2004年03月の日志

Japan Dream
 「何でもいいから目標を持つこと それを持つことによって 人の話を素直に聞いたり 自分を大事にするようになる」これはイチロー選手の言葉。「僕が少年時代、野球に憧れて夢を持ったように子供たちに夢を与えられる選手になりたい」これは松井秀喜選手の言葉。素晴らしい言葉だ。彼ら二人に共通するのは「言葉」が優れていることだ。謙虚なスポーツマンとしての心構えがそう言わしめているのであろう。この言葉を聞いて以来、二人のファンになってしまった。中西・豊田・稲尾以来、45年来のライオンズファンであり、地元の阪神タイガースのファンだが、彼らにはそれを通り越した、一流プレーヤーとしての人間的魅力がある。いつも自然体で偉そぶらないところがいい。そこに好感が持てる。夢の大リーガーに日本の野球ファンの夢を背負って活躍している。野球少年の夢の拡大に挑戦者として手本を示してくれている。個人の自由ではあるが、身だしなみも茶髪ではなく、言葉遣いも正しく礼儀正しい。子供たちの手本としても好ましい。 今日、東京ドームでニューヨークヤンキースの試合があって、松井選手が見事にホームランを打って、MVPを受賞した。彼ら二人はいい星の下に生まれて来たのではなく、それに伴う努力と思考に伴う実践を弛みなく継続しているのであろう。子供たちの夢、ジャパンドリームのために頑張って欲しい。
 「無事是名馬也」日本の野球ファンのためにも怪我をすることなく自分の力を発揮して欲しい。
(2004年 3月 31日 [水曜日])

夢語り
 『出愛は神様からのご褒美』この言葉は「あなたとの出会いは天からの贈り物」という言葉を口頭で聞き違えて、自分の言葉になったもの。20数年前にお会いして、心琴に触れさせていただいて師と仰ぐ、知念常光師。沖縄で金融関係の優良企業の会長をしておられる方。久しぶりに二人だけでゆっくりと「語り愛」をさせていただいた。午前10時半から3時半まで5時間。師匠の所要で具志川まで同伴して、ずっと念願していた勝連城址に行くことも出来た。これはお互いに予期せぬ事で、たまたまその近くだったということでお願いをしたまでのこと。師曰く「お蔭さまで、自分の生まれ育った所だけれど、私も初めてここへ来れましたよ」こんな会話が出来る人に、人生の中でもそうそう簡単には出会えないものだ。感性・思い・価値観・人生観・思考などなどが単純に一致するというのではなく、微妙に複合して同類項が多いという要素が生み出すものであると思う。孔子とその弟子たちとの関わりはどのようなものであったのであろうか、時に思いを馳せることがあるが、師は私を対等の人物として語ってくださる。一方的な師弟として、上下関係で物を言い、命令をしてなどということがない。自分を重んじる如く相手を重んじる。そして人生のABCだけでなく、AからZまでを語り伝授して下さる。お出会いした当時、お百度参りに因んで、私が100通の手紙を毎日、差し出すので弟子にして欲しいと申し出た。もう、お互い何通になっているのか判らない。未だかつて、「弟子」と呼ばれたことはない。でも、本当はそのようなものだと思う。ある特殊な技能・技術を伝授するという師弟関係ではなく、生き方、人生における師弟間で、師匠、弟子という呼び方でなく、それは心の在り方だと思う。
 沖縄には首里城・今帰仁城址・中城城址・座喜味城址・勝連城址があって、これらが世界遺産になっている。個人的主観でいうと、一番有名で一番観光客が来る、首里城が一番面白くない。沖縄のお城は城址こそ、風があり、気があり、史があり、夢の跡があり、なんともいえぬ情趣がある。おそらく煌煌と輝く満月の夜、これらの城址に来れば、あの「荒城の月」の世界、そのものがあると思う。甲乙つけがたく、その時、その心持ち、その機のこちらの感性を受容して、城址があなたを受け止めてくれる。ここの所に私が一番惹かれるものを感じるのかも知れない。だから、いつ行っても、何回行っても、城址の表情・風貌・雰囲気が違う。どんな天候であっても「良し」とする包容力を持っている。一度、訪ねて見られてはいかがでしょう?もう一つの沖縄の魅力に触れられると思います。
(2004年 3月 30日 [火曜日])

夢仕掛け
 恥ずかしながら、「師匠」と呼んで下さる方がいる。私と同郷福岡の直方で心塾という塾の長。その名を村ちゃんという。僕の遊書のサポーター。ここ一ヶ月、メールを送っても電話をしても音信不通。「どうしたのだろうか?」「きっと、それなりの訳があるのだろう」と案じ、敢えて、それ以上は尋ねることを避けて時機を待った。お互いの思いやりで通じるものがあると思って・・・。
 ラ・プラージュの遊書展が終わって、本部(もとぶ)のペンション・びせざきに行った。夜の10時に予定時間に到着したら、オーナーの熊さん、(私がこの地上でもっとも愛している人)。奥さんの和代さんともう一人の人?が並んで迎えて下さった。帽子を目深に被り、それぞれがタイガースのユニフォームやカツラを被ってのお迎え?こちらがあまりにも気付かないものだから、向こうから顔を上げると「何と!」そこに村ちゃんが立っていた。眼を疑うというか、100lというより1000l信じられない出来事に嬉しさも怒りも全ての気持ちが吹っ飛んでしまって、ただただ無言。気持ちが高揚しすぎると言葉を失うというのはこのようなことかも知れない。「はかりごと」というか、「仕掛け」というか、何十人もが知っていて我一人知らなかった企て。それも私を喜ばせようという一心から、みんなが心の隅に善意の罪悪感?を持って演じて下さった大芝居、夢仕掛け。こちらは50過ぎのおじさん、男だから涙を見せなかったけれど、感動も通りこして魂が揺さぶられた。おそらくこんなことは一生に一度あるかないかの体験。しかし、私にしたら元役者志望の人間?みんなに絶対一世一代の夢仕掛けをして、仕返しをしないと気がすまないと、心に堅く誓った。
 お蔭でラ・プラージュでの興奮とここでの魂の動転のせいで、3時前に寝て、1時間後には神経が高ぶり過ぎたせいか、暑さのせいと布団の重みで目覚めて、心臓の鼓動に異変を感じて、ここ数年、行け行けどんどん、イケイケゴオーゴオーで来ている私にとって、一瞬、「死の恐怖」に襲われた。家族のこと、志事のこと、仲間のこと、自分のこと、いろいろなことが頭をよぎって、脳裏をかすめて、居ても立ってもおられずに食堂に立って恐る恐る、水を少しずつ飲み、タバコを確かめるようにくゆらし、考え込んだ。まだまだ「生」への執着強く、躁鬱の鬱の状態で人生を振り返り、流石にここでは「これも天の計らい」とは考えられず、隣に寝ている村ちゃんを起こして守って貰おうと思った。
いい意味で、いつ死んでもいいような生き方をしなければならない。そう深く反省させられながら、短い一日の中で天国と地獄を体験させていただいた。清く正しく美しく・・・。世のため人のため。「それをし遂げて死なむ」と強く思わせていただいた。これもみんな愛する人々が回りにいて下さるお蔭。この「お蔭」を大切に命を生きていきたいと強く思った。
美ら島で感じたこと>
(2004年 3月 29日 [月曜日])

