2005年11月の日志

母情展
 来年5月、神戸舞子ヴィラホテルで「母情展」をさせて戴く。内容を全て母情・母心・母愛をテーマにさせて戴く予定だ。明治39年生まれの母は西暦1906年の生まれである。いわば西端100周年である。普通は偉人や業績のあった人にしか生誕100年という言葉は使わないが、私にしてみれば最も偉大な人であった。間違いのないことは私という人間を産んで下さったのである。明治・大正・昭和・平成と生きた母は、有る面で本当に激動の日本史とともに波乱万丈の人生を生きた。比較的裕福な家庭に生まれるも,私が幼少の頃は貧乏と家族の病苦との闘いであった。私の記憶には働いて働き抜いた母の面影がいつも心に残っている。何に一番敬意を示すかといえば、「グチを零さなかった」ことだ。そして、父は「しんどい」という言葉を言わなかった。お蔭さんで私の辞書にはしんどいという言葉がなく、グチを言うことを嫌う所があって、それを言わないようにしている。老後まで働いた父の姿を思い浮かべると「しんどい」などといったら、それこそ罰が当る思いがする。
 兄の高3の卒業式と私の健康優良児の表彰式が重なって、梅田の地下工事の路上で躓いて、足の皿を割ったにも関わらず、その後、2,3ヵ月も入院したというのに「痛い」の一言もいわずに長い道を歩き一日を過ごした。私には残念ながらマネの出来ないことである。「ひさの星」は今日も天国から私を見守ってくれている。その思いを母情展に託したいと思っている。
(2005年 11月 30日 [水曜日])

店訓
一本の木を人間にたとえるならば
木の根っ子は先祖であり
木の幹は父や母である
おのれは葉っぱなり
心は木の根っ子と幹を大切にしなければ
葉っぱの栄えはない
 <居酒屋 和田店訓>
沖縄の「まさかやぁ」で賢坊に紹介していただいてお出愛した、飛騨高山の飛騨琢磨の店主の田原さんに色紙を差し上げて、それを見た和田さんが、ぜひ、店訓を書いて欲しいと田原さんに依頼されて書かせて戴いて、それを今日、田原さんがわざわざ高山から尼崎に取りに来てくださった。3作品もの店訓があって、趣向を変えていろいろと愉しませて書かせて戴いた。
 田原さんは和田さんの分を頼まれたけれども、自分の分は一言も仰らなかったので、私が気を利かした積りで書かせて戴いた。
飛騨琢磨のお店の開店祝いとして、『お客様は神様です〜神迎・神謝〜飛騨琢磨店主』と段ボールに大書きさせて戴いた。ご一緒された奥さんに「美心」、そして、小生の男の気持ちとして、店名を泡盛のラベルにしてお贈りした。飛騨のりんご・柿、ねぎを持って来てくださった。歓びのお裾分けで沖縄と奈良へ私の大好きな人へお送りさせて頂いて「分かち愛」をさせて頂こうと思っている。そうすれば喜ぶ人が増えることになると思う。感謝・神謝・歓謝です。
(2005年 11月 29日 [火曜日])

美具(Big)
 Big!美を持つこと、美を具えることが美具(Big)である。
機械的な文字ではあまりいい字面ではないが、遊書にして書いてみるとグーだった。昔、チョコレートの宣伝で「大きいことはいい事だ」というのがあったけれども、心の中に美を持つことが大きいことなのではないだろうか?今朝、通勤途上の運転中にこの言葉を思った。
 今までに教材として読んだ文章の中に「美」も学習だと、言うのがあった。かつて、西宮で育った子を沖縄の伊是名島に連れて行って、満天の星を見せた時、しばらくすると「気持ち悪い」と言った。同じ内容のことを文章でも読んだことがある。
 美文、これは熟語としてもあるが、美語、美しい言葉、言葉遣いを知らない人が、それに出会った時、やはり、違和感、気持ち悪いという感想をもつ可能性はあるのだろう。
 確かに素晴らしい絵画・クラシック音楽・芸術作品の中に美を見出すということは、感覚的に受け容れられる場合もあるが、学習効果がないと、その美しさが解らない、見出せないということは大いに有り得る事だ。例えば、私の焼物好きや骨董好きにしても、ある人から見れば汚らしいの一語で終わるケースもあるのだろう。一輪の花に美を感じる感性、これはとても大事な教育であるように思われる。学校で家庭で教えられなければ地域社会で学ぶことは尚のこと難しい。4年前、世界の首脳が教育政策を述べた時に小泉首相は大学の強化を言ったのに対して、米仏英は基礎学力の強化を述べた。中国は知育・徳育・体育、そして審美力と言った。日本語の辞書には審美眼はあるが審美力はない。中国四千年の歴史を痛感する。和有土(ワールド)、大地・土地に平和が有る、そして、美が有る地球になっていかないと・・・。
 
(2005年 11月 28日 [月曜日])

一笑懸命=一勝懸命
 声援と応援を一身に浴びてはいても
  マウンドは孤立無援の一人舞台である
 キャッチャーがチームメイトが
  支えてくれて守ってくれても
       心の闘いはただ一人

 こちらも必死ならば
  相手も必死に挑んでくる
    心と技と体が一厘勝った時
    君は勝利者となって一笑を勝ち取る
 
     マウンドは人生そのものなのだ

 2005・タイガースカップで教え子の徳山君のチーム・尼崎北は1回戦1−0、2回戦4−1で準決勝戦に臨み、惜しくも2−3で敗れた。5回の裏、1アウト、1・3塁で打者が4番の好機でバントをして2アウトになってしまった敗れた。スクイズかWスチールが定石なのに、一瞬にしてチャンスが逃げていき、流れも向こうへといってしまった。1回の表の敵の猛爆も抑えてきたのに残念だった。ミスも実力の内。これは勉強においても全く同じだ。だから、それはミスなのではなく計算に及ばない正真正銘の実力なのだ。ミスを一つの実力として捉え計算に入れて事前の準備を怠らぬことだ。テストでもノーミスで行くことの方がはるかに少ない。ミスが自他のどちらに来るか、チャンスを運んでくる「運」は、日頃の精進と練習と直接的には関係ないように思われる『善行』なのかもしれない。神様も天使もみんな善が好きなのだと思われる。
 試合も試験も人生も、人間がすることだから、原理原則は一緒
だから、一緒懸命に一勝懸命をめざすことなのだろう。
2005年 11月 27日 [日曜日]

