 風景との出愛 言葉との出愛
 ”一期一会”の出愛によって
    人生が変ることがあります。
 遊書のことばとの出愛の中に
 心のふれ愛が生まれることを祈念して地球を歩いています。
                     字遊人 西口賢治
 
写真家の宮坂浩・嘉津子ご夫妻が写真を撮って下さって、一冊の小さな写真集にして下さった。16枚の私の写真は、自画自賛ながら実によく撮れている。また、皆さんもとてもいいと褒めてくださる。(褒めてくれないのは家族だけ)。上のことばはその本の中で、私の顔写真と一緒に並んでいるものだ。
 東京の遊書展に来て下さったお客様の一人で、書が取り持つ縁、夢縁での広がりである。有名人より夢人をめざしている賜物、お蔭のようにも思える。
 子供の頃から、いつかきっと、いつの日にかと思い続けて来た事が、今、ひとつ一つ形になり、実現して来ている。若い人に、生徒さんたちに伝えたい、夢を、小さな夢を持ち続けよう、いつの日か、小さなが花きっと咲くものだ。
(2005年 1月 26日 [水曜日])

読むということ
『人は、時間の中を旅する旅人であるが、旅人にとって、体験する時間は決して均質に経過するものではない。意味ある時間を多く過ごした人ほど、より善く、より長く生きてきたことになるのではなかろうか。時間という旅人と、その中を旅する人の出会いは、まさに一期一会である』〜稲畑汀子の文章より〜

中3国語「シリウス21」というテキストの本文です。15歳には15歳の感性でのとらえ方があれでしょうが、やはり、この辺の文章の内容になってくると55歳のおじさんのほうが深く理解できるような気がする。小学生の受験用テキストにも、河合隼雄さんの文章など、おそらく保護者であるお母さんも読まないような、いい内容のもの名文が出てくる。向田邦子さんの随筆などは、時に涙ぐんでしまい、私が読むのに詰まってしまって、一瞬、「し〜ん」とした、特別な静寂が流れる。これも私は生きた授業だと思っている。教科書と違って、塾のテキストは本当にいいものがある。私は30年の国語教師を通じて、たくさんの文章を音読してきて、その何割かが脳と潜在意識に残っているように思う。だから、これからも心を込めて読んでいこうと思う。
  
(2005年 1月 25日 [火曜日])

問題は問題ではない
問題の大きさが
  自分の器の大きさ


問題は解決されるために起きてくるのものである。
5の力の人には5の問題が
8の力の人には8の問題が起きる
そういうように世の中はなっているようです。
だから、大事なことは決して逃げ出さず
真正面からぶつかる事です。
正面から取り組んだ時には
問題は解決されるようになっているものです。
6の問題を解決した時に
あなたは7の器の人間に成長した時なのです。
決して小学生に大学入試の問題は与えられません。
自分の器を大きくするために
問題をあるがままに受け容れることです。


「おやじめえる」〜愛する人に贈る詩〜 1994.3発行より
 これは手塩にかけた子供たちが卒業していく時に
 何か形になるものをと思って製作した自著です。 
(2005年 1月 24日 [月曜日])

愛校心
茅ぬの浦わゆ 朝風の
大和広野に 吹き満てば
玲瓏淀の 水澄みて
生気溢るる 我が母校
 
 浪華商業から浪商高校、そして現在は大体大浪商。私の母校である。今日は同窓会総会があって、同期の友の強い勧誘もあって、初めて参加した。一番最初に大阪で野球の名門校として、名を馳せた学校である。団塊の世代の私の高1の時は3500人近い、男子生徒が通学していた。超個性の強い高校だった。
張本・尾崎・高田・牛島・香川、2名のプロ野球の監督を出したという高校も珍しいのではないだろうか。
16,17,18歳の青春を、頭脳を鍛えるのも青春、何かに打ち込むのも青春。幸か不幸か、私はそれを意図してやったのではないが、真面目にテニスに明け暮れた。高3の5月から大学受験勉強を始めた。朋友・教師・校風どれをとっても普通ではなかった、振り返ってみれば、繊細でナイーブだった私はここで逞しく鍛えられた。狼の中に入れられた子羊の如く、そうしなければ生きていけなかったのだ。不曉不屈の浪商根性を畳込まれた。それがその後の人生、今も尚、生きていると思う。そして、それが私の反骨精神、自分自身の支えになっているのだ。
 愛校心たるや、どのOBも凄いものを持っている。中でも野球部OBというのは、流石に強い。今日の同窓会総会では、34年間、ヤクルトのスカウトとして、古田、若松、石井らを輩出した辣腕のスカウトとして有名な片岡宏雄先輩の話があった。先輩は立教大で長島の一年後輩で中日の捕手として活躍をされた。
 初めて同窓会総会に参加したが、それこそ80代から30代まで、おい、おまえのやり取りで男社会の和気藹藹さで楽しいものだった。
 愛国心・愛校心・愛家心・愛自心。まず、自らを愛す、自分を愛すということは他を愛するということだ。これも、大事な向上心・向学心の要素だと思う。
2005年 1月 23日 [日曜日]

