気と夢 |
芸術の秋。食欲の秋です。泡ガラスの稲嶺先生の作品にペンションびせざきの熊さんが鮨を盛る。これぞ逸品!お腹においしい。心に美味しい。眼にオイシイ。魂に美味しい。この味とこの備瀬崎の『気』に引かれてわたしは足げくここに通う。それはここに私の魂を癒してくれる何かがあるからだろうと思う。それは人と自然と空気とが醸し出す絶妙のハーモニィーから創造される「気」なのである。 この写真はジュゴンママと呼ばれる、天願かおるさんのロッジから眺めた夕景。「てぃだInトムソーヤ」は隠れ家。ハートフルな人しか泊まりたいと思わない。合う合わないは天の神様が決めておられるのだろうか?いい人、ここに泊まる必要がある人が訪れる場所になっている。 (2004年 10月 31日 [日曜日])
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遊書の夢 |
「ここは限りなく透明に近い空気の色が見える。それは海と空の色が溶け合った色だ」 22回目の遊書展を喜瀬ビーチホテルでさせて戴いた。 「Let's ENJOY changing」でホテルを一心されて、シックな雰囲気がなんともいえない空気を醸し出していて落ち着く。見た目ではなく、心がが癒される空気が漂っている。スタッフの人にウチナーの和みがある。せっかく沖縄に行ってホテルに泊まって、ホテルのスタッフの方に接して、良くも悪くも洗練された都会的な卒のない対応にこちらが緊張してしまって気が和まないことがある。美笑(びしょう)まで洗練されるとそれは美笑ではなくなる。美ら島のよさはホッとな暖かさなのだ。冬に暖を求めて沖縄に行かない。夏でもホットな所が沖縄の良さだ。 どんな形で展示してくださるのか楽しみにして行ったが、1階のロヴィに大きな段ボールの文字が弾んでいた。生き生きとして見えた。2階の土産物売り場に飾られた書はみんな喜んでいた。 当初、3日間の予定がすぐに延長された。展示だけの予定も皆さんのお声かけでおわけさせて戴くことになった。ボランテイアとして1円でも積もっていくこと。その心を持ってくださるのが嬉しい。お仲間の人が集まって下さって深夜の2時まで語り合った。愛と夢と人生を語った。当ホテルのSさん、沖縄のサポーターの揚子さん。いつもおっかけをして下さっている翁長さん。山内さん。皆さんのお蔭の力、お蔭力で遊書展の夢は開いていっている。 (2004年 10月 30日 [土曜日])
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葬送の夢 |
いつの日か人は天に召される それは絶対に避けられない厳然たる事実 ある人は天寿を全うし ある人は一瞬の命を終わらせる それは試練を超えた哀しみ 人はそこに何を学ばなければならないのだろう 家族、同胞、友、愛する人への名残り 遺されたものの哀しみと苦悩 召されるものの哀しみと苦悩 どちらも辛いけれども 未練断ち難く魂は幾度も振り返り 天と地を浮遊するのだろうか 苦しんでも汚れたとしてもその生を生きたい 俗人の私には生への執着が心に渦巻く 去り行く人にただただ手を合わせ冥福を祈る それだけしか出来ない私である・・・。 塾生のお母さんがお亡くなりになられた。 冥福を祈り哀悼の念 ここに記す 葬送の夢などありえないかもしれないが どうぞ、お母さん 天国からT君を見守ってあげてください。 合 掌 (2004年 10月 29日 [金曜日])
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牛に命を懸ける男の夢 |
伊藤社長を訪ねて念願の「但馬屋」さんにお邪魔した。夜8時過ぎお訪ねして、帰るときには2時半を回っていた。その間、正に世界一の焼肉なるものを賞味させていただいた。驚きと感動の連続、サラブレッドの馬には名前があるように「牛」にも名前がある。血統としての美味しい肉になる牛には3代、4代の血統と名前があって、初めて比類なき美味なる牛、焼肉となる。伊藤社長の牛に対する情熱と言うか、愛情にはただただ頭が下がる思いで、「うし、命」で、とことん一途に打ち込んで愛を注いでおられる。牛もこれだけ愛されたら、焼肉冥利に尽きるだろうと思った。旨さたるや信じられない味で、これが今までに食べてきた牛なのだろうか、同じ焼肉なのだろうかと感心させられた。