stand by me |
スタンドバイミー。就寝前のビデオ。欠かすことのできない愉しみの一つである。昨夜は歌はもうすでにスタンダードナンバーになっている「スタンドバイミー」。少年の哀情(あいじょう)を描いた実に見事な作品だった。あの切なさ、まだ声に出して泣く事が出来る素晴らしさは何とも言えないものがあった。人生において、初めて出会う避けようがない不条理。あれが男を強く優しくしていくような気がする。この表現には少し抵抗を感じるが、今の子供たちはあの抵抗・あの我慢・あの哀しさが解らないし、体験することも少なく学ぶことがないように思える。あるいは感性の問題であって、傷つき安い柔らかさ素直さを、時代を反映して喪失してしまっているのかも知れない。『哀しさは優しさつくるビタミン剤』と、いつか書いたことがあるが、人間にとって哀しさを知ることは大切なことだ。不可欠といってもいいのかもしれない。 今回のアメリカ旅行で、この映画の舞台、鉄道を歩くシーンになった線路道を私もまた歩いてきた。サザンパシフィック鉄道でモスブレー滝に行こうと思うと、どうしてもこの線路道を歩かない限りたどり着けない。一日に何回かしか通らないため、大らかなアメリカでは左側を歩いてくださいという指示だけ。2,30分の道程は決して近くはないが、旅情を誘うに充分な風景と気があった。帰り道にうれしくもこの列車と出合ってこのワンショットを撮影することが出来た。今はもう材木を輸送するためだけの鉄道になっている。もしかすると昔から輸送専用なのかも知れない。道すがら、私は人生を感じながらアメリカの初夏を肌に捉えて歩き続けた・・・。その時にこの映画を見ようと思った。残念ながら私が歩いた道は映画の場面には出てこなかったが、あの道はもう一度歩いてみたい、忘れ得ない道であることは確かだと思う。飛行機よりもやはり鉄道の旅がいい。多美に出会えるから。 (2005年 5月 31日 [火曜日])
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生徒さんの夢 |
この夢は、寝ている時に見た夢のお話です。家内が朝、開口一番に言った言葉が「今日、何の夢見たと思う。判るはずないよねェ」もし、それが生徒さんのことであれば予想がつくと思った。案の定、生徒さんのことだったので、思っていたのと同じだった。気になること、心配することは同じだ。寝ても醒めても塾のことばかり、決してそれは不快でなくいいことだと思っている。『365日年中夢求24時間志事中!』人間の意識なんてそう簡単に切り替えられるものでない。私が旅に出る、海外に行くのは365日の休養日的意味合いがあるのは、自分でも自覚していることだ。「念ずれば花ひらく」他人様が多く関われば関わるほどうまくいく確立は低くなるが、自分にウエートが大きいものであれば念ずることによる効果、花ひらく確立は高い。そして、それが利己的なものでなければ、天地人が味方してくれる。 思わない・考えない・念じない、そのようなことがうまくいく験しは極めて少ない。学習効果というか、大袈裟に言うと成功体験をかなり体得してきている。その上で感じることが、世のため人のために動くと色々な力が作用し働くことによって成就することが多い。生徒さんのことも、こちらが成績が上がるようにと念じてあげるのと、そうでないのとでは結果が違う。何か眼に見えないものが働くような気がする。 (2005年 5月 30日 [月曜日])
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雑感 |
東京優駿競争=ダービー。たまたまTVを観ていたら、ダービーでデイープインパクトという馬の走る時だった。「天翔ける衝撃 伝説へ」ファンの人にとっては一つの夢なのだろうから文句をいう筋合いはないのだけれども・・・。昔、大学が京都だったので友達に誘われて何度か淀の競馬場に行った事がある。大学時代は一様、人並みに麻雀からパチンコまで友達から学んだ、その中で一番打ち込んだのが、茶道と映画と読書。あの18歳から22歳までの時代、何をするか何に打ち込むかはその後の人生に影響を与える。本当に偶偶だけれども茶道と出会ったことは、間違いなく幸運だったと言える。 デイープ・インパクトのあの走りは素晴らしかった。観ていて大丈夫かなあと素人目には映ったが、堂々の完勝らしい。TV画面だと横一線が、大外から走ってくる場合ズレがあるようだ。まっしぐらに走る姿の雄姿は美しく、観るものに感動すら与えるものがあったように思える。観衆14万人超、売上金328億超。このうちの75パーセントが配当されるらしい。配当を74パーセントにして1パーセントを世界の貧しい子ども達に寄付したらどうだろうか?競馬ファンは文句を言うのだろうか?そうと決まれば誰も文句を言わないと思うのだが・・・。一体、年間にどれだけの馬券が売れているのだろう。きっと何十兆の金額なのだろう。競争時間2分23秒3.。そして、この瞬間に328億のお金が2,3分の時間で消費されるというのは、何か違うような気がする。パチンコも一兆円産業なのだろうか?経済、お金が動かないと社会が成り立たない仕組みになっているのも判るけれども、この様な仕組みで100年も200年も続いていくのだろうか? 私の老後、素敵で愉しい人生の歓びに繋がるものを見つけていきたいと思う。字遊がその一つではあるのだが・・・。 (2005年 5月 29日 [日曜日])
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三都物語 |
リガーロイヤル京都に8時半に迎えに行く。西本願寺・清水寺・八坂神社・知恩院・南禅寺・御所、二条城前を通過して、大阪城に。ホテル日航大阪にチェックインして道頓堀で千房のお好み焼きを食べて、神戸に足を伸ばしナイトクルージングをして明石大橋を見学。諏訪山で夜景を見て、生田神社に駐車して餃子・牛丼を食べて、三宮界隈を歩き、ゲームをして11時半にホテル送る。おそらくツアー出来た観光客であれば確実に2日分はかかるコース。日本人でも三都物語で京都・大阪・神戸と2泊3日で回るコース。確かにチョッと忙しかったが、外人で短い日程で多くを見て回るという点では、スペシャルコースだったと思う。 「ワンダフル」「パーフェクト」の言葉を頂いたので、やっぱり嬉しい。グリフィンは大阪城では鎧兜・刀・槍に大変興味を持ち。彼の言葉から織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・真田幸村などの名前が出てくるのは嬉しかった。 10歳の少年にとってはじめての海外旅行としての日本はどうだったのだろうか?一週間の旅の終わりを私がお供させえていただいて、彼の心に残る、ある一人の日本人としてありえたらとは思った。そして、また、日本へ来たいと・・・。ジニィーは帰ったら、友達にたくさんの話をするといって、いろいろなことを確認して聞きなおしていた。不十分な私の英語を心で補った積りなのだが・・・。 (2005年 5月 28日 [土曜日])
