2004年09月の日志

進化・深化・心化の夢
進展、進歩、前進する。そして、深まって行く。それが本物になると心化して、自分の物になるだろうという。ダーウィンの進化論を漢字的に進化させたもの。イチローの打撃が日進月歩、日々進化している。変化成長している。その打撃技術が深化して、今や、彼の風貌にそれが現れ心化して本物になってきている。年齢的にまだまだ円熟してくるだろう。この先は神化、神格化するしかないのだろうか。かつて川上が打撃の神様と謳われたけれど、イチローはそれ以上だ。
 彼は「指導者」の重要性を説く、かつて、私も具志堅用高さんに直接、指導者の重要性を教えられた。私と小学校の恩師との関係も、よい指導者に恵まれて今日があると確信している。指導者と学習者の関係は必ずしも直接的でなければ不可能であるということはない。私はイチロー選手をわが指導者と崇めて、その言葉・新聞、雑誌、インタビューでの言葉を師の言葉として受け止めている。一言一句に大いに学ぶ点がある。くまなく新聞を読み通して、彼の言動をチェックする。一流の人間だけが語りえる、世界一の記録を持つ者のみが語ることができる哲学を持っている。これほど素晴らしい指導者はいない。直伝はないけれども今や時の人であるだけに、毎日、学ぶことが出来る。彼からは野球ではなく、生き方・哲学・考え方を学ぶことが出来る。侍の風貌、侍魂を持った日本人である。私は一塾人として、彼の野球理論から言語伝達論を学ぼうとしている。自由自在にヒットが打てるように、私も変幻自在に相手に合わせた話、話法術を身に付けたいと思っている。進化・深化・心化に域まで・・・。
(2004年 9月 30日 [木曜日])

夢言葉
@志事=しごと
・魂を持った人間が事に仕えてはいけない、志の事をしよう。
A魂生=こんじょう
・魂に生きる、魂のことをして生かされていこう。
B機積=きせき
・人生に偶然の奇跡は起きない。一秒、一瞬の機を大切にする思 い・行動から機積が生まれる。
Cお蔭力=おかげりょく
・私の蔭のお蔭様(家族・師匠・仲間・友人・出会った人)、そ の人たちの蔭の力で生かされている。私の力になっている。
D何来無差=なんくるないさ
・幸が来ても不幸が来ても天から見れば差は無い。ドンと構えて 事に当たる覚悟を持とう。沖縄の方言「なんとかなるさ」の言 葉を意訳して漢字を当てたもの。
E集人力=しゅうじんりょく
・集客力にはお金が介在する、集人力は徳を持って人が集まる。
F武意=ぶい
・武士道、武士の意(心)。サインはVとの語呂合わせ。
G徹楽=てつがく
・人生を徹底的に楽しむ。苦楽も徹楽する大きな心を持とう。
H心燃=しんねん
・心を燃やす。信念・心念・新念を心を燃やして念ずる。
I一緒懸命=いっしょけんめい
・凡人が一生懸命、一生の命を懸けて事には当たれないが、仲  間・同志と一緒であれば命を懸けて出来る事が有る。
(2004年 9月 29日 [水曜日])

童神(わらびがみ)の夢
 私の作品の一つに黒紋付の羽織に金文字で書いたものがある。「童神・天ぬ光受けてぃ ゆういりよーやー 高人なてぃ給りぃ」天の光を受けてどうぞ立派な人になって下さい、という思いの子守唄である。この歌詞の部分は3番目だが、私はこの一節が一番好きなので書かせていただいている。これは今、全国的にもメジャーで沖縄の歌謡界、女性歌手としては第一人者の元ネーネーズの古謝美紗子さんの作詞・持ち歌で、夏川りみがヒットさせてものである。私の遊書としての作品の中でも大作の内で評判もいいもので、黒地に金文字が珍しいので受けている。もう5作ぐらい書いていろいろな方に御上げした。壺屋焼物博物館や神戸・東京で披露した処女作を古謝さんに、泡ガラスの大家稲嶺先生を通じて御上げしたところ、夕刻にお礼のお電話があった。私の方は沖縄の島唄や大阪のコンサート、大琉球祭などで見ているので、向こう側に顔が見えるが、古謝さんの方は何処の誰かが判らないのに、親しく気さくに優しく話して下さった。10分以上お話をしたので、儀礼的な挨拶でなくその人となりに触れさせていただいた。先日、NHKの番組で桃井かおりと地で話をしておられたが、正にその通りで飾らずに地のままに話して下さった。稲嶺先生を通じてということが一番大きいのだと思うが、「地」がいいというのは大切なことだと思う。素地が悪ければ化粧で誤魔化しても、メッキが剥げるという形になるのだろう。地は心の内面で紡がれるものだと思った。「いい人はいい」そういう人に出会うと心が歓ぶ。
(2004年 9月 28日 [火曜日])

431の夢
 人は海を眺めて遥か向こうに夢を見た。
 人は山を眺めて遥か向こうの夢を見た。
  そこには本当の夢があるのだろうか?
  そこには本当に何かがあるのだろうか?

 幸せの青い鳥が心の中にいるように
 本当の夢も 本当の何かも
 それは物理的なものではなく
 求める人にはあり、待つ人には与えられはしない
   
 海を見つめ船が生まれた 
 山を見つめて飛行機が生まれた
 憧れ、夢、求める心
 それが形となっていろいろなものが生まれた

上海市内から浦東空港まで、車で約30分、35キロ程度の距離に
中国はモノレール列車を作った。ドイツ製である。その時間7分と30秒、アッという間に到着した。旅情・乗る楽しみなどは無い。しかし、急いでいる時には本当に助かる。ゆれも思ったよりはなく、日本の新幹線、230キロを倍近く凌ぐ431キロには驚いた。一つの中国の象徴でも有るなあと感じた。世界一はやい列車を目指したそこにはどのような国民意識があるのだろ。13億の民、1600万人の上海。これからの行方が注目されると思われる。
(2004年 9月 27日 [月曜日])

