2005年10月の日志

スウェーデンからのお客様

次男の息子がロンドンで勤務をしており、スウェーデン・ストックフォルムのお客様が京都を多美すると言うことで、昨日・今日ご案内をして来た。16歳のアレキサンドレと14歳のマクドレナ
二人の娘さんの可愛さと賢さに感動をした。スウェーデンは11月1日から1週間学校が秋休みで、それを利用して日本へ旅行に来たそうで、アンドレイというお父さんが日本通で家族旅行になったらしい。昨日の昼食は大徳寺で精進料理を食べたが、見事に残さずに食べた。最初の抹茶も苦いと言わずに飲んだ。飲み方の作法を簡単にレクチャーしたら、ちゃんと真似をしていただいた。鉄鉢の精進料理を全部食べたのには正直に言って驚いた。文字通り大豆をベースにした。豆腐料理で味も、白合えなどは、今時の子供では、食べつけないと、不味いと感じそうなのだが、やっぱり、本物と言うか、いいものは分るものだと思った。先週の沖縄のお客さんの小学生もしっかり食べたものだ。
 スウエーデンの娘さんたちの知的好奇心というか素晴らしさは、一つ一つの食べ物に対して、何か?原料は?と質問し、その食べ方をマネした。二条城の見学も2時間を要して熱心に見学をした。お父さんと話をしていても、しっかりと横で聞いていて、時には通訳をしてくれた。彼の英語は、ユア ワルク?と言う感じで、workのrをルと発音するために、最初は戸惑った。
 14,16歳というと、中2、高1生の歳だが、2日間一緒にいると賢さが良くわかった。あの歳であんなに賢い子と言うのは初めて出合ったような気がする。やはり、あれは親の躾、価値観の影響が大きいように思えた。
 先週の月曜から1週間、4回京都に行った。大学の4年間と志事で3年、京都は歩いたので案内できると思っている。久しぶりの二条城も金閣寺も、私自身が歳を重ねて感じ方、考え方に少しは深みが出てきたのだろうか?素敵に楽しむことが出来た。
 河原町三条で夫々の人とハグをしてお別れをした。次はストックフォルムで愛ましょう。
(2005年 10月 31日 [月曜日])

師言
 『やります・出来ます・変ります』
この言葉は年頭に入院をされ、あと1週間遅れたら命の保障は出来ないと言われた石川洋師の現在の心境を決意されたものである。今、週に3回透析をされながら活動をしておられる。
 何とすざましい言葉であろう。初めてお出愛させて頂いて20年以上になるので、その活動を拝見させて戴いているだけに、その凄さに敬服を超えたすざましさを感じずにおれない。2度目の大病を過ごされたことになるのだが、その度ごとに「生まれ変わった」と仰られる。私の「おやじめ〜る」「はがき」「カレンダー」の作成、遊書へのキッカケも石川洋師への憧れであり、学びからの学び(マネビ)である。師匠とお呼びさせて戴くのすらおこがましく、失礼に当ると存じてそのように思ったこともいい意味でない。20年の間、一定の距離を置かせて頂いて、人間石川洋を凝視させて頂いて多くを学ばさせて頂いている。浸透するという形で大きな影響を受けているように思える。
 最初、ご講演を数回聞かせていただいた後は、いつも落ち込んだ。単純に感動などしていられなかった。これでいいのかといつも自問自答させられた。師に怖さを覚えた。それは畏怖に近いものであったのかもしれない。自分が裸になってすべてを見抜かれて、その上でお付き合いさせていただいて叱正を戴こうと思ってから、近づくことが出来るようになった。
2005年 10月 30日 [日曜日]

86400ドルのプレゼント
■牛心・伊藤社長から熊さんファミリィーと西口へのメッセージ
☆「86400ドルのプレゼント」☆
次のような銀行があると、考えてみましょう。
その銀行は毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。
つまり、86,400ドルの中で、あなたがその日に使い切らなかった金額は、すべて消されてしまいます。 あなただったらどうしますか。
もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね。
僕たちは一人一人が同じような銀行を持っています。
それは時間です。
毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。
毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。
それは、翌日に繰り越されません。
それは貸し越しできません。
毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。
もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、
あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼることはできません。
あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。
時計の針は走り続けてます。今日という日に最大限の物を作り出しましょう。
1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると いいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、
待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、
電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、
たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1秒の価値を理解するためには、
オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。
だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、
十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。
昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。 今日は与えられるものです。
だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。

  ●(出典?です。お許しください)
2005年 10月 29日 [土曜日]

天願かおるさんの天への願い
■天顔さんは私の沖縄のお友達です。「ジュゴンの夢」「おばぁの祈り」という詩を書かせて戴いた仲です。これは政治的な活動ではなく一人の人間としての平和と自然への愛への願いだと思っています。

FHAN(普天間−辺野古アクションネットワーク)より
沖縄から天願かおるです。
既に報道でご存知かと思いますが、日米間での米軍再編協議が行なわれ、この協議において沖縄は蚊帳の外です。
沖縄県民の頭越しの協議に、県民の不満はたまる一方です。
以下のメールをたくさんの人に転送して下さい。
私たちができることは限られています。しかし今こそ小さな力を結集しなければ…
日米両政府が言う「合意」だの「決着」だのというのは、沖縄の声を一切無視したものであり、到底受け入れられるものではありません。厚かましいお願いをお許し下さい。どうかよろしくお願いします。
**転送をお願いします!**

皆さん、Hello!
今年の6月まで琉球大学の客員研究員として米軍基地のことについて調べていたケリー・ディーツです。
ご存知のように、今度の29日にワシントンで日米の外務・防衛の閣僚の「2プラス2」会議を開くことになりました。まだ日程調整をしているようですが、この会議に向けて、沖縄(辺野古)での新米軍基地建設反対と普天間基地の無条件即時閉鎖の緊急「ナショナル・コール・イン」(全国抗議電話キャンペーン)と同時に、緊急署名レターキャンペーンが進んでいます。
もう英語版を発信し、平和と正義のための連合、友和会、平和のための退役軍人、平和のための戦死者家族の会などのアメリカの大きい平和・人権団体を含めて、たくさんの団体と個人からサッポートをいただいています。
みなさんの中にはすでに英語版に署名した人もいらっしゃると思いますが、私の友人が署名レターを日本語に翻訳してくださったので、送りします(下)。沖縄や日本の平和・環境・人権団体の署名はもちろん大歓迎です。
ご検討と返信宜しくお願いします。

kdietz@riseup.netに日本時間27日19時(米国東海岸時間の朝6時)まで返信してくださると、私がプリントアウトしてに速達で送りします。
がんばりましょう!
In peace, Kelly
**転送をお願いします!**
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内閣総理大臣:小泉純一郎様
外務大臣:    町村信孝様
防衛庁長官:  大野功統様