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誠を尽くす |
東京への出張を兼ねて、お世話になっているプロカメラマンの宮坂さんをお訪ねした。多摩川を渡り、川崎市溝の口がお住まいだ。お宿を「フィオーレの森」にとって下さった。飛び入りのお客様小此木さんと一緒に泊まった。夕食は宮坂さんの奥様が手料理でお持て成しして下さった。連休に行ったマウントシャスタの写真集も作ってお待ち下さっていた。これで「夢人」「西口賢治と愉快な仲間達」「聖地 詩野寿多を訪ねて〜遊書展inMt.Shasta/USA〜」と3冊目になった。大きな段ボールに書いた『武士道』が取り成すご縁でこんなに広がりが出てきた。有難いを超して字力字気(磁力磁気)を感じる。 贅を尽くすという言葉がある。贅は贅沢という意味にチョッと抵抗を感じる。誠意を尽くすといのは大切なこと、誠の成の部分の点を二つつけて「誠を尽くす=ぜいをつくす」というのはどうだろう。とても瀟洒なマンションの一室をゲストルームとして宿泊用にしておられるのだが、薔薇の花びら・ライム・入浴剤をいれた浴槽の癒しは最高だった。入浴剤はお客様に合わせて一人ひとり違うらしい。テレビのないのが嬉しい。オーディオはクラシックのCDが厳選されて置いてあり、私が一番に気に入ったのは、葉書が2枚机の上においてあって、素敵なガラスの器の中に切手がいれてあったことだ。至れり尽くせり、「持て成す」の私の定義は心を持って成すということである。その心が部屋に充満していた。また、来たいと思う気の安まるところだった。 (2005年 5月 26日 [木曜日])
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掲示板 |
掲示板に思わぬ人からの伝言が書かれいると、とても嬉しい。今回も2度お会いしただけの人なのに、とても好意的なメッセージが入っていて嬉しくなった。人は心で動いている。その心は意識下では、言葉に左右される。潜在意識の部分では「気」に作用されるのだろうか?気の部分も、お稽古、練習すれば上手になれると思うが、言葉は意識して、より正しくより美しく使えるようになりたいものである。 ■明日は東京へ出張。 ■金・土曜日はアメリカからのお客様を日本心、茶人の心でお出 迎えさせて戴こうと思っている。お母さんと10歳の少年。侍が 好きなこの少年に夢を持たせてあげられるようなお持て成しを ・・・。 (2005年 5月 25日 [水曜日])
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井上ひさしの作文教室 |
『作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね』 『「読み手」のことを考えることが、実は「だれにもわかるように書く」ことなんですね。』 〜井上ひさしの作文教室・新潮文庫より〜 この年になるまでに一体何冊の本を読んだのだろうか?1000、2000、皆目検討もつかないが、抱腹絶倒、一番声を出して笑った本が井上ひさしの「モッキンポット師の後始末」という本だ。大学時代に電車の中で読んでいて、声を出して笑ってしまったので周りからジロジロ見られた記憶がある。 今日、本棚にある作文教室の本がぱっと目に留まり、読み始めた。緑陰の読書でもなく読書の秋でもなく、ここのところ、何故か読書欲が沸いてきている。手短な愉しみとしてのビデオ鑑賞と読書、これは日課とまではいかなくとも、私にとってコーヒーと同じようになくては生きていけない?困るものであることは確かなようだ。谷崎・川端・三島・井上ひさしの「文章読本」は家の本棚にずっと「積読(つんどく)」として、もう何十年もある。 言葉遣いが心遣いであるならば、文章磨きは自分磨きに繋がるような気がする。この本にも『自分を研究して自分がいちばん大事に思っていること、辛いと思っていること、嬉しいと思っていることを書く』とある。自分を研究して自分を客観的に見つめることは、確かに自分磨きに繋がると思える。これからこの今日生日志も「だれでもわかる文章」で書けていけたらと思う。 (2005年 5月 24日 [火曜日])
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孝行念 |
「孝行念は成功の鉄則」 世の中で成功者といわれる人の多くは孝・行・念を徹底的にやりぬいた人である。 @「考」とは、考えること ・常に新しいことを学ぶ ・創意工夫する ・未来を予測する A「行」とは、行うこと ・決心したことは断固実行すること ・良いことは継続すること ・間違いに気づいたらすぐやめる B「念」とは、念じること ・宇宙を創造した不思議な力に祈る ・執念を燃やし続ける ・成功した状態を思い浮かべる 「300字の自己啓発」酒井正敬著・住友生命保険相互会社発行に書かれていた内容である。 とてもいいことが書かれてある。伸びる人、成功する人は、これを素直に直ぐに学ぶ(マネぶ)。 まあまあ伸びる人は半分学ぶ。頭で判って実行しない人はそれで終わる。これは頭の良さではなく、心賢さ、人間としての賢さだと思う。この9項目の内、◎が6、○が3というのが、正直な私の感想。未来を予想する・断固実行・執念という文言に、やや抵抗感を持つ。それは小生の成功=お金儲けに対する抵抗感によるものだろう。このように人は皆、結局は自分流でしか読んだり考えたりすることしか出来ないのかも知れない。 「15少年漂流記」を読み終えた。熱心に読んだ。56歳なりの読み方と感動をしたように思える。300字の文とこの物語と どちらにもいいなあと思う自分を見つけて、それが嬉しい。 (2005年 5月 23日 [月曜日])
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美流来癒河風 |
