夢鉄道 |
午前中、天使と一緒に大雁塔=慈恩寺に行く。慈愛深い母の恩徳を追慕する所から名付けられいる。1400年前の建物で塔の上からは西安が一望できて素晴らしい。雰囲気が落ち着いていて好きな場所の一つになった。見学の後、天使のドミトリーに行って旅行準備をする。中国の大学は学生も先生も学内に居住するのが基本らしい。ここでも天使の人間的な素晴らしさが出ていて、云わば独身女性の自室に何の抵抗もなく入れてくれる。「足長おじさん」の英訳本を贈ったことから、お互いのメールは月光の天使と大きな心の叔父さん(Duddy-big-heart)のネームでやり取りをしている。天使は僕のことを叔父さんのように思って信頼してくれているようだ。天使が準備をしている間、コーヒーを飲みながら、「女子十二学坊」を聞く。何度も聞いているのに、全く違った音楽を聴いているように感じた。本場の中国で聴いているというのと、私が平安な心で寛いでいるからそのように聴こえてくるのだと思う。二人でスーパーに出かけて、丸一日分の汽車内での食料を買い込みに行く。カップ麺と飲み物その他を買い込む。私にとってはどのひとつ一つが非日常的なことでめずらしく楽しい。もう一度ドミトリーに戻って、バスで駅に向かう。 西安駅から敦煌へ。6時40分、いよいよ26時間の汽車の旅が始まる。3段ベッドの下が私、天使様は一番上。おそらくこれは値段の問題。私が上に行くと言っても天使は譲らなかった。天使はお金に対して哲学を持っており、素晴らしい感覚を持っている。これは今回の旅で私が天使から学んだことの一つだ。1人で外国で26時間の汽車の旅は、時に退屈かもしれないが、1時間さえそう思ったことはなかった。大好きな人とか愛しているとかそのような感情を越えて、聖母マリアか観音様と一緒にいるような気がして私は安らぐ。翌朝、10時ごろだっただろうか、車内に弁当を売りに来た時、僕がご飯が食べたいなぁと思っていたら、「ケンジ、ご飯を食べる?」(勿論、英語です)と聞いて買ってくれた。ほか弁のような作り立てを売りに来る。あの弁当の味は一生忘れられない。味はもとより、天使の心が嬉しかった。優しい眼差しに見守られると言う心の平安こそ『幸福』だとつくづく感じた。 (2004年 4月 30日 [金曜日])
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夢旅行へ出発 |
天使(劉頴=リュウ・インさん、以下天使と書きます)へのお土産は時計とAngel of Moonlightと書いた手製のTシャツ、そして、MD.ホテルで待ち合わせる予定だったのに優しい天使は鐘塔まで迎えに来てくれて入れ違いになる。その優しさが出迎えの心。西安交通大学の先生。32歳・独身・知性的で小柄で可愛い女性。 2年前の杭州から蘇州の船で同室になって出会った人。私にとって家族を除いて、この地球上で一番優しい人。会議があるということで2時間、ホテルの周りを探検散策をする。町を歩くと庶民の生活がわかる。結構楽しめた。6時から食事に出かける。久しぶりの再会に興奮してか、何を食べたか何処に食事に行ったか記憶が消えている。鐘塔(ベルタワー)に案内していただいて、喫茶店で鉄観音を飲む。烏龍茶の美味しい飲み方を学ぶ。二人で再会を愉しんで語らいをする。旅先で出愛をした二人。お互いに尊敬をしあい、メール・チャットで絶えず交流をして人間性を高め合っている。国境を越え、民族を越え、言語を越え、性別を越えて交流を続けて戴いている。今回で3度目の再会。文字通り「出愛は神様からのご褒美」としての私の宝物。60億人の人類がいてもこんな素敵な出愛を持っている人はいないのではないだろうかと自負している。 (2004年 4月 29日 [木曜日])
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舞夢旅(まいむたび)4/28〜5/10 |
4月28日から5月10日まで 西安・敦煌・月の砂漠への旅のため 夢求日志をお休みさせて戴きます。 地遊人(じゆじん)地球を遊ぶ人として 「気」を充電して参ります。 帰国後、順次書き込みしてまいりますので お許しくださいませ。 何でも見てやろう!何でも食べてやろう!何でもしてやろう! 高校時代からのモットーで、この想いが私を旅に駆り立てる。それは多美人(たびびと)=旅人を自認する私自身の人生観でもある。見知らぬ街、見知らぬ風景、見知らぬ様々な物との出愛。そこから愛を吸い取って帰ってくる。旅は私のエネルギーの源泉。 ■大韓航空、釜山経由西安行き。初めての海外旅行で72年に訪ねた町。東莱温泉観光ホテルに来て見た。町もホテルも見事に変わっていた。面影があろうはずもない。韓国の急成長ぶりがよく伺えた。明日は西安。月光の天使に会える!!!。 (2004年 4月 28日 [水曜日])
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夢闘(むとう) |
なんだかんだといっても人間一人の力では何もできない。みんなの中で生かされて生きている以上、家族・仲間・スタッフの協力あって始めて小さなことも大きなことも出来るもんだ。明日から13日間,約2週間の旅に出る。これは正に皆様のお蔭、家内などはいい意味で「お好きなように」と言ってくれ、長男も「仕事に支障を来たさなければ」と言ってくれる。勿論、私一人だけ出かけるのだから、多少の厭味は聞く、しかし、私はそれにもメゲズに「出かける」美を求めて、旅の中にもう一人の自分を見つけに!駆り立てられる思いに素直になって。ここでいろいろな思いに負けてしまって闘わずして、無駄な遠慮や気遣いをして行かなければ、ずっと行く機会をなくしてしまう。物事に万全ということは少ない。全てが整って、条件が揃って実現をしようとすれば、大半のことは機を失ってしまう。尊敬する人の言葉で「ワガ意のママに、我が儘」にやらないと出来ない。人に迷惑をかけないこと。感謝を忘れないこと。人様にお世話になることは、お世話にならないと生きて行けないと悟って、誰かに借りたら誰かに返そうという想いがないと、いい意味で生きて行けないと思う。私の夢闘は永遠に求める限り続いて行く・・・。 (2004年 4月 27日 [火曜日])
