2005年02月の日志

創塾気燃美
 切石悦子さん。この子が私を塾人にして下さった恩人、生徒さんだ。28年前、甲子園口3丁目の水谷ビルの1室をお借りして開塾した時、この日にチラシを入れさせて戴いた。誰か一人でも来て下さるだろうかと不安だった。当時,現職の高校教師だったので食べるに困るということはなかったが、朝10時ごろにお母さんがドアをノックして入ってこられた。「ウチの子は成績が悪いのですが入れてもらえますか」、小6だったから12歳、そうすると今や40歳のお母さんになっておられる年頃だ。
 もし、この子がいなかったら、大袈裟に言えば塾人としての私は誕生していない。
 この日を午前0時は但馬屋さんで伊藤社長と福岡から来られた小此木さんと向かえることが出来た。今、ここにある。今、そこに誰といる。ということは意味があることであり、その意義を生かさせて戴くということが、これからの自分にとって大切なことである。満28歳の塾の誕生日、後22年、2027年まで頑張れば50年、出来れば続けさせて欲しいと心から願っている。77歳、健康に気をつければ大丈夫だと思う。皆様と神様のお蔭をいただいて・・・。
2005年 2月 27日 [日曜日]

出愛に神謝
 美世咲=備瀬崎、沖縄県国頭郡本部町字備瀬。ここは素晴らしい『気』が流れている所だ。海外旅行50回近く、そして沖縄はゆうに100回を超える回数訪れて出愛した土地。
海は美世咲、「愛と平和が美しくこの世に咲くところ」だ。
山は「詩野寿多」=マウントシャスタ、「寿ぐ詩が多くある野」世界7大霊山の一つで、ここも美しい『気』が流れている所だ。私はここを訪れて以後、人生が美しく変化成長してきているように思えてならない。その不思議さは言葉では言い表せないものがある。
 今日、お出愛した小此木順一さん、電話で一度お話はさせて戴いたことはあるが初対面。世間一般流にいうとアカの他人。でもお愛する前から、繋がっている「連愛」仲間。授業が終わって順ちゃんが泊まっているホテルに迎えに行って、「初めまして」などと言う挨拶もなしに、一瞬で打解けてしまう。それは同じ気を持つ者同士、同じ気を愛する者同士だからかも知れない。わざわざ福岡からお愛しに来て下さった。
 もう一人の千枝ちゃんは去年の10月に出愛った20歳の女の子、この子も美世咲、ペンションびせざきのお客様。ここのオーナーが持つ不思議な力、集人力とでも云おうかその力でみんなが繋がっていく。『人』と『気』、ここは素晴らしい『人気』があるスポットなのだ。出愛は神様からのご褒美、出愛に神謝を体感する所だ。
(2005年 2月 25日 [金曜日])

写真集「夢人」
 昨年、6月に東京の渋谷で遊書展をさせて戴いた時のお客様のお一人が「武士道」という遊書を見られて、「ぜひ、字を書いておられる所を写真に撮らせてくださいませんか」と仰って下さった。イチもニもなく、Noと言えない私は喜んでお受けさせて戴いた。8月に東京から撮影に来て下さって、12月の「宮坂汪・嘉津子写真展」■風節〜八人の人々〜■の一人として展示していただいた。その折にこちらがお礼をさせて頂かないといけないのだが、PCで製作する32ページの写真集を作ってくださった。
 ボランテイア活動で支援してくださっているお仲間の人が「これはいい、遊書展で展示して皆さんに買って頂こう」と載せられて、製作させて戴くことになり、今回、宮坂さんがそのお話のために来て下さった。
 自慢じゃないけど、写真写りには自慢できるほど「悪い」と自信を持つほどである。しかし、この写真については、生まれて初めて自分でも「カッコイイ」と思った。作務衣を着て書を書いている所は、まるで書家みたいに写っている。お仲間の人にアドバイスを受けて1冊500円で頒布させて戴こうということになっている。ボランテイアツールなのに、いつも私は皆さんに無償で上げてしまう。今回は心に誓って買って頂こうと思っている。
 皆様、よろしくお願い申し上げます。
(2005年 2月 16日 [水曜日])

