上高地の夢 |
結婚して30年になる。ここ上高地は新婚旅行の思い出の地だ。家族5人で来たこともあった。今回が4回目。その回ごとに感じ方が違う。今回が一番味わえたような気がした。子供の若い感性は確かにすばらしいものがある。しかし、感性と知性と人間性が伴った感じ方・見方・思い方も素晴らしいものがるのだとしみじみと思った。大正池は新婚旅行で朝靄の中を歩いた記憶がある。家族で来たときはあの明神池の神秘さに打たれた。一人来たとき梓川のせせらぎの美しさに心が洗われた。今回、台風一過の後、大正池も梓川も濁流の中だった。しかし、上高地が醸し出す「気」はなんとも言えぬもので、今まではそのようなものを感じ取る感性、気がこちらになかった。人間の心の幹に「美気」を与える美しい気がある。それは決して目に見えるものではない。50を過ぎて私は目に見えないものが見える感性が養われてきたとすればそれは素晴らしいことだ。神々しい山の懐に抱かれて醸し出す大気・空気・陽気が人の心を透過するように澄んでいる。風が気が清澄に確実にある。その中を私は泳いだ。 (2004年 8月 31日 [火曜日])
|
晴夢(ハーレム)の男 |
台風が接近して来た中、木曽御岳・上高地へ社員旅行に来た。十中八九、台風にぶち当たるという予報だ。二日間、傘いらずで過ごした。同行した人が傘を買い求めたが私は買わなかった。御岳の五合目で微かに降った。夜半は大接近で豪雨暴風だった。出かける前も降りしきった。上高地でバスから降りる前まで降っていた。前のバスの人は僅か7,8分違いだが降車しなった。私は私たちはみんな大正池の散策を楽しんだ。前日にも「これで台風が避けたら僕は晴れ男だ」と思うと宣言した。沖縄でも飛行機が出発して大阪に着く前に、台風を進行させた。勿論、僕の仕業でも何でもない。しいて言えば、ノー天気の性格で楽天主義がそのような思い込みをしているだけなのだ。 『雨の日は雨の坂道 雪の日は雪の坂道』これは石川洋先生のお言葉。大好きな言葉の一つだ。私は雨の日は決して嫌いではない。雨中の仕事はないので困るということも少ない。塾の行事で降っては困ることがあるが「ハーレム、ハーレム」と祈る。恵みの雨・恵みの雪もあるだろう。その自然を受け入れることが大切なのだと思う。 (2004年 8月 30日 [月曜日])
|
銅・華の夢 |
オリンピックが終わった。優終の美を飾ってマラソンが終わった。小学校の時代から、君原選手の時代からマラソンには憧れがあった。「電信柱、もう一本もう一本と思って走るんです」この感想を聞いていて、自分でも走って見ないと判らないと思った。この一つの想いと、もう一つの想い。いつの日か母を「東京見物」に連れて行きたいという願いがあった。私が40歳で母が83才。今から15年前、時代はもう「東京だよおっかさん」ではなかった。母の2度目の海外旅行、ハワイへ連れて行くのを兼ねてホノルルマラソンに挑戦した。小中学校の時代はいつもリレーの選手で短距離は得意だった。しかし、長距離は苦手、はっきり言って嫌い。でも塾の教師として子供たちに勉強を勧めている立場として、自分自身も苦手なことに挑戦した。42.195キロのマラソンは楽しかったか?苦しかったか?過去のことになると「走ってみてよかった」という感想しか残っていない。ハーフの21キロは2時間半、後半は痛い膝を引きずって4時間半。7時間13分というのが記録だ。ゴール寸前、母の前だけは走ろうと思ったが、走れなかった。でも、ゴールはした。48歳で伴走をしたときは8時間。膝さえ持つならば完走したいと今でも思う。 ブラジルのリマ選手が観衆に妨害をされたにも拘らず、見事にゴールをして銅メダルを獲得した。ゴールでの走る姿はすべての観客に大きな感動を与えた。完走後の感想も「感謝」をしてギリシャに対して称えた言葉を残した。あの立派さ尊敬に値する。真のスポーツマンシップを見た。オリンピックの精神を全世界の人々に教えてくれた。スポーツが人に与える影響は大きい。金も銀も銅も、誰よりも自分が納得ができるかどうかが一番大切なことかも知れない。リマ選手に「感動をありがとう」の言葉を送りたい。 (2004年 8月 29日 [日曜日])
|
五輪を包む、一輪の花の夢 |
なんと美しい美笑だろう。 君は輝く 君の涙も輝く その輝きが 見る人の心を清める なんと美しい雄姿だろう 君は光る 君の汗が光る その光を見つめて 人々が感動をする 誇ればいい その誇りが私たちの誇りだ 君が大きく見える その大きさに敬意を表す そして何か自分自身も誇らしく感じる スポーツマンシップ それは優しさ 強さと思いやりと 敵を思いやる優しさ 直向で一心で その一瞬の純粋さが美しい お金も政治も妬みも 捨てきったところに 美しい花が咲く 五輪ではない それは一輪の大きな花でなくてはならない (2004年 8月 28日 [土曜日])
|
イチローの夢 |