ラ・プラージュ(集い)の夢
 昨年に続いて2回目のラ・プラージュでの遊書展。沖縄県北中城にある友利さんという家、バレエー教室と庭を使っての遊書展。お昼の12時から7時まで休憩なしで、訪れて下さる方のリクエストにこたえて遊書させていただいた。ラ・プラージュという名前の由来は、フランス語でみんなが集う、集まって楽しく和むという意味だそうだ。その名の通りの遊書展がここでは繰り広げられる。お客様は120,30名、募金額(売り上げ)が8万3千円。100枚近くの書を書かせて戴いたように思う。即興で作った詩、名前に因んだ言葉、創語,etc。なぜかここでは私の力量以上の文字が生まれる。きっと、皆さんが「気」を下さるからだと思う。22,3才のある女性は私の前でずっと涙を流しがら語りかけてくれる。展示している作品を見てずっと感動して、涙が止まらないという。この方には「美心(びじん)」を書いて差し上げた。「ありがとうございます。宝物にします」と言われたら、私の方が舞い上がってしまう。大きな板に「和風喫茶」という看板を書かせて戴いた。「お店をしておられるのですか?」とお聞きすると、「いいえ、私の夢で喫茶店をしたいのです。その時のために書いてもらいました」と笑顔で語ってくださる。『群星酔夢(むるぶしすいむ)』山荘で群星を見ながら酒に酔って夢を見たいのだそうだ。素人の私が下手だけれども心を込めて書かせていただく字を、こんなに喜んでいただくとこちらが感動する。私の字を見て、「巧い」といって下さる人はいない。これは私にとっても嬉しいこと。お世辞、社交辞令で無いことがうれしい。「言葉がいい」「おもしろい」「見ていてホットする」とおしゃって下さる。頼んだ字を書いて貰えることと私とが心のキャッチボールが出来る楽しさがあるのかも知れないと思う。ウチナンチュ(沖縄の人)は、有名だとか偉い人だとかでは評価してくださらない。自分にとって心が伝わる人かどうかで受け止めてくださる。友利さんファミリーの徳を集結してラ・プラージュされる人々に、私もまた感化されて「イイ字」を書かせていただく。本当に幸せな夢の集う一日だった。前日に準備をして下さったようこちゃん、なつみさん、かー君夫婦、友利さんファミリー。当日に往復4時間もかかる所から来て手伝ってくださった小百合さん、差し入れを届けて下さった、私の「沖縄のお父さん」。一日中、駐車場の整理係をして下さった仲宗根さん。そして、私が直接は知らない多くの方々。私の夢を無償で支援して下さる方があって、一つのチャリテイーとしての遊書展が成功して無事に終わる。こんなに有難いことがあるだろうか?
2004年 3月 28日 [日曜日]

花夢舞愛(Come i n my love)
明日から沖縄入り。楽しみな遊書展だ。本邦初公演として一昨年の6月に沖縄で出美遊(デビユー)させていただいた。そして、来てくださった方に礼状を出させていただいた。「ご縁があれば遊書展をさせて戴きます」と書き添えて。そして、去年、ご依頼を戴いてラ・プラージュというバレエ教室でさせて頂いた。2日間で200名、10万円の募金が集まって、地元の社会福祉協議会に寄付させて頂いた。ここでは展示よりも書かせていただくことが多く、とても楽しく、新しい遊書展の道が開けた所である。
バレエ教室ということで、「舞」という字をたくさん書かせていただき、その一つに「花夢舞愛」という言葉が生まれた。正しい英語かどうかは別にして、カムインマイラブ=私の愛の中へ入っておいで、という思いで創語した。「花夢舞心」=カムインマイハートというのもある。みんながそういう思いでお互いに心が交流できればどんなに素晴らしいことだろう。そいう思いである。
愛も心もどんなに使ってもお金はかからない。むしろ、使うほど湧いてくるように思う。愛は教科書では学べない。愛されることによって身につくものだともいえる。『連愛』することによってみんなが愛することを身につけていけばと思う。今、愛というと異性間の恋愛が主体になっている。博愛・仁愛・友愛。そのような高潔な愛を学んで身につけて言って欲しいと願っている。
2004年 3月 27日 [土曜日]

ホームラン(抱夢卵)の夢
塾生が全日本少年公式野球にエースで4番で出場するということで、岡山の倉敷まで応援に行ってきた。1回戦は5−4の逆転勝ち、2回戦は7−0でコールド勝ちをして、ベスト8に進出した。1−2の最終回に下位打線から4点をあげて逆転、その裏にあと1球のツーアウト満塁で2点だを打たれて、あと一人ということで交代をさせられた。あと一人、あと一球。しかし、こちらが必死なら、敵も必死。観衆である私達は応援するという立場で、外野席から声援すればいいだけだが、当の選手たちは互いに真剣勝負だ。あの場面では、技術・練習量・気力と何が勝負になるのだろう。総合力のすべてが一投一打の一球に出るのだろうか。
 塾生の照井君は2回の打席でセンターオーバーの3塁打を放った。ド肝を抜く凄い打球が快音を発して飛んだ。今まで部活の軟式野球しか見ていなかったので、快心の当たりに感激をしてしまった。小学生の頃から、大リーグを含めてプロ野球から高校野球まで、何百試合を見てきたと思うが、あれほどの一打。ホームランではなく3塁打を見たのは初めてだ。ノーベル賞を受賞された小柴昌秀さんの本に「夢のタマゴ(卵)を育てよう」というのがあるが、抱夢卵(ホームラン)=夢の卵を抱く。子供はみんな金のタマゴ、それを金の鳥にするか、青い鳥にするかが指導者の腕、子供たちに夢の卵を抱かせるように、こちらも金の卵・夢の卵だと思って育てていきたい。ホームランの夢を持って。
(2004年 3月 26日 [金曜日])

夢模様
 石川洋先生の言葉に『雨の日は雨の坂道、雪の日は雪の道』というのがある。空模様という言葉があるように、心模様という井上揚水の唄があり、夢模様という言葉も可能だろう。宮沢賢治の心象風景というのはもっと好きな言葉だ。雨の日、風の日、曇る日があるように、夢模様もそのプロセスの中でいろいろなことがあり、諦めかけたり持ち直したり、そのような日々の中で自分が育つように、夢もまた育って行くのだろう。人は弱気になると「なぜ、自分だけが」と考え、悲観的になってしまう。しかし、決してそんなことはない、自分だけに集中して雨が降るのではなく、みんなに雨が降るように、自分が今、直面していることは大小・強弱・前後はあっても、必ず出会う出来事だ。人は出会いによって人生が決まる。それは人や物などの対象物だけではなく、いろいろな心の出来事、苦悩・葛藤・挫折などとの「出会い」も忘れてはならないことだ。出会うとは深く関わるということだ。人と人が名刺を交わしただけでは出会ったことにはならない。心琴に触れてこそ出会ったといえる。大自然を前にして、これから科学が進歩しても空模様を変えることはできないだろう。人もまた、心模様を管理コントロールすることは無理なことだろう。空模様、心模様、夢模様のそれえぞれを、あるがままに受け入れてその中で学ぶことが大切だと思う。台風一過の後のあの清澄な大気、空の景色は素晴らしいものがあるではないか。
(2004年 3月 25日 [木曜日])

