2004年02月の日志

夢彩紡(細胞)=ゆめさいぼう
 「思考は現実化する」
人生は思い通りに行かない。だから、思い通りに行かせようとして、人は努力し智恵を働かせ工夫をする。でもなかなかうまくいかない。だから、人生は面白い。これも一つの真理。その観点からいくと、思考が現実化するなんてありえないと人は考える。しかし、潜在意識で感じ、思い、考えたことは現実化される。寧ろ難しいことは潜在意識を活用すること、思い通りに操ることが難しいのである。トレーニング(実践的教育活動)によってそれは果たすことが出来る。成功した多くの人はそれを果たした人であると言える。実践的教育活動という漢語を使うと難しい響きになるが、学習もスポーツもトレーニングすることによって上達するように、向上することは特殊な才能がなくても可能なことだと思う。思考の志向を肯定的なことに向け、否定的なことを拒否していく。勿論、簡単なことではが可能なことである。私にそれが今出来るかというと、「出来るようになる」生き方をする。という未来完了形をする。
 人間の細胞は60兆、脳細胞は140億個と言われている。この夢数(無数)にある細胞を活性化させて、夢実現に集中させれば可能性は夢現に広がると思う。夢彩紡、夢の細胞は夢数で、それを美しく彩り紡いでいくことによって、思考は現実化し、夢は実現していく。私はそう信じる。天から、神から授かった生命、命を愛しんで懸命に生きていくことによって夢彩紡は活性化され可能性は拡大される。そう信じることによって更にフォース(理力)は強化される。
夢求日志もお蔭様で2ヶ月を終えることが出来ました。夢をテーマに、おじさんの堅い、硬い文章ですが、一人でもこのホームページをご覧下さるあなたのために書き続けて行きたいと思っています。140億個分の365の私の夢脳を使って・・・。

2004年 2月 29日 [日曜日]

夢ことば
「思考は言語である」1泊2日の研修セミナーに参加するために名古屋に来ています。今日、一番感動したのが冒頭の言葉です。
ここ2,3年、ずっと言語、言葉にこだわってきていて、明解にこう言われてしまうと、「やはりそうなんだ」と大きく頷いてしまう。大脳の働きからいうと、イメージするのと同時に言語化されて認識される。思うことも、考えることも、感じることも、夢に描くことも、『はじめに言葉ありき』といえる。言葉を磨くことは心を磨くことにつながり、言葉を豊かにすることは心を豊かにすることにつながるといえる。現代人の思考力の低下は、言語力の低下、言語の乱れ、美しい正しい日本語の喪失にあるといえる。これは決して子供に限ったことではなく、TVの多大なる悪影響で大人もそうである。美しい言葉は美しい心を作りえる。言葉と感性は多分に相関関係もあると思う。言葉の乱れは心の乱れ、ひいては国家の乱れにもつながる。さびしい事ながら、確かに今の子供たちには夢がない?プロのスポーツ選手やアイドル、スターになりたいというのはあっても、ひとり一人の子供たちがそれぞれの個性にあった夢を描くという傾向が少ないというのは否めない。これは大人・社会の責任ではあるが、あながち一つの原因に言葉の乱れ、言語力の低下もあるような気がする。
 読書の効用の一つに「想像力」がある。想像力と夢創力は強い関連を持つ。言葉遣いは心遣い。夢のある言葉、夢ことば。言葉は目で見て、耳で聞いて、手で書いて脳で認識する。視覚・聴覚・触覚で認識して潜在意識にも影響を与える。だから、美しい夢のある言葉を遣っていきたい。 
2004年 2月 28日 [土曜日]

DM(Dream Message)夢の伝言
中3生に最後の英語の授業をした。高1の英語を半分。そして半分は、例によって私の話。DMをした。夢語り、夢の語り手、Dream messengerとして、思いの丈を伝えた。どれだけ伝えられたか、判ってくれたか、ピンときてくれたかは定かではない。彼らは即座に「感動した」という言葉やリアクションはしない。後日、お母さんを通じて「感動して帰ってきました」とか、いつも先生がして下さる話を聞かせてくれます。と知る。十人十色、子供たちひとり一人の感性に委ねるしかない。あるいは今はピンと来なくても、いつか「あっ、そうか」と判ってくれることもあるのだろうと思う。それは自己体験によるもので、自分自身がかつての恩師の言葉、教えに対して、大人になってから、あるいは自分が教師になってしみじみとそう振り返るからだ。子供たちの前に立つ資格は、夢を語れるかどうか、自分自身が夢を持っているかどうかだと思う。堅い話をすれば、教育は技術・知識・情熱が3本柱というが、夢のない教師は情熱も出てこないと思う。技術・知識だけでは、今の子供たちは教えられない。どれだけ感動を与えられるか。どれだけ感化、影響できるか。そう思うと襟を正さずに彼らの前には立てない。子供たちは感性で教師という人間を見抜く。それは動物的感覚で、自分の敵か味方かを判断してしまう。考えて見ればこれはヒューマンリレーションの基本で、大人同士でも同じような気がする。よい教師はよい生徒によって育てられる。「逆も真なり」ではあるが、もし、私がいい教師であるとするならば、それは出会った生徒さんのお蔭だ。いえば教師というのもおこがましい。先に生まれた人という意味での先生でありたい。 
(2004年 2月 27日 [金曜日])

(年 0月 0日 [水曜日])