清澄な夢
上海師範大学日本語学校の楊校長先生が安吉(あんじ)へ案内して下さった。ここは中国一の竹の名産地で上海から300キロ、標高1500mの高地で涼しいというよりも寒かった。竹博物館にも行った。ご縁があってお蔭様で私は大学時代に茶道と出会った。藪内流という。私が薫陶を受けたお家元は薮内椅々斎竹風紹智家元と言って代々、竹に因んだ命名される。私が人生で初めて尊敬をした人物である。その点でも竹には縁があるのだ。もし、私の人生で茶道との出会いがなかったら今の私は存在しないだろうと思う。書における遊び心は茶道そのものだと思っている。
 安吉では清澄な空気に触れ清涼な大気を吸い身が引き締まった。心も気分も清澄になれる。夢までが清澄になったような気がする。自然の気、私の気、この融合、和合が大事なのかも知れない。中国は極端に言うと、何でも食べる民族といえる。ここではウサギを食べた。肉は外見でも判るように少ないが骨についている肉は引き締まっており脂肪がなく、まずまずの珍味だった。竹の博物館で寿老人の竹の置物を購入した。なぜか買い求めたくなったのだ。七福神を側に置きたいと思ったのだ。竹に漆を塗ったような濃い茶色に引き付けられた。その表情に温かい優しさを感じた。
 夜は上海に戻って屋台で晩飯を済ませた。春雨、餅の炒め物、ワンタン、夫々どんぶりにいっぱいで8元(120円)、足裏マッサージ1時間20元(300円)。なぜか幸せな気分になれる。
2004年 9月 26日 [日曜日]

表彰の夢。
栄誉証書
■特別奨励賞■
あなたは中国・日本が誇る文化としての書道を通じて両国の友好を図りました。あなたのその独特の遊書は称賛に値します。ここに奨励賞を贈るとともに、益々の活躍を祈念いたします。
二〇〇四年九月二十五日  
上海師範大学外国語学院  院長:顧大喜
  
 字遊人としての西口賢治を産んで育てて下さった沢山のお仲間の人のお蔭で、支えて下さった応援して下さった、遊書展に来て下さった人たちのお蔭で奨励賞を頂戴した。心からそう思って感謝している。自慢するような気持ちはないが、お仲間の人にはそのことをお伝えしたいと思っている。「その独特の遊書」と言っていただいていることが何よりも嬉しい。本家本元の中国から、普通に賞を戴くと、正直な所、VIP辞令的なものを感じるが、独特の遊書と言っていただくと、素直に嬉しい。これをまた励みにして、文字通り奨励したと思う。
 お蔭様で日本語学校の生徒さん達に、講演と遊書と、今回は茶道のお点前を披露させていただいて喜んで戴いた。感謝・感謝。
2004年 9月 25日 [土曜日]

中華の夢
 中国人口13億、上海1600万人。ここ上海は世界一の人口を有する都市?なのだろう。人、ヒト、ひと。車、クルマ、くるま。活気があるというか、NYのエキサイティングとは違って、おもしろい町、都市である。目覚しい進化、発展を示す部分もあれば、発展途上の部分もあって混沌としている。
 人々は同じ東洋人として兄弟のような感覚がある。違和感がない。向こうの方も西洋人と違って親しみを持って接してくる。
■お茶=宇治、静岡でも違ったお茶がある。中国全土からいえば何種類のお茶があるのか大変な種類だ。それは葉茶だけに限ったものでなく。多種多様である。値段もピンキリだ。日本のお茶と随分と違うことは確かだ。緑茶は高級、烏龍茶は多種あって様々でものによると何度も煎じて飲むことが可能である。四千年の歴史を感じる。
■ラーメン=麺、スープは伝統の味一品。具材は50種類を超える中からトッピングをする。自分の好みのラーメンを作る?ことが出来るといえるかも知れない。麺類は人類というコマーシャルがそのまま当てはまる。ラーメンブームの日本の味とは違うものだ。
(2004年 9月 24日 [金曜日])

グッドスピーカーの夢
開成教育セミナーさんの入試分析会・進学相談会での開会式で挨拶をさせて戴いた。恒例にして頂いており、2年前はこの7,8分のスピーチのために沖縄からトンボ返りをして、翌日にまた沖縄に行った。いろいろな場所、いろいろな機会でスピーチをさせていただくが、ここでの挨拶は特別にいい意味で意識をしている。私にとって絶好の勉強の機会だ。今回は78点、リスナーの方は気づいておられないだろうが、2度同じ言葉を繰り返した。伝えたいことは伝えられた。開成の大田先生もここを買って下さっていつもこの機会を与えてくださっている。今回はイチローの言葉を例に出して、指導者の大切さを訴え、夢を言葉にする重要性を話して潜在意識の活用について話をさせていただいた。5〜10分の間に1,2の話材を出して印象に残る、心に残る話をする。無駄を省きできるだけ短いスピーチ、そして心に残る話をする。ここに勝負を賭けて壇上に上がる。自己研鑽のために自己採点をする。おおよそ、皆さんの採点は自己採点の10〜20点ぐらい上を仰って下さる。大学時代に後輩から「説得力」があるといわれた。30そこそこで講演が出来ると大先輩に褒めて戴いた。結婚式の司会で「プロですか?」と訊ねられた。グッドスピーカーの夢、「言葉は心を伝え愛を語るもの」だから、愛と夢を語れるスピーカーになりたい。
(2004年 9月 23日 [木曜日])

プレゼンの夢
■プレゼンテーション=企画案を、相手に効果的に発表すること。特に広告代理店が顧客に対して広告企画を提示して説明すること。
 9月は私立の学校が説明会を順次開催されるので、連日、学校周りをしている。ホテルでされる所、学校でされる所様々だが、それぞれの学校の特徴や伸び、勢いがよく現れる。終始拍手で終わる所もあれば、拍手、一つないところもある。おもしろい所もあれば退屈な所もある。文字通りの説明会には閉口する。工夫をしている所では、説明会ではなくプレゼンをして、効果的な発表をする。中にはレジメを棒読みして終わる所もある。聞いていて、この先生の授業はさぞかしおもしろくないだろうと想像できる。若手の先生が発表されると所は自ずと活気がある。旧態依然として年配の先生が説明をされる所は、面白みが欠ける。
 イベントをするということは大変なことだ。効果を出さなければやらない方がいいのかも知れない。現代社会では自己表現として言葉を巧みに活用して上手にやらなければならない。いろいろなものを見せていただいて学ばせていただこう。そして、少しでも上手くなっていこう。そう思う今日この頃だ。
(2004年 9月 22日 [水曜日])