美しい日本の私 〜その序説〜
 これは川端康成氏のノーベル文学賞、受賞演説の題名で、その文章を読んだ。文学的な文章のような演説の文でありながら、これほど読むのに時間がかかって難解な内容のものは生まれて初めて読んだ。そして、感動し素晴らしさを知った。私にとって第二の『文学の目覚め』になるような気がする。中学時代に「伊豆の踊子」を読んで文学に目覚め、なんと美しい文章だろうと感嘆し、そこに描かれた日本人的「愛」、恋愛に憧れを持った。この演説に書かれた内容、日本文化・日本文学・日本芸術・宗教など多岐に亘る川端康成の思想に大きな影響を受けた。そこに文学者としての造詣の深さを見て素晴らしいと思った。「源氏物語」を読んでみようと初めて思った。一休の生き方についての感想に強く惹かれるものを感じた。美化するのではなく真理を見抜く透徹した眼力が素晴らしい。
 「月の歌人」明恵についても勉強したいと思った。日本人は月を賛美賛嘆するが、万葉集でも太陽を賛歌したものはない。これは日本人的で、歌になるのはいつも月だ。お天道様は陽となって表面を照らす、お月様は陰となって精神の内面を照らすものとしての日本人の感覚があるのではないだろうか?

 『あかかやあかあかあかやあかかあや
         あかあかあかやあかあかや月』

 明恵上人の歌だが、この歌の良さがわかる年になった。これは正に私にとっての一語一会で、今この時でなくてはダメで、早くても遅くても少しずれたら解らなかっただろうと思う。この出愛の素晴らしさ、嬉しさは何ものにも代え難い歓びがある。
 10代にして川端、50代にして康成。今度、旧都ホテルの川端康成の書に愛に行こう。
2005年 11月 26日 [土曜日]

他力のお蔭で生かされている
「他力のお蔭で生かされている」これは五木寛之氏の「他力」という本の中の言葉で、写真の物は那覇・松山の「波ぬ花」という琉球料理の店に飾ってあるもので、私が出美遊する前に書いたものである。久しぶりに出会って赤面する部分もある。オーナーに書き直したいので交換して欲しいと申し入れても頑として断られ開店以来ずっと飾られている。左手で書いたもので、この当時はある面で無心で書いたものだ。お土産代わりにお上げしたもので、何のてらいもなく邪気もない。今はと言えば、やはりどこかに「見られる」ということがあって、いい字を書こうとする。
 今、沖縄のケーキ屋さんの分は終了して、神戸・大阪・高山から依頼があって、何枚も何枚も書き直し日にちもかけてやっと2つは書き上げさせていただいた。あとは高山の居酒屋さんの店訓を書かせていただくことになっている。これは下書きをしてFaxで送信してOKをしてもらっているので、少しは気が楽だ。気楽に、気を楽しく持って書かせて頂かないと、いい字・自分が気に入った字にならない。この分は額装をしないといけない分、少しは大変でもあるのだ。
 遊書展での来舞(ライブ)は、相手の方の「気」を戴いて、他力のお蔭で書かせていただく分がある。こちらで時間の合間に書かせていただく分は、気の取り様が難しい。原点は「他力のお蔭に生かされて書かせて戴くこと」を忘れないことだろう。
(2005年 11月 25日 [金曜日])

ランプを持った天使
 ごらん、あのみじめな家
 薄暗い部屋から部屋へ
 ランプを持った、若い婦人が、
 天使のように通っていくのを。

 悩み苦しむ、つわものたちは、
 恵みの夢を見るように、
 仄暗い壁に落ちる
 その後ろ影に、キスをする
  (ロングフェロー 米・詩人)

■あの方が通るのを見るだけでも、私は嬉しさで震えます。あの方は、話をしたり、ちょっと笑ったりして通っていきます。しかし、患者はたくさんですから、いくらあの方でも、みんなにこうすることはできません。だから他の者たちは、壁やシーツに映る、あの方の影にキスをして、それで満足をして眠るのです。
  (兵士の家族に宛てた手紙より)

 ナイチンゲール。名前を知らない人はいない。しかし、具体的な業績、どのような仕事を為したかは、ほとんどの人が知らないのではないだろうか?その実、私自身がそうであった。ジュニア版伝記全集・小学館・昭和36年発行を読んだ。1820〜1910 イギリスの屈指の大富豪、名門の令嬢として生まれ育った。200年前の時代だから、女性の地位が極めて低く、身分の高い女性が志事を持つという事だけでも蔑まされた時代である。今では考えられない想像すらできない時代に、まだ看護婦という志事が定着していない時代のことだけにその偉業は凄いことだったのである。100年前のナイチンゲール、そして、マザーテレサと「天使」の出現によって救われた世の中があるのである。その片一方では、賞賛はすれこそ金まみれの世界が、残念ながら経済中心に動いていくのである。今も、飢餓と貧困に苦しむ人たちがいる。命を絶っていく子供たちがいる。日本の企業はゴルフのトーナメントに宣伝として何十億とお金を出す。ヤンキースの松井が4年契約で62億を貰うそうだ。日給にして約300万円。どこか違うような気がする。企業や高額所得者が1万分の1のお金を活用するだけで何万という命が救えるのではないだろうか?
 私はマザーテレサ・ナイチンゲールに学んで、「できることから始めよう」という想い・願い・祈りを実践させて頂こうと思う。
(2005年 11月 24日 [木曜日])