夢の語り部
 私の塾のスタッフに、実にいい純情な青年がいる。少し真面目すぎるために、ちょッとだけ心配性なのか元気をなくすことがあるらしい。仕事前、30分。時間のある時は私のところへ来て、話をしにくる。話をするといっても、専ら、私が語っていることの方が多い。取りとめもない話、人生について、考え方について、物の見方・感じ方についてetc。吸い取り紙のように、ドンドン、どんどん吸収していっている。私も実は模索中ながら、宇宙から見たらとか、46億年前に地球上に発生したと考えられる有機体が生命体になったことなど、雑談風にはなしている。
 周りのスタッフに聞くと見違えるように元気で、仕事に取り組んでいるそうだ。この30年近くの間にたくさんの子供たちとその親に出会ってきた、そして学んでも来たし、自然に身にもつけてきた。そのお蔭の部分で対応して話をしている。自然体で話をしている。言葉が愛を語り心を伝えるものであるならば、相手に対して夢を語れる語り部ありたい。そのように心がけて行きたいと思う。
 先日の沖縄での会話。男性陣はこぞって私を一目見た時「こわそー」と思ったらしい。男性には対話しないで、遠目で見るとそのように感じられるらしい。話をすると、大阪弁訛りもあって、ゆっくりとして話し口調なので、逆に優しさを感じてくれるらしい。女性陣はそんなことはないらしい。なぜなのか、なんとなく判るような気がする。女性にはこちらも頭から気を許して接している。男性には「律儀さ」と「ライバル心=好意的なもの」を潜在的に発散させるのかも知れない。確かに私のスマイルにはぎこちなさがあるように思う。夢スマイル。そんなものも身につけていけたら素敵なことだと思う。何事も心がけ次第だろうか・・。
(2004年 2月 25日 [水曜日])

夢酔い酒
 ここは那覇の久茂地、国際通りを少し入った所.[月ぬ美しゃ]
=(つきぬかいしゃ)とい古酒と琉球料理のお店。6ヶ月の赤ちゃんから、50代の男性まで私を含めて12名。夕方の6時半から、三々五々集合して12時半ごろまで、6時間。泡盛とウチナー料理を囲んで、話に花を咲かせる。その間に私が飲んだ飲み物といえば、ゴーヤジュース1杯とただのお茶だけ。私の来沖に合わせて、ノンアポで1,2時間前の電話で集まって下さった人が半分。おそらくこのあたりは本土の感覚では理解が難しいところだろう。御一人の人が10時半ごろに、急用で抜けて「中間」というところで、全員で割り勘。実に気持ちよく、すがすがしい思い。勿論、男女平等。居酒屋風でしっくりと落ち着いたお店。オーナーがみんなの仲間で、心配りをしてくれる。私にとったら一つ一つの料理が珍しく、美味のオンパレード。ウチナンチュウ(沖縄の人)の情に酔い、泡盛の香に酔い、心置きなく夢酔い酒を酌み交わす。嬉しさ半分、照れくささ半分の心境になるのが、小生の作品が10以上も飾ってあること。オーナーの翁長さんは、ボクの「遊書展」のオッカケをしてくださっている、三線(さんしん)を爪弾く粋人。お手ごろ価格で気楽に気安く「ウチナー」を味わえるお店だ。雰囲気に美ら島があるのが嬉しい。時間を忘れてしまうほど夢酔い酒に、心地よく酔いしれた那覇の夜でした。
(2004年 2月 24日 [火曜日])

夢葉集
 三師・三友・三相。三人の師匠、三人の心友、三人の相手(ライバル)。これが大切な財産だと思っています。ここ沖縄には私の師匠がおられる。20年近く前に心友を介して出会った方で。その昔、お百度参りに掛けて、私が100通の手紙を毎日出して、押し掛け女房ならぬ、押し掛け弟子になったのである。今回の沖縄行きは、師匠の病気のお見舞い。那覇から遠出をして備瀬崎で一泊しながら、師弟問答をしてきた。人生のAからZまでを指南してくださり、時には逆に意見を求められて対話することもある。教育の心と文学への想いが一致している。太陽や月があるように、「在る」というだけで、存在そのものに安心感が芽生える。
@「志情の深さ=しなさきのふかさ」しなさき、志のある、意志のある情けという意味。A「出来者=できやー」知識も智恵もある人、出来る人という意味。「肝愛さ=ちむがなさ」肝はちむといい、本土で言う心臓、ハートのこと。相手の心を愛する?という意味。琉球は素晴らしい言葉があって、一つの言語圏をもっている。私の沖縄ベスト3は@ウチナンチュ<人>。A自然B言語だ。どれをとっても素晴らしい。次が、料理だ。これに触れないと沖縄の良さはわからない。「降澄=うりずん」若夏とも書く場合があるが、天から雨の恵みが降り、大気、気が澄んで全ての生き物、命あるものが生き生きとする季節をいう。沖縄の言葉(ウチナーグチ)には万葉の古文のような響きのある、夢のような言の葉が感じられる。いつの日か、この地に住んで万葉集ならぬ「夢葉集」を勉強できたらという夢をもっている。
「I LOVE OKINAWA.」「あい らぶ ウチナーグチ」 
 
(2004年 2月 23日 [月曜日])

夢物語
もう何度目になるだろうか。美ら島(ちゅらじま=沖縄)の北部、本部町の備瀬崎に来た。10回近くになるだろう。来ると言うよりも戻ってくる。帰って来たという形容の方が当たっている。
初めてここを訪れた時、私は浜辺を歩いて、一片の流木を拾って自宅へ持ち帰った。小さな旅の思い出にするためだった。その流木に「夢」の一字を書いた。流木が故郷の海に帰りたいと私に語りかけて来た。私は礼状に添えてオーナーの熊さんにその流木を送り返した。ここのペンションには「海厨」(みくり)という寿司席がある。私の個人的主観で申し上げると、沖縄一と言うよりも宇宙一、美味しい寿司を食べさせてくれる所だ。この片隅に流木は飾られた。時は流れて「夢」はようこさんという女性に熱望されて、那覇に移り住んだ。今は、誰の手元にあるのだろうか確かめてはいない。当時、ペンションに奉公していた新海君という若者が、那覇に勤めるようになって、国際通りに泡盛のシヨットバー「あむりえ蔵部」のチーフとして開店することになった。その朗報を受けて、私は開店祝いに駆けつけた。先客として入り口付近に座っていたようこさんの横を通って、熊さんと私はお店の中へ入っていった。ようこさんは熊さんに「あの人が夢を書いた人でしょ」と言って紹介して欲しいと頼んだ。私とようこさんはこうして出会った。2年前の4月のことだ。その直後、アメリカの<シャスタ>と<ボストン>で遊書展のデビューをして、6月に<あむりえ蔵部>で国内初の遊書展をさせていただいた。その後、中国でも遊書展を開催して12回を数えるようになった。字遊人・西口賢治としての生みの父が熊さんで、海の母がようこさんだ。
 一つの流木の「夢」が、今、命を持って物語を綴っていっている。この物語は、私が書いているのではなく、「夢」が命を持って生きているような気がする。
2004年 2月 22日 [日曜日]

