ダーウィンの名言 |
【学問で成功するのは、 頭のよしあしよりは心的態度の問題である】 学問を人生・仕事に置きかえてもこれは心理だと思われる。この言葉に10数年ぶりに出会った。その時も感動をしたのだが、10年の私の探求と実践が、これを「絶対真理」と言ってもいいほどに捕えた。親にも生徒さんたちにも、繰り返しくりかえし言って来ていた。能力ではなく学習に対する、心構え・取り組み・態度で成績は決まる。と・・・。この言葉が私の潜在意識に入っていたのだろう。それが言葉との再会で深く心に刻まれた。今、私が親・生徒さんに訴えて言いたいことだからだ。中学生の頃、理科の時間で、ダーウィンの進化論というのを勉強したが、恥ずかしながら、人間の尻尾のように使わないものは退化するという意味で、進化論を覚えている。あの中学の時に「成功するかどうかは能力ではなく、心的態度によるところが大きい」と教えてもらっていたら、その言葉をずーと今でも覚えていたかも知れない。人生を語って下さった先生のことはよく覚えている。もっともっといろいろな話をして欲しかったと思う。 明日からの授業でこのことを生徒達に語っていこうと思う。先ずは心的態度の向上よりも、心的態度のマイナス面をゼロにするところからのスタートだ。時間を守らない人で成功した人は、例外的にもないのでは?と思う。礼儀知らずで世の中は通らない。言葉遣いが悪いと人間関係が築けない。礼儀をわきまえないと自分が認めてもらえない。ルールを守らないと人間として恥ずかしい。これらは能力ではなく心的態度であると思う。 月曜日にカンボジア学校建設募金の活動の一環として「夢人」をお仲間の人で、ご協力をお願いできそうな方100人にお送りさせて頂いた。全国のあちこちに届いている様子で、昨日、朝一に電話下さった方、お昼から直接募金を持って来てくださった方、メールを下さった方や、今日は電話をいただいて久しぶりに長話に花を咲かせていただいた方など、うれしい限りである。中にはお叱りのお言葉を受けることもあるかもしれない。そんな時は数時間、あるいは2,3日ガックリと気を落とすのだが、それにメゲテいるとボランテイアの活動はできない。 (2005年 6月 30日 [木曜日])
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心自流(しんじる) |
心が自然に流れる、自ずから善なる方向へ流れる。微かな自分の意思と大いなる宇宙の力で、あるベクトルへ流れていくのを感じている。それは千財意志来(潜在意識)によるものかも知れない。朝、早めに起きたので『機関車先生』というビデオを観て、10時過ぎに塾に来た。他の先生方は午後1時から10時が志事の時間になっている。 伊集院静の原作を映画化したもので、原作を忘れたというのもあるが、映画のほうが遥かに良かったような気がする。私の教師への原点は恩師であり、二十四の瞳であり、「懐かしき笛や太鼓」という僻地を題材にした映画である。機関車先生は剣道で<突き>をやられて声帯を損傷して、口が利かないようになり、口がキカンというところからこの名前がついている。発音する言葉は遣わないが、心の言葉心言(しんげん)を遣う。私が「言葉は心を伝え愛を語るもの」と言うならば、やはり、もっともっと心言を使えるようにならなければいけないと強く思った。不用意な言葉を遣う分、心のふれ愛が薄れるのは事実だろう。 『先生にとって生徒はみんな自分の子どものようなものだ』 『君たちのことを一生忘れません』 この言葉が正々堂々と言える人でなければ、彼らの前に立つ資格はない。そう思う。時間を守らないのではなく守れない。挨拶をしないのではなく出来ない。正しい言葉遣いをしないのではなく出来ない。なぜ、出来ないのか、それは正しく教えられていないからだ。正しく教える人がいないのだ。私はかつて恩師に人間として、何が大切であるかという生き方を教えてもらった。自分もそのような教師になりたいと思った。いい意味で国語の教え方の上手い教師をめざしたのではない。イマドキの中学生で心から「仰げば尊し」と思ってくれる人はほとんどいないだろう。おそらく、この言葉の意味すら知らないのではないだろうか、それは私達教師の責任だ。仰いで貰える様なことをしていないからだ。 彼らにいい影響を与え、感化出来る教師をめざさなければ申し訳ないことだ。自分の意志と心自流ベクトルが、私の錆を落としに掛かっている。彼らを輝かせられるように先ず自分が輝こう。光が届くように・・・。 (2005年 6月 29日 [水曜日])
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イチローの言葉 |
イチローが雑誌のインタビューに答えて「僕を天才という人がいますが、僕自身はそうは思いません。毎日血の滲むような練習を繰り返してきたから、いまの僕があると思っています。僕は天才ではありません」と言ったと『イチロー思考』という本に書いてあるのを見つけた。「毎日血の滲むような練習」この言はおそらく嘘か誇張だと思われる。譲って誘導尋問に掛かったかであろうが、イチローはそれすらもないはずだ。TV、新聞記者のインタビューは即日性があり、第三者が同席しているが、雑誌の場合は編集方針・記者の主観で改ざん、翻意することができる。インタビューから活字になるまでにもタイムラグがありすぎる。 小生も持論を固執するあまりの偏見があるからかもしれないが、イチローは「潜在意識活用の天才である」と思っている。 チャイコフスキィー・コンクールの優勝者のスタートから栄冠までの平均期間は17年。タイガー・ウッズもイチローも始めてから15年と書かれている。今回の全米女子オープンは20歳のバーディ金が優勝した。ミッシェル・リーは15歳のアマだ。年数が合わない。言葉、文字は専門家も素人も、自分の言を正当化させるために「自分サイド」の情報を基に表現する。そこに「善意」が欲しいのだが、メデイア・マスコミの良心に訴えたい。 イチローは自慢をしない、クールに謙虚に野球を自分を愛して直向に生きる。そこに人間としての魅力があって、そこに惹かれるのだと思われる。3割を切っているイチロー、その戦いにも凝視したい。 (2005年 6月 28日 [火曜日])
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掛け軸への想い |