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満月への夢旅行。 |
毎年、沖縄の熊さんが陰暦カレンダーを送って下さる。そのカレンダーには日付の所に図解して、お月様の月齢がわかるようになっている。もう2,3ヶ月前に敦煌行を決めた時、一番に確認をしたことが満月の日だった。5月3日が満月、これを中心に全ての予定を天使が計画してくれた。ただ一心に天気を願う。「雨の日には雨の坂道、雪の日は雪の坂道」とは言うけれど、この日は絶対に晴れて欲しい。しかし、神頼み、天運次第、宇宙の理力次第だ。私にできることは、ただ祈るだけ。でも、地球の何処かではこの日に雨が降ることを願ったいる人もいるのだから・・・。 過去には沖縄の備瀬崎で月の会で観た満月とアメリカのオークランドで見た大きな赤い月。これが最高だった。今回はMY angel of moonlight=月光の天使と一緒に観ようといっているお月様。一生に一度の機会なのだ。しかし、『人生毎日初舞台』今日という日は一生に一度しか訪れては来ない。その思いを持って生きて行くということが大切なのだ。月の光、それは私にとって愛と優しさの象徴。今回の旅は満月への夢旅行なのだ。 (2004年 4月 26日 [月曜日])
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夢支度。旅支度 |
28日水曜日から砂漠を求めて旅に出る。いつものことながら殊更に支度をするということはない。その気軽さが旅好きの由縁かも知れない。人によるとそれが面倒臭いと言う人がいる。私など面倒なことなど準備をしないのでさっと行き帰ってくると、また、行きたいと思うのかも知れない。それこそ出かける前にちょっとバタバタする程度だ。パスポートとカードとサムマネーがあれば出かけられる。勿論、ガイドブックは必携だ。チャプリンがセリフの中で人生にとって必要なものは「愛と勇気とサムマネー」といったのと同じだと思われる。忘れ物は何時でも何処でも用意ができる。多少の不便さはあるが、それを愉しむことができる。夢支度はチャップリンの言葉に尽きると思う。物質的なものはお金だけ。お金がないと夢支度ができないと言うのは考え違いだろう。お金がないのならお金をつくるところから、夢を始めればいいのだと思う。例えば、お店を持ちたい。しかし、お金がない。だから、夢へのスタートが切れないと言うのは、本気でない証拠だろう。時間がないから旅に行けないというのも同じような気がする。「気」があれば、その気になってヤル気になって本気になれば、成ることがほとんどのように思う。これはあまり大きな声では言えない事だけれども、私の場合は家族の協力と反意は半々と言うよりも、家族の諦めがほとんど。苦言・厭味も聞き流して、迷惑甚だしいことだが、旅先でそっと手を合わせて感謝して、いつか家族を連れてきてやろうと思う。家内も一緒に行くことを好まないようになった。子供たちも成人してそれぞれの自分の時間があり難しい。順番に祖父・娘・息子・家内と一緒に海外旅行に出かけたことが、今、効を奏しているようだ。スタッフは五月の連休は何処かへ出かけると思って下さっている。 夢支度・旅支度。サッと出かける。人生も旅も思ったようには行かない。だから、面白い。そう思う楽天的な想いが人生も旅も面白くさせるように思う。全てのものに感謝して「行ってきます」・・・。 (2004年 4月 25日 [日曜日])
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夢見る私 |
とおりすぎてゆく風 とおりすぎていく人 とおりすぎていく青春 かえらない日々 かえらない思い出 かえらない青春 たちどまるのは私だけ しかしふりむいてはならない 進みゆく私 求めゆく私 夢見る私 これは私が大学4年生の時に書いたもの。1971年のことだから33年前のことになる。夏休みに北海道を16日間かけて一周旅行した時に書いた旅行記のエピローグの文である。思えばこの時すでに旅への放浪癖があり、「夢見る私」という言葉を遣っているので、想い続けて33年と言うことになるのだろう。最後の3行、進みゆく私・求めゆく私・夢見る私のところは未だ変わることなく続いているように思う。これからも・・・。 (2004年 4月 24日 [土曜日])
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木々の夢 |
6回の教室から神戸方面を眺めると、今日は陽光明るく爽やかな風が流れているのか、六甲の山々の木々の脈が見える。珍しいぐらいに空気が清澄で、眼に青葉だけでなく風の透明感が透けて見えているような気がする。10数年で初めてのような気もする。私も生きているが、間違いなしに木々たちも生きているというのを実感する。この宇宙は、この地球は自分たち人間だけのものでなくみんなのものとつくづく感じ入る。都会に住んでいるとこんな爽快な景色に出会うことが少ない。その中でストレスをアメ込んでしまう。幸いかな私は地遊人としての感覚があって、溜め込む前に「移動行為」をしてしまう。美ら島(沖縄)に行くという行動がその一つなのだと思う。旅にでるという行動がそうなのだと思う。生徒たちが「何で先生はそんなに元気なん!」という「ウチらの鋭気を吸い取っているノンと違うの?」とあからさまにいって逃げて行く子がいる。勿論、これは私が嫌われていると言うことではなく、生徒と先生の間のユーモアの通った言葉だ。木々の緑に似たものが子供たちのエネルギーの中にあるように思う。しかし、都会のスモッグが子供たちの鋭気に幕を作ってしまう。爽やかな風をいつも彼らに吹き付けてやらねば・・・。 子供たちの心を解放してあげなければ、彼らの芽を伸ばしてやる、引き出してあげることが難しいように思う。それは英語・数学ではなく、「心に響く学び」だと思う。知育偏重を私たちが気付いた上で教えさせて頂くと言うことをしていかなければ・・・。子供たちの夢は木々の夢。この地球で木々が育たなければ、子供たちも育たない。 (2004年 4月 23日 [金曜日])
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夢言 |
