言葉は心を伝え愛を語るもの |
ビジネスの社会では残念ながらというか寂しい事に、「愛」を語ることは難しい。教育の世界では、それが抽象的な概念?であるかもしれないが、「愛」を語ることがあり、ある面で愛を語らずに過ごすことができない。 ごく少数の頗る優秀な生徒さんでない限り、小中学生の段階生徒さんが「授業」を評価して、先生を評価するということはほとんどと言っていいぐらいにない。面白い・明るい・楽しいから、先生が好きだとい論法になる。好きということにも確たる根拠がない。ではいい先生という基準はどこにあるのだろうか。優しいということもあるだろうが、中学生になると優しいと甘いの違いは見分けてくる。若い先生がよくいう、「子供が好きだから」というのはあまりあてにならない。子供が好きであっても子供から嫌われる先生であっては、なお厄介である。 「愛」というこの曖昧模糊として抽象的で形もなく、掴みどころのないもの、これが一番のポイントのようだ。基準、視点によって違うのは確かであるが、自分自身を愛していて人生にも何事にも愛を持って生きている人は、志事にも生徒にも、勿論、愛を持っているので、あいまいで抽象的で形もないものに対して、子供たちは感性でそれを見抜いてくる。優しいだけか甘いだけか、そこに愛があるかどうか?彼等は先生が生徒を評価する力よりも、確かな眼で先生を評価する。それを全くわかっていない先生の多いことか? では、生徒さんに愛を伝えるのにどうしたらいいのか?言葉の裏側に愛があるかどうかということだろう。彼等は紛れもなく、対等の人間である。魂の重さはあえて言えば若いだけに重いかもしれない。唯一、知識と経験という面においては若輩であるから、私たちが先に生まれてということで先生なのであろうか、彼を見くびったり、下ににみたり、なめたりしたら、間違いなく正比例してそのまま返される。口先で上手を言っても彼等の感性は誤魔化せない。教えさせて戴いているというこちらのスタンスはそのまま教えていただくという思いでかえってくる。 言葉は心を伝え愛を語るもの。「強制・禁止・命令」の授業は絶対に人を育てないし、言葉を教え学ばせることもできないと思う。逞しい子供は救われる。しかし、繊細でナイーブな子は今日も何処かで泣いているのではないだろうか・・・。 (2005年 9月 30日 [金曜日])
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繁心燦花(阪神賛歌) |
積年の想いを募らせて 屈辱にも罵声にも耐えて 贔屓の引き倒しにあって ただただ一念を貫いた 甲子園という聖地に流るる 伝統と独特の風土は 大阪という地盤と相まって 熱い視線と強い想いが交錯し いつもドラマが作られた 六甲おろしの応援は 時に勇気で時には脅迫 新世紀の風は今ここに吹く 繁心待我寿、心を繁らせ 我等が寿ぎを待つ心 今、燦々と花と咲く (2005年 9月 29日 [木曜日])
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365日年中夢求(2006) |
■お願い■花恋多(カレンダー)を作らせていただこうと思っています。下の12のことばから6つ選ぶ予定です。もしよろしければ、掲示板にあなたの好きなことばの番号をお答えくださったら光栄です。よろしくお願いします。 ☆三百六十五日年中夢求☆ @ことばは心を 伝え愛を語るもの 言葉遣いは心遣いです。ことばは心を創るとまで言われています。豊かなことばの中に豊かな心が、美しい心の中に美しいことばが・・・。 A夢現の法則 『心に描き言葉にして文字に書き現す』イメージしたことを言動してみて確認する。夢を語ると周りの人が手助けをして協力してくれます。 B心燃 心を燃やそう。成功するかどうか、成績が上がるかどうかは能力ではなく、心的態度によって決まります。いつも心熱く燃えて生きよう。 C学美愛 親子・師弟・主従、お互いの学び合いこそ成長の糧です。出愛ったものすべてから私たちは学ぶことができます。 D神謝・歓謝・感謝 生かされていることに神謝しよう。生きていることに歓謝しよう。すべてのものに感謝しよう。全てのことに感謝する生活の中に人生の充実があります。 E一緒懸命 凡人が一生懸命に一生と命を懸けることは難しいことですが、大好きな人と、家族仲間と、心友と命を懸けて打ち込むことはできます。一緒懸命が愛言葉です。 F私はできる 私はやる(愛感 愛宇意流) 愛言葉を唱えることが、潜在意識を開発します。I can, I will. 私はできる、私はやる。日々心鮮にいつもこの言葉を唱えよう。 G一日一感 一日一回、感謝をしよう。感動しよう。感性を磨こう。愛と平和を願い神謝する人は「ありがとう」「お願いします」が口ぐせです。 H千財意思来 あなたの能力、潜在意識の力は無限です。千の財産があなたの意思によって流れてきます。信じよう自分のことを、信じよう千財意思来を。 I夢人 有名人よりも夢人(ゆ〜め〜じん)をめざそう。夢のある人は日々を明るく楽しく元気よく生きることができます。 J美流来癒河風 この世は弥勒菩薩様が創られた、愛と平和に満ちた世であるというのが本来なのです。美しい癒しの大河の風が流れ来る世界なのです。沖縄ことば、弥勒世果報(みるくゆがふ)の書き換えです。 K母愛 母なる大地、母なる海、母の愛。この宇宙に起きるすべての奇跡、人類の行動原理は『愛』が原点です。万物を母の眼差しで見つめたらすべては平和に帰結していきます。 (2005年 9月 28日 [水曜日])
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GOGO勝弁当 |
遂に出ました。GOGO勝弁当。ほかほか弁当さんの企業努力というか、肖り商法というか、大阪ならではの商売で思わず笑ってしまう。阪神ファンにとっては買い!快!である。 2年前の優勝は勢いで行ったところもあったが、今年は強い。いつ負けるか?もう負けるのではないか?という心配を悉く跳ね除けてファンの心配をよそに確実に勝って来た。ファンが確信を持ったのは中日戦での中村豊かの延長戦での、あの闘魂猛虎の優将岡田の抗議の後での勝利だろう。でも、本音を言うとまだ安心はしなかった。マジックが一ケタになり、6になって「よっしゃ」という確信を持った。永年の低迷期を経て、野村・星野・岡田に継がれて強い阪神が出来上がった。しかし、もう3年、5年先を見据えていかないと、金本とともに老化してしまう。ポスト金本・矢野・桧山が育っていかないといけない。金本はまだまだ5年はやってくれるだろう。 今年の日本シリーズは球団創設70周年に肖って日本一になってくれそうな気がする。ホークスもロッテも強い。しかし、強いだけでは勝負がつかないのが野球の面白い所だ。明日、明後日の甲子園での巨人戦。大阪の阪神ファンは宿敵巨人の前で甲子園で岡田を宙に舞わせたい。みんながそう思っている。巨人ナインがその悔しさをバネにもっと強くならないと、野球が面白くならない。野球はチームプレーで戦うものだが、監督・選手の強運、星周りもなんか影響がるような気もする。金本は優招を阪神に運んで来た選手かも知れない。 (2005年 9月 27日 [火曜日])
