慈愛・自愛・字愛 |
『自分を愛する如く 友を愛したい』 人は自分を愛する分の大きさだけ 他を愛することができるといわれています だから若いみなさんには 大きな広い愛を心の中に育ててほしい よい成績をとること よい学校に進学すること それはそれで一つの目的として みなさんの励みとなるでしょう しかし、もっと大事なものが 「ある」ことを決して忘れないでほしい 人は人を愛するという関わりの中で 多くのことを学びます 人は万物・対象を愛することによって 真剣に考え真剣に思い真剣に取り組みます 「自分を愛する如くに友を愛したい」 広い意味で友とは万物をさしています 我が生命を愛し、すべてを愛し 「生きる」ということを愛してほしい ■ ■ ■ 今は亡き、中三の時の恩師が亡くなる1年前に遺してくれた言葉に、小生がコメントを添えて書かせて戴いた。実際に現役で中学生として教えていただいていた時は、先生は直接的に「愛」という言葉を語られることはなかったように思う。おそらく、先生も自分の人生体験の中で、愛が如何に重要であるかを悟られたのであろう。しかし、語られはしなかったけれども、そのメッセージは伝わって来ていて、今、私が生徒さんたちに、出会った方に語らせていただいているのであろう。 恩師の遺志を継ぐ、それは私の使命であり、教師にとって大切なことであると思う。そのような教師に育てられて教師になった教師と、仕事として教師を選んだ人とは、自ずと教師観が違う。 「自分を愛する如く、生徒を愛そう」ここが原点だ。 (2005年 8月 31日 [水曜日])
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往復書簡 |
かー君 メール、本当に嬉しかったです。何か、何故か心に響きました。そして、愛たくなりました。いつ、甲子園に来る? 甲子園球場・但馬屋さん(牛心)といかなアカンとこが2つもありますよ!いつでも待ってます。17日に沖縄で会うほうが早いでしょうね。下記は伊藤社長とのメールのやり取りです。週に2,3回やり取りしています。かー君も、時間があたらまたメール頂戴ね・・・。二度とない人生だからいっぺんでもおおく便りをしよう。それは嬉しいことだから・・・・・。 西口先生 私も同じ気持ちです。心がふわーんと温かくなるメール、ありがとうございました。先生からのメールを開くときは、いつもドキドキします。今回はどんな一言が心に残るかな?自分はそこから何を得ることができるかな?って思いながら、大切に読ませていただいています。先生との字遊連愛でいつも元気をもらっています。ありがとうございます! 伊藤社長と先生との魂の快話、素晴らしいですね。 行間まで、何度も読み返しました。そして自分なりに昇華させましたよ。フォーラムに綴られていたマイクさんのメールも可笑しかったです!しばらくクスクス笑っていました。人と人は、ただただ「好き」という気持ちだけでじゅうぶんにつながり合える…ということの痛快なお手本のようでした。 トム・クルーズって、文盲なんですよね。読語障害っていう先天性の病気だとか。活字を見ても意味が汲み取れないから、映画の脚本は「声で」読み聞かせてもらって、耳から得たイメージだけに全知全能を注いでいるとか。今日の夕刊に載っていたイチローの記事にも感銘しました。断トツの最下位。なのに満員のセーフコフィールドの観客が、そのゲームの中でイチローにおくった一番の拍手と喝采は、2安打を放ったことではなく、4回の守備だったそうです。ノーアウト3塁での浅いライトフライ。ランナーの足や試合の展開からみて「タッチアップはない」。にも関わらず、イチローは助走をつけて捕球するなり、本塁に向かって糸を引くようなレーザービーム。試合後のインタビューで、「プロとは何か、ということです」「最下位に沈むチーム。だからこそ、やらなければならない」そう語っていた彼は正真正銘の一流。凄みを感じます。人間が持っているチカラって、ほんとうに素晴らしい。一度しかない人生。だからこそトム・クルーズもイチローも二度と来ない毎日に気合が入ってる!そう思います。…感心してる場合ではない。僕も、やるぞ!おやすみなさーい! ■「一緒懸命」という自家製の好きな言葉がある。これは数年前に、かー君ご夫婦が沖縄の北部を、一緒懸命に仲良くご案内していただいた時に出来た言葉、お礼に小さな詩のようなものを書かせて戴いた。喫茶店やショップ、レストラン。僕の好み、趣味に合う所を選んでパーフェクトに案内して下さった。もともとお互いが関西人で阪神ファン、言葉の感性も相性も何故か合う。兄弟というよりも親子に近い年齢さをがあるが、弟のような友達のような存在で、実は小生の「字遊人」の名付け親。字遊連愛党党首とも言って下さる。少なくとも小泉さんよりは真実を語っていると思うし、誰よりも日本を愛し日本語を愛し国民が連愛して結ばれることを願っている。50を越えて、人と人は年齢に関係なく学美愛ができるし、教えて貰う事も沢山気づかせて戴く。人生意気に感ず!美心美味バンザイ! (2005年 8月 30日 [火曜日])
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夏の陣終了 |
夏期講習が終わった。一区切りがついて、明日は実力テスト、明後日は個人面談で終了する。かつて20代の頃は休み時間も削って、1日13時間授業もこなしたが、流石にこの年になると体力・気力が落ちて工夫をした授業を考えるようになってくる。 鍛えたクラスは確実にレベルアップが図れた。子ども達の柔軟性には、いまだなお、驚かされる。乱暴な言い方をすれば鍛えれば鍛えるほど、やらせればやらせるほどなんぼでやってくる。普段の授業と違って1タームが5日間、中休みが1日あるとはいえ、ほぼ毎日のこと、宿題が1時間乃至1時間半分もでると、正直なところ、ちょっとおおいかなぁ、かわいそうかなあと思うが、それをきちっとやってきて力にしていく。第3者の人は、外部の人は「詰め込み教育」といい、可哀想だというが、子ども達自身は決してそんなことなく応えてくれる。子ども達と一緒に頑張っている身にすれば、ぬるま湯につけて怠けさせるほうがよっぽど可哀想だと思う。今、鍛えないで高校に入ってからとか、20代になってからとか、後で鍛えられる方がもっとしんどいことだと思う。子供の可能性、柔軟性、未知の力を見ると、「鉄は熱い内に打て」と思う。打つ人の愛情次第だと思う。 (2005年 8月 29日 [月曜日])
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千客万歳! |