■何でもいいから目標を持つことそれを持つことによって、 人の話をきちんと聞いたり自分を大切にできるようになる■ イチローが4年連続の200本安打を達成した。最終打席で見事なホームランを打った。イチロー選手自身の夢はともかくとして、日本の野球ファンのためにもぜひ、大リーグのシーズン最多安打を達成して欲しい。そうすればその記録は大リーグに永遠に残るであろう。それは日本の野球ファン全ての人の夢だ。西武ファンの私はかつてオリックス時代にホームランを打たれた思い出があり。敵チームのスター選手だった。しかし今の彼は違う。日本の野球ファンの正に『希望の星』なのだ。 土井監督から仰木監督に代わり、鈴木からイチローに代わって一軍選手になっていきなりリーディングヒッターになった。彼はインタビューに答えて「変わったのは指導者です」と言ってのけた。一流の選手、一流の人間が言える言葉だ。以来、私はイチロー語録に注目をしている。彼はプロ野球選手として一流であるだけでなく、人間としても一流だ。少年野球の子供たちに大きな夢を与えている。松阪・清原は茶髪だ。イチロー・松井はその点は紳士だと思う。茶髪はもう日本人にも随分と馴染んできた。しかし、緑の黒髪という表現を知っている我が世代のものからすると、スポーツマンの茶髪はどうも受け入れがたいものがある。 頑張れニッポン。頑張れイチロー。日本人の夢をアメリカで花咲かせて欲しい。 (2004年 8月 27日 [金曜日])
|
書夢家の私 |
[ほっ」とする禅語70。これが私の遊書の教科書である。禅語そのものよりもここに書かれている文字が素晴らしく、私にぴったりなのである。これを時々テキストにして書かせて戴いている。50の手習いで、ちょっとだけ真似事で書き始めて愉しんでいる。 本の内容を少し紹介してみよう。 ■『不識』=知る必要もない。そんなことどうだっていいじゃない。知っているとか知らないとか、偉いとか偉くないとか、大卒だとか中卒だとか。男とか女とか。背が低いとか高いとか、体重が重いとか軽いとか、若いとか歳だとか。既婚者だとかバツイチだとか、子供がいるとかいないとか。あげく年収がいくらだとか。そんなことが私という人間を判断するとのに必要ですか。 知らなくていい。知ってどうする。知る必要もない。そんなレベルを超えたところに「不識」があります。 ■前に知ら無いということは、無いということである、と書いた。だから、知識はあったほうがいいと・・・。ここのところが難しい。事の善悪で必要、不必要を並みの人間がしなければならないのだ。だから日々修行して、学んでいくことだと思う。そのスタンスで書夢家の私で有りたい。 (2004年 8月 26日 [木曜日])
|
遺言・夢言 |
私の父は私が教師になることを願っていた。しかし父がなくなった当時は私は会社員だった。教師になった時、墓前に報告に行ったが生前は父が私に託した夢は果たせなかった。母は私が教師になり塾長になり、そのことを見届けて喜んでくれた。父が53、母が43で生まれた私は兄弟5人の中で一番付き合いが短い。しかし、末っ子ということで可愛がって貰ったというメリットはある。 今回の記念講演会で一人だけご招待している方がある。沖縄の熊さんのお父さんである。僕は両親と付き合いが短く(贅沢な言い分であるということは百も承知している)、父に対しては、そろそろ親孝行できるかなぁという頃に数え80でなくなった。運気・気運・気・幸気のある備瀬崎の熊本進さんは、僕が勝手にお父さん、おとうさんと呼ばせて戴いている方で、お会いするとなぜか「ほっ」として、温もりを感じる。しかし、道を外したら怒られそうで怖い。「母情」という短文を50書いているが、「親父の詩」はこのお父さんをイメージして書いた。3月に北中城で遊書展をさせて戴いた時、1時間以上も一人で車を走らせて来て下さった。さりげなくみかんを下げて父性愛を運んで来て下さった。「イヤァー、先生が勝手にお父さん、おとうさんと呼ぶもんだから、顔を出しておかないとね」と優しい笑顔で皆さんに講釈して下さった。お忙しいお父さんにしたら、本当の気がないと来れない場所だ。 親孝行というのは難しい。それは心の問題だからだ。天国にいる私の両親は、父は外へ行くと他人に優しい人だった。母は分け隔てのない大きな愛を持った人だった。少なくとも両親は親孝行を我が身でなく、全ての親にしなさいと教えてくれたように思う。全ての子を我が子と思い、全ての親を我が親と思うことができたら、地球に平和が来るように思う。それが私の親の遺言・夢言だと思う。 (2004年 8月 25日 [水曜日])
|
天運の夢 |
野球競技で日本がオーストラリアに準決勝で敗れた。放送中、星野阪神元監督が「野球は強いから必ず勝つ、弱いから必ず負けるとは限らない」と語っていたのが印象的だった。事実、残念ながらそうなってしまった。松阪が好投して順調だったが、ワンチャンスをものにされて、振り遅れにも近いバッテイングのヒットで1点を許した。しかし、2度戦って2度敗れたのだから仕方がないのかも知れない。私は松阪が所属する西武ライオンズのファンだから、彼を横浜高校時代から見ているが、彼はあの甲子園のマウンドで、人生最高の運気を使い果たしているような気がする。西武が優勝した時も日本シリーズではいい結果を出せなかった。その点では、オーストラリア戦は結果論ながら、ホークスの和田選手の方が良かったように思える。清原も巨人に行ってからはパッとしない。野球も人生も経営も人間のすること為す事、全てには運気というものが在るように思える。これは人為では及びの付かないものである。ならば全て運任せ、天任せかというとそうでもない。世の中には悪運の強い人も沢山いる。しかし、それはお金の面であったり、物質的な面でそうであるという話であって、精神世界では悪運などはなく、善因善果、積善展運で善い事を積めば運は展がって行くものだ。人事を尽くして天運を待つ。直向に機を積むことだと思う。 (2004年 8月 24日 [火曜日])
|
夢をありがとう。 |