■言葉は心を伝え愛を語るもの■ 誰に?私の大事なあなたに あなたの大切なわたしに 言葉という意志伝達のツールは、ずっと話者から相手に、わたしからあなたにと思っていた、確かに言語の要件はそうだが、意志・想い・心・愛は相手だけではなく、自分にも響くらしい。言葉は潜在意識にも自律神経にも、いい言葉も悪い言葉も響くらしい。特に自立神経は人称の区別をつけないと言うことなので、自分の意識は相手に「お前はダメだ!」「馬鹿」などと悪口、罵詈雑言をいうと、それは間違いなく全部、自分にも言っていることになっている。セミナーを受けて、いろいろな本を読んでそういうことを学んだ。だから、美しい言葉を自分自身に語りかけることはとてもいいことで有効だ。鏡を見ながら、自分自身に「なんていい顔なんだろう」「今日はいいことがある」「これは絶対うまくいく」と自己暗示をかければ、暗示だけでなく間違いなく潜在意識に呼びかけ、自律神経に作用する。60兆の体の細胞、140億個あるといわれている細胞にプラス作用する。毎日、続けていけば人生が変わる。私はそう信じている。体にいいことしていますか?心にいいことしていますか?心にいいことというのは、一つは潜在意識・自律神経にいいことをするということ。その一つが、美しい言葉・肯定的な言葉・プラス志向の言葉・積極的な言葉を自他に発することだ。これが西口流夢言だ。 (2004年 4月 22日 [木曜日])
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夢一途 |
一途さ・直向さ、これが進行するとどうなるか?気違いになる。「えー」といわれるかも知れないが、辞書で「気違い」の項を調べると、物事に一心不乱に打ち込むことという意味も書かれてある。これは肯定的な意味で好ましい姿勢であるといえる。若い時代に一つのことに打ち込んだ人は、どこかに強さ、逞しさ、何か違ったものを持っているようである。私はと言えば、大学時代に縁があって「茶道」を始めた。動機は不純だったかもしれない。結果として、私の性に合ったというか、大学の4年間、青春をお茶にかけたと言っても過言ではない。学校に行って授業には出なくとも部室には顔を出した。大学の関係で家元に直接出入りを許されてお稽古をし、お家元に薫陶指導を受けたことも、私の人生の基盤・根底を形成したとも言える。指導といっても、家憲が「無伝」だったので直接には指導を受けたとは言えないけれども、側について盗ませていただいた。学び(マネび)の極意はここで身につけたのかも知れない。私が生身で接した人物として、初めて尊敬した方で本当に素晴らしい師だった。この方にお出会いしただけでも、おそらく僕の人生は大きく変化したと思われる。流石に御家元の宗匠と呼ぶに相応しいお方だった。 若い時代に打ち込んで素晴らしい方、師といえる方に出会えると人生は変わる。私はたまたま、それがお茶であっただけで、極端に言えば、それがパチンコであれ、麻雀であっても体得できることは共通のものがあると思う。何でもいいから、一途に直向に打ち込んで欲しいと、今の若者に声を大にして伝えたい。それは若者に限らず、大人でも同じであろう。好きだと言う程度ではない。気違いの域に達するまで徹底して欲しい。そうすれば何事にも打ち込める人間が出来るように思う。若者よ!好きなことに打ち込め!そこから自分を磨いていこう! (2004年 4月 21日 [水曜日])
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心燃の夢 |
心を燃やそう。 心の燃料は? 私は夢 僕は使命 あなたはは愛 君は みんなちがってみんないい You Me ユーメ アナタとワタシ なんでもないこの言葉の順序 でも、あなたが先で わたしが次 「吾納他=あなた」吾の心を他(人)に納める 「和多志=わたし」志しが多くても和が保たれる 恵吾(エゴ)が吾を他に恵むようになれば・・・ 先ずは、平和を想い願い念ずることから始めよう (2004年 4月 20日 [火曜日])
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夢枕 |
旅枕という、なんともロマンチックな名前の信楽焼きの花器がある。枕のような形をしているから、その名がついているのだと思われる。よく茶席などで、侘び助(椿の一種)をいけることがあるが、なんとも風雅で観る人を和ませる。28日から5月10日まで、昨年、サーズのために中止になった中国旅行、西安・敦煌・砂漠への旅に出る。小学校の時から地理が好きだった私にとって、45年も前にゴビ砂漠という名前を聞いた時は、今の感覚の月よりも遠いような気がしていた記憶がある。地図で確かめるとアジア大陸の真ん中に位置していて、日本がいくつ入るのだろうかというぐらいに大きい。西安から敦煌へは24時間の汽車の旅をする。今から、ワクワクしている。今回は2年前に蘇州で出会った劉頴さんという西安交通大学の女性の先生が案内して下さる。1人で24時間は辛いものがあるが、二人で言葉にもカタコト英語と漢字書き言葉で何とかなるので、安心かつ楽しみである。5月3日が満月、この夜、月の砂漠を見る予定にしている。 その昔、クイズに10問正解して夢のハワイ旅行に行こう!というのがあったが、本当に当時は夢の海外旅行だった。今や、ハワイは隣感覚になった。思い起こせば、初めてパスポートを持って旅行をしたのは、沖縄。18歳の時だから37年前のことである。神戸から船に乗って45時間。その1年前に大阪から札幌まで、貸切臨時列車で修学旅行に行ったときも45時間。5年前、日本から見て地球の裏側にあたるアルゼンチンに行った時、マレーシア⇒ケープタウン(南アフリカ)⇒アルゼンチンに行った時でも、実際に飛行機に乗っていた時間は24時間はなかったように思う。夢が旅先に舞う、夢を枕に想いを馳せる・・・。 (2004年 4月 19日 [月曜日])
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舞夢(My夢) |