本立而道生
 『本立而道生=本立ちて道生ず』。「何事にも根本がしっかり定まってくると、おのずから進むべき道が開けてくるものである」「基本が出来ないと道は開けてこない」孔子の論語の言葉である。座右の書をあげるならばこの1冊、論語だろう。学生時代には、漢文の授業でやる程度で、その時に感銘を受けた記憶はないが、30にして手にとって見て親しむようになっている。読み返す度に、新しい発見があって、そこにまた深みを感じる。一昨年、孔子の町、中国の曲阜に行ったことも馴染み深さが増して来ている。また、ゆっくりと行って見たいと思う町だった。
 根本は「世のため人のために」基本は「礼儀・挨拶・言葉遣い」。逆説的に云うと、自分のためにだけ、礼儀・挨拶・言葉遣いが出来ない子供で、人間的な成長、成績の向上を見るというケースはほとんどない。中学校ぐらいまでは、そこそこの成績を取れたとしても、それ以上の域に達するということがない。困ったことに、中学校まではそこそこの成績、例えばオール4を取っているので、親としては安心してしまうかも知れないが、大事な高校生になって伸びてこない。中学校までは、イマイチの成績だが、基本が出来ていて考え方もしっかりしている子は、確実に頭角を現してくる。これは大人も子供も同じことが言えるようだ。
 志事においても、勉強においても基本が出来ていないと応用も利かない、同様に考え方においても基本が大切だといえる。
2005年 1月 22日 [土曜日]

中学受験
 いよいよ明日は中学受験の日だ。受験する子も親も、こちらの指導させてきていただいた者も、合格がベストだということは間違いがない。しかし、この道30年を経過してくると、単純にはそうともいえないことがある。人生はいい意味で「未来」はわからないし、予測がつかない。だから、面白いし頑張り甲斐がある。12歳の子供たちに、前日に話して上げられることは「自信を持ってベストを尽くして来なさい。あなたにとって最良の結果は天が決めてくださる」と。この言葉だけとらえると、指導者として、ある面で言い訳がましいかもしれないが、1,2年間の指導の中で私なりに布石を打って指導してきている積りである。
 合否は、発表当日においては天国と地獄ほどの差が出る。これは致し方がない。けれども、これで人生が決まるわけでなし、幸せ行きの切符を手に入れた訳でもない。ある面で重要に左右するのは、その結果に対しての、対応の仕方、その後の取り組み方、生き方で決まってくる。中学受験で失敗したばかりに、国公立大学に行った子もいれば、合格はしたもののついて行けずに落ちこぼれた子もいるし、気を抜いて頑張らなかったためにかえっていい結果を出せなかった子もいる。中学受験も高校受験も通過点、プロセスの一時点でしかない。結果をどのように生かしていくかで人生に左右し、大きく影響するといえる。吉と出るか凶と出るかではなく、吉にしていくか凶にしてしまうかの、その後の考え方と生き方で人生が決まるといえるのかも知れない。
(2005年 1月 21日 [金曜日])