野口みづき選手がアテネでマラソンのゴールを切った。実に見事な優勝だった。スタンドに帰ってきたとき、笑顔で手を振ったが、ほとんどの日本人はハラハラドキドキしながら固唾を飲んで応援をしていたのではないだろうか。一瞬、東京オリンピックで円谷選手がドイツのヒートリィ選手にグランドで抜かれたのを思い起こさせた。しかし、それは走っている本人が一番良くわかっていることで、野口選手の自信に満ちた顔は何とも素敵だった。インタビューも謙虚でおくゆかしく、本心から感謝に漲っていた。優勝もさることながらあの言葉に全日本人が感動をした。50代以上の我々日本人にはどこかに過去の日本選手の精神的プレッシャーの脆さを知っていて、期待されすぎると弱いという反面性を何度も味わって来ており、弱気の虫があることは事実だ。だから、過度の期待はしないようにして、奥ゆかしい期待をしているものなのだ。 しかし、今回の日本選手の活躍は「凄い」。そして、過去のそのような思いを払拭してくれた。「やるじゃないか、若者たち」このような感想が年配層の日本人に起きて、若者が見直されたように思える。がんばれニッポン!これからは君たちの時代なのだ。夢をありがとう!勇気をありがとう!野口選手、日本の馬鹿なマスコミに潰されることなく、何時までも謙虚に・・・。 (2004年 8月 23日 [月曜日])
|
道産子の夢 |
今日は休日、朝起きて神戸に映画を見に行く。「華氏911」その後、そごうに行って、五木寛之氏の「百寺巡礼展」へ行く。その足で甲子園球場へ行って高校野球の決勝戦をみる。甲子園球場から神戸のヤフーBBスタジアムへ行って西武対オリックス戦を観戦する。帰宅して、入浴夕食後、塾へ行って、オリンピックの女子マラソンを見ながら夜中の3時ごろまで仕事をして帰宅する。元気一杯、充実の一日だった。 ■映画■ブッシュを見事にバッシングした映画。アメリカという凄さとアメリカ映画の凄さを実感する。日本だったら大変なことだろう。 ■高校野球決勝戦■かつて沖縄尚学院が優勝した大会も甲子園で観戦した者として、これは千載一遇の機として北海道勢が優勝する瞬間をみないてはないだろうと甲子園に駆けつけた。駒大苫小牧が見事に四国の済美高校の春夏連続優勝を阻んで初優勝を成し遂げた。済美が2回の表、フォアボールと死球で5−1にした。この時点で勝負あったと思わせた。過去の甲子園、野球の流れで行くと勝負あったの感があった。しかし、甲子園には魔物が住んでいる。勝った!と思ったら負けで、形勢が一転して逆転されることが多い。これは全ての勝負事のアヤかもしれない。それは心で動いている人間の仕業である所以かもしれない。7回の攻撃で苫小牧が3点を入れた、これで勝負があったと思った。レフトスタンドから見ていて、あれはサインではなく2塁ランナーが猛然と走って打者が打って、見事に点を入れた。勝負だった。乱暴な言い方をすると博打である。でもあれが効を奏して勝負が決まったように思えてならない。北海道万歳!苫小牧の選手の皆さんおめでとう!心から賞賛します。沖縄も北海道も実力に勢いをプラスして天を見方にして、甲子園のファンを味方にした。甲子園の女神は指導者である監督のタイプは間違いなく、謙虚な人だ。今回は済美の監督も謙虚な方であったが一分の差があったのかも知れない。 (2004年 8月 22日 [日曜日])
|
名刺の夢 |
新しい名刺を作った。「チャリテイ−遊書を通じて愛と平和を〜字遊人〜西口賢治」という肩書きにしてある。メール・ホームページのアドレスも入れてある。ブラウンの色調に一本の大樹があり満月が出ている。ビスタプリントでアメリカに発注したものでカラーの台紙にネームを入れてもらうものである。月が出ているのがそれだけであったのでそれを選んだ。沖縄に月の会というのがあってそれに入れていただいている。2年前の9月の満月の日にその会があって、美ら島の満月を拝んだ。それ以来、自分には大きなツキが廻って来ているように思う。月はツキを呼ぶと私は信じている。二年前、中国の旅で劉さんと出会った。彼女のメールアドレスがhappy-lunar(ハッピィルナー)、中国語で書くと幸月、幸せな月ということだろう。劉さんと出会ってからも幸運が運ばれて来ている様に思える。今の私はスーパー楽天主義で全てが幸運と思えるようになっている。日々仔細なことで確かに心煩うことはあっても、それは日常のアヤで、受容力が増大してきている。晩生、大器晩成という恩師の言葉が今や、遺言となってしまったが「世のため人のため」に心から大器晩成で有りたいと願っている。この名刺の夢を乗せて多くの人にツキを配りたい。そう本心から願っている。 (2004年 8月 21日 [土曜日])
|
夢縁(むえん) |
夢円の縁=夢のサークルが結ぶ縁。 同心円の中で拡がる夢。 同心円の中で繋がる心。 同心円の中で結ばれる愛 同じ夢を持つことが出来たら繋がり愛ができる 同じ方向を見つめ合えたら支え愛ができる 同じ思いを持つことができたら譲り愛ができる 夢縁は夢現に繋がる 夢縁は永縁に続く 夢縁は夢円に拡がる 心が一つ 夢が一緒 愛が一途 (2004年 8月 20日 [金曜日])
|
画夢(ガム) |