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教え子 |
1988年から10年間、ご縁がって沖縄の離島、伊是名島と言う所で夏季少年教育の一環として夏期講習に指導に行かせて戴いた時代があった。人口2000人、世帯数600戸。私にとって天国に一番近い島だった。ウンナーーという豊年神謝のお祭りがって、私は初めてここで本当のお祭りを知った。ある年、流星群が接近していて部落の家々を回っていく時、生まれて初めて星が降るのを見た。流れ星は横に流れていく。しかし、伊是名島の星は上から下に降る様に流れていった。屋那覇島という無人島は「こんがりココナツ島」と名付けられていて、月夜の晩、リーフ(沖に珊瑚礁の隆起する場所)があって、小さな湾とリーフの所が遠浅の瀬になって、海に月が映って波の上を揺らめいた。それを浜辺に寝そべって、あるいはハンモックに揺られながら見つめた。あれほどのメルヘンチックな情景は、おそらくこれからも二度と味わうことは出来ないことだろう。月光に揺らめく海は静かで凪いで、私の心を映した。 初めて訪れて、子ども達との別れの日、純な子ども達や親が港まで見送りに来てくれてカチャシーを踊りながら、たくさんのテープを投げて涙で見送ってくれた。「来年も来てねー」という声が潮風に靡いて、それから10年の時が流れた。先生と生徒、先生と親達の心の繋がりに、私は『教育の原点』を見たように思った。その時の教え子の一人、美奈子が今、南大東島で教壇に立っているという。10年間の指導の中で一番私の心を汲んでくれた一人であるように思う。教え子が教師になってくれるというのは、教師にとって嬉しいことなのである。結婚式に呼んでくれるという約束をしているのだが、まだまだ先のことかもしれない? (2005年 9月 26日 [月曜日])
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心金間(心・お金・時間) |
家内がお友達のお見舞いに有馬へ行くのに運転をして、待ち時間に、昔は有馬ヘルスセンターと言っていた所が「太閤の湯」とネーム変更して様変わりしている様だった。健康ランド、温泉ブームで若い女性客も増え清潔・明るい・健康的なイメージになっている。サウナ、露天風呂、蒸し風呂があってBGMがヒーリング音楽。日曜日でたくさんの客入りだったが、これは平日に来るとゆっくり出来そうな穴場だ。入浴料が2400円なので、安くもなく高くもなくというところだが、半日は充分に楽しめそうである。サウナに3回入って充分に汗を流し、大きな食堂で大型TVで阪神広島の野球観戦をして、普段にない日曜日をすごした。 その昔、日曜日に家にいることは少なかった。塾での仕事がなかった、学習塾全国連合協議会の常任理事、事務局長などを歴任して東奔西走していた。そして、休みの日には映画を見に行ったりしていた。このように日曜日にゆっくりしたいと思うのは、やはり年齢的なことがあるのかもしれない。でも年に10回あるかないか、月1と言うところだろう。時間を大切に、それを心がけていきたい。 「心金間」=人生は心とお金と時間の遣い方で決まる。潜在意識も一つの心の作用としてとらえられるのかもしれない。 (2005年 9月 25日 [日曜日])
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ウチナーぐち(沖縄ことば) |
安真 あんまー 家幸 いえさち 粋我 いきが 意菜具 いなぐ 偉宙 いっちゅう 偉美 いび 偉美良 いびら 宇来意 うーくい 宇知納具千うちなーぐち 宇夢偉 うむい 宇夢野 うむやー 宇夢燦 うむさん 宇理澄 うりずん ○和 おきなわ 来来流 くくる 志納咲 しなさき 神聞夢知 じんぶんむち 人夢知 じんむち 優理夢運 すぐりむん 千智 ちち 知夢 ちむ 千夢寿良燦 ちむじゅらさん 治家美良彩 ちゃーびらさい 手偉多 てぃだ 仲癒来尉 なかゆくい 何来無差 なんくるないさ 仁富恵出美流 にーふぇでーびる 仁人 にんじん 覇意彩 はいさい 福真美 ふくまみ 真渡場 まとば 真武意 まぶい 美流来癒河風 みるくゆがふ 芽運素麗 めんそーれー 母愛 もあい 癒流千 ゆるち 癒多志来 ゆたしく 愉運多来 ゆんたく 和多 わったぁ 和彩美運 わっさいびん ■ウチナーぐちには万葉の時代の香りがあって面白く、意味深い。これから少しずつ勉強していきたいと思っている。これは手始めの、ウチナーぐちを漢字変換したもの。これらを遊書展の作品として字遊したいと思っている。 (2005年 9月 24日 [土曜日])
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君よ 未来に向かってまっしぐら! |
君は大地を蹴って前に走る 勝つとか負けるとか 早いとか遅いとかではなく ただひたすらに ただ直向に 真っ直ぐに向いて走る 行く手には何があるというのだろう そこには見えない未来があるのだろう 見えないけれど一心に 見えないからこそ一心に きっとある君のゴールが その直向さを忘れるな 見えないゴールを信じて走る まっしぐらに走る君の姿は美しい その純なる心を永遠に走り続けよう そこに素晴らしい未来が向こうから やって来ることを信じて (2005年 9月 23日 [金曜日])
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体育祭 |
私が中3の時が東京オリンピックの年で、その時の体育祭は良く覚えている。200メートル走とリレー800メートルのトップ走者として走った。100mが13秒、200mが26.4秒で学年500名近くいた生徒の中で5本の指に入っていた。200m走で先頭を走っていて次走者の足が、私の足の裏に触れて転倒し3年連続で倒れた。クラス対抗で優勝が決まり優勝カップもあってクラス対抗の色合いが強かった。応援合戦もあって一大イベントだった。リレーで勝てば完全優勝ということで、恩師がトップでなくてもいいので転倒しないようにという指示のもとに走ったことを思い出す。西口・岡崎・浜田・岡本とメンバーの名前も昨日のことのように覚えている。優勝を果たして祝賀会もして土曜日の夜に学校に泊まって、日曜日にみんなでサイクリングに来て、この武庫川に来て男の子何人かで泳いだことを思い出す。勉強にはあんまり一生懸命にならなかったけれども、スポーツや他のことには打ち込んだ記憶がある。二度とないのは中学時代だけでなく、いつの日も二度と来ない。あの純粋さ、無邪気さはやはり宝物だと思う。 地元の大庄西・東・北中学校の体育祭に顔を出して、今日・昨日はゆっくり出来なかった。女子100m決勝では6人中5人が塾生。生徒会長も体育委員長も塾生で中3の3分の1が塾生だと、どの競技を応援しても楽しいものである。写真は女王の教室という帽子取りゲームで吉岡君が見事に女王の帽子を取った決定的瞬間のワンショット。今日は気愛を入れて160枚写真を撮ったのでいいものもたくさん撮れた。 (2005年 9月 22日 [木曜日])