夢人をめざそう!
 子供たちは口を揃えて「お金持ちになりたい」「有名人になりたい」という。これは一つの目標として、自分を高めるモチベーションとしていいことだと思う。お金持ちになりたければ、自分という人間の器を大きくしよう。有名人になりたければ、何かに打ち込んで自分という人間を磨こうと教えさせて戴いている。
 今日の日本における、実際の金持ち・有名人という実情は、タモリが60分の番組で200万のギャラ、モーニング娘の知名度はおよそ8割、五木寛之は2割程度?このお金の価値観、有名人というバロメーターは、どう考えてもチョッと違うように思える。
 乱暴な言い方をすれば、将来、実社会で「自分のしたい志事」につける人は10人に2人ぐらい?私は、今、学校の成績が10人中2番でなくとも、将来は、自分のしたい志事が出来る2人になって欲しいと願っている。また、その思いで彼らの前に立って、「英語をでなく、英語で教えさせて戴いている」。
 志事とは、自分の志の事をすること。魂を持った人間が、事に仕える仕事をしてはいけないと思っている。家庭で親がわが子に@教えること、A躾けることというのは、@はそのような考え方・価値観であり、Aは礼儀・挨拶・言葉遣いではないかと思う。学校・地域社会でいい影響を受けることが少なくなった分、
TVの悪影響を受け、本としての軸がブレて来ているように思われる。それは親や大人には解っても子供たちには解らないことである、ということを私たちがもっと認識すべきことだと思う。
 子供たちが大きな夢を持って、それを実現する夢人になってくれるように・・・。
(2005年 1月 20日 [木曜日])

美世咲(びさざき=備瀬崎)

 「愛と平和ェ美しく世界に咲きますように」
 20年来の心友と言っても悪友の一人だが、沖縄で塾を経営する加納氏から、ビル購入のお祝いにTシャツを100枚プレゼントして下さった。ビセザキは字遊人・西口賢治が誕生した所で、ここに因んでこのTシャツを作らせて頂いた。今後、遊書展などの機会にお買い求めいただいて、その売上金をカンボジア学校建設資金の募金とさせて戴く予定だ。今、1,760,961円募金が集まっている。来年の4月に220万円を送金させて戴いて、11月に学校を建設していただける予定だ。この170万円の中には皆さんの善意と優情が込められている。私のチャリテイー遊書展にいつも協力をして下さっている、字遊人生みの母の高原さん、ペンションをギャラリィーのようにして展示してたくさんの人に感動の場を作ってくださっている、生みの父の熊さん。活動の拠点になっている沖縄には10人を超す支援者の方がいらっしゃる。お蔭で私の遊書が北は北海道から南は沖縄まで、いろいろな出愛をして飾っていただいて見て戴いているようだ。
 これも学習塾をさせていただいて、たくさんの生徒さんに通っていただいて、お母さん方にも支援して頂いているお蔭だ。だから、甲子園学習塾は塾長である私を通じて、親子・スタッフ、みんなでボランテイア活動を一緒にさせて頂いていると思っている。いつの日か塾の皆さんにもいい形で「遊書展」をさせていただこうと思っている。来年、再来年が創塾30周年になるので、その機会に恵まれればと思っている。
(2005年 1月 19日 [水曜日])

月愛(つきあい)
 陰陽というが、陽陰とはいわない。ここには漢字文化の中国日本の深いものがあるように思える。お陰様とお陽様、お月様とお日様のこと。宇宙はこの二つがあって成立する。私はこのお月様が、お蔭様が好きだ。人が生きていく上で、いついかなる時も、その場面場面で時に、陽に回り陰に回る時がある。人はお陰の力で生かされている。
 いろいろな本を読んでいると、月にはツキがあるそうだ。人は人の間で生きているから人間という、その点において、人間同士のリレーション、お付き合い=お月愛はとても大切なことである。社交術・処世術というと、何か世渡りの要領のよさだけが目立つようだが、そうではなくて、お互いが真心と思いやりを尽くす中での月愛が大事だと思う。お付き合いには、「突き合い」というニュアンスもある。お互いが切磋琢磨する意味で、突き合いをして向上していく。ここでも大事なことは月愛だ。月を愛でる思いで、月光のように優しく美しく、陰になって相手を立てる。そこには本当の月愛、突き愛が生まれて、お互いが人格を向上していけると思う。
 世の親、大人たちは、そのようなことは子供が成長していく過程の中で、徐々に覚え学んでいけば良いものだと思っている。人生は練習だ。子供の頃から、正しく導かれて、相手の気持ちを汲んだり、相手の心の痛みを解ることが出来たり、真心と思いやりを言葉として知っている、いないというだけでも随分と違うような気がする。わがままな子が、大人になって急に直ればいいが、直らなかったらどうするのだろう。それは世の中では通用しないことを意味する。相手への優情、子供のうちからしっかりと教えていきたい。私はそう考えている。
(2005年 1月 18日 [火曜日])