逸品の一品、食は芸術とはこのことだと思った。食べるのがもったいない、こんな感想が出るぐらいだった。そもそも私は伊藤社長の何処に惹かれたのだろうか?と思っていたが、この「一途さ」に魅了されて惚れ込んだのだ納得してしまった。スタッフの方も流石、味も店も、ここにある全てが一流だった。 小生が大型段ボールに楽書して持って行った分も10枚ほど全部頂戴して下さって、心から褒めて下さった。「はっきり言ってもっと字の上手な方も知っています。でも、先生の字は違う。心が伝わってくるものがある」そう仰って下さった。私にしたら一番の褒め言葉である。牛の図柄に但馬屋と入っているコースターを今後、「感謝」とい小生の字に変えてくださるそうである。こんなに有難いことがあるのだろうかと思う。カンボジアの募金もお店のレジの側に置いてご協力下さるとの事だ。但馬屋さんでの伊藤社長との6時間半、舞い上がってしまった素晴らしいトキだった。3人で軍資金を用意していったのに伊藤社長の御心で好意に甘えさせていただいた。人生意気に感ずというか、至福のときを過ごした。「謙虚でないから謙虚なんです」という禅問答のような言葉は私の心に響いた。牛に命を懸けている男の夢が伝わってくる。この人のお役に立てることがあるならば微力を奉じたい、そう思う十三夜の月が綺麗な夜だった。 (2004年 10月 28日 [木曜日])
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関心の夢 |
レケナウルティア、この植物名を見て花の名前が言えたら、あなたは相当な植物通だろう。和名=初恋草(はつこいそう)、花よりも名前にはっとして花屋さんの前で立ち止まった。私は根っからの好奇心が強いというか、何でも見てやろう!何でも学んでやろう!という旺盛なものが内にあって、かっこよく言えば「知的好奇心」のアンテナを張り巡らせている。一生勉強というか、義務教育でやらされる勉強は遥か昔に卒業しているので、いろいろなものに興味を示す性質(たち)のようだ。しかし、人誰も皆 得手不得手があるので、何でもとはいかないが、かなりレパートリィは広い方だろう。それと人間、関心を示さないと無視をするので、それは考え方によっては損をすると思う。関心を示さないということは出会わないと言うことだ。関心がないと心が出ない、愛が出ない。だから、出愛がそれだけなくなるということに通じるはずだ。出愛が少ないと学びが少ない、学びが少ないと変化成長が少ない、変化成長が少ないと自分が伸びない、自分が伸びないと合う人が狭まる、会う人が狭まると世界が小さくなる、世界が小さくなると、人生が面白くなくなる、人生が面白くなくなると、元気がなくなる、元気がなくなると心が老ける、心が老けると頭が固くなる、頭が固くなると人が避ける、人が避けるようになると楽しみがなくなる。楽しみがなくなると生きる歓心がなくなる。 関心のない人は人から感心されないで、寒心される。「関心・感心・歓心」いつも心はピュアに行こう、私がいつも元気であるように・・・。 (2004年 10月 27日 [水曜日])
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憂笑の夢 |
西武ライオンズが4勝3敗で日本シリーズを制して優勝した。ペナントレースではダイエーの後塵をはいして2位だったのに、プレーオフを勝ち、日本シリーズでも中日の優位を覆して勝った。記録を見ると、シリーズ最多安打・最多長打・最多塁打を上げているので勝つべくして勝っているようだが、7戦のプロセスでは2勝3敗になったところで軍配があったようにも思えた。傲慢の落合、謙虚の伊藤の勝負で勝利の女神は伊藤に微笑んだように思える。勝負は勝ったと思ったところで負けるというように、形成が逆転することが多い。中日が3勝したところで選手も、ファンも勝ったと思ったようだ。しかし、勝負は最後までわからない。それが勝負をしてみる面白さのようだ。人生に勝ち負けはあるのだろうか?もし、あるとするならば、自分自身で冷静に客観的に評価して、勝ち負けを決めたいと思う。そして、人に勝たなくてもいい、自分に負けない勝負でありたいと願う。人が認めてくださったとしても、自分で納得のいかない人生は嫌だ。よしんば、人様が評価して下さらなかったとしても、自分で納得のいく人生を送りたい。MVPを獲得して2勝を上げた石井投手は、ペナントレースでは1勝しかしていないというから、面白い。野球も人生も何が起こるかわからない。そこに妙味がある。6戦後、奇しくも「勝ちたいと思う気持ちが強い方が勝つ」というコメントを両チームの選手が語っていた。人間のすることは、その多くはやはり、『気』によって決まるのであろう。そう思う西武の優勝だった。松阪選手、おめでとう!伊藤監督、本当にご苦労様でした。勝者は笑者、敗者は拝者。憂いと笑いの立場は4対3で、僅かの差なのかも知れない。紙一重というよりも同じかも知れない。 (2004年 10月 26日 [火曜日])