ご縁を戴いて、生まれて初めて掛け軸を書かせて戴いて製作をさせて戴いた。「日本心」「宇志」「舞」「心燃」「一日一笑」 「一人良懸命」 私が日本一美味しいと思っている焼肉屋さんのそれぞれの個室にかけさせて戴くようになっている。オーナー・デザイナー・建築家が三位一体になって「和美=侘び」をテーマに創作された店舗創りに、私も参加させて戴いた。 日本心=日本人の心、優情。 宇志=宇宙の志、宇志=牛=うし。 舞=飛翔する、舞=マイ=MY=私という想い。 心燃=心を燃やして信念を貫く。 一日一笑=一日一生。美笑、笑いを大切に。 一人良懸命=一食懸命の食を、人と良いに分けて一人の良い人のために命を懸けるとい思いで、読み方としては「いしょくけんめい」と読んでいただく。 主人公は焼肉の味。そこから進展して人の和、和美へ。お客様と店のスタッフと食材とすべてのものの調和。この想いが伝わってきっと繁盛、繁情、情が繁って満員御礼になることと思う。 (2005年 6月 27日 [月曜日])
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命流交心(メールこうしん) |
今、目の前の子供たちと同じように15年、20年たった時にこのようなメールの交心が出来ることを願う。塾の教え子の仲人もさせた戴いた。結婚式にも出させて戴いた。2代目の生徒さんもお預かりさせた戴いている。塾の先生は学校と違って継続性がある。一人の人間の成長を伴にさせた戴ける。なんと有難いことであろう。下記は教え子さんとのメール交心である。 ■先生、西口先生。メールと掲示板の書き込み、それぞれに先生の言葉を抱きしめています。これは生涯の宝となります。本当にありがとうございます。四十を目前にして、「四十にして惑わず」となれるかどうか、わかりませんでしたが、先生のお言葉で迷いがなくなりました。僕はこの道を行くことができます。一歩一歩。先生がいらっしゃると思えば、やはり、ほんとに気持ちが助かります。「字遊人 西口賢治先生の言葉」更新しました。またお立ち寄りください。感謝。(6/24) ■先生、寝ぼけていました。「夜明けのコーヒー」で、先生が何度も僕らにおっしゃっていただいていたのは、「伊豆の踊り子」です。「野菊の墓」などと書いてしまい、申し訳ありません。大事なところです、ここは。すいません。直しました。 あの当時、「伊豆の踊り子」も読んだと思いますし、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石、薫り高い文学への扉が開いたのは、先生のすすめによるものでした。先生、昔の文学は美しいですね。美しいものに触れたくなって、ついつい押入れの文庫を探し出すという事もあります。あの頃、本気で執拗に文豪の作品に触れることを先生は僕らにすすめました。「トロッコ」、「羅生門」などなど、いつまでもいつまでも読み返してみたくなる数多くの作品がありますね。ありがとうございました(6/26) ■山崎君 いいえ、決して間違いではないですよ。あなたの心の襞に微かに付着している記憶は正しいものです。 文学に出愛をしたのは伊豆の踊子ですが、涙を流して読んだのは野菊の墓です。 去年の夏、「矢切りの渡し」を訪ねてきました。そして、また、読み直しました。 心の襞に付着するような教育、素晴らしいですね。あなたが書いてくださるのを読ませていただいて、 今、沸々とあの頃の情熱が蘇ってきています。思い起こせば、あの頃が一番、無心で君たちと対峙して いたときだと思います。あれから、小生も年をとり、親も子ども達も大きく変り、あの時以上に情熱を懸けないと いけないのに・・・。そう反省させられました。あなたに神謝です。天の啓示を持って、今この時にあなたとの再会を 与えて下さったのだと思います。『教育は情熱である』 これがあの当時の入塾案内に書いていた言葉です。 原点に返れます。あなたのお蔭で・・・。有難う。(6/26) (2005年 6月 26日 [日曜日])
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学ぶ |
定期テスト対策で中学生が毎日、塾に来て勉強している。その様子を見ていると、成績が一目瞭然にわかる。問題が出来ないのではなく、英数が難しいのではなく、勉強することが難しく、勉強できないのだ。車が急に止まれないように、勉強もまた急には出来ない。この辺は間違いなく能力の問題ではなく、勉強に対する意識と習慣など、考え方に起因するところが大きい。しかし、 その親たちは「頭が悪い」「やる気がない」「親も出来なかったから仕方がない」と納得してしまう。これは納得してしまうというよりもアキラメだ。勉強に限らず何事に対しても、アキラメタラ終わり。諦めなければまだまだ期待は持てるのである。そのような生徒さんや親御さんの意識に応えて、私達は子ども達を育て指導していく。それが塾の役割、私達の務めである。親子教師が一体になって一緒懸命にやれば、必ず子ども達は伸びてくるはずだ。 50分間、静かに集中して勉強をすることは、確かに至難の業でもある。しかし、人間の能力からいくとトレーニング・練習・お稽古することによって身につけられる。残念ながら、それは「がまん」するということを身につけないといけない。あるいはプラス発想でとらえれば、学ぶということが自分にとって、どのようなことであるかを理解するとか、学ぶことを歓びを知るとかということであろう。そのような一つのキッカケとして、先ず、テストでいい点数を取らせたいと取り組んでいる。子ども達との勉強は緩急自在にありとあらゆる方法、形。試みをしてやっていかなくてはならない。理想を求め、現実を凝視して、学ぶ力・学び方・学ぶ心を育てて生きたいと思っている。 (2005年 6月 25日 [土曜日])
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眼の保養 |
京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり 結城に素描の綴れの帯が 池の水面に映ってた こんな唄が流行ったのも3,40年前の時代。大学時代にこんな唄を口ずさみながら、栂尾・高山寺、嵯峨野・大覚寺などを歩いたものだ。今日は東京からのお客様があって大原まで行って来た。梅雨の合間の木々が潤って緑陰が美しく映えていた。三千院門前で湯豆腐を食べて、しばしの間、寛ぎのときを過ごした。9時前に芦屋を出て3時半には尼崎の塾に戻って来た。ゆっくり大原を散策してとまでは行かないが、心和ませる時を過ごせた。九頭竜大社からの山々の眺めを携帯電話のデジカメで撮ったものを眼の保養に・・・。 この「眼の保養」という言葉は、ある程度の年を迎えるとわかるものだろうか?これから先、死語と化していくものだろうか?子ども達には難しいものだろうか?決して走ではないと思う。大上段に教育という言葉を持ってくるのには抵抗を感じるが、教えられたら学べることだ。だから、誰かが誰かに伝える、教えるということを怠ってはならないと思う。残念ながら好ましくないこと、悪いことはTVなどから自然に入ってきてしまう。だから、良いことは意識して「伝えなければならない」。大人の怠慢はすべて子ども達に伝播していく・・・。 (2005年 6月 24日 [金曜日])