理想をいうと塾生全員のことを恋人と思いたい。なかなか難しいことではあるが、そのようなことを思うのと思わないのと、それだけでも違うかなと思っている。昔、「小さな恋人」という漫画があった。ほとんど内容は忘れたけれども、何かほのぼのするものがあったような気がする。 朝からドレスデン国立美術館展へ行って来た。小さな恋人の千枝ちゃんとお母さんとお姉さんと4人。フェルメールの作品、レンブラントが呼び物で流石にそれが良かったが、私には陶磁器類が良かった。1600年前後の作、中国や日本の伊万里の影響を受けたマイセンの作品は摸倣というよりも、純粋な美への憧れを感じた。先ずは憧れと摸倣これが大事な心構えだと思う。あの4,500年前の伊万里の染付けの藍色には、「痺れた」もっと美しい表現が出来ればと思うが・・・。あの色は今はもうない色なのだ。 それから千枝ちゃんが美輪明弘の黒トカゲを観ている間、東急ハンズで額や篆刻・朱泥などを観て回った。 その後、尼崎の「ゆがふ」さんに久しぶりに行った。段ボールに書いた『お蔭様の月愛』が掲げてあり、『ゆがふ』の詩が額装されてお化粧して飾られていた。瑞幸ちゃんという女の子が沖縄から生地を買って来て、段ボールの縁を焼いて木の額にいれて、一番目に付くであろうということでトイレに飾ったあった。段ボールに書いた遊書が、このようにして命を吹き込まれてたくさんの人に見てもらって、心を和ませる?? 素晴らしいことだと思う・・・。オーナーの向井さんとひとしきり喋り、ソーキ汁・タコ飯・ソーミンチャンプルなどに舌鼓をして、心もお腹も豊かになって帰って来た。瑞幸ちゃんが「夢人」の写真集を見て、カッコいいと言って、募金として買ってくださった。私から見たら、本人は気がついていないだろうけれど、瑞幸ちゃんの笑った横顔の方が、かっこいいというか か・わ・ゆ・い。ここ「ゆがふ」は、何処かに『ほっ』とする気が流れている。 (2005年 5月 22日 [日曜日])
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眼がほしい |
『眼がほしい 』 「退院の日、先生が父にいった きのどくですが この調子では見えないでしょう 僕は心の中で泣いた 声を出すと父が悲しむから 僕は眼がほしい 」 『祈る』 神様目をください それがだめなら心の目をひらいてください 『祈り』 母の顔をちびっとだけでもみせてください 『一番のしあわせ』 地球で一番高いところはここやな 「だれにも助けてもらわなかったで」 どんな遊び道具よりも父母の体が楽しい遊び場でした 父母の体をよじのぼっていたあの頃が 一番しあわせだったかなあ あのがんばりを 自分の体で私に教えてくれたのだ 『手さぐりの母』 母ちゃんの顔 さわらして 私は小さい時 母の口と鼻をよくさわった 目のあたりをふれたら 私の手はぬれていた 「かあちゃんどうしたの」 母は私を高くさしあげた 『心の塔』 これはぼくの心の中に立っている塔や ■神戸市立盲学校生がつくった粘土像作品展が高槻の高槻赤十字 病院で開かれていた。姉に行って見たらと言われて行って来た。 ほとんどの方は涙を流しながら見ておられた。それがゴッホであろうと、誰であろうと、涙を流しながら見るということはないだろうと思った。私はそう簡単に涙を流すことが出来なかった。そんな単純に感動したとは思えなかった。はるかにそれを超えたものを感じずにはおれなかった。 「眼がほしい」何ともいえないものがあった。言葉をなくした。慟哭にもにた表情が、なぜ、見たこともない人が創造できるのだろう。それは心象が描く魂が創出するものではないかと思った。お金がほしい。モノがほしい。あれが欲しい・・・。この子は誰もが持っている、たった2個の眼がほしいといっているのだ。それは欲でも何でもないではないか。当たり前のことを願っているだけではないか。あ〜、なんと私達は愚かで、そして、幸せなんだろう。五体満足で元気であると言うことが、何よりモノ宝物を与えられているのだ、今日ほど自覚したことはない。紙一重のところで小児マヒから逃れられた私は身につまされる思いになった。元気に生きさせていただいているという「しあわせ」を 分かち愛させていただかなければならない。「できることから始めよう」この思いを肝に銘じて・・・。 (2005年 5月 21日 [土曜日])
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15少年漂流記 |
『なにごとにも、すすんであたれ。』 『努力するチャンスは、けっしてのがすな。』 『疲れることをいやだと思うな、役にたたない苦労はない。』 漂流した15人の少年達が自分達で大統領を選出して、これから5ヶ月間、極寒の冬ごもりの生活を迎えるに当たって、できるだけ楽しく過ごさせるために、毎日の日課のプランとして立てたものである。14歳のゴードンが決めた「日課の精神」である。 素晴らしいの一語に尽きる。ジュール・ベルヌが1888年に書いた作品である。日課の精神は、寧ろ、いまの方が、いまの現代人にこそ当てはまる言葉のように思える。 足長おじさんを詠んだのが3年前、そして、今、この15少年漂流記をワクワクしながら読んでいる。私の少年時代には貸し本屋さんがあって、漫画は貸し出し用にあったが、家にこのような本はなく、おそらく学校の図書室にもなかったのでは?また、図書室に行く風習もなった。私が学校の図書室に通うようになったのは高校生になってからだ。中学校の時、家にある親や兄弟の読んだ本を読むようになったのがキッカケだ。外国文学は名前を読み馴染むのが難しく、遂に、ほとんどの名作を読まずにこの年まで来てしまった。今、塾にある「少年少女世界文学館」を読んでいる。少年向けのものを56歳のおじさんが読む。それはそれで感動できて面白い。年相応の愉しみ方が出来るのが読書の良さだろう。日課の精神は、早速、心がけていこうと思う。努力は他人に言うのは好ましいことではないので、決して言わないようにしているが、自分に課すことはやはり大切なことだと思う。 (2005年 5月 20日 [金曜日])
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一通のお手紙 |
『私も本当に楽しかったです。言葉が湧き出る感じとでも表現したら良いのでしょうか、無の紙に字を書かれると、その字が動き出す、躍りだす・・・』私の感想です。 4月にお世話になった、若松の芳野病院さんの院長さん兼理事長さんから、御礼のお手紙がアメリカ旅行中に届いていた。こちらが礼状を出さないといけないのに、先に頂戴した。担当者の方にはメールで翌日に御礼を申し上げ、翌日にアメリカに出発した。やっぱり、メールよりも手紙がいい。肉筆の文字の中にその人となりがうかがえて、温もり優しさが伝わってくる。機械の文字に心を込めるのは難しい。この院長のお手紙、文字が素晴らしい。純粋無垢、ただ一心に御礼の気持ちを伝えたいと言うのが一枚の便箋に溢れていて、飾らない文字がいい、こんなに素直に書けるのがいい。これこそ書き手の人間性が出た手紙だと思う。考えてみると、色々なところで遊書展をさせて戴いたけれども、お礼状をいただいたのは初めてのような気がする。それだけに嬉しいく有難い事だと感謝する。 私の遊書も、いい字を書こうと邪念が入ると大体はダメ。素直に書くということが、なかなか難しい。私の場合は、相手の方の「気」を戴いた時に、自分でも気に入った字になる。思った字など書けない。書こうと思うのがおこがましい、浅はかなことだと自覚している。しかし、それでもいい格好をしようとして失敗する。『お互いの心が響き合って面白い字が生まれる』書いてといってくださる方も、決して上手な字を求められると言うことはない。楽しむこと、それを大事に修行させていただこう。 (2005年 5月 19日 [木曜日])