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愛・因・運・縁・恩の夢 |
■愛=愛擦、自分に人様に万物に愛を擦り込むこと。勿論、おはようよりも、おはようございますの言葉のほうがいい、挨拶は相手へのメッセージでだけではなく、そのことによって自分の心、精神も高揚させ整える働きがある。挨拶はしてもされても気持ちがいいものである。もう一歩前進して、挨拶に愛を添えて、相手に愛を擦り込むことが出来れば、自分も周りの人もきっと幸せになれる。 ■因=善因、宇宙の法則は因果関係で成立する。善因善果、悪因悪果は1+1=2と同じ真理である。善い事をすれば善い事が返ってくる。これは仏教的言葉だけでなく、宇宙の真理だ。 ■運=夢運、ムーン=moon,月はツキを呼ぶ。これはお月様と人体の関係に裏づけされている。幸運、夢は運動している、宇宙のエネルギーがそうであるように運は運ばれては来るが、捕まえることは自分でしなければならない。天も人も、一人のためよりも多くの人をためを願う。だから、世のため人のためを願って、運を運び運んできていただくことだ。 ■縁=夢縁、出愛は神様からのご褒美です。顔と顔を合わせても出愛ではありません。お互いが心を通わせてこそ出愛です。その出愛を深めて縁を広げる。同じ夢を持った人間は、目的や夢、考え方に共通項が多いので縁が出来やすいく拡がりも深まりもしやすいものである。 ■恩=恩学、恩を学ぶとはいいませんが、とても大切なものです。人は万物、皆様のお蔭で生かされています。それに感謝をする気持ちは人道の平衡感覚です。お蔭力に感謝することが、恩を学ぶということです。 中尾会計事務所の中尾さんから「出愛は神様からのご褒美」を段ボールに書いて欲しいと申し出を受けた。牛心の伊藤社長にも同じものをと思って書いてみたのが人生訓としての「愛因運縁恩」である。この言葉は1994年に「おやじめえる」を書いた時に出来たもの。それ以来、私はこれを心がけてきた。 愛は 生きることの源です 因は 宇宙の真理です 運は 人生の妙味です 前進する者にのみ開けるものです 縁は 人様のお蔭となるもの 万物からの贈り物です 恩は 大切な心の姿勢 感謝の源です おやじめえるより (2004年 10月 25日 [月曜日])
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愛意縁創(めいえんそう)の夢 |
ドウシタコトダロウ。名演奏(愛意縁創=愛と意<こころ>の縁を作る)が始まると、なぜか熱く感じるものがあって、涙ぐんできた。それは心が感じたようだった。何度かはコンサートでクラシックを聴いてきた。しかし、このような反応は初めてだった。美に反応したように思えた。ヴェルディの歌劇「運命の力」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、シベリウスの交響曲第1番。どの曲も最初の部分で心がヴィヴィと来た。 八幡市民オーケストラ第24回定期演奏会。亡き友のご子息が指揮者をしているということで、チケットを頂戴して芸術の秋に触れて見た。頭が期待していた以上に心が反応して感じた。5月の月の砂漠での満月との遭遇以来だろうか?感性が歓声を上げる機会が多くなって自分でも驚いている。どうしたのだろうかと自分でも不思議なぐらいである。指揮者の高谷光信君の指揮も2年ぶりに拝聴?拝見?したが、素人の私の目にもはっきりとわかるほど進化していた。前から3番目の席に座ったので、指揮の全容、表情が手に取るように感じられた。優しすぎるぐらいのスマイル(美笑)は、いい音が出た時にではなく、いい音を奏者から引き出すようにこぼれた。気美気美(きびきび)した動きは、気が入っていて美しくさえあった。「期待される若手指揮者」として紹介されているが、小沢征二のような風貌になるためには、音楽に精通して、人生に正通していくことだろうか?自分の好きなことを通じて自分を磨いていくこと。これが一番幸せなことかも知れない。人・金・物に汚されずに、音楽のように美しく進化していって欲しいと思った。音学と恩学、音を愛し学び、良い人の中で人の恩を頂戴して学んでいく、若いという宝石が輝くか汚れるかは、心がけ・心構え・心の在り様次第かも知れない。 (2004年 10月 24日 [日曜日])