117、祈り愛
一瞬の出来事に
あらから10時間経ちました 
あなたの命は奪われて
私も生きる望みを奪われました
花も木も全てのものが色を失い
慰めの言葉も虚しく聞こえるばかり
誰を恨んで誰に泣いて
誰に当たればいいのかも
それを知らない幼い私
泣いて泣いて泣き暮れました

一瞬の出来事に
あれから10年経ちました
あなたの命を奪ったものは
私の記憶を奪ったけれど
花も木も全ての命が再生していき
とり遺されてる自分が恥ずかしく
小さな望みを持ちました
あなたのためにあなたの分も
しっかり生きると誓いました
あなたは天から幸せ祈り
私は大地からあなたを祈る

一瞬の出来事を
これから10年引きずらず
私はあなたの分まで生きていく
あなたの言葉 あなたの命
分かち愛は出来ないけれど
私の心の宇宙の中で
生かし続けて二人の分を全うするを
これが私の使命と信じ
天を仰いで生きていく
   【6433の魂に捧げて】
(2005年 1月 17日 [月曜日])

直向さ一途さ
中学生の時先生になるか、俳優になるかというのが夢だった。高校生の時には自分が先生になったらという立場で授業を受けていた。映画もただ見るだけでなく評価もし内容よりも演技を見ていた。昨日、今日は静養をして、それでも少し元気になるとじっとしておれない性分で、朝から映画を見に行って来た。半分が趣味で半分が志事だ。月刊私塾界という業界誌に誌上ロードショーを毎月1回書いている。スピルバーグの監督作品「ターミナル」を観て来た。トム・ハンクスは特別に演技が巧いとは思わないが、いつもいい役をしている所が評価を受けている。ヒロインのゼタ・ジョーンズは見事に役柄を演じていた。
 中3のときの映画鑑賞記録がつき10本。これは決して自慢できることでもないかも知れないけれど、この徹底振りは、今、志事をするときにも生きていると思う。何かに一途に打ち込める性格というのは、将来、志事をするようになった時、やはり、打ち込める人間になれると思う。大好きなことも人並みで、適当にしかやれない人が、勉強や志事に打ち込めることは難しいと思われる。子供が好きなことに打ち込んでいる時は、ぜひ、親も協力してあげるということが大事だと思う。直向に一途に取り組むことが出来る事は素晴らしいことだと思う。
2005年 1月 16日 [日曜日]

ウチナーぐち
 TVの普及という言葉を使うと、チョッと滑稽にも思える感が無きにしも非ずだが、方言がドンドン廃れていき、共通語がまかりとおるようになったというよりも、もはや日本語が乱れている。沖縄の方言を地元ではウチナーぐちという。「おおきに」「ありがとうさん」などは大阪弁で他所ではあまり使われない。
沖縄は琉球国と言われただけあって、独自の文化、独自の言語を持っている。チュラカーギは美人、チュラシマは美ら島というように、美はチュラというようだ。「なんくるないさー」「ナカユクイ」などは他所ではまったく通じない言葉だが、実に味わいのあるいい言葉だ。もっと深い味があるが、なんくるないさーは何とかなるさという意味で、なかゆくいは中休み、ゆくいが休むという意味。これが実に上手いタイミングで使われる。歩いている時、志事をしている時、人生のなかでの「ゆくい」。
 元旦からの風邪で今年のスタートは「なくゆくい」から、私は始まっている。今日は朝の1時間の授業を終えると帰宅した。帰って来てからの所用があったとはいえ、昭和52年に塾を開いてから初めてのことである。今年は健康に留意しなさいというシグナルとして受け止めている。病欠だけは28年間キープしている。これは自分でも拠り所としている所で頑張って行きたいと思っている。しかし、そういうことにもいい意味で卒業してもいいのかも知れない。目下、ナカユクイのために小事が滞っている。健康第一、本当にそう思わされる、咳き込み方だ。おそらく10何年ぶりの風邪の引き方である。何かを気づいて学んでおきたいと思う。
2005年 1月 15日 [土曜日]