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あなたの夢はなんですか? |
『あなたの夢はなんですか?』 そのとき少女はこう答えた。『私の夢は大人になるまで生きることです。』 いま子どもに読ませたい本 NO1. アジアチャイルドサポート代表理事池間哲郎著。 致知出版社 1200円+税 ■「あなたの夢はなんですか?」といつものように聞いてみると、彼は少しはにかみながら答えました。「一度でいいから、お腹いっぱいになるまで食べてみたい」 ■ゴミ捨て場を歩いていたら、一人の少女と出会いました。ゴミの中で空き缶を黙々と整理していました。見ているうちに涙が出てきました。彼女はまだ4歳です。ここでは4歳の少女でも働かないと生きていけないのです。(中略)この子はもう、亡くなったと聞きました。本当に理不尽だと思います。 ■「僕は早く人間を終わりたい」そして私の両手を握って涙を流しながら訴えました。「僕は次に生まれる時には、人間ではなくて犬になって生まれたい」この言葉の痛みがわかりますか?彼は自分の事を犬以下だと思っているのです。なんと悲しくつらい言葉なのか! この地球には夢を語れない子ども達がたくさんいる。衣食住に困窮する子どもたちが日本の子ども達よりも遥かに多くいる。このことを私達はもっと知るべきだ。同じ地球に住んでいる仲間として、隣人として考えるべきだ。 それに比べると、我々の苦労や苦悩と思っていることなど、本当に何でもないことだということがわかるはずだ。満たされすぎると感謝を忘れて不足を感じる。人間のエゴの怖さを感じる。 できることをさせていただこう。「愛と平和」の願いを行動にして行こう。人間として・・・。 (2005年 5月 18日 [水曜日])
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Fuzzさんの募金。 |
教え子のYさんは甲子園でFuzzという美容院を経営している。私も今年から2回に1回の割合で、美容院へ通っている。二人の子供さんは私にとって二代目になる教え子さんである。 今日、Yさんが募金ですといって8659円のお金を持って来てくださった。カンボジアへの募金と言うことで、お店のレジの前に、募金箱を置いて下さっていたのだ。1円が沢山あることからも、たくさんの人が少しずつ募金して下さったのかと思うと、金額よりもその多くの方の志しに感激する。有難い事だ。 この前の生徒さんのトラブルのことも考慮すると、どうやらこのような気持ち、心を私達が教えていないことにも、相手への思いやりの欠如に繋がっているのかも知れない。 今、この瞬間も食べられなくて、病気になって死んでいっている多くの子供たちがたくさんいる。その数が世界的規模で見ると。一人の力では何も出来ない。でも、一人ひとりの人が「できることから始めよう」ということを積み重ねていけば随分と違うと思う。また、できることしか出来ないのだ。でも、できることもしないというのは。人間として哀しいことだと思う。明日、銀行へ行って預金してこよう。皆さんに感謝をして・・・。 (2005年 5月 17日 [火曜日])
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マザーテレサの言葉(栞) |
Mother Teresa of Calcutta August 27,1910+September 5,1997 Keep the joy of loving the poor, And share the joy with all you meet. Remember... Works of love are works of peace. 貧しさを愛する喜びを持ちなさい そして あなたが出会うもへの喜びを分かちあいなさい 愛がもたらすものは 平和をもたらすものであることを・・・ Jesus has said very clearly: I am the life to be lived. I am the joy to be shared. I am the bread to be eaten. I am the blood to be drunk. I am the truth to be told. I am the light to be given. Jesus is everything. 主は語る 我は愛される愛である 我は生かされる命である 我は食されるパンである 我は飲まれるである 我は語れる真実である 我は照らされる灯りである 我は与えられる平和である 神はすべてである (藪野進司訳) アメリカの多美 母の日に聖パトリック教会で求めた マザーテレサの栞に書いてある「ことば」である。 ミサの時、牧師さんの言葉が終わったあと 周りの人四方八方の人に互いに「Peaceful」と 交わしあって握手をし合ったのは心に残った。 私はクリスチャンではない、教師という立場において中庸の立場をとっている。しかし、それぞれの宗教で語られている言葉は素晴らしく 私はそこから多くを学びたいと思っている。 マザーテレサについては聖なる母として、宗教を超えた存在として崇めたい気持ちを持っている。 ■この栞を100枚購入してきました。欲しい人にはおあげします。お土産代わりに色々な人に配っています。なくなるまでお配りします。マザーの言葉を伝道するために・・・。 (2005年 5月 16日 [月曜日])
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Shall we dance |
海外旅行のもう一つの楽しみは飛行機の中で映画が見れることだ。今回はユナイテッド航空を利用したので画面は前の座席に設定されており、自分の好きな映画を選ぶことが出来る。アメリカ映画の大半はまれに同時ロードショウと言うのもあるが大半は半年遅れで日本に入ってくる。ビデオやDVDが販売される頃、つまり、日本で上映されている映画が機内で観れるという算段である。大阪人感覚でいうと行き帰りに合計5本の映画を観たので、1800×5=9000分得したような気になる。シャルウィーダンス・ナショナルトレジャー・スパニシュ??・もう2本は正確にタイトルは忘れてしまったが、面白い映画だった。 Shall we danceは2回観たが、どうしてもスクリーンで見たいという思いがあって、今日、映画館に観に行って来た。これは役所広司と竹中直人が演じた名作でハリウッドでリメイクしたもの。映画愛好家の私が一度観た映画を近日中に見直すということはないのだが、今回はぜひという思いで見に行った。リチャードギアは勿論ながら、女優のジェニファーロペスが最高にいい。映画のパンフレットには最後の二人のダンスに涙すると描いてあるが、そうではなく大会前日に、Give one hour/Don't say.Don't think. とジェニファーロペスが言った後に踊るダンスが最高。おそらくここに監督の思い入れがあったはず。大袈裟に言うと魂の結合を見た。おススメの一作だ。■ホームページの栄華感でアップしています。興味ある方はご覧下さい■ (2005年 5月 15日 [日曜日])