前回の渋谷での遊書展でお出愛したMさん。親子3代のプロのカメラマンでお爺様は昭和天皇のスナップをお撮りになっておられたという方で、今日、わざわざ尼崎まで来てくださって写真を撮ってくださった。12月の個展に備えての撮影で8人の男性を撮って下さるということで、そのうちの一人に選んで下さった。キッカケは小生の「武士道」という1メートル四方の段ボールに大書きした字を見て、どのような顔をして書いておられるのかを見たいということだった。夏休みは朝から晩まで授業で、ここのところ書いていなかったので久しぶりに筆をとって大書きした。語っているところも撮っていただいたが、流石に凄い、プロは違うと思ったのは、自然にこちらの知らぬ間に語り合っていてそこをシャッターされる。こちらにするとまったく意識しないで撮られていたという感じだった。世界に一冊しかない写真集の本を作っても下さるようだ。これはとても楽しみにしている。ご夫婦でカメラマンをしておられて絶妙のコンビネーションで撮ってくださった。どんな出来上がりか楽しみだ。『風貌』にこだわってきた私としてはプロの手で自分の風貌を撮っていただくのは有難いことだ。おこがましいことではあるが「はい、有難うございます」と素直に受けさせていただいた。考えてみれば、プロの人に頼んでも撮っていただけないのが普通なので光栄なことだと思っている。画夢、被写体にアップに耐えられる顔で合ったのかどうか、正直心配はしている。楽しい一日になる志事がお互いにできたと思っている。本当に有難いことだ。 東京からのお客様ということ、お昼はお好み焼きを「てんてこ」という甲子園口のお好みやさんで食べて、夜は「包」(パオ)で、たこ餃子を食べた。美味しいといって戴いてほっと安心した。 (2004年 8月 19日 [木曜日])
|
賢治の学校への夢 |
9月9日、重陽の節句の日に感謝の記念講演会をさせていただく。これは自社ビルのお披露目を兼ねさせていただいている。石川洋先生に来ていただいて「教育根」という内容でお話をお願いする。すでに親しい方からはお祝いを頂戴しているが、お付き合いをさせていただいている方には、礼儀・挨拶も兼ねてお知らせさせていただこうということで、 ご案内させていただいている。業界のお付き合いも有り、学校関係のお付き合いもある。異業種の方とのお付き合いもある。 厚かましいお願いをさせて戴いた。お互い様のことでお祝儀を頂戴させていただくのであるが、この金員については全額、カンボジアの学校建設資金として運用させていただくようにお願いした。小生の悪い性分なのだろうか?思い立ったら、どうしても何とかしたくて来年の4月までに220万円を目標に募金したいと祈念している。今年の遊書展の売上金もそのためにプールしている。私一人の力ではどうしょうもないことだが、皆さんのお力をお借りすれば可能だと思っている。学校には名前を付けさせてくださるそうである。皆さんのご意見も拝聴させていただこうと思っているが、私の名前が、あの偉大な教育者でもある宮沢賢治先生と同名なので、宮沢賢治の博愛の精神に学んで「賢治の学校」にしていただこうと思っている。それを日本の塾人の良心として形にしたいと夢を見ている。 (2004年 8月 18日 [水曜日])
|
北京への夢 |
何度見直したことだろう。谷本歩実が女子柔道で金メダルを獲得した。柔ちゃんの金メダルは半ば約束されたものとして日本国民の全てが期待していたもの。それだけにその期待に応えた谷亮子の金メダルは価値があるが、谷本選手は柔道通でなければそう知られていて選手ではなかたはず、それだけに日本人の喜びようも大きい。今夜は日本が大フィバーした一日になった。 やはり、スポーツの国民に与える影響は大きい。それは高校野球にも象徴されるとおりのようだ。感動を与えるということでそれは素晴らしい。今回の柔道は実に面白く、普及にも大きな役割を果たしている。女子バレー、ソフトボールが振るわないが、今年の夏はオリンピックイヤーで猛暑も重なってフィーバーしている。 振り返ればバルセロナ・ソウルは行きたいとチャンスを狙った。アテネは仕掛けをしたが叶わなかった。2008年、北京でのオリンピックは行くことに2004.8.17に決めた。やはり行きたいではなく、「行く」と決めないと実現しない。すでにフェイントはかけている。上海の中国人の友達と、泰山にいる日本人の知り合いに開会式の入場券の入手に対して尽力してもらえるように頼んでいる。目指せ!北京。夢を膨らませよう。 (2004年 8月 17日 [火曜日])
|
母絵夢(ポエム) |
お盆。義父のお墓参りをして、両親のお墓参りをして来た。母が私に描いた夢の絵はどんなものだったのだろう。母が私に歌った詩、ポエムはどんなものだったのだろう。母の期待に叶った絵を私は描いているのだろうか。母の詩に叶った生き方をしているのだろうか?思えば父も母もお仕着せはしなかった。夢を託すこともしなかった。自分の生きる道を進めと言ってくれたような気がする。一度、父に将来のことを相談したときに「俺は明治の人間だからわからない。だから、自分が正しいと思う道を進め」といってくれた。この時ばかりは心底、親父を尊敬した。親父は私に無言の遺言を遺した。それは「しんどい」という言葉を言わなかったことだ。私が大学に入学する70の年まで親父は働いた。真面目一徹の親父は定年後、商売を始めてお菓子屋をしたが上手くいかなかった。その後、いろいろと仕事をしたが、器用な親父は大工を手伝いを70までした。文字通りの老骨にムチ打ってという状況だから、さぞかし仕事はきつかったことだろう。しかし、決してしんどいとか弱音を吐くということは一度もなかった。愚痴・文句・言い訳もしなかった。明治男の気骨を私に伝えてくれた。母は九州佐賀の人で、阿蘇のようにおおらかな人だった。苦労をも吹き飛ばす楽天的な人だった。その血を受け継いで私は生きていると思う。それが母絵夢の一つかも知れない。(8月15日記載) (2004年 8月 16日 [月曜日])
|
隣人愛の夢 |