夢一輪
 commencement(コメスメント=卒業)・米語では始まり、開始という意味がある。小学校5年生からの教え子で数ある中でも、薫陶を与えさせていただいたスタッフのA君が20日付けで退職をした。中学校の時に一度、私のもとから卒業をして、今回2度目の卒業をしていく。これは二人にとって決して別離ではなく、新たなる記念すべき「始まり」だ。新しい夢に向けての「開始」なのだ。君よ泣きたければ泣くがいい、流した涙の一滴が輝いた時、その光の中に『夢の兆し』が見えるじゃないか。君よ、別れに祝杯を挙げよう 高らかに! 君の新しき出愛に乾杯をしよう。我ら互いに心の中で行き続けよう!涙の向こうに夢があることを信じて!
『遠き別れに耐えかねて、この高堂に登るかな、悲しむなかれわが友よ、旅の衣を整えよ』〜島崎藤村の惜別の唄〜
 早春は別離と出愛の季節。別れがあるから新しい出会いが生まれる。別れないと新しい出愛が生まれない。そう思うと出会いもまた愉しと言える。人生、死別以外は全て試練だ。愛する恋人同士の別れも、新しい出愛のため。天の計らいだと思えばありがたく受け止められるはずではないだろうか。そのような視点に立てば、次にもっと素敵な出愛があると思うとワクワクしてくる?と思える。確かに辛い別れもある。でもそれはその後の人生に生きる「良薬」なのだ。良薬はすぐには効かない。漢方薬のように自然に心に効いてくる。
 A君は私の教え子、わが子のような存在であり、時にはパソコンのお師匠さん。ある面で私のライバルでもあり、かけがえのない友でもある。手元から、身近な所から離れては行くが、離れて行って大きく育ってもらわないと、何のために薫陶をしたのかわからないようになる。高校生になって再び戻って来た時、彼は想像を超えて成長して来た、この次にどのような再会をするかは判らない、神のみぞ知ることではあるが、今、この時の別れよりも、この次の出愛の方が楽しみである。別れる人に夢を託す。出会いの人に夢を運んで来てもらう。桜が咲いて散るように、潔い別れ、潔い出愛の中で人は哀しさを知り、切なさを知り、優しさを知る。
 『夢一輪、あなたの心に咲かせたい』
2004年 2月 21日 [土曜日]

夢の引力
 字遊人を名のるようになってから2年、勤しんで精進をして字を書くという事はしていないが、普通の人よりはやはり慣れ親しんでいることは確かだと思う。昨日、達筆というよりも素敵な書の手紙を受け取った。身が引き締まるような思いで拝見した。実はこの人、Y氏の存在こそ、私の書への憧憬が起き、その憧れからの模倣が私を字遊人たらしめた由縁である。氏の文字は芸術感に溢れ、尚且つ遊びがある一流の文字である。マネをしたい、あんな風にかけたらという思いに駆り立てられてがんばるふり?をした。でも、50にして愉しみを見つけたのは確かだ。私にとったら漢字、文字が夢を与えてくれた。そしてそのボランテイアの活動を通じてたくさんの夢を貰って、たくさんの人の愛に出会って自分でも信じられない世界が広がった。人生、何が起きるかわからないというが、本当に夢の引力・愛の引力は凄いパワーを持って拡大する。信じられないことだが、死んでもいいと思うぐらい幸せを感じたら、その思いを大切にして、人様のお役に立とうと何度思わせていただいたかわからない。これら全ては自分以外の人・物のお蔭だ。人生50、まだまだと言えども「お蔭様」の言葉の重みを少しは解かりかけて来た様な気がする。
(2004年 2月 20日 [金曜日])

夢、いのち。
 『世の中で一番尊い夢は「生命」を生きることである』今、この瞬間も、一心に生きたいと願いながらも、この世を去って行く人がいる。今日一日、無駄に過ごした時間は、昨日死んでいった人が生きたいと願った時間なのだ。当たり前に生命を永らえているのではなく、あと一日だけでも生きたいと願う人がたくさんいるのだ。そう考えると、普通の人が、普通に夢を持って願うことは、ある面で欲だといえる。ならば、健康に過ごしている人は、生きているというだけで大きな夢を実現させて戴いているに等しいはずだ。大事なことは、そのことをいい意味で意識しているか、心に刻んでいるか、本当に心から感謝しているかどうかということだ。長生きをしたいという夢を持っている人も多いかもしれない。しかし、死と対峙して生きたいと切望するのとは訳がちがう。生命を生きる。生命を生かさせていただくことの重みをもっとしっかりと自覚しなければならない。そこからはもっと純粋な夢。「世のため人のため」を願える夢も持てるのではないだろうか。今日のこの日に私は、最も尊い夢を気づかさせて戴いた。
このことを原点にして、夢を語り、夢を探求していきたい。
(2004年 2月 19日 [木曜日])