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鱧ちり |
日本人の旬を大事にする食欲・味覚は世界でも中国人・フランス人と競っても1番かも知れない。親しい友達が「メシでも一緒に食いませんか」と誘って下さって、天王寺まで出かけて行った。開口一番「おめでとうございます」と言われて、何かおめでたいことが・・・と質問されて、「5月6日の誕生日ぐらいしかないけど」と答えた。「カンボジアの学校建設資金目標達成」を祝ってくれてと言うことだった。目標達成がお目出たいといえば御目出度いのであろうが、このように心に留めてくれて、それを祝ってくれる蔭で支援してくださる方がいると言うことが嬉しい。本当に有難い事だ。 さてさて、美味の内容は、マグロのお造り、この逸品は目の周りの白い脂肪のところが出てきて、これは確かにトロよりもその脂肪の旨みがあって美味しかった。今日の主人公の鱧、魚偏に豊と書くとはいえ、そんなに身があるとはいえないが、白身のあっさりした味とその食感は何ともいえないものがある。ちりであるがゆえに勝負は、そのダシにある。鱧の骨を巧く料理してということで、この店独特の「味」を出していた。思えば、昔、親父さんと慕っていた人に食べに連れて行っていただいたとき以来の鱧ちり鍋だ。酒を飲まない身にとっては、家庭では鱧ちりなど食材としてもあまりないので、何十年ぶりかに食べたことになる。親しい仲と言うのは、お互いに好物を言い合わなくても判るものだ と思った。鱧と彼の優情に心もお腹も満たされた一日だった。 (2005年 5月 14日 [土曜日])
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日記の効用 |
時差ボケのお蔭で早く目が覚める。その分、新聞に目を通すことにもゆとりの時間がある。「3分間日記」という本の広告が出ていて売れているらしい。小生は去年の1月からホームページに日志を書かせて戴いており、その効用たるや誰よりも自覚している。記憶が定かではないが、日記を書きなさいと薦めた作家は多分、永井荷風だったと思う。高校時代に何かで読んでという記憶なので自信はない。小学校4年生の先生が書く習慣をつけて下さった。中1の時、ホームルームハンドブックと言うのがあって、これも日記形式のものだった。中高時代は自主的に書くようになっていた。今時に言うと「暗い」と言われるのかも知れないが、日記はある面で自分の内面を見つめる部分がある。内面は光が照射していない部分だから暗いのが当たり前かも知れない。 3分間でと言うのは、おそらく今日の反省と明日への希望を書くということだろうか?反省もいらないだろう。「明日はこうしたい」「明日はこうする」という記載だけでも、大いに潜在意識にプラスされるだろう。これを365日継続すると、確かに生活は変わるだろうと思われる。目的意識を持って日々好日と生きる人と何も思わないで日々マンネリの中で惰性で生きる人とでは数年立てば、雲泥の差が出ると思われる。 この拙い小生の日志、日々の志しも、毎日、目を通して下さっている方がいらっしゃるが、人の日記を読むことや天声人語などを素直な心で読むことを続けることは素敵なことだと思う。 (2005年 5月 13日 [金曜日])
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学美愛・許し愛 |
人間同士が責め合ったり、責任を追及したりすることは出来ない。そう私は考えている。それは教師が生徒に対しても、ましてや生徒間同士であればなおのことだと思う。中3の生徒さんと中2の生徒さんが、チョッとしたこと?「よくない言葉を言った」「エレベーターを蹴った」ということでトラブルが起きた。誰が誰に何を言った。誰が誰に何をした。そのことを取り上げて責任を追求していくことが問題解決に必ずしも通用しないと思う。真心と思いやりで許し愛をする。これが大事だと思っている。 人は、子供はちょっとした間違い・ミス・失敗・感情の行き違いなどを重ねて、事が起きてそこから色々なことを学んでいく。その小さな積み重ねが単語を覚えたり、数学の九九を覚えたり、漢字を覚えたりすることと同じように色々なことを学んでいくのだと思う。全てが学美の対象であると思う。学ぶということは勉強するということだけではなく「生きる」ということそのものが学びだと思う。そこから経験・体験をして学習効果を出して人は成長していくのだと思う。 人間が為す行為において、それが悪意で為されたことか、無意、善意で為されたことかで、対応の仕方が変ってくると思う。成長過程における生徒さんたちにとって、適格な判断・正しい行動を常に求めることは難しい。いわば色々な問題(私はそれを問題と思っていない、教材だと思っている)を起こして、それを解いていくことによって学び、成長して行くものだと思う。 『問題は解決されるために起きてくる』これは数学の難問と同じで決して解けないということはない。しかし、解こうという意志がないと、解けないのは事実である。生徒さんたちが言い合い、口論をして、それも一方的であったようだが、中3の生徒さんが中2の生徒さんを「叩く」という行為にまでいってしまった。火曜日の10日に、私は生徒さんに「許し愛」をすることの大切さを30分間、黙想をして頂いて諄々と懇々と説いた。あらゆる角度あらゆる観点でお話をさせて戴いた。しかし、残念ながら、それが通じなかった。三十年近い、教職生活の中で通じなかったことは初めてだけに、哀しく寂しいものを覚えた。しかし、それは「伝わらなかったのではなく、伝え方が足らなかったのだ」と反省している。もう一つは、あえて言うならば、子供たちの質が変容してきているのかも知れない。これは今の大人たち、社会を反映してのことであるから、やはり、反省すべきは私達の側にあると思う。 生徒さんに起きたことは、全ていかなることも塾長の私の責任である。お預かりさせていただいているという立場において、監督管理責任がるのだ。決して弁明するのではないが。この責任というのが難しい。