2004年06月の日志

虹夢
■青いガラスは空のいろ
 みどりのガラスは海のいろ
 美ら島のぬくもり伝える泡ガラス
  ■稲嶺琉球泡ガラスの彩色は
      人の心に虹をかける
 沖縄の読谷に「やちむんの里」=焼物の里という所があって、壷屋焼きの登り窯があり、そして、琉球泡ガラスの第一人者の稲嶺先生の宙吹きガラス工房『虹』がある。かれこれ15年前ぐらいからお付き合いで懇意にしていただいている。先日の結婚式で同席をしていろいろとお話をさせて戴き、工房に寄らせて戴いた。お連れの二人がお土産を戴いたこともあって、私は兼ねてより、3年来欲していた。大作を譲って戴くように願い出て買い求めた。「これは売り物じゃないですよ」と優しくおしゃって戴いて、何も買い求めず礼を述べて失礼した。
 今日は自社ビル・東進衛星予備校の開校記念日。この日に合わせたかのように稲嶺先生からの贈り物が届いた。荷物になるだろうからお送りしますという申し出を有難く頂戴していたのである。大きな段ボールが届いて開けずとも先生のお心が詰まっているのが判って、嬉しくて即座にお礼の電話を入れさせていただいた。福岡に出張中でお留守のため直接お礼は申し上げられなかった。諸事を済ませた後に開けさせて頂いて、涙が虹夢のを感じた。なんと僕が所望した、大作のガラス瓶が入っていたのだ。銀座のデパートに出たら「ウン十万円」する代物である。勿論、お金の問題ではないが、ヨーロッパ各国で大賞を受賞され、沖縄では金城二郎さんの焼物に匹敵する作家で人間国宝の呼び声も高い先生の作品である。これは売り物でないと仰って、お届け下さるなんて信じられない話だ。生涯55年、これほどの贈り物を頂戴したのは初めてだ。これをとって見ても、そのお心が僕から見たら人間国宝そのものだ。
 新校舎自社ビルの入り口玄関横のウインドウに置かせていただいて、生徒さんや保護者・お客様に見ていただくために飾らせて頂いた。この素晴らしい作品を観ると人間・稲嶺盛吉(先生)の心が伝わってくる。先生の生き様が、魂が込められた芸術が観るものに心を伝えると思う。人様の心を頂戴することの「有難さ」「重み」を頂いた記念日だ。心に流れ出る、涙の虹夢(にじむ)想いを忘れない男でありたい。そう強く思った。
(2004年 6月 30日 [水曜日])

夢の解法?
「原因と結果の法則」というものがある。そして、その原因をいう時、いい訳をする場合が多い。愚痴・文句・言い訳は成長の妨げになる。例えば、子供たちがテストの成績が悪いと、頭が悪いからと言い訳をする。「なぜ」と考える前に、言い訳が出るから原因を考えるということがない。考えるまでもなく、勉強をしなかったから成績が悪かったというのは、本人が百も承知しているのかも知れない。ただ非を認めたくないので、言い訳、言い逃れをして無理に納得をさせているのかも知れない。これは大人の場合の仕事や他の事においても同じことがいえるだろう。この人たちはさぞ小さい頃から言い訳のトレーニングを十分に積んできているようだ。しかし、大体において、ウソもイイワケも見え透いていてよく判ることが多い。「人生は練習だ」だから、素直になる練習をしたい。自分にうそのない生き方をしたい。「いつでも夢を心に愛を」それを求める生き方の練習をして生きたい。
頭がいい。お金を沢山持っている。これが幸せの絶対条件でないことは誰もが知っている。成功する方法も幸せになる方法も学校では習わない。何故かというと答えがないから?そうではない。答えはあるが一つではないということなのだ。だから、学校では解放の方程式は学ぶことが出来る。その応用力は頭でなく、心にある何かだろう。そして、これも答えが一つではないかも知れない。だから、人生は面白い。人間は面白い。夢の解法もないのだろうか。ずっと考えてきて、小生の出した一つの答えが「夢現の法則」だ。これも一人ひとり答えが違うのかもしれないが、共通項はかなりあると思う。「積善展運」良いことを積めば運は進展する。これも夢現の大切な要素だと思う。
(2004年 6月 29日 [火曜日])