文学講座
 1983.5月に始めさせていただいたので、今年で22年目。毎月第二木曜日に母親文学講座を開講している。8月がお休みで年間10回としても約220回続いている。万葉集・徒然草・枕草子・論語・奥の細道・近現代作家から、あらゆるジャンルを一緒に勉強してきた。正直言ってもうすることがないというのが本音。最近は私の随想を聞いていただいているというのが現状だ。生徒さんになるお母さん方も一時は30名近くいらっしゃったが、ここ4,5年は9名に定着。元塾生のお母さんが半分、そうでない方が半分だ。考えて見れば先生と生徒さんという形で20年以上もお付き合い(月愛)するというのは凄いことだと思う。中1の生徒さんが今や36歳ぐらいになっていて、結婚し子供がいるという状況である。月に1回、このお母さん方に会うと「ほっ」とする。このほっとするという感覚は信頼を超えたものがある。生徒・親・先生、この関係においてほっとするものというのが教育に大切なことだと思う。
 昨日は新年会ということで、吹田の藤屋さんに夕方から焼肉を食べにいった。焼肉の会席というか店長さんの特別メニューを作っていただいて極上のお肉を戴いた。美味しいものを食べている時の美笑というのは、本当に格別のものがある。最高の肉・最高のお持て成しがあると、最高の味になる。ひとつ一つにこだわりがあるのが嬉しい。予算も格別にして頂いて有難さと幸せに満ち足りた至福の時だった。
(2005年 1月 14日 [金曜日])

お蔭力
お蔭様という言葉はあるが、お蔭力という言葉はない。成功した人のほとんどの人は、人様の力、お蔭力を貰って功を成したと考えられる。人はどのような想いで人様に力をお貸しするだろう。金銭が背景にあって、あるいは功利性や商取引が絡まないとしたら、「人徳」というものであろう。
 人徳、これを積むということはどのように生きていくことであろうか?「積善展運」善い事を積めば運は展開するという言葉からすれば、真面目にコツコツと清く正しく美しく生きていくということなのだろう。子供たちにとっては人徳というのはどのようなことだろう。また、そういうものがあるのだろうか。素直な子・礼儀正しい子・明るく元気な子というのは、やはり好かれる。同じように教えさせていただいていても、公平無比というのは人間業(にんげんわざ)としては困難なことで、真面目な子と不真面目な子とでは、どうしても真面目な子に対してこちらもより真面目に教えようとするのが、人情であり自然なような気もする。天の神様もどちらに味方をするかといえば、やはり真面目な子に味方するだろう。人生、誠実にというのがやはり基本なのかも知れない。
(2005年 1月 13日 [木曜日])

がんばれ受験生!
合格という文字には入口という字が2つ隠れている。これを朱字で書いて、合格(五角)形の厚紙に書いて受験生に配った。センター試験まで、あと4日。どのレベルの大学を受験するにしてもそれがその生徒にとっての難関校、一流大学。どの子もみな「ありがとう」と喜んで受け取ってくれる。
 合格とは格を合わせること。それは偏差値だけではなく、人格・性格・品格という格を合わせて合否が決まると考えることだと思う。その大学の定員に合わせて努力の格もその人員の中に入るということが条件なのだろう。試験に当たってはこれで人生が決まるという思いで受験し、結果に対してはそれが自分にとって一番イイ選択が天啓によって決められたと受け止めるべきだと思う。『全ての受験生に幸運がありますように』これは塾生が受験する中高校宛に受験挨拶として、お送りする言葉である。一人ひとりの子供たちにとって最善最上で自分の力が発揮できるように、後は幸運を祈念することしかできない。がんばれ受験生!
(2005年 1月 12日 [水曜日])

心の中に天使を持とう
小中学生に「もう一人の自分が心の中にいる」と聞くと、ほとんどの子が「いない」と応える。高校生になって自覚が出てきて、自己嫌悪に陥ったりして、青春の門をくぐると出会うのかもしれないが、どうやら、最近の若い人は「もう一人の自分」との出愛がないみたいだ。だから、その分、自己嫌悪に陥ることもないかわりに自分を愛することも少ないのかも知れない。心の中にもう一人の自分、天使を持つと自分自身を高めて行きやすいと思う。
 私にはもう一人の天使「字遊の天使」と実際に「月光の天使」「美ら風の天使」「宇志の天使」「熊の天使」「母情の天使」「」がいる。彼らはいつも私に多くのメッセージを贈ってくれて、時に励ましてくれ、時に勇気づけてくれる。いつも見守ってくれているので安心していられる。自分の事を客観的に見ることもできるし、いつでも何処でも一緒にいる気持ちになれるので元気が出てくる。好きな人は多い方がいい、愛する人は多い方がいい。人様からたくさん愛を戴いた人は、人にも愛を注げる人ではないかと思う。皆様の愛と心に感謝して、今日も天使と一緒懸命に生きて行こう。
(2005年 1月 11日 [火曜日])