お蔭力の夢
 いつも生徒さんにジョークで、顔と心は自信があるけれども頭は自信がないといっている。まずまず健康な体は持っているが、それ以外に特に優れたものが自分にあるということはない。持っているものとしては素晴らしい家族・お仲間の人・知己知友、いわゆるお蔭様には恵まれている。支援してくださる人、応援してくださる人、助けてくださる人がたくさんいて下さる。8年目に二十歳、感謝の集いをさせて戴いた時、「皆さんが財産です」と挨拶させていただいたが、その時に比べると私の思い方が数段違う、おこがましくも失礼千万ながら、財産といえる方々のお蔭力が全然違う。その分、私がお蔭様という思いも数段大きく強くなっている。「生きているのではなく、生かされている」という思いが強くなってきているのかも知れない。
 世のため人のためにこれからも人様のお蔭力を戴いて、頑張らせていただこうと思う。
(2004年 9月 21日 [火曜日])

夢言@魂生
 魂生=こんじょう。魂に生きる。
かの大江健三郎氏は魂のことをしなさいと仰るが正直なところ、私もこの言葉を作ったものの、その真意は掴めない。人間とは?善とは?人生とは?魂はどのようなもので、何を求めているのか?どのように生きるということが魂に生きるということかが判らない。一つの命題として、頭にインプットしておこう。そうすれば、それを潜在意識に入れておけばいつかどこかで何かのきっかけで掴めるような気がする。
(2004年 9月 20日 [月曜日])

心金間(しんきんかん)の夢
シンキンカンの夢。語感はシンキンカンというと親近感を連想する所であるが、人生は時間とお金の遣い方で決まる。これは今までにも子供たちにも機会に触れ教えて来た。しかし、付け加えるならば、「人生は心とお金と時間の遣い方で決まる」というべきか?心は遣えば遣うほど上手になってくる。そして、仏教語を借りるならば「無尽蔵」である。心を遣うのと気を使うの違いは自分のためか相手のためか、そこに愛があるかどうかの違いだろう。お金の遣い方は本当に難しい。『気風がいい』今、初めて漢字変換して、漢字を知った。実にいい字だ。感動した。気と風がいいとはよく言ったものだ。だから、お金の遣い方が上手な人は、人にすかれるのだと思う。お金の遣い方は、有る無しに左右されるが、私の周りを見ていて、お洒落だなぁ、カッコいいなぁと思う人とけち臭い人、下手な人と夫々だが、下手な人は信頼を無くしかねない。貸し借りをして返さないなどは論外だが、私は親の遺言で保証人とお金の貸し借りはしないように教えられた。
お貸ししたことは何度かある。事業をしてざっと片手、500万円ぐらいは霧消しただろう。これは民間事業税みたいなもので難しいとこころだ。借りたことは基本的に無い。30年近く前、お金の貸し借りを通じて、あえて気持ちの面での借りをつくるためにお借りしたことは有る。お約束の時期に自宅へお返しに行った。
お祝い一つ、不祝儀一つ。金額でなく気持ちを心を付ける挨拶としての、お金の遣い方は実に難しい。そこにも人間性が如実に出るような気がする。私は一万円戴いたら、その気持ちに応えて、それ以上のことをしたいということで、1万円+αを形有る物を遺るものとして頂戴していただくようにしている。今回の募金兼御祝儀も金10万円から手ぶらまでいろいろ方がいらっしゃったが、本当に勉強させていただいた。決して金額ではないが気持ちが額面に反映される部分も確かに有るだろう。贈り物は自分が欲しい物、大事にしている物を差し上げること。こう教えてくれたのは、私を茶道に導いてくださった叔母の言葉である。
 時間の浪費が一番人生に悪影響を与える。時間の無駄遣いは損をしたという観念が無いだけに難しい、怖い所がある。10代の人と私のように50代の人とでは、同じ1時間でも価値が違う。おそらく5倍の値打ちが有るだろう。心とお金と時間の遣い方、人生はこれで決まる。遣い方の達人になれたら素敵なことだと思う。
2004年 9月 19日 [日曜日]

賢治の夢
■賢治の夢■
健ヤカナリシ肉体モチ
真理ミツメル瞳モチ
万物アジワウ心モチ
大志ヲ抱キ欲ヲステ
邂逅スルヲ最上ト
全テノモノヲ我ガ身ト思イ
忠恕ノ精神を大切二
人ヲ憎マズ憎マレズ
家庭ヲ仕事ヲ全テヲ愛シ
全テノモノニ感謝ヲモチテ
我ガ意モチ我ガ道ヲ
流サレルコトナクユックリト
走ルコトナク止マラズニ
ソンナ道ヲ私ハユキタイ
ソンナ人に私ハナリタイ
 
 この詩は同名の宮沢賢治師にあやかって、私が大学を卒業する時に書いた詩である。「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」を学(マネ)て書いたものである。33年を経過しても想いは同じであると思っている。これが私の真の卒業論文である。因みに卒論は
「方丈記の研究」〜方丈記における仏教観について〜であった。
2004年 9月 18日 [土曜日]