映画の夢
「ロードオブザリング」を観てきた。大学に合格した女の子と高校に合格した男の子と2人と4人で行ってきた。アカデミショーを総なめにして受賞した作品。実を言うとこの手の作品はあまり好きではない。だから、今回は生徒達に合わせて観にいった。合格のご褒美という意味もあって・・・。生徒とはよく映画を見に行く、その後で何かを食べたりして、いろいろな話をする。私から見れば全然、問題ではないが、当人や親から見ると問題な、不登校や諸問題があったりする時などに誘ったりする。子供と話をする時、面と向かって話をして、リラックスした内容で打ち解けてなどは難しい。下手をすると尋問になってしまう。ところが、野外や映画に行って、その前後に話をすると、極端にいうと10分の1の内容で話が出来て、密度は深められる。一切、こちら側が質問しなくても、向こう側から話しかけてくる。おそらくは、映画に一緒に行くという時点で、こちらの側を味方として捉えている。生徒は先生のことを感覚的に捉えて、潜在意識で敵か味方を判断している。話す言葉に対して○か×かを判断している。これは生徒と話をする上での初歩的な基本的ルールだ。人は質問に答える時、潜在意識で自己防衛本能を出して話する。その傾向が強いと虚偽の言葉になってしまう。これはそう答えさせた側に問題があるのだが、それを判っていない教師が多すぎる。だから、対話・コミュニケーションが図れない。それは先生と生徒の場合においては、先生の側に問題がある。心を閉ざさせておいて、尋問して黙秘権を無視して、話など出来るはずはないのだ。
 「名聴者は名話者」子供たちが話し下手、会話が巧くないのは
こちらの側に問題ありなのだろう。心を解放してあげたい。その状態で勉強しないと本当の力は出せない。子供たちの気持ちがわかってあげられて、話しやすい立場でありたい。映画を観て、一緒に感動できる人でありたい。映画の中に夢を見つけて、共感したい。いつもそう思っている。
(2004年 3月 24日 [水曜日])

甲子園の夢
 春は選抜から、というのが地元の阪神間での一つの風物とも言える。選抜高校野球が今日から始まった。『人生という名のグランドで君を甲子園の星に育てたい』というのが甲子園学習塾の夢。野球が一つのドラマに例えられるならば、人生もドラマ。そして野球を人生に例えることもある。球場というグランドも、人生というグランドも相手との戦いであり、自分との戦いである。戦うためには自己を磨かなければならない。自己を磨くためには、良い指導者がいなければならない。かつて、イチロー選手が2軍から1軍に昇格していきなりリーディングヒッタアーになった時、アナウンサーのインタビューに答えて、「変わったのは指導者だけです。僕は今も以前もしっかり練習して来ました」と言い切った。当時の仰木監督が1軍に登用しなかったら、今のイチロー選手は生まれなかった。別の形になっていたかも知れない。個性の伸長・才能の発掘・チャンスの提供・etcなど本人の努力もさることながら、指導者の眼力・見識・度量・人格などは生徒、選手にとって「命」ともいえる。高校野球は根性の権化のようにいわれ、一般大衆に評価され賞賛される。根性=高校野球のようなところもある。野球をめざす選手にとったら正にそれが対象だけれども、それぞれの道、それぞれの個性から見れば、勉強をする者にとっては学問が根性をつける手段であることに違いないはずだ。今や、サッカー、バレーなど多種多様に方向性があり、若者もまた、それぞれに目標・夢を持って頑張っている。それは素晴らしいことだ。日夜、目標に向かってスポーツに勤しんでいる子がいるように、勉強に励んでいる子もたくさんいる。それぞれが、自分の夢、自分の目標に対して「一流」をめざして頑張って欲しい。優勝だけが一流ではない。合格だけが一流ではない。勝利者だけが成功者ではない。これは決して負け惜しみではない。飛躍しすぎるかも知れないが、日本シリーズは4勝3敗でも優勝する。高校野球の醍醐味はトーナメントで一敗もできないところに観る者の面白さはあるが、人生は勝ち方負け方が大切で、最後に自分にどのように勝つかが問題だと思う。不敗神話など人生にはない。正々堂々と勝とう!正々堂々と負けよう。勝っても学ぶ負けても学ぶ、それが人生だと思う。私も子供たちに夢を与えられるような指導者になることを夢にしたい。我が人生のグランドで甲子園の星、甲子園の夢を叶えたい。頑張れ甲子園の球児たち!ガンバレ甲子園の塾長!
(2004年 3月 23日 [火曜日])

夢の終わりは新しき夢の始まり
 新しい終わりは新しい始まり。別れは出会いの始まり。一つの区切りが一つの出発。夢の終わり、到達も新しい夢への始まり。永い人生の中では夢破れることもあっていい、次へのステップに繋げていけば。夢の終わりがあってこそ新しい挑戦も始まるはずだ。夢が達成したら新しい夢を掲げなければならない。齷齪(アクセク)するというのではなく、怠け者の自分、人間を向上させるためにもその方が望ましいと思われる。人の世もまた、同じだろう。ある人と別れることによってしか、新しい出会いができないこともあるものだ。別れの辛さ、悲しさ、苦しさと、新しい出会いの嬉しさ、楽しさ、素晴らしさは比べられないけれども、どちらも成長のためには体験すべき感情であろう。私見を言えば、どちらも素晴らしい。プラスもマイナスの中で光り輝いてくることがある。辛さ・悲しさ・苦しさも、その時はいやなものではあるが、後に振り返ると、「あのことがあってこそ」というのは往々にして人生にはある。ひとつ一つの感情・体験をしっかりと受け止めて、必ず「学習効果」を発揮することだ。そういう点では本当に、一生勉強というか、「学び方・学ぶ心・学ぶ力」は大切なものだ。切り替え方の見事さ、拘らない・囚われない・偏らないで、新たのものへ挑戦する。今、流行の「武士道」はその点で、「死ぬことと見つけたり」と言っているのかもしれない。
夢の終わりは新しい夢の始まり。正々堂々と威風堂々と夢に向かって生きたい。生きている限り、終わりはないのだから。
(2004年 3月 22日 [月曜日])

