2005年12月の日志

詩おう人生を
 過ぎ行く年に潔く
 サヨナラを伝えよう
 そして
 ありがとう!

 過ぎ去った時は帰らないもう二度と
 でも、そこには生きた時間があった
 一瞬、一瞬を一緒懸命に生きた時がある

 それは私の財産 それは私の宝物
 56の機積を57の機積に積み上げていこう
 精一杯に生き抜こう 精一杯に生ききろう
 
 訪れ来る年に潔く
 ウエルカムと叫んでみよう
 そして
 お願いします

 未知なる道には何がある
 何が来ても受け容れられる
 そんな心を育みたい

 
2005年 12月 31日 [土曜日]

フィニシュ!!!
 ヤッター!遂に終了。終わったと言う感じです。越年ゼミをしていた頃は、元旦の朝に家路につく時に、また、来年もというモードで志事をしていたのが、30日の冬講で一区切り、その想いが強いために、「ほっ」としたという実感がひしひしと沸いて来る。29年やってきて初めてのことだ。やっぱり、残念ながら年なのだろうか?今回は直前に風邪を引いたのが応えた。生徒さんに「塾長しんどそうやった」と言われたのも初めてのことだ。来年は健康一番に心身ともに自愛してやっていこうと思う。

 5月の連休にマウントシャスタに遊書展の里帰り「気郷」。8月は中国へ万里の長城・故宮博物院への世界一を求めた多美。今年は2回の海外の多美。ちょっと少ない?来年はもう少し多美に出たい。多美は私にとってエネルギィー。多美はもう一人の自分への出愛。未知なる世界を求めて世界の道を歩きたい。
 
 

(2005年 12月 30日 [金曜日])

熱意が愛を産む
御用納めも済んだ29日、ほとんどの人は志事を納めている。塾は年明けの入試に向けて明日30日まで冬期講習がある。学校関係はほとんど完全な休みの体制に入っているのだろう。
 朝9時から夜10時まで、充分な昼休みもなく移動をしての臨戦態勢。そんな中に興国高校の副校長であり理事の草島葉子先生がお挨拶に来てくださった。正に熱心さと真心以外の何でもない。頭が下がる想いがする。来年80周年を迎える大阪の老舗の私学で進学校というのではないが、今や、大阪府下一円の中で、この少子化にあっていい生徒さんをしっかり集めておられる学校の先生。天下一品のトークと一流の気配り心遣いは凄い。レベルが超一流。生徒を見る目が違う。理事長の父親譲りの優しさを受け継いでいるのか、生徒を見る目の視点が違う、未熟な未完成の高校生を育て上げるのが、我が道、我が志事という、そんな男気ではなく天性の優しさで、マドンナのような目で生徒達を見つめる。それが自然体でできるから素晴らしい。あの大らかさは年長の私ですら憧れる。いろいろなグッズ、心配りの逸品、ご挨拶に加えて募金もで添えて、この一番忙しい時に、私が授業で御会い出来ない事情を知ってでも来られる想いというのは、何かを越えてもの愛がないと出来ない事だと感心させられた。私にとって今年最後の学びかも知れない。神謝。
(2005年 12月 29日 [木曜日])

親父への憧憬
九州の村ちゃんはハードな志事に頑張っている。順ちゃんも結石と付き合っている。沖縄の熊さんはスーパーハードにペンションの志事と特注の漆喰塗りで頑張っている。かー君も神戸への帰省を前に追い込みをかけて志事している。牛心の伊藤社長も年中夢求で志事をしている。周りの人がみんな頑張っているので、こちらも負けずに頑張る。彼等はみな30、40代。こちらは50代、何も競う気持ちはないが、いつも思うのは父への憧憬。明治男の気骨で弱音を吐かない、しんどいと言わない、ただ黙々と志事に打ち込む。背中を見せられて育てられた。私が大学へ入学する70歳まで働き続けた親父。それを思うとこちらも弱音を吐けない。でも、残念ながら鍛え方が違う様だ。そう言えば病気で寝込んだ親父の姿も見たことがない。それがあるから我が生徒さんたちにも「しんどい」という言葉は禁句として教えさせて戴いている。何はともあれ健康一番。体をもう少し愛しんで無理はしないでおこう。長生きしてもっともっとしたいことがあるし、夢に世のため人のために使命のために命を使わさせて戴こう。下手な意地を張るよりもその方が大事だろう。
(2005年 12月 28日 [水曜日])

風邪から風へ
風邪は治ったが咳が酷く、一昨夜はほとんど眠れずに睡眠不足で頭痛・肩こり・咳き込みの三重苦。昨夕、病院へ行って診察してもらい注射を打ってもらい薬とシップ薬を貰って、今日は咳のみ、しかし、仕事柄、授業で大きな声を出して喋るので咳き込んでしまう。生徒さんには聞き苦しいけれどもお許しを戴くしかない。服装は重装備でパッチを出してきて長袖の肌着を着て寒さを凌いだ。数年前まではずっと冬でもランニングシャツで過ごし、ここ1,2年、昨日までは半袖シャツだった。伊達の薄着を決め込んでいた訳ではないが、いい意味で無駄なやせ我慢は放棄した。
 風邪の中で新しい風のことを考えた。新年からは夢求日志から今日生日志、そして、365の日美の詩を綴ろうと思う。57歳、あと3年で還暦。人生の詩を綴って行こう。愛と夢と心を語ろう。365日年中夢求の言葉も一日で書き上げた。一人356首の短歌で親と子に教育を語りたいという夢もある。
 沖縄の宮城さんから愛夢ハッピィーというメールが届いた。「やられたあ」と思った。愛夢=T'm 。好きな言葉なので今までに思いついてもよさそうだったのにと思ってしまう。
愛夢幸福=I'm happy。愛と夢は幸福を運んで来るとして、愛夢を戴いておこう。
(2005年 12月 27日 [火曜日])