1年前の夏、河回村(ハイファマウル)でこの日を迎えた。ここはエリザベス女王が訪問下ところで600年前の韓国の民家がそのまま残っている所で、長閑で安らかな気がある所だった。8月15日は日本にとっては終戦記念日であるが、韓国では祖国復帰の平和記念日なのだ。朝の散策中に出会った女子大生にそのことを教えられた。中国でも同様なのだろう。アジアにおいては8月15日は特別な日である。日本側から一方的に見れば、日本が開戦をして敗れて終戦を告げた日であっても、他国から見れば忌まわしい戦争がやっと終わりを告げた復帰の日なのだ。かつて沖縄が復帰したことを我々が喜んだように韓国や台湾にすれば祖国そのものが自分たちのものに復帰した記念日であるから、その思いは格別なものがあるのだろう。靖国神社参拝について、私たちは日本人としての主観だけで言論し論争して主張し批判する。21世紀の国際化の時代にあるならば、隣の人への思いやりは当然必要であろう。政治的なことでなく、互いの思いやりの中での意識の国際化を自然に考えられるようにならなければ・・・。「水に流す」という思想はおそらく東洋の叡智であるように思う。過去の歴史は変えることはできない、アジアの農耕民族は略奪・侵略という攻撃的なエゴを行動原理にするのではなく、隣人愛のもとに相互扶助の精神が土台にあるはずだ。地球を歩いて感じること、中国・韓国にいると違和感がない。向こうもまた私のことを異邦人とは思っていないようだ。日本語を喋らなかったら気づかれないことすらある。日本の名字いうとそのルーツが韓国でわかるそうだ。隣人愛こそが国際化の第一歩であると思う。 (2004年 8月 15日 [日曜日])
|
虹色雲の夢 |
佐田岬は四国の最西端に位置するため朝日は海からは昇って来ない。大洲の方から昇って来る。灯台の下から山の陰を越して陽が昇る。雲が日の出の部分から美しい七変化を見せる。レイクグリーン。バイオレットピンク。スカイバイオレット。人工の絵の具にはない色が、雲をカンバスにして朝日が染めていく。3日間、3夕3朝パーフェクトにお日様にお出愛させていただいた。日頃の精進がいいのだろうか、素晴らしいご褒美をいただいて晴れ晴れとした心で朝の晴天を拝んだ。初めての写真旅行、初めてご来光を目的にして、四国三岬、お遍路の旅に出かけて、お日様と星空に恵まれた。感謝で朝日を向かえ感謝で夕日を拝む。朝4時半に起床して、夜10時に就寝して、太陽の恵み太陽のエネルギーを拝領した。なんと幸せなことだろう。 室戸岬・桂浜・四万十川・足摺岬・大洲・佐田岬・大歩危小歩危・祖耶谷・蔓橋(かずらばし)。お遍路さんの路を1400キロ。教え子と二人旅、お天道様に守られて恵みを戴いた旅だった。 ■丁度、我が子と同じ年の教え子と3泊4日、「風に吹かれて」1泊目の室戸だけを予約して、あとは気の向くまま風に任せて車で駆ける二人旅、どこかで繋がっているか、気が合うか、ナチュラルに合わせるか、 それでないと二人旅は愉しめない。教え子に感謝。 (2004年 8月 14日 [土曜日])
|
SAME(星夢) |
昨日中に足摺岬到着した。高知県の最南西端の室戸岬から、竜馬の桂浜を見学して、四万十川を上流から下流に南下して最東端の足摺岬に到着した。今朝も4時半起床で岬の先端の展望台からご来光を待つ。ここは宿泊施設が近くにたくさんあるためにギャラリーがいっぱいになった。しかし、そこはご来光を見に来る人とあって、素晴らしさに感動はしてもみんな静粛にその一瞬を待つ。雲の様子が日々異なる。周囲の風景が異なる。そこにある空気が異なる。地形が異なる。微妙に時間が異なる。だから、朝日が素敵に異なった顔で眼前に現してくる。朝のなんとすがすがしいことか。静寂が太陽の気配で全ての生き物が静から動に動き出す。それは全ての生き物が太陽の恩恵を得て生きている証そのものなのだ。 午後4時過ぎには四国の最東端、愛媛県の佐田岬に到着。絶景の夕日の沈み行く様を見つめる。灯台の麓にあるキャンプ地に泊まりそのお蔭で星空を仰ぐことができた。夏の大三角・北斗七星・北極星、そして天の川。清澄な夜空に大パノラマを映して満天の星が広がった。星が瞬く。町に住んでいるとそれを忘れてしまう。私は浜辺に寝転んで天を仰いだ。金色に輝きながら流れ星が一つ、天空を横切っていった。 この美しい天空は誰のものであろうか?地球という星は国境があって縄張り争いを有史以来繰り返しているが、宇宙は決して誰にも支配されない。国境が無い。人間の力・知恵・欲では天空に国境は引く事ができない。みんな同じ=SAME(星夢)なのだ。星の輝きは平和を希求するかのごとく優しい。その美しさに分け隔てがない。 (2004年 8月 13日 [金曜日])
|
朝に礼拝、夕べに感謝。終日夢。 |
朝4時半に起床。下弦の月の横に明けの明星。金星が未だキラキラと煌いている時分に起き出して朝日を撮りに行く。室戸岬の昨日の反対側に来て朝日を待つ。朝闇が薄れ静かな朝が白々と薄明るくなってくる。陽が昇るであろう所に赤味というよりもピンク色に一点が染まってくる。円形の一点がオレンジに燃えて弧の一部を現す。秒という時を刻んで太陽が顔を出す。ご来光、この世で一番美しい円を描いて日の出が地球に顔を出す。日頃の精進がいいのだろうか、昨日の夕日と今朝の朝日と見事な日輪を私の前に拝ませていただいた。莫大なエネルギーを燃え滾らせて、静寂の朝にエネルギーを大地に降り注ぐ、朝日の輪郭が3個分までは肉眼で凝視できる。その高さを越してしまうと、もう眩しくて見つめることができない。光の屈折の関係か、距離感の関係か色が異なり大きく見える。静溢な大地に朝を告げて全ての生物に命のエネルギーを与える。その太陽の偉大さに心から畏敬の念を持った。写真旅行の目的は「太陽の恵み」〜その朝と夕のエネルギー〜。凝視しようとして見つめれば見つめるほど、その凄さに感動を覚える。我、ただただ感謝するのみ。 ■今日、うれしかったこと■ 高知の須崎町で名物の「なべ焼きラーメン」を食べる。ガソリンスタンドで尋ねたら地図をくれて、お勧めの店を教えてくれる。50件ぐらいある中でそこヘ行く。行列満員で店内で待っている間に熊さんに絵葉書を書いて振り向くと、ここは宮様が来られた所。熊さんの所にも起こしになる宮様で、そのことを早速、沖縄の熊さんに電話を入れると、宮様をお迎えに行っている最中とのこと。この偶然の一致になぜかうれしさが溢れた。鍋焼きラーメンは美味しかった。 (2004年 8月 12日 [木曜日])