米国大統領: ジョージ・W.ブッシュ様
同国防長官: ドナルド・ラムズフェルド様
同国務長官: コンドリーザ・ライス様 

1997年の沖縄県名護市において実施された住民投票は圧倒的数字で名護市辺野古に建設予定の新基地建設に対する住民の明確な反対意思表示でした。 しかしその結果ににもかかわらず米国と日本政府はそれを無視するかのごとく共同基地建設プロジェクトを強行して来ました。

沖縄県民はかくも永きに渡り日米同盟の基で不公平な基地負担を強いられて来ています。日本国土のたった1%にも満たない沖縄県に在日米軍基地の実に75%が据えられています。 その上、既に存在する37基地施設の内その35%が本島の20%の土地を占有しています。また米軍はこの小さな島々に29制海権及び20制空権をも保有しています。

38番目の基地建設は全く持って不公平かつ反民主主義であり、米軍基地の存在そのものに対する住民の反感を買うのみです。沖縄県民の権利を尊重し、また将来の自主選択権を認め、直ちに基地建設を取りやめるように強く要求いたします。

現在進行中の計画案は辺野古湾域に新基地を建設すると言うものですが、この地域は沖縄でも最後に残された汚れのない新鮮なサンゴ礁の海域で、多種多様の絶滅危惧種を含む海洋生物の棲家でもあり、又これらの海洋生物はアメリカ、日本そして国際法でも保護の対象になっています。海洋専門家は基地建設により確実にジュゴン(シーマナティ)のような希少生物は絶滅するだろうと警告を発しています。 沖縄の文化に置いてジュゴンは貴重な位置を占めています。 この環境破戒に関しても国の責任を認識し貴重な沖縄の世界的にユニークな海洋生物を保護するべく要求致します。

既に遅れている普天間飛行場の閉鎖と新基地を沖縄県内に建設することで抱き合わせようとする日米政府は既に沖縄県民を日常的に更なる危険に曝しています。  2004年8月のヘリ墜落事故は宜野湾市内に隣接する大学と住民に多大な恐怖を与え、この事故は未だに県民の記憶に新しいところです。 日米同盟の基で同じ不安と恐怖
が未来の辺野古の住民にも起こり得るということです。直ちに、無条件で普天間基地を閉鎖し、永年の念願である「基地負担軽減」は決して他の場所に基地移設をするこ とによって行ってははならないというこ
とを認識すべきです。

時間こそ一番の要です。 沖縄、日本、そしてアメリカがより良い関係を保つには今こそこの貴重な機会を利用してそれを実現して行くべき時です。お互いに敬意を持って民主主義の理念と人権保護を訴えて行きましょう。
敬具
団体名、場所(個人支援者も歓迎!)   
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(2005年 10月 28日 [金曜日])

熊メール

言葉で言えるありがとう o(^-^)o
言葉で言えないありがとう (*^_^*)
心の中でありがとう〜(?_?)
西口先生ありがとうございました。
何から何まで機中では、みなグッスリ(-.-)zzZ
那覇から備瀬まで楽しい土産話しで盛り上がり
只今 両親と一緒に 土産話しです。
まずは無事に到着です。
スベテの計らいに感謝です。
(*^_^*)(*^_^*)o(^-^)oo(^-^)o
(2005年 10月 27日 [木曜日])

多美、旅
繁心待我寿=心を繁らせて我等が寿ぎを待つ。
31年のロッテと20年の阪神と心を繁らせて待つ、年数が足らなかったせいだろうか?お見事に負けちゃいました。心を繁らせたかどうかは、神のみの知るところ。まだまだ未熟と言うことなのだろ。心気一点(心と気を一点に集中)にして、さぁー、来年、新年(心燃)頑張ろう!熊さんは阪神の日本シリーズは3度目だという。西武戦・ホークス戦・今回のロッテ戦。この3回を埼玉・福岡・甲子園で見ているのは、日本広しといえども、もしかしたら1人かもしれない。子供たちは始めての甲子園。ましてや日本シリーズ、負けはしたものの、あの甲子園の熱気に酔いしれて感動したようだ。朝、一番に甲子園球場の敷地内ともいえる場所、隣接している甲子園すさのお神社にお参りして、願を懸けたのも及ばずだったが、満足して観戦して下さったようだ。
 5月にアメリカのオーランドに多美して、ダニィーに案内してもらった時、彼等は自分も一緒に楽しんでこちらを愉快にさせてくれた。私も熊さんファミリィーをそのような持成しの心で案内させて戴いた。対人関係でにポイントはこちらは気を遣っても、相手に気を遣わさないことが大事だ。お金も気も遣わない。お金は遣うが気を遣わない。お金は遣わないが気を遣う。やっぱり、一番いいのはお金も気も遣うことだろう。「風のようにサラッと自然に気を遣い、相手に決して気を遣わさない」これが茶人の妙味だと思える。
 
(2005年 10月 26日 [水曜日])

美味最高!
私が世界で一番愛してる熊さんと一番惚れ込んでいる伊藤社長の1年越しの対面を梅田の但馬屋さんで実現した。お互い一目見て意気に感じたらしく、意気投合して素晴らしい歓談の食事が出来た。7時から10時まで伊藤社長がずっと同席してお持て成しして下さった。ここの焼肉は世界一の味で、正直なところ自分で焼いて食べるよりも、オーナーの社長さんに焼いていただくとまた格別に美味しい。お陰様で今回で10回目を迎えるが、今日は格別に一番美味しく感じた。「それは一緒に食べる人たちがいいからですよ」と社長は謙遜していうが、事実、牛さんの素材が全く違うのだ。熊さんファミリィーの子供たちはあまりの感激に、「帰りの飛行機が落ちても悔いはない」とまで言った。4年生の海美ちゃんが全部食べれるだろうかと思ったが、普段の3倍ぐらい、生まれて初めてたくさん食べたようだった。
 伊藤社長が子供たちに感激させるような素晴らしい話をして下さって、一生忘れない思い出の1ページが出来たように思う。

■嵐山、渡月橋から人力車で嵯峨野を散策して、清涼寺→あだし野念仏寺→大徳寺、泉仙で精進料理を食べて→金閣寺→北野天満宮の天神さんの縁日→御所→知恩院→清水寺→三十三間堂。
そして、今日のハイライトの但馬屋さんへ。
(2005年 10月 25日 [火曜日])