サユリスト
北の零年             主演/吉永小百合・渡辺謙
「日本映画史上最高の感動大作、誕生!!」これがパンフレットに書き込まれた謳い文句。「う〜ん」と唸って、最高は言い過ぎかもかもしれないが、吉永小百合自身の主演作品中111作目の中では「正真正銘」最高傑作と言えるかも知れない。かつて、サユリストだった筆者は中高時代の彼女の作品は全部見た。非難を受けるかもしれないが、一つの結論は演技派ではないという評価だった。久しぶりのスクリーンでの対面で、何か、青春時代を彷彿とさせる感慨の中で懐かしい思いで、昔の恋人に再会したような思いで、この作品の中に溶け込んだ。111作の中には世にいう汚れ役もあったが、その演技はいつもと同じで変り映えしないものがあった。今回の作品でわかったことが二つある。一つはセリフの言い回しに特徴があるのだ。言い換えればどの役柄を演じても同じ口調である。それが今や小百合節、小百合訛りへの域に昇華させた感がある。男優の三船敏郎・高倉健などはスクリーンに登場してきただけで、スターとしての存在と気で何を演じても風格があったが、女優の場合はそこの所が難しい。しかし、吉永小百合は今やスター、女優としての雰囲気を醸し出すまでに達した。
 ■毎月、月刊私塾界という業界誌に誌上ロードショーの原稿を執筆している。お蔭さまで月に1度は映画館に足を運びスクリーンに対峙して「感動」の時を過ごさせて戴いている。銀幕の前で一滴の涙を流すのは、素敵な快感だと思っている。
(2005年 2月 15日 [火曜日])

花・はな
 沖縄では確か乾杯の時にハナハナと言ったように覚えている。今日、塾に来たら机の上にこのお花が届けられていた。クリスマスの日に「星のケーキ」をお贈りした人。入口さんという女性で私がお世話になっている会社の社長さんの会社の方だ。私の名前も西表島、イリオモテジマと読むように沖縄式に読むといりぐちと読むことが出来る。とっても素敵な感性の持ち主で義理チョコであっても嬉しいものだ。
 文学講座を20年来受講して下さっているお母さん、スタッフの方、生徒さん。手作りのチョコからハート型した和風の最中、それぞれにそれぞれの心を付けて想いを届けてくださる。有難い事だ。
 大学時代、私を茶道に導いてくれた叔母の言葉「人様にモノを御上げする時は大事なもの好きなものを御上げしなさい。自分が要らないものは人様も要らないから」これをずっと守っている積りだ。人様にモノをお上げするのも戴くのも大好きだ。茶道をし志す者として、いかに心を付けるかいつも工夫している。歓んで貰えるように・・・。
(2005年 2月 14日 [月曜日])

関関同の合格
 中学受験・高校受験・大学受験を担当させて戴いていて、尼崎の生徒さんで関関同立の高校に合格させるのは至難の業だ。特に同立は地域的に遠すぎるという親子の感想である。今年の受験生は頑張ってくれて関関同に見事に合格してくれた。これを私達は「塾生の努力の成果」と言っている。
 今回の合格の中で一際嬉しい合格はA子さんのケースだ。中二の時に好奇心?誘惑?理由なき反抗?からか、喫煙の発覚があった。見つけた教師と塾長である私だけの「秘密」にして隠匿した。誰のために。勿論、本人のためだ。もし、保護者である親御さんに伝えたとしたら、おそらくお母さんが対応できないだろう。「まさかウチの子が」、この感情が全てを覆ってしまい、客観的に的確、適切な指導が出来ない。「たかがタバコ、されどタバコ」だ。罪を罰して人を罰せず。この見地から言っても、今時の正しい訓育指導として、単純に喫煙を罪とする指導は難しいように思える。私はA子さんに充分に諭した上で説諭した。親や教師はわが子我が生徒に「仏の顔も三度まで」ぐらいの度量で見てやらないといけないのではないだろうか?おそらく、A子さんはいい意味で喫煙のことは忘れているだろうと思う。忘れていなかったとしたら、チクリと心に痛い思い出として残っていることだろう。そして、自分が母となり親となった時に子供のことがわかって上げられる賢いお母さんになってくれるものと私はA子さんを信じている。あれを親に伝え学校の先生にもわかれば、よほどいい対応をしない限り、ちょっと間違えばあれでA子さんは普通の子、あるいは躓いて起き上がってこない子になっていたことと思われる。私の対応が間違っていなかった証拠が、ある面で難関高校の合格に繋がったのだと確信する。今やA子さんは、いい意味で泣き虫で感じやすい素直な子に育っている。
 子供は失敗をし過ちをし問題を起こして成長して行く?まだこのような理解をしてくださる親や大人が回りにいれば有難い。子供にとって、失敗・過ち・問題などない。全て解決されるために起きている一つの事象で、このことを通じて子供達は大きな学びをして成長して行くのだ。その成長振りに大人はついて行けずにオロオロして惑う。失敗・過ち・問題をどう対応するかが問題だということを大人はもっと自覚しなければならない。
 「先生、合格しました」と電話の向こうで涙を流しているのが伝わってくる。それを受ける私は「よかったなぁ」といいながら、別の涙を流している。こうして私は生徒さんによって育てていただいている。しかし、反面、生徒さんの「心」が判らずに泣かせているケース、教師の如何に多いことか・・・。世の教師諸君、命の尊厳さも同等、人権も同等、対等に「学美愛=まなびあい」をしないと、自分が成長しないというよりも生徒さんが可哀想だと思うのだが・・・。
2005年 2月 13日 [日曜日]