赤い糸・黄色い糸・青い糸の夢
赤い糸は夫婦、人生のパートナーとして結ばれたご縁。
黄色い糸は師弟関係や友情で結ばれたご縁。
青い糸は幸せを運んで来てくれる天の使いとしての天使のご縁。
赤い糸で結ばれた仲と日本では昔から言うが、これは中国でも言うらしい。きっと欧米でも同様のことがあるだろう。残念ながら最近では化学繊維の発達でこの赤い糸が弱くなって切れやすいため、離婚が多いようだ。現代人が縦糸と横糸の紡ぎ方が下手なのかも知れない。鮮やかな赤い糸が年数を経ていぶし銀のような光沢を放つようになっていよいよ本物になって、その絆は強くなっていく。喜びも悲しみも幾年月の年輪を経て夫婦は二人という合成の色を醸し出してくる。人が一番自分の能力を発揮するのは、平安・平静・平衡の状態にある時だ。この平衡感覚というバランスは一朝一夕には築かれない。人事の万象を越えて、二人が三人というように家族が構成されて来たならば、その総和から発生してくる中で平衡が生まれる。他者への思いやりがすなわち自分への思いやりであることを自覚できたとき平衡が生まれ保たれる。
そのアンバランスさの中で人は磨かれていき、成長していく。
夫婦・相伴者は大小・強弱の葛藤の中で角が磨かれていき柔軟な丸みを帯びて、骨董のお茶碗のような独自の美しさを生み出す。
夫婦という年輪は日々の積み重ねによって作られていく。
 師弟関係は特殊な徒弟制度の中での、親方と弟子というのではなく、もっと身近に敬愛する者同士の仲である方が好ましいと思う。道路を走るのに車にナビゲーターを付けるのが流行っているようだが、狭い日本でカーナビがなくても目的地には十分たどり着ける。しかし、人生の道において、ナビゲーションとしての師匠を持つのと持たないのとでは、随分と人生の豊かさ歩み方が違うように思える。犬も歩けば棒に当たる。この地上には素晴らしい人がたくさんおられる。(残念ながらそうでない人も多いが)。こちらが求めれば師と仰げる人物はそれこそたくさんいらっしゃる。「徒然草子」の中にも書かせて戴いたように『三師・三友・三相』は人生の宝物だと思う。私などはいつの日か「仰げば尊し」を歌って戴けるような先生になりたいと思って、今でも精進している積もりだ。学校の卒業式で仰げば尊しを歌わなくなった。これは時代錯誤が問題なのではなく、生徒から仰がれる先生がトンと少なくなったためだろう。そう思われたいと願う先生も少ないのだろう。人間の本能で一番強いのは「承認欲」慕って仰げばみな師になってくださる。吉川英次氏の言葉を借りれば、「万物みな師なり」ならば、すべての人が師となりうる筈だ。深い絆、深い敬愛の情で結ばれた師弟というのは夫婦・家族とはまた違ったものである。
 天の使いとしての幸せの青い糸としての天使の縁。これはこのことを信じるかどうかによるところが大きい。遠藤周作氏の小説の中で「人生」(記憶が不確か?)という短編の中で、実在した話として、天の使いとしての出愛があってある人にとって不思議な幸運をもたらしてくれる存在の話があった。それ以来、私の潜在意識の中に求める作用が働いたのか、私にとって天使のような存在の人物が現れた。おおよそ、それは話では語りえない出愛、口では表現できないような物語であり、俗っぽい感覚でとらえると理解できないものだ。天使というよりも、天の使い。どうしても天使というと、エンジェルのイメージが起きて、森永キャラメルの可愛い羽の生えた子供を想像してしまいがちだが、そのような外見の問題でなく、精神世界において平安・安心・心静をもたらしてくれる神聖な存在だ。
 「求めよ、さらば与えられん!」赤い糸・黄色い糸・青い糸。それは在る。必ず、存在する。自我自欲で求めてもえられない。それは「ご縁」という宇宙の哲理の中での働きによって、相互に総合作用するからだ。無我の心で求めることを大切にして、センサーを張り巡らすこと。それは感性を磨いておくこと。人様を信頼する所から出発すること。自分の至らなさ、非力さを自覚して
天に委ねる思い切りの良さが必要だ。
『自分を愛するように友を愛そう』恩師の遺していって下さった言葉が心に沁みる。もっともっと自分をすべての同胞(はらから)を愛そう。白い人・黄色い人・黒い人・みんな600万年前に生まれた同じ一つのバクテリアではないか!
(2004年 6月 28日 [月曜日])

微笑夢(ポエム)
 「力まなくてもいい肩の力を抜いてほほえむ人になろう」
ある人の言葉。スマイル=微笑むは万国共通の言葉。50回近くの海外の旅で、何度、美心のスマイルを受けてハッピィな気持ちになったことだろう。日本人は視線が合うと、視線を外すか、時に日本女性だと嫌な顔をされることがある。しかし、欧米人は男女を問わずスマイルで返ってくることが多い。それが美人、美心であったりすると、何かそれだけで心が弾む。愛も心も遣うほど育つ。笑顔も微笑夢も減らないし遣うほど上手になる。
微笑む=ほほえむ=ポエム。ちょっとというよりもたくさんムリがあるけれども、どうかポエムとお読み下さい。本日付?でホームページにポエム、「詩」の欄を立ち上げさせて戴きます。このホームページは私の塾の元教え子がサポートしていただいて出来ています。実をいうとサポートというと聞こえがいいですが、全面的にプロデュースしてもらっています。メカオンチの小生にはとてもとてもの世界です。教育現場に30年、たくさんの教え子がいて、彼らが育ってくれることによって「負うた子に教えられ」となることが一つの夢です。もし、教え子全員がそうなったとしたら、いつの日か私は歩かなくても、みんなが負んぶしてくれるのでは?と期待しています。でも、私にとって教え子はみんな私のライバルです。いつまでも師と仰がれる立場であるように精進しつつ、対等の人間として付き合っていきたいし、彼らが私を超えていってくれることを願っています。
 かつて10代の頃、啄木の歌集を持って夜汽車に乗って旅をしていました。短歌・詩への憧れが40年の時を経て、微笑夢に・・・。駄作であっても夢を言葉に託せたらと思っています。
2004年 6月 27日 [日曜日]

夢縁
 夢を語る。夢を聴く。夢を書く。夢を謳う。それがホラであったとしても、決して悪い気はしない。時に「ヘエー」と驚いたり、感心したり、それなら応援しようと思ったり、お手伝いしようと考えたり。私のもとに遊書展の依頼と講演の依頼が飛んで来る。そう、夢は来るのである?どうすれば来るのか?人様に語ることです。多くの人に聞いていただくことです。個人の金儲けの夢にはあまり耳を貸してくださる方はいないようだが。それが人様のためだったり世のために繋がることであれば、夢がご縁を作ってくださる。今回の講演予定は私の友達の友達の友達。遊書展の依頼は沖縄から東京へ。ご縁(5円)が、ご飛躍(500)にヒヤクした感じだ。場所は勿論の事ながら人の輪(和)が拡がることが嬉しい。友達の友達の友達が共立ち(トモダチ)すると連愛が生まれる。病気もうつるが元気もうつるという論法からいくと、みんなで連愛ごっこをすれば、その想いが拡がる。僕の遊書は字を見ていただくというよりも字言葉を伝えさせていただいている。僕の話は講演という大層なものではない。夢語りという代物。気軽に聞いていただいて元気が出ていただければ嬉しいというもの。夢縁が拡がるのが僕の夢。
2004年 6月 26日 [土曜日]