言葉は事・場を決める
 授業中に「キリスト教」と書くところを間違って、「キリス教」と書いてしまった。この時、ある生徒さんが@「キリス教って、何?」と聞いた。Aキリスト教の書き間違いであると解って、黙って訂正して書いた子もいるだろう。B「先生、キリスト教の書き間違いではないですか?」と聞く子もいるだろう。C「ははは、先生間違いよった」と言う子もいるだろう。D気がついても黙っている子もいるだろう。丁寧な言い方・乱暴な言い方、いろいろな表現があって、それによってその事でその場の空気、雰囲気が変る。良くもなれば悪くもなる。言葉というものは遣い方一つで、その後の作用が大きく変る。
 今回、私はその場を読んで黙って、訂正して次を書き進めて行った。「ゴメンね」と謝るケースもある。「猿も筆の誤り」とジョークを飛ばすこともある。言葉は事を伝えるものではなく、心を伝え愛を語るものでありたい。1対1であっても、1対10でも、100でも、その一語でその場その事が大きく揺れる。だから言葉を大切にしていきたいと思う。
 子供たちは相手を味方か敵かと判断し、その言葉が○か×かを、感覚的に瞬時に判断する特性を持っている。決して、子供をナメてはいけない。こちらが彼等を尊重した分、彼等もこちらを尊重してくれる。
(2005年 12月 26日 [月曜日])

サンタさんからの贈り物

 稲嶺先生から「読谷山土紋ガラス」の鉢が届いた。正にこれは私にとってはサンタさんからの贈り物。10月にお祝いの席にお互いが参加する機会があって、たまたまホテルのレストランでお会いして、気のいい稲嶺先生が、明日、遊びにいらっしゃいと誘って下さって、その時に「あげましょう」と言ってくださったものだ。正直なところ、頂戴する言われは何もない。云わば、稲嶺先生の素晴らしい人間性そのものの気のよさの所以である。
 泡ガラスの第一人者で、いずれは人間国宝にといわれの高い先生で20人近いお弟子さんと言うか職人さんを持っておられるプロで、勿論、売っておられる立場であるのに、本当に考えられないことである。むしろ、私の方がそのお礼に(勿論、お礼の対価になる筈もないのだが・・・)と言って、中国製の骨董の甕に『虹は神様への架け橋 宙は神の懐 
     稲嶺盛吉の泡ガラス・読谷山土紋ガラスは神の業』
書かせて戴いてお上げした方なのだ。それを宝物だと言って喜んで下さった。そう言えば、今回も私の手製の「虹と宙」のラベルで泡盛を6本とクリスマスケーキに「虹」と書いたものと、小箱にネクタイをお入れして手渡した時に、「結婚指輪ですか?」と仰った、あのウエットさは正に天下一品である。先生の泡ガラスの素晴らしさは言わずもがな、その人となりに触れるとファンになる。我が家には一通りの作品があり、2つの花器と今回の鉢の大作はいずれも先生から戴いたプレゼントである。これこそ曰く因縁ものの家宝である。
 今日は体が「ぐったり」としていた。昨日の宮城邸の「夢一字」へのエネルギィーの注入、魂込み、マブイコミのせいだとしか考えられない。自画自賛すれば初めての体験のことなので、ゴッホやピカソが渾身の作品を仕上げた後は、魂が抜けてしまったようになると言うのはこのような感じ?なのだろうかと思った。
これもまた、サンタさんからの贈り物のように思える。
2005年 12月 25日 [日曜日]

夢人

 熊さんとペンション美世咲を出て、「ワルミ」に行ってお祈りする。海水で手を清めお祈りをした。「いい字を書かせていただけますように・・・」
一路、那覇の宮城邸へ。22日に下見をさせて頂いて、熊さんが塗った漆喰に遊書の字を書かせていただくようになっている。「夢・心・愛・知」の中から一字。オーナーが選んで下さったのは『夢』。今まで一番多く書かせて戴いている字。応接間でたくさんのお客様を世界中からお招きをして、和気藹藹に語り愛をするお部屋と言うこと。いい波動が来るような大らかな文字をという注文。お部屋の横のベランダに出て両手を広げて「気」を戴くようにして浴びる。手を合わせてお祈りをする。天にマザーテレサに、そして、天国にいる母に、「いい字を書かせて戴きますように」。今までこれほどお祈りをして書かせて戴いた字はない。千財意思来にも祈念した。熊さん、オーナーの奥様・かおりさん、宮城さんと一人ずつ「気を戴きます」と握手をさせて頂いて書かせて戴いた。宮城さんがお持ちになった「天の川」という天の水で墨液を清めさせて戴いて書かせて戴いた。
 出来栄えの程は、オーナーの宮城さんと奥さん、熊さんと私と同系で何枚の写真を取らせていただいただろう。それが評価だろうと受け止めさせていただいている。仕上げは熊さんが漆喰で凹凸を付けて完成させて下さる手筈になっている。光栄な大きな志事をさせて頂いた。新年(心燃)に、陰暦のお正月に落成されるそうで、以後、この場所で愛と夢が語られるそうである。
 オーナーの宮城さんは、福福しい顔をされた優しいお人柄、奥様は虹のような彩を持たれた明るい気を振りまいてくださる方。ご縁を戴いてこのような新築の豪邸に遊書させて頂けるなんて本当に感謝である。
 この邸を総合的にコーディネートしておられる座波先生がお越しになられて、字を見られてお褒め頂き、柱の所に、なんと「人」の文字を書き加えて欲しいと仰った。これで『夢』『人』「夢人」が完成する。オーナーは写真集やカレンダーを熊さんから戴いておられて、ご存知だったと思うが、座波先生は数分前に始めてお愛して、「夢人」を仰られたのには不思議なご縁を感じた。
2005年 12月 24日 [土曜日]