|
日輪の夢 |
ひれ伏したくなる様な、手を合わせたくなる様な日輪、夕日を拝んだ。四国、室戸岬へ来ています。お盆の休みに何処へ出かけようかと思案して、教え子と二人、写真旅行を計画して室戸・足摺・佐田岬の岬巡り四国一周の車旅。 室戸岬の太平洋の遙か向こうに沈みゆく夕日を眺めて、日輪の見事なまでの色に心が震えた。赤でもない、紅でもない,オレンジ色でもない、その神秘的な色は正に自然が宇宙一の芸術家であることを痛感した。日輪というのも今までは言葉としてだけの認識であったが、実感として日輪を体感した。今までにも夕景は世界の町を歩いて眺めて来たが、今日の様なはっきりとした凛した太陽は初めての様な気がする。 太古の昔、人々は太陽を崇拝し畏敬の念を持って拝んできた。それは美にたいしてなのだろうか、そのエネルギーの持つ偉大さにたいしてなのだろうか?そのようなことを考えさせられた。私の中にある野生、それは決して野蛮なものでなくNaturalな自然な純粋なもの、その様なものの回帰、そんなことも考えさせられた。人類の歴史の中で、日輪を仰ぎ見て夢を描いてきたものも数多くある様に感じた。 ■今日、うれしかったこと■ 室戸の「海の駅」で小さな西瓜ではあったが、半個100円。その場で切って食べたいといったら、「甘くないですよ」とおっしゃる。この値段で在ることが、それだけでうれしい。水分一杯、あっさりしていて渇いた身体にグー。夕日・朝日のポイントまで教えていただいてほんとにうれしかった。 (2004年 8月 11日 [水曜日])
|
ドリームシップの夢 |
合宿3日目。ドリームシップ。 スポーツマンシップに則り正々堂々戦います。甲子園球児が宣誓するように、ドリームシップの基本も本気になって実現したのであれば、正々堂々と宣言することだ。このことによって自分自身の気持ちが一歩前進する。他者の協力を得られるということで一歩前進する。潜在意識に浸透させるということで一歩前進する。3歩も前進したら夢半ば達成というものだ。人間には向上心というものが本能として備わっている。動物的な食欲・睡眠欲はほっておいても沸いてくるものだが、スピリットの部分の本能的なものはそうはいかない。向上心も放置されたり、外部の抑圧や制圧によって減退される。ここにいい刺激といい環境といい学習指導がなされないと、向上心は萎んでしまう。今の子供たちが夢を持たないのは多種多様の要素があるが、知識情報の不足もさることながら、ハングリー精神の欠如も大いにあると思われる。心の豊かさに対して貪欲さが無いというのも大きい。周りの大人が夢を語らない、実践しない、手本を見せてくれないというのも大きいだろう。 小さな夢の積み重ね、小さな夢の達成感。ここからの歓びから目覚めて欲しい。夢が有りすぎて、夢の価値が薄れていて、夢がゴロゴロしていて、わからない見えていないということもあるのだろうか? ドリームシップを教育の対象にしないといけないようにも、このごろは感じてきている。 (2004年 8月 10日 [火曜日])
|
チャレンジシップの夢 |
合宿2日目、第2話。チャレンジシップ。「優愛・大志・挑戦」これが甲子園学習塾の塾訓。成功者の不可欠の共通項は『挑戦』、チャレンジシップであると思う。普通は子供は親に無難に危険性を避けて安全に安全に育てられる。学校では勉強以外は「みんな一緒」がベストだと、普通であることが望ましいと義務教育で擦り込まれる。成功しなくてもいい、お金持ちにならなくてもいい、普通に幸せであればいいという子供たちが増加している。競争原理を否定する中で子供たちは一日の大半を学校で過ごすのであるからその影響も大きい。母親も失敗することを避けさせる。その中からなチャレンジシップは芽吹く可能性が低い。 赤ちゃんが伝い歩きを始める、机の角を離して第一歩を踏み出すのも一つの挑戦だ。人間はその中で成長するはずなのだ。人生を賭けての挑戦は3度ぐらいでいいかもしれない。しかし、いざという時のチャレンジシップは、日々のトレーニングがないと難しい。人間、不可能なことに挑戦するということは滅多に無い。1パーセントの可能性があれば、結果はどのようになるかわからないものだ。人類の歴史は不可能を可能にしてきた。若さの特権、若いという宝物は挑戦する大いなる権利を有していることにもあると思われる。少年よ大志を抱け、少年よ、先ず挑戦してみよう。これは私自身にも言い聞かせている言葉だ。 (2004年 8月 9日 [月曜日])
|
リーダーシップの夢 |