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母愛(もあい) |
母愛(もあい=ウチナーグチ)。母の愛と書いてモアイと読む。勿論、造語であるが、沖縄では仲間の人が毎月1度集まって、ユンタク(おしゃべり)をして、仲間同士でお金を集める。20人が1万円ずつ集めると、毎回20万円。誰かが交代で借りる形を取って有効に活用する。利子が要るのか要らないのかまでは知らないが、多分、要らないはずだ。一度、傍聴的に臨席はしたことはあるが、実に楽しい和気愛愛のコミュニティだ。昔は本土にもあったようだが、経済の事情の変化と人情の変化でなくなってしまったようだ。しかし、沖縄には根強く残っている。それがウチナーの「仁情(にんじょう)」のように思える。 「もあい」の精神はおそらく母のような愛なのであろう。詳しくは知らないが困った人が、まとまったお金が必要な人が有効に使って神謝する。人によれば必要でなくともまとまったお金を借りておく人もあるのだろう。グループによると10万とか100万とかもあるらしい。 「母心に還れ」という本もあったようだが、母愛は忘れてはならない日本心の心ではないかと思う。 (2005年 9月 21日 [水曜日])
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気 |
『気』の意味 ■意識や活力の源と考えられている心の働き(類語大辞典/講談社)■@天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。また、その働き。A生命の原動力となる勢い。活力の源。B心の動き・状態・働きを包括的に表す語。Cはっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの。(広辞苑・岩波書店)■@目には見えないが、その場所を満たしていると感じられる何ものか。空気・ガスや人知を超えた霊妙なものなど。A外界の刺激によって、その時々に変る快・不快などの感じB顔色・言葉や動作の端々にうかがわれる、その人の心の動き。(新明解国語辞典・三省堂) 美世咲の気。ここは素晴らしい気の流れる所。それは柔らかい感性を持った人しか感じることが出来ない「気」だ思われる。沖縄には景色だけがいい所は数え切れないほどたくさんある。しかし、心が安らぐ場所はそんなにはない。ある面で御嶽(ウタキ)と呼ばれる特異な場所もたくさんある。安っぽい癒しのある場所でもない。包み込むような人肌の温もりを発する場所である。ミステリアスな神秘的な場所ではなく。柔らかくて暖かい真っ直ぐな神陽的(シンピテキ)な場所である。愛と平和が美しくこの世に咲く場所である。ペンションびせざきの浦の浜で十四夜の月の出の写真であるが、美世咲の気を映した写真である。 (2005年 9月 20日 [火曜日])
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愛言葉 |
■言葉は心を伝え愛を語るもの ■言葉遣いは心遣い ■言葉磨きは心磨き ■美しい言葉は美しい心をつくる マフィーの本を読んでいると言葉は心をつくると言われている。私はそれは正しいと思う。私は字遊人として、たくさんの造語を創って来た。そう言えば中学時代に文学に目覚めたのは、言葉との出愛によるものであった。そして、中2の時に「自分は自分を尊敬し、自分は自分に忠実に 自分は自分に自信を持つ」こんな言葉を創った。これが初めてかもしれない。「いつでも夢を心に愛を」「夢と若さと情熱と」「教育は愛である」「I can I will」を愛言葉にして来た。I can I willは私はできる・私はできる。それを字遊人になってからは「愛感 愛宇意流」に変えて「愛を感じ 愛という宇宙の意思の流れを受けとめる」というように心に刻み、潜在意識にインプットしている。 「偉法」=いのり・祈りは宇宙の偉大な法則であり、大事なことは神謝と祈りの愛言葉。神謝はありがとう。祈りはお願いします。この言葉をいつでもどこでもくりかえしくりかえし唱える。 どうぞ、皆さんも自分の愛言葉を創って見て下さい。そして、唱えてみましょう。美しい言葉は美しい心を創ります。 (2005年 9月 19日 [月曜日])
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美贈里(見送り) |
午前5時に起きて、那覇の空港まで、進お父さんが車で見送りに来て下さった。前夜に熊さんがタクシーを予約して下さったのをキャンセルして、「言うことを聞きなさい」と言って送って来て下さった。何と有難いことだろう。90分、少し混むと2時間の道程である。このようにして自分が出来ないことを人様からして頂いて、いつも学んで自分もそうさせて頂こうと思う。初めてお会いする家族のお家に泊めていただいて、今、入院しているお母さんのベッドに寝かせていただいて、本当の家族のように可愛がって戴いて・・・。私も本当のお父さんのように思っている。その心が通じて受け止めていただけて本当に幸せなことだ。私が自分の息子だったら・・・、朝早く起きて遅れるだろうか?でも、今回の嬉しさを絶対に忘れずにそうしようと思う。 美世咲では、朝、「残り月」も見送りをしてくれた。この言葉は昨日、お愛した屋良朝春さんの言葉、何とロマンチックな言の葉だろうかと思う。言葉に出会ってその情景に出会って嬉しい限りだ。 お父さんに折角、早朝に見送ってもらって那覇に着いたが、福岡経由で大阪・伊丹へ帰って来る積りが、飛行機のトラブルで遅延して関空到着になってしまった。開成教育セミナーさんの一大イベントである進学相談会にギリギリに間に合うかどうかのところで、決断をして千里万博の阪急ホテルまでタクシーを飛ばした。運転手さんが50分で到着して下さった。2万3千円のタクシー代であったが、開会の挨拶の2番手として、7分のスピーチを2倍も3倍もの値打ちのあるスピーチが出来たようだ。いつになく何人もの方が、いいスピーチを有難うございますと仰って下さった。もし、遅れたらみなさんにご迷惑をおかけしてしまい、それはお金では償えないものになってしまっていたことだろう。 (2005年 9月 18日 [日曜日])
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千代之雄武美(千代の雄叫び) |