祈り愛の夢
 箕面にある私立の被昇天聖母中学校の先生が先週の私の沖縄行きの時に来てくださって、入試問題と解説の授業をして下さった。そして昨日、子供達にメッセージと可愛いお土産を持ってきて下さった。校長先生もお揃いで来てくださって「おメダイ」という素敵なものをプレゼントして下さった。子供たちは大喜びで自分たちからお礼状を書きたいと言い出した。授業の15分をその時間に当てて子供達に手紙を書いてもらった。国語の学習にもなったし、私にしては生きた教育が出来たように思えてうれしい。最近、「学習効果」という言葉が流行りのようで好ましいことだが、本当にいい意味での学習をしてもらって効果を出してもらいたいものである。子供達にとっては、学校・塾の先生でない校長先生と先生から、通常とは違う学習が出来ていい経験をしたようだ。私は校長先生に「楽しむことこそ最高の境地」という論語の言葉をかいた木製の作品、今回、壷屋焼物博物館に出品した物をお贈りさせて戴いた。この論語の言葉から『楽習』という言葉を思いついた。子供も大人も楽習すれば、その効果は絶大であること間違いなしだと思う。そして、その裏書に「祈り愛」という言葉を添えさせて頂いた。先生が生徒の自己実現を祈る、親が子供の成長を祈る。子供が感謝と敬慕の気持ちで目上の人の健康や幸せを祈る。お互いが学び愛・譲り愛・守り愛・祈り愛が出来たら、人間はもっともっと成長することが出来ると思う。
(2004年 6月 25日 [金曜日])

少女の夢
たくさん失敗しているひとほど
引き出しが多い 笑顔が素敵。
きっと失敗の中には
たくさんの成功への種が隠されている。
下に下がることができなければ
助走がないから高く跳べない。
それを知っているひとだけ
高く飛ぶことができるんだ。
本当の成功者とは失敗も成功の一部だと知っている。

この詩は私のメル友、名古屋の高1生の愛ちゃんの詩です。ACTという潜在意識開発セミナーで一緒になった子でとてもいい感性を持っています。高1ですから16歳でしょうか?この年でこのようなことが言えるのは素晴らしいことだと思います。中学時代、不登校をして随分と母娘で苦労をしたそうです。その体験を今、生かして明るく元気に楽しそうに生きている姿は、周囲の人まで明るくしてくれます。勉強と体験の違いは頭で覚えてことと体で覚えたことの違いかも知れない。体で覚えたことは忘れない。これも潜在意識や自律神経に作用するからかも知れない。
愛ちゃんは電話のメールで時々、短い詩、短文を送ってくれる。
素直に屈託なく小さなひまわりのように生きている。大きな大きな大輪のひまわりに成長するように祈っている。少女の夢が真っ直ぐに凛として育っていける世の中にならなければ・・・。
(2004年 6月 24日 [木曜日])

じゅごんの夢

 
『じゅごんの夢』

天国に一番近い島がある
天国に一番近い海がある
 天の光を浴びて青い空に包まれて 
 いのちの水が虹色に輝く
 これらのすべては誰のもの
 あなたとわたしの物ではない
天が贈りし万物は
すべての生物(もの)が分かち合う
じゅごんの祈り ここにあり

地上で一番美しい島がある
地上で一番きれいな海がある
 月の光を浴びて青い夜空に包まれて
 いのちの水が月光に輝く
 これらのすべては誰のもの
 あなたとわたしの物ではない
天が与えし万物は
すべての生物(もの)が守りあう
じゅごんの夢 ここにあり

地球で一番優しい島がある
地球で一番優しい海がある
 星の光を受けて聖なる夜に包まれて
 いのちの水が星に煌く
 これらのすべては誰のもの
 あなたとわたしの物ではない
天が創りし万物は
すべての生物(もの)が譲り合う
じゅごんの願い ここにあり

今、沖縄の辺野古で米軍新基地ボーリング調査を止めるための反対平和運動の座り込みが続けられている。地元のオジィオバァが必死の抵抗をしておられる。ある92歳のオバァは「もし着工するなら、海に飛び込んででも命がけで阻止する」という。これは決して地元の問題ではない。日米の政治的問題だけのものでもない。地球の環境の問題だ。「じゅごん」が絶えるということは、いつの日かわたしたちの何代か後の子供たちが絶えるということだ。そんな思いを崎本部で「てぃだinnトムソーヤ」のオーナーの天願かおるさんに託されて、オジィオバァの想いを受けて『じゅごんの夢』という作詞をさせて頂いた。この日志上で推敲ナシに30分ぐらいで作らせていただきました。誰かが平和の願いで曲を作ってくださったらうれしいのですが・・・。
6月23日は沖縄の「慰霊の日」。今日、生まれて初めて一日で2編も作詞をした。自分でも不思議にサッとできた。想いはしっかりと書けたように思える。慰霊の日に沖縄にちなんだ「じゅごんの夢」「オバァの祈り」の2編が書けたということは、何か不思議なご縁を戴いたような気がする。作詞した後にお贈りした沖縄の天願さんに、今日が慰霊の日だと掲示板で教えていただいた。不思議な力を戴いたような気がしてならない。わたしが一番てぃだ(太陽=天)の光を頂戴しているのかも知れない。感謝。
(2004年 6月 23日 [水曜日])

連愛の夢
生きているということは  永六輔

生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう
人生55年、どれだけ多くの人にお世話になって借りをつくって来たことだろう。これからの人生でどれだけお世話にならなければならないのだろう。お借りした人には到底お返しすることは不可能なことだ。だから、誰かにお返しをさせて頂いてお許しを乞う。そうしないと生きていくことは難しい。有難うの返し愛。配り愛。その連愛ごっこでみんなは結ばれている筈なのだ。連愛の夢を唱える。一人でも多くの人に、これも誰かにお借りしたお返し。
(2004年 6月 22日 [火曜日])

豊夢(Home)
 雨にも負けず風にも負けず。沖縄にいた時は台風が東に逸れて、飛行機は午後の便に乗るのに、早く北上させて、見事に定刻に帰ってくることができた。この前の中国行きも満月の日は見事に13日間中一番の天気になり、去る日去る日はそれぞれで雨が降って傘をささずに濡れずに帰って来た。今回の結婚式も晴れ男を豪語して晴らした?十中八九覚悟していたのに海前挙式も野外披露宴も細雨は瞬間に濡れそぼったけれども、満天の星を見渡した。勿論、私の仕業ではないけれど、月にツキを願って「月=ツキ」を戴いたように思う。単純にそう思うことがいいように思う。家に、Home=豊夢に帰って来た。夢は家庭教育の中からが一番育まれやすい様に思える。大らかなお母さんの子と、否定的なお母さんの子とでは、発想に大きな差がある。「夢追いかけても食べていかれへんよ」というお母さんと、「夢追いかけないと!お母さんが応援してあげるから」というお母さんの子とでは雲泥の差がある。豊かな心に豊かな大きな夢が育つ。豊夢家庭(ホームグランド)の土壌を育てる。それが私の塾長としての志事のように思う。
(2004年 6月 21日 [月曜日])