私ハナリタイ


健ヤカナリシ肉体モチ
 真理ミツメル瞳モチ
 万物アジワウ心モチ
 大志を抱キ欲ヲステ
 邂逅スルヲ最上ト
 全テノモノヲ我ガ身トオモイ
 忠恕ノ精神ヲ大切ニ
 人ヲ憎マズ憎マレズ
 家庭ヲ志事ヲ全テヲ愛シ
 全テノモノニ感謝ヲモチテ
 我ガ意モチ我ガ道ヲ
 流サレルコトナクユックリト
 走るコトナクトマラズニ
 ソンナ道ヲ私ハユキタイ
 ソンナ人ニ私ハナリタイ

 
 卒塾証書の左の頁に記載されている詩である。私が大学を卒業
する時に、自分への卒業記念に書残した記念詩である。33年前になる。いい意味で想いは変っていない。おそらく死ぬまでこれを通していくと思う。宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の詩に肖って学美(マネビ)で作らせて戴いたものだ。
 数十年前、N君は高校3年間、この詩を机の前に飾り励みにして受験勉強し、公立高校から見事阪大の工学部に見事、現役で合格してくれた。飾っていたというのは、お母さんの後日談で知った。何事も受け止め方でプラスαが出る。そして、「言葉の威力」を感じる?! 
2005年 2月 12日 [土曜日]

受験暦

@受験は私の夢舞台
A「私はできる」「私はやる」これが合格の合言葉
B合格は抱夢卵(ホームラン)につながる
Cお蔭力が合格力 今、あなたの蔭でがんばってくれている人がいる
D今、この一瞬も入学試験
E一秒一瞬を大事にする心が機積の合格を生む
F流した汗の分だけ自信が湧いてくる
G逆転合格の秘訣は現状打破と逆転の発想
H真剣にやるからスランプに陥る 人は真剣さの中で学ぶ
I天地人 全てを味方にすれば合格は近づく
J自分だけが苦しいのではないその苦しさに勝つことも試験されている
K合格力の三拍子 時間・質量・気愛
L合格とは自分という格を上げて合わせていくこと
M念ずれば夢ひらく 志望大学を唱えよう
N受験勉強そのものが難しいのではなく勉強することが難しいのである
O合格したい(願望)合格する(意志)合格している(未来完了)
                未来完了で潜在意識を活用しよう
P合格の二文字に隠された入口は打ち込んだものにのみ見えて来る
Q受験も人生も気愛だ 元気・覇気・一気
R心技体を鍛えることも合格力につながる
Sぐち・文句・イイワケ これが受験の天敵
21.挑戦できることに感謝しようそうすれば学ぶことの有難さがわかる
22.一緒懸命の合格桜を咲かせよう
23.がんばった者のみが合格によって美しい涙を流せる
24.直向さ謙虚さ素直さ この差が合否につながる
25.意志よりも想像力 心の中のキャンパスに桜の花を咲かせよう
26.受験の神様は「学美愛」する者に味方する
27.合格とはもう一人の自分と互角(ゴゥカク)に戦って勝つこと
28.受験を通じて学んだこと身につけたことは将来自分の財産となる
29.合格体験は成功体験に通じる 学習効果を蓄積しておこう
30.60兆の細胞を活用すれば十二分に実力が発揮できる
31.親子教師の「学美愛」受験は「一緒懸命」の総合戦