今日から受験合宿2泊3日。尼崎高原ロッジ。ネーミングから想像するに素敵なイメージがあるかも知れないが、猪名川町で尼崎市から約20キロ北部にある山間部。木が多いという点では都会の雑踏を離れて落ち着く。3日間30時間の合宿。私の役割りは生徒への講話。 リーダーシップ。受験合宿だから生徒たちは専ら勉強にのみ目標を置いているのだが、それは勿体無いということで、3日間の一つのテーマとしてリーダーシップを学んで欲しいと提言する。リーダーシップは優しさ厳しさを持ち、明るく元気で他者に思いやりが有り人望が無ければならない。正義感・判断力・率先垂範する行動力。これは学力よりも確かなものとして、将来の子供たちの人生に有用なものであると思う。指導者精神ということであるが、それは決してリーダーだけが兼ね備えればいいというものではない。一人ひとりの人間が自分を人間経営していくように、どのような立場にあっても有用であるものだ。子供には子供なりの人望というのもある。それは人気という言葉なのかも知れないが自他を見ることができる人となるように育って欲しいと思う。一人の人間が生きていく中で、ケースバイケースで時にリーダーシップが必要であるはずだ。母と子の関係においてもリーダーシップのある母とそうでない母に育てられるのでは大きな差があると思う。15歳の子供たちがそれを自覚して日々を送るだけでも違うと思われる。 (2004年 8月 8日 [日曜日])
|
向日葵の夢 |
春は選抜から、夏の高校野球は暦の上では立秋だが、熱暑の夏が到来する。甲子園球場が80周年で86回目の全国高校野球選手権大会が始まった。全国の耳目が甲子園に集まる。TVを通じて野球を知る人が観戦する。それは「根性」という名の権化として、象徴として捉えられる。偏見でいうと野球でしか根性が付かないようにさえ誤解されるほどだ。しかし、あらゆるスポーツが、あらゆる「こと」がその直向な鳥雲次第で、根性が付くことを忘れてはならない。スポ根があるならば、勉根もあるはずだ、一方は派手で、一方は地味ではあるが確実に身に付くような気がする。ドラマチックという点では野球に軍配が上がるだろうが、果たしてそうだろうか?受験勉強という名のドラマにも夢が有り涙が有り、代えがたいかけがえのない体験がある。一日10時間の勉強と野球の練習とどちらが大変だろうか?それは比べるべきものではないだろう。「みんなちがってみんないい」と言うのは、決して一人ひとりの個性に対してだけ言うのではなく、全てのものにいえることであると思う。ひとつ一つのことにそれぞれの違いがあってこそ、より良い素晴らしさがあるのだと思う。球児の夢、受験生の夢、それぞれに向日葵の如く凛として天に向かって咲いて欲しい。 (2004年 8月 7日 [土曜日])
|
イギリスへの夢 |
天使からメールが飛び込んで来て、イギリス行きの留学ビザがおりて、今夜、北京に向かい12日にイギリスに立つという。一週間ほど遅れたのはお国の事情だろうか? 中国は今、近代化の波が押し寄せている。北京も上海も大都会であるが、そして、西安は世界的にも最も古い大都市ではあったが、ロンドン・ニューヨーク・パリ・東京に比べると現代化という歴史?が違う。天使はイギリスのマンチェスターで何を感じ、何を思うのだろうか?そして、そのカルチャーショックから何を学ぶのだろう。半年の留学生活でどのように変化成長するのだろう?健康とグッドラックを祈る。 ■ 愛は愛するものを持つ人の心の中にある 夢は夢を持つものの心の中にある 「知ら無い」ということが無いということであるように 愛も夢も持たない人には その存在がない 人は何ゆえに愛を抱き 何ゆえに夢を抱くのか 愛は夢は 始めから心にあるのだろうか 美が学習で体得されるように 愛も夢も育まれるように思われる 愛される人は愛を学び 夢ある人に感化される人は夢を学ぶ だから 愛を夢を伝えよう 語り合おう 分かち愛しよう (2004年 8月 6日 [金曜日])
|
宇宙円の夢 |
眼に涙が滲んで来て文字が読めない、心が微かにながら震えていることを感じる。そのような文学との出会いが「野菊の墓」であり、「伊豆の踊り子」であった。 サマースクールで子供たちを東京デズニィーランドに引率する。午前中は4年生の女の子のお供をして一緒に回る。午後からは無罪放免されて単独自由行動。永年気になっていた場所を訪れて見た。舞浜から約30分、ここは葛飾柴又、帝釈天。「トラさん」の生誕地。参道を歩いてとらやに入って草だんごを食べる。帝釈天に参って江戸川の堤に出る。映画の場面どおりの風景が広がる。葛飾と松戸の県境の江戸川の「矢切の渡し」があった。平成の世に、未だ面影をうっすらと残し渡しが観光的であったとしても残っているのはうれしい。そう、こここそがあの野菊の墓の、冒頭の回想シーンで始まる「渡し」の舞台となった所。トラさんに惹かれて柴又に来たのだが、野菊の墓のゆかりの地ということを知らずに訪れただけに、何か見えない大きな力が働いてここに引っ張ってこられたような気がして、場所との出愛の縁を感じて感傷的にもなり感動を覚える。野菊は私の母のイメージ。凛として芯の強さを感じさせる姿と紫の色に母を偲ぶ。昨日、5分とはいえ母の墓前に合掌をしてきたことが、ここへ招かれた由縁かも知れない。ここ2,3年、私の周りがみんなそのように動いていくのを感じる。そう感じて生かされているという不思議さと宇宙的縁=宇宙円を感じる。そしてその中で夢が拡がって行くことの歓びをひしひしと感じる。 (2004年 8月 5日 [木曜日])
|
名夢(NAME) |
