日本・日本人の夢 |
末の娘が留学先のアメリカから帰って来ていて、先日から留学先での友達の韓国からのお客さんが来ている。ショッピングとUSJに遊びに来られたようだ。今日は海水浴の予定で淡路島に行く予定だったがあいにくの天候ともう一人のお友達が体調が悪いということで、明石大橋までドライブをして、明石海峡、瀬戸内の海を見てきた。沖縄の海に馴染んでいる私にとっては、どうもしっくり来ないのは止むを得ないが、ここはここで趣はある。台風一過の曇り空ではあったが、大阪湾を囲んで対岸には和歌山方面が見渡すことができて、丁度、円を囲んだようになっている。神戸から明石にかけては海と山が迫っておりある面では風光明媚である。明石焼きを食べて帰りは垂水の埋立地にできた、ポルトバザールに寄って来た。30年近く前、高校の教師をしていた頃、2年間通った所で、付近は随分と様変わりした。このアウトレットはいろいろなショッピングモールが寄り集まった感じである面では面白いが、ある面では須磨・垂水・塩屋・舞子・明石という、「らしさ」がなくなって来ていて寂しさも感じる。これからどんどんどんどん町が画一化されてきて、商業ベースによる進化が進んでいく。それは本当に便利になっていくと言うことなのだろうか。今、日本は全てが消費の名のもとに経済が流れていき新化していっている。本当にそれでいいのだろうか?わが町、芦屋も変貌の一途をたどっている。もうほとんど芦屋らしさというものは喪失していった。都市計画の名のもとに画一的な何処も彼処も同じ町ができていく。いつか誰かが気がついてくれるのであろうか。便利にさえなればそれでいいのだろうか。「らしさ」という個性を大切にしたい。日本、日本人というアイデンティティがあってこその国際化だと思う。心を忘れて、精神も文化も町もライフスタイルも模倣することが、欧米と水準を会わせることが国際化だと、政治家が信じている日本。何処へ行くつもりなのだろうか?経済ベースが基準だとすれば、平和も遠のく。日本の夢・日本人の夢を見つめなおしたい。 (2004年 7月 31日 [土曜日])
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ゆめことば・愛言葉 |
■書くということは、何か考えたことなり、感じたことなり、つまり、何らかの内的経験を、ことばを通して、読み手に向けて発出すること。読むということは、書き手から提供されたことばを通じて、書き手の内的経験を理解する行為です。(大石初太郎・読むということ) ■何かを美しいなあと思うその心は、習慣によって、経験によって、学習によって、はじめて身についたものだということです。(森本哲郎・そして、自分への旅) 今日の中3の国語の授業内容の一部。私は高校の国語教師を経て、塾で国語指導をして来て約30年になる。その間、私は本文を私自らが音読して指導して来た。これはもしかすると非常に稀なことかもしれない。普通は国語の先生は生徒に読ませるのだが、それをしていると、子供たちが詰まって読めないので私が音読してきた。その量は自分でも判らない分量だ。ひょっとすると、私の字遊び字遊の発想の原点はそのお蔭かもしれない。本一冊を読みきるということはないが、塾のテキストに引用される本文を問題文として読んできたのだから、考えて見ると凄いのかも知れない。評論家の分は一通り全部読んでいるかもしれない。 引用されている文は全て精選されているともいえる。 私が学問に目覚めたのは、真の読書の愉しみを知ったのは35歳前後?のような気がする。これは経験・知識などを考慮すると実にいい年齢のように思える。少年時代・学生時代と違って経験則を背景にして、文章を味わえるという点において大きい。普通は男35歳になると趣味で読書をしても、論説文や説明文・随筆・小説をランダムに読むということは少ない。国語の教師といっても毎年同じ教材を使うということになる。30年を振り返って本当に良かったなあ、と思う。夢求日志の読者の方が、毎日ネタが有りますねと言って下さるが、その仕込みは30年の国語指導の賜物かもしれない。子供たちと一緒に授業をしていると、私のほうが感動したり、内容に影響を受けていることの方が多いようだ。今、問題文によく出てくる井上靖氏の「しろばんば」を読んでいる。これからも多読をしていって「ゆめことば・愛言葉」に触れていきたい。心からそう思っている。 (2004年 7月 30日 [金曜日])
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字夢 |
『齊藤けさ江書画集』というのがわたしの手元にある。90歳になるおばあちゃんの書画である。見るものの心に「ほっ」とするものを与える。「たのしい・たんぼ・はたけ・すいか・あじさい・なす・たけのこ・そらまめ・ぶろっこり・うり・とまと」全部ひらがなで紙一杯に書き付けてある。その素朴さ純朴さをいえば、神の仕業とも思えるほどに純粋無垢である。表紙の顔写真のその風貌は老にして幼子のような心の美しさが一本一本の顔に皺にに刻み込まれている。90年の星霜をありのままにあるがままに全てをそのままに受け入れてきた、強さも弱さも全てを刻んで老醜ではなく、人間臭さの中に年輪のような美しさを醸し出していらっしゃる。ただただ敬服してしまう。 書家には絶対かけない字だ。良い字を書こうとする思いが、微塵もないからこそ書ける美しさがある。幼児期に里子に出されて小学校もろくにでず、字もほとんど漢字は書かれない。書けないそうである。無心だから字に心がこもる。無手勝流の僕の字とは違う。何かを学びたい。何かを学び(マネビ=真似美)たい。決して上手に上手く書こうと思わないで心を込めた字が書けるようになろう。 (2004年 7月 29日 [木曜日])
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夢語り3 |