家族旅行
 沖縄から熊さんファミリィーが家族旅行でいらっしゃった。関空に迎えに行って、車で高速道路で京都に入った。京都南のインターチェンジを降りて、1号線を北に少し行くと東寺に当って右折することになるのだが、ここで4人の子供たちが東寺の五重の塔を見るなり「ワァー凄い!」と歓声を上げた。純粋な感動と言うか、美・荘厳・伝統・歴史建造物から発する何かが子供たちに伝わったのか、その歓声を聞いた私が、それに感動をした。私にすれば見慣れた風景で、五重の塔に感動するということはとうの昔に忘れた感慨だ。京都の遠景をテレビや映画で撮影する時はいわゆる「絵」になる景色で、東京方面から帰って来て、この東寺を見るとホッとする、安心感があるのは確かで、空海の時代から計算すると1000年以上にはなるはずなので、一つの風景ではなく、そこからは何か「気」なるものを発しているのかも知れない。熊さんファミリィーの3泊4日の多美はこれからスタート。いつもお持て成しをして頂いているので、今回は私が茶人?としての心尽くしのまねごとをさせて戴こうと思っている。
(2005年 10月 24日 [月曜日])

柿落とし
 家内と二人で兵庫県立芸術文化センターの杮落とし、オープニングコンサートに出かけた。思えば結婚前に越路吹雪・ピアフを歌うを聴きに行き、10何年か前にミュージカル「王様と私」がアメリカから来たものを観に行って以来の様な気がする。志事・子育てで一時期はそのような時間もゆとりもなかったともいえる。阪急の西宮北口界隈が都市開発されて文化の香りのする街づくりをしている。兵庫にあっては神戸・姫路・西宮と3番目の都市で、正に阪神間の真中、立地条件も良く、私の住まいである芦屋川からは夙川・北口と二駅である。
 オープニングセレモニィーとしてのコンサートは佐渡裕の第九交響曲。歓喜、歓びの歌というべきか、神を称えた曲は合唱によるその歌詞に良く描かれていて良かった。何度ものカーテンコールのあと、「ハッピィバースディ」の曲が演奏された時は、思わず心が反応して、涙が出そうな感覚の感動を覚えた。
 これからワンコインコンサート、つまり500円で気軽にコンサートが聞けるようにもなるらしい。一流の演奏者ではなくても気軽にクラシックに親しめることは喜ばしいことだ。
 夜は神戸市長選挙で当選した矢田五郎氏の選挙事務所に駆けつけてお祝いに行った。政治には疎い私ではあるが、側近の方にお世話になっているご縁があってお祝いに行かせて戴いた。当選事務所に行くのだからこちらも気分は悪くない。その人となりを拝見と、凝視して一挙手一投足を見つめたが人徳のある方のようにお見受けした。兵庫の神戸として頑張ってもらわないといけないのだから・・・。
 
2005年 10月 23日 [日曜日]

未知なる道
 人生は未知なる道を歩むからおもしろい。もし、明日のことがわかっていて、10年先、30年先、終点のゴールが判ったとしたら、今日を生きていくことは難しいだろう。私は人生を折り返して56歳。坂村真民先生を目標にしているから、あと40年。過去の56年の足跡があって人生経験があっても、これからの道はどのようになっていくかは判らない。もし、これが10年後に大病をして、15年に宝くじが当たって3億円が入って来てというようにシナリオが判ってしまったとしたら、生きる情熱が失せてしまう。未知であるが故にどうなるか判らない、だから、楽しみであり意欲に燃え、目標に向かって生きていくことができる。その考え方が正しいように思える。しかし、ほとんど大半の人は未知の中に不安を見出して、心配しなんとかしなくてはならないと思いすぎてジタバタしてしまう。未知な先に希望よりも不安を見ようとしてしまう。ジェームズ・アレンが説くように、宇宙の法則は「原因と結果の法則」に則るようになっている、成功したいならば、成功するための未知なる道の歩み方を見つければいい。それが簡単に見つからないから悩むのであろう。
 私はこの3年、「世のため人のため」という言葉を唱え、自分が人様のお役に立てるようにと心がけてきた。そのお蔭で随分と道が開けてきて、日々善心、日々心鮮な生き方ができるようになって来た。人生のシナリオは自分で書くもの。人生という夢舞台は、誰でもない自分が主人公。それは傲慢さを持って言うのではなく、むしろ謙虚であるべきだから、自分の内在的な考え方や価値観、想いをポジテイブに潜在意識に浸透させていくことで随分と違うように思える。失敗も成功もすべて原因があって結果として表出してくるものである。
 友よ、若者よ
 煩うことなかれ
 悩むことなかれ
 未知なる道に
 愛と夢と希望を持って 
 一歩一歩歩いていこう
 神謝と祈りの中に 
 道は広がる
 未知が明るく見えてくる
2005年 10月 22日 [土曜日]

時神・時感・時間
Tick-Tack…Tick-Tack…
 去り行く時間
 戻りたい?
 あの時、あの場所へ
 Tick-Tack…Tick-Tack…
 進み行く時間
 行ってみたい?
 未だ来ぬ未来へ…
■上の詩は私のホームページを管理して下さっている、教え子のA君のホームページの表紙に書かれているもの。
 時の神様は、天の計らいは機に会って素晴らしい時、「機会」を与えて下さる。この流れて来る時感をどのように受け止めるかが大切である。
 Tick-Tack…Tick-Tack…の、この時と時の間の【−】時間。ここに流れる間が大事なような気がする。ここには人為を越えた、神のなせる業としての間が流れ、人と人の間の距離感に一瞬の+であったり−が流れるのではないだろうか。そこに調和が生まれると和み、不調和が生じると不協和音が生じる。それは意識してとらえることは出来ないけれども、心はこの間に生じる時間を確実に捉える。日本の古典文化・芸能はこの「間」が大事であると言う。能然り、茶道然り、剣道然り。この間には時感と空感と心感がある。それは感性で捉えられるもので柔軟で研ぎ澄まされて鋭利でないと感じ取ることが出来ない。
 時間=タイム=大夢=待夢。大夢 is money.
 いつも心に Tick-Tack…Tick-Tack…という清澄な響きを受け止めておきたい・・・。
(2005年 10月 21日 [金曜日])