午前4時半、星の瞬き、囁きに目覚めた。外に出てみると月は傾き、星が満天に瞬いていた。天の川というよりも夢流星(群れ星=むるぶし)が白いミルクの膜のように光っていた。飛行機か謎の飛行物体か30分の間に3つ、西から東へと移動して行って消えた。満天の星に抱かれて私は愛を感じた。それは星から発せられた光と優しさ、ニュートリノなのかも知れなかった。 5時を過ぎて空が徐々に明るみ、私は浜に出た。水平線の彼方に雲が出て、その向こう側に太陽の光が射してきて明るくなってきた。この変化は形容がし難いほどに美しい。雲の端が金色に染まって紅く燃えて日の出を待つ。太陽が出て雲の下に光った時、それはまるで龍が金の卵を抱えているように見えた。早起きは3文の得というが、価千金の爽やかな朝を迎えた。今回の満月でこの世の中が大変革を起こす、何かが起きる日と聞いたが、私にも何か素晴らしいことが起きる予感がした。 東京からそれが目的で尋ねて来られた写真家の宮坂さんと御嶽 (ウタキ),竜宮へ行った。今帰仁城址の近く、龍が誕生した場所のような所である。何か特別な力、気が働いている場所だ。海と地の境目で鍾乳洞と洞穴が造った聖地のように思える場所だった。 画家の屋良朝春さんを尋ねた。2,3時間だったのだろうか、時の流れを忘れてお花詞をした。「慈遊時感」を過ごした。慈しんで遊び時を感じる。少年のような輝いた瞳を持った屋良さんは自然体で「沖縄=美ら島」を語って下さった。 いよいよ本番、我々の仲間、翁長武雄さんと金城美千代さんのセレモニィーが始まった。ここ美世咲での4回目の結魂式。ご本人達は照れていたが、私たちは祝福したい一心でセレモニィーを盛り上げた。私の役目は3回目になる牧師役。ここだけが唯一神妙に厳粛に執り行うところ、私も3回目とあってうまく話せた? 美千代ちゃんがしゃくりあげていたところで、私もスピーチに詰まりそうになった。万事上手くいってパチパチパチだった。 手作りの結魂式。参加者は神に呼ばれた人、半数がお互いが初対面同士。しかし、そんなことは全く関係なし。みんなが和来愛愛に和みあって愛し合って時が流れる。中地さんの飛び入りの月光の下でのソロが素晴らしかった。「やんばるやぁ〜」というこの唄は作詞作曲でそれはそれは情感たっぷりで素晴らしかった。私は初体験の月光の下での遊書、武雄・美千代の名前をもじって「千代・雄武美」と書かせて戴いた。千代までも愛の雄叫びを・・・という思いの字である。 二次会は浜に出てキャンプファイヤー。ここで中地さんと「青春」を語り合えたのは本当にホントにうれしかった。 (2005年 9月 17日 [土曜日])
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出愛 |
上江洲書店の上洲さんを訪ねた。小生の手紙・雑巾の夢の色紙・写真集「夢人」を飾って下さって、夢人を販売して下さっている。それも恐れ多くも石川洋先生の横に置いて頂いている。上洲さんのご好意で、九十の手習い・仲本潤英氏のところへお連れ下さって紹介して下さった。その上に氏の作品のTシャツまで戴いて、神謝神劇である。仲本先生は現在95歳で現役で創作活動を続けておられる。文字を書かれてそれを彫刻して素晴らしい作品にしておられる。文字に表現される人となりに深みがあって素晴らしい。 お昼はフリーのアナウンサー下地則子さんとご一緒して、沖縄そばを戴いた。8月6日(土)分の放送原稿を下さってうれし涙を流した。小生のホームページの内容を、ものの見事にそのエッセンスを要約して放送して下さった。それは文章力と頭で書かれたのではなく、下地さんの感性で表現して下さった見事なものであった。自分でもこんなにうまくはまとめられないと思った。感性と感性が触れ合うとこんなに美しいものが生まれるものかと感激した。放送原稿にも著作権があるのだろう。お許しを得てぜひ皆さんにお読み戴けたらと思った。 いよいよ美世咲に気郷。私たちにとっての『小宇宙』=海厨(みくりや)で熊さんの精心料理(しんじん料理)を戴いた。予定外のことだったのでうれしかった。ここは6人の定員席。順ちゃん・楊子ちゃん・松尾さん・国澤君・黒澤美奈子さん・稀世ちゃん・そして、明日の花嫁美千代ちゃん。私は熊さんの横、板場の中、熊さんにとっては聖地・グランドである場所に入れて頂いて心一つに、沖縄一と言うより宇宙一美味しい寿司を戴いた。此処、この時に流れる時と気は素晴らしいものがある。それは美世咲という地に流れる「気」であり、熊さんが醸し出すオーラである。二次会は庭で美ら島の空気にふれ、泡盛を囲んで愛と夢と青春を語る。十三夜の月が神光しく輝き、満天の星が瞬く。地上の楽園がここ美世咲だ。 (2005年 9月 16日 [金曜日])
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繁心待我寿 |
空港から琉球新報社の新社屋に直行させていただいて、編集局長の嘉数様にお会いさせていただいて、ギャラリィーを案内していただき、11月に高原楊子との二人展をさせて戴くことになった。高原さんの出美遊(デビユー)で、彼女は字遊人・西口賢治の産みの母親(産みの父親は美世咲の熊さん)であり、育ててくださっている方である。嘉数さんのご好意で展示だけでなく、ボランテイアとして即売もさせて戴けるように仰って下さっている。創作意欲がもりもりと湧いてきた。それにしても嘉数さんはナイスミドルの紳士。流石、編集局長と言うだけあって憧れてしまうほど素敵な方。あんな人になりたいと強く思った。 中垣くんから耳にタコが出来るほど聞かされてきたスポーツバーTigersへ行って来た。今岡選手も噂を聞いて立ち寄ったという沖縄虎キチのメッカ。今までは小生の作品の「檜山進二郎」という柿の木に書いたものをTVの横において、彼が打席に入った時に拝み倒していたそうであるが、それならばと思って優勝記念に5点、作品数にすと30以上をお持ちした。オーナーの宮城英史さんがあれだけ喜んでくれたら、こちらは倍以上うれしいというものだ。我こそはタイガースファン、虎キチを自称する方は那覇市高良3−7−9ですので、ぜひ、尋ねて見て下さい。 最近、沖縄に心が向いて行きたくなるのは「まさかやぁ〜」の賢坊に愛待(あいたい)一心。お仲間の人が10人ほど集まって下さって炎のライブを聞かせて戴いた。凄いエネルギィーを発散して、それ以上にエネルギィーを吸収されるそうで、感じ安い人は、翌日はぐったりするそうである。私はといえばエネルギィーを貰って帰って来ることが出来る。道を極めた賢坊はたくさんのことを教えて下さって、本当に素晴らしい方である。ヒーリングライターの米盛智恵子さんも駆けつけて下さって楽しい沖縄第一夜を過ごした。 (2005年 9月 15日 [木曜日])
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美流来癒河風 |
『弥勒世果報』=みるくゆがふ(ウチナーグチ)。 美流来癒河風=美しい癒しの大河の風が流れ来る。 美世咲=備瀬崎のペンションびせざきは私にとって、私たちにとって弥勒菩薩がつくられた果報が巡って来る世界なのである。 (2005年 9月 14日 [水曜日])