4月に高野さんの企画で「夢語りと遊書展」をさせていただいて、その時に参加してくださった中尾さんが新築の柿落としのミニ講演を6月して下さって、その時に参加してくださった八畑さんが、今日、篠山の今田町の自宅で「夏のお話会」をして下さった。本当に有難いことだ。お蔭様で新しい方との出愛が広がり、目下、勉強中の私に絶好の機会を与えてくださる。頼んでも出来ないことを向こうから頼んで下さるのだから嬉しい限りだ。今日は30台の若いお母さんが8人だったけれどもその分、和気藹々に一方的な話ではなく一人ひとりの方にコミニケートできた様に思える。言葉が心の栄養、心の食べ物であると言うこと。知ら無いということは「無い」ということ。例えば、パラオという国がある。これが何で国名で何処にあるかということを知らないと言うことは、その人にとってそれは存在しないと言うことである。だから知ると言うことは大切であり知識を得ると言うことは、心が豊かになると言うことに繋がるのである。小柴さんが発見された「ニュートリノ」という原子?素粒子?詳しいことは解らないがあらゆる物質を透過するエネルギーであるらしい。勿論、私たちの人体をも透過している?それは宇宙のエネルギーなのだ。私たちはそのエネルギーをいただいて生かされている。潜在能力・自律神経を活用する一番の担い手は自分である。しかし、子供たちはまだそれがわからない。大人であっても知ら無いということはそれが無いので活用もできない。若いお母さん方は生き生きとした目で楽しく聞いてくださった。「出愛は神様からのご褒美」の大段ボールに書いた書をお母さんが貰ってくださって、それを見た4年生の子供が「お母さんいいなあ」と羨ましがっていた。子供が評価してくれるとなぜか嬉しい。 20年ぶりに行った「陶の郷」、たおやかな山並みを見て母を感じた木々の緑の中に「気」を感じた。ここはいいところだ・・・。 (2004年 7月 28日 [水曜日])
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マンゴーの夢 |
好きな食べ物と聞かれたら、食べ物にもいろいろな分野があるが総称しても、私はマンゴーを挙げる。この十数年、沖縄では栽培が活発になりまだまだ需要と供給がバランスが取れていないために、ある部分メロンよりも高価かもしれないが、私はマンゴーが好きである。原産地も生産地も南洋、亜熱帯地方の果物なのであろうマンゴー。赤い皮を剥くと赤っぽいオレンジ色の熟れた果肉が、芳醇な香りを讃える。香りというよりも匂いといった方がピンと来る。カルメンのような熟女、情熱的で野性的で匂い立つようなマンゴーは果物の女王様に値する。その栄養価も高いものがあるようだ。おそらく赤ちゃんに食べさせたらのぼせるのではないだろうか。 沖縄には本当にたくさんの仲間同士兄弟家族といえるような方々がいらっしゃって、この夏になると大好物のマンゴーに寄せて「心」を送ってくださる。私にとって夏バテは無い生き方をしてはいるものの、これを食べると元気が出てくる。時にこちらのデパートではお目にかからない代物として、沖縄の市場でも出ない小粒のマンゴーが届くこともある。これは一口サイズで食べやすく、去年などは毎日朝食代わりに頂いた。そういえばマンゴーは夢の匂いがするような気もする・・・。 (2004年 7月 27日 [火曜日])
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夜景の夢 |
先日、東京の渋谷での遊書展をプロデユースして下さった。Yさんが仕事で大阪に来られて訪ねて下さったので、久しぶりに六甲山の夜景見物に出かけた。芦屋から芦有道路を通って30分、六甲山の夜景スポットに着く。どちらかと言うと寒いぐらいだった。連日の猛暑で寒いなどと言うのは贅沢すぎるので、我慢をして夜景を楽しんだ。風が強かったせいもあって雲が流れ、夜景を見え隠れさせてくれて趣があった。 大阪湾・関空・六甲アイランド・神戸の町。東西に広がる見慣れた夜景は街明かりが美しい。Yさんとは3月に初めてあって6月・7月と今回と4度目、遊書展という一つの志事を一緒にさせて頂いたという仲間意識があってか、すっかり馴染んで旧友のごとく対話させていただいた。私は相手の方が自分より若い人だと、つい30年来の教師生活が身についているのか、説諭調で語っているのではないかと、注意をしている。でも、皆さんがよく話を聞いてくださるのでついつい喋ってしまう。自分では聞き上手でもあると思っているのだが。 オリエンタルホテルのデイナーバイキングを蹴られ、中央軒のビーフシチューを蹴られ、隣のとんかつの「武蔵」で食事をした。久しぶりに美味しかった。朋、遠方より来る、また喜ばしからずや・・・。 (2004年 7月 26日 [月曜日])
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前・現・来世の夢 |
10数年前にタイトルにひかれて買った一冊の本、遠藤周作氏の「ピアノ協奏曲21番」10篇の短編小説。これを読んだときのにも感慨を覚えたが、書棚を見ていたら何の気なしに目に付いたので読み返してみた。10数年前よりもずっと深く心に染入って来た。それは私自身の10数年の体験が感じ方、考え方、捉え方を変えているようでいて面白くも有り愉しみ深く読むことができた。 中でも「奇蹟」は、あれ以来、強い影響を受けて私の心の襞に染み付いていた。どこかでこのような奇蹟的な出会い、自分にとって幸運をもたらしてくれる存在の人がこの世にいるのではないか?そう思い続けてきた。だからと言ってそれを強く欲してその出会いを求めて来たと言うことでもない。心の奥底で自然に潜在意識の中で微かに仄かに思い続けてきたように思う。 私の周りには、「前世」のことを語る人が何人かいる。それらの人は概して心優しき人だ。決して宗教的だということは決してない。物事の考え方がある面において深いようには思える。もう少しシンプルな言い方をすれば、「感謝の念」が強い傾向にある人のようだ。前世も来世も、それは見える世界ではない。科学でその実在を証明できる世界でもない。目に見えないものを信じる人たちと言うのは、少なくても傲慢さはない。私はと言うと、強く前世を信じると言うのではない。それよりも前・現・来世という一つの世界の一点に生かされているような気を持っている。そして前世の徳を頂いているような気がする。それは本当にありがたい事だと思う。そして何時の世であっても人のご縁と夢は大事にして、生かされて生きたいと思う。 (2004年 7月 25日 [日曜日])
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出愛の夢 |
■ 出 愛 ■ 字遊人・地遊人・時遊人の出愛論 字、言葉を遊ぶ人・大地、地球を遊ぶ人・時機、時を遊ぶ人 @出愛は神様からのご褒美 A出愛は強烈な共感と興味と親近感を覚える B出愛はひらめき・きらめき・ときめきを感じる C真の出愛は「また愛たい」と必ず願うものである Dお互いの愛を出し合うそれが出愛だ E天に月、地に花、人に愛 全ての出愛を大切にしよう F出愛とは出会ったものと一つに溶け合うこと G出愛に感謝・感動することで出会いが深まる H心琴にふれる出愛、身近にふれる出愛、そんな出愛を求めよう I出愛がなければ愛することも生まれない J美しい言葉との出愛によって美しい心が育つ K人生は何時・何処で何と出愛(会う)かによって決まる 春夏秋冬、12ヶ月の出愛です。 ★これをご覧になってくださった方、あなたの出愛についてご感想を掲示板にお寄せくだされば光栄です。 (2004年 7月 24日 [土曜日])