 受験生への想い、私のエールの想いが1時間でこの受験暦を書かせた。これも全て今までに出愛った子供達のお蔭で、この言葉が紡ぎ出されたのだと思う。教師西口賢治がが、もし、一人前だとしたら。それはみんな生徒さんのお蔭だと、心から感謝する。
(2005年 2月 11日 [金曜日])

カウンセリング
 今、机の横にお仲間の大阪の塾長が書かれた本がある。タイトルは『教師は役者 教室は舞台』、教師は役者であれ、教師は名医であれ、といろいろな言葉がある。
 今週は個別面談の週で、保護者の方に足を運んで貰っていろいろとお話をさせて頂いている。もう一つの大きな役割に「カウンセラー」という役割、任務がある。教師生活30年、この分野は誰よりも勉強し研鑽し学んできた。地元の小学校の教頭先生から依頼を受けて、その小学校の生徒さんの不登校の相談を受けたこともある。10ヶ月に及ぶ不登校を2週間、5回ぐらいの面接で立ち直ってくれた。それは面接というよりも、一緒に小旅行をしたり、ピクニックへ行ったり、彼の部屋で話をしたりした。面と向かって尋問(?)などはしなかった。太陽の下で自然の中で風邪に吹かれながら、彼の問いにだけ答えた。質問に答えるというのは聞かれたから答えるのであって、本人が言いたいことではない。黙秘権を使えない子供が義務で答えた言葉に、適切な回答をしても、それはずれていることになる。私から言えば、これはカウンセリング以前の、コミュニケーションの基本的な問題だ。この基本を外して、堅苦しい狭い部屋で質問を浴びせられて、本心を言う子供のほうが異常だ。かえって問題児意識を植え付けてしまって。心を閉ざさせてしまう。その上に、「心を開きなさい」と言われたら、それはカウンセリングではなく、命令。もっと乱暴な言い方をすれば、拷問だ。1時間ン万円のカウンセリング料を取ってなど、私からすれば考えられないことだ。
 ある時は、中3の女の子から、阪神尼崎駅から「先生怖い」と電話を受けて、30分以内に迎えに行って、30時間ずっと一緒にいたこともある。この場合、親・学校の先生・私・友達などの選択しがあったはずだ。でも、私に電話をかけてきた。ここに彼女の拠り所があっての選択肢だということは自明の理だ。私は筋を通して、両親にも学校の先生にも連絡をとって対応したのだが、後日、学校の先生から「私達は専門家と相談して対応している。勝手に連れまわしていただいたら困る」と言われたことがある。このようなケースで教科書的に対応して上手くいけば、初めから問題など起きない。そこが解ってない方が多すぎる。この子の場合、行きと帰りの風景画、明らかに違うと言った。これは物理的には同じ道を通っているのだが、心のあり方が、暗から明に変ったのでそのように見えたのだろう。
 専門の心身医療の専門医からもサポートを依頼されて共同で対応に当たったこともある。出会った子供達のお蔭でどのように対応すべきかを学ばせて頂いた。これは専門書や臨床では学べない、実地の勉強である。彼も彼女も、今ではもう親になっている。子供の心の痛みがわかってあげられるいい親になっているだろうと思う。彼も彼女も僕にとって、先生であり、素晴らしい教師(教材)であり、生きた手本だった。
 何一つ教えさせて戴くことも無く、東大に合格したN君よりも彼らの方が大変だった分、学ばせてくれた量は遥かに多い。N君が「先生が一番やる気にさせてくれた」という言葉をいただかなかったら、私は救われなかったかもしれない。
 問題は解決されるために起きて来る。来る物を拒まずに受け容れれば、問題は解決される。僕にとって出会った子ども達は、みな師だ。授業料を戴いて学ばせていただくのだから、有難いことだ。感謝、かんしゃ。彼らのお蔭で、今も、子供達の前に立たせて戴いている。
(2005年 2月 10日 [木曜日])