大地豊照
 昨夜、帰ってみると見知らぬ名前の方から封書の手紙が届いていた。愛知県在住の青年の方らしい。
 那覇安里にある沖縄第一ホテルに初めて泊まったのは、もう20年は経過するように思う。88年以降は時折訪れさせていただき、いわば沖縄の常宿にさせて戴いているホテルである。戦後、第一番目のホテルと言うことでこの名前の由来があるそうだ。ここ数年は知り合いの家に泊まることが多いが、朝の「薬膳朝食」を食べに行かせて戴いている。隠れた穴場というか、名士が宿泊、食事に来る和みのあるホテルで、オーナーの島袋さんが素敵な方、人徳のある方である。先日、日頃のお礼もあって、壷に第一ホテルをもじって「大地豊照」と書いたものをお贈りさせて頂いた。「いつも頂戴するばかりで申し訳ないです。では、お預かりさせて頂きます」ということで、「お客様で気に入った方があればあげて頂いても結構です」ということで御上げしてきた。オーナーのお人柄なのであろうか、お客様にあげられたようで、その方からの礼状が届いた。戦前の焼き物で100年近くなるものかも知れない骨董でおもしろい壷だ。まあ、今時にはないものなのでめずらしいことは確かである。
 焼き物にもヒストリィーがあり、歴史が生まれる。それは文字にもあって作品になると、人から人へと手に渡って物語が生まれると思える。それは作品が持つものであって、手を離れてしまうと作者にはわからないものとなる。わが子とまで言うと大袈裟かも知れないが、人から人へいい縁が生まれていい物語ができることを願うものである。
(2005年 10月 20日 [木曜日])

読書・独書
   一冊の本との出愛で人生が変ることがある・・・。

 「伊豆の踊子」「野菊の墓」「舞姫」「三四郎」「潮騒」「春琴抄」「あすなろ物語」「太陽の季節」・・・・
私は恋愛小説を読んだ数だけ恋をしてきたように思う。目が潤んできて涙が流れて活字が読めなくなって、どれだけ泣いたことだろう。

■文学のテーマは人間、文学に表現される人間心理の微妙な「心の綾」は、今、子供たちの前に立って語る時に大いに役に立っていると思う。20人の生徒さんが前にいるということは、20の「こころ」が前にあるということ。いい意味で大袈裟に言うならば20の魂と対峙しているということである。人は生まれた瞬間に間接的に4000万人の人のお世話になるという、そして、人生の中で直接的にも4000万人の人のお世話になるという。例えば、お米を作ってくださった方、電車に乗った時の運転手さんは、もう、これは直接お世話になった人と考えることができる。顔を合わせ、対話をさせて戴くという出愛も、もっと深い心交や絆、優情で結ばれることもある。

■人間は人と人の間で生きていくから人間と言う、この間を結ぶものは「こころ」でなければならない。その時に人間の心理や心の綾を読み取れるということは、とても素敵な素晴らしい能力だと思う。
 大学で教育心理や心理学を学んだことよりも、遥かに多くを『読書』から学んだ。

「出愛は神様からのご褒美」という言葉を作らせて頂いた私にとって人様との出愛は大切にさせてきていただいた。お陰様で交友関係も広いと思う。実体験と読書体験から得るものの大きさは計り知れずに大きい。学校での教科の学習よりも読書の方が知識を知恵に変えられる要素も大きいと思える。家族みんなで読書を勧める、これは本当に素晴らしいことだ。
(2005年 10月 19日 [水曜日])

お持て成し
 いつもよく日志に登場する美世咲の熊さんファミリィーが家族旅行で京都・大阪・神戸へやって来る。但馬屋さんの世界一美味しい焼肉・有馬温泉、そして日本シリーズ観戦が目標だ。熊さんは、その昔、沖縄から東京へ寿司職人として修行に出ていた時、お客さんの一人としてミスタータイガースと言われた掛布選手がいて、その人となりに惚れて以来のタイガースファン、大の虎キチである。この5年来、私がボランテイア活動で沖縄へ行ったときにはお世話になって泊めていただいて、いい意味で大きな声では言えないことだが宿泊費をお払いしたことがない。「先生がボランテイアで沖縄まで来て、県民のためにも色々活動してくださっているのだから私たちもお手伝いさせて欲しい」と言って下さって、お世話になっている。熊さんの両親も私のことを息子のように可愛がってくださっている。
 お持て成しとは心を持って成すということだと思っている。熊さんの方も長女の愛ちゃんが来年は大学生で那覇に出るため、一家揃っての家族旅行は最後になるかも知れないということで、私もできることの最善をさせて戴こうと思っている。日本シリーズのチケットは祈りの思いで先行抽選に申し込んで4枚が当たった。1日目のイエローシートは外れたけれども、2日目の3塁側外野席はゲットできた。あとは好天気とタイガースの猛爆を期待するばかりである。
(2005年 10月 18日 [火曜日])

シンデレラマン
シンデレラマン 〜心で語り継がれる<奇跡の実話>〜 
                主演/ラッセル・クロウ レネー・ゼルウィガー
 この物語は「夫婦愛」がテーマだと思う。その素晴らしさをラッセル・クロウとレネー・ゼルウィガーが見事に演じた。彼等の作品はもう何作も見てきたが、今回の作品の演技が秀逸だ。夫婦愛なんてテーマは、夫婦喧嘩は犬も喰わないと同じぐらいに映画としても、あまり求められないテーマだと思える。それをアカデミィー俳優の二人が素晴らしい演技で映画を完成度の高いものした。ラッセルのあのボクシング選手に見せるための役作りの減量はまさに映画人、プロの凄さを学んだような気がした。ハリウッドという映画界の風土がそうなのであろうが、映画がヒットしたかどうかではなく、本物を作るというハリウッドの風が私は好きだ。
 監督のロン・ハワードは「私は人びとの‘心’‘精神’や‘想い’そういったものを映画でとらえたい」「シンデレラマンは人が自分自身の中にある強さを見つけて、生きるためになすべきことをし続けることを描いたそんな映画です」「これこそが私が伝えたい物語なのです」と述べているように、そのままにそれを映画化している。「夫婦が育んだ結婚の絆の強さに惹かれたんだ」「これは結婚しているカップルのラブストリィーなんだよ」とも言っているが、その実はもっと深い。正に夫婦の純愛物語だといえるだろう。すべての夫婦が肩を並べて観て欲しい映画だ。そして夫婦・家族・親子の絆に生まれる愛というものの素晴らしさ、深さを認識して欲しいと思った。そして、世のお父さんには必見の父のあるべき姿を見せられたような気がする。
 「観客をリングの上に連れてって恐れやそこで体験することを一緒に感じて欲しかった」これも見事に果たし終えている。「ロッキィー」に代表されるようにボクシング映画というのはおもしろい。ある面では脚色される分、実際のボクシングよりもドラマチックに映像化することができる。しかし、この映画は単なるボクシング映画ではなく、ヒューマンな上にボクシングの醍醐味が加わってなおのことおもしろい。ラストのボクシングシーンも「どうなるのだろう」と観客を惹き付けるだけ惹き付けておいて、ハラハラドキドキさせながらリング上に連れて行かれて、最後の結末では予想を外される。予想を外されてそれ以上に映画をおもしろく楽しく素晴らしいものにしている。
■もう何年も前から、水曜日はレディースデイと銘打って映画代が¥1000−になっている。男にはそれがなくて、不公平な差別だと思っていたが、遂に木曜日はメンズデイになって映画が¥1000−で観られるようなった。1回分で約2回観られるのは映画ファンにとって何よりもうれしい。映画・文学は10代の頃からの私の心友だ。泣いて笑って神動して、映画は本当にいいものだと思う。
(2005年 10月 17日 [月曜日])