賠償すればいい、慰謝すればいい、誤ればそれで済むというものでもない。誠意を尽くしてわびるのは当たり前であるが、こちらが詫びる、謝罪する、謝るというのではなく、相手が許してくださるかどうかの問題である。学校や塾は説諭して指導する所、そこから学ばせていく所であって、処分をしたり、責任を取らせたりして訓戒する所ではないと思う。 起きたことに対して、過去を問うのではなく、このことから何を学び、これからにどのように生かしていくかということが大事だと思う。学ぶということはそういうことだと思う。数学を学ぶことも経験を通して学ぶことも子供たちにとっては同様に重要なことだと思う。叩いた人と叩かれた人がいる場合において、加害者被害者として捉えた場合、その立場は大きな差がある。しかし、対応と考え方によって共に学ぶことは出来る。子供たちの心を思うとき、傷ついた心を癒すことは難しい。「許しを乞う」「許し愛を頂く」それを願うことしか出来ないのが人間のようにも思える。 (2005年 5月 12日 [木曜日])
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時差 |
■時差=時間の差。NYと日本の時間の差は今、13時間。朝と昼が逆転している。これは宇宙に存在するお日様とお月様の聖なる自然現象。これは宇宙の法則として受け容れることが大切である。時差があっては困るのが、個々の時間の感覚の差。ビジネス、約束における時間の差はあってはならない。1分でも1時間でも遅刻は遅刻。我が父は「遅刻するなら休め」という遺言を遺した。「休まず遅れず怠らず」は母校浪商の校訓。大夢=Time is Money.である。遅刻するということは相手の時間を盗むということだ。 ■字差=字における理解の感覚の差、言葉、語彙の認識、使い方の差。これも大変難しい。言葉遣いは心遣いに通じる。だから大切に扱わなくてはならない。この自他の差をバランスよく捉えた上で字、言葉は遣わなくてはならない。 ■自差=自分と相手の人間距離の差。これを埋めるのは『愛』である。どのような関係においても一致することは無い。その上でどれだけ近づくことが出来るか。近づきたいと思う、この心が相手との距離感に作用する。また、距離感があるからお互いの人間関係が上手くいくのである。もう一つは自分と相手との人間的な差・考え方・価値観の差である。差があるから個性がるのだ、心が想いが一つになるということは、1プラス1が2になることであり、1+1=1になることではない。一つに溶け合ってここの存在価値が互いに認められることである。 ■慈差=慈愛の差。相手、対象を慈しむ愛の差。これは差を受容することがポイントだ。こちらが相手に対して1の距離感を持っているのに、相手は2や3の距離感を持っている。ここに差、ギャップが生じるが、それを凡人は攻めようとする。ここに誤解、コミュニケーションの歪が生じる。恋愛関係においては危ういもの、不確かなものが存在する。それを埋めることが出来るのは愛である。差の存在を受容することだ。差があってはならないと決め付ける心に差が生じるのである。 ■路差=人が歩む路はそれぞれであるから愉しいものだ。その差をお互いが認め合うこと。方向性・ベクトルが一致して路が大道に繋がることが望ましい。 ◎差を認めることが自他を認めることだ。差を受容するところに愛が生まれるのである。 まだ、時差ボケが体に残っている。夜中に目が覚め、早朝に起きる。昼間に眠くなり、物憂げな気だるさが残る。それを愉しむのも多美の愉しみ???。旅は多美、度々、旅を重ねることが旅のよさを愉しみを知ることにも繋がるように思える。人生という旅の達人を目指して生きたい。 (2005年 5月 11日 [水曜日])
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次なる多美へ |
ニューヨークを9日朝6時に起きて出発、これは日本時間の9日夕方7時。日本に到着したのが、塾の戻って来たのが10日の6時だから、約24時間丸一日の行程。7時から早速10時まで授業。「疲れませんか?」とよく言われる。疲れる旅?ってあるのだろうかというのが、小生の感想。出来る限りギリギリまで現地にいたいというのが私の思い。前々日、前日に帰ってきてゆっくりしてから仕事に向かう。それも一つかもしれないのだが、私は多美をして志事に向かうので、そのようなサイクルを取らない。但し、最近は時差は確かに若い時と違ってこたえる。 写真はセントラルパーク。桜の花の下で若いお母さんと子供が遊んでいた。なぜかほのぼのとしたものを感じて撮影した。多美の感傷の中で、このような光景にも感じやすくなるのだろうか・・・。 多美からパワーを得る。エネルギィーをゲットする。次に何処へ行こうかと楽しみをつくって覇気を自らに起こす。インド・ヒマラヤ・シャングリラが私を読んでいるような気がする。 (2005年 5月 10日 [火曜日])
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多美の終わりに |
「何処が一番良かったですか」とよく聞かれる。一番、返答に困る答えだ。あえて言うならば、何処も一番良かったといえる。しかし、それでは答えにならない。一番好きな所はと言われると、まだ答えやすい。しかし、それも以前はローマと言っていたが、今やここもあそこもという感がある。結局の所、その場所、その対象物によるのではなく、私の心がそこで何を感じたか、何と出愛をしたかで決まるような気がする。 オーランドでアリゲーターを食べた。そう、あの鰐さんの小型にしたやつ。味はチキンに似ている。オーストラリアに行った時に鰐を食べたが、その時もチキン?のように感じた。美味しいかどうか?う〜ん、昔、少年時代に食べた鶏、今で言う地鶏の方が美味しいような気がする。今、食糧事情が良い分、随分贅沢になりすぎている。「お腹が空いていたら何でも美味しい」というが、正にその通りで、昔のようにたまにしかお肉を食べなかったときの牛肉の味は格別だった。鯨肉に辟易としていた時分が懐かしい。今や、クジラのベーコンなどといえば高級珍味?になってきている。味というのも2種類あって、舌で味わう味覚と心で味わう心味覚があると思う。誰と食べるかもとても大事な好心料(香辛料)だと思う。 何でも食べてやろう。何でも見てやろう。何でもしてやろう。 私の野次馬的多美はこれからも続く・・・。 NYからシカゴへ2時間半、シカゴから関空へ13時間。多美のの終わりは機内映画で往復5本観たのは、大阪的感覚で云うと9000円分得した〜でェ。 (2005年 5月 9日 [月曜日])
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旅は人生そのものだ。 |