風貌
まあ長い人生を生きていると(生徒さんと比べて。自分では55歳の青春を生きている)いろいろなことがある。嬉恥しの出来事でしたが、今日、写真家の宮坂さんから、去年のクリスマス、六本木の国際文化会館であった写真展の展示作品をお送り戴いた。
 「風節」というタイトルで8人の内のモデルの一人として撮影して頂いた。遊書展にお越しいただいて「武士道」の字を気に入って下さって、撮影して頂いた。
 プロの志事というのは、流石というか、実に上手に撮っていただいた。80代、70代、60代という蒼々たるメンバーの方達で、50代の私はまだまだ青二才。そう学ばせて頂いただけでも大いなる勉強だった。写真写りには自慢できるほど苦手な私を実にカッコ良く、年相応に年輪というか風節というか風貌を見事に捉えて表現して下さった。見てくださった方が、みんないい、いいと仰って下さるので、恥かしながらここにご紹介させていただきます。自分の人間性が美しく出る、美心にはなりたいと思う。
内面が出るということは、人間性を磨かなければならないということである。「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」この言葉は確かリンカーンの言葉だったと思う。
 小中学生の顔にも見つめれば「知性」が見つけられる、これが親の遺伝とするならば、ある面で怖い。知性美、それにこだわって、男の貌を作り上げたい・・・。
(2005年 2月 9日 [水曜日])

満願成就
 東南アジア難民救済、スラム支援、在韓被爆者、ナザレ園などの支援活動をしておられる石川洋先生に「カンボジアに一緒に行って見ませんか」とお声をかけて戴いたのが、一昨年の11月。昨年の正月より、カンボジア学校建設募金を目的に遊書展の売上金をためさせていただき、自社ビルのお祝儀もそちらにまわさせていただりして、開始より1年ちょっと、この2月3日の節分の日、立春の前日に満願成就して、目標の220万を達成した。現在2.330.211円。とある方が50万円をご寄付して下さった。そのお心に頭が下がる。それは決して金額の問題ではないが、でも私達庶民にとって、ご寄付して下さった方も同様に、50万というのは大金だ。物理的に持っていなければ出来ないことだが、持っていれば出来るというものでもない。40代の社長さんで青年実業家に相応しい夢とチャレンジ精神を持った素敵な素晴らしい方だ。
 昨年、募金を始めさせて戴くに当たって、正直なところこんなに早くこんなに簡単に集まるとは思ってもいなかった。遊書展・Tシャツ・葉書・募金、色々なツールを作らせていただいて、10数人のお集まりの中で1万円以下の募金の折も、お寄せいただくお心はみんな同じ『愛』と有難く頂戴して、「夢語りと遊書展」をコツコツとお声をかけて戴いたら行かせて戴いた。皆さんのお蔭の力を戴いて成就させていただいた。来春の4月まで続けさせていただいて子供の教育を考える会として、ご寄付させていただき来年の11月に小学校の完成を見る予定である。これからも「できることから始めよう」という初心を大切に、皆様のお蔭力を頂戴させていただこう。感謝、皆様本当に有難うございます。これからもよろしくご支援くださいますよう心からお願い申し上げます。
(2005年 2月 8日 [火曜日])

生徒さんの作文
僕がこの3年間、塾長に指導してもらって感じたことは「暖かさ」です。僕はシニアの野球をしていて、去年、全国大会に出場しました。その時にわざわざ岡山まで見に来て下さいました。この時、僕は本当に嬉しくて有難い事だと思いました。あの時、大きな声を出して応援してくれた塾長のことは今でも忘れません。その日から、僕は塾長のことを尊敬するようになりました。口先だけで僕を喜ばせてくれた人や、褒めてくれた人は、今までにたくさんいました。でも、塾長のように用事があるのに遠い所まで来てくれて黙って心から支えてくれて、あんな気持ちにさせてもらったのは初めてでした。
 僕と塾長は「伝えること」が違うけれども、僕も自分という人間を通じて、人に何かを伝えていける人間になりたいと思っています。そして、塾長のような大きい人間になりたいと思っています。僕は、自分の夢に向かって野球をするために鹿児島の高校に行きます。そして、甲子園に出場して塾長に見に来て欲しいと思っています。「塾長、絶対に甲子園に出ますから見に来てください」。この3年間本当に有難うございました。「絶対に塾長より大きくなってみせます」
 東大と甲子園。教師にとって一つの夢でもある。教え子が東大に合格したのはもう、随分前のことになる。甲子園はベンチには入った子がいたが、選手として出場した子は、まだいない。T君は大きな可能性を持っている選手だ。ピッチャーなので彼の雄姿を甲子園球場のマウンドの上に見るのもそう遠いことではないかも知れない。
『人生という名のグランドで君を甲子園の星に育てたい』
これが私の教師としての夢である。
(2005年 2月 7日 [月曜日])