聖書の言葉
『信じて祈るならば 求めるならば何でも得られる』
この言葉は今の私にピッタリで、求めて得られたように思える。私立中学高校の入試担当の先生が来られて色々なお花詞をさせて頂いている中でこの言葉が出てきた。『信じて祈る』なんと素晴らしくなんと偉大な言葉であろう。正にこのとおりであると信じることができる。そんなに貪欲に私利私欲で求めているのではないのだが、求めたものが向こうからやって来る。正に神謝、有難いことだ。
 「心自流」という言葉も向こうから自然に私の中に宿って来て自然に出てきた。自分ではそうでもなかったが、いい言葉ですねと言われて、うれしくなって好きになってくるとドンドンと好循環してくる。今日はとてもうれしいことがあって、「365日年中夢求」カレンダーを4000部もお申し込み下さった方が現れた。6つの言葉を気に入って下さった。カンボジアの活動についても大いに賛同して下さった。このご恩は決して忘れてはならないと思う。
 ロッテが31年ぶりにパリーグの優勝を果たした。○○●●の最終戦で2−0の劣勢を逆転した。流れ、勢いを変えた。ベテラン選手がロッテファミリィーと笑顔で語った。プロの戦う集団がファミリィーと言うのもめずらしい。これで阪神岡田の日本一のシナリオが整って来た様な気がする。野球の神様、女神は猛虎とファミリィーのどちらに微笑むのだろうか。
2005年 10月 16日 [日曜日]

成文小学校50周年式典に参加して
尼崎本部校の地元である成文小学校の創立50周年の式典と祝賀会に案内戴いて出席させて頂いた。思えば30年前頃の77年当時は「不必要の必要」といわれ、学校からも先生からも嫌われ、生徒さんも担任の先生によると塾へ言っているということを言いにくいという事情もあった。考えて見ればあれから30年、時代は流れ今や塾へ通わない方が少数派となった。50周年の実行委員長(市会議員さん)のご子息、PTAの元会長、現会長さん、副会長さんを初め地元の青少年育成協会の役員さんのご子弟も数多くお預かりさせて戴くようになって、公式の会にもご案内いただくようになった。有難いうれしい事だ。
 会場では多くのお母さん方から挨拶をして頂いて、子供たちの元気な姿も見て、祝賀会では和気藹々の50年の同窓生や役員さんたちのふれ愛をみて気持ちいいものがあった。この校区は地理的には尼崎の下町でも、お母さん方の意識は結構高いものであって、その上に親しみやすく気さくである。それは肌でも感じていたことだが、祝賀会の雰囲気で尚強く感じられた。
 皆さんが子供の教育に対して、親・大人として考えて下さっているのがよくわかった。
2005年 10月 15日 [土曜日]

秋に想う
■五感で感じる 心で想う
    魂で念じる 決して頭を使わない
■心臓の鼓動 心の波動 
        魂の振動を大切にしよう
■魂を大切にするということは
     すべての命あるものを大切にするということ
■すべてのものに感謝するとは
   あなたにも自分にも神謝するということ
■すべての生命を愛しむと
       魂が生きてくる
■幸せは言葉には言い表せない 形もない
           それは心の中にあるから
■命あるもの 
   この宇宙にあるすべての物は
          一つに繋がっている
■太陽の熱 月の光 星の輝きを浴びて
        吹き抜ける風に私は溶ける
■人間は必要で 
      ゴキブリは不必要と言うのは人間のエゴ
(2005年 10月 14日 [金曜日])

美愛観音(みあいかんのん)

 この夏に北京を訪ねてご縁があって観音様と出愛、求めさせて戴いた。美笑観音・美愛観音、どちらの名前も捨て難く、考えた挙句「美愛観音様」と名付けさせていただいた。観音様とお見合いをして自照する。その中でお祈りして自省のもとに自己を高めていく。そのようなことができたらいいなあという思いである。路傍の石にも魂があるという考え方は決して不可能ではない。ある時代に中国のある佛師が、依頼を受けてか、あるいは創造心に駆られてか、一つの観音さんが出来上がった。何年前に誰が何時どのようにして作られたかは不明であるが、この一つの彫刻物が一つの歴史、ひとつの物語を経て私の手元に届いて来た。
 先輩の僧の方に依頼してお経を上げてもらい魂を入れてもらう予定にしている。「愛と平和」への偉法(いのり)、それは自分の事だけを神頼みするというのではなくて、世のため人のためになることをお祈りしていく。そのことができればいいなあと思っている。千載意思来においてもお祈りをする対象があることは、心的にも好ましいと思っている。
(2005年 10月 13日 [木曜日])

月愛
 九月のお月見が中秋の名月。この日は旧暦8月15日にあたる。今月は10月15日が旧暦9月13日で十三夜のお月見。十五夜よりも十三夜の方がある見方では美しいらしい。私のデスクには陰暦カレンダーが置いてある。陰陽、太陽とお月様。なぜか陽陰という熟語もなく、陰陽と言う。此処には何か深い意味があるように思える。私はお月様が好き、月を愛して人様とのお月愛を大切にさせて頂いている。陰についてはお陰様、お陰力というのはとても大切なもので私たち人間は宇宙の万物のお陰の力で生かされており、皆様のお陰に支えられて生かされているのだと思う。「神謝、感謝のお陰様」このこと、この言葉を心に刻むと自分が謙虚になれるように思える。お陰さん、お陽さん。宇宙はこの陰陽二つのバランスで色々なものが成立しているのではないだろうか。
■人間の精神と行動は月の満ち欠けに同調している。私が持っている本にはこのように書いてあり、実際に色々な方の話を聴くとそのようなことをよく聴くことが多い。特に海に関連して漁業に従事する方、農に携わる方は月との関わりは生活にとって大切なようだ。私自身は「月光の天使」と呼ぶ方との出愛があって人生にツキ(月)が回って来ているように感じている。
(2005年 10月 12日 [水曜日])