甲子園の星
『人生という名のグランドで 君を甲子園の星に育てたい』
塾の創業の時ではなかったが、20年ほど前にパンフレットを作成した時に作った言葉である。甲子園という名はメジャーでどこへ行っても知られている。但し大阪と思っている人も多いが、正確には兵庫県西宮市である。塾名が甲子園学習塾で、地名から取ったものだが甲は一番と言う意味で子供と学園、人間として一流をめざす子供を育てる学園というもの。学習塾という言い方も結構クラシックで塾は名乗っても学習塾と言う名は少数である。
 高校野球言えば甲子園と言われるぐらい、代名詞になっている。高校野球イコール感動、根性、熱闘と続く。野球少年にとっては正にそうだが、甲子園に出場する選手はほんの一握り、彼等の狭き門は東大を凌ぎ、東大生が勉強するよりも遥かに多く彼等は野球をして青春を懸けて来た。感動も根性も熱闘も受験勉強の中にもたくさんある。野球少年は何よりも野球が好き、受験生で何よりも勉強が好きという少年には、滅多に会えるものではない。どちらにしても好き、楽しむというレベルに成れると実力は向上する。そこでの指導者の役割は大きい。ほとんどの場合、勉強を嫌いにさせているのが先生だ。もっと指導者としての心得を学ばないと彼等の前に立ってはいけない様な気がする。
 2005、タイガースカップのリトルリーグの関西代表の大会があった。試合があった。中2の徳山君がピッチャーで3番、主将で出るということもあって甲子園球場に応援に行った。彼は素直で真面目で落ち着いている子だ。その正確がある面でピッチャーに向いているのかもしれないと思ったが、見ていて二度の勝負どころで三振を討ち取った。他の場面では三振はなかった。ここで打たれると危ないと思われるところで悉く冷静沈着な投球をした。おそらく、お母さんも私もヒヤヒヤものの場面で、彼だけは落ち着いていたのかも知れない。母校の甲子園出場よりも阪神タイガースの優勝戦よりもはるかに。ハラハラドキドキした。最後は手を翳して『気』を送った。見事に三振を取って勝利した。1−0.1安打完封。また、教え子の生徒さんから多くを学ぶことができた。感動をありがとう!
(2005年 11月 23日 [水曜日])

沖縄の昔言葉(んかしくとぅば)
『言ぬ葉や人ぬ 盛い衰いぬ 導きになゆる 手綱とぅ思り』
 〜くとぅぬふぁやひとぅぬ さかいうとぅるいぬ 
           導きになゆる たんなとぅむり 〜
 ■訳・言葉というものは、人間の栄達や衰退に深く関わってい  るものだ。よく心して用いなければならない。■
 沖縄はウチナーといわれ、独特の独自の文化を持っている。それは言葉・琉球民謡・琉球舞踊によく現れている。言語学的にも大和言葉のルーツと思われる要素もあるらしい。民俗学的にも原住民が大陸から移動して来て、南北の沖縄と北海道の(アイヌ民族)に避難したといわれ、両民族が毛深いという共通項もあるともいう学説もあるらしい。専門的には門外漢なので解らないが、ウチナーグチと言われる言葉に私は大変興味を持っている。
 字力を通じてお出愛をした上洲書店の上江洲さんが本を贈って下さった。『言の葉の花』という言葉もあるから、その言語が生まれる文化・思想に深いものを感じる。「みるくゆがふ」は弥勒世果報と漢字が当てられるが、「弥勒菩薩が作る理想郷」というニュアンスのある言葉である。漢字は中国から朝鮮を経て九州から伝わって来ているのだろうが、大陸から沖縄へ直接に入って来ているフシがある。万葉の言葉についても不勉強だが、沖縄の言葉にはロマンがあって美しく面白い。五七五七七の短歌に対して八八八六という琉歌も面白い。これから少しずつ勉強していきたいと思っている。
(2005年 11月 22日 [火曜日])

花恋多(カレンダー)

 花を愛す、人を愛す、自然を愛す すべてを愛す。
    すべてのものに恋する心、恋多き人でありたい。

 2006年版のカレンダーを作らせた戴いた。4000・700・700・500の大口の注文を戴いて、小生の作品の中ではヒット作になった。沖縄での連愛展でも150部を完売した。ハガキ2種、母情カード・夢カード、どれもこれも在庫たっぷりにあるが、これは残あと1000部なので完売できそうだ?また、これはカレンダーなので年内中、遅くても1月中には買って貰わないと、売れ残りになってしまう。まあいい意味で商売ではなく、ボランテイアツールとして作らせて戴いているので、出来うる限り本当に欲しいと思って下さる方に求めていただけたら嬉しいことだ。
1・2月「心燃」
成功するかどうかは能力ではなく,心的態度によって決まります。いつも心熱く燃やして,希望に燃えて心を真っ直ぐに生きよう
3.4月「神謝・感謝・歓謝」
生かされていることに神謝しよう。生きていることに歓謝しよう。すべてのものに感謝しよう。全てのことに感謝しよう。全てのものに感謝する生活の中に人生の歓び進展があります。
5.6月「学美愛」
親子・師弟・仲間、お互いの学び合いこそ成長の糧です。出愛ったもの全てから私たちは学ぶことができます。愛を持って学び愛をしましょう。
7.8月「一緒懸命」
凡人が一生懸命に命を懸ける事は難しいことですが、大好きな人と、家族仲間と、心友と命を懸けて打ち込むことはできます。「一緒懸命」が愛言葉です。
9.10月「愛感、愛宇意流」
I can,I will.「私はできる、私はやる」愛を感じ宇宙の意思の流れの愛を受け止める。愛言葉としてこの言葉を唱えると潜在意識に刻まれて自信が湧いてきます。 
11.12月「千財意思来」 
千の財産があなたの意思によって流れていきます。人間の能力・潜在意識の力は無限です。潜在意識に夢を、なりたい自分をイメージしよう。
■1部。200円で頒布しております。売り上げ金の全てをカンボジア学校建設資金として寄付させて頂きます。
お申し込み先はaitoyume@k7.dion.ne.jp宛てメール下さい。