夢彩色(ゆめいろいろ)
願望の4段階説という考え方で@幻想A夢B目標C予定がある。と私どものスタッフ、27歳のハリキリ娘が大学受験生にメッセージを伝える。@大学へという幻のような想いが起きるA○○大学というハッキリしたイメージを心に描くB何月何日に受験して合格すると期限をつけて目標を定めるC達成のために日々、立てた予定を実行していく。これらのストーリーを今時の高校生が納得して、得心したように聞き入る。
 最後の私塾人といわれている玉川大学の小原国芳先生は「初めに幻想=ビジョンありき」とおっしゃる。私は『夢』を力説して、「夢現の法則」を称える。十人十色、夢も彩色(いろいろ)。青い夢・赤い夢・黄色い夢・白い夢。それぞれの夢があってそれぞれが美しい。みんなちがってみんないい。それぞれの考え方・それぞれの方法・それぞれの想い・それぞれの人間性。いろいろなものが相まって夢が実現していく。自分にあったものを見つけていこうとする「意志」が要のような気がする。子供たち、高校生には、彼らの若い心に熱いメッセージを伝えて、その意志に働きかけをして、揺さぶる、揺り動かす、刺激する、目覚ませるという仕掛けをしてあげることだと思う。勿論、大人の人達にたいしても同じであろう。私が畏れ多くも「夢現の法則」を唱えさせていただいたのは、そのような「夢の仕掛け人」になりたいという「私の夢」だ。
(2004年 2月 18日 [水曜日])

夢の架け橋
正月の4日の日、神戸の舞子ヴィラのホテルから明石大橋のちょうど真ん中に沈む夕日を見た。赤いというかオレンジというか、それはとても素晴らしい夕景だった。思えばこの美しさも大自然の夕日と夢の架け橋としての人の想いの調和ともいえるものだ。淡路・四国の人たちと本州の人々、多くの人の想い、夢がこの架け橋・明石大橋を建造した。私が5,6歳の頃、母に連れられてここへ来て、伝馬船で往復した記憶が微かに残っている。この時代から思えば、ここにこのような橋が架かるとは、正に夢のまた夢の事業だ。人間の歴史は、科学の進歩はこのようにして、先ずは「想い」から始まって、人々が夢を語り合って、少しずつ少しずつ形になり実現してきたのであろう。始めに「想い=夢」ありき、でも、その思いもいえば言葉、言語化されて、一つの想いとして大脳に認識されたのである。どんな小さなこともこのような大事業も夢が、第一歩としての始まりだろう。
 夢の架け橋は心が架けるもの。最初は「架空」であったものが
お互いの人と人の心と心で結ばれて形になるものだと思います。あるときは片一方だけであったり、そのバランスが取れなくてもその心を無くしさえしなければ、いつか架け橋は架かるというよりも、夢は結ばれるはずだ。無いものに架けていき、次に結んでいく。それは心がないとできない仕業だと思われる。心に力を持ちたい。いろいろなものに「架け橋」を架けられる心を・・・。
(2004年 2月 17日 [火曜日])

夢リスト
 何を隠そう、その昔、私は小百合リストでした。熱烈なファンを持つスターには、名前を取って何々リストと呼ばれていた。
その元祖が吉永小百合さんでした。今は卒業して、沖縄の小百合さんのファンになっています。この言葉は多分和製英語で語尾にリストを付けているのでしょう。夢を持つ人、夢のある人ということで夢リストも素敵な言葉の響きがあるように思います。正しい英語はリスト=一覧表という意味だと思います。この夢リストも大事です。20代の頃に読んだビジネス書?の中にアメリカ人の成功者が若い頃に100ぐらいのリスト、自分の夢というよりもしたいこと、欲しいものを書き連ねて、そのほとんどを達成したというのを読んだ事があります。ホームページの39リストはその趣旨です。100は多すぎるだろう?大きな夢3.中ぐらいの夢6.小さな夢30.合わせて39.語呂合わせでサンキュウ。夢は感謝の心がないと、天地人の力を頂戴できないという思いからです。
大夢3=Time.心に期限を刻もう。鳥夢6=Dream.幸せの青い鳥はあなたの心の中を飛んでいる。花夢30=come.365日年中夢求でいれば花のような夢が咲いて来る。

 39リストがスラスラと書けない人は心の元気指数が低下している人です。書かない人は心が慢性横着症か病気です。夢は元気の素です。ユンケルよりもオロナミンCよりもよく効き、素敵な夢の味がします。(夢が夢の味するのは当たり前!)
 自分が自分のファンになってかっこいい夢リストになろう。
(2004年 2月 16日 [月曜日])

夢言葉・愛言葉
「あなたのとなりの人に一人だけ愛を語ろう あなたのとなりの人に一人だけ夢を伝えよう」連愛という詩の一節。作詞が私、作曲が心塾の塾長をしている元プロ歌手のMさん。私は人生のパートナー、仲間、心友と思っているが、彼は「師匠」と呼んでくださる。同じ九州男児、福岡県人として共通項が在るのは確かだ。
 さて、隣に人に愛と夢を語るについては、やはり子供たちに語りたい。20世紀から21世紀になって、こんなに素晴らしい時代が到来しているのに、今の子供たちには夢がない。これははっきり言って大人の責任だ。一番欲しいものはお金、お金があると何でも買えるように思わせている世の中に責任があるのだろう。小学生の子供に愛という言葉を発すると、TVに毒されている感性が言わせる言葉は「いやらしい」と反射的にいう。ほとんどの大人は、ご存じないだろうが、それほどTVに毒されているのは確かなことだ。学校現場では「命令・禁止・強制」の言葉が横行している。教師から生徒に集団教育という名の下に規制されている。一部の子供たちは行動だけではなく、思考まで命令・禁止・強制
されていることさえあるように思える。そして、一方で「よう考えて行動せぇ」と命令される。想いまで支配されたらたまらないことだ。この事を教師も子供たちも気づかない所で、無意識に為されている事に恐ろしさを覚える。だから、本当は、あなたのとなりの人に一人だけではなく、多くの子供たちに愛と夢を語らなければならないと思う。大人は子供に「夢言葉」・「愛言葉」を合言葉にして育てていかなければならないと思う。
2004年 2月 15日 [日曜日]