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I can I willの夢 |
夏期講習で朝9時から夜10時まで授業。昔一日13時間をやった身にとっては楽勝の世界。子供たちの前に立つ身の教師にとっては、やはり教師たるもの「夢の語り部」で有りたいものと思っている。教科の指導だけであれば誰でもできる?しかし、夢を語ろうと思えば先ず自らが夢追い人出なければならない。僕が小学生の頃を振り返ると確かに具体的な明確な「夢」はなかったようにも思える。おぼろげなものがだんだんと形になって中2のホームルームの時の作文に「先生になりたい」と書いたような気がする。その後、中学時代に映画機知甲斐(きちがい)になって俳優志望になって2つの夢を持って高校時代を過ごした。芸術学科と国文科が志望の要だった。授業は自分が先生になったらという気持ちで受けた。映画は自分が演じる時はと思いながら観た。今、俳優にはなれなかったけれど夢破れた思いはない。時に「教師は俳優であれ」という言葉にも感化されて、教壇を舞台に先生を演じることがある。 今の子供たちにとって夢を描くことは難しいようだ。それは単純な問題ではなく、複合的な事情、時代背景であったり、国民意識、経済事情などにも影響を受けているようにも思われる。勿論、教育も大きな問題としてあるはずだ。I can.I will.私はできる。私はやると子供たちに働きかけて思わせて、夢を語りかけていく。夢語りの名手になること、それが私のひとつの夢だ。 (2004年 7月 23日 [金曜日])
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名もなく貧しく美しい夢 |
映画は僕の青春だ。初めて見た映画の記憶は「羅生門」母が連れて行ってくれた。母と見た忘れ得ぬ映画は洋画「シェ−ン」邦画「名もなく貧しく美しく」この映画のタイトルは何か私にとって母からの啓示のようなものを最近感じている。今の私は名前もなくお金もない。しかし、遊書展などを通じてたくさんの仲間と支援してくださる方とを得て、美しく生きさせていただいて、世の一隅を微かに照らさせて頂いているように思う。遊書と通じて言葉を通じて出愛をさせていただき、喜んで頂き勇気を与えさせていただいたり感動をしていただくこともあるらしい。それは直接であったり間接的に聞かせていただくこともある。 若い時は映画を見て、感動をした後、自分もまた人様に感動を与えることができたらどんなに素晴らしいことであろう。一人でも多くの人に、と考えていた。今は違う。たった一人でもいい自分の思いが伝わって喜んで下さったならばそこに小さな幸せを見出すことができる。小さな夢のメロディの響きを心に聞くことができる。共感共有する喜びは分かち愛をして決して2分の1になるのではなく、人数が増えた分倍加されるような気がする。お金も100万円を二人で分けると50万円になるが、喜びが半分になるというよりも倍になるように思う。お金の貧しさと心の貧しさは違う。心が貧しいとお金によって満たされることはないが、心が豊かであると分相応のお金で豊かになれるように思える。 50を境にしてお金への執着がなくなった。しかし、豊かな人生への想いは貪欲になったというよりも自然体になれたように思える。お金は追いかけるとお金に追いかけられてしまうということにも気づいた。 名もなく貧しく美しい夢をこれからも大切にしていきたい。それが母の訓えのように思う。お金は遣ったらなくなるが愛と心は遣うほど殖える。そういえばどんなに苦しい時でも、母は貧しさを嘆いたことはなかった。食べられない時代もあったけれども・・・。 (2004年 7月 22日 [木曜日])
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抱夢(Boys,Be,Ambitious.) |
Boys,Be,Ambitious.=少年よ大志を抱け! 大志=夢は心然・心念・心粘のエネルギー。夢は心を燃やす、心に念ずる、心に粘着力を持たせるエネルギーだ。 明日から夏の陣、夏期講習だ。高校生の予備校に「Boys,Be,Ambitious 少年よ大志を抱け」を掲げ、小中部には「気愛・集中・心然」を掲げる。気合=気愛。対象に気を合わせないと気合は入らない。対象に気を入れて愛さないと気が合わない。心を対象の中心の一点に集めることを集中という。心を夏より熱く燃やさないと気がなえてしまう。同じ1時間の勉強をしても成果が違う。密度が違う。結果が違う。 小中の勉強で能力を問われる内容なんてない。問題は頭で解くが勉強は心でするものというのが私の持論。この心と愛を育てるのが私の志事。 愛より赤く夏より熱く。こちらがその想いで望まないと生徒の心を燃やすことはできない。それを持たせて持続させること。生徒も先生も心を躍らせて、明るく楽しく盆踊り。汗をかこう身体に心に脳みそに。そうすればみんなが喜ぶ。みんなの顔に美笑が溢れる。 (2004年 7月 21日 [水曜日])
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Come(花夢・香夢・夏夢) |
花夢・香夢・夏夢。夢は来る。今日から夏休み。花咲く夢、香る夢、夏の夢。 (2004年 7月 20日 [火曜日])
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遊書の夢 |
今回、東京の遊書展をプロモートして下さったYさんは3月の末に、 沖縄で初めて出会った女性。遊書展を開催して頂いた友利さんの所に遊びに来ていたお客さん。友利先生と教え子の関係。コレがキッカケで今回の開催に繋がった。14日から21日の予定が24日まで延長になりその期間のお世話を一人でして下さっている。来場してくださるお客様のほとんどがYさんの人脈。まだうら若き女性なのにその交友関係の幅の広さには感嘆するものがある。だからこそ開催をとお声かけてくださったのだろう。たくさんの方を紹介して頂いて、出愛を作って頂いて感謝、感謝である。 3年前に備瀬崎で海前挙式を上げられた木村さんご夫婦は引き出物の雑巾の花をお贈りさせていただいたご縁だが、まだお互いに一度もお愛した事はなかった。今回も案内を備瀬崎の熊さんの所で偶然に受け取られて来ていただくことになった。初対面なのにずっと以前からお知り合いのような心持でお愛させて頂いた。お父さんお姉さんと子供さん2人の5人で埼玉から来てくださった。