美世咲のお客さん同士という繋がりで、マイクが塾に遊びに来られた。ホームステイ先の岩田さんと一緒に。岩田さんもまた、美世咲のファン。マイクは一度、数分立ち話をした間で、岩田さんは今日が初対面。でも、顔を合わせた一瞬で打ち解けることが出来る。「ああ、この人は仲間だ。同胞だ」と美美っと感じ合うものがある。10時に来られて3時過ぎまで、短い短い足りない時間を面白おかしく楽しく過ごした。マイクが9月2日にアメリカに帰るということで、餞別に遊書をプレゼントさせていただいた。あれもこれも押し売り気味に、荷物の邪魔にならないように頂戴して貰った。その場、その時の「快話」に任せてお互いの和気に合わせて・・・。フレンドリィーな大阪弁のメールが届いた。彼はAET(アシスタントイングリッシュテイーチャー)で大阪の中学で英語を教えた、ユーモアのある真面目なアメリカンだ。茶道のことを語り合って盛り上がったのには、3人とも互いが熱くなるほどエキサイテイングして話をした。 ■西口先生、 昨日を本当にありがとうございました!またいい友達できて感謝してるで!お茶のことも言葉のことも人生のことも全部お陰様で見直すことができた!色紙もノートも大切にするからな! また次の出愛を楽しみにしてます!アメリカでか日本でかわからんがその日まで元気でな!舞久より ☆☆☆ 4時からは入れ替わりに、中国上海の友達の趙さんが周さんと熔さんを伴って来られた。趙さんは20年来の友達で、その昔、20年前に上海に多美した時に出会って、旅先で困った時に声をかけてくれて案内して下さった人だ。20年来になるとお互いが家族付合いをする中になり、一緒にいて安心感がもてるようになるものである。夜8時から、梅田の但馬屋さんに案内して伊藤社長さんにお世話になり歓待をして頂いた。世界で一番、牛を愛しておられる伊藤社長に北京からのお土産、上海からのお土産として「牛」の置物を持って行って、こちらが思う数十倍喜んでいただいた。モノではなく心を受け止めて下さった。伊藤社長が店長さんが直々に焼いて下さって、最高級のステーキを目の前でカットして下さって、世界一の焼肉、ビーフを戴いた。今日はまた、格別に美味しく戴けたのは、舌ではなく心が味わったお蔭の様な気がする。伊藤社長の「牛談義」にも感動し、流石だなぁと脳ミソにも美味を戴いた。魂が、但馬屋梅田店の、あの個室で癒されて居心地の善さに酔いしれた。美しい愉しい素晴らしい一日だった。人と牛と伊藤社長に、そして、すべてに心から神謝。 (2005年 8月 28日 [日曜日])
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365日年中夢求 |
自画自賛すれば、365日分なかなかよく書けているのでは?と思っている。ホームページに書かせて戴いている分だが、もうすぐ9月1日、愛娘の誕生日である。アメリカにいて一緒に誕生日を祝ってやることは出来ないけれど、親父として少し早めのメッセージを・・・。この言葉に託して贈る。 9月1日 子供たちの夢を実現する それが私の夢 自分のためだけの夢ではなく 子供たち・仲間・みんなの夢を実現することも一つの夢 達成した夢の喜びはみんな一緒 みんなうれしい 9月2日 「you-me」(ゆめ)という言葉の響きは大脳を活性化させる。 すべての言語にはイメージが存在している 言葉の響きで大脳はすばやく反応する you-meは大脳から潜在意識に美しく響いて活力を湧かせる 9月3日 夢には実現するための「原因」と「結果」がある 正しい思考が正しい要因を生み出す 正しい要因が原因をつくり結果を導き出す それは宇宙が正しい働きによって存在しているからだ 9月4日 花暦(はなごよみ)・夢暦(ゆめごよみ) 花暦があって花が咲く季節がある 夢にも夢暦があって夢咲く時機がある 水をやり丹精を込めて育てていこう すべては機が熟せば成る 9月5日 朝(あした)に夢唱、夕べに夢唱 朝に夢を確認して夢を唱える 夕べに夢を確認して夢を唱える 心と大脳と潜在意識に浸透させる 声に出して唱えることは古代からの人類の智恵である 9月6日 空に星があるように 私の心に夢がある 宇宙が存在してから 私という人間が生まれてから 星が存在し夢が存在する そこにただあるだけかどうかは あなたの心が決める すべての存在は心によって認識される 9月7日 私はいつも夢見る年頃 青春とは年齢ではなく心の若さだ 青春とは心に夢があるかどうかだ 青春とは素直な感性があるかどうかだ (2005年 8月 27日 [土曜日])
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心の根 |
『人を動かす時には小さなことが大切である。本当の愛は、小さなことに自然と出てしまう。大きなことは意識してだませるが、小さなことは無意識に出てしまう』 〜「子どもを幸福にする愛 辛くする愛」ー’こころ’を育てる心理学ー 加藤諦三 青春出版社〜 無意識と潜在意識との関係について、思いを巡らせている。千載意思来=潜在意識には、善い思いを心がけて注入することが出来るように思う。思考する段階で、顕在意識の段階で心がけて善い事を思い、善い原因の中に善い結果がついてくることを思って、思いのよい習慣化、善い思考習慣を身につけていくことだと思う。根っ子の部分に何をドンと据えておくかということではないだろうか?ある程度の地位・名誉・財を持った人の多くは「世のため人のため」と仰る方が多い。でも、そうでなくても「名もなく貧しく美しく」は充分可能なことだ。財はどこに基準を置くかということだが、貧しくとも心豊かであることが可能だ。そこそこの財を持った人が、より多くを求めて心貧しき人が多いように思える。心の根のドン、ド〜ン。これがその人の人間性であり、価値観であり、その人の値打ちなのかも知れない。 大阪天満にドーンセンターというのがあるが、ドーンというのはどのような意味なのだろう。心のドーンを育てて生きたい。 (2005年 8月 26日 [金曜日])
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米盛智恵子ネーネーの本 |
沖縄ではお姉さんのことをネーネー、お兄さんのことをニィーニィーという。あんまー・おじいー・オバアー。親しみがあって大好きな表現である。 ヒーリングライターの米盛智恵子さん。お互いが「字」と「字」でお見合いをして、一目惚れをして当人同士は会いもせずに、ヒーリングとフィーリングで『結魂』してしまった。智恵子ネーネーは天来文字(ティクルもじ)、私こと賢治ニィーニィーは字遊。世の中は広いもので狭いようで・・、どっちがどっちか判らないけれども、よく似た同じようなことをしておられて、沖縄の上洲書店の上江洲さんにご縁を戴いて、正に文字文字と文字同士が先にお見合いをして、仲良しになった。二つ違いのニィーニィーが私ではあるが、智恵子ネーネーの優しさと笑顔に包まれて、一緒にいると癒される。それは全面的に天来文字に現れている。「風楽風遊(FURAFUYU)」というウチナー口の読み方をするもので、ふらーは馬鹿な人、ふゆーは怠け者という意味。これを素敵な漢字に書き換えて、すべてプラス思考の言葉に変えて、癒し、ヒーリングを微笑みたくなるような文字で表現される。浦添の上洲書店で購入することが出来ます。これはゼッタイおススメ!残念ながら写真集「夢人」より、遥かに読んでいて楽しく面白く元気になる本です。 私が中国のお土産に落款をお送りしたら、本を5冊も送って来て下さって、誰にあげようかなあとニコニコしながら眺めている所です。 (2005年 8月 25日 [木曜日])
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一語一会 |