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心学塾 |
中三の国語の授業の宿題はテキスト4ページとB5の用紙に 「心を豊かにするための方法」 @まず、豊かになろうと思うこと Aことばを磨くこと B感性を磨くこと、美にふれること この意見は西口賢治の私見です。あなた達はどう思いますか。ここは同じとか、ここは違うとか、自分の思うところを考えて来なさい。テキストの宿題はやって来るのが当たり前。この分は無理をしてまでやらなくてもいいが、ぜひ、自分で色々なことを考えて来て下さいとお願いをした。 生徒さんにはこちらからの提示やテーマを示さないと、これは大人でも同じであるが、ゆっくりとしっかりとじっくりと物事を考えようとしない。でも、提案すると、こちらがハッとするような答えを出してくることがある。私はいつも生徒さんと、あることを考える時は、これはあくまでも西口賢治個人の考えであって、数学や英語の答えの様に、答えは一つだけということはない。と前置きをする。夫々にとってはその答えが正しいのである。時に好ましくない回答が出た時には、アドバイスをさせていただいたり話をしたり、みんなでディベート出来たらよいと思っている。 先日、中1の生徒さんに「リーダーシップ」「対人関係能力」ということばを提示して、ただ学校や塾で数学・英語を勉強するだけでなく、これらの事も学ぼう、身につけようと思って学校生活を送って欲しいと話した。中1では、ほとんどの子が、この言葉の意味がわからないと答え、中3ではほとんどの子が大体の意味がわかると答えてくれた。社会人となった時、大人になった時、家庭や職場でこれらの二つの資質、能力はとても大切なものだと思う。そのことをインプットして中学校・高校生活を送るのと、ただ、成績・進学のことだけを考えて通学するのとでは、違うと思う。私はこれらを学ばせたい、身につけて欲しいと思って彼らの前に立たせて戴いている。心も育ててあげられる心学塾でありたいと願っている。 (2005年 9月 13日 [火曜日])
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優笑燦花(優勝賛歌) |
■歓風(完封)=歓びの風 ■神投(完投)=今年の阪神の投手 ■感結(完結)=感性を結ぶ ■優将(優勝)=岡田監督、優しい大将、優れた将 ■幸詩縁(甲子園)=幸せな詩(ことば)は良縁を生む ■高志炎求情(甲子園球場)=高い志は炎の如く、優情を求める ■球情(球場)=一球に優情・人情・心情を込めて ■覇真火勢(浜風)=真の覇者の火の勢い ■一求柔魂(一球入魂)=一途に柔軟な魂を求める 沖縄繁心待我寿富安来愛(阪神タイガースファンクラブ)があって、会員は3名だが、小生もその一人。熊さんとかー君。その仲間に贈った言葉です。 (2005年 9月 12日 [月曜日])
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柔道日本! |
薪谷翠、女子重量級ではじめての金メダル。決勝戦のラスト30秒での逆転勝ちで一本を決めた瞬間からインタビューが終わるまで、ずっと泣きっぱなしで、あれは感涙を越して泣きじゃくっていた。体形からルックス、顔形といい見た目には大和撫子のイメージはないが、芯(心)の強さと執念を見せてくれて爽快だった。大怪我をして1077日の復活というから、その間の頑張りは凄いものがある。これこそ努力の名に相応しい偉業だと拍手を贈る。我々の年代はあの東京オリンピックで松永がヘーシンクに寝技で押さえ込まれたシーンは、40年以上経った今も忘れられないシーンだ。アテネで10個のメダルを獲得して、今回の世界柔道大会で11個を獲得し好成績を収めた中で、「価値ある金メダル」ということだが、あれだけ人前で泣きじゃくることが出来るのは、想像を絶する本人にしか判らない何かがあることだろう。その姿は正に美しい。柔道ニッポンの復活というか、国技的なお家芸だ。しかし、日本選手権チャンピオン=金メダルというプレシャーの重みはメダルよりも重いものがあるのだろう。メダリストの涙を見ているとそれを感じる。ほかの競技でこれだけ勝者が涙を見せる競技はないように思える。百戦練磨というが、千練、万練を鍛えて、一瞬に懸ける柔道は武道としての道なのだと思う。勝つためだけでなく「一本」勝負に懸ける日本柔道は見ていても面白い。人生も一瞬のスキで決まる厳しさがあるのだと感じた。 (2005年 9月 11日 [日曜日])
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癒流詞の文化 |
日本人ほど「スイマセン」という言葉を使う国民はいないのではないだろうか?よく、欧米に行ったときに「T'm sorry」という言葉を絶対に言ってはいけないと教えられる。こちらに非があっても言うなと教えられ、ましてや非がないのに、その言葉を一度でも使ったら責任を取らされると言う。例えば、それはアメリカと比較するならば、単一民族の日本人と他民族が同居して作られた国家の差、文化の違いだろう。欧米は契約社会ですべて利害損得で合理的に物事は処理されるが、日本人の場合は、そこに穏便に許し愛を認めようとする。残念ながら、許そうとして来た。昨今では欧米化して来て、責任の所在を問い倍賞責任の名の下に慰謝料などで解決しようとする傾向が強くなって来ていることに淋しさを覚える。何かが起きた時、真にその責任を果たすことは不可能なことだと思える。正義に対しては敢然と戦うという姿勢は大事だと思えるが、時に不可抗力であったらり過失であったり、時に善意の下での過失もありうると思う。それをお金で解決したとしても、それは真の解決、責任の遂行になりえないことが多いだろう。 「スイマセン」と言う言葉には、「どうかあなた様に失礼をしてしまったならば、私の心には悪意なく善意の下での好意でしたので、お許しください」という、予め(あらかじめ)の予期せぬ出来事に対するお詫びの印としての言葉だと思われる。単一民族である日本人間には、それがお互いに長い歴史の中において認められて来た。すべての日本文化はそれを土台にして継承され伝えられきた。それが「道」と名のつく諸芸・遊芸であり、日本語の文化であったのではなかろうか。それが近年の言葉の乱れでもわかるように崩壊してきた。許し愛がなければ、そこに発生してくるのは「諍い」でしかない。子ども達は成長過程の中でしか、文化も言葉も理解しえない、『日本心』を学ぶことなく、理解することなく、伝統文化の良さを知る前にアメリカナイズしてしまったら、日本人が日本心を喪失してしまうのではないかと危惧する。 天と神の下において、人間が許し愛をしなくて、相手を攻め立てることが出来るのであろうか?癒流詞=お互いが思いやりの心で、癒しの詞(ことば)を流しあう。そんな詞が使える人でありたい。教育の原点は人間を育てることであり、美しく正しい詞(言葉)を育てる教えることである。それが心を育てることに繋がることだと思う。 明日は選挙。政党で互いに相手を攻め立てること、悪口の言い合いをして攻撃しネガテイブな言語の下に訴えを連呼する。自分の政党の良さをアピールするだけでも十分に支持を受けられるのではないか。私が少年時代、「清き一票」とい言葉を何度も耳にした。最近聞くことも少なくなった。私はタレント議員が横行するようになってから、清き一票を投じることを拒否してきた。 25年来、お世話になっている先生が芦屋の選挙区で立候補されるようになってから復帰した。それは政党に投票するのではなく、人物に託して「清き一票」を託すという思いである。 (2005年 9月 10日 [土曜日])