余分なものは持たないで歩んでいこうと決めた。出来るだけ身軽にしようとした。先ず、@ハーレムに行ってゴスペルを聴こう次にAヤンキィースタジアムに行き、Bメトロポリタンミュージアムに行って、Cマンハッタンの対岸から夕景を眺めよう。時間も少しは余裕を持って出かける予定だった。 少し、起きる時間がずれてしまったのでBに行くことにした。49番ストリートからメトロに乗って行くのが楽な方法だ。デキシントン通りまでは歩く距離が少しある。この楽な方法が仇となった?49番からの地下鉄に乗ろうとした時、Å・D線に乗るつもりがF線が来たので、それに乗った。一瞬の判断だった。地図の上では可能な筈だ。しかし、乗り換えるべき所の駅ではそれは不可能だった。2駅戻った。3本ぐらい電車を見送ったが、依然として来るべき電車が来ない。如何するべきか、何を選択してどう判断すべきか?人生はいつも今を生きる中で、それを選択していかないといけない。結局、元に戻った。誤りは近道を選んだこと。楽な方法を選んだことにあったのかも知れない。私は戻って5ブロックほど歩く道すがら。決して、悲観するのではなく諦めるのではなく、人生とはこのようなものだ。目的地、目標さえ見失わなければいいのだと肯定的に捉えて歩いた。 人生に回り道などはない。そこには自分が勝手に判断していて、予期せぬことや知らないことがあるものだ。途中でフリーマーケットをしている所があって少しの時間愉しんだ。5番街に出た時、荘厳な建物に出くわした。聖パトリック大聖堂だ。今までに何度かは通り過ぎていたように思う。しかし、気にも留めていなかったし留まらなかった。感じもしなかったのだろう。写真を撮り眺めていると自由な人の出入りが眼に留まり、私は吸い込まれるように中へ入っていった。 大司教の声が響いた。静寂の中に何とも言えない気が流れていた。聖歌隊の歌声は昨日のミュージカルよりもジャズよりも美しかった。魂に感応するものがあった。3年前、イタリアに行った時、バチカンのサンピエトロ寺院でマザーテレサのペンダントを買った。それ以来、お守り代わりに身につけているのだが、私はここでマザーの「栞」ブックマーカー用をお土産用も兼ねて100枚購入した。何か、懐かしい人に出会ったような、会うべき人にあったような、とても嬉しい気持ちになった。 もし、地下鉄に乗り間違わなければここに来ることは出来なかったはずだ。自分では判断ミスと思っていることが、時間や経過を見ると寧ろこの方が良かったということが、人生にはしばしばあるのだ。そういう点では、偶然に乗り間違い、計算間違い、地図の見間違いの結果ここにたどり着いたのではなく、必然的にここに誘われていたように思えてならなった。 『人生は思った通りにはならない。思い通りには行かない。しかし、思いは叶い、思考は現実化するものだ』なんと矛盾した言葉だろうと思うかもしれない。それは違う。自分というエゴの思い計らいの中ではその通になっていない。今、もとめていることは、今その通にはなっていない。しかし、本当に必要な事・時・物であれば、それは成就するのだ。うまくいかないのではない。今を求めて上では、それは今必要ではないことという天の計らい、神の思し召しなのだ。NYの街角を歩きながら私はそう考えた。 ヤンキースのゲームは松井がタイムリィーを打った5回で帰って来た。メトロポリタンに行って絵画を見た。いつ見ても何度見ても素晴らしい。その絵の中から伝わってくる「魂」にいつも圧倒させられる。 (2005年 5月 8日 [日曜日])
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I love NY |
Mtシャスタ、オーランドと素晴らしい思い出ができた。遊書展のおかげで私はこの3年間、ほんとうに素晴らしい出愛に恵まれている。人生が変わって来て実に心豊かに生かさせて戴いている。本当に有難い事だ。いい人にしか会わないような気がする。文字のパワー、『字力』とでも云うのであろうか、その力のお蔭で深い出愛をさせていただけるように思える。小学校の子供たちとの出愛も嬉しかった。彼らが家に帰り親に話をして、自分の名前の書を飾ってくれていることを思うと小さなというよりも大きな幸せを感じる。 久しぶりのNYだ。と言っても3年ぶりであるが、12時にマンハッタンに到着して、ブロードウエイ近くにとった安宿はTICKT'Sの横と言ってもいい場所。一番に「シカゴ」のチケットを買いに行き、2時から5時の時間を過ごした。ホテルに戻って、夜はジャズオーケストラを聴きに行った。でも、流石に朝3時起きは眠くて、ゆったりと音楽を楽しめなかったのはチョッと残念? (2005年 5月 7日 [土曜日])
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5月6日56歳の誕生日 |
ローマ・西安・オーランド。この3年の誕生日を迎えた場所だ。ダニーのお父さんの所へ行った時に久しぶりの再会ということもあって、「ケンジ、何歳になった」と聞かれ、「今日が誕生日で56歳になった」と答えた。それを側で聞いていたジュリイーがディナーの時にバースデイーケーキを用意してくれた。彼女は昔から本当によく気が利く人だったが、ほんとうに嬉しかった。家族みんな7人が揃って「Happy Birthday」の歌を唄ってくれた時は思わず涙ぐんでしまった。思えば私達が少年時代は家族で誕生日のお祝いをするなどという習慣もあまりなかった。ましてやバースデイケーキなどもなかったので、一番盛大なパーテイのように思えた。ダニーの家族は本当に私達の家族にとっても親戚以上だ。 今日はジュリィーの小学校に行って、アートの時間を割いていただいて子供たちに「遊書展」をさせて戴いた。36名の生徒さん達の名前を一人ひとり書かせて戴いてとても喜んで戴いた。例えば、ケイテイーは「慶帝」、意味は御目出度い=コングラチュレーション、帝=クイーンというようにして渡すと、本当に喜んでくれた。プラスの意味、ポジテイブなものを考えて書かせて戴いた。手を上げて競争して求めて下さり、こちらも嬉しかった。映画のお蔭もあったのか、着物を着ていったので「日本人」「侍」と声をかけられ満更悪い気はしなかった。 ダニーはそれが永年の夢であったといっていたが、ヨット、船を3台持ち、シーサイドにプールのある家を持って心豊かに生活をしている。お金お金というのではなく、「生きる」ことを愉しんでいることが伝わって来て嬉しいものを感じた。 (2005年 5月 6日 [金曜日])
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多美への巡礼 |