ほむろガラス工芸館
 泡ガラスの稲嶺盛吉先生の記念館の落成式に参加させて戴いた。300名ほどのお客様が和気藹々に楽しい時間を過ごした。
熊さんが1200個の握り寿司を握って、落成式を盛り立てられた。私が遊書してお贈りさせて頂いた「甕」も先生の作品と一緒に展示即売所の中央に飾っていただいていた。
 元ネーネーズの古謝美紗子さんも来られて「童神」を三線片手に独唱された。稲嶺先生とのデュエットもあってとても盛り上がった。ご縁があって黒の羽織に書いた作品を1年以上前に、稲嶺先生を通じてお上げしていたので名前を覚えていて下さっていたようで気軽に話して下さった。気さくで飾らず親しみの持てる方である。
 久しぶりに「味縁・臣」の富永さんにお愛した。3年前に沖縄で初出美遊した時に熊さんに紹介していただいた方で、今日は熊さんの助っ人で来ておられた。夜、熊さんが気を遣って下さって、私が一度も臣さんの店に行ったことがないということで、夕食は那覇で臣さんの割烹料理を戴いた。廊下、トイレに私の作品を飾って下さっていて、とても嬉しかった。板に書いた「平常心」は我ながらいい字だと思った。お陰様でいろいろな場所でいろいろな方が私の遊書を飾って下さって、たくさんの方に見ていただけているようである。神謝・・・・神謝。
(2005年 12月 23日 [金曜日])

まさかや〜
 琉球民謡三線ライブの店「まさかや〜」。オーナーの安里賢次さんと4月に出会ってから、沖縄へ行った時には必ずお寄りさせて頂いている。今回は『人・知之者不如好之者、好之者不如楽之者』という孔子の論語の作品を前回の琉球新報社ギャラリィでの遊書展で所望いただいて、それをお届けさせていただいた。
 沖縄県警の方々の忘年会をしておられて、片側には組の方が座っておられて、その中央で賢坊が「炎のライブ」を実演する。賢坊得意の気配りトークは、冴えていて両方にフリをいれ笑いを取る。私はと言えば仲に座らせていただいて、どちらの方にも紹介を受ける。県警の方には「賢坊をよろしく」と頼まれ、副組長さんの方にも物腰柔らかく丁寧な言葉遣いで応対を受ける。ここ「まさかや〜」は賢坊の人間的魅力でそのような不思議な空間に「和」の和みの空気が生まれる。
 7月・9月・10月・11月・12月と5回も通わせていただく結果となった。いい意味で気を遣わせない様に、いつも突然に行ってビックリをさせる。その度に大歓迎を受ける。私のボランテイア活動を心から支援下さって、皆さんに紹介して応援して下さる。
 石にはパワーがあると言われるが、お返しと言うか仁義と言うか優情というか、賢坊の真心でブラジル産の緑色の石を戴いてきた。実に見事で素晴らしく、真ん中に不思議な穴が開いていて、未来が明るく展望できるような見通しの聞く穴がある。前回も龍の上に乗った観音さんの額を上げようと言って下さったが、これはここに来るたくさんのお客さんに観て戴いた方が良いと思って、丁重にご辞退させていただいた。賢坊はその体が現すように包容力、度量の大きい方でその心で私を育てて下さっている。これからこの石のパワーを戴いて頑張らせて戴けそうである。
(2005年 12月 22日 [木曜日])

年中夢求(年末分)
12月21日
Tcan(私はできる),Iwill(私はやる).強い信念が夢力を創る
 
夢の愛言葉 「私はできる」 「私はやる」
愛言葉を繰り返し潜在意識に刻めば信念が生まれる
夢力が付いてくる

12月22日
強い夢があれば自己をコントロールできる

自己管理が思考の行動化への鍵となる
強い夢は自己管理につながる
自己管理力は意志を強化する
 
12月23日
夢見るユメ子、夢見るユメ男 もう一人の自分と夢を語ろう

心の中に理想のもう一人の自分をつくろう
夢見る私といつも対話しよう 自分自身に叱咤激励しよう
 もう一人の自分こそ この世で一番の心友である

12月24日
欲望を捨てると夢が迫ってくる

宇宙の磁場はプラスとマイナスで作用してバランスが取れている
You-me あなた(すべて)と私のバランスは「譲り愛」で成り立つ
欲望はマイナス 希望はプラス 心のバランスを大事にしよう

12月25日
Tam Dream. 私は夢の王様

私は私の心の世界において夢の王様
夢の王様の考えたことが美しく正しければ
それは現実化されることがある

12月26日
少年よ大夢を抱け 大きな志で

大夢=大志でありたい
人は志に対しては無限のパワーを発揮する
すべての人間は宇宙歴から言えば少年である
 
12月27日
夢は愛に方向付けられる

何を愛するか 何に愛を抱くか
これによって夢は方向付けられる
「いつでも夢を心に愛を」

12月28日
美しい夢はすべてのものを美化する

美しい夢は美しい見方をし美しい誤解もする
美化すればすべてが美しい物に見える
しかし、「悪」だけは決して許してはならない

12月29日
私の夢に美しい言葉美しい思いを伝えよう

潜在意識の中の鉢に美しい夢の花を植える
そして 毎日 美しい言葉 美しい思いを注いでいく
そうすれば思考が言動が美しくなっていく

12月30日
大中小の夢をコーディネイトしよう

私は私の夢の主人公 私の夢のコーディネーター
大きな夢 中ぐらいの夢 小さな夢
愛するように楽しんで自由自在に製作しよう

12月31日
私は両親の「夢の形」としてこの世に生まれた!