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慰霊の日 |
「オバァの祈り」〜慰霊の日に〜 美ら島の 美ら海が 汚れいく ご先祖様が守ってくれた 大事な、大事な宝物 口に出しては云わないけれど 心の中で泣いている 七十過ぎたこのオバア 何もできない情けなさ 黙って座って願いを託す 美ら島の 美ら海が 消えていく 私のオジィが守ってくれた 大事な、大事な宝物 強行姿勢はとらないけれど 肝の中で泣いている 八十過ぎたこのオバア 何もできないはがゆさに 黙って座って心で叫ぶ 美ら島の 美ら海が 奪われる 部落のみんなが守ってくれた 大事な、大事な宝物 武力行使はしないけれど 胸の中で泣いている 九十過ぎたこのオバア 何もできないこの辛さ 黙って座って想いを祈る ■辺野古の米軍海上基地反対運動に座り込み運動している地元のオバア・オジイに支援の気持ちで作詞させた戴いたものです。 (2005年 6月 23日 [木曜日])
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潜在意識 |
夢を持とう この世は、努力でも、勤勉でも、学歴でも、人脈でもないのだ この世は、夢を持ったとき、夢を持ち続けたとき、 その夢を実現させるためにいろいろな働きかけをしてくれる、 そんな「シンクロニシティックな世界」なのだ。 夢を持とう 諦めないで、夢を持ちつづけよう! 『ストン!』あなたの願いがかなう瞬間(とき) 風雲舎 藤川清美著 ¥1400− 生徒さんをいかに伸ばしていくか、自分がどのように成長していくかをずっと考え続けて来て、今「潜在意識」と出会っている。この本は朝刊の広告でストンと眼について、直ぐに購入した本だ。著者の方は自分でも言っておられるが、普通のおばさんで学歴も能力もなく「潜在意識」を活用して成功を収められた、とてもわかり易い内容の本。冒頭の分は潜在意識を研究しておられる方の文章だが、とても共感する所が大きい。 子ども達を見ていると、自分で自分の事をダメだと思い込んでいて、ドンドンその深みにはまっていって、前向きな気持ち、やる気を喪失して、勉強だけでなくいろいろなことから逃げている子が多い。その大部分は親・教師がそのように導いているのだが、その張本人である親・教師が、それをわかっていないので困り者なのだが、せめて私と一緒に勉強している子ども達には、 心伸び伸びと解放されて、潜在意識が活用されて、思う存分に自分の力を出させてあげたいと願っている。 もう少し私も勉強すると「ストン」と潜在意識のコツがつかめそうな気がする。 『私は潜在意識を掴んで子ども達を伸ばしている』 (2005年 6月 22日 [水曜日])
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ホームページ |
☆山崎加杜矢さんのホームページ ■言葉は全てを創造する■ 江本勝博士の実験(「水は答えを知っている」サンマーク出版)によると、水は文字や言葉の波動を感じて性質を変えるという。良い言葉(文字)に出会った水の結晶は美しく整い、悪い言葉(文字)に出会った水は汚染されたように形を崩します。地球は水の星。私たちの体も7割以上が水分です。日々の言葉が身体や運命に与える影響は大きいのです。人類の言葉が地球環境を左右することは明白な事実なのです。 ■字遊人・西口賢冶先生の言葉■ 誰にも恩人がいらっしゃるでしょう。私にもいます。西口賢治先生です。一事は万事です。一人は万人です。私を導いた先生の言葉が、きっと他の方々をも導くことでしょう。 (山崎さんのホームページより抜粋) 「あなたの夢を実現する それが私達の夢」そう考えると教え子の成長と自己実現が私達教師の夢、楽しみである。山崎さんは甲子園学習塾の3期生。私が27,8歳の青春時代に出会った生徒さん。今や彼も40才?25年前の言葉を覚えて下さって、それを一つの教えとして生きてくださっている。なんと有難いなんと尊いことであろうか。それを思うと彼らの前に立つこと、彼らに発する言葉については、本当に想いと重要性を持って対応しなかればと思う。教師たるもの「言葉」の重みを知るべし。 (2005年 6月 21日 [火曜日])
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潜在夢意識 |
潜在意識は「何」によって擦り込まれるのだろうか?どのように形成されるのだろうか?専門家が日々研究しておられることであろうが、愚者の管見で推測するに二つあって、一つは心に感じたこと、反応して潜在意識に入ったものであり、もう一つは、顕在意識で言語化されたものが入ってくるのではないだろうかと考える。ならば、後者の方は、美しく正しい肯定的な言葉をわが心に擦り込んでいけば、かなり潜在意識は形成されるように思える。 それがいい形で60兆の財産である身体の細胞に影響すれば、大いなる成果が期待できるように思っている。今、私は私自身を実験台にして挑戦している。 ご縁を戴いて、ある私立の中学校さんに遊書『夢』を頂戴していただいて、今日、対面してきた。素晴らしい場所に飾っていただいて夢が微笑んでいた。壁面は大部分がガラス張りになっていて、その背景は竹の庭(景色)になっている。N先生、曰く「ここにぴったしですね。サイズも丁度ですし、ここに来るようになっていたのですね」。沖縄・東京など各地を回って『夢』自身が棲家を求めたのだろう。中学生の子ども達に毎日、見てもらって、そして、彼ら12〜15歳の心と眼に触れて、潜在意識に注入されていけば『夢』が大きく育つように思える。力強い溢れるような『夢』であり、大袈裟に言えば神憑り的な作品。皆さんに愛されたら小生としては無類の喜びである。 (2005年 6月 20日 [月曜日])
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イチローと中田 |
そう言えば、イチローと中田(英)はその風貌に類似点があるよう気がする。武士というよりも侍、武士というならば野武士のような逞しさが覗える。2人に共通して言えることは、管理・客観性・工夫・計算(計画)・行動、いわゆる「男のカ行」というのがしっかりと出来ている。そして、言動が素晴らしい。的を射た言葉が適格に出てくる。自分をいつも客観的に見ているため冷静にモノをいう。2人とも今や、その世界では国内において第一人者であるが偉そぶらない所がいい。謙虚謙遜も過ぎるとスポーツマンらしくなくなるが、そのバランス感覚も取れている。自己を磨いたという自信に裏打ちされているのだろう。 コンフェデレーション杯とユース。金・土とこのところの深夜の試合でチョッと寝不足気味?でも好試合で結果を出してくれて応援のし甲斐がある。 (2005年 6月 19日 [日曜日])