夜中の0時30分から2時5分まで、アメリカのアクターズ・スタジオの副校長ジェームズ・リプトンによるインタビューでバーブラ・サンドラサイドが俳優論・監督論・映画論を語っていて、聞き入って感動した。 ○「何かをやろうと決めた瞬間、すべてが味方になる」 ○「心をこめれば心に届くのよ」 翌25日深夜はトム・クルーズのインタビューで ○「文化の偉大さは夢の大きさに比例する そしてそれを創造するのはアーチスト達である」 ○「よき仲間達を持つことが人生成功の最高の鍵である」 ○天国の入口で神に言われたい言葉「人のためによく尽くしたねと認められる言葉、よくやったね」と言われたい。この言葉を聞いたときはウーンと唸ってしまった。そんな言葉が自然に言えるようになりたいものである。 ほかにも心に響いた言葉が沢山あったが、ある面で言葉の性質上、記憶が薄れてしまう。日本の女優で監督であそこまで語れる、人間的魅力を持った人は残念ながらいないであろう。 人間的魅力、そこにいるだけでその人間性が伝わってくるようなもの、語る言葉によって聞く人を魅了する。そんな人になりたいと思う。なれなくともめざす志は大切したいと思う。彼女曰く、好きな言葉は「真実」、嫌いな言葉「不可能」。 なんとシンプルで妙を得た回答であろう。やはり、言葉は人を著す。そう痛感する。言葉を磨くことによって心を磨いていき、それが研ぎ澄まされていく。『一語一会』で周りの人たちに感化し影響を与え、互いが研鑽されてゆく、一人ひとりが言葉の重要性を認識して高めあってゆく。子供たちもそのような「国語」を学ばせて行きたい。行ってほしいと思うのだが・・・。 (2005年 8月 24日 [水曜日])
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タバコ? |
■喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。 最近のタバコには大きく、このような内容が表示されている。ここ10年来、喫煙者は肩身の狭い思いをして喫煙しないといけない状況に追い込まれている。どこもかしこもほとんどは嫌煙権が勝っている。 尊敬するF先生は塾業界にあって、神様的存在、もう70代後半?で、ご子息と現役でバリバリに頑張っておられる。曰く、「今日も元気だタバコがうまい」お酒もタバコも大好きな方で、お会いした時もいつもタバコをお吸いになられる。今回、クーラー病でダウンして、塾は休まずに頑張ったけれど、一番きつい時はタバコなど吸う気になれないし、この機会にやめようとさえ思ったが、「今日も元気だタバコがうまい」は、もう何十年も前の日本専売公社のコマーシャルの言葉だったが、まさに喫煙者には、タバコはその日の健康のバロメーターであることは確かだ。 私も今日は普通にタバコが吸えるようになった、酒は百薬の長といわれ、タバコは百害あって利益なしと言われるが、禁煙者への傍迷惑はおいて、タバコは喫煙者にとって健康チェックのバロメーターであることは確かである。 タバコがうまいということも有難い、神謝すべきことである。 (2005年 8月 23日 [火曜日])
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カンボジア |
■アンジェリーナ・ジョリーにカンボジアの市民権 アンジェリーナ・ジョリーが、カンボジアでの環境保護活動の功績が認められ、カンボジアの市民権を授与された。同国の政府高官が11日に発表したもの。 01年に「トゥームレイダー」の撮影でアンコールワットを訪れて以来、すっかりカンボジアの魅力に取り憑かれたアンジェリーナは、02年にカンボジア人のマドックス少年を養子に迎え、04年夏には環境保護のために150万ドル(約1億6500万円)を寄付していた。さらに、カンボジア北西部のバタンバンに自然保護区を設立するため、今後15年間で500万ドル(約5億5000万円)を寄付することにも合意している。 それぞれの人が、できることをする。それは大小の問題ではなく、Doしようとする想いの問題だと想う。しかし、アンジェリーナは凄いというか立派だと思う。確かに主演1本で200万jという時もあるので私達の基準とは違うが、このような人が何人か増えたら、随分、世界中が変るような気がする。私は来年に220万を送金して、学校を寄付させて戴く予定だ。 できることを1歩から・・・。 (2005年 8月 22日 [月曜日])
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親ばかちゃん凛 |
アメリカから帰国中の娘が夕方の便で帰国する。昨日、イギリスから帰って来た息子が今日中に東京へ戻って、明日の8時に出社するという。今、長男(30才)・次男(28歳)・長女(24歳)と家内が近くへショッピング行っている。おばあちゃんと私が留守番をしている。お好み焼きの千房の中井社長が、親が子どもの自慢話をして子どもが悪くなった例はない、と仰ったように自慢をすると、実に仲の良い兄妹たちである。長男は塾を継いでくれている。次男は商社勤務でロンドンで自己実現をしている。娘は音楽の勉強でアメリカに留学している。親の私に似て、みんな自分のしたい事をさせて頂いているように思う。これは本当に神謝すべき幸せなことである。 私には物質的な財産は何もないけれど、家族・子供達という最高の財産と師匠・心友・知己・お仲間という人材としての財産がある。これは全国の長者番付でもベスト10に入るものと思っている。自己中の我儘ではなく、「我、意のまま」というワガママな生き方もさせて頂いて、お蔭の力を山ほど戴いて本当に有難いことである。そのような思いの中で『神謝』という言葉が生まれてきて、心から湧きいずる思いとして「出愛は神様からのご褒美」という言葉が生まれた。 (2005年 8月 21日 [日曜日])
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甲子園の天使と魔女 |
駒大苫小牧が実力で全国制覇を果たした。昨夏は判官びいきもあって津軽海峡を紫紺の優勝旗を渡らせたいという思いも、全国のファンにあったかもしれないが、今回は2連覇がかかっており、久しぶりの京都の優勝を願う人もあって、一般の高校野球ファンも五分五分だったかも知れない。その中で堂々と実力で駒大は優勝を果たした。野球留学をしている球児が多い中で称賛に値する北海道勢の優勝だ。 準決勝が見ごたえがあった。宇部商が8回の裏に1点を入れて7−6になった時に、宇部商ナインもファンもこれで決まり!と思っただろう。野球がメンタルスポーツである面白いところだが、ここでの気の緩み、勝ったと思った時に、魔物が突如現れて来る。京都外大西も、半ば諦めかけたかも知れないのだが、一分でも執念が勝ったのかも知れない。9回、ランナー1,3塁でピッチャー正面のゴロ、誰もがチャンスを逸したと思った瞬間に、3本間に挟まれたランナーがセーフになり、まさかと思われる1塁への暴投で、2点が入って7−8と逆転し、ここで勝負が決まった。この状態で暴投を投げたピッチャーが平常心で投球できる訳がない。プロ野球の選手、ピッチャーでも無理なことだ。やらずもがなの2点が加わり7−10。女神、天使が京都外大西に微笑んだのであろうか?宇部商から言えば魔物、魔女が悪戯をしたのだろうか?練習でもありえない事が起きて、勝負の明暗が決まってしまう。なんと非常で残酷なことであろう。しかし、球児たちはここ甲子園に辿り着くまでに、百戦練磨の試合、練習をこなしてきているので、逆のケースもあったのだろうか、試合後のインタビューでは、結構サバサバとしている。 宇部商のエース好永君は紅顔の美少年というか、実に素直でいい顔をしていた。勝たせてやりたかったというのが高校野球ファンの思いであっただろう。好永君に「精一敗の賛歌」を贈る。 「精一敗の賛歌」 人生に常勝はない 勝ちもあれば敗けもある 勝っても学び敗けても学ぶ 君よ、胸を張って誇るがいい 精一杯汗を流し 精一杯練習して その上での精一敗であれば この精一敗は きっと君の人生に生きてくる (2005年 8月 20日 [土曜日])
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パソコン |