意志の疎通
 海外旅行で道を尋ねて、時々、感じ思うことだが、相手はそれなりに説明してくれているのであろうが、殆どわからないことがある。言語のレベルが合っていないためであろう。
 大人が子供に、親が子に、先生が生徒に何かを伝えようとする時、この「レベル」が合わないと通じないことが往々にしてある。海外でのケースは言語が違うから仕方が無いにしても、同じ日本語であっても通じないことがある。ここにはお互いの意志の問題がある。伝える方が伝わるようにレベルを合わせる工夫をすること。伝えられる方もわかろうとする気持ちが必要である。相手が欲することに対して伝える場合は、レベルも諸問題も超えるものがあるが、必要としていないことを説明、伝達することは難しい。大人から子供に対しては、これは難しい、これは解らないと勝手に判断してしまわないで、「伝えたいことは伝える」という思いは絶対に大事である。
 ことば・こころの遣い方を上手にしないと伝わらない。意思の疎通とは双方向で成立するものであって。言った・聞いたでは疎通したことにはならない。みんながもっともっと言葉と心の勉強をしていかないといけない。
(2005年 1月 10日 [月曜日])

人生は理論ではなく実践だ
受験生と一緒に猪名川の奥猪名健康の里に合格合宿に来た。1日目は朝7時出発で9時から学習開始で夜12時まで、12時間。2日目は朝6時から夕方4時までの8時間。合計20時間の学習。大変効率のいい勉強ができた。生徒さんたちにとってはおそらく1日10時間の勉強などは人生の中でも、最初で最後かも知れない体験である。終了後の感想文を読んでも「自分でも信じられない」というのが圧倒的に多い。
 人は体験から多くを学ぶ。自信とは自分を信じること。体験・経験したことに対して人は、自信をつけることもあるし、次なるステップを学ぶこともある。いつか体験したことが、いつの日か挑戦する時の礎になることもある。壁にぶち当たった時、過去の体験、思い出が支えになることもある。意識しなくとも潜在意識の体験?になるのかも知れない。過去36,40,50才のときに24時間、休憩なしの特訓をしたことがあるが、気愛を入れればまだできそうな気もする。3,4日前から体調を整え万全の準備をすれば可能だと思う。これは理論・計算ではなく体験から考えられることだ。「人生は理論ではなく実践だ」と遺してくれた恩師の言葉が心に沁みる。
2005年 1月 9日 [日曜日]

学美愛
学美愛(学び合い)。これが人間の基本であるように思う。親子、先生と生徒、仲間、人間と自然。上から下への命令的な指導には信頼感、愛が欠如するように思える。親子の間でも一方的に教えるというだけではないだろう。一対一の人間として学び合えることがあるはずだ。良い先生は良い生徒によって育てられる。これは30年の教職体験から学んだ教訓だ。不登校・家庭内暴力・その他、いろいろな問題があった子供たちのひとり一人がどのように対応できるかを教えてくれた。お月謝を頂戴してそれらを学ばせて頂いたのだから、ほんとうに有難いことだ。勿論、成績の良い生徒さん、優秀な生徒さんからも学ばせて頂いたけれども、世に言う問題児さんの方が、私には多くを学ばせてくれた。私には良い先生だと思える。
 地球環境が問題視されている。これは人間と自然の学美愛がないためだろう。人間が人間のためのエゴを押し通して、自然に愛がないためだろう。生徒達に、殊に小学生に「愛」という言葉を発すると「いやらしい」という反応する子がいる。TVの悪影響だ。今、本当の『愛』を日本人が、人類が考えないといけない時代だと思う。
2005年 1月 8日 [土曜日]

学習効果
学習効果なる言葉を強く自覚したのは、アメリカ横断ドライブの時だ。ルートナンバアーの道路を大移動する時は実に走りやすいのだが、大都会になる道がわからないのと、日本の感覚でいうと猛スピードで走るために、車線変更がママならない。間違えば命取り、事故になりかねないということで、必死になる。その分、確実に1日目、2日目と学習した効果が発揮される。学習効果というのは何も、子供たちの教科学習だけではなく、むしろ、日常生活、人生に生かしてこその学習だと思う。日本人はどうやら、教育というと美化する傾向があって、日常生活と切り離して考えることが多く、勉強◎志事◎遊び×ということで、せっかくのいいものを遊離させてしまうことが多いように思える。
 教育の「教」には力という意味がある。育つ力、育てる力この両者の力が一致してこそ大きな学習効果も得られるのだと思う。それは決して一方通行ではなく、双方向の心が通ったものでなければならない。そんなに難しいことだろうか?教えさせて戴く者が少し意識を変えて心がければ出来ることだと思う。そう言えば、大学で教職の単位を履修したが、これは素晴らしいと思った理論は皆目無かったように思う。
 生きることに貪欲な人は何からでも学ぶ。そいいう子供を育てていきたい。
(2005年 1月 7日 [金曜日])