交響曲「夢」
 交響曲は四楽章から成る。物語も起承転結から成る。人生を敢えて節目としてするならば区切るとどうなるだろうかと考えてみた。平均寿命を基にして見て88歳を4つに区切るとして、起が0歳から22歳、承が23歳から44歳、転が45歳から66歳、結が67歳から88歳という説はどうだろう。22歳までを人生の基盤作りとしての時代と考える。これは丁度大学を卒業する年代と一致する。我が人生を「起こす」ために心と体と頭の基礎力をを作る。それを承って自己実現のための人間力を育んでいく。起承を振り返って、人生の折り返し点として、転換の時代を迎え45歳から65歳までの約20年間をひたすらに自己実現を図って生く。67歳からは人生の完結を図って、自己実現の結論を出して生く。だから、それぞれに「起の夢」「承の夢」「転の夢」「結の夢」を持って生きて生きたい。89歳からは健康を維持できればひたすらに、いい意味でのおまけの人生として、世のため人のために尽くす。そのような生き方が望ましい。私はそう生きて生きたい。
 孔子は15にして「志学」学問に志す、30にして「而立」立つ、40にして「不惑」惑わず、50にして「知命」天命を知る、60にして「耳順」耳順う、70にして「不矩」心のままに行動しても、礼儀や規則などに外れることがないようになったと述べている。お蔭さまで寿命も永くなった。時代も2500年が経過している。永くなった分だけ、生命を生きることの尊さに感謝をして、『お役立ち』を考えて生きて行くべきだと思う。
 人は「オギャー」と生まれた瞬間に間接的に4000万人の人のお世話になるという。そして、生まれてから死ぬまでに直接的にも4000万にの人のお世話になる。誰一人として、自分一人で生きて行くことはできない。このことを「心の根っ子」に持って、お互いが支えあって生きて行くこと。それが人生。『人』という字は自他が支えあった状態で立っているのだ。
2004年 3月 21日 [日曜日]

遊書の夢
 アメリカで「出美遊」(デビユー)をさせていただいて、4月末で丸2年、その間に12回の遊書展を開催させて頂く。2年前の今日を基準にすると考えられなかったことだ。6月までに4回の予定がある。死ぬまでに100回したいといと言ったら、その言葉に応じて、その機会を与えてくださった方がある。「夢語りと遊書の会」が桜咲く4月11日に地元の西宮でさせて頂く。来週は沖縄の北中城でバレエの教室とその庭ですることになっている。今日は一日、ほぼ12時間その準備をした。今、時々、机の周りやいろいろな所から、出美遊前の作品?が出てくる。その時その時機に応じて、それなりに一生懸命に書いているのだが、恥ずかしいと思う字がたくさん出てくる。今や、ご迷惑だろうが、作品を配り歩く、頂戴して貰うのが一つの趣味のようになってしまって、たくさんの人に貰っていただいているいるので、その方のところへ行くと嬉しさ半分、赤面と照れくささが半分の所がある。先日も姫路のM先生の所へお伺いした所、新しく開設された社長室から事務所・廊下とたくさんの作品を飾っていただいており、恐縮半分、感激半分の思いをさせていただいた。「夢」と『花』をお祝いに頂戴していただいていたのだが。見事に額装されていてビックリした。長谷寺に行った折りに買い求めた、濃いピンクの花風呂敷に書いたものだが、我ながら力強い花が書けて、これは2度と書けまいと思っていた分だったが、額の木の部分をを大地の土の色、茶色にして、マット地の部分は草の緑色、そして、花が濃いピンクという彩りが施されていて、自分の作品が立派になっているのを見て感激した。その美的センスにも感動させられた。ご迷惑も顧みずドンドン多くの方にお贈り、お送りして、それぞれに「字」に命を吹き込んで飾っていただいていると思うと、本当に有難いことだと思う。お蔭さまで1000を優に超えた人様のところで、飾っていただいていると思うと、有難さと感謝で一杯である。書家でもなんでもなく、「素人だから素直な心を大切に」と遊びの字を書かせていただいて、たくさんの家に飾っていただいているのであれば本当に嬉しいことだ。
 28日にさせて頂く、友利さんのところの遊書展では、200名を越えるお客様があって、「毎朝、家族が食卓で見て、元気をが出る言葉を書いて下さい」と頼まれて書かせて戴いた。母情シリーズを書かせて戴いたときは、亡くなられた方のことを偲ばれて、涙を流された。お客様と一体になって、大袈裟に言うとお互いが感情移入して、「ふっ」と出てくる言葉を書かせていただく。僕の字は素人だから、必ず読めるとお褒め戴く。どんなものでも、その「モノ」を扱う人の心次第で、『命が付いてくる』というと大袈裟だろうか・・・。遊書と創語、少しでも人様のお役に立たせていただけるのであれば・・・。今や、生徒にまで被害が及び、3月の新学期から順次『学ぶことによって自分の心をみがく』という言葉を配らせて戴いている。「要らない人、手を上げて」と一様は確認をしてから・・・。死ぬまで100回、何人のお人に頂戴していただけるのであろうか?ファミリーと思っている仲間や家族や多くの人に支えられて、「チャリティー遊書展」を続けさせていただこう。素人のよさと感謝の心を忘れずに・・・。(3/21記す)
2004年 3月 20日 [土曜日]

夢の値打ち
 この世にはお金で値打ちが測れないものが一杯あるので救われるような気がする。世の中、特に日本は商業主義が横行しているために、子供たちまでが、お金本位で価値を捉えようとするところに寂しさと哀しさを覚えることがあります。ある旅で、マレーシアから南アフリカ、そして、アルゼンチンまで飛んだことがあります。南アフリカの空港売店で、5万円のダイアモンドをお土産に買い求めました。その帰りに、マレーシアで半日、時間があったので足を伸ばしてマラッカへ行き、骨董屋漁りをしました。
明朝時代の花器の破片で作った、小さなピルケースを買って帰った所、娘は「ダイアモンドは要らない、このケースが欲しい」と・・・。日本円に換算すると200円程度だったような気がします。こちらは奮発して、ダイアモンドを買ったのにという思いもありましたが、娘がえらくその骨董を気に入ってくれたことに嬉しさを覚えました。ダイアモンドなど見たことがない私ではあるが、骨董には40年近く、親父のものを鑑賞していたとすれば少年時代からのキャリアで、焼物については、決して高いものというのではなく「いいもの」に対する審美力は持っているつもりなので、なおのこと嬉しかった。興味・関心によるところは確かに大きいけれども、審美力・審美眼は大切にしたいものである。
夢の値打ちもまったくその通りであると思われる。人がどうのこうのと言うものではなく、自分にとって大切なこと、大切なものに対して、志を持ち、夢を実現すること。叶ったらそれはすべて値千金になるはずだ。また、値打ちのない夢など存在はしないが、どんな夢でも実現させるという事に素晴らしさがあると思う。
(2004年 3月 19日 [金曜日])