夢は心に描き、言葉にして口に出して文字に書き表せば達成される。そう信じて夢に邁進して生きたい。My夢、私の夢が私の心の中で舞う、そして、いつの日か達成できれば、それは素晴らしいことだと思う。もし、達成しなかったとしても、いつも心の中で夢が舞えば楽しいはずだ。実現すれば舞い上がるだろう。(花夢)Come in My 夢(舞夢)。世の中はそんなに甘いものじゃない。だからこそ、夢を持ち続けたい。潜在意識の中に「夢」の一字を刻んでおきたい。夢を心に想像しておけば、自律神経にもプラスの作用が働いて心身の健康にもいい筈だ。こんなことを言ってしまうと、ミモフタモナイ話になってしまうけれども、我が心に夢を描いてもお金はかからない。お金を生むことがあっても・・・。 夢見る年頃という言葉があるが、青春が年齢の若さを言うのではなく、心の若さを言うのであれば、夢見る年頃というのも、年齢の若さではなく、想いの若さであろう。小さな夢の積み重ねが大きな夢へと繋がって行く。そうすれば、夢の分かち合いも可能になってくるはずだ。向田邦子さんの随筆に「めぐる盃」というのがあって、小学校の時に、荒城の月の歌詞のこの部分を訳もわからずに歌っていたというくだりがあるが、それはほとんどみんなが同感だ。中学校時代、マイムマイムというフォークダンスを踊らされて、ここの部分はみんなで踊りに合わせて大きな声でマイムマイムと言っていたが、あの意味は何だったのだろう・・・ ? (2004年 4月 18日 [日曜日])
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夢芝居 |
「教師は役者であれ」という言葉がある。教室が舞台、授業が芝居。生徒たちがお客様。面白くない判らない芝居をしていたら、退屈だったら、居眠りをされる。役者を無視しておしゃべりをされる。いい授業が終わった時はこちらも生徒の側も何かしら、うれしい楽しい気分になれる。講演もちょっとした話も同じだ。今日、明日は公立高校の入試分析会。中3の生徒さんと保護者の方に教室に集まっていただいて、各校の校長とそれぞれの担当が入試分析をして、その後に私が20分前後の話をする。言葉の重要性、潜在意識と自律神経にどれだけ作用するかを説く。一聞、むつかしそうな内容だけに判りやすく面白く話をしないといけない。そう考えて見ると、一回の授業、一回の講演は夢芝居そのものなのだ。 生徒さん、勿論、人間みなヤル気はある。しかし、何の働きかけもしてあげなければ、その芽は朽ちてしまう。発芽の3条件が空気・水・適温であるように、ヤル気にも3条件が必要だ。元気・愛情・言葉だ。まず健康で元気でなければならない。心身ともに元気でないのにヤル気なんて起きてこない。人生は愛と感謝、愛がなければ全ては始まらない。そして、言葉。肯定的なプラス思考の言葉かけが大切である。 心にいいことしてますか?大脳にいいことしてますか?潜在意識に作用するいい言葉、自律神経に元気が伝わる言葉を心がけて遣わないといけない。私は、子供たちに「私はできる」「私はやる」という愛言葉を教えさせていただいた。この小さな言葉の実践で必ず、前向きの姿勢が出てくる。それだけで成績は上がってくるのだ。勉強さえすれば成績はあがるとは限らないことを、多くの人に知って欲しい。 (2004年 4月 17日 [土曜日])
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ささやかな夢 |
先日、カンボジアに行った24歳の女性からお聞きした話。子供たちに夢は何ですか?と聞くと、「お腹一杯食べたい」という子が多いそうです。なんともいえない気持ちなります。「戦後なごり派(昭和24年生まれ)」の私も芋粥・だんご汁・ふかし芋・食パンの切れ端など、懐かしくさえあります。それでも家族がいて、住む所があって、親兄弟の愛がありました。そして、将来、普通にしていたら、なんとなく食べていけないのでは?という想いがありました。それが団塊の世代の貧乏人の意識だったようにも思います。子供心に、時の総理大臣池田首相が「貧乏人は麦飯を食え」と言ったのを覚えています。それが脅迫観念という否定的なものでなく、ガンバリズムに繋がったように思います。いい悪いという意味でなく、確かに今の子供たちは「お腹が空いた」という空腹感を知らないように思われる。もう、20年近く前になるかも知れないけれど、土曜日の夕食後、何も食べずに、翌日の日曜日、朝8時から夕方6時まで、6年生の子供たちの一緒に授業をしたことがある。子供たちにも、親御さんにも同意していただいて体験学習をしてみたのだ。それでも家に帰ったら食べられるという保証があった。私の体験からも精神的苦悩と食べられないということを比べたら、食べられないということの方が、苦悩というよりも苦痛である。 不足・不自由を学ぶことは大きな教育だと思う。学ばせるというのではなく、学んでいくことによって身につくと思われる。一つの食べ物を分かち合うということから生まれる思いやりや優しさ、愛。それを塾という教育機関で教えるということは難しいだろうか?実地体験は無理としても「想い」は伝え、語らせていただいている。今、世界中を見渡すと、食べるということに不自由をしている子供の方が多い。食べたいというこのささやかな夢を、飽食と消費の中で育つ日本の子供たちに「分ち愛」を学ばせたい。 (2004年 4月 16日 [金曜日])
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夢ナビ |
カーナビゲーションが大流行だ。最近では軽四でもついているらしい?私の車、サニーには残念ながらついていない。確かに、この前のように岡山の球場を探して行く場合など便利だと思う。何年かするとほとんどの車には標準装備になってくるのだろう。はっきり言って、カーナビはいらなくても、人生という道に師匠というナビゲーションは必需品だと思う。私の周りを見渡す限り10人に1人も持っておられる方はいらっしゃらないようだ。人生、山あり谷あり、分かれ道はゴマンとある。東海道五十三次のように道標があって、右、東海道 左、中仙道という程度であればいいが、現代では分岐点が多すぎる。そして、時代が多種多様化していて選択肢が多すぎるので、迷わないためにも良い選択をするためにも師匠という信頼できるアドバイザーが必要だと思う。前にも書かせて戴いたように、「三師・三友・三相」三人の師匠、三人の心友、三人の競争相手(ライバル)がいると人生は素晴らしいものになってくる。