私は夢である 私の両親の夢の表現物である
両親の夢=私をもっと大きくもっと美しくする
それが私の使命 私の「命を生きる」ことが私の使命
(2005年 12月 21日 [水曜日])

風貌

風貌(ふうぼう)
   =顔つきや物腰から総合的に受ける、その人独特の感じ。

 風邪も治まり、気分爽快にという想いと木曜日からの沖縄行きの準備もあって、美容院に行った。Fuzz、教え子さんがやっているお店で2回に1度の割りで、今年からはここへ行かせて戴いている。今までずっと散髪屋さん・理髪店へ行って満足、納得して帰って来たためしはなかったが、ここへ行くようになってからは、いつもルンルン気分で帰って来て、「さあ、今日は生徒さんたちがなんというか」楽しみの一つになっている。
 夏の合宿から髭を蓄えているので、今日は難しいかなあと思って行ったが、ご覧のとおりの写真のような出来栄えである。
 沖縄の賢坊さんと親しくさせて戴くようになって、字力のお陰も有って益々お月愛が広がっていく中で、元やくざさんからの字の注文も戴くようになり、チョコチョコといろんな方にお会いする中で「先生の方が強面(こわもて)ですよ」と言われ、ちょっとは気にしている。そう言えば、かの熊さんからも初対面の時には、「その道の極めた人で、それだけ物腰も柔らかく言葉つきも丁寧なのだろう」と、後日談で聞かされた。
 男の顔、風貌はその人の歩いてきた道の一部を語るであろうから、自分の貌には責任は持たないといけないと思っている。どちらにせよ、まだまだ発展途上人。これから「渋い」と言われる貌作りに積善展運・日々善心・機積で自分磨き、貌作りをして行ったらいいだろうと考えている。
因みに教え子の安井君が経営する美容院Fuzzのホームページは次のとおり。自分の貌をホームページ出すほど趣味は悪くないつもりですが、今回は教え子さんの腕前を披露したい一心で、恥ずかしながら字遊人の顔を掲載しました。まあ、4年後、60歳ぐらいの渋さをお楽しみにしておいて下さい。目下、50の青春中です。http://hair-fuzz.com/
 
(2005年 12月 20日 [火曜日])

雑感?
 『見えないものを見、聞けない音を聞き、形のないものを感じ取る力が、今の人間からはなくなっている』これはカナダ先住民の言葉だそうである。中3生に入試問題を解かせていて出てきた文章である。
『愛したら愛される嫌ったら嫌われる。相手をナメたらナメられる』これは人間関係の基本と言うか法則のようにも思える。今、地球人は自然をナメているのではないだろうか?そして、徐々にそのしっぺ返しが来ている事にも気づいていないのではないだろうか?
『人間として 動物としての感性と野生を表現したい』これは「夢人」の中に書いてある言葉で、何時何処で思い立って書いたものか定かではない。文字通り、ひらめいて書いたもので、動物的野生的なカンを大事にしたいと思う心が文字になったように思う。
『どこまで自然になれるか 身も心も・・・』これは今のヒラメキで書いた言葉。人間の体は小宇宙の存在のように偉大な法則で動いており、それは人間の意志を超えた所で動かされているように思える。体が自然と融合した時、一致した時、その時に人為を超えたパワーが発揮されるような気がする。「心身一如」身も心も自然に一致するかどうか、それは人間にとって不可能なのかどうか?それが一致した時、もしかしたら「機積」が生まれるような気もする。それが禅や仏教でいう「無」ということなのだろうか?
(2005年 12月 19日 [月曜日])

wowwow
今日は一日、風邪の為、静養日として家にいた。一歩も外へ出ないというのも初めての事かもしれない。WOWWOWで映画を見て過ごした。『アサシン』はそれなりに面白かった。「太陽と月の二面性を持って」というセリフが心に残った。お天道様お月様、陽と陰。考えてみると人間として「お陰の力」の大きい人は大きいのかも知れないと思った。人間、自分一人の力、実力はたかが知れている。どんな偉人、賢人も自分の実力にプラスしてお陰の力を持って、いろいろなこと偉業を成したのではないだろうか。それが親であったり友であったらり参謀であったり同志で亜あったりいろいろであるが、そうでなければ人間一人の力では事は成しえないように思える。それらの要素には天地人の働き、味方もあるだろう。運と一言にいうが、運も自分で運んでくる時もあれば他者が運んで来てくれることもあるだろう。他者は決して他人だけでなく万物が対象であるように思える。もし、太陽を自分であるとするならば、その光を受けて輝き陰で支えて下さるモノの存在は大きい。これに気づいてこれを大事にして行かないと人は大成しないように思う。
 「ベストキッド」も面白かった。『心の声を聞け』というエンディング曲の歌詞が心に残った。人間、時として自問自答し心の叫び、心の声を聞く必要がある。それはより正しく生きるためにもより強く生きるためにも必要な事だと思う。
2005年 12月 18日 [日曜日]