島から本土へ
■米盛智恵子さんと作品の前で■

 朝6時半、ウメお母さんに手振って笑顔とともに見送ってもらって美世咲を後にした。お陰様で那覇について、よう子ちゃんの会社のガレージ屋外でで2つの壷に「大地豊照」「命どう宝」を買いた。大地豊照は第一ホテルの書き換えで、当初は泊まる予定にしていたがいけなかくて、オーナーの島袋さんにプレゼントさせていただいた。
 その後、ヒーリングライターの米盛智恵子さんが、ハーバービューホテルで個展をするとお聞きしていたので、携帯にお電話して見ると、「今、西口さんのことを思っていたところです」という明るい声が返って来た。10月10日10時から天天天、テンクルの思いで昨日からスタートしたということでチーズケーキを手土産に顔をお出ししてきた。本人同士よりも遊書とテンクル文字が先に出愛をして結魂した中で、来年、神戸と沖縄で「結魂展」をしようとお約束をしている。「命どう宝」の甕は個展のお祝いとしてプレゼントさせていただき、11月6日から11日の琉球新報の『連愛展』では展示させて戴くようにお願いをしてきた。
(2005年 10月 11日 [火曜日])

西方浄土へのお見送り
先月、美世咲で手作りの結婚式を挙げられた翁長さんと金城さん、お父さんが亡くなられてお葬式に参列させていただいた。本来は牧師役と会場役で熊さん夫婦とお礼の席に参加するために沖縄入りしていたのが、哀しみのお別れになった。78歳で少し早い気はするが、西方浄土されたと受け止めるしかない。お陰様というべきであろう、私もこの地沖縄で結婚式もお葬式も出るようになったということだろう。
 今回は那覇3連泊の予定であったが、やっぱり気郷の美世咲に呼ばれ帰った。ウメお母さんが先週、手術後退院した所でまだ痛みがあるということで可哀想だった。我慢強い弱音を吐かないお母さんが痛いというのだから痛いのだろう。
 夜、熊さん・和代さん・高原さんと4人で2時過ぎまで語り合った。長女の愛ちゃんが、今日はお客さんなしね。と言ってくれたのはうれしかった。もう、いい意味でお客様でなく、親戚かお父さんの友だちかのように思ってくれているようだ。字遊人産みの父の熊さんとその奥さんと産みの母よう子ちゃんと4人、大人になってこのように心置きなく語り会えること、お花詞が出来るというのは幸せなことだ。
 
 
 
(2005年 10月 10日 [月曜日])

稲嶺盛吉先生
『虹は神様への架け橋
  宙(そら)は神様の懐
     稲盛盛吉の泡ガラスは
              神の業』
 昨夜の師匠の会社の40周年のお祝いで同席させていただいたのが琉球泡ガラスの第一人者、次期人間候補にもなっておられる稲嶺盛吉先生。ばったり会場で時間前にお会いしてご一緒してお茶を飲み、雑談の中、ぜひ、明日工房へいらっしゃいということになって、読谷の工房へ行かせて戴いた。
 12月に「記念資料館」を建設されるということで、何かお土産をと思い立ち、いつもお世話になっている壷屋の陶宝堂さんで甕を大小3つわけて頂いて、それをお持ちした。僕の沖縄でのボランテイア活動の母、支援者である高原楊子さんの運転で読谷に向かい、二人とも座喜味城址の風を浴びたいと城跡にたった。そこで心に浮かんできた言葉が標記の言葉。読谷の工房が「虹」、国頭の工房が「宙」この名前をという想念から自然に湧いてきた。
想いは通じる、初めて先生に虹の命名の由来をお聞きすると、「夢は消えることもあるが、虹は消えてもロマンが残る」と優しい眼差しで芸術家の煌く瞳で語って下さった。中学を卒業後、苦しい食べられない時代を超えて、その苦労をすべて徳として積まれて優しさに代えて、泡ガラスに魂を吹き込み自分と言う人間性を投影して作品を創っておられる。『神業』とは技術の高さを誇って言っておられるのではなく、魂を込めてその上で出来上がるものは神の仕業であって、私の技ではないと謙虚に語られる。毎年毎年、新作に挑戦されて思いもつかない作風を築かれていく。その圧倒的な「焔と技」から創作された芸術はエネルギィーを見るものに与える域から、吸収するような神業の域に到達されたように思える。恥ずかしながらお礼とお祝いの想い一心で、骨董の甕に遊書させて頂いてお贈りさせていただいた。心からの言葉として「ウチの宝物になったねぇ〜」と喜んでくださって、「明日、作品の考案をするのに大きなエネルギィーになります」と言って笑顔を贈って下さった。小生としては言葉は合格点?でも遊書は拙い。それでもこのように語ってくださる先生の想いがうれしい。「人間、神謝を忘れたらお終いですよ」と大先生の言葉だけに心に染み入る。
2005年 10月 9日 [日曜日]