激励会

 10日・私立高校。15日・公立高校推薦入試。中3の生徒が受験セミナーで学習した後にお母さん方も参加していただいて激励会をした。潜在意識にプラスの思い込みをさせて不安を解消させる話を親子にさせていただいた。
 小柴昌俊さんが発見されたニュートリノは地下1000mを透過する素粒子。私はこれを宇宙のエネルギィーだと捉えている。地下1000mを透過するのだから、人間の体などは充分に透過する。ということは60兆の細胞にも透過しているということである。潜在意識も自律神経も60兆の細胞も残念ながら意識して、コントロールして作用することは出来ない。意識して出来ることは
@プラスイメージを持つこと。
A言葉で大脳に確認すること。
B心身をリラックスさせること。
は可能だと思える。今、これが私が子供の潜在能力を開発、伸長するために勉強している課題である。この要諦を少し話しさせていだいた。その後、各先生から激励をして、最後は気愛の一本締め。私が入り口の二つある「合格」の二文字を大きな段ボールに書かせていただいて、その周りに受験生に手形を印して明るく楽しく御披楽喜をした。自己暗示・他者暗示これはプラスアルファとして大きな作用がある。これも重要な教育法だと私は思っている。
2005年 2月 6日 [日曜日]

戦争を知らない子供たち
 1945年。この年号ではピンとこない。昭和20年といわれると「終戦」と連想ゲームのように思い起こされるのであろう。1949年生まれの私も、この詩を書いた杉田二郎さんも、確か47年生まれで、戦争を知らない。1945年で歴史の時間に習って知っている子供にとっては、戦争を知らないではなく、戦争が無いのである。かつて日本にそのような悲惨な戦争があったということも、日露・日清戦争と並んで過去の一つの歴史的事実でしかないのであろう。確かに、私たちの親には身近に日露・日清があったけれども、言いも悪いもことさらのわざわざという形では、そのことを語らなかった。今年、2005年、60周年だ。また、8月15日が近づいてくるとマスコミがヤイノヤイノと騒ぎ立てるのであろう。語り継ぐべきものは語り、過去に流すべきものは流すという、「潔さ」、内面的にはそうでなかったとしても、表面的にはそう思わせるそぶり、言動。それが日本人の良さであったように思う。あるいは、自然にそう対応していたのではなかろうか。今はどうだろう?お金のためなら何でもするという「端無さ」が見えはしないか?マスコミを筆頭にして、伝承されるべきものに対する意識の無さ、低さに大いに省みる時が着たのではないだろうか?
 この歌詞には、我々が1960年代に反戦歌として歌いながら、一方で「若い」と批判されていた。その世代の我々が今や親父になり、ある人は祖父母になってる時期になった。今までの60年よりも、これからの6年の方がいろんな意味で心配だ。
戦争の無い時代の子供たちに何を学ばせていかなければならないのか・・・。
2005年 2月 5日 [土曜日]

立春大吉
 ソウルから南東にバスで約2時間、安東市がある。ここから又バスかタクシーで2、30分。河回村(ハイファマウル)という600年前の村落がそのまま残っている村がある。あのエリザベス女王が訪ねた地である。かつて夏にここに訪れて、朝な夕なに散策をして過したことがある。古い土蔵や民家に、これもまた古ぼけた紙に書かれた「立春大吉」という言葉、文字に何故か私は惹かれた。ここは韓国でも一番といわれるほどのいい「気」が流れている所である。昨夜、お会いした伊藤社長が節分で厄明け、機会が一致して「牛心」という字を木材に書いた作品をお届けして喜んでいただいたが、裏には「立春大吉」と書かせて戴いた。
冬来たりなば、春遠からじ。寒い土地では立春という言葉そのものが、寒いとはいえ春の足音が微かに聞こえるということが大吉なのかも知れない。
 節分の昨日、我が家でも鰯に巻寿しを食べた。遅い時間に帰ったので、おばあちゃんが寝ていたために、どの方角を向いて食べるのかが判らずに、まあいいやと思って大好きな人が住んでいる人の方角を向いて食べた。
 硬いことを言うわけではないが、国語・古文・和歌・俳句を勉強していく中でこのような歳時風物を自然に体験していくということはとても大切なことだ。それは感性を磨くという上でも大きな役割を果たすと思う。
(2005年 2月 4日 [金曜日])