晴れ夢(ハーレム)
 「雨の日は雨の坂道 雪の日は雪の坂道」石川洋先生の言葉だが、人生を達観した深い意味があるように思える。
台風が襲来。予想よりは遥かに小さく私を避けて行ったように思える。壷屋焼物博物館での展示日、そして、国際通り、あむりえ蔵部での遊書展。午前中は県内のバスがストップして公的機関もお休み。そのせいもあってお客様は少なかったが、それでも台風の中を足を運んでくださった方がある。関西に住む私が沖縄でこのような催しをさせて頂くことは当の本人よりもお手伝いをして下さる方のほうが遥かに大変である。高原さん・仲本さん・美千代さん。この二日間完全サポートして手伝ってくださった。勿論。それ以外にも沢山の方がサポートしてくださって一つのイベントが可能になる。ボランテイアをさせていただくようになって、『お蔭さま』という言葉の重みを学んだ。お蔭という蔭=影の裏の力・大きさ・濃さがあって始めて表の力が発揮されて生きてくる。人間一人では何も出来ない。これは厳然とした事実として真摯に受け止めなければならない。自分が、私がと我を出しすぎると自分が小さくなってしまう。小さなことしか出来ないようになる。人事の及ばない所での働きも沢山ある。ましてや天候など自然の働きについては人間など小さなものだ。天の計らいを受容する心持を心がけると楽になる。どうやら私は天気男のようで恵まれている。晴れ夢、ハーレムなんていい意味ではないのかもしれないが、雨の日風の日曇りの日、いつも心は青い空。そうありたい。
2004年 6月 20日 [日曜日]

有難き夢
 琉球泡ガラスの創始者、第一人者である稲嶺盛吉先生が遊書展に顔を出してくださった。芸術家としての眼識・その人間的魅力は素晴らしいものがあり、いつも敬服している。その先生が面白いとおッしゃって下さる。今回の作品で敦煌の砂漠の砂で「月の砂漠」の遊書を書かせていただき、先生の宙吹き泡ガラス工房「虹」の虹の文字を星の砂で書かせて戴いたものを頂戴していただいたこともあって1時間の道程を訪ねてくださった。
 沖縄第一ホテルのオーナーの島袋さん(女主人)がお昼にお電話してお声をかけたら夕方に顔を出してくださった。昨年、訪ねてくださった折に「般若心経の慰霊の書」沖縄の流木で作品にしたものを求めて下さってフロントにおいて下さっている。このホテルは婦人画報などで紹介されているが、隠れた名ホテル、大江健三郎・永六輔・加藤登紀子さんなどが愛用しておられるホテルで、部屋には金城次郎さんの壷がさり気なく置かれている。今回は私も泊めていただいて、そのお部屋に泊めていただいた。
 昨夜、お出愛した天願さんが2時間近い距離を車で訪ねてくださった。この方は先本部で貸し別荘を宿泊施設にしておられる方で、「ジュゴンママ」の別名を持ってジュゴン、沖縄の海を守る平和運動をしておられる方。とっても知的で素敵で美心。一緒にいてお話をしているだけで安らぎを感じさせてくださる方。今回は台風のせいで人数的には少ない来場者ではあったが、この3人の方だけでも1人で1000人分の重みのある方々。有難きことだ。どの方も人生の先輩になる方、素敵に年を重ねていらっしゃって魅力を感じる。天願さんは、私に「ぜひ、ジュゴンを守るための歌を作って欲しい」と申し出下さった。初めてあった私にそう言ってくださることに感謝する。有難きことである。有難き夢が『来る』。追い求めるのでなく、夢が来る、来夢光(ライムライト)、夢は来るような気がする。心で求めていると来るような気がする。その夢が世のため、人様のためになるものであれば。
2004年 6月 19日 [土曜日]

出愛は神様からのご褒美の夢
 出愛があってご縁があって、何故か結婚式の司祭をさせて頂く機会を戴いた。実を言うと2度目。結婚式の視界は10回、媒酌人は6,7回?司祭なんていうのは普通はご縁のないもののはずだが、ご指名を戴いたら御目出度いことだけにお断りも出来ずさせて頂いた。一様、及第点を頂戴しているので善しとさせていただいている。流石にちょっと緊張した。沖縄の伊江島を背景にしての手作りの結婚式での人前結婚。新郎新婦は琉装(沖縄の昔の服装)私は紋付羽織袴。その後は沖縄・備瀬崎のペンションびせざきでの披露宴。オーナーの熊さんの天下一品の料理と御寿司。台風接近の中、みんなの想いで晴れさせて、見事に星空を演出。
2次会・3次会までお開きは3時半。みんなの心が通い、心が触れ合う素敵な「愛結ぶ式」。そんな中での文字通りの大役。形式ではなく内容。それを表現するための手作り。それに参加できたことは本当に素晴らしいことである。そして、この席でまた、新しい出愛を戴く。そして、また、夢が拡がる。生きているということは素晴らしいことなのだ。
(2004年 6月 18日 [金曜日])