師匠・心友・競争相手は人生のナビゲーションになる。これはカーショップに行っても売っていないが、求める心があって自分自身を磨いていけば持つことが出来る。私の場合は20年近くになって、やっと「師匠」とおよびさせていただくようになった。師匠も決して弟子とは言わない。しかし、それは家族とは違った別の絆で結ばれているように思う。 師は導きもし選択もさせ叱責もし忠告もしてくれる。そして、 責任を持たせてくれる。カーナビは通常一つしか指示をしない。それでは「道」を愉しむことは出来ない。人としての三つのナビ、それと自ら掲げる「夢」そのものを北極星のように、天に仰ぎ見て行動の原点とする。二度とない人生だから、わが道を流されることなく真っ直ぐに踏みしめて歩んで生きたいものだと思う。カーナビは故障するかも知れないが、心の中の夢ナビは燦然といつも「ある」はずだ。あなたが持ったならば・・・。 (2004年 4月 15日 [木曜日])
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字夢屋さん |
「燃心」折りたたみの屏風に横書きに書かせて戴いた、この文字を見て、ある方が左から見て、「ねんしん」と読まれた。わたしは書なので、右書きをして、勿論、「しんねん」と書かせて戴いたのである。燃やす心と心を燃やす。読み手も書き手も想いは同じである。心に感じたことは一つなのだと思う。このように文字は、表意文字としての漢字は感じ方で意味が広がる。そして、書き方によっても、その姿というか書体によっても拡がりが生まれる。我流の遊書で草書体を書くことが出来ない私はいい意味で読めない漢字が書け。素人だから素直さを大事にして書かせていただいている分、「何が書いてあるのかよく判る」と言っていただく。『何が書いてあるのか判らない字を見て、感動は起きない」と付け加えて下さる方もある。私は漢字を遊ぶ、いろいろな文字を書かせていただく、最近は「美」シリーズで、「美心」「美笑」「美感」が気に入っている。このうち美感は辞書に「びかん」として出てくるが、私は「ミカン」と読んで戴いている。 読み手の感性・書き手の感性によって文字にも夢が、膨らみが生まれてくる様に思う。字遊人に加えて字夢屋さんというのはどうだろうか? (2004年 4月 14日 [水曜日])
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忠恕の夢 |
高校3年生の時、友達が「孔子」の言葉などを書いた本を貸してくれた。佐藤君という北海道から転校してきた双子の兄弟だった。この本で出会った言葉が「忠恕(ちゅうじょ)」=真心と思いやり。忠は口と心を一本の心棒で貫く、恕ははかると訓読みをして、相手を思いやるという意味。自称フェミニスト、母情を持って為すマザコンの小生は、女の口と心は思いやりのあるものとしてとらえている。その口が又になると、怒という怒りに変わる。孔子の精神は忠恕、真心と思いやり。そして、大学生になって出会ったのが「茶道」。茶道も一語で表現すれば、その心はまごころと思いやりである。以来、好きな言葉、いろいろな場面で書いてきた言葉は、ずっとこの「忠恕」だった。この言葉を私の頭にインプットして、40年近く、それを目指して来た。それが出来ているかどうかは、人様の評するところだろう。大学時代、勉強はしなかったけれども茶道には打ち込んだ。ご縁を戴いて御家元に出入りさせていただく機会でいろいろなことを学んだ。野球に青春を打ち込む若者がいるように、私は茶道に打ち込んだ。今、お稽古としてお点前を直接する機会はめったにないけれども、卒業して直ぐ、お家元に弟子入りしてお暇を戴く時には、決して自己満足、慰めでなく、生きることイコール茶道すること。点前に熟達しようと思えば、日々日常の中で精進すること、と自覚して潔くお稽古から離れた。この頃、感じることは「茶人とは人を喜ばす名人である」ということだ。これは当たっていると思う。徹頭徹尾、一から十まで、亭主がお客さまに尽くすあの精神は忠恕であると思う。残念ながら、そのような指導者もそれをお稽古する人も少ないのが寂しいことだ。 夢。自分の夢、人様の夢。忠恕は互いに尽くしあうことで、更に光ってくる。自分の夢を達成したい。だから、人様の夢にも忠恕を尽くしたい。それが、私が求めてきた茶道することであると思っている。 (2004年 4月 13日 [火曜日])
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夢燃夢想(むねんむそう) |
無念無想。仏道者の修行では、座禅をしてそのような心境に成れるのかもしれないが、私たち凡人には無理である。でも、夢を持って、夢を燃やして、夢を想い続けるということは可能だと思う。今、私は「ことば」「自律神経」「潜在意識」をキィーワードにして楽習している。自分のためにも、お預かりしている生徒さんのためにも、これからのテーマにして楽習していこうと思っている。少年時代からずっと、特に勉強に関しては意志が弱いと、時に自己嫌悪に陥ったりもした。最近、読んでいる本には意志の力よりも想像の力の方が強いということを知った。この内容には大声をあげて感激するほどうれしく頷いてしまった。その通りだと思う。10年ぐらい前までは「意志」さえ強固であれば、全てが達成できる。何でもできると思い込み、成功者=意志強固な人と思い込んでいた。どうやら、ちょっと違うようだ。勿論、意志は強いにこした事はない。しかし、自己嫌悪に陥らなければならない問題ではない。それよりも想像力。素直で豊かで純な想像を持てば、潜在意識・自律神経がいい方向に動く。夢想、夢を想像する。夢燃夢想、夢を心に描いて夢を燃やして、いつも365日、夢を想い続ければ可能になる。夢念、夢を言葉にして念じる、口にして潜在意識・自律神経に唱える。親鸞は念仏を唱えれば、救われるかどうかはわからない、しかし、唱えなさい。と教えられた。そうなんだ、無心になって夢を唱えよう!そうすれば、自分のことば・思考・行動がきっと変わってくるはずだ。 (2004年 4月 12日 [月曜日])
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感夢量の一日 |