文明の利器?今やPCのことをこのような呼び方をする人といえば、50代以上の人間なのかも知れない。TV・電話・FAX・ワープロ、それぞれに文明の利器として活用され、今やITといわれて進化が著しい。それが普通になってしまっていて、文明の利器として重宝されたり、認知されたりではなく、当たり前と思われている。 3年前の蘇州(中国)の多美で出会った月光の天使・劉頴さん、小さなボートの船室で手渡されたのがメールアドレス、「えっー」と思いながら、早速、PCを買い込んで、使い始めて3年。今や生活必需品になっており、最低1時間はパソコンの前に座っている。志事場に来て一番にすることはPCにスイッチを入れること。メールを確認することから一日が始まる。「返心(返信)」、日志の書き込み、掲示板の確認など、海外に向けての発信受信もある。 昨日、中国に発信したのと同時に?アウトレットエキスプレスの中味が吹っ飛んでしまった。それぞれ2000以上の送受信があったのがゼロになってしまっている。ホームページの内容が消えてしまうとショックだが、まあ仕方がないかなあと思いつつ、私のPCの先生であるA君に泣きついている。私が唯一自慢できることが、メカ音痴でメカコンプレックスがスーパー級であること。このパソコンの操作一つにしてもÅ君や皆さんのお蔭で人並みに使うことが出来ている。考えて見れば何事も全て皆さんのお蔭、このお蔭力で生かされている。生きるということは神謝すると言うことだとつくづく思える今日この頃である。 (2005年 8月 19日 [金曜日])
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溌剌 |
塾の夏休みが終わって後半戦が始まった。残念ながら、元気溌剌な顔が少ない。クラスによると半死状態? 大人が仕事に燃えている時、溌剌な気を発するように子供達もまた、この夏休みに楽しく過ごし勉強もやった子はそれなりの顔をしているものだ。自己管理は大人にとっても難しいものだ。それを発展途上の成長期の子どもがきちっとできたら苦労はないものだ。親の躾という点で、礼儀・挨拶・言葉遣いは基本ではあるが、もう1点レベルを上げるとすれば、子供達にクリエイティブな趣味というか、そのようなものを持たせたいものである。一番好ましいのが読書だろう。物を食べたらドンドン吸収する子供達は、読書における吸収も想像を絶するほどのものを持っている。しかし、それは眼には見えないのだろう。親や普通の大人には。私にはそれが見える、内面的な成長は心に変化をもたらし、それは行動という面において形になって現れる。言葉となって現れる。目明き千人目暗千人という言葉があったようななかったような、私達は心眼を見開いて「見真」真実を見れるようにならなければ成らないと思う。 (2005年 8月 18日 [木曜日])
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多美の終わりは多美の始まり |
上海10時発関空1時到着、時差が1時間だから2時間の飛行だ。文字通り、韓国と並んでお隣の国であり、沖縄、札幌へ行くのと変わりが無い。この4,5年の海外旅行者は圧倒的に韓国人の方のほうが多い。欧米を歩いていてもタクシーの運転手の方に「コリアン」と質問されることが多い。空港でも韓国人の団体、旅行客の方が多い。高度経済成長の印なのかも知れない。 昨夜は上海雑技団の「技」を堪能した。オリンピックのウルトラC級の演技が90分にわたって繰り広げられる。万来の拍手の中で演者は一流の演技を披露する。惹き付け息をもつかせぬ一瞬の技に酔いしれる。それにしてもヒロイン達の美しさにも酔いしれた・・・。 ネパール・白夜の北欧・ピラミッド。次なる標的というべきか、エネルギィーの対象となる目的地が私の頭の中を駆け巡り、心の中でイメージが描かれる。多美の終わりは多美の始まりである。 中国は日本の文化の原点となるものを多く持っている。漢字という文字、言葉からして考え方や思想、宗教的感覚なども、類似し、ルーツの共通項も多い。大陸中国と島国日本の21世紀の変容と変貌、そして国際化への順応。同じアジア民族として仲良くしていくことが大きな課題であるように思える。世界の5人に1人が中国人だと思うと、この国の行方が日本にも過去にない影響を与えてくるのは必至である。 (2005年 8月 17日 [水曜日])
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20年の歳月 |
20年の歳月というのは激流の如くにいろいろなものを代えるようだ。この中国の大地、上海・北京という大都会の中に埋もれて経っていると、その変化に恐ろしさすら感じる。 考えてみると、20世紀が一番変化の大きな時代であっただろう。そう考えると21世紀は10年ひと昔が、5年ひと昔というようになるのかも知れない。日本の20年はIT化において目覚しい変化があったけれども、具体的には私が携帯電話を持ったのが10年前で、震災の直後のことであった。まだまだ少数の方だったが、今や中国では都会では、ある層を超えるとほとんどの人が所有しているようだ。まだ、まだ町中に公衆電話をかける所があるので、普及率は判らないが、そんな所にも貧富の差が著しく見えてくる。 20年ぶりの北京の感想は「サプライズ!」そのものだった。人の多さは遥かに東京・大阪を凌ぐ。考えて見れば6億以上の民がいるのだから当たり前かも知れないが、20年前には旅行客らしきものはほとんど見かけなかったように感じたが、今回、北京で故宮博物院・天安門広場・天檀公園・景山公園と主だった景勝地、観光地を回ったが、人、人、人、人、人で圧倒され飲み込まれてしまった。6億の民の毎日の衣食住、仕事、移動、生活を消費して国家が動いていくだけでも、物凄いものを感じざるを得ない。20年前、信号と同時に騎馬戦のように自転車が蠢くように移動したあの姿はなく、車の量の多さにも驚かされた。日本車が皆無と言っていいほどないのは、対日感情から来る対日政策なのであろうか、ベンツやフォード、アウディなどは現地に工場を持っていると聞くが、トヨタは無いのだろうか?中国4千年の歴史のプライドがあって、戦争後遺症があって、難しい所があるのだろうか??? 15日、北京から杭州へ軟座の寝台車に乗って移動をした。いわば日本流のグリーン車のようなものだ。トイレの清潔感には、やや難点はあるものの設備、その他は上等一流のものだった。快適な汽車旅行が出来た。 (2005年 8月 16日 [火曜日])
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万里の長城 |