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愛する友へ贈る詩 |
■結魂(けっこん)■ 愛するもののすべてのために 愛する人のすべてのために この広い宇宙に 一つしかない私の命 月の光に添えてわたしの言葉を 今 捧げん あなたのために あなたとの出愛は神様からのご褒美 二つ命を一つに合わせ 神謝に生きて結ばれん 愛するもののすべてのために 愛する人のすべてのために この美しい癒河風に 一つしかない私の魂 太陽の光に添えてわたしの心を 今 与えん わたしのあなたに 魂が結ばれたとき すべてのものが一つに溶ける 二人の美流来癒河風は理想の故郷 すべての愛でつくられる 愛するもののすべてのために 愛する人のすべてのために この大きな世界に 一つしかない私の心 星の光に添えてわたしの愛を 今 結びゆく あなたとわたし 17日、沖縄の美世咲で結婚式を挙げる友に贈る詩。 (2005年 9月 9日 [金曜日])
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岡田繁心待我寿 |
阪神の岡田監督が男を挙げた。株価でいくと3倍以上の値上がりあろう。関西ファンというか、大阪人の心を掴まえた。 9回裏のミスジャッジで猛然と抗議をした雄姿は、正に虎が獲物に挑みかかる形相だった。かつての語り草になっている日本シリーズの阪急上田監督のようにナインをベンチに引き上げさせて、徹底抗戦した。今までに岡田監督が見せなかった態度、姿であり、それが浪速のファンには星野と比べられて不評だった。頼りなさにも映っていた。ところがここではやる時は「やる!」となんと頼もしい勇猛な虎の姿を見せてくれたことか。いっぺんに岡田のファンになってしまった。 9回の裏、1死2,3塁。絶対絶命のピンチ。9分9厘敗色が決まったような状況。岡田監督が初めてピッチャーマウンドに歩みよった。ベンチでは笑顔を見せない指揮官がピッチャー久保田に笑いながら激励をした。新聞報道によると「打たれろ、ムチャクチャしたれ、と言ったんや。それしかないやろ。お前の責任やない、おれが責任とる言うたんや」。その直後、久保田が2三振を奪って延長戦に突入した。 過去何十年の阪神は、いつもこのミスジャッジ?あたりで、あっさりと負けていた。そして、優勝を逃し、あのミスジャッジがなかったら、あの試合に勝っていて優勝していたのにと、何年後までの語り草にしていた。ところがどうだろう。そのようなダメ虎を見事に岡田が強い虎に変身させた。その変身振りにファンの虎キチがついていけないでいる。85年の時も2年前も「勢い」で勝ったところがある。ファンも盛り立てた。しかし、今年はどこか違う。どうも違う。もうそろそろ負けるやろう?というファンの予想(期待)を裏切って、ここぞという所で勝つ。 勢いや派手な強さはない。地味な強さを身につけた。昨日の勝利で岡田阪神の強さを見た。それはかつての吉田・星野にない、正に繁心待我寿=心を繁らせて我々の寿ぎを待つチームに変身した。岡田変身タイガースだ!金本しかり、矢野しかり、赤星・今岡・檜山・鳥谷・藤本・シーツ。東京のスター軍団のような造花の派手な選手はいない。かつて「寛美!」=藤山寛美といわれた岡田監督の大阪人的、浪花節的な人情味のあるチームが出来上がった。岡田監督の北陽高校から早稲田大学というコースも、This is 大阪で好ましい。 (2005年 9月 8日 [木曜日])
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マザーに愛に行く |
マザー・テレサ 主演/オリビア・ハッセー ファーストシーン、マザーが出てきて音楽が鳴り出した時、涙が溢れてきた。それはなぜなのかは判らない。あえて言うならば、オリビア演じるマザー・テレサの姿に、そのような神々しさがあったのかもしれない。 5年前、50歳の年にインドを訪れ、マザーテレサの修道会で朝のミサに参加した。この世のものとは思えない修道尼たちの美しい歌声を聴いた。その横にマザーが座っていた。教会の部屋に今は亡きマザーの木彫が置かれてあった。オーラというそんな陳腐なものでなく、温もりのある慈愛に満ちた気が漂っていた。抱かれる包まれる受容される空気に満ちていた。スクリーンを見てそのようなものを思い起こしたのかも知れなかった。 ○ 真実のドラマが、あなたの心を涙で揺さぶる。 ○ それはどんな困難にも負けず、愛することをやめなかった一人の女性。 ○ 鋼のような強さと海のように深い愛 ○ 彼女の魂は確実にこの世に残った ・ 私は神が手に持つペンにすぎません。文字を書くのは神ご自身です ・ 私達の行いは大海の一滴にすぎません。何もしなければその一滴も永遠に失われます ・ 愛するにはまず笑顔から始めるの 神に対する愛のしるしよ ・ 希望を失った者に光を与え苦しむ者の顔に神の顔をみること ひとりでも多くの人に見て欲しい作品。これは映画というよりも「マザーテレサ物語」としての映像として観ていただくほうがよいのかも知れない。全てがマザー中心である。 「平和」という言葉がよくつかわれたが、これは監督と主演、オリビア・ハッセーの20年の積年の想いがなせる業としてのセリフだったのかも知れない。 ボランテイア活動というが、それがいかに大変なことであるのかをこの映画は語っている。同時に、その素晴らしさも語っている。マザーは紛れもなく「人間」であるが、神に一番近い人間であろう。しかし、一歩ではこの混沌とした混乱の世界に、蔭で世のため人のために尽くして下さるたくさんの人がいて救われているのだろう。どう生きるべきか、どのように生きなければならないか、それを自問自答するには最高の映画だと思われる。 オリビアの俳優としての執念であり、愛を見た。オリビアはマザーになりきっていた。ある面で人は自分が思った自分になりきって生きているのかも知れない。幸不幸も、成功失敗も、それは誰のせいでも人のせいでもない。人事の及ばない、人為の及ばない世界のことは別にして、この世に起きることの全ては、我が意がつくった世界で人は生きているのではなかろうか?「信仰」という偉大さ、強さもマザーの生き方の中で証明されている。 『祈り』という魔法の力は非科学的であり、最も科学的であるというのは、小生の管見ではあるが、人は人として、宇宙の存在の中で生かされている一個の生命体としての自覚のもとに、もっと真摯にもっと謙虚に生かされて生きていくべきだと思った。 宗教をこえた存在として、マザーを受容させていただいて、生き方を学ばさせていただく。それが愛と平和への一歩のような気がした。 (2005年 9月 7日 [水曜日])