西宮北口駅(阪急)近くのプレラホールとい所で、「夢語りと遊書の会」をさせて頂いた。集まった方は人数的にはすくなかったけれども、その分、とてもいい人が集まって下さった。お蔭さまで気持ちよくお話をさせて頂いた。自分の夢実現の実践的体験論というと大袈裟だけれども、実体験・セミナー・書物で学んだことをお話させて戴いた。早速、来月に私どものお客様にも、ぜひ、聞いて欲しいのでとお声かけをいただいたので、素直に合格点のお話をさせていただいたのだろうと、ほっとすると同時に喜んでいる。遠くは福岡からも来て下さった。何と有り難い事だろうと、心から感謝する。言葉と自律神経・潜在意識の関わりにおいて、夢を実現させるための働きかけをお話させていただいた。 良い言葉は自律神経に素晴らしい働きかけをする。自律神経は発した言葉に順応する。自律神経は人称の区別をしないので、良い言葉も悪い言葉も全て丸呑みしてしまうので、美しい言葉遣いは美しい心をつくるのにも関連する。聞いて下さった方はとても納得をしていただいたようでうれしかった。少人数だと反応が確認できるので有り難い。終わった後に、主催してくださった方と参加してくださったと、ご一緒に食事もさせていただいて、6時間近く一緒にいて親交を深めさせていただいた。夢実現のキーワードは「愛と感謝」だと伝えさせていただいた。 「美人」「美笑」「美感」の大型の段ボールに書かせて戴いた文字も求めていただいた。大阪のTさんは、新作を求めてくださってカンボジアの学校建設基金ということで、過分なご寄付をして下さった。「うれしい」「たのしい」「あいしてる」「あいされている」「だいすき」「わたしはやる」「わたしはできる」などの豆色紙が12枚揃えの分で、自律神経にいい言葉を並べた分だ。これを毎日、見て、毎日、声に出して継続すれば、効果絶大ですよという私の言葉に素直に反応して下さった。嬉しい楽しい一日だった。主催してくださった、高野さんに感謝・かんしゃ! 感謝が無量に大きいので、今日は「感夢量」 (2004年 4月 11日 [日曜日])
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愛植男(あいうえお)の夢 |
思考は現実化するということは多くの成功者が言っておられる。特にアメリカの自己啓発関係の書物では必ずそう書いてある。そして、その中で私は言葉が思考の源になるということで大事にするべきことだと思っている。それを頭の中に、潜在意識の中にインプットしておくことは重要だと考えている。 ■女性のあいうえお あ=愛情、い=育自、う=麗しさ、 え=笑顔、お=穏健 ■人生のあいうえお あ=愛、 い=因、 う=運、 え=縁、 お=恩 ■夢実現のかきくけこ か=書く、き=聴く、く=口にする、け=継続、こ=行動 ■志事のかきくけこ か=管理、き=企画、く=工夫、 け=計画、こ=考動 コピーライトを仕事にしている沖縄の友達に小生のことを名付けていただいて、字を遊び、言葉を愉しんで新語・創語を作らせて戴いて、自分の潜在意識に愛植雄している。愛を雄々しく植えて夢を拡大していっている。皆様の心に愛を植える男になりたいなあと思っている。この前の、沖縄の遊書展では、愛因運縁恩の読み方を聞かれた。あいいんうんえんおん。母音のあいうえおと言葉の結びである「ん」で語呂合わせさせて戴いた言葉で、どの一つ一つをとっても人生に重要なものだと思っている。 ご縁を戴いて、人様の前でもお話させていただく事がある。だから、先ず、自らが実践していかないと思っている。 (2004年 4月 10日 [土曜日])
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夢、山を登る、降りる。 |
「人生は、登山のようなもの」これから考えなくてはいけないことは、いかに上手に降りていくかということ。登山というのは、何も登るばかりではない。頂上登った後は、降りていかなければならない。山を降りきってはじめて、登山は完結するのです。そして降りたら、また次の山を目指せばいい。文明とはその繰り返しなのです。個人の生活にも同じことが言えるでしょう。」 これは五木寛之氏の文章です。10年前に、ひょっとすると5年前に読んでいたら、スッと読み流していたかもしれません。でも、今の私には心に染み入ってきて、ああ、そうなんだと、深く頷いてしまいました。同郷の作家で、「青年は荒野をめざす」「青春の門」などを読んで深く感銘を受けたこともあるでしょうが、何か、私のこれからの人生にプラスになる、示唆を受けたように思われてなりません。今までの私は、山は登ることしか考えていませんでした。人生の終点イコール、山の頂上と、なんとなく想っていたような気がします。登ったら降りる。降りたら、また新しい山を目指せばいい。途中で、もっと魅かれる山があれば、分かれ道で進路変更してもいいのではないか、そう考えると、何か「ほっ」として、新たな勇気、気概が湧いてきたような気がします。 (2004年 4月 9日 [金曜日])
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桜夢(さくらゆめ) |
今日は自宅のある阪急芦屋川から、ひと駅、夙川まで電車に乗って、国道2号線に出て尼崎の西大島までバスに乗って塾まで来た。阪神間に在って芦屋川も夙川も桜の名所。六甲差山系を源にしている美しい河川で、桜もほとんどが古木で川床から水面に懸けて覆い被さるように枝垂れる様子は風情がある。町並み、河川、桜の古木がマッチして、わざわざ遠出しなくても桜は楽しめる。山里の趣を求めるには及ばないが、街中の楽しみがある。 日本人はなぜ、桜に魅かれるのだろうか。いろいろな種類があって一様にはいえないけれども、やはりあの色がなんともいえぬ日本人的だといえる。ピンクという原色ではない、そこはかとない色合いというか、城でもなく桃色でもない桜色の、控えめで優しく楚々としている所に、哀愁を感じるのかもしれない。咲き誇った美しさ、それとは対照的な散り際の潔さに、花びらそのものが持つ美しさに想いを加えた美を想像しているのだと思われる。散り際の潔さには、武士道に合い通じるものを見出しているのかも知れぬ。日本人はそのものの良さだけではなく、いろいろなものを付加するのが好きな国民性を持っている。言霊という表現もその現われだろう。「サクラサク」という言葉は、入学試験の合格を意味し、それは目出度さの象徴であり、夢が成就したことをも表す。それは人によっては1年先であったり、時には何年も先のサクラサクを願い、祈り、夢見て日本人は頑張ることができる。花より団子というけれど、桜餅より桜夢。その味わいに、モチベーションを見出せる日本人は美しいと思う。 (2004年 4月 8日 [木曜日])