イチローを称える
 イチローが大リーグ記録を樹立した。84年間破られることのなかった247安打という記録を「なんなく」突破した。海を渡った侍(=イチロー)は、いつも先=未来を見つめている。それは見つめているというよりも睨んでいる、凝視しているといった方が的確だ。彼の素晴らしい所は潜在意識のフル活用とゆるぎない自信だ。@打ちたいA打つ(打とう)B打っているC打ったDまた、打った。というこの5段階のイメージトレーニングの活用において天才的だと言える。D天才C超一流B一流A二流@三流という段階。@未来願望A意志未来B未来進行C未来完了D未来継続というレベルだ。@は誰しもが願っていること、しかし、その多くは結果が出せないで終わってしまう。心技体の技体で野球をしている選手達だ。A意志が介在して来ているので、成功確率が上がってくる。それでも3割は超えられない。だから二流で終わってしまう。Bイメージトレーニングが活用されており、潜在意識も活用している。バッターボックスに入った時、ある者はボールを打った瞬間をイメージしているものもあれば、二塁から三塁を走っているシーンを思い浮かべている者もいる。C結果を具体的なイメージで捉えることが出来る。そのようにいつもトレーニングしている。D称賛されてインタビューに答えてたりしていることを連想し、時にはその言葉さえ用意している。究極の結果までのシナリオを書いている。
 イチローはイメージを言語化して、それを口に出してどこかで言っているか、あるいは心の中で念じているかのどちらかだ。そのイメージコントロールをマインドコントロールに直結させて、優れた運動機能を備えた体の全細胞を駆使して安打を製造している。体の全細胞の数は60兆だ。60兆という天文学的数字を具体的に捕らえると、毎日100万円を遣って1年で3.6億、10年で36億、百年で360億。千年で3600億、この3倍が約1兆として、3000年かける60だから、18万年。人類にとって18万年という数字は天文学的数値だ。イチローは天才的技術・至高の技術と称えられているが、私は潜在能力・潜在意識の活用の名人だと評価している。
 見つめている先には夢を実現化させた、イチローの世界における「現実」、イメージの中にある現実がいつも潜在意識の中にあって、その本(もと)に一挙手一投足がある。成功イメージの天才がイチローなのだ。三流の打者が「もし、ここで打てなかったら」と万分の一、一瞬ひらめくのに対して、イチローは絶対的と言っていいほど、上手くいくことしか考えない、思考回路を持っている。それでも3回に1回しか成就しない。それがイチローが人間であり、ロボットでない証拠なのだ。イメージコントロールの天才、イチローはそのことに自らも確信を持って気づいていない。それは潜在意識というものがそのような性質であるからだ。一瞬のだじろぎ・一瞬の迷い・一瞬の緩み、これすらも許さない、研ぎ澄まされた集中力をイチローは磨き育ててきた。人は自分が出来ないことを他人がすると、それを「努力」という言葉で誤魔化そうとする。イチロー語録を意識して収集している中で、彼本人の言葉から「努力」という言葉を聴いたことがない。努力という言葉はプロとアマの違いかも知れない。一流の選手が努力しましたとは決して言わないものだ。
 イチローの言葉には重みがある。イチローの風貌には野武士のような逞しさと武士のような気品がある。「言葉と風貌」これが男の値打ちを決めるものかもしれない。30歳でそれを兼ね備えているのだから、野球選手としてだけでなく、人間としてイチローは一流であると言える。
■先日、小倉へ行った時に、増田さんと話をしていて、イチロー&松井談義になり、小生のこの文章がわかりにくいとご指摘を戴いた、自分がわかっている積りでも、それを文章化してみると人には通じないということはよくあることだ。見直して読み直したが、今の小生にはこれ以上は書けない。日誌は読んで下さっても徒然草子までは目を通されない方に、日誌に書かせて頂きました。ご感想を・・・。
2005年 12月 17日 [土曜日]

風邪の効用
 「風邪の効用」という本がある。菅野先生という古いお仲間の先生から戴いたものだ。火曜日の朝に喉に少し異変を感じて、急用で小倉へ行き、水曜日帰って来て、昨日やっと病院にいくことができた。今、喉の痛みが増している。8月の風邪の時には発熱してエライ目にあった。この本をまだ全部読んでいないのでわからないが、風邪は体を調節する働きがあるらしい。
 人間として生きていく以上は風邪は避けて通れないらしい。風邪を引かない方が健康体として心配なようにも書いている。詳細はやや専門的にも書かれていてわかりにくいが、風邪とのいい付き合いをすることが肝要と書かれている。
 私の場合は喉がイガラッポクなると風邪の予兆で、初期の段階で医者にかかって注射をすると治る。今回はちょっとタイミングをずらしたぶん。一通りのコースを辿らないと治らないようだ。ただ、時期がこの時期だけに長引かせずに早期に治癒したい所だ。いつも薬で抑えて人工に押さえ込んでいる。時には熱を出して発散した方がいいのかもしれないが、やっぱり「健康」が一番だと痛感する。
(2005年 12月 16日 [金曜日])

募金
現在の募金額、子供の教育を考える会の口座記載分は2,600,266円。それに加えて今日、小林功・司・連君という小学校4年2年幼稚園の子供さんから募金を戴いた。普通に募金をというと、もったいないという言葉さえ返って来る今の子供気質の折に、喜んで募金して下さるというのは、親がその趣旨を伝え理解して下さったお蔭で本当に有り難いことだ。嬉しいことにメッセージが添えられている。「カンボジアの人達に使って下さい」「カンボジアの人にこのお金をつかって下さい。ぼくはおこづかいから七百円出しました」「ぼくは300円をおこづかいからだします。カンボジアのひとにあげてください。(にしぐちせんせいのにっこりがお=似顔絵付き)」
 今の日本人からみれば。10円は充分に募金できる額。全国民がすれば13億円。この金額があれば世界の難民の子供たちがどれほど助かるのだろう。決して難しいことではないはずだ。TVでチャリィーテイをすると結構な額が集まる。誰かに委ねるというのではなく自分で出来ることをやってみる。そのような世界が出来ることを願う。
(2005年 12月 15日 [木曜日])