夢見処
 嫌いのものは少ないほうがいい、好きなものは多いほうがいい。嫌いなことは口に出さない方がいい。好きなことは口に出した方がいい。私の道楽は「多美=旅」。人生の道を楽しむ為の道楽、もう直ぐ50回目を迎える海外への旅、死ぬまでに100回は行きたいとささやかな夢を持っているといったら、お叱りを受けるだろうか。海は美ら島の備瀬崎の海、山はアメリカのマウントシャスタ。もっと美しい場所はあるだろう。一般的に言っても、沖縄の美しい海といえば、数限りなくあるだろう。しかし、私の心にフィットする場所・感性にあう所・気を感じる所・癒しが漂う所、そして、夢を感じる夢見処(ゆめみどころ)。それが備瀬崎とシャスタ。多美に出た数だけ思い出の場所があり、気に入った場所ができる。好きな所をあげれば、それこそキリが無い。みんな心に夢見処を持っていると、きっとそれが心のよりどころとなるはず。瞳を閉じれば連想できる。そして、深呼吸すると心が安らぐ。夢を失いかけたらここへ行けばいい、夢を忘れたらここに戻ればいい。そこに行くことができなくても、心の中にそこ(夢見処)があれば、元気が出せる。行きたい、行きたいと憧れる心に元気が湧く。心は何でも描ける宇宙だと感じることができる。行って良し。思って良し。故郷は遠きに在りて思うもの。夢見処は遠きに在りても近く感じられるもの。
2004年 2月 14日 [土曜日]

夢芸人
「教師は役者であれ」という言葉がある。子供たちの前に立って教科の指導をするだけであれば、さしてその必要もないかも知れないけれども、広い意味で人生の先輩、先に生まれた先生として教育をさせていただくとなれば、時にパフォーマンスもあり、演技もありで役者根性もいると言うものである。子供たちの前、教壇は舞台であり、こちらは役者として時に、主役・脇役といろいろな役をこなさなければならない。しかし、教室という世界では主役・主人公は間違いなく子供たちである。
 人生という舞台においてもやはり脚色は重要なものがある。事実と嘘の間には虚構の世界がある。親子・先生と生徒の間は、とかくこの二面性、嘘か真かの世界でいこうとするからギクシャクしてしまう。虚構の世界での美しい脚色があれば、人と人の間はもう少し、美しい間が取れるような気がする。
 私は自信のない子に、これまでどれだけ暗示をかけるために、
虚構の世界の言語を並べてきたであろう。時に国立大学の合格など夢の世界だと思えるような子に、「あんたはできる」といわば嘘はったりを噛ましたこともある。勿論、はったりを噛ました分は、面倒も身、フォローもした。そして、数年後、本当に国立大学に合格して、二人して涙を流したこともある。この場面は、本当に二人ともドラマの世界の主人公になっている。嘘から出た真も世には存在すると思う。
 かつて、先生か俳優を目指した私は、塾長という立場で田舎芝居のドサ回り役者をしている。旅芸人という言葉を借りれば、夢芸人を今日も演じて、子供を騙し続ける。地獄に行ったら閻魔さんに下を抜かれるのだろうか・・・。
(2004年 2月 13日 [金曜日])

夢便り
 ある尊敬する人から、「西口さんの手紙はラブレターだから」とお褒めを戴いたことがある。この言葉は私にとっては一生忘れ得ぬ言葉となっている。坂村真民さんの詩に「二度とない人生だからいっぺんでも多く便りを出そう」というのがある。だから、できる限りそれを心がけるようにしている。携帯電話・E-mail、確かに便利であり最速である。しかし、これは人間の自然の中における感性・感覚を越えてしまったスピードで叙情に欠けているような気がする。文明文化の進化に伴い、人が野性を喪失したように、携帯とメールの氾濫によって、何か大事なものを失いはしないかと危惧する。郵便受けで、あの手紙を受け取った時の歓び、少しでも早く開封したいとハサミを探したり、あるいは手で開封する、あのもどかしさ。ゆったりと事が運ぶから味わえる深さ、そのようなものを人の心は求め、余情もその流れに感じるように思う。物事は、時間は「美しく流れるもの」であって欲しい。携帯やメールは流れるのではなく、飛んでいるのだ。人は脈拍のテンポと呼吸のリズムに調和しない速さのものには、味わい深さを失うような気がする。封筒の文字。封筒の重さ。葉書の手触り。手紙の温もり。手紙の優しさ。受け取る側の気持ちで味わえる良さは、やはり遥かに手紙が凌ぐものと私は思う。
そんな手紙に愛と夢を添えて、私はこだわって、恋文を書き、夢文(ゆめぶみ)をしたため夢便りを、二度とない人生だから一通でも多く出して行きたい。昨日、投函した西安への手紙が今頃、私の心を乗せて、何処を旅しているのであろうかと思いを馳せて、受け取った相手の美笑を思い浮かべて、指折り数えて返信を待つ日数を愉しむ。夢を運んで夢便りが飛び交うことを連想する中にロマンがある。一日に何億というメールが飛び交っていると思うと、何か薄ら寒さを覚える。桜便り、夢便り・・・。人は便りに愛と夢と心を乗せて、何千年という手紙文化を築いて来たのだと思う・・・。
(2004年 2月 12日 [木曜日])