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自燃(じねん)の夢 |
「新年の 心のカンバス 夢一字」この新年は正月を意味するのだが、この4月も教育関係の人や新がつく人には、例えば、新入社員・新入学者の人にとっては、やはり、新年だ。心燃=心を燃やす。心楽燃=心を楽しく燃やすも、この「燃」を燃料の燃ととらえた場合。心の燃料は、やはり、目的意識、夢であろう。夢・目的・目標がなければ、心に燃える燃料がないということに繋がると思う。燃料の補給は他者から供給される場合と、自分から求める場合。あるいは、自然(じねん)する場合がある。この自然(じねん)が自然(しぜん)にできるようになると、それはとても凄いことだと思う。子供のヤル気は3分の2が、回りの働きかけ次第。大人の自然力(じねんりょく)は3分の2が、本人次第だ。この変化成長のステップアップが、夢実現力の大きな要素となる。変化成長のない人は、大人になっても夢は人が達成してくれるものと思いこみ、自然しない。これは力のあるなしで夢が叶う、叶わないではなく、心構え、考え方、法則を知っているかどうかであると考えられる。私は子供たちに、夢を持って夢を持たせられるように、自然し、子供たちの助燃剤となれるように頑張って生きたい。 (2004年 4月 7日 [水曜日])
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夢現の夢言 |
夢現、夢を実現させるための夢言、夢言語がある。?私の夢は必ず実現する。?私の夢に宇宙の力が働いてくれる。?すべてに感謝をすれば夢は近づく。 「意志が弱くて根気がなくてええ加減」これは過去の私です。今の私はこのような言葉遣いをしません。根が楽天的で、今や「何来無差」=(「なんくるないさ」沖縄の方言、私流意訳で、幸が来ても不幸が来ても天から見れば差は無いという意味)という魔法の言葉を創って自分に言いきかせているので、元気ハツラツです。意志が弱い・根気が無い・ええ加減という否定的な言葉は一切使いません。昔、むかしの勉強しなかった生徒の時代のことです。今では意志の力よりも想像の力、言葉の力の強さを体現しています。ここ二、三年は「死んでもいいと思うぐらい幸せを感じる」ことが数回ありました。その思いを大事にして、今、直向に一緒懸命に生きています。 ???は私の夢言です。皆さんもどうぞ、ご自分の夢言を考えられて、口ぐせのようにいつも言って見られてはいかがでしょうか?60兆ある人間の細胞、意識して動かすことは不可能です。潜在意識に作用させるためには、想像して、言語化して文章化することだと思います。自分の夢を達成して、それを世のため人のためにステップアップしていけたら、素敵だと思います。 ?can, ? will. 私はできる、私はやる。この言葉は私が20代のころから、自分自身に叱咤激励している言葉 (2004年 4月 6日 [火曜日])
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夢を唱える |
「夢と若さと情熱と」おそらく大学時代に自分に言いきかせて、自分自身のキャッチフレーズにした言葉だと思う。塾を始めて卒塾していく子供たちに贈る言葉、色紙に書いてきたのも夢。1981に、子供の教育を考える会をつくって標語にしたのが、「子供たちに愛と夢と勇気を」ということだった。私の側にはいつも夢がある。夢をおいている。それは実現可能不可能とかいうレベルではなく。一種、病気見たいなもので、大中小取り混ぜて、何かそういうものがないと生きて行けない、元気が出て来ないのだ。ある人から言わせれば、それは夢というよりも目標程度のことかもしれない。しかし、私にとってはモチベーションの重要な材料である。例えば、次の5日間以上の休暇が取れるケースが生まれた時、主に5月の連休、8月の盆休みなどに、中国へ行く、アメリカへ行くという予定が立つと、私はそれでもう充分に元気が出てくる。夢が拡がり、志事のエネルギーが沸いてくる。 思考の方向性が決まると、目に入ってくるもの、眼に留まるものが変わって来る。求めるものが向こうから来る様な気さえする。今、11日の「夢語り」という講演を控えて、{思考と言語}について拘っていると、気に留めていると、そような本に出くわす。夢は言語化することによって、1歩前進し実現に近づく。昨日、買い求めた本にもそのようなことが書かれていた。夢を唱えると、潜在意識に作用して行動が生まれ、好循環する。私も初心に戻って、夢を唱えて頑張っていこうと思う。 (2004年 4月 5日 [月曜日])
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愛夢大慶、優吾大敬(I'm OK.You are OK) |