現存する距離は2300キロだそうであるが、全長は6000キロというから、日本の距離の2倍、4年前にボストンからサンフランシスコまで、車で横断した距離6600`とほぼ同じというから、気が遠くなる距離である。10人が縦隊行列出来て、人馬が3列縦隊出来るように作ったというから凄いの一言である。八達嶺が観光のスポットになっている所だ。見晴るかす遥か彼方まで連なるその城砦としての長城は、とにかく自分の目でその確かさを見てみないと判らない。私は20年ぶりに来て見たが、まるで違う所に来たように感じるのは、20年の歳月がここを観光名所にした、変貌さと私自身の感性の変化?にもよるものであり、はたまた20年の人生経験のなせる業としてのものの見方感じ方の変化によるところが大きいのだろう。眼に見える部分の。観光して回れる部分の10分の1の距離歩いて、「感じ」てきた。 城砦の石組みの窓の部分を引き抜ける風が颯爽として気持ちが良かった。秦の始皇帝の時代からだから何千年も前に、この窓を拭きぬけた風のように、今も吹き抜けていく風を私は感じて愉しんだ。人類の、人間の力もさることながら、何千年、何万年経っても変化を来たさない自然はもっと偉大だと思った。月夜の晩に煌煌と照らす月光の光も、太陽の燦々と射す熱さも変らない偉大さがあるのだと思った。 茶店のようなところでガラスコップに注がれた渋いブラックテイー(紅茶)を飲みながら、万里の長城を歩くのではなく、空気に触れて感じるということをして来た。一つにはそのような愉しみ方を覚えたのと、もう一つには体力に合わせた多美の仕方を身につけれるようになったような気もする。 北京北駅から汽車で3時間半、4.5元だから約70円、帰りはバスで1時間、12元、180円。三輪自転車3元、三輪自動車5元、地下鉄3元、バス2元、タクシー10元。水が2元から場所によって5元。この不釣合いが中国そのものであり、中国の魅力だと私は思う。私の今朝の食事代は1元でパン?小麦粉を焼いたもの2枚と水3元で充分に可能だった。小包頭が10個で3元は多すぎて食べれない。マクドナルドが20元で300円だから、バランスが可笑しい。これは外国人(私)の勝手な思い違いなのかも知れない。 (2005年 8月 15日 [月曜日])
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観音様との出愛 |
『古いものには心安らぐものがある』 旅先にあって骨董屋さんめぐりをするのも私にとって大きな愉しみのひとつである。特に「やきもの」が好きな私にとっては中国・韓国などのアジアは格別のものがある。瑠璃蔽は文房四宝・書画骨董の街。清代時代の街並みに老舗が並び、私などは何日いても退屈しないところだ。和平門から瑠璃蔽に出て東街の方へ10軒ほどの所、天宮閣西応という骨董屋さんで「観音様」と出遭った。それは遭遇したという言葉に相応しく、今回の多美に出るキッカケの一つに、私の潜在意識の中に仏像を求めるものがあって、この観音様に導かれたような想いがする。その姿は優しさに満ち溢れ、その面立ちは全てを許し包み込むような慈愛に満ち満ちている。いつの時代に誰がどのように作ったのか、そして、その何百年の歳月の中で誰の手に渡りどのようなロマンを秘めて、私の手に辿り着いたのか、それを思うだけで和気和来してくるものがある。仏師の想い、魂がそのまま観音様の表情に出ているのであろうか、優しく気高く崇高である。私の、私と出会う人、関わりを持たせていただく人の「千財意思来」を伸ばしてくださる観音様として、【千財観音】と名付けさせて戴いて拝ませて戴こうと願っている。 この素晴らしい観音様を譲って下さったのがこの店の女主人の馮さん。日本語が喋れて知的な顔立ちが魅力的な方だ。恥ずかしながら随分と値切り交渉をさせて頂いて、香炉と白檀の香を添えて1200元で和平交渉成立。私にとったら仏様を値切って手に入れるという想いもあったが、それはカンボジア学校設立資金に活用されるという思いで少しでも安く求めさせて戴いた。骨董は値段があって無いもの。自分が気に入れば、それが一番にいいもので、値段が高い安いで損得をしたというものではない。私にとってこの観音様は、これから大事な宝物になるのである。 馮さんにはとても親切にしていただき素晴らしいものを分けていただいて、あまりに嬉しかったものだから、翌日、名刺と「夢人」の写真集をお持ちしたら、「私からもプレゼント」と言って染付けの小さな茶碗を下さった。華僑の人、中国人の方は、その歴史においても商売上手で世界に手を広げ成功をしておられる。どの国の人も、日本人でもいい人もいればそうでない人もいるように、中国人の方も同じだろう。商売を度外視して、このような形で『心』いただくと、私は感動をしてしまう。今回の多美で一番の出愛、一番大きなご褒美をいただいたように思える。 (2005年 8月 14日 [日曜日])
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世界三大美味 |
『全聚徳家鴨店』北京ダックこの美味!最高!!!。本家本元らしく、北京で初めて丸焼きで出すことを始めたお店だそうである。中国では珍しくサービス料を取る店でその分、至れり尽くせりのサービスをして下さった。20年前もタクシードライバーに連れて行ってもらって美味しかったのだけは記憶にあったが、今回の味はそれを遥かに超える美味。これが本物、これが北京ダックだという感じ。1日目は坦々麺。2日目、北京ダック。3日目は満員御礼でダメ。4日目、汽車の時間を気にしながらも食べに行ったことでもどれほどの美味か想像がつくだろう。何よりも嬉しいのが想像を絶する価格。マッシュルームスープ、北京ダックハーフ、ご飯。コーラで120元だから、1800円程度。正に世界一の味がこれだから、中国は面白い!2回目はこれにダックのハート(心臓)を追加して、200元。心臓の方が珍味で高い。 注文をしてから1羽ずつ焼くのだろうか、時間になると、おもむろに白い調理師帽を被ったコックさんがワゴンを引いてきて、丸焼きを目の前で皿に盛り付けてくれて、その技を眼の前で見せてくれる。これだけでもう、心が美味に満たされる。眼で味わって鼻で味わって感覚で味わって、仕上げに舌で食すのだから、もうたまらない。チャイナドレスを着た美女が接客して、可愛い若いウエイトレスのお姉ちゃんがコーラを注ぐ足してくれ、美笑を振り撒く、その笑顔が今でも思い出されるぐらいに可愛い。心も御腹も満たされて幸せ気分。北京にこれだけ食べに行っても値打ちがある。 世界三大美味を見つけた。焼肉は大阪の但馬屋さん・寿司は沖縄の熊さんの寿司。北京ダックは北京の全聚徳のもの。それぞれ素材が一流、心と舌に美味を提供する。だから、お客さんが幸せになれるという点で共通項がある。ここに行けば幸せになれる。心が満たされる、御腹が満足される。北京へ行ってこれだけ食べて帰って来ても値打ちがある。そう心から思った。 (2005年 8月 13日 [土曜日])
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紀元前6000年 |
現在BC2005年だから、AC6000年ごろと言われても全くピンとは来ないのだが、眼の前に、その焼物として土器があると、唸っていいものか心振るわせるべきか、ただただ人類の偉大さに敬服する。そして、人間には本来的に美への欲求があるではと思ってしまう。上海博物館の展示物は、いい意味で期待していなかった分、感動してしまった。予期せぬ美しいものに出会うと心が喜ぶ。むしゃぶりつきたい様な衝動に駆られるのだから、人から見れば変態?と思われるのかもしれないが、私にとって焼物はそういう美の対象である。 上海の空港で3時間半待ち、90分ぐらいの飛行時間なのにこれでは?とも思うが、どうやら北京が雷で天候不順だったらしい。西安の劉さんの友達が手配して下さったホテル「如家」はカジュアルで清潔でとてもいい印象のホテル。近くを散策して餃子館という店に入って麺類とご飯を頼んだ積りが出てきた代物は、小麦粉で作った麺と米で作った麺。坦々麺は、先ず普通の日本人には食べられない代物。その辛さたるや並ではない。汗は噴出す、それぐらいはいいのだが半分食べて、口が痺れだしたのにはギブアップしてしまって、もう一つの麺も食べられず、ほとんど残してしまい「誤麺」という次第になってしまった。そう言えば、ウエイターのお姉ちゃんが、注文した時に変な顔をしていたわけがよくわかった。炒飯と米麺の間違い。二つで10元、150円この辺がかえって悪いのかも知れない。無駄遣い禁物である。結局、マクドナルドに行ってコーヒーとWバーガーを食べて胃を落ち着かせる。別に失敗でもなんでもなく、これも外国での多美、異国で言葉が通じない不自由さから生まれる面白さだ。 (2005年 8月 12日 [金曜日])