夢師
■夢
 百年の夢を持てば 百年のみちびきがある
■出愛
 出会を縁とするとき 絆が生まれる
■逃げたらあかん

石川洋先生に所望させていただいて、書を戴いた。夢に因んだものをとお願いしたら5枚も書いて下さった。一枚はT先生におあげした。一枚は興国高校の理事長さんに差し上げた。洋先生にお願いしていたのだ。宅急便でお送りすることもできた。その方が早くお届けできた。しかし、心と思いのこもった先生の書を送ることは出来なかった。直接お届けすることで真心も届けられるというものである。それは洋先生の大きな真心と私の小さな小さな気持ちだ。それを受け止めて下さった。茶道を志しているのをご存知かどうか、天王寺の老舗のお菓子をお土産に用意してお待ちくださっていた。心からお持て成し下さって、素敵な1時間を過ごした。いい人と過ごす時間は至福の時だ。以前に素敵な塗り物の小箱を戴いたことがあって、私はそれを作品にして沖縄の壷屋焼物博物館に出させていただいた。そのことをお話しすると副校長先生が、その塗り物を出してきて、また、下さった。心を上げたり戴いたりすることの嬉しさ。歓びと幸せを感じる時だ。
 洋先生のこの3枚の書は、私への教え、諭し、教訓であると受け止めさせていただいてる。教育百年の計、というように、百年の夢を持って頑張りなさいということだと思う。師とお呼びするには偉大すぎておこがましくもあり失礼である。先生と崇めさせていただいてこれからも学ばせていただこうと思っている。
(2004年 9月 17日 [金曜日])

プロジェクト夢
 NHKの人気番組「プロジェクトX」。この番組がどれだけ多くの人に感動を与え勇気を与え、生きる歓びと楽しさを示唆していることか、その数1千万人。少なくとも日本人の10人に1人といっても過言ではないだろう。あの田口トモロヲさんのナレーションが流れると、条件反射的に心が開き、感動モードに入って行く。中島みゆきの歌も実にマッチしている。今、連夜、再放送がされていて「ツッパリ生徒と泣き虫先生」という伏見工業高校ラグビィー部の監督山口良治先生の番組を観た。反省すれば、私の忘れかけていた、眠りかけていた「教育への情熱」が沸々と呼び戻されてきた。ラグビィーを通じて不良生徒に人生と生きる力を教えた「アレ」は、愛と情熱以外の何ものでもない。私が教師をめざした原点だ。小学校4年生の時、廊下で喧嘩をしていて女の子が先生に言いつけに行った。先生は首根っこを掴まえて「運動場の砂場でケンカして来い!」と言い放った。私はこの一言で生まれ変わった。私の内面に「人間革命」がおきた。二度と喧嘩しなくなった。この時の先生の対応次第で、私はレッテルを貼られ不良になって、「上新庄のケン」と呼ばれ、ヤクザになっていたかも知れない。そういうものが私の内面にあることを私は誰よりもよく知っている。「教師の一言」というものはそれほど大きな影響を与える。プロジェクトXを観ていて、そういう思いが喚起された。生徒と一緒に思い切り泣ける先生。今、子供たちはそれを一番に欲している。それは理論でも理屈でもなく、先生と生徒ではなく、一対一の生身の人間の感性、触れ合い=降れ愛の問題だ。愛を注ぐ、愛を降らせる。それが出来る人間、大人が少なすぎるのだ。私にはそれが出来る。私は自分の先生に愛を降らして貰ってそれを学んだ。今、塾の先生たちが手を焼いている生徒がいる。頭で何とかしようとしている。理屈で正論を言っている。表面的な部分で熱心に働きかけようとしている。それでは生徒は動かせない。動かすのではない。コッチが動いてついて来て戴くのだ。「プロジェクト夢」作戦を開始しよう。山口良治先生の話は、私にはTVの番組ではない。天の啓示として「やりなさい」という命令だと受け止めている。私の教師としてのプライドが山口先生に「負けるものか!」という気概を起こさせる。
(2004年 9月 16日 [木曜日])

円周率の夢
神戸にY塾ありと謳われた名物の塾長先生がおられて、今はご子息が継承しておられる。今、お祝いを兼ねたカンボジア学校設立資金の募金を入金に行ってビックリした。見間違いをしたのかなあと思って確かめると100000円のお振込みがあった。お父さんとは震災の折にいろいろとお世話になった間柄であったが、現塾長とは挨拶をさせていただく程度であるにもかかわらず、私が厚かましくも,内祝・募金の協力を出させていただいた。義理で言えば何の貸し借りもない間柄なのに、10万円もご協力くだされとは、ビックリを超えて敬服してしまう。今世紀、21世紀に入って一番かっこいいことに出合ったような気がする。いい意味で金額の問題ではない。しかし、気持ちの表現が○、円に正比例することもある。「お金は欲心に反比例する」という短文を書いているが、お金の遣い方、使い道が上手な人は本当にかっこいい。生き方もお洒落だ。『お金を追いかけると、お金に追いかけられる。お金を上手に遣うとお金が周って来る。円周率(お金が周って来る率)の和が拡大する』今回、そういうことを学ばせていただいた。そう云えば、福沢諭吉翁は一万円札だが、昔、子供たちに心訓を唱えさせて戴いていた。「世の中で一番みじめなことは人間として教養のないことです」というのがある。<世の中で一番難しいのはお金の遣い方である>と思う。いい意味で福沢諭吉と心友になりたいと思う。
(2004年 9月 15日 [水曜日])