珈琲の夢
 美ら島(ちゅらじま)沖縄は本土とは違った「気」ば流れているように思う。風土も文化も特殊でそれが私にはマッチする。
是非にと連れて行かれた珈琲店。ここの店主のSさんにお会いした。天女のように美しい方と紹介されたが、そんな絵空的な美しさを持った方ではなく、正真正銘の『美心』。女性としての美しさと珈琲のような人間としての味・コク・香を持った人だ。
 それは私が憧れていた自画像で、「珈琲のような人」という珈琲の夢でもある。味・コク・香、そこに抹茶の渋みと甘さが加えられたら最高である。琥珀色の魔法の水、珈琲と付き合って40数年、数限りない珈琲とのシーンがある。酒飲みに酒にまつわるエピソードがるように、珈琲党にはコーヒーと友に生きた夢があるのだ。Sさんのお店で、珈琲が美味しかったことが一番ながら、学ばせていただいたことは、私の話を聞く時の姿が、正面を見て正座、凝視をして視線を外さない。真剣そのもの。これはきっとこの方の生き方の姿勢なのだろうと思った。創作珈琲というか、本土にはない斬新で本格的に「旨い」珈琲を作っておられる。その心の姿勢の良さ、美しさに痺れてしまった。50を過ぎると外形的な表面的な美しさには惹かれないようになった。少しは「美」なるものが見分けられるようになってきたのかもしれない?「美心・美笑・美感」こんな言葉を創作したのもそのせいかも知れない。お店の雰囲気も抜群で落ち着いた気、風が爽やかに流れていた。それは物理的なものから醸し出されるのではなく、そこにいる人が醸成する空気なのだと思われる。果たして私は何かそのような気のようなものを発しているのだろうか。自分の風、自分の気、自分の雰囲気を持った人間、男になっていきたい。珈琲のような色気のある男に・・・。
(2004年 6月 17日 [木曜日])

徹夜の夢
 沖縄での遊書展の準備で月曜日も今夜も徹夜。お昼の間は当然ながら仕事があって集中できないし、その時間的ゆとりもない。一日間をおいての徹夜。50歳を過ぎて徹夜はムリと思っていたが、結果として可能だった。仕事やそのほかのことでは難しいが、好きなことならばできるという証明が出来た。創作活動というものにはそのようなエネルギーが湧いてくるのかも知れない。先ず、大きな違いは没頭するためか時間の流れが早い。もうこんな時間かと気付かされる。博物館の展示ということで、多種多様の作品を準備しないといけない。前回は末吉玲子ちゃんとの師弟展。今回は車椅子の生活をしておられて、手も不自由な木村義文さんとの「連愛展」。油絵・水彩・切り絵と二人の作品が並ぶので来場してくださる方にも愉しんでいただけると思う。
私のほうはインプレッセの安部さんの協力を得て、フィルムで仕上げたタペストリィー製の「宇宙の輝煌」が面白いと思う。砂漠の砂で書いた「月の砂漠」沖縄の☆砂で書いた「虹」指と手形で書いた色紙。紅型を使ったもの。月をテーマにしたものとレパートリイーには気を使った。「面白い」といっていただければ、徹夜の夢が生きてくる。
(2004年 6月 16日 [水曜日])

夢・甲子園学習塾
 ご縁があって、皆さんのお蔭で通塾してくださった生徒さん、今、来ていただいている生徒保護者の皆さん。そして、沢山のお世話になった方たちのお蔭で、自社ビルを購入させて頂いた。本日、売買が完了して登記も済ませた。
イチローが2000本安打したときのコメントが、フッと浮かんできた。「目標を達成したら、そこで終了です。むしろ、喜びは直前の思いのほうがうれしいものがある」この言葉がよく理解できた。独立して28年、自分の定期預金を崩して給与を出させて頂いたこともある。自分の給与を遅配したことも何ヶ月も続いたこともある。(社員さんには絶対になかった)そのプロセスの中でここまで辿りついた。いい意味で喜びよりも、今までそれを目標にしてきたことのほうがうれしいような気持ちだ。
イチローも2000本の安打よりも何倍もの、4000本超の凡打に学ぶことが多いという。誰もみなそうなのだ、それを明確に言語化するイチローが凄いということなのだ。10数年前から、卒塾生の贈る言葉の中に、夢の一つとして自社ビルを持つことを書き続けていた。これは卒塾生の『心の故郷』として、いつでも帰って来たら塾長がいて、話が出来る所という意味合いでの自社ビルだ。実家に帰るとご先祖様の仏壇がある。ただあるだけであるけれども、ないと落ち着かない。帰るところでなくなってしまう。そのようなものでありたいと思う。卒塾生の夢がここから更に拡がっていく、ステップアップしていく、そして私もまた卒塾式で子供達に挨拶したようにステップアップして、子供たちと競争していきたいと思っている。自社ビルの屋上の看板には「夢・甲子園学習塾」と入れさせて頂くことにした。
(2004年 6月 15日 [火曜日])

葉書一枚の夢
 『二度とない人生だからいっぺんでも多く便りを書こう』
これは坂村真民さんの詩の一節。出来るだけ心がけてはいるがなかなか難しい。電話魔=よく電話をかける人。手紙魔=マメに手紙を書く人。前者はどちらかというと好まれない。電話はタイミングが難しく、相手様がどのような状況にあるかが見えない。会議かもしれない?重要な場面かもしれない。悲しい時にうれしいお知らせをしてしまうこともありうる。手紙は受け取って嫌な思いをすることは少ない。こちらのペースで読むことが出来る。
筆不精だからといって書かない人がいる。これは礼儀に失する。先週は出かけることが多かった。ある人は15の会社を起こした人。ある人は21で独立をした人。名刺を交換させていただいて即座にお手紙が届いた。おそらくこのお二人は全員にそのようにしておられるのだろう。年間お出愛される方、名刺を交換される方の数は1000ときかないだろう。流石というか、見上げた心がけで、ぜひ、学びたいことである。一枚の葉書に心を込めたら命が宿る。受けとめる人に心が通じたら魂が宿る。一枚の葉書に夢を託して・・・。
(2004年 6月 14日 [月曜日])