巡礼=いくつかの聖地や霊場を準じに参拝して歩くこと(新明解国語辞典)。最近の海外への多美は遊書展が絡んでいることが多いが、その少し前、異邦の街を歩きながら、ふっとなぜ私は今ここを歩いているのだろうか?と考えることが時にあった。それは寂寥感に苛まれたり、孤独感があったり、自分を見つめざるを得ない時間があったりするからだった。でも、今回の旅で私は美を求めて「多美への巡礼」をしているのだと感じた。それは聖地や霊場というのではなく、美しい場所・美しい味・美しい人との出愛を求めているのだと気付いた。 片言英語ではどうしても、見知らぬ人との出愛が難しい。もう少し話すことが出来たら・・・、そう思う。 (2005年 5月 5日 [木曜日])
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独立以前のアメリカ |
St,オーガスティン。スペインが開始したアメリカで一番古い町であるそうだ。オーランドではちょっと雰囲気の違うような?雰囲気のある町である。ダニーとケニィーの3人で観光した。デズニィーワールド・ケネディースペースセンター・ユニバーサルスタジオ・MJBなどいくらでもあるが、私が特に希望しなかったので、ここを案内してくれたらしい。彼らのいい所は自分達もいったことがない所へ一緒に行って、一緒に愉しむことだ。 我が友、ダニーは自宅のポートピアースからオーランドまで、泊まらせていただいた弟のケニィーの家まで4日、5日と120マイル(約200キロ)の距離を往復して案内をしてくれた。7日は朝3時に起きて空港まで送って来てくれて、実に1200`の距離を運転してくれたことになる。私にはマネの出来ないことであり、優情というものを学ばせて頂いた。これが真心を尽くすということなのかも知れない。私が修行した茶道は一期一会の精神で、客人の持て成し方の極意を学ぶことにもあるが、相手に気を使わせずに自然にそれができるということは素晴らしいことだと思う。 (2005年 5月 4日 [水曜日])
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We are family |
1980年10月某日、国道2号線。私のアメリカへの多美はここから始まった。私31歳、ダニー21歳。今から25年前、ヒッチハイクしている青年を乗せた。 『出愛は神様からのご褒美』正にこの言葉どおりの出愛とお月愛が始まった。私はもとより家族全員が何度となく訪れた。ダニーの家族もお父さんのダン以外は日本へ来た。次男は留学の際、奨学金を貰うのに保証人になって貰った。生徒が26人、夢と冒険の旅にいった時にお世話になった。 初めてアメリカに行った時、ダンが2200キロの距離、デンバーからロスまで車で迎えに来てくれた。この時の体験が一人旅へのプロローグになった。「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」漱石が言う、義理人情の善さが有るとするならば、それは日本人特有のものではなく、アメリカ人とかではなく、人間特有の善さだということを学んだ。 お土産に持っていった美世咲のTシャツを直ぐに来て、ダニーは毎日、それを着て案内してくれた。小学校の先生であるジュリィーは学校にそれを着ていって、私を紹介してくれた。弟のケニィーと私の3人で観光地を歩くと、何人もの人にbeautifulと褒められた。亡くなったミリアムのお墓参りが目的の今回の訪問、We are familyという言葉が忘れられない。 [ダン・ジュリィ−とお揃いのTシャツで] (2005年 5月 3日 [火曜日])
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詩野寿多(シヤスタ) |
詩野寿多を後にサンフランシスコへ。1泊をステイしてオーランドに向かうために町を歩いたが、SF・LA・NYと人気の町もどこか色褪せてしまう。シャスタマジックと訪れた人は云う。それは決してマジックではなく、人間が持っている本来の野生がそれを求めるのだろう。 『人間として 動物としての感性と野生を表現したい』 これを一つのモチーフにしている私にとって、自然回帰が潜在意識で求めているのだろう。山河、海、空、宇宙 これらの中にある美を私は求めて生きたい。 シャスタの水は「カイザー」というブランドで大塚製薬が日本でも売っている。この写真の場所が聖地の山から流れ出るスプリング、飲んで見て「こんな美味しい水は初めてと感じた」それは体のも心にも魂にも美味しかったのだろう。 (2005年 5月 2日 [月曜日])
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天使からの贈り物 |
覇来(ハグ)。お互いの覇気が通い合うこと。この覇来することの素晴らしさを教えてくれたのが、3年前、このMtシャスタで初めて私が「遊書展」を出美遊させて戴いた時に、何度も何度もハグしてくれた11才のニコール。今回も心から待ち受けていてくれたのだろう。会うなり、手渡してくれたのが手造りの「腕数珠輪」。どんな思いで作ってくれたのだろう。ただ一心に私を喜ばせようという純粋無垢な天使のような愛ではないだろうか。2日間、何度ハグしてくれただろうか?10数回に及ぶであろう。55歳のおじさんが14歳の少女、私にとってのシャスタの天使がハグしてくれるのは、私に愛することの素晴らしさを教えてくれているような気さえした。私の拙い英語を他の人にわかりやすく説明さえしてくれていた。その心遣いたるや、どちらが年上の人間だかわからないようにさえ思える。そうなのだ、心遣い、気づきは美しい感性と愛から生まれるもので、年齢なんか関係ないように思えた。それをニコールが私に教えてくれた。気郷までの3年間、この聖地、詩野寿多からニコールはずっと愛を送ってくれていたようにさえ思える。私がこの地上で会った最初の天使のようだ。それが今や、私はたくさんの天使に囲まれて見守られて愛されて育てていただいて生きている。これ以上の幸せがあるのだろうか?I love Nicole. たくさんの人に愛していただいている分、私はたくさんの愛をシェアさせて戴こうと思っている。それを身をもって教えてくれているのがニコールであり、天からの使いであるように思える。 ストーニィーブルックインの吉川さんが働きかけをして下さって地元の新聞に開催が紹介されたお蔭で、遠くの町からもたくさんの人が来て下さった。ドネーションの素晴らしさを教えてくださった。2日間で100数十名、500ドル35セントのご寄付を戴いた。名前「石蓮」(漢字変換)に詩をかいてプレゼントした人は喜美のあまり唇にキスまでして下さって、その感激に驚かされた。この地球には磁力が働いているように、私の字に字力が有るとするならば、こんなに幸せなことはない。 (2005年 5月 1日 [日曜日])
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