夢劇場
 劇場は舞台の上で演じる役者だけではなく、劇を製作する製作者、裏方。劇場のスタッフ、そして観劇する人がいなければ成り立たない。決して、舞台の上で演じる人、主役だけが主人公ではない。この地球が一つの劇場だと考えるならば、万民皆、すべての人がいて成り立つのだ。そのように考えるならば、誰も皆ひとり一人が地球という世界の、劇場という世界の主人公なのだ。舞台の上でそれぞれの役割があるように、舞台の周り、舞台の下にも役割がある。
 人生はドラマだ。人生は舞台だ。主人公は私だ。そして、自分の役割は自分で決めることができるのだ。ドラマの脚本を書くのも、脚色するのも自分次第であるともいえる。どのようなドラマ仕立てにするのかも自分で決めている。悲劇・喜劇・英雄伝説・サクセスストリー・ラブロマンス。いろいろなドラマがある。欲すれば、「私の人生」というドラマで、一生の間にすべてを演じることも可能だ。ドラマが面白いかどうかも自分で決めることができる。
 成人をして自分の人生の目標、夢を定めたら、自分の役割も方向性を定めていけばいい。主役は舞台の上の一人であったとしても、主人公はそれぞれの役割において、それぞれが主人公だ。あなたの人生劇場は誰も代わりを演じてくれる人はいないのだ。ある人は演者をめざし、ある人は観劇者をめざし、ある人は製作者をめざす。それが、それぞれの人生、それぞれの役割だ。
 自分は夢劇場の主人公、そう自覚して一流をめざすことが大切だと思う。ブロードウエイでミュージカルを観た時、観衆が一流の演者を育てていると感じたことがある。めざそう!一流の主人公を!二度とない人生だから命を大切にして。
(2004年 3月 18日 [木曜日])

夢休み
 今日は一つの校舎で保護者・生徒を対象に高校への継続の話をさせていただいた。話の組み立てと気合不足で絶不調の話に終わった。予定時間も20分ぐらい早く終わってしまった。2本立てで、もう一人控えているという心の緩みもあったかもしれないが、過去30年でも、一番最低の内容に終わったかもしれない。ペアを組んでいるS先生が巧く話をしていただいたので、失礼はなかったと思う。「まあ、いいかぁ」。人生、山あり谷ありだ。今回は許していただいて、教訓・薬にさせていただこう。バイオリズムが優れなかった。これも次回の戒めとして勉強させて頂こう。年中夢求をモットーとしているが、時に、夢休みもあっていいだろう。立場上、いろいろな場面で話をさせていただくことが多い。自分でも話をするのは好きだし、磨いていきたいと思っている。いつも話の後、自己採点して次に備えているが、今日は不可、採点なしということにしていただこう。休むということはエネルギーを充填するということだ。休みはリフレッシュ。頭と心の切り替えが計れるチャンスなのかも知れない。これも天の啓示として受け止めないと自分がめげてしまう。明日は明るい日が来る。今晩はお布団の中で「いいユメ」を見よう。
(2004年 3月 17日 [水曜日])

夢試験
 今日は兵庫県の公立高校の入学試験。15の春の試練。昔ならば元服の年齢と考えると、あるべき試練として、義務教育からの出発として相応しい試験だと思う。振り返れば自分はといえば、見事に不合格だった試験だ。落ちたことには「情け無さ」を感じられなかったことが、悔しいと思えるほどに勉強しなかったことが情けなくて、それは大学入試で生かすことができた。決して負け惜しみでもなんでも無く、あの時に容易に合格していたら、きっと後に痛い目にあっていただろうと思う。お蔭でというか、当時、大阪で一番(柄が悪い)高校に通った。そこで私は逞しく変身することができた。決して、自分の意志ではなく、いい意味で天の計らいがあったと、今だから思える。当時は大阪で1,2を争う野球の名門校の浪商高校に通った。その不合格という体験で学んだことが、今、塾長という役割で生かされていると思える。
 夢を持つことには資格も試験もない、やりたいという強い意志があれば前進できる。でも、人間のすることには工夫次第で巧くできることがかなりあるように思う。夢現の法則もベストははないにしてもベターなものは考えていけるように思う。子供たちのために、私は夢試験ではなく、一つひとつの学びが、夢試験合格につながるような授業、指導をしていきたいと思っている。
(2004年 3月 16日 [火曜日])

夢惑い
 今日は午前11時40分に起床した。昨夜は2時半ぐらいに寝たのだろうか?50を過ぎて、8時間以上寝るのは腰が痛くなって無理と思っていたが、春暁の惰眠をしてしまった。ここのところ体力的に無理をしているという思いはないけれども、日曜日も受験指導で教室に出ているので、神経が休まっていないのかも知れない。ウトウトとしたまどろみの眠りの中で記憶にないユメを何か2つほど見たような気がする。そう言えば、これほど毎日、夢求日志を書いて、夢、夢、夢と言っているが睡眠中のユメはトンと見ることが少なくなった。昔、少年時代は空を飛ぶユメをよく見た。屋根や塀の上にのって、パッと飛び立つ。それはスーパーマンのようにカッコいいものでなく、水泳でいう「平泳ぎ」の形でゆっくりと空中を泳ぐという飛び方で、起きた時は必ずといっていいほど気持ちがいいのである。今、多美(旅)が私の道楽になっているのもそのせいであるかも知れない。
 孔子の言葉に四十にして惑わずというのがあるが、今、夢惑いが起きている。視線も一直線、思いも一直線。しかし、それだけでは難しい。それは夢現は決して一人ではできないという証明だ。身近な人の理解がないと物理的な行動に制約が起きる。他を省みず身勝手に振舞って、行動して夢は達成できない。身近な人・周りの人・天地人の理解と協力がないと夢現は難しい。私の年齢・立場・経験etcからしてそうなのだから、若い人の夢への実践は困難が付きまとうかも知れない。四十の夢惑いから、五十(悟重=悟りを重ねる)のて天命の夢に向けて脱却して生きたい。少年よ大志=夢を抱け。自分に鼓舞する今日この頃です。
(2004年 3月 15日 [月曜日])

夢芸人
 今日は我が塾の高等部、東進衛星予備校の公開講座で先月に続き安河内哲也先生に来ていただいて、生徒たちに授業をしていただいて、一緒に勉強をした。彼らは受験のプロ・合格の使者・合格請負人であり、生徒たちに合格の夢を与える「夢芸人」である。堅い教育者、学校の先生から言わせると芸人?と馬鹿にするかも知れないが、それはまったく違う。生徒のことを思い、生徒のためには全力投球するというポリシーが、彼らを夢芸人にさせるのだと思う。受験については正にプロであり、英語教育についても日夜研究をしておられる。中途半端でないのが凄い。敬服に値する。文字通り「楽しい面白いよくわかる受験指導」をする。そう一方的な授業でなく指導だ。「教師は役者であれ」という名言あるが、その通りを徹底して演じきる。感心するのは安河内先生も山中先生も、正体は実にシャイだ。繊細でデリケートでシャイだからこそ、プロ意識であれだけの受験指導ができるのだと思う。大いに学ぶべきところは学んで、参考にしたいと思った。生徒側から言えば、毎日毎日、面白くない授業を勉めて強いられたら堪らないだろうと思う。自らの勉強に忍耐は必要だが、授業で詰め込まれる忍耐は、「しんどい」ことだろうと思う。
 安河内先生はお聞きすると、私と同郷で福岡の戸畑生まれということ。もう、これだけで無条件降伏してしまう。講座の後、ご一緒に食事をさせていただいて、この場でも一流のエンターティナーに徹して、場を和ませる楽しくさせるように手品を披露して下さった。生徒にも人にも夢芸人に徹するその姿勢に「プロ根性」を学ばしていただいた一日だった。春が終わると夏が来る。受験が終わると受験が始まる。「受験は私の夢舞台」生徒たちに檜舞台で感動させられるように、私は黒子に徹して、夢配りをしていきたい。
2004年 3月 14日 [日曜日]