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プレゼンテーション |
教育業界は少子化の渦中の中で、私立の学校が、塾が懸命に努力をしている。どちらも定員に達している所が少ない。塾の場合は定員はあってないもの、学校の場合は3000人生徒さんがいた学校が1,000人を切っている学校もある。 大阪の私立高校、興国高校さんの学習塾対象の説明会があって参加してきた。この10数年、参加した数は延べ200を越えることだろう。ある面で説明会のリスナーとしてのプロといえるかも知れない。そのような中で興国さんの説明会は、現在間違いなしに一番だろう。熱心に広報活動をして、先生が一緒懸命な所は確実に生徒さんを確保・増やしておられる。当たり前のことだが、説明会なのでいいことしか言わない。でも、聴いていると、単なる説明か、気愛が入っていて日々の指導がいいか、熱心かどうかまで見えてくるものがある。中にはこの説明ならしない方がいいと思うところもある。言葉の端々に思いやりが欠ける言動があったりり、小生もおなじ身の上だが先生の高慢さが出たりする。また、生徒募集の説明会なので、プレゼンテーションしなければならないのに、大勢の塾長、スタッフを前にして、生徒さんにするような説明をされる所もある。興国さんの今日の会は、実に爽やかで、お客様をお迎えするというお持て成しの心が随所にあって、清清しいものであった。副校長先生が女性で、生徒さんの発表の時の眼差しを凝視させていただいて、正直、感動を覚えた。あれは正に聖母マリア、マドンナの眼差しで、思わず「美優」という言葉が湧いて出た。私も子供たちの前に立たせていただいて30年、あの眼差しが本物かどうかはわかると自負している。 人のやることは、人の心を持った人がやる。千載意思来は勿論ながら、やっぱり「こころ」が大事だと学ばせて戴いた説明会だった。これがやはり『教育は情熱である』という所以だろうと思う。 (2005年 9月 6日 [火曜日])
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一通のお便り |
西口先生ありがとうございます。 印鑑送って下さり本当に感激しました!! 心から感謝しております!!! 西口先生はいつも、自分のことだけでも精一杯なこのご時世に、周囲のみんなに心配りされ、尊敬の一言に尽きます。 私といえば十年一日の如くつまらないで悩んだり、不満顔オンパレードです。愛のバーゲンセールの反対でマイナスオーラのバーゲンセールです(涙)先生と話したりすると束の間よい子になれるのですが・・・。私には心の修行が必要です。ですが望みは捨てていません。今日がスタートだと思って、よい私のイメージを心に強く持ちます。そして先生から戴いた印鑑を、沢山の幸せな会社の申告書に押印できるようにがんばります。 どうぞこれからもお体に気をつけられ(先生お一人の体ではありません)ますます私達を鼓舞し続ける、偉大なヒーローでいてください。これからも色々ご指導の程お願いいたします。 本当にありがとうございました。 追伸・Kさんご夫妻も心から喜ばれておりました。私に先生との出愛を下さりありがとうございますとのことでした。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『二度とない人生だからいっぺんでもおおく便りを出そう』 お手紙を戴くのもお出しするのも、ひょっとしたら趣味の一つなのかもしれない?几帳面で緻密ではないので、気分的な所もあって遅くなったりはするが、いつも机の周りには筆・墨・半紙・便箋・封筒・切手が手元にある。メールをするようになって回数は減ってはいるが、マメさを心がけている。 Nさんからお手紙を戴いた。若い会計事務所の所長さん、私から見れば小さな妹のような娘のような可愛い人で、数字に弱い私から見れば、それだけでも一目置いて尊敬してしまう人。真面目な性格なので、ちょっとネガテイブな表現をしておられるけれども、明るく元気な張り切り娘という感じの女性。文面の中でヒーローなんて言われると、うれしさ半分、照れくささ半分。でも、期待に応えて頑張ろうと思わせてくださるのは有難い事である。 毎月、「事夢書通心」を送って下さって、今回は中国土産の礼状が入っていた・・・。どんなお返事、返心をさせていただこうかと楽しみを戴く。歓謝、カンシャ、神謝です。 (2005年 9月 5日 [月曜日])
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わぁ〜い和愛の集い |
お祝い・記念・集いといろいろな会がある。正直にいうと、義理で参加するものもあれば、参加してよかった。面白かった楽しかったといろいろな会がある。株式会社ライブロードさんの教育フォーラムが米原であった。100名ほどの参加者が招待の形で、晩餐・宿泊と全て持って下さって、実に寛げる気楽な楽しい宴があった。兵庫教育大学学長の梶田叡一先生のお話があり、主催者の「想い」が込められた集いであった。語り食べ飲む・談笑・快食・痛飲。参加者の顔が美笑であったのが何よりで、素晴らしい催しであったことを物語っていた。 時間的に余裕を持って米原へ行ったので、一駅先の醒ヶ井という町並を散策して歩いた。旧中仙道の小さな宿場町で地蔵川という疎水のような小さな川が町を流れ梅花藻が、その清水に晒されて清清しい情景を映していた。聞いたこともなかった町を時間に束縛されることなく、歩いてみるというのもなかなか優雅というか、乙なものだった。あの清水の流れに洗心できたような気がした。 (2005年 9月 4日 [日曜日])
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マーフィー・真ー富意 |