『愛』 愛するということはすべてを受け入れること 愛するということはすべてが溶け合うこと 愛するということはすべてを分かち合うこと 私たちは愛し合うために生まれてきた 私たちは愛を学ぶために生まれたきた 私たちは愛を実践するために生まれてきた 宇宙の神は私たちをお試しになる だから、この世には醜いことも戦争もおきる それは人間を向上させるための天からの試練 本当の愛の強さを知らしめるために 宇宙が授けてくださった贈り物 どんなに悲しいことがあろうとも どんなに苦しいことがあろうとも どんなにつらいことがあろうとも 私たちは決して負けてはいけない 私たちは決して一人ではないのだから すべてを失ったとしても私には愛がある すべてを失ったとしても私にはあなたがいる 宇宙は私たちを光で包んでくれている 宇宙は私たちを気で守ってくれている だから宇宙(てん)を仰いで生きていこう あなたと私のために だから宇宙(てん)を抱いて生きていこう すべてと私のために この詩は私のメール友達の一人である16歳の少女に贈ったものです。愛ちゃんという名前です。とても感性の素晴らしい、明るく元気で「凛」とした可愛い女の子です。眩しいほどに輝いています。中学校の時は不登校をして、お母さんと葛藤をして大変だッたそうです。信じられないぐらい、今、彼女はピュアで元気一杯、周りの人に名前の通り愛を振りまいています。かつての彼女は、自分も他者もすべてを拒否していたと思います。でも、今の彼女は?'m OK.You're OK.なのだと思います。愛と夢は大きな喜び、人の優しさは吾にとって大きく敬うべきこと。という人間にとって大切なことを学んだ。大袈裟に言えば悟ったのだと思います。[?'m OK、You're OK.]は素晴らしい愛言葉だと思っています。自他ともにすべてを受け入れることだと思います。利己主義、自己中心の人はI'm OK,You're not.だから間違いがあるのだと思います。Youは万物すべて、宇宙に存在するすべてのことです。愛ちゃんとは2言、3言しか喋ったことがりません。ほんの2,3分のことです。でも繋がっています。「出愛は神様からのご褒美」感性のふれあいの問題だと思っています。時々、パッと入ってくるメールの詩にハッとさせられて学ばせていただいております。いつも和来和気(ワクワク)しながら・・・。 (2004年 4月 4日 [日曜日])
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繁心待我寿(阪神タイガース)の夢 |
プロ野球のセリーグが春を告げるように、桜の開花と同時に開幕した。伝統の一戦といわれる阪神巨人(関西では巨人阪神とは絶対言わない)が開幕ゲーム。阪神が理想的な展開で逆転勝利をもたらしてくれた。金満巨人対貧乏阪神の気合勝ち。野球は実力があるほうが必ず勝つとはいかないところに面白さがある。打撃力でいくと残念ながら、ご存知の通りオールスターの巨人が上。しかし、昨日の一戦に限って言えば、明らかに「勢い」の勝利。社会の情勢も人生もゲームも、勢いというパワーは人為を超えた「モノ」がある。これは不思議な力で人間の計算外によるところが大きい。勢い=意気雄威(いきおい)=雄雄しくたけだけしい意志、気合こそ物事を取り組む人心として大切なもの、勝負に必要なものだと思われる。繁心待我寿=心を繁らせて我が寿ぎ(めでたさ)を待つ。昨年の大阪はまだまだ、一般庶民に行き届くまでの経済効果を果たさなかった。喜んだのは阪神百貨店だけ。この勢いが3年続いて、関西圏、日本の経済に勢いをつけて欲しい。かつての?9の巨人も、常勝西武も実力もさることながら、勢いを味方にしていた。現役当時、藤山寛美に似ているといわれた岡田監督、今岡・赤星・金本・矢野・井川・伊良部・有明日(アリアス)・檜山・浜中・・・。役者は揃った。日本の明日のために、頑張れ繁心!私たちには明日が有る。経済が豊かになること (2004年 4月 3日 [土曜日])
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1000の夢 |
2004.1.1。お正月より始めさせていただいたホームページ、そして、書かせていただいている365日年中夢求日志も4ヶ月目に突入して、今日1000のカウントを数えました。ネットを通してこの50のおじさんの「日志」をお読み下さっている方に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。2000.10000、100000、私が長生きをして90のおじいちゃんの日志を書いている頃には達成?するのでしょうか。でも、考えてみると、90になっても年中夢求でがんばっているなんて、我ながらちょっと「ぎょ」とする反面、楽しくもあります。字遊人を名乗って書を通じて字を遊ばしていただいて、これをあと35年続けると90歳。一つの事を40年続けたら、自分でもご褒美をあげたいと思います。18にして茶道を志し38年。お点前というお稽古そのものはしていませんが、自分という人間を磨くことが、巧い点前をする秘訣につながると思って、「生きることは茶道のお稽古をすること」だと言い聞かせて関わっています。一つの事を続けることそこに自分を磨く道があると思っています。 (2004年 4月 2日 [金曜日])
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大法螺の夢 |
「世の中で一番悲しいことは嘘をつくことです」これは福沢諭吉の心訓の一つ。子供たちに「嘘をついたことない人?」と聞くと、みんな素直に、バツが悪そうに手を上げない。何と正直な子供たちだろうと、うれしくなってしまう。今日はエイプリルフール、四月馬鹿。馬鹿という言葉がよくないのだろうか、マスコミでもこのことばは遣わないようになってきている。遣わないようになってきている分、現代の人間は嘘つきになっているようにも思える。大風呂敷を引く、大法螺を吹く、大夢を飛ばす。そのような大らかさが欲しいと思う。ユーモアのある、夢のある嘘もある。嘘から出た誠もある。他者に損害危害を与える嘘は困ったものだが、相手を傷つける嘘も許されないけれども、お互いのゆとりの中で受け止められるウソを、育てあうこともあって言いと思う。宇宙的視点でものを申せば、人間が人間界で起きる事において、「責任を取る」ということがよく言われるが、慰謝料という名目で、法的な金員による責任のとり方はあったとしても、メンタルな部分においての責任を問うならば、それは無理だと思う。心で対応して心で許しあうことしか出来ないと思う。今時の日本人、その辺の視点が実にセコイ、世知辛い。その状況で子供たちを育てようとするから、尚更、コジンマリとした、コビンチョな子供が育ってしまう。『私は世界を平和にする人間になる」そんな大法螺を吹いてくれる子供を育てたい。そして、その子の為に 我が英知を授けたい。夢比べ、大法螺大会をしたら、子供たちはどんな大夢を語ってくれるだろうか? (2004年 4月 1日 [木曜日])
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