ジャパンクレス=日本久麗寿
 沖縄には10年間、伊是名島で出合った教え子達がいる。100回を越えてもう何回かわからない回数に及んで、その間に出合った人がいる。師匠・お父さん・お母さんと呼ぶに相応しい方、兄弟以上に親しいお仲間の人、100人は下らない。知っている人となれば1000人は超すだろう。「いちゃればちょうでい=行き逢えば兄弟」という言葉がある風土だから、お声をかければ泊まるにはこと欠かない。
 もうお出愛して25年近くになるだろうか、知念常光師。私が初めて100通の手紙を毎日書き送った師。潟Wャパンクレスの会長さんで、今日は創業40周年の祝賀会にお招き戴いて沖縄に来ている。事業者金融というか手形を割引いたりする会社の創業社長を経て今は会長さんをしておられる。玉川大学の教育学部の出身で、最後の教育者といわれている小原国芳学長の薫陶を受け、鹿児島の教護院の先生をされた方で、今でこそ金融業をされておられて、一般には生々しいイメージがあるが、並の一流企業の社長さんや先生と言われている方よりも遥かに教育のハートを持った方。人生のAからZまでを教えていただいている方だ。
 良寛の辞世の句に「裏も見せ表も見せて散る紅葉」というのがあるが、文字通り裏も表も教えてくださる。良寛が言うように、一般的には裏は何かダーテイーなイメージがあるが、それは違う。裏も表も表裏一体で真実。太陽が陽でお月様が陰ならば、陰陽というが如く、陰も陽も美しい。陰というお陰様で人は生かされているのだ。人生のAからZであれば、誰でも教えてくれる。しかし、Hを越えてI(愛)からZまでとなると、普通の人生では中々そのような出愛はできないものだ。62歳の師と54歳の小生、人生を語り青春を語り愛を語り、文学・経営・教育を語る。
 今日の祝賀会で初めて師の涙を見た。それは40年の星霜の本人だけが知る重みだろう。
 会が終了して「まさかやぁ」の賢坊の店に挨拶に寄らせていただいた。いつもながら今夜は満員御礼で、賢坊の饒舌も殊のほか絶好調で素晴らしかった。国際通り牧志の公設市場の近く、此処にくると、『沖縄』に出会える。民謡太鼓ライブの店で賢坊の炎のライブ、魂に沁みる入る琉球民謡が聴ける。「琉球情炎民謡」と私は名付けている。気配りトークは超一流で、漫才でいえばやすしきよしに匹敵する話芸が見ものだ。沖縄にきて此処にこなかったら損!と言い切れる楽しめる場所だ。満足が実感できる。
 
2005年 10月 8日 [土曜日]

14歳からの哲学
 今日は高野山高校の教育講演会があって参加してきた。空海、弘法大師のご縁があってか、一様国語科の講師に名前を連ね京大特進クラスの生徒募集等のお手伝いをさせて頂いている。目下の所は名ばかりではあるが。
 講師は著者の池田晶子さん。ご自身で物書き、文筆家と言われ専門が慶応大学の哲学科。専門用語を使わず、哲学するとはどういうことかを日常語で語ることに定評がある。この分野の講演などは聴いたことがなかっただけに、講演中は興味深く面白く聴いていたが、12時間経過して???。ほとんど忘れてしまっている。ただ言葉の重要性を深く説いておられた所には共鳴し、著書の販売とサイン会をしておられたので、ご協力ということまあって「勝っても負けても 41歳からの哲学」「さよならソクラテス」とい本を購入した。『人生とは何か?』と書かれていると好奇心旺盛な私は、その帯の見出しに惹かれて買ってしまう。サインを戴いた後に、「私は文学が専門ですが、その観点から、■言葉は心を伝え愛を語るもの■と思っているのがどうでしょうか?」と質問したら、「正しいと思います」と解答を戴いた。単純なもので、何でも賛同をして戴くとうれしいものだ。「14歳からの哲学」はほとんどハシリしか読んでいないので、この機に読んでみようと思う。
(2005年 10月 7日 [金曜日])

夢現通心A
  愛 擦 (あいさつ) 愛を擦り込むこと

・ 「挨拶」について、親の子育て、教師の指導という観点からみて、まず、すべての基本である挨拶を教えることができないのに、人間的なことや教科の学習は教えられないのではないかと考えている。
 
・ 「おはよう」「いってきます」「ただいま」「ありがとうございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」「おやすみなさい」。これぐらいは、ぜひ、出来て欲しいと思います。できていないということは、ある面でいえば、教えていないということです。子ども、人間は一度きりの指導では大半のことはできないようになっているのです。教育の分野では、「擦り込む」という言葉を良く使います。習得・体得するまで、何度も何度も擦り込むとい意味です。それは頭にではなく、からだ=こころ、魂に擦り込むと言うことではないでしょうか。

・ 「おはよう」「おはようございます」 この言葉だけのやり取りではなく、子ども達の目線で、子どものいる方向いて目を見て、笑顔で明るく「おはよう」と愛情をもって声をかけてあげる。これが一日の始まりの「親子の通心」であって欲しいです。音声のやり取りであってはだめだと思います。黙ってお互いが疲れたような感じで顔を会わせて「しんどいなぁ」というようでは、まず、勉学は勿論のこと、日常の「生きる」ということに対して元気になれないと思います。やる気なんて湧いてこないと思います。

・ 算数の九九と、漢字の習得と別物です。100回、挨拶をしたからといって九九ができるようにはなりません。しかし、九九も挨拶も人間である自分がするというところに、重要なカギがあります。丁寧にきちっと挨拶をする子が、九九がいい加減で、いい加減な挨拶をする子が九九は丁寧にきちっとする? ここをどのように考えるかということが問題です。

・ 私はいろいろな本にも書いてあるように「言葉は心をつくる」ということを信じています。だから、挨拶は言葉を交わす掛け声ではなく、愛擦だと考えています。一日の始まりに心と心を通わせる、通心としてのお互いの愛の擦り込みあいの行為だと思います。愛擦を励行して見て下さい。子どもが変ってきます。人間的にも成績的にも伸びてきます。たくさんの子ども達を見て来てそう思います。
 
(2005年 10月 6日 [木曜日])

魂生
『魂生』=こんじょう。去年生まれのこの言葉、沖縄の地で生まれたのだろうか、その時々のひらめきで出てくるので確かな記憶はないのだが、この2年、何度書かせて戴いただろうか・・・。
しかし、実のところ、魂に生きるということはどういうことなのだろうかと、ここ最近深く考えていることだ。無理やりに答えを見つけようとは思っていない。ある日、「ふっ」と解ったり、永遠に謎のままに終わってしまったりかも知れないとも思う。
 字遊人として出美遊させて頂いて3年半、言霊に触れ、字力にも触れ人生が好転し深みが出てきて、たくさんの出愛を戴いて、ある部分ではわかってきて、ある部分では解らなくなって来て、そのような日々の中で、人生は素晴らしい、人生はおもしろいという感慨だけはある。
 この言葉は観て下さった方が瞬間に受け止めて理解して下さり、特に男性の方には評判がいい。一般的には間違いなく当て字なのであるが、お褒め下さる方は「根性」よりいいと言って下さる。魂心快・魂心会・心魂良好、ここまで来ちゃうと駄洒落になってしまうのだろうか・・・。今、365語の造語を作成中、愉しんでいただければうれしいと思って・・・。
(2005年 10月 5日 [水曜日])

よき師・よき友・よき学び舎
 私にとってすべてのものが師です
 すべての人すべてのものがよき友です
 私のあるところはすべて学び舎です
 よきものがよき人をつくる