■世界一わかりやすいマーフィー「お金」と「幸せ」の法則 ■マーフィーの教え ■マーフィー幸せなお金持ちになる一番の教え ■マーフィー世界一かんたんな自己実現 ■マーフィーあなたの夢はきっとかなう ■マーフィーに学ぶ幸せな成功者になる法 ■マーフィー幸運を引きよせる奇跡ノート ■マーフィー聴きながら夢をかなえる 紀伊国屋書店で8冊、しめて11000円なり。在庫でもっていたほんが2冊、合計20冊。年初にマーフィーを読み始めて、いわゆるはまっている。マーフィーは1898〜1891年の人で我が父と同年代の人。それゆえ何となくピンと来るものがある。20世紀に生きた人で。ある面で潜在意識を発見した人で、その面でも功績は大きい。そして、21世紀に小柴昌俊さんが「ニュートリノ」を発見されて、私にとってはこの2つの関連性に素晴らしいものを見出している。親鸞・法然・日蓮の時代には、まだ潜在意識の存在がなかった。念仏を唱える効用は潜在意識にポジテイブな思いを浸透させ自己暗示させることが可能である。それを霊感的か、超越した修業でとらえたところに宗教家としての偉大さを感じる。彼らは潜在意識をとらえていたと思われる。お釈迦様、キリストにいたっては、もっと超越したものであろう。潜在意識と言葉を重要視したのが論語の孔子だろう。 マフィーの本を読んだ人は何千万人といるだろう。億を越えているかも知れない。そして、それを活用して成功を修めた人は、少なくとも1%は実在すると、勝手に推測している。では99%の人との差はなんであろうか。『素直に読む』という一語に尽きる。「信じる」ということと言い換えてもいいかも知れない。 私はといえば、その実践と子ども達への伝授・活用を考えて、今、研鑽研究中である。講演でも折にふれて話材にさせていた抱いているが、それなりの効果を聞かせていただいている。子ども達のために伝えたい。その一心は必ず花咲き実を結ぶと確信している。 (2005年 9月 3日 [土曜日])
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教え子から教え子へ |
6年生の中学受験クラスの1学期最後授業で、「天空のエンゼル工場」という山崎さんの作品を読んでもらって、生徒さんに感想文をかいて戴いて、それを山崎さんにお送りした。ひとり一人にメッセージが届いて、2学期の最初の授業で生徒さんたちに、そのお返事を書いてもらった。原稿用紙半分の感想にも、ひとり一人多い子には5枚の感想。メッセージが添えられてある。その枚数はゆうに50枚を越える。一字一句に子どもへの愛情と真心がこめられて、子ども達はそれに大きな感動をした。 ■ぜったい素晴らしい人になって、優しさと思いやりを大切にし、成功と幸福につつまれたいです。ぼくは心から思います。 ■この物語の好きな所は、何回も読んでみると、ちがった思いがまた出てくる所が面白くて好きです。そんな文章が書ける事は素晴らしいと思います。これからも楽しい物語を書き続けて人の気持ちをウキウキ楽しませてください。 ■本を読んで、その本の作者に感想文を読んで貰うのも、あまりできないことなのに、感想文を見て手紙を戴いて、それにお返事を書けるなんて貴重な体験だと思います。山崎さんは私をすごく褒めてくれたので嬉しい反面恥ずかしくもありました。本当に嬉しかったです。ありがとうございました。 ■山崎さんにに、私は「正直・素晴らしい人・よい人・やさしい人」といわれて、私は他人からそのようにあまり言われたことがなかったのでうれしかったです。ましてや「素晴らしい人」なんていわれたことがなかったので、さらに嬉しかったです。私が感想を書いて、お礼を言われるのではなく、私の方がお礼をいうのだと思います。それはあんなに素晴らしい文章を読ませてもらったからです。 ■この手紙を読んでいて、私は嬉しいようなてれくさいような気持ちになりました。なぜかというと褒めてくれたり、自分でも気がついていなかった私のいい所などを書いて下さったからです。私はこれから生きていくために必要な「自信」がついて来ました。ありがとうございます。私は山崎さんに出会えてとてもよかったと思います。 ■私こそ山崎さんに会えてよかったです。山崎さんには会った事も見たこともありませんが、この物語を読めば山崎さんの心がわかってきます。山崎さんは5枚の返事を下さいました。心がこもっていて紙なのになぜか「ほんわり」していてすごくあったかいです。こんなことは生まれて初めてです。すっごくすっごくうれしくてたまらないです。もっと早く生まれていたらきっと親友になっていたかもしれない。そんな気持ちがしてなりません。 ■ぼくはこういう手紙をもらったことがないのでうれしかったです。学校の先生に、この物語を読んでほしいです。そうすれば考え方が変っていいと思います。僕はこの物語を読むことができてよかったです。 ■お返事ありがとうございます。文を読んだだけで性格がわかるなんてすごいですね。当っていると思います。この山崎さんのお返事を塾から帰って家族に見せます。家族のビックリする顔が眼に浮かびます。 ■この物語はとても不思議な視点から世界を見ていてそこがまた面白かったです。なんだか私も天使になったような気分で読みました。 子ども達の『素晴らしさ』に、改めて神動した。本当に彼らは私達の想像を絶する、遥かに超越した才能と感性を持っていることに気づかされた。このようにして、それを文章で確認することができたのは、私にとって教師道の新境地が開けたような想いすら擦る。子ども達は神様だ。子ども達は天使だ。数十倍も数百倍も・・・。指導者の小さな枠で子ども達をとらえるのではなく、宇宙的視野で彼らを見て伸ばしていく、才能を開花させていくことが、教師の使命だと思う。教え子から教え子への「通心」を拝読させていただいて、気づかせていただいたことに神謝。 (2005年 9月 2日 [金曜日])
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優情の燦真(秋刀魚) |
生まれて初めて秋刀魚を三枚に下ろして見た。旬のもの、初物を食べると長生きできるそうな・・・。刺身にして、焼いて旬の秋刀魚を食べた。心に沁みるその脂味は、自然からの贈り物といえるだろう。美味への追求はその世界に生きる人にとってはロマンであり、夢への追求、挑戦でもあるのだろう。 T氏から旬の『優情の秋刀魚』が送られて来た。落語の一席に「目黒の秋刀魚」というのがあるが、昨年もお送りいただいて、世の中にはこんな旨い秋刀魚があるものだと感心、心服したものだが、旨いもの、美味しいものは何度食べても旨い。秋刀魚は美味しいというよりも、「さんまは旨い」と言ったほうがピンと来る。宮城県産のさんまは燦真=サンマと言っていいほど、背中の青、腹の銀色が燦々と真に輝いている。真鰯(まいわし)と言われるように、本真もんの秋刀魚は見て食べて味わって、それが違う。T氏の「食」へのこだわりは一流で、それは生き方にも通じるもので、私より年齢もひと回り以上の差があるが、いつも学ばせていただいている。一つのことに打ち込む、一つのことにこだわる。それは一つのことに一心不乱に求道する「気違い」のように思える。私もまた、今、「字遊の世界」へと一歩一歩気違いへと歩んでいるのかも知れない。一般的に気違いというとよくない意味で使われるが、かの偉大なる芸術家、ゴッホは一流の気違いだと思う。利休も芭蕉も、その道の気違いが後世に文化遺産を遺してくれているのだろう。燦真に神謝・優情に感謝・全てに歓謝 (2005年 9月 1日 [木曜日])
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