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時速431キロ |
この夏はネパールに憧れて、ヒマラヤの霊峰を拝んでみたいと願ったが、10日の出発でないとダメでやむを得ず、20年来の優情心交がある趙さんのいる上海行きに決めた。この時期に上海航空で往復4万円だから、国内旅行で沖縄へ行くよりも安い。後は気持ちだけの問題と多少家族に冷たい眼をされても実行する勇気?の問題である。我儘を許してくれる家族に心から感謝をしている。もう家族も休みのときに家にいるとかえって病気なのかと心配するようだ。体の病気ではなく、放浪癖という困った病気餅である。 趙さんに北京往復の飛行機と寝台列車の手配、約1300元(約2万円)を用意して戴いた。上海から市内へは、もう迎えもいらずリニアモーターカーとタクシーを利用してホテルへ行く。このリニアモーターカーは、ここにも中国の対日政策、感情論もあるのか、入札の末にドイツが走らせた。最高速度431キロ、体感的には新幹線よりは早いかなあという感想だ。乗車時間8分というのは、正にアッとい間だ。地元中国人は余り乗らないようだ。地下鉄3元。バス2元で50元というのは少し高い。日本円に直して750円だから、こちらの感覚としては安い。私にとっては2度目の乗車だが、正直言って一度目は 実感が薄かった。初めて乗った喜びにも似た戸惑いがそう感じたのかも知れない。 でも、多美愛好家としては、かつてフランスのTGVに乗るためにリヨンへ行ったように納得したものがある。より早くより高くより安全に、よりよいものには人類の夢があると思う。これからどこまで進化していくのか楽しみである。 (2005年 8月 11日 [木曜日])
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教え子からのメッセージ |
「よい先生はよい生徒によって育てられる」というのが私の持論である。その点で私は素晴らしい生徒さんに恵まれてきたと思う。沢山の教え子にも恵まれている。初めての教え子達と30年近くお月愛をさせて戴き、教え子さん4組の仲人もさせて頂いた。これは私の誇りである。下記の文章は教え子の山崎加杜矢さんのホームページからの転載です。どうぞ、お読みくだされば光栄です。余りにも良く書いていただいているので、照れくさいですが、この年になってもやはり褒められると嬉しいものだ。私もまた、生徒さんを褒めて育てていきたいと教えられた。 8 「夢人」を開いて 西口賢治先生が、先生御自らの感性を全開してお書きになっているのが遊書であります。それを拝見します私たちも各人がそれぞれに自分の感性で対決する、心には心をもって相対するということが肝要なのでありましょうが、それがなかなか、心の中が日々の雑事で騒がしくなっていると、そうはいきません。対象が「字」でありますし、様々な余計な思惑や独断がそこには入ってくるものであります。「雑念」というものかもしれません。しかしながら、よい芸術というものは、触れているうちに心を鎮めさせて、その作品のほうへ引き込んでしまう力があります。 私は西口先生の写真集「夢人」をいただいてからは携帯し、道中しばしば開いて見るのであります。今日、ふと気になったのが「連愛」の「愛」の字でありました。と言いますのも、この「連」の字が、あまりに見事なものですから、それにつり合うような「愛」の字になっていないような気がしたのであります。「この愛がもう少し威張っていたら」と不遜なことを思った次の瞬間には、頭の中がバーンと鳴って、「愛は誇らない」と言われた気がしたのです。 「連愛」の「愛」の字は、ちっとも自分を誇っていない。まるで「連」を引き立たせるかのように、脇に渋く座って、「連」を支えている。「連」があってこその私なのだと、「連」に主役を譲って、礼を尽くしている。 この「愛」の字は、自分がどんなに偉くて、誰に何をしてやったとか、吹聴して自慢して歩く「嘘の愛」ではないのである。相手を見下すのではなく、時には相手と同じ高さになって合わせ、人知れず相手と連なり合ってこそ、それを愛と言う事ができる。私は、西口先生が体勢を少し崩しながらも、小さな子供の背に合わせて、子供の手を取り、子供の目線に合わせている場面を、この書からイメージできた。 そうして拝見し直すと、「愛」は「連」と共にこの書の一体と成すことが、沁みてくる。まさに先生の傑作である。 クラシックの名曲の楽譜には、おびただしい数の音符が並ぶ。曲とは、その連なっている音符と音符の間に発生しているのであり、どれか一つでも音符が、自分さえ目立って得をすればいいと、勝手な我を張ってしまうと、曲の流れが止まる。仲良く手を取って、互いを生かそうとする親切な「連愛」が、全体として見事な調和と統一を生んで、幸福なメロディーとなる。自分さえ良ければいいと、不協和音を響かせたのでは、全体の曲は成り立たない。全体が成り立たないのに、本当の意味で個人の幸せもありえない。やはり、私たちの暮らしにおいては、「愛」の字に力点があるのではない。「連」を主題にねらってこそ、初めて「愛」はその道具として役割を明確にする。「連」をいただかない「愛」は、私利私欲の執着に陥るのである。 先生は、もちろんそんなことをいろいろとお考えになってのお書きぶりではない。遊書は、お書きになる瞬間は、「無」になるものと思われる。熱転写のように、ぴかっと光り、紙の上には先生ご自身が移っている。理屈の仕業ではない。 それにこれは私一人が今感じたことに過ぎない。そう感じさせていただけたことを感謝しています。そのように感じることが、今日の自分には必要だったのだ。よい芸術とは、その日その時に必須の啓示を与えてくれる。 西口先生のご親切は、ご恩というものは、私も一人の教え子としては、忘れることはできないのである。ただ、先生は、そんなふうに教え子の私たちに言われると、はにかんでおっしゃられるのである。 「わしのことはいい。わしに何か返そうなんて、絶対にそんなことは思わないで欲しい。あんたがとてもうれしいと、そう思ってもらえたなら、それでわしも本当にうれしいのだから。 もしもわしに借りを作ったという気持ちがあるのなら、今度はそれを誰かに返しておあげなさい。これからあんたが出会う誰かにそっと、あんたのできることでね」 「連愛」の原風景は、すでに遠い昔、私たちが子供のときから存在していたのであります。ゆえに先生の遊書は小手先ではない、先生の全人生からほとばしる、先生の純粋なる生き様の筆写であります。 先生は、お写真であっても、美しい。齢を重ねられて尚、実に美しい輝きを増した。その師が描く書は、その人に似て、深山幽谷の如き美をたたえる。私は師の遊書に憩う。合掌 ■山崎加杜矢さんのホームページです。 http://www.hpmix.com/home/kazuyanworld/ (2005年 8月 10日 [水曜日])
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子供達の感想 |