 すべてのものが私の心次第で師になります
 出愛ったものすべてが友です。
 家庭も仕事場もこの宇宙がすべて学び舎です
 
 この言葉は私が初めての卒塾生を出した時の贈る言葉だったように思う。「言葉は心をつくる」というのであれば、私はこの言葉を30年近くずっと心にインプットしてきた。そして、心がけてきた積りである。今回、この言葉を教壇に立っている教え子への手紙に書き添えた。贈るとともに自分にも言い聞かせて、確認をして、お互いに頑張ろうという思いで・・・。
 今、自分があるのは出会った恩師のお蔭、出会った人すべてのお蔭であるが、やはり、恩師という先生のお蔭によるところが大きい。「教育とは感化することである」教師としていい形で感化することができて、彼等の生き方に影響を与えられたら嬉しい。教師冥利に尽きると思う。それだけに彼等の前に立つということは大変なことなのである。
(2005年 10月 4日 [火曜日])

南阿陀(涙=なみだ)
文学少年だったから、映画少年だったから、読んだ数、観た数は人並み以上の積りだから、結構辛口批評をする。特に映画は俳優志望だったこともあって・・・。だから、巷間で評判になった映画でも×というのも結構ある。涙!涙!涙!と本の帯に書いてある「その日のまえに」を読んで、思わず涙を流してしまった。
 今、生徒さん達が中間テスト対策中なので、毎日塾に来て自学自習をしている。いつでも質問に対応できるように私たちが教室の前に座って学習を見ている。今日は中3を担当したので、もう生徒さん達も自分のやるべきことを黙々と取り組んでいたので、この本のページを繰った。たまたま、生徒さん達の後ろに座って本を読んでいたので、流れる涙を自然に為すがままにすることができた。もし、生徒さんの前に座っていたとしたら、気がついた子が、「せんせぇ、何でないてるの」と言ったかもしれない。それはそれで、本を読んで涙を流している私の姿を見せるのも良かったかもしれないとも思う。
 この作品のテーマは『死』。ここまで決まっていると、普通は涙を流せないのに、しみじみとしてしまった。私が10代だったら、40よりも前で、人生を折り返していない年代だったら、全然、受け止め方、感じ方が違っただろうと思う。人生の折り返しは『生』に向かって生きていくのと、『死』に向かって生きていくのとで、随分と違うものだと思う。思うというよりもひしひしと感じて来ている。久しぶりに、目頭が熱くなるのを越えて、頬に伝う涙の感覚を味わった。「生死」というこの人生における難題? これからどのように私は向き合って、今のこの「生」を大事にしていくべきなのだろうか・・・・。
 南阿弥陀仏、なみあみだぶつの語韻は「なみだ」に似ている。
(2005年 10月 3日 [月曜日])

夢現通信
  成績のよしあしは能力ではなく、心的態度で決まる。 
                     〜ダーウイン〜
 進化論で人間を科学的にも心理学的にも探求した人の言葉だけに重みがあります。30年以上、子供たちの前に立たせて頂いて、どのようにすれば子供たちの成績を上げていけるかということを考え続けて来て、この言葉に辿り着きました。原文は成績ではなく成功はとなっていますが、成功も子供たちの成績も原理原則は同じだといえます。
■心的態度養成のための人間としての前提条件■  
T.@礼儀・A挨拶・B言葉遣い
 ◎生活の基本ができない人は勉強の基本もおろそかにします。
@天、親、目上の人に対して敬う心がないと素直になれません。
A挨拶はできないけれど勉強はできるということはありません。
B言葉遣いは心遣いです。心の姿勢が言葉に現れます。
U.正しい「@心・A金・B間」=(親近感)の遣い方
◎人生は心とお金と時間の遣い方で決まります。
@心が前向きであるということがやる気があるということです。
Aお金の遣い方は家庭教育の原点です。金銭感覚も躾の大事な要素です。
B時間の無駄遣いが人生最大の敵です。時間がルーズな人は万事にルーズです。
V.@心A身B頭の健康管理
◎体の健康,栄養は心配ないようです。心と頭の健康チェックを。
@心の栄養は言葉です。前向きに肯定的に、決して子供を否定しないことです。
A身体の栄養は食事・睡眠・運動です。親が責任を持って管理していきましょう。
B頭(大脳)は24時間動いています。体の疲れは自覚できますが、大脳は疲れたと感じませんが間違いなく勉強しなくなります。
「生きる」という日常生活の中の一部として、勉強・仕事という位置づけがあります。子供たちからすれば、履物を揃えるということを面倒臭がる子が単語や漢字を覚えたり、九九の練習を小まめにするというケースはありません。生活習慣=学習習慣は同等です。
 子供の教育は家庭・学校・塾・地域社会で学んでいきます。家庭・塾でもっともっと強化していきたいと願っています。
■夢現通心=心を通わせて子供の夢を実現させていく■
Weeklyの読み物として月曜日に発行していきます。子供の成績を上げていくために、ぜひ、お読み下さる様お願いします。皆さんの購読が継続につながっていきます。
2005年 10月 2日 [日曜日]

最新連作短編集
 「生と死と、幸せの意味を見つめる最新連作短編集」
『その日の前に』重松清。■涙!涙!!涙!!! 今年読んだ最も感動的な小説だ。僕はベスト1に決めました!松田哲夫■
 朝刊でこの小説の広告を見て直ぐに買った。・ひこうき雲・朝日のあたる家を読んだ。爽やかでしみじみとした、美ら島(沖縄)の海のようなしょっぱさのある涙の味がする作品だ。この作者は国語の問題、入試問題にも出てくる作家で以前から気になっていた。30代に薫陶を受けた先生と同名の重松だからその分意識もしていた。機が満ちてチャンスが到来して本と(本当)の出愛に達した。自分の心の中で沸々と湧いてきていた’恐れ’が何であったか解りかけて来た様な気がする。心の襞に微かにシミになったよしかあしきかわからない微妙なものの正体が、朝日のあたる家に書かれていて、何かほっとするものがあった。人間、この素晴らしきもの。この弱くはかなく、強く逞しいものの正体がそこはかとなく描かれている。どうしようもない何かが内なる心か、あるいは大脳のどこかにあるのだろう。それは科学がどんなに進歩しても捉えることができない実体のない神秘的な透明に近いもののようにも思える。涙の成分の一部をなすものかも知れない。捉えようとすれば、すーと蒸発してしまい、味わおうと思えば無味ではないのに言葉では表現できないもの。
 涙は心を漱ぐビタミン愛なのかもしれない・・・。
2005年 10月 1日 [土曜日]

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