雰囲気
「九州のムラ」という会社が小倉駅前の伊勢丹デパートに隣接してある。ここの取締役店舗責任者が我がファミリィーの村ちゃん。店舗のリニューアルということで、看板の書き換えがあってお手伝いに行かせて戴いた。やはり、紙とは違って材木そのものに書くのは難しい。基本的に「書」とは違うようだ。遊書でもないので、文字の巧拙は別にして、いい感字になるように工夫はしたが難しかった。まあ、10年修行が足りないと言うことだろう。
 その後、「心を込めた言葉だけが心に通じる」という言葉を色紙に書いていたら、人の気配を感じて頭を上げるとそこに芳野病院の理事長と園田さんが立っておられた。僕が字を書いているのをじっと見つめていて下さったようだ。昨夕5時半に到着して、今日の1時40分に新幹線に乗るというスケジュールなので、理事長にもご連絡せずにいたところ、お仲間同士での連絡でお耳に入り「水臭い」と言って愛に来て下さった。なんと、有難い事だろう。30分ほどご一緒させていただいたが、自然体で誠実で素晴らしい気を発しておられる方だ。何かそばにいると安心感がある。問診だけでも病気を癒してくれそうな雰囲気を持ってらっしゃる方だ。ついこちらもいろいろと教えを乞うと、的確にお答えくださって嬉しかった。昨日、伊勢丹の閉店後に事務所で字を書いているとガードマンの方が覗きに来られて「強面(こわもて)の方がいらっしゃいましたが」と感想を述べたられたようだが、私はどのような気を発しているのだろうかと思う。
(2005年 12月 14日 [水曜日])

月愛
「いただきますとは命を頂くということ」
 小倉駅前の伊勢丹デパート・I'm専門店街地下1階の九州のムラ・むらごはんwww.muragohan.comのコーナーに小生の遊書がたくさんある。今年の春、オープンする時に書かせて戴いたものだが、中には「あぁこんなものも書かせて戴いてのだぁ」「これ、僕の字かなぁ」というのもある。
 村ちゃんが私に勉強の場を与えて下さって育てて下さっているのだ。小生が一歩一歩進化しているといえば聴こえはいいのだが、何ヶ月か経過すると、字にいろいろな感慨がありうれしくもあり、恥ずかしくもありというのが率直な感想だ。
 福岡から順ちゃんも志事を終えてから愛に来て下さって、村ちゃんのお仲間の、小生ともお月愛をさせて頂いている増田さんともお花詞をして「小倉食堂」で酒を酌み交わした。私は全くの下戸だが気分は飲んでいる積りである。彼もPCのホームページを見てくれていて、「特にイチローの文については。着眼は素晴らしいが、内容がイマイチわかりにくい」と率直に言ってくれた。有難いことだ。彼はひと回り若い同じ丑年の男で頭が良く理論的だ。でも「愛」を語るところに幅を感じる。いろいろと事情があってみんな大変なのだが、若い彼には大いに期待するものをもっている。お互いに月愛の中で成長していけたら嬉しいことだと思う。
(2005年 12月 13日 [火曜日])

魂情
魂生
魂美
結魂
心魂
言魂
いろいろな言葉を思いつき考えもするのだが、魂については、私自身がその実体を把握できていない。どちらかと言うと憧れに近い形でこの言葉をつかっている。焦りもなく、いつ日か掴むことが出来る日があるのだろうと思っている。
(2005年 12月 12日 [月曜日])

日曜日
「人生は心とお金と時間の遣い方で決まる」という想いを持っているせいか、父と最初に入った会社で教育していただいたお蔭が、いい意味で時間にはこだわりを持っている。それに起因しているのだろう。半年前から気に留めていた時計を買った。もう、これ以上は買わないという誓いを立てて。一番お気に入りのローレックスは失くしてしまったが、オメガ・ロンジンからおもちゃ、景品のものを含めて100近い時計を持っている。先日、ロンジンの時計の電池交換に持って行って、長い間変えていなかったので電池が腐食してしまってオーバーホールしないといけないということで、ショックを受けた。近いうちには自分で全部、現在使用していないもので置いているもの。コレクション的なものをメンテナンスしないといけないと思っている。今日、購入したものはチソットの正方形のもの。月齢も見れるというのが少し特徴があるものだ。
 ブックオフで映画のパンフレットを10冊と古本を5冊買った。「君達はどう生きるか(吉野源三郎)」「自己説得で思うとおりの自分になれる」というマフィーの本「葉隠・黒鉄ヒロシ(マンガ日本の古典)」「日本の歴史名場面100」「運命は口ぐせで決まる」。
 朝食は昨日、有田君がお土産に持って来てくれた古代式羊羹と美味しい煎茶。要するに、朝抜きの変わりにお茶とお菓子を戴いた。喫茶はコーヒーにしろ、煎茶にしろ抹茶でも自分で煎れる。それが自分好みで一番美味しいのが飲める秘訣だと思う。
2005年 12月 11日 [日曜日]

母  情(ぼじょう)
 母が私に教えてくれたもの、それは「愛という母の情です」
これこそが、この地上にある最も美しいものだと私は思って
います。母が私に伝えてくれたもの、その想いを綴らせて戴
きました。全ての人が、全ての日本人が共通して持っている
母への「日本の心」だと思っています。
 2002年にアメリカ・カリフォルニア州Mtシャスタで
遊書展の出美遊(デビュー)をさせて頂き、国内ではその年
の6月に沖縄で開催して戴きました。その折に発刊したのが
「母情」です。今回で第3版を重ね、多くの方にご拝読戴き
再版させて頂く運びとなりました。お読みくださったひとり
一人の方が、ご自分の母への想いを重ねて下さって、時に涙
を流して下さったとお聞きしております。
 今、私が愛と平和をテーマにチャリテイー遊書展を通じて
活動させて頂いているのは、天からの母の声ではないかと思
っております。「親孝行こそ愛の原点」だと思っています。ご
笑覧賜れば光栄です。         神謝・歓謝・感謝
■表紙は雑巾で、本文は全て左手で書かせて頂きました。
字遊人   西口賢治