「受験合宿、参加に○したでぇ」 そう言われて、「えっ?」と「なんで?」と「嫌や」しか頭に浮かばなかった。お母さんに勝手に決められて、しかも嫌いな勉強を2泊3日もするなんて、考えられなかった。合宿の日が近くなるにつれ、「風邪ひかんかなぁ」とかばっかり考えてた。 今、2泊3日の勉強が終わっての新鮮な気持ち。私が大きく変ったのは、【勉強って、そんなに悪いもんじゃない】って気持ちが、私の中に生まれた。そもそも私が勉強嫌いなわけは、【分らへん】から、嫌になってくる。嫌になってくるから、すぐに放りなげてしまう。いつだってそうやった。でも、この合宿で、正反対のことを考えるようになった。【分らへん】からから分るまでかみつこうって思うし、分ったら次に進めて、自分で赤○をつける。それが凄く気持ちよくって、そこから【楽しい】って思えるようになる。この合宿で私が一番成長した所はそこだと思う。 この2泊3日、私一人自分の力だけでここまでこれたわけじゃない。一生懸命教えてくれた先生、一緒に勉強した友達。きっと同じ時間同じテキストを与えられたって、支えてくれる人がいなかったら、テキスト真っ白、頭も真っ白。きっとそうなっていたと思う。この合宿のお土産って、このロッジまで運んできたトランクには絶対入りきらへん。同じ塾の仲間の意外な面とか、メインの勉強とか・・・。この合宿で得たものは、本当に本当に大きいと思う。この2泊3日の全てに【ありがとう】って言いたい。一人一人に言えないから、この場をかりてみんなに、全てに 【あ・り・が・と・う】 ■この素晴らしい感想を読ませていただいて大いなる感動を覚える。そして大いなる反省をする。勉強を嫌いに嫌にさせている張本人は「先生」ではないか、この生徒さんの素直な感想から、それを知った。教えて戴いた。偉そうに彼らの前に立って一人前のことを言っていることが恥ずかしく思えてきた。もっともっと子供達の本音を分る、理解できる教師にならないと申し訳ないと深く反省した。分らなくさせているのは教師ではないか、それを「勉強しないからだ」なんて傲慢に言い放つ教師なんて彼らの前に立つ資格はないと思う。前に座ってくれる子供達に、先生と読んでくれる子供達に心から【あ・り・が・と・う】と言いたい。この感想を書いて下さったA.Mさんに心から感謝・歓謝・神謝。 (2005年 8月 9日 [火曜日])
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受験合宿 |
甲子園学習塾は甲子園・鳴尾(西宮市)・尼崎本部校・武庫之荘と4つの教室がある。受験合宿はそれぞれの校舎から中三・小6の受験希望者が集って行われる。それぞれの校舎の俊英たちが競い合いをして10名ずつ、教科ごとにクラス分けをして、かなり密度の濃い授業をする。それぞれの子供達は自分の中学校ではトップクラスでもここに来ると通用しないケースもあって、頭を打たれたり、もっと凄い生徒の横に座らされてショックを受ける。子供達のやる気には2種類あって、一つは指導者の働きかけによるものともう一つは子供達自らが醸成して出してくるものとがある。どちらが良いかというと間違いなしに、自分達から出してくるものが本物だ。しかし、それだけでは十分な効果は計れないこともあって、そこに指導者の思いや仕掛け、脚色、etcが生きてくることがある。そんな時もやはり「素直な子」は、すぐにはまってくれて効果を出してくれる。今回は思いの外、効果・結果を出してくれた。 猪名川町は尼崎から車で1時間、足の利便性も高く、1日目10時から勉強が出来て、3日目も夕方5時まで勉強をして6時半ごろには帰って来れる。山間部とまではいかないが、緑に囲まれた 空気の美味しい落ち着く場所である。勉強と食事と入浴、それ以外は何もない3日間だが、それだけに子供達には達成感があって体験学習が出来る。夏休み明け、彼らの変身振りが楽しみだ。 (2005年 8月 8日 [月曜日])
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お中元 |
生き方がお洒落で粋で生一本で芸術的な『書』を書き、予備校界の貴公子と言われる日本史の横田先生から、D51の煤で作った墨と8月26日の阪神巨人のイエローシートのチケットが送られて来た。これほど素晴らしい贈り物はない。というものだ。 私は茶道を志したからこその積りだが、近しい人にはお中元をお届けしない。心を添えてという日本の慣習ではあるが、目上の方で距離がある方にはお届けするが、心友レベルの方には海外へ行った時にお土産を買ってくるなどのほかの形をとって、神謝の心を届けさせて頂いているようにしている。友達同士で送り合いするのに抵抗を感じている。 「心をいただき 心に感謝する」この思いは大切なものだが、形式的過ぎたり、送られたから送るというのはどうも・・・。 私を茶道に導いてくださった叔母の言葉は「人に贈り物をする時は大事なもの、自分が欲しいと思うものをしなさい」と大学時代に教えて下さった。仲人さんには20年贈り続けさせて戴いた。今、具志堅用高さんには誕生日と子供さん2人の誕生日、クリスマスの日にもう20年続けさせて戴いている。塾人として育てて下さった山口先生は手ぶらということが絶対になかった。それも学び(マネび)をさせて頂いている。 モノをお上げするのも貰うのも難しい。モノをあげるのも貰うのも大好きだ。そこに心を添えるのにお洒落さと粋さと真心を添えたいと思っている。 (2005年 8月 7日 [日曜日])
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お寿司 |
「貧乏人は麦飯を食え」時の総理大臣池田勇人の言葉を、ニュースで聞いて何故か記憶に残っている。贅沢は敵だという思いがある世代に生まれ育って、幾ばかりかはそれに染まっている所もある。昨日の愛知万博でも、お昼は私は麻婆カレー丼750円、小6の女の子達3人はフカヒレラーメン2,000円也、このギャップは???である。最初はお昼か夜はご馳走をしてと思っていたのだが、それどころでは無いことがよくわかった。 今日は朝7時に夜行バスで帰って来て、お昼はアメリカから帰って来た娘がお寿司を食べたいというので、垂水の増田屋さんまで足を伸ばして家内と3人で食べに行った。初めていった時、5,6年前に行った時、だんだん味が、と思うのは食傷してくるのだろうか?贅沢になってくるのだろう。娘はトロサーモンが美味しかったと喜んでくれたので何よりだった。 昭和20年代生まれまでの私達は、物質的に、食の面で貧しさと豊かさの両方を知っている。これは有難いことだ。本当のお腹が空くという状態も知っている。麦飯が懐かしく、時にすいとんではなく、団子汁を食べたいと時に思うのは、やはり、喜ぶべきことだと思うのだが・・・。 (2005年 8月 6日 [土曜日])
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愛・地球博 |