木村さんの奥さんはお腹の中に7ヶ月の赤ちゃんがおられて、帰り際に「どうぞ、お腹のをさわってあげてください」といわれて正直な所ビックリした。家内のお腹にしか触れたことがないし、通常は妊婦のお腹をさわるのは夫だけの権利と思っていた私には感激をした。目を閉じて私の中の「善の気」を入れさせていただいた。初めての出愛をこんなドラマチックにして下さった神様に感謝せずにいられない。こんな美しい形で私に礼を尽くして下さった若い二人に乾杯したい思いだ。 牧ヶ野恵ちゃん。数ある教え子の中での秘蔵っ子の一人。夢と冒険・アメリカ体験旅行に参加した一人で中3の時に横浜に引っ越した生徒だが、その後も年賀状のやり取りをしていて今回も連絡をしたら、アルバイト先のお土産を持って来てくれた。当時から素直で優しく気のつく子がそのまま素敵なお嬢さんに成長していた。カメラを用意して来ていて一緒にツーショットで撮ってくれた。私が勝手に自称「牧ヶ野恵後援会会長」と言っていた想いを受け止めてくれていたのだ。先生と生徒は、云わば出会った生徒みんなに後援会長の想いで接することが生徒を伸ばす秘訣なのかも知れない。その想いが交流すれば師弟に愛と信頼と情が生まれるものだと思う。 川西啓介(敢えて呼び捨て)大学時代4年間、講師をしてくれた子。今や2児のパパになっているが私が薫陶をした若者。沖縄の離島に2人でボランティアで夏季少年教育に教えに行った仲であり、尼崎本部校を立ち上げた仲だ。家族付き合いをして息子のように可愛がってきた子だ。家族4人でいい意味で遊書展に来たというよりも、近況報告がてらに愛に来てくれた。 お知り合いの妹さんなど書を通じていろいろな出愛が広がった。書というよりも「賢ちゃんのことば」が心と心を結びつけてくれていると、Eさんが褒めてくれた。遊書を通じて夢が広がっている。 (2004年 7月 19日 [月曜日])
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嫁ぎ行く夢 |
ここは渋谷青葉台。聞くところによると高級な住宅地らしい。ここが私の東京の出美遊の地。大学卒業後から30年近く会っていない横浜に住む学友(茶道部の女性)のご主人が代わり来てくださった。なんと素晴らしいことか感激してしまった。中学時代の学友、こちらも女性がご主人と一緒に、そして大森の中学校で教頭(女性)をしている学友のEさんも駆けつけてくれた。プロのカメラマンを連れてきて下さって紹介してくれた。私の遊書にそれぞれ感激してくださって、遠い昔に返って話しに花を咲かせた。Eさんと僕は公立高校を受験して二人だけが不合格をして、恩師の期待を裏切った。恩師初めての受験生であったのに黒星を2つつけた。その二人が、恩師の心を受け継いで片や中学校の校長(来年就任予定)、私は私教育の塾の世界で塾長をさせていただいている。人生というものは数十年後というのは何処でどのように変わっていくかわからない。だから面白い。塾業界で敬愛する先輩の3先生が遠方から来てくださって4時から終了語の10時までご一緒して食事をご馳走して下さって教育談義に花を咲かせた。わざわざお声掛けをしてと迷ったが会いたい一心で直前にお手紙を差し上げたら来て下さった。本当に有難いことだ。中学時代の友は、昔のままに「ケンちゃん頑張ってね」と、昔の思いのままに声をかけて励ましてくれる。忙しい中を訪ねて下さった。要は忙しいとか時間の有る無しではない気持ちがあるかどうかなのだと思う。だから自分が逆の立場になった時は『礼儀』と『優情』を尽くさなければならないと大事なことを学ばせて頂いた。 一番人気の布製の「夢」は神戸の私立中学に嫁の行き先が決まった。もう一つの「心然」は大阪の塾の本社ビルに嫁入りする。紋付の羽織「童神」と「念ずれば夢ひらく」は沖縄に嫁ぐ。もう二度と書けそうにない作品はお上げせず展示用に手元において置きたかったが、貰って下さる方があれば、喜んでという娘を嫁がせる心境だ。有難や、有難や。 (2004年 7月 18日 [日曜日])
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切磋琢磨の夢 |
認め愛・解り愛・許し愛・磨き愛。他にももっとあると思うが来れれは人間の保有する素晴らしい能力だ。愛は能力なのだ。これらは残念ながら生まれながらにして持っている能力ではないらしい。生きるという日常生活において身に付けていき育まれていくものだ。 切磋琢磨する。切磋=あらい玉を削り、大きな石を切り磨いて完成品を作ること。切磋琢磨=志を同じくする者が、互いの欠点や誤りを直しあって向上をはかること。 学校や会社など、昨今では同じ志を持つ者が少なく同志感がないために切磋琢磨することがないように思う。スポーツの集団が強いのは「勝つ」という目的において意思を統一しやすいところがある。しかし、これも個人主義が横行していて、本来はチームワークが真髄であるにもかかわらず、上手な者が重宝され過ぎる嫌いがあって同志ならざることが多いようだ。これは指導者の統率力に大きく委ねられる。 このようにして人は人の間で、どのように接していくかその中でどのように感じどのように考えどのように学んでいくか、これらの能力を身に付けていく。愛は能力だ。学力よりも大切な生きる力に繋がる能力なのだ。 (2004年 7月 17日 [土曜日])
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東京の夢 |
朝一番に出版社のK社長からお電話があり韓国出張のために18.19日にはお会いできないが20日にお会いする事になった。メールでKさんご夫妻が親兄弟一緒に来て下さる予定だというお知らせが届いた。F・M・H先生、私が尊敬する先輩に当たる方々が筑波・茨城からお揃いで来て下さる。原稿を毎月遅らせていただいている会社の編集長さんからお電話を戴いて顔を見せて下さるとのこと。20通ほどご案内を出させていただいて3人ぐらいの方が来て下さったら嬉しいなあと思っていたのが、うれしい悲鳴で満員御礼でゆっくりお話が出来るかどうか、心配になってきた。 こちらから見ていい意味でとらえて、わざわざ僕の書を見に来て下さる方はいない。会いに来て下さるのがうれしい。 「遊書展」ということでさせて頂いているが、「書」という文字を使わせていただく事におこがましさがあって、少し引け目な気持ちがある。書道を真摯に取り組んでお稽古しておられる方から見れば、私のものは書というよりも字、遊書というよりも字遊という方がいいように思えて来ている。「字遊展」というほうがいいかも知れない。ジユウという言葉の響きもいい感じがする。 遊書は通信講座もあるぐらいでたくさんの人がやっておられるが「字遊」はその言葉も私のオリジナルである。字遊人の遊書展がいいのかも?まあ、お仲間の支援して下さっている方に決めていただこう。 東京出美遊の夢が拡がる。来て下さる方に愉しんで戴こう。それが一番大事な事だ。 (2004年 7月 16日 [金曜日])