 お知り合いの人とお知り合いになって、その方が私のホームページで一生懸命に「母情」の内容に関するものを探して下さって、「ないのですか」と尋ねて下さった。そう言えば50あまりの句を書いているのだが、それは今の所ホームページには書き上げていない。機会があれば「徒然草子」にでもアップさせていただければいいなあと思った。スパーマザコンの小生が綴った母への想いだが、何人かの人が自分の重いと被せていただいて涙をした。というお花詞は伺っている。手作りのものではあるが、もう何千部かは誰か様の手に渡ってお読みいただいているんである。
100ぐらいは書いてみたいようにも思っている。
2005年 12月 10日 [土曜日]

雲は天才だ!
 石川啄木の詩にこの題名のものがあったと思う。啄木は何を思い何に思いを馳せてそのようにうたったのかは知らないが、それに対して、私から言わせると「子供は天才だ」と思う。ひとり一人を見つめると感嘆するような信じられない隠れた才能と言うか特技を持っているものだ。おそらく神様はそれを平等に一つずつ与えてくださっているのだと思う。福沢諭吉の「天は二物を与えず」というのもそのような意味だと思う。
 1ヶ月ほど前にPCのワードがトラブルで使用不可能になって作動しなかったものを、中2の天才中村浩兵君が見事に直してくれた。3人のスタッフやセミプロクラスと言うか、志事で一日中PCを触っている人にも頼んでみたが、最終初期からワードを入れ直そうといっていた状態のものを見事に修復してくれた。メカ音痴の私から見ると凄い・素晴らしいという感嘆の一語に尽きることだ。この1ヶ月以上、別のPCを使い、ワープロを持ち出してきていただけに大助かりだ。
 2年生になって成績が下降傾向にある彼を上昇気流に修復するのが私の志事になった。天才までとは行かないが、彼の目標、夢に向けて最善を尽くしてやろうと思っている。
(2005年 12月 9日 [金曜日])

コトバのチカラ
 揚げパンが食べたいという家内の言葉に、空き時間の私がローソンに買いに行った。久しぶりにローソンに行くのが何となく楽しくもあり・・・。
 最近、このように考えるようになっているのだが、揚げパンを買った後、何故かそのまま帰ることができずに店内をひと回りした。用事もないのに・・・。本を並べてるコーナーの前を通った時、眼に飛び込んできたのがこの本。白い本にカタカナが並び、黄色い帯に子供のような字で「さりげない一つの言葉が どうしてこんなに、心に響くんだろう」。この本に会うために、この本を買うために、この本に呼ばれていったように思う。
 『子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ』
子供を叱りつける大人が多い。悪いことをしたら怒るべきで叱るべきで教えるべきだ。しかし、大人としての許容としての幅の中に柔軟性が欲しいと、ずっと思い続けてきた。角度が少し違うかもしれないが、生徒さんにこう話している。「みんな勉強せぇせぇ言われてもせぇへんやろ。みんながお母さんになったらそのことを忘れないようにね」と。ちょっと、ほんのちょっと考えればわかることのように思えるのだが・・・。
(2005年 12月 8日 [木曜日])

日々善心
入試戦線が開始されている。推薦入試の結果発表がある中で、子供たちが朗報を届けに来てくれる。中には3年ぶりの子もいれば、いろいろだが、彼等の成長振りには「驚嘆」する。顔つきが見違える。話し方、話のないように大人を感じ、感動する。あの速度と変化成長振りには、残念ながら大人はついていけない。このように見てみると、あるめんで16,17,18歳と言うのが人生の中で一番重要で大きく変る時なのかも知れない。
 日々心鮮、日々善心を自覚意識して、積善展運していかないと子供たちに追い越されてしまう。
(2005年 12月 7日 [水曜日])

人から人へ

 お陰様で花恋打(カレンダー)が完買間近だ。同じ尼崎で塾をしている木村塾の木村先生が20周年の記念にということで生徒さん全員に配布するということで4000部注文して下さったのが大きい。7000部の内約6000部の予約を戴いてのことなので今週中にはご注文いただけそうである。
 木村先生にはその友情に応えて、お祝いに木村塾さんのスローガンである「人から人へ」という額と感謝状と特製ラベルの泡盛をお持ちした。花恋打の出来具合にも上々の気に入りようで嬉しい限りである。
 横浜の米田先生からもお電話をいただいた。「天才字遊人、西口賢治先生ですか」とノッケから大VIP辞令が耳元に飛び込んできた。カレンダーをお送りしてボランテイアのご協力をいたところ、いたく神動神劇していただいたらしく。来年の予約?を戴いた。今年は間に合わないので、取り敢えず中3の合宿に参加する生徒さん分の130部を申込下さった。それぞれに直筆で小生が考えた入口が二つ書き込まれた『合格』を書かせて戴く事になった。有難いことだ。感謝・神謝。
(2005年 12月 6日 [火曜日])

虹と宙(にじとそら)

 私の遊書には作為・技巧はない。というよりもそのような技が私には備わっていない。あえて言えば「遊気」、遊び心とその機その場の気をいただいて書かせていただいている。気を入れすぎるとダメ。何も考えずに「ふぅー」と「すぅー」と書いた時に気に入った字が生まれる。以前は紙次第、墨次第の字だったが、最近は気次第の字になっている。
 虹と宙。23日にいつもお世話になっている泡ガラスの稲嶺先生の方で記念館の落成式が行われる。その時のお祝いに泡盛のラベルを書かせていただこうとこの字を書いてみた。自分ではお気に入りだ。このタッチの文字は初めてでもある。これはそのときに気次第で、二度と書けそうにない字になった。今ではどの筆を使ったかも知れない。お祝いをしたい、喜んで欲しいという思いのなせる業がこの字を生んだのだと思う。虹を文字通りパソコンで七色の虹色にして、とは泡ガラスを焼成する炎の色である赤にして、宙は美ら島の空の青の色にしていただこうと思っている。
どのように仕上がるか楽しみである。
(2005年 12月 5日 [月曜日])