夢気
「えっ」「エー、うそ〜」と思わず???。先日の9日のビルお披露目兼感謝の集い、記念講演会の日に、100万本の薔薇ならぬ、200本の蘭の花が届いた。送り主の名前は『西口賢治沖縄公式ファンクラブ』。なんと嬉しいことだろう。嬉しいやら恥ずかしいやら、でも、やっぱり、こんなにうれしいことはない。公式なのに、当の本人が全然知らないという非公式。でも、連名に記された熊本・高原・村・大城・翁長・山内・新海・勝・和代という名前には心から感謝と感激をする。このジョークとユーモアと真心こそ、私の「字遊の世界」のエネルギーそのものである。
沖縄の備瀬崎で懐妊してアメリカのシャスタで誕生して沖縄・中国で育って現在に至っている。生みの父の熊さん、生みの母のよう子ちゃん、産湯をとってくれた村ちゃん。そして兄弟姉妹のように可愛がってくれていつも見守ってくれている仲間たち。
お釈迦様は生まれて直ぐに「天上天下唯我独尊」と仰せられたが、字遊人西口賢治は「死んでもいいと思うぐらい幸せを感じたら、その気持ちを大切にして生きていこう」と言った。生まれて直ぐに死んでもいいと思うのは変な話だが、事実それぐらい嬉しかった。備瀬崎は私が定めた沖縄美ら島一の霊海、素晴らしい『善気』がある所。シャスタというのはカリフォルニアにある世界7大霊山の一つでここも『善気』がある所だ。私はこの「善気」を戴いて字を書かせて戴いている。時に自分の技量以上の字が生まれるのも、たくさんの言葉が生まれるのも、私の頭・私の心・私の腕からではなく、すべて天からの授かりもの。だから一人でも多くの人に分かち愛をさせていただかなければといつも思っている。一本一本の美ら島から届いた「蘭の花」が夢を載せてたくさんの方に運ばれていった。その種が芽を出し花を咲かせ実遺していくことだろうと思う。なんと有難い素晴らしいことだろう。感謝・かんしゃ・カンシャ。善気が夢気に変っていって拡がることを願っている。
(2004年 9月 14日 [火曜日])

世界チャンピオンの夢
20年近く前、友人の塾の広報を兼ねた取材兼対談で、元世界ジュニアフライ級チャンピオンの具志堅用高さんとお出会いする機会を得た。大変素晴らしい人で、流石に世界一の人といえる人物である。私どものサマースクールに3回、講演会に2回、20周年のお祝いにも来ていただいた。その他、世界選手権のタイトルマッチのチケットを戴いたり、家族で自宅に泊めていただいて東京デズニイーランドに案内していただいたり、本の出版に関してお手伝いいただいたりして、お世話になったことをあげるときりがない。兎に角、お願いをして断られたことがなく、お世話になりっぱなしの方である。ある時は、大阪の塾長のお願いで講演を依頼した時は、お母さんが危篤で石垣島からとんぼ返りをして、講演に来て下さった。私が代役を何とかしますと申し上げた時、依頼者には最後まで言わないで欲しいと申されて、石垣島から1泊で来て下さった。私はそれらのことを含んで、一生かかってもご恩返しできないと思っている。今、私がさせて戴いていることは、用高さんと息子さんと娘さんの誕生日とクリスマスの時に少しばかりのしるし程度のプレゼントをお贈りさせていただいているだけだ。これも用高さんから、毎度、欠かさず盆と暮にミズノからスポーツウエアを頂戴している。私はさせて戴いても、用高さんからはなかっても普通なのにお届けくださる。この思いやりと愛情のある礼儀には心から敬服させていただいている。
 今回も内祝いをお贈りさせていただいて、お気遣いのないように、今度、東京でお会いした時に色紙に「夢」を書いて下さい。とだけお願いをさせて戴いたところ、イの一番に募金としてのお祝いが送られて来た。本当に頭が下がる。このような素晴らしい世界一の方と出会えて本当に幸せだと思う。気配り・気遣いの細やかさも一流だ。私が10年近く、沖縄の伊是名島でボランテイアに近い形で「夏季少年教育」をさせて戴いた時も、「先生、指導者が大事ですから、頑張って下さい。先生だったらいいですよ」と仰って下さった。サマースクールに参加した塾生100人にサインをして下さった。そして、私に生まれて初めてサインを求めて下さった方でもある。ご一緒しているとあらゆる所でサインを求められる。一度もいやな顔をされたことがない。立派の一言である。世界一になる人物というのは、その世界の技術だけでなく、やはり、人間的にも素晴らしいものをもっていないと世界一にはなれないと思う。いつの日か白井・具志堅ジムから世界チャンピオンが誕生することを、私の一つの夢にさせていただいている。
(2004年 9月 13日 [月曜日])

書夢家
その昔、茶人はお客様をお招きするのに当たって、文、消息文をしたため、お客様の所へ直接、訪ねて行ってご事情をお伺いして、お越しいただけるかどうかを訊ねてその上でお客様を招いたものだ。郵便配達というものがなかったというばそれまでだが、使用人に持たせるということは便宜的には可能であったと思われる。本当にお招きしたい、来て欲しいと思うならばそうすることが礼儀であり、心の表現であり、茶人の弁え(わきまえ)だと、学生時代に学んだ。礼に始まり礼に終わる。これは日本の芸道・武道における基本である。9月に入って今日の12日まで、感謝の記念講演会、一辺倒であった。今日、一日はお礼状を書いて夜遅く投函した。私の遊書の原点もこの辺にあるのかも知れないが、20の頃から下手なりに、手紙の宛名は必ず筆、筆ペンで書いてきた。その分、慣れ親しんで来ていたということはあったようだ。
お一人、ひとり、お客様の顔を思い浮かべて、一言一句をしたためさせていただく。真心と思いやり=忠恕、これが私が学んだお茶の心、どれだけ出来ているかというと、恥ずかしい限りではあるが、目指す心だけは持たせていただいている。お手紙をお送りさせていただいて感謝の記念講演会の終了、「ほっ」とした。
そう言えば、10年近く前だろうか、石川洋先生から「西口さんの手紙はラブレターだから」とお褒め戴いたことがある。これからもいっぺんでも多く、便りを書いて書夢家になれたら・・・。
2004年 9月 12日 [日曜日]