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夢意識(無意識) |
私が中学一年生の生徒さんに最初に教えさせていただく英語が、 I Can.I will.という言葉。「私はできる」「私はやる」。この言葉は10数年前からなんとなく自分にも言いきかせ、生徒さんにも教えさせて来たが、潜在意識や自律神経の勉強をするとこれが大変良いことであることが判ってきてうれしく思っている。今日は自塾の予備校の生徒さんに「潜在意識を活用した受験必勝法」というタイトルで話をさせて頂いた。一様、自社ビルの杮落とし(こけらおとし)の講演である。生徒さんなので講演というよりも、夏の陣を控えてこちらの思いをしっかりと伝えさせていただこうという意向である。 「もし合格したらどうしよう」「もし落ちたらどうしよう」この正反対のことを黙想して1分間考えていただいた。前者はいい気持ちになり、後者は嫌な気持ちになる。これは潜在意識に作用するというか、自律神経が敏感に反応するからだ。合格したらどうしようと思って勉強するのと、落ちたらどうしようと思って勉強するのとでは同じ1時間でも中身が違って来て当然である。 体にいいことしよう。心にいいことしようは時々言うようになって来た。しかし、潜在意識・自律神経にいいことしようという人はまだ少ない。ここの所に気づきをすると人生が、考え方が変わってくる。夢をただ追いかけるのではなく、夢が来ることを実感することができる。来夢来人。夢も人もたくさん来て下さったら日々が明るく楽しくなって来る。無意識に夢意識が働くように、いつでも夢を。 (2004年 7月 15日 [木曜日])
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遣い方の夢 |
■愛と心は遣うほど育つ。 ■時間は平等に与えられているが、 その有効な使い方には大差がある。 ■欲心のお金は反比例する お金を追いかけるとお金に追いかけられる。 人生は気と時間とお金の使い方で決まる。@気遣いA時間使いB金遣い。これはどれも遣い方・使い方が難しい。頭の遣い方で人生は決まるとはあまり言われない。 @さり気なくこちらは遣っても相手には使わせないA時間を守る、遅刻厳禁、ロスタイムをなくすB無駄遣いをしない、有効に遣う、ケチに徹して遣うところで遣う。 身に備える為には心を磨きセンスを磨き考え方を磨くこと。日々の修練というと難しいけれど、日々の心がけ、ちょっとしたことの積み重ねが大切だ。 (2004年 7月 14日 [水曜日])
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磨き愛(みがきあい)の夢 |
私のパソコンはmigakiaiと打つと「磨き愛」と出てくる。aiはほとんど愛と出てくる。muは夢で出てくる。今、磨き合いのつもりで打ったら磨き愛と出てきて、単純に感動した。 僕より一回りも若い竹内さんはエアーブラシのお仕事をしておられる若手の経営者。直向で謙虚で素直で好感度が抜群によく、大好きなお仲間の一人だ。僕のチャリティー活動に協力的に支援して下さっていて、今日も作品作りにお役に立てるようにとドイツ製の高価なエアーブラシを下さった。技術指導もして下さって今の僕の心境はルンルン気分。これで僕の遊書にまた大きな「遊び」が拡がった。早速、東京の遊書展に新作を持って行く予定だ。竹内さんのお礼メールを打っていて、お互いにこれからも磨き愛をしましょうと書いたのである。 僕のパソコンはmu,ai,sinは夢・愛・心とすぐ反応してくれる。メカ音痴のぼくはよく判らないけれど、使用頻度で学習してくれるのだろうか?パソコンにも愛を注げば人間の心が通じるように思える。僕の創語の世界、造語は随分とパソコンに教えられている言葉も多い。tetugakuは哲学として出てくるが、そのうち徹楽と出てきてくれるだろう。字遊人や遊書展がパッと出てくるパソコンは世界に一つ、僕の分だけだろう。僕は今、パソコンに名前をつけた。その名もズバリ「夢ちゃん」。考えて見ると一日24時間、家族よりも誰よりも夢ちゃんといる時間が一番長い。(決してパソコンお宅ではありません)。潜在意識にも夢と一緒にいる事が一番長いということはいいことだ。 磨き愛・突き愛を深めていけばお互いが伸びていけると思う。 (2004年 7月 13日 [火曜日])
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年中夢求 |
7月12日 夢は潜在能力を開発する 人間は9:1の潜在能力で動いている 潜在能力の世界は一切の不純を拒否せねばならない 真善美を潜在能力に送信しよう 365日年中夢求のページの今日付けの分に記載されている内容が上の内容。自律神経の働きで良いこと楽しいことを思うとベータエンドルフィンという快楽ホルモンが分泌される。これは自律神経の働で、意識してこのホルモンを分泌することは出来ない。ある面で潜在意識の働き、作用によるものである。「脳内革命」という本がベストセラーになった、笑うと脳内に快楽ホルモンが分泌されると盛んに言われたが、流行でほとんどの人が言わなくなってしまった。しかし、これは事実であってこのことを知っているかどうか、これを心がけるかどうかは、その人の人生に大きく影響を与える。60兆の細胞を心の見方にして活用して生きるのと、そうでないのとでは、楽しい・楽しくないというだけでも大差があると思う。潜在意識に真実と善と美を送れば、人生はきっと良くなる。修行・修練といってしまうと難しいが、ちょっとした心がけと練習で出来るようになるのだ。心の根っ子・根底に「楽天」をおけば・・・。 (2004年 7月 12日 [月曜日])
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無我夢中・夢我無中 |