一語一会(いちごいちえ)。一語一夢。
 一期一会。この言葉の意味は「茶の湯ですべての客を、一生に一度しか出会いのないものとして、悔いの無いようにもてなせ、という教え」(新明解国語辞典)と書かれている。井伊直弼の遺した言葉だと聴いた記憶がある。昨日も今日も同じ設定、同じ人物でしたとしても、今のこれは一期一会だと、学生時代,「お茶」に青春をかけている時に学んだ。学生時代、国文の勉強はしなかったが、茶道はしっかり学んだ。直接、出会った人間で初めて尊敬した人が家元だった。利休と兄弟子だった藪内剣仲が元祖で、家憲が『無伝』だった。この言葉との出会いは私の精神に大きな影響を与えた。学ぶということは学(マネ)ぶということ。訓えられるよりも盗む方が身につくこと。盗む中で自分流にアレンジ・創意工夫ができること。この無伝のお陰で”盗みの極意”を学んだかもしれない。物事に一途に打ち込んだことから学ぶ素晴らしさと茶道そのものの良さを学んだように思う。
「一語一会」は言葉との出会いである。中学生時代、自慢じゃないけれど勉強のべの字もしなかった。そのお陰かどうか、本だけは読んだ。その本の中での言葉との出会いで、今の私の物の見方・考え方の基盤が形成されたように思える。あれで本を読んでいなかったら、きっと間違いなく「アホ」(大阪弁ではそんなに悪い意味はありません。親愛の情も含まれた言葉です)になっていたと思う。人は心の中(大脳)で言葉で感じ、頭の中で言葉で考える動物だと思います。そこが他の動物との違いだと思います。だから、言葉が豊かであるということは、感性が思考力が豊かになることに繋がると思います。日々新鮮。「一語一会」「一日一語」そんな気持ちで生きて生きたい。『一語一夢』の出会いもその中で生まれてくるかも知れない。
(2004年 2月 11日 [水曜日])

言葉拾い、夢拾い。
英語のnoteの意味には実に9つの意味がある。@メモ・記録A短信B文書C紙幣D注釈E注意書きF重要性G音色H印象etc.
もう何十年も前から、いつも所持していようと思いながら実行できずにいたが、夢求日誌・年中夢求をつけるようになってから、実行できるようになった。これが定着して習慣化すると、おそらく手放せなくなるなあと思われる。手帳は皮製で5年連記の物を使っている。現在3年目で、愉しみながら書き込んでいる。ノートはセカンドバッグにかさばらずに入る小さなものだが、「閃いたこと」を思いつくまま書いている。私の思考パターンのせいか、年のせいか、パッと思いついたことが記憶を辿ると思い出せないためにすばやく書き込む。もう一つの活用法はテレビ・映画・ビデオ・ラジオ、耳にするもの、目にするものを書き留めている。上記のCG以外は全て関連するようなことが、一杯出てくる。昨夜はビデオを見ていて「愛は奇蹟を起こす」というフレーズに手が動いた。これを「夢は奇蹟を起こす」と入れ替えて見て、「いただき!」とニンマリしてしまう。こんな感じで、言葉拾い、夢拾いをしていると愉しいものだ。心のセンサーを鋭敏に、柔軟にしておくと、「夢」が閃くこともある。
一日、一年、一生の内に、人は何千、何万の言葉に触れる、言葉に出会う。一語で人生が変わることもある。素敵な言葉は苺ミルク(一語見る来)のように、心に甘く、母乳の温もりを感じる。
 
(2004年 2月 10日 [火曜日])

夢の達人
あなたが繰り返し考えることは、
たとえその内容がよいものでも、悪いものでも、
いつか必ず表に表れてきます。
このことを知ることは、
人生の真理を知ることです。
            <ジェイムズ・アレン>
 今日、買い求めた本の一節です。心に沁み入ってきた言葉です。自分の人生の体験の中でも、十分に頷き同感する言葉であり。塾長という立場でたくさんの子供を預かって指導させて戴き、同数の親、お母さんとお話をさせていただいても、正にその通りであると納得してしまう。それぞれの人、各人には思考パターンがあり、思考の方向性がある。ある人は全て、何事も良い方向、良いほうにとらえようと、努力するのではなく、自然にそのようなパターン、流れで物事を考え、ある人は、これとまったく逆の人もいる。日々新鮮に愉しく生きる人と、毎日、惰性の中で不愉快に生きる人と・・・。どこかが違うのであろうか?物理的なことには差は無いけれども、心の反応の仕方、物事の受け止め方の思考回路・パターンに差があるのだろう。
 「繰り返し」というのは、学習効果の反復練習である。物事の定着法である。良い事を意識して繰り返す人もいれば、悪いことだと思いもせずに、無意識に繰り返して定着している人がいる。
無意識の繰り返しほど怖いものはない。自覚ができず、指摘されても素直に受け入れることが難しいからだ。
 夢を描いて、言葉にして文字に現す。これを繰り返すことによって、パワーをつけるということは、このアレンの言葉からも正しい方法だといえる。人生は練習だ。良い事を繰り返し継続していく、夢の実現力も繰り返しをしていくことで身につけられる。
夢の達人になれたら、さぞ、人生は楽しかろう、と思われる。 
(2004年 2月 9日 [月曜日])

桜夢(さくらゆめ)
 教室に入ると、桜の花が私を迎えてくれる。美ら島(チュラジマ=沖縄)から送られて来た桜を生けているのである。今年でもう3年目になる。尊敬する心友というか、仲間というか、ファミリィーのように思っている人から送られてくるのだ。沖縄の本部町、海洋博があった所で、ペンション・びせざきのオーナーである人から届けられる。沖縄に住む心友に連れて来てもらって、ここのオーナー「熊さん(本名=熊本さん)」と出会った。無類の人の良さと、気配りの名人であり、一流の寿司職人である。私が字遊人として「出美遊=デビュー」するキッカケを作ってくださった人でもある。ここ備瀬崎は私にとっては『気』と『愛』と『夢』を感受できる聖地なのである。この熊さんは家族は別にして、私がこの地上で最も愛する人だ。最もをつけたのは、勿論、最上級の表現としてであるが、私には愛する人が一杯いる。目下、愛と夢のバーゲンセール中である。我が娘に、そのことを言うと、「安売りはしないように」とジョークを飛ばされた。
 愛と夢は使うほど増えてくるというのが私の持論であり、母の訓えである。確かにこれはお金がかからないという最大の利点がある。事実、母は私の事を5人兄弟の中で一番可愛いがってくれた。お陰で、体験的実践論として、こんなことが自然に言えることに感謝している。
 この桜は格別に美しい。遥か南の島、美ら島から愛と夢と心を運んで来てくれる。本土で一番早く咲く甲子園の桜だ。実はこれは私にではなく、甲子園学習塾の受験生に「サクラサク」という縁起を届けて下さっているのだ。桜に夢を託して、桜に愛を込めて・・・。受験生にとってどれほどの勇気と励みになるのかは計りしれない。2月、3月は受験の季節、全国の受験生に幸運あれと心から願う。
 「もう、頑張ったあなたの心には桜が咲いています」
熊さん、桜夢をありがとう!
2004年 2月 8日 [日曜日]