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整理整頓 |
整理=乱雑な状態にあるものに秩序を与え、直ぐに利用を与えたり、流れがスムースになるようにしたりすること。 整頓=[「頓」は乱れる意。また「つくろう」意と取れば、「整」と同義]散らかっている部屋や物などを片づけて、見た目にきれいにすること。(新明解国語辞典・三省堂) 理と頓ではまったく違う。理は次のことを充分に考慮して整えることで、頓はその場を凌ぐために整えることだと小生は考えている。 人には得手、不得手がある。恥ずかしながら事物の整えについては、まったくもって弱い。いい意味で言えば、今、目の前のことに熱中しているため、そのことに一心であるために志事をすると散らがる。どうやらこれは母の遺伝であるらしいと分析している。決して母の悪口ではない。むしろ、讃辞だと思っているのだが、九州、佐賀県の生まれの母は「小事」に拘らず、阿蘇のようなスケールの大きさで「大事」を第一にした。事物ではなく人物、人間を大事にしたので、こと人間関係については、思いやりや優しさの点でこまめだったように思っている。事・物については無頓着だったように思う。どちらにもきちっと成される几帳面な方もいらっしゃるようだが、完璧主義は難しい。自分が自分に対して完璧を望むのは、その人の価値観の問題だが、それを他人に要求すると窮屈さが生じてくる。人間関係がギクシャクしてきてしまう。母は私に人様があって自分があると教えてくれたように思う。その母もまた、整頓の下手な人だったように記憶している。人間関係・志事関係においては整理できる人でありたいが、事物に対しては、もう、治りようがないのかもと思っている。 今日は、明日を含めて机回りの「整理」をしている。捨てることは頓することで、私のような戦後生まれのものに不自由した人間にとっては、一枚の紙でも簡単に捨てきれないで困っている。 「まあ、いいか」という、思いはええ加減さなのだろうか?大らかさなのだろうか? 出合(出愛)った人を一番大事にしたい。そう思っている。 (2005年 6月 18日 [土曜日])
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機事・機心。 |
孔子の弟子である子貢が、旅の途中で、水汲みに苦労している老人に、便利な道具のあることを教えて、老人曰く「」それぐらい知っているさ。だが、機械を持っていると、機械を使う仕事(機事)が増える。そうなると機械に頼る気持ち(機心)が生まれて、ますますそれに頼ろうとするだろう。機械に頼るばかりになってしまったら、いったい、どこに人間の精神が残るというのかね。わしは道具を知らずに使わないのではない。そんなものを使うことで、精神が汚れるのがいやなのさ」と答えた。 『荘子』に書かれた話である。2000年以上も前の書物である。 今や、小学生ですら携帯電話を使う時代になった。本当に必要性が高いのだろうか。ないよりはあったほうが便利に越した事はない。カーナビが標準装備になるのも、時間の問題なのだろうか?カーナビがなくともドライブは出来る。人生に師、指針がなくても生きていける。でも、有無によってどれだけの差が出るかを考えると、カーナビはなくとも人生の指針となる師、人生を導いてくれる人は必要だと思う。機械に使われている人間の如何に多いことか、2000年以上も前に警告されたことが、危惧されたことが、想像以上に好ましい現状になっているようだ。人間性、心を大事に生きて生きたいものだ。 ■中三の受験クラスで授業の終了後に「輪読」している教材だ。卒業するまで続ければ、将来的に必ず成果がでると確信している。 (2005年 6月 17日 [金曜日])
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考えと文字 |
AS A MAN THINKETH. James Allen THOUGHT AND CHARACTER The Aphorism ,”As a man thinketh in his heart so is he,” not only embraces the whole of a man’s being, but is so comprehensive as to reach out to every condition and circumstance of his life. A man is literally what he thinks, his character being the complete of all his thoughts. ■生徒のお父さんから、ジェイムズ・アレンの英語の原書を戴いた。なんと有難いことだろう。このような生徒さん、そして、そのような保護者の方が塾生の親としていてくださる事に誇りを感じる。先日の土曜日のセミナーにもお母さんが来て下さっていて、その内容にも共感をして頂いた。言葉の大切さについて、お花詞をさせて戴いたのだが、このジェイムズアレンの「考えと文字」というタイトル一つ見ても、同じ思いのことが書いてあるのだろうと予測される。ジェイムズアレンの「原因と結果の法則」を読まさせていただいて、10冊近い氏の本を買いこんだ。約100年近く前のイギリスの哲学者・思想家だが、特にアメリカの成功者、成功法則のマーフィー、ディール・カーネギィーやナポレオン・ヒルなど、多くの人が影響を受け範とした人物だ。 『人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である』この言葉などは実に素晴らしい含蓄のある言葉だ。去年の初めごろに本と出合って読んだものだが、私にとって、まだまだ未熟とはいえ50を超えた男にとって、ずっしりと重く受け止められた言葉である。 原書を戴いたということで、本文53ページのものなので、少しずつ勉強しながら訳しなさいという、神の啓示のように受け止めさせていただいている。神謝のうれしい一日だ。 (2005年 6月 16日 [木曜日])
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ミリオンダラー・ベイビー |