亡き人の夢
喜怒哀楽という言葉、文字の中で心がついているのは怒だけと教えて下さったのは尊敬もし心友以上に慕っている予備校講師のY先生。同じ年でピンチを救ってくださった人でもある。家族全員が恩人だと思っている。感情豊かでありたいと願う一面、穏健派?で通している積りでいるだけに怒は正直な所苦手だ。「吐いた言葉は戻せない」と胆に命じている。今日は久しぶりに怒ってしまった。恕(思いやり)と怒(怒り)は口と又の違い。女の人の口と心は思いやりがあるものだと、自称フェミニストの私はそう思っている。それが何度も何度も口を又重ねると怒になってしまう。お母さんが子供に何度も同じ事をいうと、お母さんはその積りでなくとも怒に変わってしまうのだ。
 40歳そこそこでまだ若かった頃。ある私学の理事長さんから「どうぞ、応援して下さい。頼みます」と頭を下げられたことがあった。未熟な小生に対してそのような言葉を仰られた理事長さんに感動をして、微力ながら応援をさせて来て戴いた。思い込みが強い分、情が深い分どうしても求めてしまうのは、これもまた凡人の人情というもの。今回の感謝の記念講演会にはお付き合いの深い私学さんに、とは言っても半年にもならない私学もあるが、ご案内させていただいた。ある学校は校長先生はじめ4名の先生が来て下さった学校もある。その中で唯一、思い入れの強かった私学さんだけが不参加だった。当然のことながら、夫々にそれぞれの事情があるので不参加はいたし方のないことである。それは小生も百も承知している積りだ。しかし、出欠席のお返事もないのは淋しい限りで、哀しいものもを覚えた。ある私学さんは欠席のご連絡を丁重に戴いて、その上に募金を振り込んでくださった。今日、その学校の先生にお会いして、小生も人間が未熟で出来ていないものだから、快くご挨拶も出来ないので、こちらからはご挨拶に出向かなかったら、先生の方からお声をかけてこられたので、つい、思わず怒ってしまった。夕刻、ご連絡を戴いて、心からのお詫びを下さり、「恥ずかしい」と仰って下さった。一言の弁解、言い訳をされなかったのが、実に心地よく爽快だった。「雨降って、地固まる」という言葉もあるが、時に「雨降らして、地固める」ということも出来る人間性が備われば立派で素敵なことかも知れないと思う。そんな芸当が出来てそれが分かり合えるような人がいたら心が歓ぶ。朝の怒りが夜には快に変る。嬉しき哉、人生と思う。実をいうと、もうこの私学さんには私など応援させていただく余地がないほど急成長しておられるのだ。若造に頭を下げられた理事長さんはきっと天国から、優しい眼差しで微笑んで、この顚末を眺めて見守ってくださっていることだろう・・・。学び多き一日にカンシャ、感謝。
                         
2004年 9月 11日 [土曜日]

お蔭の夢力(ゆめぢから)
朝から一番に「恩礼」のFaxをお送りさせて戴こうと用意しながら、遠来のお客様を有馬温泉にご案内してお送り出来なかったもの。
■十五の少年の心のように、昨夜は興奮して神経が高ぶり眠れませんでした。ご参加いただきましたひとり一人の皆様方から熱い想いとしての「愛と魂」を空っぽの夢現ビルの中に込めていただき、今朝からは校舎の中の気が全然違ったもののように感じられます。凛とした気が漂っています。これを今後の糧として、石川洋先生も仰っておられましたように若い人の、子供たちの教育・人材の育成のために精進して参りたいと思っております。本来であればお会いして拝顔の上で、叱咤激励を賜る中で御礼・ご愛拶申し上げるべき所ですが、先ずはFaxにて互連楽(ごれんらく)申し上げます。万難を排してご参加賜りましたあなた様の「優情」に心から感謝申し上げます。
〜お蔭の力に支えられて 私は生かされている お蔭力〜
                          感謝
                  甲子園学習塾 西口賢治
(2004年 9月 10日 [金曜日])

建夢=夢を建てる
 夢現ビルのお披露目と感謝の記念講演会をさせて戴いた。石川洋先生に「教育根」という内容でお話を戴いた。皆さんが聴き入る様に心を澄まして聞いて下さった。残念ながら私はといえば、もう20回以上お話を聞かせていただいているが、主催者という立場で落ち着いてじっくりとはお聴きできなかった。洋先生の「気」だけを頂戴させていただいた。
北は東京から南は沖縄までたくさんの人、80名近い方が来てくださった。武庫川・神戸龍谷・神戸山手・高野山・宣真・聖母被昇天・淀之水・興国の校長、副校長、理事の先生方が来てくださった。普段からお世話になり可愛がっていてだいている塾のお仲間の先生方、異業種の先輩諸兄、お取引の業者さんが来て下さって、夢現ビルに「愛と魂」を入れて下った。7月に開校して東進の授業は開始していたがまだまだ、人の気、いわゆる「人気」がなかった。それが皆様のお蔭で気が運ばれて来て、運気・人気・精気が充満したような気がする。有難い事だ。これをエネルギーにして頑張ろうと思っている。和歌山の山下代表が企画お世話下さった懇親会にも30名以上の方が参加くださって、全員が自己紹介の挨拶をして下さり、スピーチもして下さった。90分の飲み放題食べ放題で7時から開始したのに最終は9時半になった。
石川洋先生にも列席していただき、皆様に和やかに寛いでお腹一杯になっていただけたように思える。
 カンボジアの支援をお願いした募金としてのお祝いも100万を越した。当日はご都合で参加できなかった方も募金下さり、銀行口座の方へこれからお振込みいただく方もあるようなのでまだ確定はしないけれど、お蔭様で2歩も3歩も前進した。来年の11月にはご報告できるように、もう一つの夢、目標とさせて戴いて
励みにさせて戴く積もりだ。みんな友達、みんなが仲間、20世紀が戦争の世紀だったとするならば、21世紀は本当にみんなが一つにならなければと思う。オリンピックが五輪のマークではなく、一輪のマークになる世紀にしなければ・・・。
(2004年 9月 9日 [木曜日])