如月の満月の夢
 冬の星座は唱歌にも歌われているように、空気が清澄で寒さのなかにも凛としたものがあって、趣のある美しさがあります。昨夜は、阪神間では珍しく昼間に、雪がしばし舞ったお陰で、大気が洗われ、本当に何年ぶりかに見るほどの星たちが煌いていました。もう、都会では星が煌くという実感はありません。それだけに愉しませてくれるものがありました。そう、星だけでなくお月様も煌々と、それこそ神々しく輝いておりました。今夜は十五夜です。零時ごろには真上からお月様が私たちの住む大地を、分け隔てなく照らしてくれます。月は中秋の名月に代表されますが、四季折々の月は、誠に日本人的で奥ゆかしさが、月に光にはあるように思われます。漢詩の世界でも、万葉、古今の世界でも、月・星・太陽を並べれば比にならないほど、月が賛美されています。今夜の如月の満月をどうぞ、一人で眺めてみて下さい。そして、古人(いにしえびと)になった心境で、月と語って見てください。月はツキを呼ぶというのは、一つの東洋人の願いです。私の夢の一つに、「砂漠の月」を見に行くというのがあります。何故か?特に理由はなく、その美しさに強く惹かれるからです。きっと涙を流すのではないかと思っています。お月様がきっと叶えて下さると信じています。
「まあるい、丸い、おッツキ(月)さんの中に、夢、見ぃ〜つけたぁ」「かぐや姫も夢を見つけにお月様にいったのかなぁ?」
「清澄な冬の天空に煌々と輝く如月に月に、満ちる夢を託す。ツキがありますように、満願成就しますように 」
2004年 2月 7日 [土曜日]

夢現(無限)の法則
 夢現=無限は夢には無限の可能性があるという思いです。夢現の法則なんて、大それたことを書き上げたものだと自嘲しています。夢を実現する法則は、それこそひとり一人違って無限にあるのかも知れません。そういってしまうと法則なんてないことになってしまいます。一つの基本があって、それを為す人がどのように活用・応用するかだと思います。一つの例として、夢現シートを作成しました。39シートで39項目書けるようになっています。39=サンキュー=感謝=ありがとう、ということで、夢は感謝の気持ちがないと自力でしかできず、いい意味で人様のお力をお借りして実現するということでは万物への感謝の気持ちが大切だと思います。夢を心に描き、言葉にして声に出す。文字に現していつも確認することによって、自己啓発の力が働く。39というと夢というよりも、一つの目標であるともいえる。目標と夢の違いはといわれると厳密性は難しい。大らかにとらえて、いい意味でやりたいことに向かって進んでいく。ひとつ一つが達成できて、自分の心の庭に夢の花がひとつ一つ咲いてゆく。その様子を見つめていけば、きっと心に潤いが出てきて元気が出るはず、
先ずは、「やってみよう」無邪気に子供のように夢を描こう。
365日年中夢求を火曜日から書き上げました。友達のリクエストもあって100ほどは書いていましたが、250を4日間で書き上げましたので粗製濫造?かもしれませんが、想いはしっかり込めた積りです。あなたの心に一つのフレーズがビビィッと来て下さったら光栄です。>
(2004年 2月 6日 [金曜日])

年中夢求・夢給・夢究
 その昔、文学少年をしておりました。未だに卒業できてはいませんが・・・。勉強はしませんでしたが、本だけはよく読みました。高校で国語の教師をしていました。今、塾で英語・国語を教えています。字遊人として遊書を愉しんでいますが、元々、漢字が好きだったこともありますが、字遊びのキッカケはワープロです。キィを押すといろいろな同音の漢字が出てきます。「これは面白い」と思ったのがキッカケです。
 夢求=夢を求める。夢給=夢を配る。夢究=夢を究める。仕事は年中無休では無理ですが、志のことをする志事は無休でも出来ます。夢を求めることは無休(夢求)で取り組んだ方がいいのは誰しもがわかることです。自分の夢が達成できたら、人様に配給する。そんな夢給が出来たら素敵なことだと思います。ひとつ一つ自分の夢が達成していけたら、その次には夢を究めていきたい。この言葉を創ったのが7,8年前だと思います。それ以来、私の大脳にはこの三つの言葉がインプットされています。大脳の中にあるということは心の中にあるということ?だと思っています。365日年中無休で夢を求め、一日24時間、夢と言葉のセンサーを張り巡らせています。寝ても覚めても夢・ゆめ・ユメ・
YUME.夢の中でも夢です。夢中になると何かが変わって来ると思います。日本の子供たちに夢を、世界中の子供たちに夢を。子供たちの夢を実現する それが私の夢。
(2004年 2月 5日 [木曜日])