   
     
(2005年 11月 21日 [月曜日])

美世咲ネットワーク

『愛と平和が美しくこの世に咲きますように』この美世咲ネットワークの拡がりが凄い!これは正に人為を超越している。熊さんのペンションびせざきのお客様同志としての出愛で、千枝ちゃんと言う20歳の少女が甲子園に訪ねて来られて、名刺を作ってあげて、この名刺を貰った安里さんが4月の読谷での遊書展に来られて、琉球新報の編集局長さんを紹介して下さって、今回の「連愛展」が開催できた。連愛展をした高原さんとも美世咲での流木の「夢」の字力のお蔭。
 今日は千枝ちゃんのお父さんとお母さんと一緒に奈良へ吟松というお蕎麦を食べに行って、お父さんのご好意で伊賀焼きの窯元に連れて行って戴いて、天理の奥村さんの「みしまや」さんという鰻屋さんに行った。その鰻の美味しさたるや、筆舌に尽くし難く、それもその筈でご主人の肝いりの天然の鰻料理。勿論、肝吸いは言うに及ばず、湯引きのうなぎ、独特のタレ味のうなぎも生まれて初めて食べさせていただいた。マンゴー・鰻・牛心の焼肉・北京ダック。美味しいものを戴くと幸せになれる。奥村さんに神謝の美味だった。
 奥村さんと千枝ちゃん・私は2度目の出愛。千枝ちゃんのお母さんが「もう、古い旧知の間柄みたいですね」とビックリされるぐらい仲が良い。それは血の繋がりよりも濃い何か、絆がある。それは美世咲という地が発する特別な『気』と熊さんの『気』が発するハーモニィーから生まれるものだと思う。今、地球のどこかで、あらゆる所でいろいろな「和気」が生まれてきているように感じている。
 「類は類を呼ぶ」本質的にみんないい人でありたい、繋がっていたいと願っているものなのだ。お金やモノに囚われなければ、みんなみんなピュアに繋がりあえるのに・・・。
2005年 11月 20日 [日曜日]

写真集
昨年の7月に東京の渋谷で遊書展をさせて頂いた折にお出愛した。プロの写真家の宮坂さんご夫妻が5冊目の写真集を送って下さった。「夢人(尼崎)」「西口賢治と愉快な仲間達(沖縄)」「風節(東京)」「遊書展in USA(Mt.シャスタ)」「西口賢治と愉快な仲間達part2(沖縄)」とこれらは私の宝物になっている。
 この世知辛い世の中で、お金中心に動いている日本で、プロの方がボランテイアで小生の活動に支援して下さって応援してくださることに本当に頭が下がる。例えば、敢えて言うならばプロの写真家の方がアメリカへ1週間同行して、撮影をしてそれを写真集として編集したならばン十万、旅費を入れたら100万仕事である。それを「私も愉しいから」と言って奉仕してくださる。
 写真は流石と言うか、40年を超えるキャリアとその人間性というか、宮坂さんの人となりの表現された写真が素晴らしい。
 写真といえば沖縄の中垣さんも私の遊書展を撮り続けてくださっている。彼は写真家ではないがアートデザイナーというか、アートクリエイターというかコピーライターというか、多士多彩な才能を発揮していい志事をする若者だ。みんなこれらの人は、素晴らしい視点を持っておられるのに感嘆をする。
 字力のお蔭で神謝・歓謝・感謝の毎日である。
2005年 11月 19日 [土曜日]

心優(しんゆう)
 親友を心友と書き換えるのはポピュラーになっている。この心優は、おそらく初お目見えだろう。今日、誕生した。今回の連愛展でのお客様が那覇市の新都心・おもろまちに2店目のケーキ屋さんを出店されるのに当って、洋菓子のケーキだから「和」の遊書を飾りたいと仰って、壁に直書きして欲しいとお願いされた。流石に直に書かせていただくのは辞退して、イメージカラーのオレンジの紙に書かせて戴くことにした。
 短詩というかショートメッセージを作った。A4サイズの紙を3分の1にカットして、裏表10ページになる言葉を書かせて戴いた。
■「フリアンディーズは心に優しい 甘さを求めています」
これを書いていて、『心優』が生まれた。
■「ひとつ一つに心を込めて お客様のおいしかったの美笑に一笑懸命」この一笑懸命も生まれた。一笑懸命は漫才師・落語家に向いている言葉にピッタリだ。笑い飯の中西さん(ブレイクする前にアルバイト講師をして頂いていたご縁)にもお贈りしよう。
 でも、お客さんのおいしかったの笑顔に命を懸けるというのも夢とロマンがあっていい。
 お陰様でもう10数店のお店に遊書が書かれたりおかれたりしている。知らない分を入れると100軒は超えるようだ。皆さんが小生の字を見て、心和らいだり元気を感じてくださったら、それは本当に有難い事だ。知っている範囲では、どこのお店も流行っている。もしかしたら「福の神」かも知れない。
 フリアンディーズさんは実家が和菓子屋さんである谷村さんが営むケーキ屋さん。一笑懸命にお客さんと一緒懸命に頑張って欲しい。私もその中の和に入れていただいて連愛ごっこしたい。
(2005年 11月 18日 [金曜日])

論語

『知之者不如好之者 好之者不如楽之者』
知ることは好むことに如ず。好むことは楽しむことに如ず。
人生も学問もすべてのことは、知ることよりも好むことよりも楽しむことこそが、人生最上最善の方法である。(賢治訳)
 連愛展に来てくださったお客様で、眼に留まった作品である。九十の手習いで素晴らしい彫刻の書を書かれる仲本潤英先生と前科14犯の極道・まさかやぁ〜の安里賢次さんだ。ご両人とも、人生を達観する域にいる方だけに嬉しい評価である。
(2005年 11月 17日 [木曜日])