We are familyの夢。
私の両親は今やもう天国の住人になって私をいつも天から見守ってくれている。明日のお客さんの一人として沖縄から熊さんのお父さんがお越しになられた。昭和19,20年に、この大庄という地区で、奄美大島の中学を卒業してここで働いていたという縁の地である。実をいうと尼崎に甲子園学習塾が教室を出させて頂いたのが平成3年。ずっと大島にいたのが今回、大庄に縁が出来たのも、このお父さんがご縁を引っ張って下さったような気がしている。そんな不思議な縁に感謝して、今回、沖縄から来ていただいた。60年ぶりに来られたそうだ。
中3の時、横浜に引っ越した恵ちゃん(元塾生)が来春大学の卒業を控えて、フィアンセと一緒に神戸・大阪に遊びに来た。沖縄と横浜との遠来の訪問者。75歳のおじいちゃんと21歳のお嬢さん。ドッキングして一緒に六甲の夜景を見に行った。この年代格差のある私を含めた4人が、3世代の家族のようにうちとけて一つになって愉しい時間を過ごした。包(パオ)という神戸の餃子屋さんに行って、一つのおうどんを4人で食べた。
私の両親はきっと今頃、天国で誰かにお世話になっていることだろう。現世にいた時もどこかで出会った方にお世話になったことだろう。今、アメリカにいる留学している娘は、ロンドンで仕事をしている息子は私の知らない所で人様のご恩をいただいてお世話になって生きていることだろう。このように人は生きていく中で、誰かにお世話になって借りをつくって生きている。それを何処かで誰かが誰かに返していくというのもいいではないか。「出会った人がみんな友達」なんだから。人様の親をわが親と思い、人の子をわが子と思えたらこんな素敵なことはない。譲り愛・支え愛・守り愛すれば地球人が家族になれる。私はそう思っている。私とてこの55年間、たくさんの人のお世話になって生きてきた。もうこれは返しきれないぐらいの謝謹慈国(しゃっきんじごく)になっている。ご恩を頂戴した方にはお返しできないけれども、誰かには少しはお返しできるかも知れない。そう思って生かさせていただいている。沖縄のお父さん・横浜の娘、私だけがそう思ったのではなく4人が、共に過ごした時間をそう感じた。そしてこれからもそう思って生きて生きたい。アメリカのお母さんが遺してくれた「WE are Family」という言葉が心に沁みる。そう言えば恵ちゃんも中2の時に一緒にアメリカに行ってミリアム(アメリカのお母さん)に会ったのだ。いつの日かミリアムの墓に参りたい。ミリアムもまた、みんなを見守ってくれているのだから。心に描けば必ず夢は実現するだろう。
(2004年 9月 8日 [水曜日])

魂生(こんじょう)の夢
 亭主はお客様の立場に立って、お客様は亭主の立場に立って互いの忠恕の精神、真心と思いやりを尽くす。これが私が学んだお茶の心だ。感謝の記念講演会に70名ほどのお客さんが来てくださる。ご案内と一緒に内祝いを先にお贈りさせていただいているのだが、当日お越しいただくお客様に何かお土産をと思って、恥かしながら遊書の作品をお持ち帰り戴こうと、先日から書きためている。何とか100ぐらいは書けた。その中での今日の新作が魂に生きるという「魂生」=(こんじょう)だ。いつも自画自賛するのが私のモチベーションを高める方法だ。
 ある人が今回の講演会をするにあたって「くれぐれも恥をかかないように」とアドバイスして下さったが、想い・観点が全然違う。真心を尽くして恥をかくことなどありえない。恥をかかないためにとお客様をお迎えして、お客様に歓んでいただけることなどありえない。唯、一心に真心を尽くして思いやりを尽くしてその上で恥をかくことがあれば、それはそれで善しと思う。ご迷惑をおかけしないというのは当たり前のことだが、心・思い・力の及ばない所でいたらない所は叱正を戴き学ばせていただくしかないと思う。魂のことをしよう。魂に生きよう。その夢が果たせたら人生に悔いはなし。といえるだろう。
(2004年 9月 7日 [火曜日])

秋刀魚の夢
 9月9日に石川洋先生をお招きして自社ビル購入の「感謝の記念講演会」とお披露目ををさせて頂く。北は東京から南は沖縄からお客様が駆けつけて下さる。今、Faxで参加のお申し込みが届いておりメッセージやお祝いが届いている。人それぞれにその方の心の表現でその人なりの流儀で心を届けて下さり大変勉強になっている。今日、気仙沼の秋刀魚が届いた。聞きしに勝るというのはこのことだろう。世の中にはこんなに美味しいものがあるのだと驚いてしまった。宮城出身の方から聞いてはいたが、今日の夕刻におそらく朝の漁の取れたてがクール宅急便で届いた。一度しかお会いしていないにもかかわらず、私が厚かましくもお近づきになりたいのでご案内を出したらお届け下さった。長男が子供の頃から鯛よりも秋刀魚が好きだといっていたが、面白いことをいうなあと思っていたが、気仙沼のサンマは明石の鯛よりも、最近の養殖の鯛よりも遥かに美味しい。脂の乗った味があのトロを思わせる。生まれて初めて3枚に下ろして刺身にして食べてみた。口の中に広がる魚特有の脂がなんともいえない美味だ。美味しいものを頂戴したから言うのではないが、それにしてもこれを贈って下さった牛心の伊藤さんには頭が下がる。私はまだまだ未熟だが大学時代より茶道を志し、それを生き方の基本、挨拶の仕方の流儀にしている。伊藤さんは若い頃より焼肉屋さんを経営してこられて、どこでこのような心の表現の仕方を学んで来られたのか、男惚れしてしまう。一途に志事に打ち込んで来た中で学ばれたのであろう。あの人を魅了して惹きつける『集人力』は、教えられたというよりも学んで来られたのだと思う。自分より若い人で素敵な人、偉い人に会うと嬉しくなってきて、自分ももっと学ぼうと気づかせてくれる。生まれて初めて秋刀魚に感謝した。「贈り物には心を込めて」「お礼の愛札には愛を込めて」秋刀魚がそのことを教えてくれた。秋刀魚に愛を持っていただこう。
(2004年 9月 6日 [月曜日])