メールコール?
 『朋遠方より来る又楽しからずや』福岡より三人の来客、朋友、弟子・・・。石田さんという方が「メールコール」というシステムを開発されて塾で採用させていただこうということで、遠路、訪ねて下さった。生徒さんの安全性、向上心の助成など多方面で活用できるものであるが、現在はタイムレコーダーで出欠確認をさせていただいているが、これが御父母へ連絡させて戴くとなると、最長1ヶ月半後となるケースもある。このメールコールだと、生徒さんが塾に到着してカードをカードリーダーの上を通過させると、直ちにお母さんや家庭の電話にメールコールされて通知されるというものである。女子の中学生の生徒さんが帰りの時間などで遅くなると心配されることがある。塾に何時に出て何時に家に着くか、ついついお友達とお喋りをしていて・・・。ご本人はいいが親は心配する。本人もついついと、というケースがある。これは生徒さん・親御さん・塾側それぞれに改善、反省すべきものがある。これを活用させて戴くと、生徒さんのついついという、ケースを未然に起こさせないように出来る。確かに。それが残念なことでもあるだろうが、10分ならば、ついついにはならないのでは、と思っている。
 ビジネスのお話をさせて戴いた後は、但馬屋さんに行かせて戴く。伊藤社長と今年初めてお愛させていただいて、互いに感激する。彼は「僕も社員さんもみんな西口先生のファンですよ」と仰って下さるが、ぼくも伊藤社長さんとここの『焼肉』の大大ファンである。この世にこんなに美味しい肉があるのだろうか、と感動してしまう。今までは、カルビは韓国と思っていたが、確かに安くて美味しいが、比ではない。≪世界に誇る但馬牛≫として、自分が牛の生産者でもあるか如くに誇りたくなる。伊藤社長に感謝、牛さんに感謝である。
 子供たちにも、何でもそうだが、本物・一流・良いものに触れさせたいと強く感じた。
(2005年 2月 3日 [木曜日])

月愛
 リーダーシップ・対人関係能力・月愛。この三つの言葉は相関関係があって、社会人になった時には学生時代の成績よりも、ある面で重要であると思われる。成績や学歴は問われない限り、それに答えない限りにはわからない。社内においては入社試験の段階では学歴は問われるかもしれないが、社外・社会ではそれは名札を付けるわけでもなくわからない。しかし、対人関係能力はひとたび、人と接したらわかる。リーダーシップはどの部署、どの立場で志事をしても直ぐにわかる。月愛(つきあい)については上手下手は社交性、社交術として、社会人として志事をしていく上で必要な能力の一つだ。
 小中学生を見ていて、彼らはこれから学習と体験からそれらを学んでいくのではあるが、素地は見える。片鱗を垣間見ることが出来る。教科を教えるだけでなく、教科で、教科を通じて指導者・大人である私たちがそのことを念頭において教えさせて戴くことだと思う。親もまた、成績にだけ眼をやるのではなくて、人間としての教育という大きな高い重要な視点で子供の教育を見てあげるべきだと思う。
(2005年 2月 2日 [水曜日])

うれしかったこと
中学入試が全員合格で終了した。A・B・C日程があって、最終の発表が今日あった。MさんはAB日程が残念ながら不合格だったけれども、C日程で見事に合格した。お母さんがご挨拶にこられて、嬉しいお話を聞かせて戴いた。面接の時、「今までで一番心に残ったことは何ですか?」という質問に、Mさんは「受験に際して、塾の先生が最後まで一生懸命に頑張って指導して下さったことです」と答えてくれたそうである。A日程から1週間、確かに私たちは責任の下に、子供の夢の実現に近づけるように頑張らせていただいた、当たり前といえば当たり前のことであるが、生徒さんがそう感じてくださって、そのように言ってくださると、本当に報われたような気持ちになってうれしい事である。Mさんは、どちらかといえば無口な方で、面接でもどのような答えをするか心配をしていた一人である。「大きな声ではっきりと答えなさいよ」とアドバイスしていた子が、私たちにとって最上の評価とも言える回答をしてくれたのだから嬉しい。
 このように子供たちは、私たちが思わぬことを感じていて、思わぬ思いを示し、私たちに教えてくれることがたくさんあるのだ。いい先生はいい生徒によって育てられるのだと、また、気づかされた。
(2005年 2月 1日 [火曜日])

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