お礼状
 神謝 かんしゃのお蔭様
   お蔭様に歓謝 感謝
      この次 誰かのお役に立てたら
               それが私の幸せ

 今回の遊書展で27回目。1回目から必ず来て下さってご芳名を書いて下さった方には必ずお礼状を差し上げている。性分と言うのだろうか、どうもそのままにしておくことが出来ないで、手間も時間もかかるのだが、文面は印刷ではあるが筆で半紙を使って宛名も筆で書かせて戴いている。これは私が志した茶道の礼儀である。観に来てくださった方も何かのご縁があってとはいえ、時間を割いて来て下さっている。どのような感想を持っていただいたのか、ご満足いただけたかどうか、せめて感謝の意を書状でお伝えするのが、こちらの気持ちを伝える形であり、心であり、礼儀だと思っている。時にお返事を戴くことがある。その時の嬉しさは格別のものだ。その喜びと同様のものをお伝えできたら・・・、そう願っている。
(2005年 11月 16日 [水曜日])

純管

  『純 管』
 体の”から”は
 空っぽの”から”
 宇宙の他者から
 いただいたエネルギィーを
 純みきった体という管を通じて
 豊かに循環させたいものです。
 
 いただく謙虚さ還す喜び  
              神謝

 今回の連愛展に来てくださった23歳の女性。僕から見たら少女というか天使のような子だ。作品を見てくださってお花詞をさせて頂いて、何故か涙ぐんで下さって、10・11日と2日間来て下さった。その方がこのメッセージを2日目に届けて下さった。塾の講師をしておられるということで、このような優しい感性の豊かな人が子供たちの前に立つことは素晴らしいことだと思う。このメッセージを書ける「もの」 それが素晴らしいと思う。
(2005年 11月 15日 [火曜日])

一宿一飯の恩義
  朝5時半に起床して7時20分の飛行機に乗って、東京へ出て御葬儀に参列してきた。育伸社の刈草社長のご母堂様が逝去された。享年97歳と言うから大往生なのだろう。でも、親族の方からすればお寂しいことには変わりはないのである。ご冥福をお祈りするばかりである。
 もう25年以上になるのであろうか、親父さんのように可愛がって戴いていた山口先生のお供をして上京し、上野で遅くまで飲んで刈草社長のご自宅に泊めていただいたことがある。翌朝、教室を拝見させていただき、刈草文庫も見せて頂いた。以後、震災の折には春休みの講習を無料でさせて戴くということで、講習テキストを無料で提供して戴いた。夏休みに沖縄の伊是名島の夏季少年教育の折にも無料でテキストを頂戴した。毎年、正月には年始のご挨拶に来てくださる。何かにつけて公を超えて私の部分で可愛がって戴いて来た。今日も、「遠路ありがとう」と声をかけて下さった。もう、「一宿一飯の恩義」などという言葉は古いのだろうか?石川洋先生の言葉に「したことは忘れる、して戴いたことは一生忘れない」という言葉があるが、これは人の道として大事にしたいことであると思っている。
 今、ボランテイア活動も同じだ。皆さんのご好意でさせて頂いているようなものだ。直接的にご恩を受けた方にお返しさせて戴くということは無理かも知れないが、誰かにお返しさせて戴くことは出来るような気がする。それが日本心の優情だと思っている。
(2005年 11月 14日 [月曜日])

法隆寺を訪ねて
 6年生の生徒さんと家内と6人で奈良散策の多美に出た。JRの法隆寺駅に降り立った時にあまりにも清澄な空気に魂が凛とした。世界最古の木造建築物の法隆寺と世界最大の東大寺大仏殿を拝観した。1300年の木の建物は確実に1300年の気を発している。それが魂に染み入ってきた。なんともいえぬものだった。10日から3日間、沖縄に行って、そして過去100回以上沖縄に行って感じなかったことだが、古都に来て気づいたことがある。沖縄に行くと私の魂は舞い上がる。快楽的にハイになるようだ。純真な赤ちゃんのような興奮した「気」になる。今まで気づかなかったことだが、古都の大気に包まれてわかった。ここでは静的に魂が落ち着くものがある。動と静のバランスの中で私はえもいわれぬ心持ちに酔いしれた。ここ3年頻繁に沖縄へ行き活動するようになって以来、古都が私を呼び寄せるものを感じていたのはこれだったのかも知れないと思った。
 東大寺のこの巨大さ、この荘厳さはどうだろう。威風堂々とはこのことなのだろうと感心した。南大門の鎌倉時代の運慶、快慶の作である。金剛力士像、阿形像と吽形像には超越的な圧倒感を感じた。人間の創造力の凄さに触れて何か大きな力を得たような気がする。何か疲れた体に新たなエネルギィーを注入されたような「気」を感じた。
2005年 11月 13日 [日曜日]

夢来舞
 毎月第2木曜日に文学講座をさせていただいている。そのお母さん方が今回の連愛展に花を添えて下さった。9人中8人の生徒さん(おかあさん)が来て下さった。1983年から開始しているので23年生の生徒さんである。私にとったらお仲間・親戚・ファミリィーみたいなものだ。
 知念会長にもお愛して波ぬ花で食事をして、まさかやぁで賢坊の炎の来舞を観て、てぃだトムソーヤで夕日を見て天願さんに出愛、熊さんのお寿司を食べて、私の魂の故郷であるペンションびせざきで気を貰って、最後に泡ガラスの稲嶺先生にお愛して大阪に帰って来た。
 舞子ビラの阿波さんが訪ねて来られて遊書の依頼を戴いた。身に余る光栄な志事で、人様のお役立ちになることとお引き受けさせていただいた。その後は中3の生徒さんと保護者の方にセミナーで「何のために学ぶのか」というテーマでお花詞をさせて頂いた。快心の講演をさせて頂いた。参加くださったお母さん方が涙を拭いながら話を聞いてくださっているのが見えた。生徒さんたちのアンケートも良い話だと書いてくれた。
 沖縄・美ら島から素晴らしい気を持って帰って来て、それをお土産にしてお花詞をさせていただいたからであろう。何と幸せなことだろう。神謝。
2005年 11月 12日 [土曜日]