無知の知
 パラオという国がある。オーストラリア、パプアニューギニアの上に位置する国だ。これを知っている人はこの国がその人の、少なくとも頭の中には知識として存在するけれども、知らない人にはこの国は無いということになる。知らないよりも知っているほうがいい、これは当たり前の事だ。知らないということは決して恥ずかしいことではない、無知であることを知らない、自覚していないということが恥ずかしいことだと思う。
 より広く知識を吸収する。そして、好きなこと関心のあることにはより深く知って専門化する。その上で大切なことは知識を智慧に変えて、生きるということに活用するということだろう。知識を智慧に変えるためには、一つの触媒装置が必要だ。それが心ではないだろうかと思う。だから、学ぶということによって知識を増やすだけではなく、心も同時に磨き育てていかなければならない。知識のテストはできるが心のテストはできない。ここにまた難しさが存在する。はっきり言えることは、知識は詰め込みも一朝一夕も可能かもしれないが。心はそう簡単ではない、知識・体験・読書・生活という生きる中から学んでいかなければならないのであろう。心の偏差値を高めよう。まず、ここからの自覚が第一歩かもしれない。
(2005年 1月 6日 [木曜日])

素直に受容する

■できると信じれば、できるようになる。
 運がいいと信じれば、幸運がやってくる。
 成功すると信じれば、成功する。

「中村天風 君だってここまでやれる!」の本の中の一節。ディール・カーネギィー、マーフィー、中村天風などと来れば自己啓発書、ビジネス書としての必須科目的存在。年号の符号を見れば10年前に購入して、最初の30ページほどは線が引いてあるがその後は引いてない所を見ると、読まずにそのままになっていた。今年初めて手にする本。偶然に手にしたもの。アバウトで5000冊ぐらいあるのでこのような点ではメリットがある。先の言葉は潜在意識に目覚めたので頷いて理解できるが、以前は、そんな簡単に人生は上手くいかないと思っていたので軽く読み流していた。今は違う。そのとおりだと思えるし、潜在意識にその働きかけをすることが自分を伸ばす方法だと思える。勿論、生徒さんに対しても同様だ。いつどのようにどのタイミングで本を読むかによって吸収が違う。子供たちもいろいろな話をさせて戴いたときに、どのような精神状態にいるかによって理解も違う。教えさせていただくという点に、その工夫が大変だ。もう一つは、素直に受け止めることと、こちらがキャッチしようとして本を読むこと、教えを乞うことだと思う。
『あなたの人生はあなたの思い描いた通りになる』この言葉を書いてある本を10冊以上は読んでいると思う。そう思えるようになって来て人生が愉しい。この秘訣を子供たちに伝えたい。
(2005年 1月 5日 [水曜日])

心燃・心鮮・心賢
 2005年の第4日目、3日坊主大いに結構。「意志よりも想像力」これが去年出会った言葉の傑作。世間で言う流行語大賞よりも遥かに素晴らしいと自認する。凡その人は意志が強固ではない。ここで大事なことは、意志が弱いと否定的にとらえないこと。意志が強固でないというのと意志が弱いというのは、ほぼ同意語としてとらえられる。あるいは、意志が強くないと弱いでもいいのだが、否定的言語を使って自分を否定しないことが大切だ。3日坊主の方は今日、心鮮な気持ちで心燃すればいい、人生毎日初舞台。今、ここから始めて361日後には、成長している自分を想像しよう。そのほうが遥かに精神衛生上好ましいし、自分を否定しない分元気でいられる。時に厳しく自己を批判することは大切ではあるが、自己嫌悪に陥りすぎると行動力も発想も鈍る。今年は心賢さ、心の賢さで、チョッと考え方に工夫をして肯定的に自分を褒めて行くというのはどうでしょうか。褒美という字は褒める美しさと書きます。自分にご褒美を上げて、日々、明るく楽しく元気よく生きる。これが基本的な姿勢だと思う。
『心燃やして心新鮮に心賢く』自分はきっと変化成長すると生きるも人生、自分はダメだと365日生きるも人生。選択はあなたの心が決める。
(2005年 1月 4日 [火曜日])