来夢来人(ライムライト)
■これは歌謡曲のセリフにあったような気がする。喫茶店の名前でも見たことがあると思う。オリジナルでないのでお断りしておく■教え子に女の子で来夢とうい子がいる、弟が作夢(さむ)という。かつて、登夢(トム)という弟と樹里(ジュリ)という姉弟も教えさせていただいた。最近では幼稚園でも「子」が付いている女の子はほとんどいないという。
 春。3月・4月は夢が来る季節、人が来る季節だ。それだけに心が弾んで楽しく面白い。来夢来人の季節ということができる。勿論、去夢去人も同じようにあるわけだ。これも一つの新陳代謝。体の新陳代謝は確実に意識しなくても行なわれる、しかし、心の新陳代謝はなかなか難しい。「拘らない・囚われない・偏らない」を心がけているが難しい。思考の根本に「善」を持ってこないと凡人には難しい。自分の考えに拘る。自分の思いに囚われる。自分の価値観に偏る。ある程度は、それも人間らしさともいえる。それら一切から解放されると聖人君子になってしまって面白みがなくなるかもしれない。しかし、物・事にはいい意味の拘りが必要だ。例えば、私のち知友の橋本さんという方は、白雪姫という「お豊富」をミネラルウォーターと十勝大豆と天然ニガリに拘って作っておられる。本当のトウフの味がする。囚われるという字は、人が檻に囲まれている。実に面白いよくできた字だ思う。囚人でない限り、その檻は自分で自分を囲んでいるのだから。囚われの原因は「我」ということなのであろう。偏りはバランスが取れていないということ。心の平衡感覚が乱れているということ。中庸という東洋の思惟としての素晴らしさから対極するものだ。自己管理できなくて、拘り囚われ偏ると、たちまち人間関係に支障をきたし人様から嫌われる。しかし、時に、自己管理下では、徹底的に拘り、囚われて、偏った見方をすることも大切なことかも知れない。しかし、これらは意識下での作用だから、潜在意識に善の思考を植え込まないといけない。柔軟な思考が凡人には取り組みやすいことかも知れない。
 潜在意識に素敵な「来夢来人」が訪れてくれば、変わってくるように思える。春、サクラと共に素敵な出愛を夢みよう・・・。
2004年 3月 13日 [土曜日]

夢ノート
 最近はいつも「夢ノート」を携帯して生活している。これも日志を書くようになったお蔭かもしれない。授業中でも閃いたことをメモる。ビデオを見ていてもメモる。そのときにメモっておかないと、後で忘れてしまうことがある。昨夜は、「モーり先生の火曜日」というアメリカ映画としては珍しい、秀作を観た。先生と生徒、死を直前にした先生が40前後の立派な社会人になっている教え子に、生と死を最後の教えとして、ありのままを伝える。葉書大に2ページ分、このビデオを鑑賞しながらメモった。おそらく、5つぐらいの話材、日志の材料を得たような気がする。師弟の原点。何を教えるか、何を伝えるかが、私の想いとぴったりと一致した。「裏も見せ。表も見せて散る紅葉」良寛の辞世の句を思い出した。愛しい教え子に、ありのままの全てを見せて訓える。惜しみない愛を命を懸けて訓える。そこには1対1の人間の姿はあっても、教師と教え子という上下の関係はない。考えて見れば、それが原点だ。宇宙の時間、時空から見れば先生と生徒の年齢さなど、無に等しい。そのことを大切にして、しっかりと自覚して、子供たちの前に立つことが原点だと思う。偉そうに言っては特に、今の子には感覚的に受け止めて貰えない。彼らは、こちらに対して敵か見方か、こちらの言葉に対して○か×かを一瞬に判断して受け止めるのだ。そのレベルは大人よりも遥かに子供たちのほうが高いのだ。私もモーリ先生のような師になりたいと思った。そして、夢ノートをこれからは大事に残していこうと思った。ノートの数だけ夢も増え、膨らんでいって、子供たちに分けることが出来たら、分かち合えたら素敵なことだと、そうモーリ先生が教えてくれた。
(2004年 3月 12日 [金曜日])

夢講座
 81年の4月からだからもう23年の歳月が流れたことになるが、毎月1回、第二木曜日に文学講座をさせていただいている。
塾生の親と一般の方と半々ぐらいの人数でスタートさせていただいた。当初は1年の積りが20年を越えて、正直言って、こちらの文学の素養を越えてしまってネタ切れ状態。論語・徒然草・奥の細道・万葉集などは一年通しでも取り組んだ。近現代は勿論、人気作家もやって来た。今日はジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」をさせていただいた。それも3分の1ぐらいで、大半は夢や生き方について語る「夢講座」になっている。当時は30歳前半のおかあさん方が、今や50代後半の年代に達している。
20年以上も教師と親が付き合いをさせて頂くというのは、学校ではありえないことで、塾が母体であることの強みかもしれない。沖縄の旅から、近場への文学散策。お正月のグルメの会など、20年来の旧知の中の勉強会。教えさせて戴くと言うよりも、共に学ぶ会といった方が当たっているかも知れない。お互いにおじいさんおばあさんの年まで続けて行けば、それこそ、それだけでも夢講座といえるかも知れない。私の遊書展やその他の活動のサポーターとしても支えていただいている。12回×20年としても240回。自分でも何をさせていただいたかも正確ではない。無理をせず、参加することに愉しみを見い出して続けさせていただいている。来月は何を語り、どんな夢を伝えるか、毎月1回、お互いの顔をあわせて「ホッ」とするホットな会を続けている。
(2004年 3月 11日 [木曜日])

合格切符・夢切符
 夢切符についても同じことがいえると思う。確かに切符を手にしたことは幸運で感謝すべきことだ。僕は夢を語り続けてはいるが、決してこの事を忘れたことはない。それは、もしインドの子供に「夢は?」と聞いたら、中には「パンが食べたい」と切に言う子がいることを。そうなのだ夢が語れない境遇にいる子が、この世にはたくさんいることを忘れてはならないということを。その子供たちに夢が与えることが出来たら・・・。カンボジアへの僕の遥かな道(220万)は、字が読めない子供たちが、そのために地雷の犠牲になるという現実を、同じ地球に住む人間として考えたいと思う。
(2004年 3月 10日 [水曜日])