連愛の和

 首里の加納さんの自宅でアメリカのシャスタに住む鈴木さんとお出愛した。備瀬崎で拾った流木に夢の文字を記して熊さんの元にお返しした。新海君のあむりえ蔵部で高原さんと出愛った。2002.4.29 Mt.シャスタで村ちゃんにプロデュ−スして貰って字遊人西口賢治として出美遊した。その年の6月にあむりえ蔵部で国内初出美遊を沖縄でさせて頂いた。あれから2年半、27回目の遊書展としての『連愛展』を高原楊子さんの出美遊として開催させて頂いた。沖縄が美世咲が活動の拠点になっている。何の気なしに見て頂いた、ハガキに書いた書を見てなつみさんが「個展をしてみたら」、和歌山の山下先生が「個展したらええのに」という激励を戴いて、ここまで来た。牛心の伊藤社長・美世咲の熊さん・クリエイテイブデザイナーの中垣さんらはじめ、この4月からはまさかやぁの賢坊が、もうたくさんの方のお蔭力で育てて戴いている。お名前を挙げるとそれはもう不可能な人数になってきている。
 不思議な進展を皆さんの力でして頂いている。いろいろな方からいろいろな形で、南米・豪州・アフリカ以外には、遊書が飛翔していっている。今回の連愛展でもお力をいただいた。それは文字から生まれる磁力、「字力」が沸いてきているような気がする。10日にはプロの演奏家、琉球交響楽団の上原さんがホルンのミニ演奏会を連愛展会場でして下さった。西宮から8人のお母さんが応援に駆けつけて下さった。神謝・歓謝・感謝の志合わせ
皆さんとの志しを合わせて連愛の和が世界に広がっている。小さな小さな眼に見えないものだ。太陽の光もまた、素粒子であり波動であり眼に見えないものなのだ。石川洋先生や坂村真民先生の年まで、20年40年の連愛の和を拡げていけば、小さな波紋が生まれるかも知れない・・・。
(2005年 11月 11日 [金曜日])

世界初の神謝状の受賞?

    神謝状
甲子園学習塾 字遊人
         西口賢治
あなたは「字を遊ぶ」まさに
書道に遊び心を取り入れた
独自のスタイルと身近にある
素材を使用した作品で院内の
患者様をはじめ職員に感動を
与えてくれました
 ここに開院92周年記念に
あたり神謝状を贈り心から
感謝の意を表します
平成17年11月10日
医療法人 寿芳会 芳野病院
       院長 芳野元

 感謝状は毎日、日本の何処かで毎日、何千枚と発行されているかも知れない。しかし、おそらく「神謝状」という名のものは、芳野病院さんが初めてではないだろうか?そして、それを頂戴したのも、小生が初めて?神動・神劇である。
 思えば戸畑に生まれた私が若戸大橋の架かる若松の芳野病院さんから、この神謝状をいただけたのは何か大きな意味がありそうな気がしてならない。この若松・戸畑の架け橋が私の遊書展の世界への架け橋を暗示しているように思える。私が言葉を交わさせていただいて、一瞬にしてそのお人柄に惹かれた院長先生からのメッセージのような気がする。
 開院92年の歴史は素晴らしく、もしかすると戸畑に住み八幡製鉄所に勤めていた父が何かのご縁で診察を受けたことがあったかも知れないという可能性も考えられる。人はみな、何処かで繋がっているように思えてならない。この神謝状はまさに私にとって故郷からの勲章だ。
(2005年 11月 10日 [木曜日])

夢来舞

 明日から10・11日と琉球新報社ギャラリィー会場で夢来舞です。12日に帰阪して参ります。お客様との気と気の振れ愛で遊書、字遊に書かせて戴きます。拙筆は気、任せです。愛を戴いて祈りに中で字を書かせて戴きます。歓んでいただけますように・・・。
(2005年 11月 9日 [水曜日])

花夢舞愛
 Come in my love. =花夢舞愛。カムインマイラブと読むには夢利がありすぎるだろうか? 説明を受けた人は一様納得してくれて、うん、うんと笑ってくださるのだが・・・。一字一字はどれもみないい字面、いい感じ、いい漢字だと思う。
 今日は久しぶりに2.3.4年生のクラスに代講で入った。生徒さんの方からすれば、初めての先生なので、少し話をすると思った以上によく聴いてくれたものだから、結局45分間お話をした。潜在意識=千載意思来に繋がるもので、愛言葉を教えさせて頂いた。
「私はできる 私は成功する だから私はしっかり勉強する」この言葉を寝る前と目覚めた時にいつも自分に言い聞かせて頑張ってね。というと低学年だけに学齢的な素直さがあって、何度も何度もこの言葉を繰り返して、覚えてかえってくれた。「こんな話は学校の先生は絶対してくれへん」と喜んでくれた。一本の木を育てるのに丹精を込めるように、人間を育てるのにはもっともっと丹精を込めて愛情を持って育てるべきだ。我が子は勿論ながら、誰に対してもカムインマイラブと愛の心の中で育ててあげられたらいいのになあと願う。
(2005年 11月 8日 [火曜日])

コースターの想い
 連愛展の様子はパートナーの高原さんが逐一連絡して下さるのだが、どうも気になると言うのが本音だ。展示会なので、また、素人の私がさせて頂いているので販売するということはなく、見ていただいて愉しんでいただくというのが目的であり、発表の場を機会を戴いて自己研鑽をさせていただき、出愛の場を戴くのが幸せなことである。それでも中には気に入って戴いて分けて欲しいと有難いお言葉を下さることがある。今回、イの一番に申し出ていただいた作品が、この焼き板に但馬屋さんのコースターを3枚はらせていただいたものである。目録にも書いてあるのでお譲りすると通常は困るので展示会後にさせて戴くのだが、上手いことにこれは代用がきくものなので昨日、変わりを作って直ぐに送った。でも、これはまさしくこのコースターを作られた伊藤社長の想いが見る人の心を打ったのではないかと、何よりもうれしい気がする。
 もう一点は月桃紙に書いた大作(一番大きい作品1.8×1.0m)で今回のテーマである『連愛』を、お店に飾りたいということでお声書け下さっているようである。何と有難いことであろう。愛と平和を祈願して書かせて戴いたものなのでたくさんの方に見ていただけるところにお嫁入りするのは願ってもないことである。飲食店とお聞きしているが、お客様の眼にこれが飛び込んできた時、連愛ということでみんなが愛し連なり合うこととイメージされるように思うのだが・・・。
(2005年 11月 7日 [月曜日])