カ行の行動力
か=管理・き=客観・く=工夫・け=計画・こ=行動。
子供に限らず人間が、自己管理できて自分を客観的に捉えて、工夫して計画的に行動できたら、おそらく、何事も上手くいくだろう。これがなかなか難しい。でも、このことを念頭において日々生きるのと、まったくそのようなことを考えずに生きていくのとでは、大きく行動と結果に差が出るだろう。これは能力ではなく才能でもなく実力でもない。そう心構えと考え方の問題だ。これらのことを少しでもしっかりと持っている子は、勉強に対しての取り組みが違ってくる。これが一番大切なものであることを学ばせたい。
 人は皆、自分に納得しないとダメなようで、出来ない、やらない時に、必ず自分を納得させてしまう。「ぼくはアホやから」「私は出来ないから」そのようにして悪い意味で納得してしまう。これは言い訳にほかならない。親子でこれを納得して成績を捉えるようになると、そこからは向上心が湧いてこない。考え方・価値観によって原因が発生しそれに伴った結果が出る。チョッと気持ちを変えるだけで大きな結果の差が出る。『やればできる』こう考えて、日々新鮮、人生毎日初舞台だと思って、日々
365日積み重ねていけば大きな成長が必ずある。今年はここからスタートしていって欲しい。
(2005年 1月 3日 [月曜日])

夢現の法則
■夢現の法則
@心に描くこと
A言葉にして口に出すこと
B文字にして書き現すこと

潜在意識・自律神経・子供の心理など教育の現場でずーと考えて来た。単純なことだけれどこれが効果がある。いつも子供たちに語っているのだが、なかなか実践してもらえてないけれど、私自身が去年39の夢、目標の内10達成できた。特にABの効果が高い、このことによって周りの人の大きな協力が得られる。考えて見れば自分ひとりで出来る夢なんて殆どない。みんな周囲の人の協力によって実現される。ABは自分自身に対しての作用も大きい、人間の60兆の細胞の活用法であるともいえる。「やれば出来る」という自己暗示についても、思念するだけの場合と言葉にする。それを口にする、文字に現す、周囲の人に見てもらうというのが大きい。これは体験的実践論である。私は今年、特に力を入れてこれを指導していきたいと思っている。子供たちが素直にしてくれるかどうかだけの問題だと思っている。
昨年「夢語りと遊書展」を5,6回させて戴く中で、自分自身には大きな作用があり効果も絶大である。@ABが連動すれば、言葉は「魔法の言葉」になるように私は思っている。
2005年 1月 2日 [日曜日]

教夢力
 厳然なる知恩院の除夜の鐘を聴きながら2005年の心年を迎えさせていただいた。霙まじりの雪の中で厳粛なるものを感じ、読経に耳を澄ませた。これが日本と感じざるを得なかった。インドでマザーテレサの教会で世界一美しい賛美歌を聴いた時の様に、美しい響きに心洗われるものを感じた。
 阪急電車の行き帰りに「松下幸之助・夢を育てる」の文庫本を読んで、フッと思った。そうだ子供たちの前に立つ大人として、一人の人間として夢を教える力こそ大切なことではないかと思った。今の子は夢がない。こう言われて久しい。もしかしたらいつの世も大人は子供にそう言って来ているのかも知れない。ならば、そいいう大人たちには夢があるのだろうか。せめていい意味で親が我が子に夢を託して欲しい。夢を持って欲しい。持たせて欲しい。小中高の時代は「成績」を元に子供を評価しがちなので、親や教師が一番夢を持たせるに邪魔をしているのかも知れない。イチローの言葉にあるように『何でもいいから目標を持つこと、これを持つことによって人の話をきちんと聞いたり自分を大切にしたりできるようになる』この目標を夢に変えれば、正にそのとおりなのだ。「子供たちの夢を実現する、それが私達の夢」私の塾ではそういい続けている。これをもっと浸透させていかなければならない。これを今年の目標にして、子供たちを人間として伸ばして行きたいと思う。DREAM=鳥夢の年だから。
2005年 1月 1日 [土曜日]

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