ミリオンダラー・べイビー 主演/クリント・イーストウッド(監督) ヒラリィー・スワンク モーガン・フリーマン 第77回アカデミィー賞主要4部門受賞。作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞。ゴールデングローブ賞主要2部門受賞。最優秀監督賞・最優秀女優賞。 主演のヒラリィー・スワンクは見事に10冠王に輝いた。作品としての脚本が素晴らしかったの一言に尽きるが、彼女の演技が秀逸だった。2度目の主演女優賞は立派だが、前作の「ボーイズ・ドント・クライ」は99年に合計20の賞を総なめにしたものだが、これは性同一性障害の役を熱演したものだが、多分に社会性・話題性が受けたものである。今回は正真正銘の受賞といえる。94年に「ベスト・キッド4」で主役を演じたあの子がと思うと、努力もさることながら運がいいのだろうと肯いてしまう。 人間が生きる世界には<不条理>なことが起きうる、なぜこんな酷いことを、なぜこんなにも非道なことが、この作品もミリオンダラーを掌中に納めようとする瞬間に、思いもよらない不幸に見舞われる。それも事故や災難であれば、許されもし諦めもつこうというものだが、悪の力によって不条理が起きると許せないと思ってしまう。映画を見ている者すべての人が、「なんて酷いことを」と悲しませ憤怒させた所にも、この映画の成功がある。ましてや「尊厳死」と簡単に片付けられない結末は、映画を見終わった後々まで、尾を引いて考えさせられる。「私がヒロインだったらどうするだろう」「私がイーストウッドの立場だったら」。映画というフィクションに引き込んで現実の自分の問題として考えさせる、そんな映画は簡単には作れない。ここは映画人、クリント・イーストウッドに心からここ讃辞と敬意を表し拍手を贈りたい。 クリント・イーストウッド、75歳。TVシリーズ「ローハイド」で日本でもお馴染みになり、「荒野の用心棒」でマカロニウエスタンのスターとして地位を築き、「ダーティ・ハリィー」で、ハリウッドのドル箱スターの座を不動のものとした。ここまでだとアクションスターとしてのイメージが強いのだが、後86年から2年間、カーメル市長をしてから、これがキッカケだったのかどうか、見事に変身した。今や、アメリカ映画界になくてはならない存在となっている。男75歳にして、人生の『旬』を迎える生き様は尊敬に値する。おそらく彼は映画に生き映画に死んでいくのであろう。その生き様も「映画 クリント・イーストウッド」を演じ続けて行くのであろう。助演男優賞に輝いたモーガンフリーマンは、今や名俳優、名助演俳優の域に到達しており、その存在感たるや出てくるだけで映画が映画になる。この3人のこれからが楽しみでしょうがないと思わせた。 クリントが演じた役柄は、ボクサーを育てるという指導者の立場。いかに指導者が大事であるか、すべては指導者次第であるということがわかる。そこには指導者としての魂がある。命をかけた思い、それが育てるということにおいて一番大切なことである。中途半端では、時に害になることもあるということを教えている。芸術が死に物狂いの産物であるならば、教育も命がけでやらなければ成果は、そう易々とは出せない。そのような真髄をラストシーンで見たような気がする。 (2005年 6月 15日 [水曜日])
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活字中毒 |
このところ心が本を求めているらしく、読書付いている。 「夢をもとめた人びと・4 愛と宗教(玉川学園編)」「朝の誓」「読書感想文の書き方」「ジュニア新訳聖書」「にじいろえいが」「アイデア篆刻」「敦煌への道」 「夢をもとめた人びと」は河口慧海・内村鑑三・良寛・ザビエル・ルター・一休・空海・玄奘・マホメット・イエスキリスト・釈迦・孔子の12名の人物伝が小学生向きに書いてあって、楽しく面白く興味深くわかりやすく読める。この前の「15少年漂流記」もワクワクして読んだ。中1の生徒さん10人に聞いて見たところ、キリストを知らない子が1人、お釈迦様を知らない子が半分の5人。正直なところショックだ。モーニング娘を知らない人は誰一人としていないだろう筈だ。 今、中3のあるクラスでは、村上哲郎の「この言葉!」生き方を考える50話を授業で使っている。6年生には詩を読ませたり童話を読み聞かせしている。塾の授業はどうしても問題を解くことが中心になりがち、それは学校で基本をやってくれているという前提であったが、もはや、読むこと書くことの基本が出来ていない。遠回りでも、心の栄養のためにも「読書」指導をじっくり取り組んで行きたいと思っている。魚をあげるのではなく魚の捕り方を教えるという、ユダヤ人の知恵を素直に学ばさせていただこうと思う。病気もうつるが元気もうつる。活字中毒をうつすことが出来無いものだろうか? (2005年 6月 14日 [火曜日])
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箕面から勝尾寺へ |
箕面にある私学の学校説明会があって参加してきた。帰りに少し足を伸ばして車で箕面の滝へ行った。小学校4年生の時、以来だから45年ぶりぐらいになる。ほとんど昔の記憶も面影も薄れていて、はじめて行ったような気がした。緑陰に中でお弁当を食べて滝の音を聴いて心はリラックスできたように思える。 ここは恩師の山岸先生が6,7人の生徒をプライベートで連れて来てくださった所だ。崖側を歩いていて少し滑って、危うく落ちそうになったのを先生に腕を掴んでもらって救われた。いわば、命の恩人でもあり、私を教師になりたいと思わせてくれた大恩人でもある。この先生との出愛で私の中に人間革命が起きて、私は変身した。もし、出合っていなければ全然違う、恐らく好ましくない人生を歩んでいただろうと思う。本当に人生で、誰と何と出会うかによって変るもの、決まるもののように思える。 もう一歩足を伸ばして、はじめて勝尾寺へ参った。たくさんの書を頼んで戴いて、それを書かせていただく「水」を頂に行った。私の書は書くというよりも書かせていただくと言った方が当たっている。思った字など書く術がない。だから、神頼みでいい字が書けます様にとお祈りをする。相手の方の気を戴いて、水や墨や筆も、頂戴したものを使わせて戴いて書かせて戴く。自分でも思ってもいない様な字が生まれたりして、嬉しくなる時がある。好むことは楽しむことに如かず、という想いで愉しんで書かせて戴いている。まだまだ、注文を戴いて書くのには10年ぐらい早いのだけれど、ノーと言えない私は心だけは込めて書かせて戴いている。 (2005年 6月 13日 [月曜日])
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教え子からの便り |