公開・連愛展

琉球新報社ギャラリィー  連愛展目録           
■字遊人・西口賢治
1.美心/びじん/段ボール・額装
2.花夢舞愛/カムインマイラブ/ゴーギャンの絵・備瀬崎の砂
3.やちむん魂/国頭焼 
4.魂生/こんじょう/木目杉板
5.花夢舞心/カムインマイハ−ト/着物
6.連愛/れんあい/月桃紙
7.美流来癒河風/みるくゆがふ/芭蕉布
8.母想母情/ぼしぼじょう/稲嶺盛吉先生泡ガラス
9.日本心/にほんじん/掛け軸
10. 和愛/わぁ〜い/スポンジ(青)
11.母愛/もあい/額装
12.出愛に感謝/であいにかんしゃ/焼き板・コースター
13.美世咲/びせざき/Tシャツ
14.童神/わらびがみ/切れ地
15.一緒懸命/いっしょけんめい/雑巾
16.はと/祷りの書/スポンジ刷毛
17. 連愛/れんあい/黒・金文字
18.天地人/てんちじん/筑紫一刀彫り
19.愛/あい/紅型模様紙
20.真実の口/しんじつのくち/円盤・レプリカ
21. 座喜味愛恋歌/ざきみあいれんか/詩と書
22. 365日年中夢求/ねんじゅうむきゅう/カレンダー
23. 人/ひと/人・論語
24. 何来無差/なんくるないさ/半紙額装
25. 宇宙の輝煌/うちゅうのきこう/タペストリィー
26. LOVE/らぶ/備瀬崎の砂
27. あいしてる/アクリル絵の具・青
28. 積善展運/せきぜんてんうん/韓国青磁
29. 古/いにしえ/芭蕉布
30. 日月/にちげつ/敦煌・砂漠の砂
31. 花/はな/雑巾の文字
32. 結魂/けっこん/西口・高原合作
33. 念ずれば夢ひらく/金文字/お地蔵さん
34. 決意の言葉/けついのことば/油絵用カンバス
■ピースアート・高原楊子
1.お月愛 2.神謝 3.心慈愛 4.連愛 5.希望 
6.情熱  7.生まれくる命 8.慈愛 9.愛いっぱい  10.幻想
2005年 11月 6日 [日曜日]

神謝・中垣一弘様

中垣一弘様
 いよいよ開幕です。もし、かー君がいなかったら僕は極端に言って日帰りでも行かなければならない所です。壷屋博物館と違ってレイアウト用の備品が不備なため、難しい所があると思います。プロ的にこだわりを持つとビューテイフルにはレイアウトできないような気がします。どうぞ、いい意味の遊び心でやってください。僕は志事も人間もかー君のファンですから、何も依存はありません。作品によっては真ん中の地べたに置くのもありかなあと思っています。どうぞ「奇抜さ」をテーマにと言うのはどうでしょうか?僕の作品も初めての方はかなり書道から行くと奇抜、亜流です。ついてきた子供が喜んでくれるものも入れてあります。繁心待我素寿は忘れちゃいました。ゴメンなさい。
 レイアウトプロデュサーとして「連愛展」に参加して下さいませ。まあ、阪神ファンの同士として長いお月愛の中で、お返しをさせて下さいね。 合掌神謝  西口賢治
西口先生
中垣です。ご丁寧なメールありがとうございました。
有志、という言葉がありますが、あれは当て字に変換せ(笑)、
私はまさに、その心持ちでお手伝いさせていただいております。
高原さんも本当に一緒健明で、ガツンガツン気合いが入って
おられるのが傍から伝わってきました。素晴らしい連愛展に
なること、間違いなしです!展示後の様子をお送りしますね。
かー君
  神動です!人間が宇宙とするなら、心は神です。心が動くことが神動と言うのかも知れません。
■琉球新報社ギャラリィー「連愛展」字遊人・西口賢治/ピースアート・高原楊子/総合プロデュース.レイアウト・中垣一弘■
プロはかー君だけという感じですね。お陰様で、僕が会場を見てイメージしていたのとは全然違います。お金をかけないでここまで凄いことができるというのは、プロの志事・かー君の感性の仕業(志技)なのでしょうか?本当にありがとうございます。高原さんに聞くところによると、本業のお仕事が忙しい中を8時間近く、一週間分ぐらいのエネルギィーを要したのではないでしょうか?一生かかっても恩返しできませんね、今度、神さんに逢うたら、「おおきに!」って言うときます。
                 字遊人 西口賢治
  
2005年 11月 5日 [土曜日]

日志、日々の志し
 昨年の元旦からPCで日志を書き始めさせて頂いてから、22ヶ月が経過した。55歳から書き始めて、我ながら頑張っているなあと思う。中高時代も書いていたが、毎日ということはなかった。何かがあると書かずじまいでパスをしてしまい。ついついが何日もひと月も空いてしまうということを繰りかえした。
 今回はこのように、公開をしているので、自分で自分にノルマを課して、そして仲間が誰かが見てくださっている、読んで下さっている。楽しみにしていて下さる??と思うと励みになる。2週間近い海外旅行に出ると、帰って来てから一日一日を埋めていった。いい意味で人様、他者の管理があると励みになる。おそらくこれは私がPCを使わないようになるまで続くことだろう。後30年、40年、そう思うと楽しくなってくる。
 メカ音痴、メカコン、メカにコンプレックスを持っている身にとってPCを使いこなしているのが?我ながら不思議だ。でも、そのことによってメール交換できることはうれしく楽しいものである。
『二度とない人生だから 
 いっぺんでも多く便りを書こう
        ことばは心を伝え
          愛を語るものだから』
 お陰様で多くの人と出合って、私の遊書の活動と相まって、繋がりが拡大していっている。有難いことだ。神謝・歓謝・感謝。
(2005年 11月 4日 [金曜日])