中学を卒業して、はや40年。同窓生と会うと今でも「賢ちゃん」と呼ばれる。当時としては珍しく、担任の先生からもそう呼ばれていた。授業中も。あだ名を呼ばれている人もいたが、私に限っては西口ではなく、賢ちゃんだった。今、思い返すと優越感を感じていたと思う。それが潜在意識に作用していた分、いい子でいられたように思う。 塾の子供たちも同じだ。名前を呼ぶということは認識されている。認められているという証明でもある。最近、少し違うのは、それに対して甘えてくることが多いことだ。ある面で授業中は、姓を君・さん付けで呼ぶほうがいいように思う。名前一つの呼ばれ方においても、今の子供たちは「けじめ」が難しい。これは日常生活の中での節目、フシメがない生活を送っているからかも知れない。パパ・ママという呼び方もそうかもしれない。それが何時の日か望ましい形で、お母さん・おふくろ・おかあに変化するのはいいが、けじめもなくおばん・おばはんと疎ましく呼ばれるようであれば困りものだ。親も子もけじめがつけられないということは、一時が万事でいろいろなことに通じることに繋がる。それは単なる名前の呼び方ではない。愛称としての相手の心にどのように響くが大切なのだ。親は名前をつける時、名前に夢を託して名付けるはずだ。その託された夢を果たしていくことに、名夢の夢もあると思う。 (2004年 8月 4日 [水曜日])
|
旅枕・夢枕。 |
非日常性の中に旅の面白さがあるとするなら、多少は不自由して不便さがあったほうが面白い。自宅にいるような快適さはないが、それは決して不快適というものではない。夏、クーラーの効いた部屋で過ごすのは確かに過ごしやすいが、本当に快適かといえば疑問符が残る。暑いにせよ寒いにせよ、本物の風を肌に感じることがない。水を打ってその後に吹く風の温度に涼を求めるということに無縁になってしまう。夏は暑いから夏である。それが日本という風土で育ってきた人間の季節感だ。思えば今の子供たちは快適性と便利性と合理性という名のもとに、ものの本性にふれる機会がなくなって本物を見分ける力、本物の良さを知らない子が多い。これを学校や塾という機関で教育することは大変なことだ。また、これらのことは「教育」という言葉を借りずに日常性の中で「生きる」という中で学ぶことだと思う。そのほうが生きてくるはずなのだ。人類は不便さの中で学ぶことによって、日常的な文化を高めてきた。それはもう生活という基準からいうと、ほぼ頂点に達してきている。度が過ぎた快適性や文化的生活は決して人間を賢明にはしない。その犠牲になっているのが子供たちのような気がする。不自由さを学ばせることを提唱する親・大人・教師がいないことにも淋しさを感じる。夏休み、旅に出て非日常性の中から多くを学んで欲しいと思う。 (2004年 8月 3日 [火曜日])
|
世夢物(よむもの) |
[しろばんば]井上靖の自伝的小説。伊豆の湯ヶ島を舞台に小学2年生の洪作を主人公にした物語である。随分と昔から気にはなってはいた作品だが読む機会がなかった。この夏休み、授業の合間の休み時間にチョコチョコと読んで、その内容に感動した。少年時代に誰もがあの瑞々しい感性で感じ捉える諸相を実に的確に表現していると思う。 昨日、ダイソー(100円ショップ)で夏目漱石の「こころ」を前後2冊、200円で買ってきた。何か得をしたような気分で嬉しかった。私の学生時代は文庫本というのは1〜200円が相場で、廉価で持ち運びやすく何処でも読みやすいということで重宝された。それがかのK文庫がカラーカバーをつけて安いものでなくしてしまった。1000円の文庫本が登場しているのだから、私の年代のものには買うのに躊躇する。ダイソー文学シリーズは2色刷りで読みやすく、語彙の説明が親切である。これを機会にぜひ、安いから買ってみようということで、キッカケを作って本を読む面白さに出会って欲しい。愛読者を増やして欲しい。目下30冊刊行されており、著作権の関係で古典的な文学書ばかりが並んでいる。書店だと娯楽本・流行本に紛れて見つけられそうにない本が揃っている。これが100円で出版されるということは大手の出版社はどれだけ儲けているのだろうかと、疑いたくなる。出版業界も商業ベースにまみれている。いい本が売れる、いい本が出版されるということが基本であって欲しい。売れれば何でも出版するというのでは寂しい。読書は世の夢を読む物、世界の夢を読む物としての世夢物である。 中学校時代に「1冊の良書が人生を変える」この言葉に出会って、私は本を読むように心がけるようになったのだが・・・。 (2004年 8月 2日 [月曜日])
|
満互の夢A(マンゴーのゆめ) |
熊さん(ペンションびせざきのオーナー)からマンゴーが100個届いた。朋遠方より来る、また悦ばしからずや。というが、心が届いて心に感謝することもまた愉しいものであり、悦ぶべきことである。マンゴーが100個というと大変だが小振りの美味しいくて食べやすい1口サイズのものだ。これは先ず産地でコネがないと手に入らない代物だ。実質的で食べやすく美味しい。去年も贈られて来て、私の夏バテ健康美容食として朝食になる。朝起きるのが楽しみになる。渇いた身体に太陽の恵みを一身に浴びた亜熱帯植物のマンゴーの芳醇な果汁が心と身体に染入る。そうすると何か太陽のエネルギーを貰ったような気がして活力が湧いてくる。普通は植物は体の食べ物であるが、このマンゴーは熊さんの心がついているので、私の心の食べ物になる。日本人が挨拶として使う「もったいない」「お百姓さん有難う」「いただきます」という言葉には、本来汗水流して作ってくださった生産者の人の心がついていて、食べる人がその心をいただいて感謝をしたものだ。何時の頃からかそういうものを忘れてしまって、飽食になれ天の恵み・海の幸・山の幸の恵みに感謝することを忘れてしまいがちになっている。米一粒、魚一匹、野菜一つ。私たちは天の恵みの命を頂いて生きている。米一粒の心、魚一匹の心、野菜一つの心を頂戴させて頂いているのかも知れない。そう思うともっと感謝して「いただきます」「ごちそうさま」と心を込めて言うべきような気がする。食べる人も食べられるものも互いが満たされる、満互の夢を大事にしていきたい。 (2004年 8月 1日 [日曜日])
|
|