神迎神謝

     「みしまやさんに飾ってある書」

 土鍋でご飯を炊くと美味しいらしい。奥様方や通販で結構ブームらしい。家内と一緒に芦屋から伊賀まで約1時間半、ドライブをして伊賀焼きの里へ訪れた。自宅用の2つ、お土産用に2つ買った。一つは帰りに天理に寄って奥村さんの「みしまや」さんにお寄りをして土鍋を貰って戴いて鰻を食べに行った。天理は勿論ながら、おそらく奈良では一番大きく美味しいお店ではないだろうか?洗練精選された書の作品がある中で、私の作品も入口に置いてくださっていた。『神迎神謝』、杉板に銀色の短冊に書いたもので、残念ながら書のほうではなく作品に品がある感じがする。初めて熊さんと一緒に神戸でお愛した時にお上げしたもので、戴いた時にすぐお店の玄関に飾ろうと決めてくださったそうだ。神謝神劇である。
せいろ蒸しを戴いた。これは柳川以来で天然の鰻が絶妙で本当に美味しく幸せを感じた。その他、肝や照り焼きなどいろいろとサービスして下さって、大好物に堪能した。伊藤社長の所の焼肉・熊さんの寿司に加えてみしまやさんの鰻と大好物が加わって美味神謝である。
 伊賀の大甕を買った。1万5千円。大奮発をして自分へのご褒美にいた。私にとって焼き物も大好物?大好きな代物である。灰かぶりの煤けた黒さ加減。生地がそのままの部分、なんとも言えない赤さが出たところなどは、実に惚れ惚れとする。我が家の玄関横に、取り敢えず傘立てとして置かせて戴いた。
2005年 12月 4日 [日曜日]

響力、響き合う力
1,2日の日にカンボジア学校建設募金のボランテイアツールとして「花恋多=カレンダー」の購入ご協力のお手紙を80人ほどの方に出させて戴いた。早速、Faxの返信があって、大阪の奥山さん、静岡の小林さんが100部、50部のお申し込みをして下さった。「少しでスイマセンがご協力させて頂きます」というメッセージ。なんと有難いことだろう。募金と言うのは「チリ持積もれば山となる」でチリを山のように積み上げていかなくては絶対積もらないものである。1冊200円、5冊1000円。この1000円を20人、30人と響力(協力)、響き合う力を広めていかなくては貯まらないのである。
 募金活動はボランテイア活動は、それぞれの人がそれぞれの形でしておられる。そのような中で依頼させて頂かないといけないので、一種厚かましさがないとお願いできない。ある人はみんなkら10万円募金を集めるならば、自分が稼いで10万円寄付すえばいいと仰る方もいる。これも正論、これも一つの方法である。私の場合は、思い・心を広めたいと願っている。現在、昨年の4月にスタートして小さな心が248万4826円集まっている。延べ人数にしたら1,000人は超えるのだろうか?一人平均にしたら2,500円。その中には50万円を寄付して下さった方もあれば、25セントを寄付して下さった9歳の少女もいる。金額の差はあれど、尊い想いの有難さには差がないと思っている。浄財という言葉もあるが、この活動を通じて愛と平和を広げていければと願っている。
2005年 12月 3日 [土曜日]

伝記
ナイチンゲール・リンカーン・シュバイツァー。ジュニア版伝記全集を読んでいる。よくわかり面白い。もう20数年前、灘の勝山先生と講演旅行にお供をして薫陶を受けた時、あるいは甲子園学習塾で講演をして戴いた時、度々、子供たちへの読書の勧めとして伝記が良いと仰っておられたのを、今、痛感している。具体的には「勝海舟」を薦めておられた。
 考えてみると伝記なるものを読んだ記憶といえば、5,6年前に「津田梅子」を読んで大いに影響・感化を受けてことを思い出す。大袈裟に言うと女性観・女子教育・教育観を確立した。津田塾大学からたくさんの本を購入して、また、図書館に「私の一冊」を寄贈した。ナイチンゲールの生き方にも感銘を受けた。リンカーンの少年時代の苦労話に感動した。シュバイツアーは読み始めたところだが、感化されそうである。我ながらなんと単純なのだろうと自嘲する。
 『天の計らいは機に会って素晴らしい』=機会。教室に並べてある本で10年以上「積読」ままだったが、機を戴いて私の手が伸びた。何かの啓示だと受け止めている。新しい年を迎えるに当っての春待月に、何か新しい指針を見出せそうな気がする。一冊の本との出愛が人生を変えることもある。実際、直接的、間接的に私の心の襞にそれらが染み付いて、私の人間性の一部になっていることは間違いのないことだと思う。学びはマネビだ。できることを学ぼう。何か一つでも受け容れていこう。
(2005年 12月 2日 [金曜日])

夢現シートの更新
★39/Thank you/サンキュー/ 夢は感謝(39)の心について来る                        '05.12.1更新
■1年の計は元旦にあり。このような言葉が、いつ身についたのであろう。おそらく若い人に言ってもわからない言葉であろう。私の子供の頃にはよくつかわれた言葉のように思う。このように言葉もいつの間にか、消えていくものもあるのだろう。
 私はもう、数10年来、12月1日に「1年の計」を立てるようにしている。人は1月1日であっても、私は1ヶ月ぐらい早くしておかないと間に合わない、追いつけないような気がしている。人間と言うのは面白いもので、何かにつけて最後にならないとやらない、エンジンがかからない私がこのことについてだけは、1ヶ月のゆとりを持って取り組む。
 昨年の1月に作成した夢現シートの更新をして、1年の計を立てた。愛言葉は『ありがとうとお願いします』=神謝と偉法(祈り)である。さぁ、今年も日々善心・日々心鮮に生きていこう!
(2005年 12月 1日 [木曜日])

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