一生懸命になることは難しい。正直言って28年経営をして来て実際ピンチの時もあった、それでも自分の一生を、命を懸けたかというと、そこまでは行かなかったように思う。凡人には無理なことのように思える。努力もそうだし、一生懸命も先生という人種が大好きな言葉でよく使われる言葉だ。一生懸命勉強したら成績が上がる。努力したら合格する。こんな事は小学生の1年生でもわかる事だ。それが出来たら誰も苦労はしないのだ。見ているとそうしていない人ほどこの言葉を良く使われるようだ。この言葉の重みを知っていると簡単に使えない言葉のはずだ。しかし、我を忘れて夢の中にいるが如く物事に打ち込む事は一生懸命よりは取り組みやすい。我を夢の中において無の中で、直向に頑張る事も出来るように思える。その秘訣は対象を好きになること、やろうと思う事に愛を注ぐ事。出愛、愛を対象に出す事だと思う。人を好きになると夢中になる。この時、努力という言葉は不要のように思う。好きな事には打ち込みやすく、時に他者から見れば「一生懸命に努力している」ように見える。しかし、当の本人は好きな事を夢中になってやっているだけなのだと思う。 無我夢中に直向に素直にやれば人は通常の何倍もの力を発揮する。志事、志のことをしている人は、いい意味で努力をしているとは感じていない。好きな事・愛している事をするのに努力は感じないものなのだ。【一緒懸命】好きな人と仲間と家族と一緒懸命になることは出来る。そして、継続力も自ずとついて来る。 「好きこそ物の上手なれ」素直に受け止めて実行しよう。 「愛あればこそ」大好きになる事が単純に言えば愛だ。異性を好きになることを「愛する」と一番使うようだが、愛すればこそ、努力を努力とも思わずに出来る事であり、愛すればこそ苦労も苦労と感じないのだと思う。今日は娘と『ピカソ』を観に行った。「感性の人」というのが感想だ。偉大なる愛の持ち主だと思う。愛は勝つ!愛は全てを克服する力を持つと思う。愛を沢山戴いた人は愛を沢山注ぐ事が出来る。今の子供たちはビタミン愛=Iが欠乏しているから、元気がないのだと思う。愛は遣っても減らない、遣うほど上手に遣えるようになる。私はマザーテレサに出会ってから以来、愛のバーゲンセールを実施している。(娘曰く、くれぐれも安売りしないようにという事、そんなジョークがいえるように成長している。確か23歳だろう?)いつでも夢を心に愛を!これを唱えるだけで元気が出てくるはずだ・・・。 (2004年 7月 11日 [日曜日])
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機積の夢 |
機積=奇跡は起きない、一秒一瞬の機を大切にして積む心にミラクルが起きる。 2年前に人前結婚というか、海前というか、海神(わだつみ)結婚式というのが、沖縄の備瀬崎で家島の夕日を背景にして、ペンションびせざきのお客様のKさんが挙式をされた。オーナーの熊さんにとっても初めてのことでその張り切りように私も心を打たれて、お目出度にあやかりたくてお祝いをさせて頂いた。Kさんからお礼状をいただいて、一度、広島に行かれる途中に神戸にお寄り下さる旨をお聞きしたが、丁度、私が備瀬崎にいく予定と重なってお会いする機会をなくした。その後、お互いが機会があればと思いつつ機会に恵まれなかっただが、今回、その機会、チャンスが到来した。沖縄の熊さんに贈物があって送ったところ、その場に居合わせたのがKさん。今回、7・14〜21日の東京での遊書展の案内を何の気なしに同封していた。いえば、熊さんには東京のことで縁のないことなのだが、偶々(たまたま)入れたものが、ドンピシャリでKさんへの案内状に返信した。直ぐにお電話を戴いて、連絡が出来て着ていただくようになった。偶然にしても、このようなことは嬉しい限りの事。そして、今日、Kさんからメールも届けて下さった。あと8日寝るとお出愛出来る。旧知の友に再会する想いだが、考えて見るとまだ一度もお会いした事のない方だ。でも、もう心は通じ合っている思いで、お互いが胸を躍らせワクワクしている。天の計らいは機に会って素晴らしく、機積は想いは天に届くものだと思う。これからどんな機積が起きるのだろうかと思うと、人生に乾杯をし感謝をせずにおれない。幾つの機積の夢を見る事が出来るのだろうか・・・。乾杯! (2004年 7月 10日 [土曜日])
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夢縁(むえん) |
日本語には同音異義語が多い。むえん=無縁・無煙・無援・無鉛・無塩。創語としての無円はお金がないということであれば寂しいが、夢縁=夢が結ぶ縁ということであれば素晴らしい言葉になる。家族が仲間が同志が同じ夢を持ってそのご縁で結ばれる。喜びも悲しみも苦しみも分ちあって夢によって結ばれた縁で繋がり合って一心に打ち込むことができれば素晴らしいことだと思う。私の遊書は私の人生の一つの夢。死ぬまでに100回、五大陸でしたいと思っている。そのボランテイア活動を通じてご縁が拡がって沢山の素晴らしい仲間が増えている。アメリカ・中国・沖縄に素晴らしい仲間ができた。これは私の宝物。それが今、東京に「飛び火」して燃え上がろうとしている。これは決して私の意志、ましてや力ではない。すべて皆様のお蔭だ。私が遊書展を通じて一番学んだことは「お蔭様の有難さ」を学んだことだ。個人の金儲けに純然とお手伝いをしてくれる人は稀であろうが、個人の夢のお手伝いをして下さる方は沢山いらっしゃる。夢縁は夢現(無限)の広がりを持つ。みんなで一緒懸命にやれば夢は実現される可能性が拡がる。私自身、夢にも思わなかったようなことが現実に起きてきている。心の中に夢がある人は元気だ。夢は心のビタミン剤。元気の素。みんなで広めよう夢縁の輪(和)。 (2004年 7月 9日 [金曜日])
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文学の夢 |
1981年から始めた「文学講座」が20年以上も続いている。32歳だった私が55歳になった。毎月第A木曜日がその日になっている。20年としても年11回。8月はお休みだから、220回になる。私よりも通い続けて下さるお母さん方が偉いと思う。今日は古文と藤村・晶子・鉄幹の詩を朗読した。藤村の詩は詠んでいてその音韻の素晴らしさリズム感に酔いしれる。 中2の時に「伊豆の踊子」に出会って国語の先生を目指して、文学との出愛で私の夢が拡がった。何を隠そうあるときは小説家への道を夢見たこともあった。今は、完全に諦めたと言う訳ではないが、いつの日か小説を誰かのために書きたいと思ってはいる。お蔭様で書くということについては苦にならない私になった。100通の手紙を送った人の数が5人、最長の手紙が原稿用紙50枚。今まで何通の手紙を書いてきたであろう。思えば初めて恋文なるものを書いたのが、高1の17歳。いつもラブレターのつもりで心を伝えられる手紙を心がけている。短い人生だからいっぺんでも多く便りを書こう。それが私の一つの文学への関わりであるのだから・・・。 (2004年 7月 8日 [木曜日])
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七夕の夢 |