39(感謝の日)/気利(キキ)の「夢の宅急便」
 3月9日、今日は3.9(サンキュウーの日)感謝の日と定めました。毎日、いろいろな日が設定されていますが、「感謝の日」がありません。人間の思考の原点にこの思いは絶対に必要なものだと思います。一緒に感謝の日設定運動に参加しませんか?
茶道へのキッカケをつくってくれたのは、尊敬する叔母さんである。その叔母さんの教えに、「人様に物をお上げする場合は大事なもの、好きなものを上げなさい。自分が要らないものは人様も入らないものだから」と大学時代に教えて戴いた。それ以来、安くてよいもの、気の利いた心のこもったものを贈らせていただくように心がけている。昔、塾のサマースクールや講演でお世話になった元プロボクシングチャンピオンの具志堅用高さんにはお二人のお子さんの誕生日に、もう20年以上送り続けさせていただいている。人、夫々に流儀があるがお中元・お歳暮は世が形式化されている感があるのでさせていただいていない。親しき仲にも礼儀有りというが、親しい心友にお中元はないだろうと思っている。茶人(志している)として気の利いたもの、そして、そのものに心を添える、心を付けられるようにと心がけている。『心をいただき 心に感謝する」これをモットーに贈答できる粋な人、お洒落な人をめざしている。
 先月、高等部の東進衛星予備校の方で公開講座をした。合格の使者と私が名付けている山中博先生という30代の若手講師(私から見て)。前回も松山からといってお土産を持って来て下さった。普通は講師の方にお土産をお渡ししても、講師の方が持ってこられるケースはめったにない。「今回は持ってこられませんでした」と丁重にご挨拶を戴いたのに、生徒たちのためには個別にキッチリと持って来て下さった。それが、今日、10時前に出勤すると机の上に、奈良からの心のこもった「おかき」が届いた。早速、全員に配るようにした。喜びは分かち合ってこそ生きてくるものだ。生徒たちとっては、最高のモチベーションになるものだ。これは単なるおかきではなく、これを食べたらきっと英語ができるようになるという、「美しき誤解を生むおかき」なのだ。ある生徒は喜んで食べ、ある子は「もったいない」といって食べない。(どうするのかとこちらが心配してしまう)。まさにこれは気の利いた、「気利の夢の宅急便」そのものだ。
 モノをお贈りするときは、気・心・夢・愛を付けてお贈りしたいものだとつくづく感心させられた。生徒たちには一つずつ。私は受取人代表として3つ戴いた。(これは懺悔を込めた告白です)。きっと送り主もお許し下さるだろうと勝手に思い込んで・・・。
(2004年 3月 9日 [火曜日])

夢味夢臭(むみむしゅう)
 生まれて初めて『豆乳鍋』を食べさせていただいた。なんとも言えない心に優しい味がした。母乳と牛乳の間の味?がした。日本人にとって大豆は古の昔より切っても切れない栄養源として親しみ愛用してきた食物。体にヘルシーというよりも、心にヘルシー。小さく薄切りにした地鶏と地元で丹精込めて作られた野菜との調和、これぞ大和(日本)の味と思わず唸ってしまった。
 ここは京都の北部、美山町。地名というのはその土地の所縁(ゆかり)と名付けた人の想いが込められている。そこに歴史があり、伝統もこねられているような気がする。「ミヤマチョウ」音で聴くとスッと流れてしまいそうだが、目にすると美しい山の町と書く。勿論、昔は美山村と呼ばれているいたのだろう。3月7日、この山里にも小さな春の芽吹きが見つけられそうな季節ではあるが、雪舞い・雪吹き・雪化粧で山里が雪迎えしてくれた。美山町樫原、「粋仙庵」。虹の湖を眼下に見下ろし、雪に煙る美山を眺めて、夢味夢臭の豆乳鍋に舌鼓して、ご主人と女将さんのおもてなしを受ける。粋な仙人が住む庵(いおり)。その想いを込めてネーミングされたのかも知れない。勿論、ご主人は仙人ではなく、50代半ばのスリムなお洒落な紳士。穏やかで落ち着いた話し振りにも好感が持て、「お持成し(おもてなし)」をこの美山の自然にも負けないぐらいに、さり気なく自然に心配りしてくださる。眺望・調度・雰囲気、お部屋に充満する和みと寛ぎと癒しの『気』。そして、囲炉裏端の温もり、ひとつが一つがご馳走。大好きな人をここへ連れて来たい。ここの全てのひとつ一つに、また愛たいと心が呟いた。
 今年一番、落ち着いた時間の流れを感じた一日(3/7)だった。此処へ連れて来てくれてた教え子に感謝。美山町に感謝!
(2004年 3月 8日 [月曜日])

夢別れ
 3月、4月は桃の花から桜の花へのバトンタッチ。別れと出会いの季節。新しい出会いは別離の後に訪れる。人間という小宇宙の中で、細胞が、もしかすると意識すらも新陳代謝して変化し成長して行く。別離に涙したら、その涙の味を糧にして、次の出会いの中に飛び込んでいこう。出会いと別離が人を成長させていくはずだから。夢もそうかもしれない、尽力をして、なお果たせぬ夢にしがみついているよりも、潔く「夢別れ」して、新たな夢の中に飛び込んでいこう。新しい鋭気、新しい勇気が生まれてくることを信じて・・・。
2004年 3月 7日 [日曜日]

直夢来(直向=ひたむく)
 「素直さ・謙虚さ・直向さが心の宝」人にはそれぞれ好きな言葉や座右の銘がある。私の場合はお蔭様で10代の若い頃から、それらの言葉にたくさん触れさせていてただいて、自分でも頭の中でパニックを起こしそうなぐらいインプットされていると思う。それがアウトプットされてくる時に「創語」として出てくる。間違った当て字とご批評を受けるかも知れないが、面白いと褒められもして、いつも直向に言葉と向きあっている。「誰よりも理想に燃えた君は、誰よりも現実を知っていた君だ」この言葉は芥川龍之介の詩の一節で、我が10代に一番心を捉えた言葉かも知れない。伊豆の踊り子の最後の場面の文章は、私の生き方・考え方の基盤にもなった。確かに言語は思考であり、思考は言語によって潜在意識に認識されて、人格にも影響を与えるように思う。最近、いい意味でのこだわりを持って好きな言葉が「直向さ」だ。何を隠そう元高校の国語の教師でありながら、塾の教師としても30年近いキャリアがありながら、この直向さという漢字を知らなかった。パソコンに向かって、ある時に「ひたむきさ」と入力した時に、パッと目に飛び込んで来て、思わず感動をした。それ以来、大好きな言葉となった。直向(ひたむく)、真っ直ぐに向く、「真っ直ぐに夢に向けば、夢が来る」直向に夢を求めれば必ず達成できるだろう。人格を磨き正義に立って、世の為人の為になる夢であれば、天も味方をするはずだ。今日も、明日も直向に直夢来う。夢に向かって・・・。
2004年 3月 6日 [土曜日]