『念ずれば夢ひらく』この言葉は坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」から戴いたものですが、あなたが小生と出合って25年余、ずっと念じてこられたことを今、萌芽させようとしておられることに心から拍手をお贈りします。感動を覚えます。大きな感動は「神動」に繋がります。それが自己のためでだけでなく、世のため人のためになることであれば、神様が動いてくださいます。人はみな、天使であり神様です。天使も神様も仏様も善なるものに動かされていきます。マザーテレサ天使に出会って、1億分の1、学美(マネビ)をさせて戴くようになって、そのことを実感しております。 山崎クン(一番慣れ親しんだ呼び方でお許し下さい)の言葉・作品に触れさせていただき、心洗われます。言葉は一つの魂です。魂生(こんじょう)、魂に生きるとは言葉を磨き自分を磨くことに通じるものではないかと思っています。同じ想い、願いを持った人がこの星(地球)にいて下さるということに感謝・神謝・歓謝します。この星にたくさんおられるお仲間の人に出会って『連愛ごっこ』をしたいものですねえ。お互いまだまだこれからです。坂村真民先生は96歳の年で、今も尚、平和祈願の詩を毎日創作しておられます。お互いお月愛を深めていって学美愛していきましょう。 ■教え子の山崎加杜矢さんからのメールにお応えして、彼の掲示板に書かせて戴いたメッセージです。私にとって教え子の成長が一番の誇りであり歓びである。 (2005年 6月 12日 [日曜日])
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教育セミナー |
■前回お話させてもらった時も、今日の様にいい気持ちになって家に帰りました。自分が大人になって他人に色々な事を教えてもらうことがないのでこれからもよろしくお願いします。ありがとうございました。■とても勉強になりました。心にとても届きました。これから少しずつ実践していきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。■子どもが塾長の話がおもしろいと言っていた意味が良くわかりました。集中力がなくどうしたらいいか悩んでいました。親が変れば子どもも変る。一緒に成長したいです。ありがとうございました。 久しぶりに父母会として教育セミナーをさせて戴いた。その分気愛が入りすぎたかも知れない。自己採点は70点。土曜日の夜にわざわざ来て下さったご父母に対して80点は出せないと、失礼かなあと少し反省している。沖縄の中学校・上海の日本語学校・大阪の企業・他塾。他所でさせて戴くと、やはり気軽さがある。自塾になるとご父母はお客様、ある面で気を遣う。まだまだ、講師として勉強する部分が一杯ある。一杯あることに感謝しよう。次回は80点をクリアしよう。ご参加戴いたご父母に心からありがとうと感謝したい。 (2005年 6月 11日 [土曜日])
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本トの出愛 |
「夢をつかむ イチロー262のメッセージ」ぴあ\1000- 「あったまる禅語」アスコム\1000- 「もったいない」マガジンハウス\952-+ 「みんなのためのルールブック」草思社\952-+ 「こころの朝」1万年堂出版\1500- チョッと気になる本、「ストン」潜在意識に関してのものを買いに本屋さんに寄ったら、それがなくて他のものを見ているとついつい買ってしまった。5000円超。いつに間にか本当に本代が高くなってしまった。学生時代と言っても40年近くなってしまったけれども、文庫本は100から200と相場が決まっていた。コーヒーが一杯200円前後の時代、スポーツ新聞が30円だっただろうか? チョッと奮発しないと本が買えないというのは淋しいというよりも怒りを覚える。 最近、読書付いていて、読書欲も旺盛である。積読ながら一度数えて見ないといけないと思いながら、5000冊はあるだろうか。手元にあるといつでも読めるというのがある。最近、買わない本がビジネス書。それ以外はバラエティに色々な本を購入している。勿論、専門書を買うということはないけれども。 イチローの言葉は262の中にも「努力」という言葉は出てこなかった。読んでいて確認したことだが、この点は小生が評価しているところで更にイチローの素晴らしさを再認識できた気がした。一流の人は努力という言葉を簡単に使わない所に、一流であると思う。 2004年ノーベル平和賞受賞者でケニア共和国環境副大臣のワンガリ・マータイさんが日本で見つけた言葉「もったいない=MOTTAINAI」 日本人が忘れていた精神という説明がついているものである。マガジンハウスはユニークでおもしろい本を出すが、この言葉に注目をしたところは大いに評価できるものである。 (2005年 6月 10日 [金曜日])
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祈り |
愛すること、希望することを どのように始めましょうか? 一緒に祈る家族はいつも一緒にいます そしていつも一緒にいれば、 自然とお互いに愛し合い 必要とし合うようになります。 今日、祈りを生活に取り戻す必要があると 私は感じています。 あなたのお子さんに、 祈りを教えてあげてください。 そして一緒に祈ってください。 <マザーテレサ 日々のことば> 私はたくさんの生徒さんの前に立つ身として、クリスチャンでもなくブッディストでもない立場をとっています。しかし、マザーテレサには畏れと敬愛の念を持っています。空海にも大いに惹かれるものを持っています。人類の世界遺産としての大人物の教えには大いに学びたいと願っています。 『チャリティ遊書を通じて愛と平和を』を願ってボランテイア活動させて頂いている立場として、いつも愛と平和を祈り続けたいと思っています。 (2005年 6月 9日 [木曜日])
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ちいろば先生物語 |