字感の夢
 『言葉は心を伝え愛を語るもの』いろいろな機会でいろいろな場所でそれを伝えさせていただいている。一番最初は受験生の親に語ったのがキッカケだが。実際にそう思うようになってきている。「字感」は文字を目にした時の感じ方のことだが、漢字は表意文字なので、正しい漢字にも同音異義語・同訓異義語がたくさんあるが、私が創作する漢字は同音の造語だ。お世辞が社交辞令が何パーセントかあるのだろうが、結構評判がいい?
「365日年中夢求」「優情」「機積」「心燃」「母情」「夢縁」この辺が人気のあるところだ。今日は9日の感謝の記念講演会に来てくださるお客様の手土産に板やその他の材料に100名分書かせて戴いた。荷物になるかも知れないが、ご希望してくださる方にはお持ち帰ろうと願っている。文字の巧拙でいえば、たいしたことがないのは私自身が一番よく知っている。しかし、お茶の心で言えば、心をこめて喜んでいただけるように書かせて戴いた。夫々の人の感性に字感がどのように受け止めてくださるかだ。ピンと来ていただいて喜んで下さると嬉しい限りだ。日曜日、字をたくさん書かせて戴いた。休日返上というよりも,愉しい一日だった。
2004年 9月 5日 [日曜日]

お蔭様の夢
■お蔭様のおかげで私は生かされている。
■お蔭様の前に、お蔭様の上に立たせていただいて
                   生きている有難さ。
■お蔭様で生きているのだから
      いつか私が誰かの蔭でお役に立たせていただこう。
■出会った人みんなのお蔭、お蔭様に感謝。
■太陽も月も万物が私のお蔭になってくださっている
           何一つ欠けても私は生きてはいけない。
■お蔭の有難さを知ると感謝の心が生まれる。
■お月様の美しさはお日様のお蔭 
          お蔭の美しさで互いが光輝く。
■あなたとわたし、私と貴方
        お日様とお蔭様は互いに愛し合って引き立つ。
■お蔭様の強さで 私が強くなれる
■心からお蔭様でと頭を下げて「愛札」
              互いに愛の礼を伝え合う。
 人間は万物のお蔭で生かされている。戦国時代の武将が強かったのは影武者の強さにあった。私たち現代人も同様で、蔭で動いてくださっている人の強さがあって、私の強さ、存在がある。その自覚、感謝の念を忘れたら人は離れていく。蔭がなくなる。影が薄くなると死に近くなる。蔭(影)が強い人になろう。万物にお蔭様を感謝できる人に・・・。
2004年 9月 4日 [土曜日]

ゴールデンドリーム(金の夢)
『幸せです。頑張ってよかったです』野口みずき、Qちゃんのようなマラソンの女王という派手なイメージはない。だからこそ日本人的で、あの日TVの前の日本人を感動させ、さらにインタビューで圧倒的な支持を得たのだと思う。そして、日本人がもっとも好む謙虚さがある。パナシナイコ競技場であの小さな体を走らせて来た時、後ろからヒタヒタと忍び寄ってきたヌデレバの姿に誰もが恐怖さえ感じた。さも自分が野口であるかのように、そして心の中で「が・ん・ば・れ」と念じて叫んだ。「手を振って大丈夫なの?」と誰もが思った。しかし、野口と監督だけは勝利を確信した。そのガッツポーズだったのだ。黒色の金メダルロードを駆け抜けて青いテープを切った姿は優美だった。最高の勝者(笑者)の美笑だった。
 「あと50メートル、死にもの狂いでガンガン行きました」柴田亜衣。今回、最高のまさかの金メダル。高校総体で最下位だった選手が、不可能に近いオリンピックに出場し、その上で金メダルを取ろうとは、これこそダークホース。言ってしまえばそれまでだが、誰よりも誰よりも苦労したのではないだろうか。受賞後の涙は最高に美しいものだった。表彰台に日の丸の扇を持って上がったのも立派。スポーツは感動を与える。すべての選手にありがとう。
(2004年 9月 3日 [金曜日])

常時有明日(ジョージ・アリアス)の夢
 阪神タイガースが不調だ。8連勝してやっと5割に復帰したかと思うと中日に3連敗。高校野球が終わって、オリンピックが終わって秋風がそよと吹き始めている。でも、阪神にはいつも、常時明日が有る。18年間負けても負けても応援してここまで来た意地がある。般若心経を探求された知り合いの先生が私に教えて下さって曰く、「愛はすべてを受容すること」受け入れることと教えてくださった。我らがジョージ・アリアスはクリスチャン。彼が日本へ来て一番に心がけていることは日本の野球を「受け入れる」ことだという。素晴らしいことだ。
『誰も未来のことはわからない、自分の意思でコントロールできることではない。自分がコントロールできるのは、今、最大限の力を出してプレーをすることだけ。だから、そのために今、最善を尽くす』ジョージはホームランを打ってホームベースに帰ってくると必ず、胸のペンダントにキスをする。私はその姿を見るのが好きだ。私はバチカン市国のサンピエトロ寺院で求めたマザーテレサのペンダントをしている。これは私の潜在意識に大きな力を与えてくれている。明日があるさ、明日がある。誰もみな常時有明日。受容する心の中に強さが生まれると思う。
(2004年 9月 2日 [木曜日])

夢中人(むちゅうじん)
 夢中になった時にだけ
 見えてくるものがある
     夢中になった時にだけ
     可能になるものがある
 夢中になると何も見えない
   何も見えないから見えるものがある
 夢中になると心が乱れない  
     一心になるから可能性が拡がる

             自分の夢を達成する
      それだけが決して自己実現ではない
           大きな夢には彼我が無い
     大事なことは「夢」を実現することだ
             誰の手柄でもない夢 
                夢のための夢 
             偉人は他者のために
 自己お実現を果たしてきたのではないだろうか
        人類という偉大なもののために

 一人の夢は儚い
 だから人偏に夢と書いて儚いと読む
 一人だけのための夢に
 人は決して力を貸してはくれない
 しかし それが他者のためになる夢であれば
 人様は力を貸して下さる
 夢のにはそんな夢力(ゆめぢから)がある

◆今日は娘の23歳の誕生日。
 夢中人になって欲しい。
 それが父の夢。大きな大きな夢。
 父として何がしてやれるのだろうか。
 
(2004年 9月 1日 [水曜日])

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