夢時計
 夢を達成したいと思えば、期限を設定しなければならない。それは具体的であればあるほどよい。その方がエネルギーが湧いてくるから。もう一つの時間に関する考え方は1日を24時間として、寿命を94歳と設定した場合は96÷24=4、自分の干支の年を8回生かさせていただくとして、48歳が一日の正午。私の場合は55÷4=13.75時、午後1時45分になる。今は亡き、中3の時の恩師の言葉は「賢ちゃんは大器晩成型やから」というこの一言。これが私の支えになっている言葉。これに基づくと、まだまだこれからが晩成。でもあと10時間という考え方。だから一日一日を愛惜しんで大事に生きる。一瞬の機を積んで生きていかねばならないと自覚する。
 私の収集癖、コレクターとして集めているものがある。それは時計。昨日、100個目の時計が舞い込んで来た。80周年を迎える私立の高校の理事をしておられる先生に懇意にしていただいていて、3日前に時計のコレクターだという話をしたら、わざわざ届けて持ってきて下さった。関西大学体育会OB会の記念の懐中時計。これは買っても買えないだけに値打ちがある。有り難い事、有るということが難しいことだ。どんな夢でも語ることがいい。語れば心ある人がこのようにして夢のお手伝いをして下さって、夢を運んで来て下さる。この時計は私の一つの夢時計。講演をさせていただくときに机上において活用させていただこうと思っている。
(2004年 3月 5日 [金曜日])

宝絵夢(ポエム)=詩


「かけがえのないもの」



かけがえのないものは

すべての生命と夢

大切なものは

友情と夢

美しいものは

思いやりの心と夢

大きなものは

母の愛と夢



POME

What Are Irreplaceable?



What are irreplaceable?

All lives and dream.

What are an important thing?

Friendship and dream.

What are a beautiful thing?

The heart of consideration and dream.

What are a big thing?

Mother's love and dream.
(2004年 3月 4日 [木曜日])

夢現の方程式
授業中に子供たちと時々、幸せになる方法・成功する方法について話をする。これらは学校で教えて貰うということはない。学校で習うことには基本的に必ず答えがあり、それは一つである。しかし、子供たちは学校で習う事が絶対的であり、それ以外のことについては軽視しがちなので、学校では習わないことにとても重要なことがあるのだと教える。幸せになる方法・成功する方法はある。しかし、これらの答えは一つではない。10人いれば10通りの答えがある。だから、答えを出して教えることは出来ないが、解法力を身につけさせてあげることは充分に出来る。学校で学んだことは知識としてそのままでは役に立たないことが多いかも知れない。しかし、学ぶ心・学び方・学ぶ力を身につけていれば幸せになる方程式・成功する方程式、そして、「夢現の方程式」は立式することは出来るはずだ。私は塾という学習の場で知識を智恵に変えて、方程式を立てることができる力を身につけさせたいと思って彼らの前に立っている。キッカケになり、ヒントになれば嬉しいことだ。
さて、あえて西口流、夢現の方程式の立式に挑戦してみよう。3月3日、「3の二乗」⇒「3×3=9」「私がいてあなたがいてもう一人のあなたがいる」一つのことを成し遂げるのに私とあなたの想いが一致して、それをサポートしてくれるあなたがいれば、おそらく、ほとんどの夢は実現できるだろう。但し、自分の為だけの夢ではいけない。私の心友の一人に「君たちがいて僕がいる」を愛言葉にしている人がいる。you and me. 続けて書けば『youme=夢』になる。その3人が、また、3人の一緒懸命を果たす。そうすれば「さざんがきゅう」になる。9人が一つの思いに一緒懸命になれば、お互いの心にラポール(架け橋)が架かり、夢の架け橋が架かる。人類は私・あなた・彼、彼女と3人称で考えるから間違いが起きるのだと思う。
あなたと私、全ての人は you me =夢人。そう思う事が出来れば戦争はなくなる。youとmeであれば、手を繋ぎあうことが出来る。連愛できる。目の前のあなたに一人だけ。そのあなたがもう一人のあなたに手をさしのべる。それは決して困難なことではないはずだ。60億の人類が地下鉄状態で一緒に集まれば、琵琶湖にすっぽり収まるという。「できる」と思えばできる。「できない」と思えばできない。あなたはきっと「夢現の方程式」を解く力を持っているはずだから。人類の平和が人類の夢です。私はできると思って生きて生きたい。

(2004年 3月 3日 [水曜日])

童夢(どうむ)エネルギー
 童心に返って、子供のような無邪気さ・・・。これらはよい意味の形容として使われる。子供の知的好奇心は、素晴らしいものがある。関心・興味はエネルギーだ。だから、童心の夢、子供のような夢は大きなエネルギーを生み出すと言える。人それぞれに関心、興味の対象は違う。私事をいうと、メカ音痴の私は車にはほとんど興味はない。ベンツが一つのステイタスなどとも思わない、しかし、少年時代、まだ、外車と言えばアメリカの車しかなかった時代に育った私にとって、憧憬の車がある。それはキャデラックである。一般にはアメ車といわれ人気がないようだけど、これは私の一つの「童夢」で死ぬまでに一度はのりたいと思っている。これは私にとって一つのモチベーションにもなっている。
 興味・関心のあることには潜在意識のパワーも付いてくる。だから、私達は知的好奇心を高め、そして、志事と自分の事に関わることで、一つ強力な興味・関心を持つことは、生きることに対してもエネルギーを生むことに繋がる。ヒューマンリレーションについても、相手に興味・関心を示すことが重要なことだ。少し、飛躍して言えば、愛するということは、対象物に対して興味・関心を示すと言うことでもある。純粋無垢な童夢を心に抱く。あの子供のような活力を・・・、疲れを知らない子供のように・・・。心に童夢を抱こう!
(2004年 3月 2日 [火曜日])

三代の夢
塾の業界の雑誌に毎月、「誌上ロードショウ」というタイトルで映画評のようなものを書かせていただいている。お蔭様で毎月1回、映画を見に行く時間を創るようになった。昔、映画少年だった私も一時期は映画館から随分遠のいていたのが、確実に映画館に足を運ぶようになって、青春を彷彿とさせている?今日は映画の日、1000円で見ることができるということもあって、午前中10時からの映画を見に行ってきった。帰り際に出会ったのが元教え子の塾生、現在、甲子園で美容院を経営しているオーナーで、塾生のお父さん。つまり二代目を預かって教えさせていただいていると言う栄誉を得ている。久しぶりにお会いしたのでほんの少しの積りが、小1時間ほど話込んでしまった。あと2,30年後にはもしかしたら、三代目を教えさせていただけるかもしれない。そう考えるとなんだかワクワクしてくる。塾は学校と違って
そのような楽しみがある。永い子は9年間預かって教えさせてもらった子もいる。仲人をさせていただいた子もいる。地元で永くさせていただくとたくさんのお知り合いが出来る。三代の夢を果たせたらなんと素晴らしいことだろう。いつまでも愛顧される塾、一教師でありたい。
(2004年 3月 1日 [月曜日])

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