天空に満天の星が散らばめられてある。宇宙の星たちは無限の拡がりの中に無数にある。地球も一つの星、月も太陽も一つの星なのであろう。この世に存在するものは全てその存在価値があるように、すべての星、すべての物、すべての人は必要なのだ。必要であるはずの人間が、なぜ必要でない人間に化けていくのだろうか?必要とされる人間になる為には「教育」が必要なのである。正しい教育が・・・。教授される教育と学び獲得する教育のバランスが。与えられる教育に少し歪があり、それを指導する人に歪みがあり、学び取る力が弱まっていっているような気がすしてならない。教える側のキャッチさせる意識、学び取る側のキャッチしようとする意識にも問題があるのかも知れない。話が飛躍しすぎるかも知れないが、人間の心の敵はもしかするとお金なのかも知れない。社会は経済が基盤となって動いている、その経済の原資はお金だ。戦争も政治もこれらの乱れの大きな要因はお金だろう。愛は使ってもなくなることはないが、お金は使えばなくなる。満天の星のようにこの地上に沢山の有り余るほどのお金がある。この地上にそれを使う何十億の民がいる。平均して分け合うことは無理であっても少しだけ偏りをなくし、少しだけ分ち愛をすれば、10分の1を分け合えば、諍いは今の10分の1に減るような気がする。お金は頭で使うと計算をする。心で使うとうまくいくような気がする。減ると思うから心配をする。なくなると思うから欲が出る。醜い心でお金を使うと問題が起きる。 歪(ひずみ)、歪み(ゆがみ)という言葉は、正しいの頭に不がついている。頭の上にあるから見えにくい。離れていても一年に一度しか逢瀬がなくても、織姫と彦星は誰に文句を言うでもなく、じっと耐える。我慢・がまん・ガマン。人間心棒が肝心。「人ニハ心棒(|)が一番」と綴るとお金と言う字になると教えてくれた心友がいる。満天の星を仰ぎ見よう、そうすれば我が心の歪が矯正されるように思われる。星の煌きはそのような美しさを持っている。 (2004年 7月 7日 [水曜日])
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気愛の夢 |
「人生は気合でっせ」という著書がある。元サンヨーの会長が書かれた本である。講演もお聞きした。しかし、両方とも記憶していない。数年前に沖縄に行ったときに、比地の大滝という所に行った。滝があってその下に滝壷があって、横の断崖の5メートル、14,5メートルの所から飛び込むところがあって、小中高生が年齢に合わせて楽しんでいた。15メートルの所から中学生の小さな子が挑もうとしていた。その間、約5分、水面を見つめて腕を振って呼吸を整えて気合を入れていた。私はずっと固唾を呑んで眺めていた。周りには150人ぐらいの人がいただろうか、その内みんなが少年に視線を集めだした。彼が飛び込んで成功をした時、思わず周囲の人たちから自然に拍手が起こった。私はこの時に気合と言うものを学んだ。気合とは対象物に気を合わせることである。少年が自然に腕をふっていたのは、水面に自分の気をあわせる動作をしていたのである。イチローや松井が凄いのはきっと気合、気を合わせるのがうまいのだと思う。一球のボールに集中して気をあわせる。そして思ったところにボールを打つ。そういえばホームランが出るときは、気が見事に合っていて、スイングを見ると軽く飛ばしている。決してそれは腕力や力ではない。気合とは気愛だ。気を対象に合わせるということは、対象を愛すること、ボールに愛を伝えることではないかと思う。イチローは誰よりも自分を愛し、誰よりも野球を愛しているように思う。勿論、技術も一流なのであろうが。気合を入れるのが、気を会わせる事が、気愛の入れ方が超一流なのだと思う。生徒であれば勉強に気を合わせる。大人であれば志事に気を合わせる。これが気合を入れる秘訣なのであろう。私も自分に気愛を入れて何事も取り組んで生きたいと思う。 (2004年 7月 6日 [火曜日])
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夢伝 |
4月に講演をさせていただいた時に、云わば、苦肉の策で講演だと堅すぎて人が集まらないだろうと、講演ではなく「夢語り」のさせて頂いた。なかなかいいネーミングだと気に入っている。 夢伝、夢を語り伝える。ご縁があって大学時代から茶道を志している。京都のお家元に週1回行ってお稽古をさせて頂いた。卒業後半年ではあったがお家元に弟子入りをさせて頂いて、直々に宗匠から薫陶を授かった。元祖が遺した家憲が「無伝」。伝えない。家元の世襲制度は相伝が基本だが、私が学ばせていただいた流儀は無伝だった。私はこの言葉が大好きで、その後の自分の生き方に大きな影響を与えた。3つの仕事を経て塾を創業させていただいたが、その間、無伝を旨として教えられなくても自ら学ぶ、盗むことを心がけた。今時流にマニュアルやノウハウなど一切問わなかった。お家元につかせていただいた半年は毎日が学びの連続だった。しかし、一度たりとも直接、指導を受けたり、叱正を買うこともなかった。側にいて見ているだけで多くのことが学べた。格好良く言うと自覚させる、悟らせるという手法でご指導をして下さった。今日の私があるのはお家もとのお蔭が大きい。人生において生身で接した初めて尊敬した人物がお家元だった。茶道そのものもそうだが、お家元との出愛、最高の指導者に恵まれたことは至福の至だった。 今日から一週間、保護者との懇談がある。私は無伝ならぬ夢伝でひとり一人のお母さんと愛を持って子供たちの夢を語り伝えていこうと思っている。 (2004年 7月 5日 [月曜日])
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花のお江戸への夢 |
16回目の遊書展を先月に終えさせていただいて、いつの日か花の東京で遊書展をしたいなぁと思っていた。先日、沖縄で出会ったYさんのお蔭で実現した。渋谷近くのHanny's cafeという喫茶店だ。Yさんとは3月に沖縄の遊書展で出会って、東京でもとお声をかけて下さっていた。いろいろ大変ご苦労をしていただいていたけれども、この6月に沖縄で再会して、お互いに大阪・東京に帰って、アッという間に決まった。とてもお洒落なお店で6月の24日に開店したばかりのお店らしい。開店時に油絵の個展が開けれたらしく、とても雰囲気のある、そのような趣のあるお店だ(写真を拝見する)。これでヨーロッパ・シカゴ・NYという夢も時期は天の計らいとしても実現はしそうだ。ボランテイアという名の下に皆さんのお手伝いとご奉仕に頼ってさせて頂いていることが、いい形になっていると思う。もし、これがビジネスだったりお金が絡んでくると、とてもではないが困難なことだろうと思う。お互いのボランテイアだから協力できるという、この繋がりは有難いものであり、かけがえのない素晴らしいものである。出愛が出愛を拡大していってくれる。そこでの出愛が連愛に繋がる。「できることから始めよう」小さなことが、小さな輪が少しずつ拡がって来ている。今日、一日は東京開催のためのチラシ作りをした。心弾ませて、新しい出愛を期待して・・・。 (2004年 7月 4日 [日曜日])