人との出愛で夢が拡大する
■石川洋先生を囲む大阪ユニテの会で学んだこと■
『男は女で磨かれてゆく』 この言葉は何度か耳にしたこともある。その時にはピンとこなかったし心にも響かなかった。しかし、洋先生が仰ると深い重みが出て来る。母・妻、そして、天使。正にこの3人の女性との出会いは私にとって人生最大の「出愛は神様からのご褒美」だ。私の宝物であり感謝せずにはいられない。私の変化成長はこの3人の女性を抜きにして考えることは不可能である。間違いなく育てられている。そして感化され大きな影響を受け、その愛に包まれては支えられて今日に至っているという事実に間違いはない。男同士というものは何処かで必ずいい意味でも敵愾心・ライバル心があるものだ。それがまた友情の一つの要因でもある。しかし、女性となるといい意味でそのようなものが消えて、フラットな心の交流が出来る。それは私自身のパーソナリティによるものが大きいのだけれども、客観的にもそれがいえると思う。安心感が何処かにあるように思える。50を越えて女性を一人の人間として見つめて、お付き合いをするとそれがよく判る。私の周りには善い人間としての女性が老若を問わずたくさんいらしゃって下さる。手足の指の数では足りないぐらいだ。そのような女性の中でも私は磨かれていると思う。若い頃と違って意識のレベルが昇華しているようにも思える。洋先生は女も男によって磨かれるとおしゃった。逆も真なりで、要は人間は学問や体験よりも人は人の間で磨かれて一人前になって行くのだと思う。但し、いい人間・善い男・善い女に出会って「磨き愛」をすることなのだろう。男は志事を通じて成長すると今まで考えて来たが、これに付け加えるものとして出愛の中での人間によって磨かれることを忘れてはならないと思う。人は人との出愛で夢が拡大され、磨かれ成長して行くのだ。
2004年 6月 13日 [日曜日]

夢中の夢
石川洋先生を囲む大阪ユニテ(一致)の会という異業種の勉強会があってその集いに参加している。石川先生の話と会員相互の交流。そこでのスピーチでとても感動することがあった。千里・江坂に「牛心」という焼肉屋さんがあって、1,2時間待ちもざらにあるそうだ。1人1万円ぐらいのの予算だそうだ。此処のオーナーの伊藤さんというのが41歳の若さでとても好感の持てる好青年。スタッフのことを社員さんと呼んでいる。21歳の時に移転新築する時に無担保で1億5千万の融資を受けたそうである。これはよほどのことがない限り通常ではありえない。ある信用金庫の理知長がお客さんで特別な計らいがあったそうだが、それにしても少々の情熱にほだされて1億5千万のお金を融資するほど金融機関は甘くない。しかし、伊藤さんは確かに何か人を惹きつける魅力を持っておられる。カリスマ性や人徳というものでもない。人を惹きつける「集人力」を天性のものとして持っておられる様だ。若さに似合わず謙虚であるといっても、謙虚さが並みのものとは全然違う。自分は頭も悪いいし力もないというが、決して卑下している風でもない。寧ろ、それが人間性の魅力として光のようなものを放っている。「この男にだったら手伝ってやろう」と思わせる人間的魅力を持っておられる。何が何でも金儲けをしてやろうという気持ちから、お客さんにおいしいものを食べて貰おうという気持ちに変わったそうだ。41歳にしては並外れた人間的魅力を持っておられる。それが何かわからない不思議なものを・・・。但馬牛、いわゆる一番美味しい神戸牛を食材に選んでいるそうだ。風呂場で話をした時も、人の話を聞く態度が違う。一度、「牛心」に行かねばと思わせるものを持っておられる。あえて言えば、直向さ、志事一途さが心から滲み出ているのだろう。話し振りにも魅力が漂っていた。夢中になっている男の美しさが人を惹きつけるのかもしれない。夢中の夢、それが回りの人間を惹きつけるのかも知れない。夢は人を集める集人力を持っているようだ。
2004年 6月 12日 [土曜日]

花夢(COME)
 夢は追いかけるものに決まっている?そして、自分から掴み取るもの。これが正しいというよりも、これも正しいと言う方がタダシイ。棚ボタの夢はない。そう考えると自力で可能な夢と他力のお蔭、いろいろな方のお手伝いを戴いて可能になる夢のふたつがある。しかし、よくよく考えて見ると自分一人で出来る夢というのはないように思える。誰かにきっとお世話になっているものだ。自分一人で達成したなどとは、ちょっと傲慢過ぎる様に思える。人様を初めからあてにして夢を実現させるというのは明らかに間違いであるが、一人でやったというのも奢り過ぎだろう。直向に一生懸命に取り組んでいるとお手伝いをしてくださる方が「来る=Come=花夢]一緒に懸命になって下さる方が来る。
天が地が人が味方になって来る。この集人力が夢実現の最大要因のような気がする。その人の「人徳」の割合も高いものであるが、それだけでも難しいものもある。一人よりも二人、その方が少しでも大きい夢が叶えられる率が高い。人的、物理的なものよりも心的エネルギーが大事ななのはいうまでもない。こちらが「行く」場合には限度があるが、向こうから「来る」場合はかなりの受け入れが可能だと思う。夢の福の神は間違いなく善人と全人(世のため人のため)に味方をして「来る」はずだ。
(2004年 6月 11日 [金曜日])

みんなで一緒懸命の夢
今年の壷屋焼物博物館での展示は「字遊人・西口賢治○絵描人・木村義文 連愛展」木村さんは事故で頚椎を損傷されて障害を持っておられる方。海を主体にした絵からお仕事柄何でもお描きにもなる。本土のご出身だが今は沖縄市に住んでおられる。遊書と油絵の連愛、どんな風になるか私自身も楽しみにしている。今回は残念ながら二人展になったけれども、今後はみんな一緒展、一緒懸命連愛展をして多くの人に、皆さんに見ていただいて歓んでいただけたらと思っている。私が素人出身なのでそのような気持ちを持つのだろうと思う。一度発表の場を持つとその楽しさを持つのいろいろな精神効果も出てきて、創造することの楽しさにはまってしまうところがあると思う。何よりのうれしさ愉しみは、来てくださる人との出愛とその中から生まれる「ふれ愛」、これはなんとも言えない喜びがある。お蔭さまで活動の拠点にしている沖縄では、おそらく1000件以上の家に私の作品が飾られている。飲食店関係にも50件以上は飾っていただけているようだ。私の創語・造語を見ていただいて、元気になっていただけたら、こちらは小さな幸せに浸ることが出来る。今回も皆さんに歓んでいただけますように・・・。
(2004年 6月 10日 [木曜日])