立春夢気念美(ゆめきねんび)
 「夢気念美」一日一唱。@遊書展5大陸制覇。A遊書展100回。B講演100回。おそらく2,3年前なら、もしかしたら、2,3ヶ月前でも、このように大ぼらを吹くことなどできなかったかもしれない。でも、自分がホームページに夢現の法則を書いた以上、率先垂範しなければならないといういい意味での義務感が働いている。できるできないよりも志向することが何よりも大切なことだと思う。今日は365日年中夢求の欄にも100以上のDM(Dream messege)を書き上げた。6月までセンテンスを入れたということは約180になる。ここまでくると365日を完成させたいと思う。立春の今日、少し肌寒さはあったが青空と白い雲が気持ちよく眼に映った。これから梅、桜と春が来る。
 「心が躍る 春が来る」この時期は別離と出愛が連続的に来る季節。別れがないと新しい出会いが来ない。それも一つの真実。一つの夢をクリアしないと、次の挑戦権を獲得できない。大夢は別として、夢はいろいろあってまた楽しいものだと思う。それが愉しめるような、素敵な人生を送って生きたい。
 気合を入れて、心から念じて、美しい夢を立春の日に立てる。だから、今日は「立春夢気念美」。1年後にどんな夢が叶っていて、どんな夢を立てられるか。先ずは、自分が自分の夢・人生を期待して、ワクワクとしていくこと。自分が信じられないのに、そんな人を他人が信じてはくれない。自分で自分が期待できないのに、他人が期待をしてくれない。自分を高めるために、先ず、自分から・・・。
(2004年 2月 4日 [水曜日])

夢道無限(むどうむげん)
夢道無限。これは遊書展の作品として書かせていただいた言葉です。今、私の友達の息子さんで世界を舞台にして活躍している若き指揮者の方が持っています。夢の道は無限。到達点がありません。一つの夢が達成したら、ステップアップすることが大切です。20代に塾を創設して、生徒さんが100名ほどの時、目標というか夢として200名を目標にしました。予想よりも早く達成できたのは良かったのですが、次の準備ができていなかったために、「ほっ」としたのが気の緩みとなって、その後、随分苦労をしました。「いつでも夢を心に愛を」これが夢に関わる私の言葉の始めです。大学生時代からの自分への励みの言葉です。しかし、かくいう私もまだまだ生徒たち、子供たちの前で、胸を張って「夢」を語ることができません。それはなぜかというと「大夢」が達成出来ていないからです。これを達成できた時、私は教師として一人前になれるかもしれないと思っています。子供たちの前に立つ資格のある人は「夢を語る」ことができる人だと思っています。しかし、日本人はなんと幸せなのでしょう。夢を描くことが出来るのです。それを求めて努力することが出来るのです。発展途上の国では、それどころではありません。夢よりも今日の糧である、食べ物の方がはるかに大切なのです。そのことを私たちは決して忘れては行けないと思います。
 『心に描き言葉にして声に出し文字に書き現すこと』これが夢現の法則だと思っています。私の新しい夢、大夢は、カンボジアに学校を建てることです。日本円で220万円かかるそうです。
私一人では難しいことですが、遊書展での募金やボランテイアツールとして作成した葉書・CDカード・夢人カードなどで協力を募り活動の目標にしようと思っています。来年の4月中旬がタイムです。来年の11月が建設完成です。1年10ヶ月、私の夢道はこの道を励みに歩ませていただこうと思っています。ホームページでもご協力をお願いしようと思っています。何か沸く、湧く,ワク、わくしてきています。私はどうやら、目標・目的・夢がないと生きていけない人間のようです。
(2004年 2月 3日 [火曜日])

私は創夢部長
 人はみな、自分の人生の中で、自分という人間の「人間経営」をしていかねばならない。私は小学生の子供たちに「もし、お金持ちになりたいのであれば、自分という人間の器を大きくすること」と生意気なことを教えさせていただいています。「自分の器以上のお金を持つと自分が潰れてしまう」と、子供たちが解かってくれるかどうかよりも、伝えるということを大切にさせていただいている。自分が自分という会社の人間経営をするということであれば、社長なのかもしれないが、若い内は創夢部長として活躍することが大事だと思います。ここでどれだけ実力をつけるかだと思います。ある面では会社経営よりも人間経営の方が難しいと思います。収支バランスがきちっと正確だと思います。運よく儲かるとか、時流に乗ってうまくいくということがないと思います。正直で、地道で、まったく嘘のない世界のように思います。夢を創る、それを達成していく、小さな夢を叶えていき積み上げて、自分も夢も大きくなっていく、そして、世のため人のためにも繋がる夢になれば、人生最高だと、私は考えています。三人の師匠・三人の心友・三人のライバルがいれば、実現の可能性が大きくなると思います。
(2004年 2月 2日 [月曜日])

夢咲人(ゆめさきびと)
 花咲く、夢咲く、愛が咲く。(こんなフレーズを50過ぎのおじさんが言うから面白い⇒誰も言ってくれないので自画自賛しています)夢を咲かせようとする人、夢を咲かせてあげようとする人。どちらも素敵だと思います。50を過ぎて、自分の夢を実現することだけでなく、人様の夢を実現するお手伝いをすることにも歓びを見出すようになって来ました。夢は自分で実現しないと、という考え方も正しいと思いますが、ある面ではそれは傲慢であるかも知れません。夢にもよるでしょうし、大小にも関係するかも知れませんが、自分一人の力では絶対に達成できない夢もあると思います。大事なことは実現させることだと思います。自分の力が1で、他力が9だとしても、それは実現したことに違いなく、素晴らしいことだと思います。若い内は、何でも自分一人の力でやらないと、自分の実力ではないと思うことが多いようですが、決してそうではありません。人様の協力、他力をいただくのも、自分の実力のうちです。赤の他人が力を貸して下さることはありません。人様が力を貸してくださるのは、あなたに好意があるとか、その夢がみんなのためになるとか、何らかの理由があるはずです。素晴らしいブレーンを持っているとするならば、それそのものは、一つのあなたの実力です。我が我がと力まずに、人様のお力をお借りできるのであれば、その力を持って夢を咲かせたらいいと思います。人のためになる夢であれば、時には、赤の他人でも力を貸して下さることがあります。夢の花を咲かせて、実らせて、種子をこぼして、また、自他に芽が出てきたら素晴らしいことだと思います。念ずれば夢ひらく・・・。そう念じて行動して生こう。
2004年 2月 1日 [日曜日]

バックナンバーリスト build by HL-imgdiary Ver.2.00 Beta2