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夢(You.Me)・甲子園学習塾 |
夢はYouMe書く。あなたと私。「君たちがいて僕がいる」これは私が大好きな沖縄の熊さんのキャッチフレーズ。あなた=万物、私はわたし。夢はすべての力の総和で達成できるもの。決して自力で可能になるものではない。この宇宙も、宇宙と大自然と我々生物で成り立っている。すべての生物であって人間だけではないのだ。それを決して忘れてはならない。個人的にも人類全体も、傲慢になると必ず亡びるのが必定である。 自社ビルの屋上の広告塔の看板に「夢・甲子園学習塾」と入れさせて戴いた。しかも夢の文字は恥ずかしげもなく、自筆である。天に向かって子供たちの夢を!その想いを第一にして、あえて批判も嘲笑も気にせずに、そして、黄色に黒字は地元の阪神タイガースのカラーにした。見てくださる方に夢を持っていただけるように。地元の人が地元を地域を愛して下さるように。その願いを込めさせていただいた。ビルの名前は「夢現ビル」。みんなの夢が叶うように・・・。 「絶対 ぜったい あきらめない」これはチャーチルの言葉。28年前に独立をして経営者となって、あんまり経営者らしくないし、経営感覚もないのだが、人並みに自社ビルの夢は持った。 そこに卒塾生がいつでも帰って来る『和みの場・寛ぎの場』を作りたかったからだ。でも、50前にボランテイア活動を始めてからは、あきらめていたと言うのではないが、なんとなく難しいかなあと思っていた?ところがご縁があって全てのことが順調に運んで購入することができた。これはもうほとんど100l他力のお蔭の様に思える。最近思うことは「お天道様のお蔭様、みなさんのお蔭様」ということだ。子供達に「世のため人のため」というようになって3,4年。このビルがそうならなければならないといけないと思う。地域の繁栄に繋がるように・・・。 (2004年 7月 3日 [土曜日])
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夢視=心通力 |
神通力。科学が進歩してこのような言葉も亡くなりつつある。変に使うと怪しく思われそうである。神に通じる力。でも、人間の不思議さ、素晴らしさ、神秘さは永遠に秘められた存在でありd解明されなだろうが、心と心が通じる力、心通力(じんつうりき)を持っている人はおられるように思う。それは人間の心の優しさ・素直さ・美しさに存在するのだろう。 6月30日の大安に自社ビルを購入オープンさせて頂いたが、お祝いの気持ちよりも感謝の気持ちの方が遥かに大きく、その想いもあって敢えてこの時期に皆様にはお知らせしなかった。9月に天の計らいが合えば、計らいがあれば「感謝の記念講演」をさせて戴ければ、嬉しいと思っているところである。しかし、心通力のある方は、私の方に感性を向けてくださって、なにやら何かを感じられるようだ。「虫の知らせ」、虫が知らせるという言葉があるが、これは感性感覚の様なもの、心がピュアな持ち主にはあるのだろう。虫は夢視(むし)、夢を視る力、想いを遠くに馳せて、遠くにいる人の心に馳せて、それを感じ取る力、美しい感覚の持ち主にあるものだと思う。30日に泡ガラスを贈って下さった稲嶺盛吉先生が芸術性の中にそれを保有しておられる。私はそう信じている。 今日、自宅に帰ると宅急便が届いていた。堺の安心堂というお豊富屋さん、白雪姫というお豆腐を作られている橋本さんご夫婦がそうだ。数年前に、次男がアメリカ留学する前に、ご馳走をしようといったら、白雪姫が食べたいといったので、阪急百貨店に買いに行ったら、橋本さんがいらしゃって奥様にその旨をお話しすると、代金を取らずに餞別としてくださった。そして、2年ぶりに帰国した日に、符号を合わせたように白雪姫が贈られて来た。注文をすれば、いつでも便宜を図ってまごころを込めて送って下さるのだが、この時はお願いをしたのではなかった。ご無沙汰をしていて息子の話もしたこともなかった。今日も、今日。去年の9月以来お会いしていなかったのに、自社ビルのオープンに合わせたかのように贈って来てくださった。これは単なる偶然ではない。人間の心の神秘性が為せる業、心通力だと私は思う。心の優しさ・美しさ・素直さが持ち合わせる心通力、私もいつの日かそういうものを持てる人に成りたい。無私、私心のない人が夢視=心通力を持てる人になれるのかも知れない。 (2004年 7月 2日 [金曜日])
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燦恋笑(3連勝)の夢 |
今夜はプレミアチケットが手に入って、阪神巨人戦のオレンジシート15段176番の席で観戦。昨年も甲子園では5連勝。今年は当日券が皆無の為、機会がなかったが、夏の阪神巨人戦のお誘いを頂いた。11対0で福原が100球の完封勝利。愛しの有明日(アリアス)も8回にホームラン。快笑劇を演じてくれた。星野阪神に比べて確かに勢いは微妙に弱い。大観衆の勢いも同様でヒートアップの度合いも暑さが違う。しかし、この3連勝は大きい。相手が巨人ということもあり、阪神夏の陣の開戦に相応しい。予想が当たれば今年の死のロードは3勝2敗の6割ペースが望めそう。勝ち負けを別にして巨人の戦いぶりはどうも優勝するチームの波・熱さ・勢いがない。勝ち負けの差が大きく粘りがない。中日が落ち込んだ時に我が繁心待我寿(阪神タイガース)の投手陣が奮闘するか、ロードから凱旋する時に1,2位にいれば6割の確立で優勝が期待できるであろう。福原と井川にかかっている。伊良部が復帰して7勝を稼いでくれれば夢が膨らむ。 3連勝(燦恋笑)の優勝を果たしてくれることが、ファンとしての大きな夢だ、それが星野依頼の新生タイガースの誕生に繋がり、関西の復活に繋がる。そのすべての鍵は金本が握っているようだ。燦燦と恋するような思いで美笑できること。これが地元の夢。タイガースの心を繁らせて我が寿を待つ者の大きな夢だ。女神よ、トラに美笑せよ! (2004年 7月 1日 [木曜日])
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