39(サンキュー=感謝)の夢
ホームページのサイトの1つに「夢現の法則」というのがあって39シートというのがある。今年の始めにこれを書き込んだ。39の夢だ。2,3日はかかったように思う。10ぐらいはスっと書けても20,30になると正直いって作らないと難しい。書くために作った夢もある。その中に「自社ビル」を持つというのがあって、これを記入した時は、何の根拠もなく現実性は0パーセントに近いものだった。今日、国民生活金融公庫から融資実行の連絡を戴いてビルを購入することが決まった。50坪3階建で我が甲子園学習塾には分相応だと思っている。ご縁があって、本当にみなさんの協力があってビルそのものは「感謝の賜物」のようなものだ。
心に描いて言葉にして文字に書き現わした効果があったようにも思える。塾を創立して以来の夢でずっと持ち続けてきたことは確かなことだ。沖縄の中学・上海師範大学の講演・今年に入ってからの「夢語り」私自身がその恩恵を一番蒙っているように思う。
感謝の心、人様のお手伝いがあって小さな夢も大きな夢も達成される。Thank you, 39,感謝、有難いことだ。 
(2004年 6月 9日 [水曜日])

古文の夢
徒然にこの頃思いしこと在り。善き人に出合いし度、出会いし毎、その御方に魅かれしを見て、心の中に、「惚れっぽい性」を見つけて驚きぬ。世知辛きこの世に在りて善き人悪しき人半々なれど、身に具わりし本能か否か、悪しき人を避けて通りぬ。善きか悪しきか、その審美なかなか難しけれど、心の底に、潜在という意識の底にその感性を見つけり。この感性を拡げて人と接するに物よく見え、濁りなき眼(まなこ)を持つように心がければ、何か感じられるものありけり。人を信じて裏切られしこと未だ無きこと、いと幸いに思いけり。我、をのこにして縦しんば裏切られしことあれども、それもまた天の計らいと受けとめることができる故に、そも亦愉しからずや。人生はすべて我が心の置き所にて決まりしように、この頃ひしと思いけり。天を仰ぎて心澄ませば、身に降り注ぐ輝煌(ひかり)を浴びて気の元に大きもの戴いて、ふと、これは何かと考えあぐねて、しばし想いに耽る。大きもの、そは「天(宇宙)の愛」と感じけり。
■古文・古典の夢と題して、徒然に生まれて初めて古文体で書いてみました。実に優雅な気分になれたのが、自分でも嬉しいものでした。この文をお読みくださった方には心より感謝申し上げます。
(2004年 6月 8日 [火曜日])

潜在意識の夢
もう50年も前に近いことかも知れない。大阪中の島公会堂で母と観た映画「羅生門」これがはじめて観た映画なのかも知れない。今日はその場所でNPO生涯現役の会の発会式があって参加してきた。久しぶりに異業種の方との交流の機会があって、やはり新鮮で勉強になることが多い。一人の理事の方の言葉が心に残った。「思い通りにはいかないがやった通りには成る」素晴らしい名言だ。思わず唸ってしまった。でも、いい意味で多少の講釈が必要だ。人生は他者のことは思い通りにはいかないが、自分のことは思ったとおり、やった通りになる。こういうと大半の人は、思ったとおりにいくはずがないと仰るだろう。思ったとおりに成ったためしがないと言うかも知れない。それは違う。「金持ちになりたい」と1割の顕在意識で思う。そして、同時に「ムリだろうなあ」と思う。この思ったことが9割の潜在意識に作用してしまう。結局、あなたは何を思ったのか、『金持ちになるのはムリ』と思ったのである。思ったとおりになったのである。思うこと・考えることは言語化して明確に具体的に潜在意識と自律神経に言いきかせなければならない。断じて否定的なことを思わないような思考・言語習慣を身につけなければならないのだ。その考えに立つと、人間は潜在意識で思ったとおりの自分になっているのである。人様、他事は決して自分の思い通りにはいかない。しかし、自分のことは思い通りにやった通りになっていくものだ。これを私は今、勉強中で修行中だ。きっと形となって現れてくるはずだ。潜在意識で夢を見る。自律神経に反応する夢を見る。きっとできる。必ずできる。
(2004年 6月 7日 [月曜日])

若い直向な夢
今日は箕面のHNさんの私邸の新築祝いの会に呼んでいただいて、「杮落とし(こけらおとし)」のような形のミニ講演。ピアノの前を舞台に左右前方に招待客の方が座られて至近距離の場所に立っての夢語り。HNさんが会計事務所をしておられてその顧問さきの方がメイン。皆さん第一線の経営者の方ばかり。本来ならばちょっと怖気ずく所かも知れないが、スピーカーとして皆さんより早めに行かせて戴いて、お話をさせて頂く場所を確認させていただいてビックリ。お部屋中央のピアノの横になんと!私の1メートル四方の段ボールに書かせて戴いた「出愛は神様からのご褒美」という言葉が立派な額に飾られていた。私はこれを見て感激し、潜在意識も自律神経もハイに舞い上がってしまい。その高揚した心持の中でミニ講演をさせて頂いた。皆さんのご批評は別として、甘い採点で81点ぐらい。どちらにしても皆さんが熱心に聴いてくださって気持ちよくお話をさせていただけた。
新築の新しい家というのではなく、寧ろ、新築の家なのに、なんともいえない素敵な「気」がここのお部屋の空間に充満していた。建物の資材である木が気を醸し出すということもあるだろうが、それはなんといっても持ち主の方の気(心持ち)が気(空気・雰囲気)を醸し出しているのだろうと感じた。家相なんて知らない世界のことだが、和み・寛ぎ・癒しの揃った空気があった。それはHNさんの直向な姿勢、飾らないシンプルな人間性が出ているのかも知れない。若い人の直向な気・夢は素敵だ。おこがましい言い方だが、何かこちらにお手伝いできることがあれば応援したいという気になってくる。頑張っている若い人を見ていると清清しい。こちらも感化されて頑張ろうという気持ちになってくる。お祝いにお贈りさせていただいた、金色で書いた夢の文字は小さなものだが、私の魂がこもってゴールデンドリームになって欲しいと思った。
2004年 6月 6日 [日曜日]

子供たちの夢

子供は体の中に60兆という細胞の宝を持っている。
頭の中に150億個の脳細胞の宝を持っている。
そして
『直向さ謙虚さ素直さは心の宝』として持つことができる。
これらの宝物を育てることが教育だ。