時計を見たら3時(夜中)を過ぎていた。久しぶりに熱中して読み終えた。クリスチャン榎本保郎先生の物語。ご子息の恵さんは何度かお会いしてお知り合いの仲だが、いい意味でも偉大な存在であったためかお父さんのことは一度も話題に出されたことはないが、こんなに素晴らしい方だとは存じ上げていなかった。 戦後のキリスト教界に大きな功績を遺されたことは言うまでもない。わが身を捨てて神(イエスキリスト)に全てを委ねた生き方。文字通り命を懸けて世のため人のために尽くされた、その生き方には敬服を超えて畏れを感じる。戦時中に満州でお国のために聖戦と信じて戦い、戦中戦後の日本軍の残虐非道な横行を目の当たりにして自暴自棄になり、復員後キリストとの出愛があって牧師になる。キリスト教界にあっては知らない人はいないのだろうが、残念ながら一般的には無名?なのだろう。この三浦綾子さんの本を読まない限り、この人物とも出会うということはない。私との勿論、次元に格段の差があるのだが、マザーテレサに感化されて、少しでも「世のため人のため」と願って遊書展を始めさせて頂くようになって、大いなる尊敬の念を持つと同時に、憧れと同時に影響を受けた。氏は神に委ねて生きられたが、私は世の人に用いられて、必要としてくださる方あればそのお役に立てば、他に出来ることが何もないので、字遊と夢語りをさせていただければの念じて来た。基本的にボランテイアの姿勢をとっている。お蔭様で私塾をさせて頂いているので、オマンマはそれで食べさせていただいている。字遊は多くの方に、決して字でお金は頂戴しないと誓願した。書をしている方に対してそれは失礼千万なことだと自覚している。本音の所は、お金をいただけるならば嬉しいに違いないのだが、お金を貰うと私の字が「濁る」と思っている。確かにボランテイアでさせていただいている分、プロ根性がなく、何処かに甘いところがあるなぁというのは自覚している。それを生業にしているならば別だが、字でお金を頂戴することなく、字遊を自由に書かせていただこうと願っている。 在家・俗人・自由の身として、祈りを捧げ願をかけて皆さんのお役立ちを願っていこうと思っている。 一歩でも二歩でもいいから榎本先生に近づきたいと願った。誰からも人望を集め慕われ、説教をすることで人を救い指針を照らすことが出来るというのは素晴らしいことだと思う。 (2005年 6月 8日 [水曜日])
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感化 |
先日の書との出愛で影響を受け、学美(マネビ)をして今日書いてみた。『龍舞都栄人笑』=龍舞い都栄え人笑う。何でもいいから美と出会うと嬉しいものだ。美は学習である。審美力(心美力)はやはり美しいものを見ることによって備わるものだと思われる。色々と書いてみたら結構おもしろい字が書けた。 私と同じ歳でY先生は7歳から、書を始められたから経歴50年近い、本当に素晴らしい芸術的な書を書かれる。勿論、人間的にもお洒落で粋で憧れのお友達であるが、この先生に憧れて始めたのが、私の字遊への第一歩だった。50の手習いヨロシク、習いにいこうかなァと相談したら「もう、今からは無理やァ 自分で愉しんで書いたら、西やんの字おもろいでぇ」この一言に勇気づけられて、今や恥も外聞もなく、お声をかけられるままに何でもお引き受けさせていただいて、何処へでも行かせて戴いて遊書展をさせて戴くようになった。 ■皆様のご縁とお蔭を戴いて小生生活生涯のうちにチャリテイ遊書展を100回させて頂けるように願をたてました。微力ゆえ皆様のお力添えを賜る中で一歩一歩機を積んで参ります。ご支援をお願い申し上げます。 《この日志をお読みくださった方で、それではと思って下さいます方は、どうぞ、お気軽にお声掛け下さい。最高250人から最低1人で、ボランテイア活動でさせて頂いております》 (2005年 6月 7日 [火曜日])
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育千愛(そだちあい) |
懇意にお付き愛をして頂いている焼肉屋のI社長さん。梅田に新しいお店を出されるに当たって、氏らしくコダワリニこだわったお店作りをしておられる。今日は小生の作品、掛け軸を掛けて下さると言うことで「日本心」の書を見ていただいて。一緒に表装して貰いに行った。きれ地模様一つにも、社長とデザイナーの方がこだわって注文を出された。7月オープンに向けて建築中で月末に店舗の内装が整ったところで壁地に字を書かせて頂くことになっている。これだけ思い入れをしておられるお店に、小生の字を、というのは少しというか、かなりのプレッシャーではあるのだが社長さんが、上手い字、キレイな字を書く人は何人も知っている。そうではなく「先生に魂を入れて欲しいのです」といわれると、お断り出来ない小生の性格がある。分相応の分を超えているのも自覚はしているが、魂を入れさせていただこうと思っている。明日から3週間、お稽古をさせて戴いて書への祈りをさせて戴こうと思っている。社長の思いに応える姿勢から先ずは入らせていただこうと思う。小生の字は相手様の気を戴いて、その想いを入れて書かせていただくのが真骨頂。お客様とお店の繁栄に繋がる字を書かせていただこうと思っている。 このようにして皆様から機会を戴いて、育てて頂いている。決して上手な字を書こうとせず、見て下さる方にいい気が伝わる字を表現させて戴こうと思っている。 (2005年 6月 6日 [月曜日])
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17−10 草野球 |
今日は春のハイキングで弁天町のプールズへ行った。尼崎本部校からは50名の生徒が参加した。あの疲れを知らない子ども達の元気さには脱帽する。1,2,3年生の女の子3人とお子守代わりに少し遊んだが、後はジャグジーに入っている回数の方が多かった。子どもたちがあれだけ楽しんでくれたのは本当に良かった。 帰ってきてから武庫川の河原で6年生の子ども達と野球をした。5人ずつの三角ベースで女子の生徒も3人混ざってツーアウトチェンジ。この遊び方はどうやら50年前から変っていないようだ。それぞれに一人ずつ先生が入っての草野球。久しぶりの野球は実に楽しいものだった。6年生相手だとまだまだ負けないというか通用するということが体験できたことは嬉しかった。何回打順が回ってきたのだろうか。一度もアウトにならず打つことができた。一度だけは河原の土手にダイレクトに当たるホームラン?やはり草野球と言えども大きい当たりをすると気持ちがいい。守備の方はピッチャーをして愉しんだ。ソフトボールは当たり損ねの小フライが多い。最初はダッシュよくファインプレーでキャッチしたが、取った後がもう少しで転けそうになる。走って打球を守備して、何度転げたことか。足が腰がついていかない。10点を取られたところで交代してサード兼外野の守備についたが、まだ、ボールに反応して追いつけるが正確にキャッチ出来ない。あるいはキャッチしたらそのまま転んでしまう。一方で足腰の老いを痛感させられた草野球だった。1時間半弱、終わった後の足腰の疲労感たるやもう半時間続けたらもう動かなかったかも知れない?子ども達に生徒さんに感謝する楽しい一日だった。 (2005年 6月 5日 [日曜日])