サマースクールで愛知万博に行って来た。ソニーのタテ10mヨコ50メートルのスクリーンで見た映像が私にとっては一番よかった。大自然のパノラマを撮影したものだが、あれは別の意味で実物よりも映像が越えたと思った。美しさもあるが、肉眼ではあれだけのパノラマが視野に入って来ないと思う。ソニーが最新の技術を駆使しているといっているので、流石だと感心した。人気の日立は、子ども向き、一般向き。アメリカ館はフランクリンと火星探索とライト兄弟の初飛行の映像。私が興味ある分野なので楽しめた。4時までは6年生の女子3人と統一高度をさせていただいたけれども、残念ながら体がついていけないので、そのあとは単独行動させていただいて、10時集合場所の西口周辺を休みながら、ゆっくりしながら回った。日本館近くの東京都参加の野外パフォーマンスは楽しめた。大道芸人の直向な芸は楽しめるものがあった。加納ナントカさんの歌謡曲に合わせたパフォーマンス、振り付けによるライブ?は面白かった。 行き帰り夜行バスの強行軍、バスの中で、まあまあゆっくり眠れたが、冷房で喉の痛みを覚え軽症の風邪を引いたが、日中にあれだけ水分を取って流せるだけ汗を流したら、暑気払いならぬ風払いをして元気になった。時には汗をかきまくるのもいいものだと思った。いつも8月は夏期講習で部屋の中で、暑さを知らずに過ごしてしまうが、やっぱり暑さ寒さは自然の中で過ごすべきだと思った。 (2005年 8月 5日 [金曜日])
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英語特訓 |
■夏休みの予定■ ■4・5・6日 サマースクール 愛知万博 ■8・9・10日 受験合宿 兵庫県猪名川町 ■11〜17日 故宮博物館を訪ねる中国の旅(多美) ・この間、日志が途切れますが後日記載します。 8月21日から夏期講習で毎日8時間の授業をさせていただいているが、(昔は13時間やったことがあるので楽勝!)部活で活躍した子ども達は授業が抜けてしまっているので、その代講として朝10時から夜7時まで英語特訓をした。1年の最初から3年の最後までを一通りやった。3年間の文法事項は5時間やれば、詳しく説明できることが判ったのは私にとって大きな収穫だった。生徒さんたちには基礎問題の確認だけしてもらったので、8時間かかったけれど、私達、教える側のプロから言わせれば、5時間で解説できるのだからたいしたことはないと思えるのだが?生徒さんの側から見ればそうでもないのだろう。 過去3回、ギネスブックに挑戦する思いで、24時間特訓をしたことがある。30歳、36歳、50歳。その時そのときに、今やっておかないと年をとったらできないと思ってやってきたが、 やってみるとそういうほどのことはなく、おそらく、事前の体調を整えて睡眠が充分であれば、今でも出来ると思う。もう1回、何かで24時間に挑戦して見たいと思っている。24時間あれば、半紙に「愛と平和」と字を何千枚書けるだろうか?来年の6月23日の慰霊の日に、「愛と平和」祈願で書いてみたいと思っている・・・。 (2005年 8月 4日 [木曜日])
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隠し砦の三悪人 |
我が家のプリティプリンセス、王女様がアメリカからご帰還した。関空へのお迎えは長男と私とで競いあって長男が迎えに行った。親にとって息子、娘は王子様・王女様だ。親馬鹿は承知の上で、やはり子どもに対してはそう思いたいものだ。現在23歳、音楽で留学中。オーボエを中学校の時からやっており、腱鞘炎になるほど練習しているそうだから、それほどに打ち込んでいるのであれば嬉しいものだ。 帰って来て一番にいった所がビデオショップ。アメリカで黒澤明の「羅生門」を英語バージョンで見て来たらしく、毎日1本ずつ見て帰るそうだ。今日は5本借りて、「隠し砦の三悪人」を娘と一緒に見た。1958年の作品というから、流石、黒澤作品と言わざるを得ない。勿論、モノクロ映画で技術・スケールは別にして、当時の作品としては奇抜であり独創性にも長けている。世界の黒沢として、世界的に影響を与えたのも肯ける。三船敏郎・藤原釜足・千秋実、志村喬・藤田進と揃えば黒澤が登用した俳優人、今は亡き人ばかりだが、流石に世界の三船と言われた三船敏郎は、スターの貫禄がある。シリアスな演技をといえば、どこまでという疑問もあるが、スクリーンに姿を現すだけで花がある。戦後の俳優としてはやはり一人者といえるだろう。武士道がテーマで、地味ではあるが、「ラストサムライ」とは一味もふた味も違う、武士道を描き切っていた。どうなるのだろう?という話の展開も退屈させずに見事だった。『わかり易いねぇ』という娘の感想にも、日本人的な情、武士道が解ってくえたのかなぁと嬉しい思いもした。 (2005年 8月 3日 [水曜日])
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そして北京へ、故宮へ |
私が初めて中国を訪れたのは86年だから、20年前のことになる。北京そして上海へ。白山公園から見た故宮博物館の威容が忘れられなくて・・・、あの驚きにも近い感動を今一たびという思いで、私の感性がどのように変容したかを確かめたくて・・・ 僅かに5,6日の旅であったため、故宮は威容には触れたが、大中国の文化遺産である文物は見ていない。それがどうしても見たくて、苛まれるような思いで引き付けられるような思いで旅立つ。 万里の長城よりも故宮の威容に圧倒されたのはなぜだったのだろうか?それを確かめたい思いも何処かにある。何でも見てやろうという想いで40数年、いよいよその虫は私の血の中で騒ぎ、家族や周りのことも省みず、休暇となると飛び出してしまう。一種の病気であることには違いないだろう。私にとっては多美(旅)は美の探究であり心の欲求なのだ。 20年前、北京から上海の汽車の旅も思い出に残るものだった。今回も上海往復で北京へは飛行機で帰りは北京から杭州へ夜行寝台車に乗る。この20年前に出会ったのが、当時、日本語を勉強していた趙さん。その後、日本に留学してきて和歌山大学を卒業した後、日本で仕事をして財を築き3年前に上海に帰国した。私がその間、保証人になっていたこともあって恩を感じてくれており、訪れる時は心から歓迎して迎えてくれる。今回の多美では何と出愛があるか、それが旅人にとって一番楽しみなことである。もう一人の自分との出愛があり、もう一人の自分になって多美をしていることを感じることがある・・・。 (2005年 8月 2日 [火曜日])
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もっと字遊に |
中秋の名月の9月18日にシーサイドホテル舞子ビラ神戸で観月能、「能への誘い」が日本庭園で行われる予定で、そのチラシの作成に当って題字・タイトルを書かせて戴いた。現物はまだ頂戴していないが、Faxを見せていただく限りでは面白くできているようだ。それぞれに10枚ぐらい書かせて戴いたのだが、メインの字は自分でも思い切り遊び心を込めて書かせて戴いたものだ。 能に見る気品・格調を考えて上品なものも書かせて戴いたのだがデザインされた方が、「能のチラシらしい雰囲気があって」ということで選んで下さった。 思えば、3年前にも壷屋焼物博物館の特別展「暮らしの中のやきもの」のチラシ・パンフレットの題字も書かせて戴いた。これは備前焼の陶板に遊び心で、博物館の赤嶺さんという学芸員の方に書いて差し上げたものを、そのまま引用されたものだった。素人の私にとったら、字遊人を名乗っている身としては、この遊び心がひとつの道かも知れない、ご依頼を受けて書かせて戴いて、上手に書こうとするとなかなかいいものが、自分でも納得いくものが書けない。しかし、気楽に相手の方の想いをいただいて素直に書かせていただくと、結構、結果として喜んでいただける。 遊芸の中にある遊び心、ゆとり・余裕に繋がる遊びを学ばせていただいて、これからも字遊に真面目に字を愉しんで遊ばせていただこうと思う。 (2005年 8月 1日 [月曜日])
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