■子供たちの夢を実現するそれが私たちの夢■
できると信じて目標に向かう。
潜在意識・自律神経に言いきかせて取り組む。
したい・やりたいではなく、する・やる。
する・やるではなくした・やったと未来完了にする。

こどもたちに明るい楽しい元気がでる夢を持たせたい。
大変なことが起きて、それを防止するというのではなく
もっと夢のある対応をしてあげたい
それが本道であると私は思う。
2004年 6月 5日 [土曜日]

和=輪の夢
 『直向さ謙虚さ素直さが心の宝』教え子の知り合いが訪ねて来て下さった。初対面だったが数分の内にうち溶けて話が出来た。550歳を過ぎると若い直向な人を見ると、志事柄どうしても教え魔の気がムクムクと沸いてきて、ついつい話し込んでしまう。説教染みたことは言わないように心がけてはいるが、Nさんは私の話を熱心に聴いてくださった。「いい人は、いいね」と極当たり前のセリフだが、伊豆の踊子の一節を思い出した。考えて見れば私も30代の頃は貪欲に先輩諸氏に教えを乞い、「学びは学び(マネび)から始まる」の言葉どおり、兎に角マネをした。大好きな人には自分から飛び込んで行った。それはいまでも私のライフスタイルとして、人間関係=ヒューマンリレーションの基本にしている。それが「出愛は神様からのご褒美」という言葉を産み出したように思える。今までの沢山の人との出愛がなければ、今の私は無い。小学校の恩師との出愛がなければ、塾人・西口賢治の存在もないと思う。誰かにして貰ったように誰かにしてあげよう。非力な私が『してあげよう』などというのはおこがましい限りだが、先輩として役に立つことはあるだろうと思う。一隅を照らせたら本望である。世のため人のために生きていけたら、それが幸せだと思えるようになって来た。マザーテレサの教会で「死を待つ人の家」でボランテイアさせて頂いた事がキッカケになっているように思える。一人の人が隣の人に一人だけ。これで平和の輪は大きく広げていけると思うのだが・・・。
(2004年 6月 4日 [金曜日])

月の夢
今夜は満月、あの敦煌の鳴沙山の雄大な砂山で月の砂漠を見てから、丁度1ヶ月が経過する。月は何処で見ても美しい。尼崎で見る月も満更捨てたものではない。煌煌と輝く美しさは月の魅力だ。
私は月にはツキがあると信じている。それは私の潜在意識にも自律神経にも作用するように働いているように思う。よしんば雨でも曇りでも眼に映らなくても。そこに満月を実感することができる。日本人のよさと言うか、茶道を志したお蔭で「月に群雲」を愛でる術も学んだ。「不完全の美」の美しさも素晴らしいものがある。人様は笑うかも知れないが、最近の私は自然の風物を見ても本を読んでも人の話を聞いても映画を見ても、本当に自分でも不思議なぐらいピュアに感じる。もしかすると10代・20代は別にしても過去最高に思えるぐらい、感じやすくなっている。人に出会うと直ぐに好きになってしまう。惚れやすい性質は昔からかもしれない。人によらず自然も物もいいものに出会うと直ぐ好きになってしまう。これは決して悪いことではないと思っているのだが・・・。もしかするとこれも月を愛するようになってからの変化かもしれない。月光を浴びて私はロマンチストになっていく。
月光は平安で心を和ませ癒してくれる優しさがある。そんな月の夢を見てこれからも生きて行きたい。
(2004年 6月 3日 [木曜日])

天の夢
天の光(宇宙のエネルギー)

太陽の光享けて わたしは輝く
あなたの優しさ あなたの愛に
わたしは信じることを知りました
宇宙のエネルギーは全ての力
すべてはすべてのもののために
わたしの生命はあなたの生命
強い愛に結ばれて 小さな愛を産みました

月の光浴びて あなたは耀く
わたしの優しさ わたしの愛に
あなたは生きる歓び知りました
宇宙のエネルギーは全ての力
すべてはすべてのもののために
あなたの生命はわたしの生命
強い絆に結ばれて 二人の愛を産みました

星の光受けて みんなは煌く
みんなの優しさ みんなの愛に
みんなは連愛することを知りました
宇宙のエネルギーは全ての力
すべてはすべてのもののために
みんなの生命はすべての生命
強い縁に結ばれて 大きな愛を産みました


沖縄、美ら島の備瀬崎、ここの「ペンションびせざき」で結婚式が行われる。美しい「海前結婚」である。ご縁があって司祭をさせて頂くことになっている。そのお祝いの一つに記念の作詞をさせて頂いた。当日、村ちゃん(連愛の作曲者)がお披露目をしてくれるようになっている。この詩には3つの想い・願いを込めた。山内さん新郎新婦と村ちゃんと私の分の「連愛パート2」だ。きっと素敵な曲になるだろう。
(2004年 6月 2日 [水曜日])

栄華感(えいがかん)の夢
 キアヌ・リーブスの3本立て。友達がご自分のヴィデオライブラリィーをくださった。「雲の中で散歩」を観た。途中、これはどのように八ッピィエンドに終わるのだろうかと心配した。年間100本とまではいかないがかなりの本数のヴィデオを観る。映画は15本程度。時には時間が勿体無いと思ったこともある。この時間で何冊の本が読めるだろうと考えたこともある。でも、最近では、ある面では精神のコントロールの一助の役目を果たしている。いい映画を観ると元気が出てくる。涙を流すと爽快感が生まれる。本も映画もある部分では、見方によって疑似体験できるような気になる。自分が主人公になった思いで感情移入すると、人間のあらゆる感情を持って時に憤怒し、苦悩し、歓喜し、それが現実でないことに安心してホッとする。本や映画は潜在意識にどのように作用しているのであろうかと思う。美術や音楽とは違った一つの芸術として、それが一つの美であるとするならば、心の栄養にもなると思われる。栄華感=映画=えいがかん。感性が華のように栄える。そのようなものでありたいと思う。栄華の夢をいつまでも楽しめるようでありたい。
(2004年 6月 1日 [火曜日])

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