魂生(こんじょう)
 昨夜、「優情」が届いた。何とうれしいことか、信じられない歓びだ。但馬屋さんのいろいろな「書」を書かせて戴いていて、ついでにという思いで、焼き板に白字で掘り込んだものを、6日からの沖縄・琉球新報さんでの「連愛展」に出品するためにお願いした。思っていたよりも大きさで5倍、全体としては20倍以上、素晴らしいものが出来上がってきた。これは私にとっては宝物、家宝にしたいと思う作品になって手元に届いた。何が素晴らしいかと言うと、伊藤社長さんの優情であるのだが、細部はスタッフの方の手になるもの、お志事でして下さったものだ。予算的にも10倍以上オーバーしていることだろう。伊藤社長の指示でなく、思いを受けてここまでされたスタッフの方に敬意を表する。その動きが出来ることは素晴らしい。これが「魂生」魂に生きると言うことかも知れない。でも、「歓ばせよう・喜んでもらおう」という心がこの作品を生み出したように思える。いつもなら、本当はこの日志に写真を紹介したいところだが、6日のオープンに本邦初公開させて戴くために、後日にさせて頂いた。「木」の素晴らしさは、これを製作するに関わった人、数十人の「気」が乗り移って素晴らしいものを作り上げた。これがモノなのだなあ。神仏というが、「心物」が出来上がったように思える。お米、一粒にしても私たちの口に届くまでに、何万人の人の手にかかっている。それを思うと、ほんとうにモノを大切にしなければならないと思う。
 おそらく34作品の内、一番お褒め戴く作品になるように思える。それは優情という何人もの思いと気が作品に込められているからだろうと思う。心から神謝したい。
(2005年 11月 3日 [木曜日])

ふるさとからの勲章
 4月の24・25日に若松の芳野病院のギャラリィー3・4月と2ヶ月間、遊書展をさせて頂いて、25日の日に来舞(ライブ)をさせて頂いた。院長先生と歓談させていただき、お世話戴いた園田さんと食事をさせて頂いて、新たな形の遊書展が展開できた。院長先生の人柄に触れて歓び、園田さんの実直さに喜び、デイケアーを受けておられるおじさんから、サヨナラの挨拶の時に、心からの拍手を贈って戴いた。あのおじさんの顔は僕の一つの勇気になった。難しい患者さんが笑って下さり、おばあちゃんが泣いて喜んで下さり、寝たきりのおじいさんが肯いて下さった。僕の書よりも僕が応対したことを喜んでくださったのかも知れない。それでもいい、笑って喜んでくださったのであれば。
 今日、園田さんから久しぶりのメールが入った。10日に開院式典をするに当り、有難いことに感謝状を下さるそうだ。おそらく院長先生のお心配りなのであろうが、本当に神謝神激である。
ふるさとからの勲章だと思う。遊書展の開催録にまた、新たなうれしさが加わる。神謝して戴けるということが何よりもうれしいことだ。ボランテイア活動に対して勇気が湧いてくる。
 今、この日志を書き込んでいると、但馬屋さんの西宇さんから電話が入って来た。お願いしていた作品「魂生」が出来たので、わざわざ教室までお持ち下さるそうだ。尼崎の方に行く用事がありますので、と美しき嘘をついて下さって、私に気を遣わせないようにと思い計らって下さる。何と有難いことであろう。これからお店も忙しくなってくるという時間帯なのに・・・。昨夜、正確に言うと今朝4時半までかかって作品の整理と梱包をして、段取りをつけて半分は送った。次便は明日の朝と思っていたので、丁度間に合う。うれしいことにそのようなことは通じるものなのだろうか?神謝・カンシャの日々である。
(2005年 11月 2日 [水曜日])

111(イイ日)
 11月1日。節目節目は大事にしたいものだと日頃から思っている。元旦・1日・月曜日は始まりの日だ。今年もあと2ヶ月、お蔭さんの力を年ごとにたくさん戴くようになって本当に有難いことだ。お返しをさせて頂かないといけないのに、かえって頂戴しているような気がする。
 今月6日からの琉球新報社さんのギャラリィーでさせて戴く、「連愛展」は正直言ってプレッシャーが懸かる。今まで3年間お世話になって支えてきていただいた高原楊子さんの出美遊展でもある。ピースアートと名付けさせていただいたが、和多志(私)と出会って癒し系の絵をかかれる様になって、観ていると私の遊書同様に上手いとか下手とかではなく、「ほっ」とする優しい絵を描かれる。二人でする「連愛展」だ。一人でも多くの人に見ていただいて和んでいただいて、おもしろいと思っていただければうれしいと思う。琉球新報さんも協力的でボランテイアとして実演販売、「夢来舞」をさせて下さるということでうれしい限りだ。音楽工房ミューの上原さんが優情出演でホルンの演奏とトークをボランテイアでして下さると言うから、本当に有難いことだ。このようにして連愛の和が少しずつ少しずつ拡がっていく。
あなたの隣りの人に一人だけでいいのだ。みんなと言うのは一人ひとりの集まりなのだ。全世界の人が心と心の手を結ぶ。
「みんなちがってみんないい」宗教や政治や思想が違っても、みんな幸せになりたい向上したいと願う思い、気持ちは一緒なのだから・・・。
(2005年 11月 1日 [火曜日])

バックナンバーリスト build by HL-imgdiary Ver.2.00 Beta2