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祇園での散在 |
舞鶴のFさんを励まそうということで、祇園で中華料理を食べて八坂でお茶屋さんのようなクラブに行って、花見小路で飲んで午前様で朝の4時に帰って来た。中華は鱶鰭(フカヒレ)スープを売りにしているお店で200年ぐらいは経っているであろう、昔のお茶屋さんの家に手を加えてうまく改装した、雰囲気のある素敵なお店だった。流石にフカヒレスープは日本一を誇れる、絶品の旨さだった。味よし、雰囲気よし、気のおけない仲間と一緒となるとこれほどのご馳走はなく、幸せな時間だった。祇園を歩いてショットバーによってカクテルを引っ掛けて、とは行ってもスーパー下戸の私は「辛口のジンジャーエール」を飲んで充分に心はほろ酔い気分にさせて戴いた。八坂神社を高台寺のほうへ西に歩いて、とあるFさんの顔の効くお店へ。古い京都の家をクラブに改装した佇まいは、京都ならではの雰囲気で実に落ち着いた所だった。二階の部屋がカラオケルームになっていて。何気兼ねなく笑唄(しょうばい)、唄って踊って飲んで騒いで、酒飲みにとっては極楽、極楽ということなのだろう。 もう一軒と辿り着いたお店がまた、洒落ていて裏は花見小路を流れる小川に面していて、眼と心で涼を取れるところ。「龍舞都栄人笑」という全紙3枚分の書が眼を引いた。29歳の独身女性の書ということだが、初めて「清純な書」を見たような気になった。正統派の字というよりも、遊びのある字に何か親近感を持ち、小生は開眼したというか新境地を開いたような気になった。いい字に出会うと嬉しい。いい人に出会ったような気にもなる。 花見小路の町家を歩き、蕎麦を食べて帰路に着いた。 飲めない私にとっては飲み食いで散在するということがない。しかし、今日は散在することの面白さ楽しさを学ばせて頂いた。 どのお店もまた、行きたいと思ったのは当然か?? (2005年 6月 4日 [土曜日])
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カウント5555 |
朝、出勤して来て先ず一番にすることはパソコンを開くこと。メールをチェックして、ホームページを見る。今日、ホームページのカウントが5556になっていた。2,3日前からもう直ぐ5555になるなあと気にしていて、明日の土曜日ぐらいと思っていたのが今日の12時ぐらいにクリアしたようである。人から見ればどうってことはないのでしょうが、10000、1万を目標にしていて5000よりも5555の方が何か語呂合わせ的に嬉しいと思っていた。 6月3日、今年はあと約210日、1日10件でいくとまだまだ。20件だともう少しで1万というところになる。 毎日、更新している形になっているのが『今日生日志』、ここを充実させて面白い書き込みをしていくことがカウントの増加に繋がるのだろうか?折角、書いているのだから、せっかく、読んでいただいているのだから、チョッとだけ工夫して頑張ってみようと思う。ページの中身の更新も積極的に取り組んでいこう。 「今日の言葉」というのも面白いかも知れない。毎日、毎日、心語=新語を掲載していくのも面白いかも? (2005年 6月 3日 [金曜日])
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聖なる石 |
アメリカからの多美のお土産に、生徒さんの分を入れると200ぐらいになる。気は心と思って、勿論、高価なものは買えないけれど数は揃える。今回、女性の方にはローズクォーツの石を求めた。石にはある種のパワーがあるという想いと、贈る側の意志を付けて貰ってくださった方が意志を付けて身に付けてくださればと思って・・・。 Yさんは「聖なる石」をありがとうとメールで返心下さった。文字通り、心のお返しである。まだ、馴染んでいなくって、これからこの石とゆっくり語って見ますと・・・。別の方は、この石は恋愛にいいですよね・・・と。こちらが思った以上に受け止めて下さると、こちらが有難さを覚える。私はいつも、自分が頂戴した時は「心をいただき 心に感謝する」という言葉を添えて、御礼を申し上げたり、礼状を書く。一瞬、この値段では喜んでいただけないかなぁと、思ったことに恥ずかしさを覚える。 幸せの分かち愛、喜びの分かち愛それが出来たのであれば幸せである。神謝神謝。 (2005年 6月 2日 [木曜日])
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古本との出愛 |
映画・ビデオ鑑賞。読書。字を書くこと。多美をすること。読書は本を買うことも趣味の一つかも知れない。今日もブックオフに通勤途中に寄り道をして、10冊買って来た。正直なところ1ヶ月で全部読みきるということはない。買って置いておく、買うということで購買欲が満たされる。何か、まだ読んでもいないのに読んだ気になって、心が少し豊かになった、賢くなったような気になる。105円×10冊=1050円。この金額で心満たされれば安いものだ。 昔、京都の大学へ通っていた頃、丸太町河原町辺りが古本屋街で、一日中歩きながら時間を潰したことが何度もあった。あの当時は探して見るだけで買うということも不自由していた。それでも見ているだけでも楽しかった。今、古本と言っても昔とは少し感覚も違うし、安いというのがたまわらない。そのために余分なものも買ってしまうというのがあるが、机の周り身近に置いておくと、本と気があった時に読むことができる。本トの本当の出愛というのがある。「津田梅子」は素晴らしい人、素敵な人と出合ったぐらい良かったし影響も受けた。今、読んでいる三浦綾子さんの「ちいろば先生」も今年の初めに買っておいたもので、本の天使から、「今、読むときですよ」と声をかけられて読んでいる。これも身近にあるから声をかけてもらえたり、何となく本と視線があったりするのだが、ないとそういう訳にはいかない。 メールでも検索して新本・古本が購入できるようになっている。中高時代は参考書一つにしても、大阪では今、ヒルトンホテルが建っているところにあった「旭屋」まで行かないと揃わなかった。こんなに素晴らしい「本の時代」になっているのに、本を読む人が少なくなっているのは寂しいことである。 本の世界は、もう一つの虚構の自分の世界、宇宙を築く事が出来る。その世界こそ、無限大に広く宇宙に匹敵する。その世界の面白さを伝えたいのだが・・・。 (2005年 6月 1日 [水曜日])
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