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夢愛の公式 |
自分の体の中を潮流が流れるのを強く感じる。見るもの聞くもの読むもの、それらの一つひとつが一点に集中していっている。善へ善へと流れている。何か自分の意志を超えた所で動いているものを感じている。エネルギィーがドンドン蓄積されていっているようだ。それは近い内にきっと世のため人のために爆発するような予感がする。55歳の感性が敏敏する。この潮流を、自然の流れを大切にして行きたい。 1週間前に、過去と人は変えることが出来ない。そう思っていたのが、「愛は人を変える事が出来る」と思うようになって、教育観が変った。今、日本の教育に欠けているものは愛だ。それ以前に、愛そのものが、今の日本人に正しく認識されていないのが寂しい。人間が保有する愛の中で、一番左右され心動かされるのが異性への愛だが、同時に一番、卑小なのであるのも異性への愛だ。でも、子供たちを含め、多くの人は愛=異性への愛という認識が強い。路傍の一輪の花を愛でる、ここにも愛が存在するのだ。もっともっと自愛する、本当に自分を大切にすると言うことは他をそれ以上に愛すると言うことなのだ。愛は教えられない。愛は学ぶことが出来ない。人は愛されることによって愛することを身に着けて行く。これは間違いなく正比例する。「人は愛すれば愛される。嫌えば嫌われる」これは1+1=2と同様なる真実である。私は生徒さんにこれを教えさせていただいている。生きる力の基本原則として大切な公式でもあると思う。 「愛したら愛される、心に描いたら夢に近づく」これが『愛と夢の公式』だ。だから、自分の夢を愛したら行動が生まれる。行動したら実現する。上手くいかないのは、心の持ち方に誤りがあるか、方法論が違っているかだ。そのときは練習しよう。いい指導者に教えてもらおう。勉強よりは簡単だ。学びたいと思ったならば・・・。 (2004年 10月 23日 [土曜日])
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雷舞の夢 |
防災管理講習を昨日、今日と受講して修了証を貰って来た。いつもは授業・講習を教える立場だが、この2日講習を受けて、退屈な、面白くない、下手な先生の授業は、一種、苦痛だと言うことがよくわかった。大人で仕事がらみであってもそうなのだから、子供たちが好きでない勉強をするのはなおのこと苦痛だと思う。そう言えば、隣の受講者の人は殆ど寝ていた。私も居眠りをしたり、イチローの本を読んだりしていた。それでも、重要事項はきちっと学んだ積りだ? 先週のエゴ・ラッピンの雷舞(ライブ)は正に雷が舞う如くに、稲妻の光が縦横無尽に輝くようなものだった。東進の衛星授業はビデオによる授業で生授業ではない、それでも退屈な授業にならないようにプロの講師がいい授業をする。私の授業は当然、ライブだ。だから、授業で情と熱を伝えて教えないとダメだと、つくづく思った。授業を通じて人間としての情、優情・人情・心情を学んでいただき、熱のある授業をしていかないとダメだと思った。情熱こそ授業の命だ。今は「教育は愛である」と言っているが、塾の一番最初のパンフには、「教育は情熱である」と書いていたのを思い出した。これがやはり原点だと思う。 365日年中夢求、授業のある日は240日ぐらいだろうか、 雷が舞うようなライブ授業が出来たら、素敵だと思う。原点に返ってそれをめざして行こう。 (2004年 10月 22日 [金曜日])
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通心(つうしん)の夢 |
大阪ユニテの会、石川洋先生の講演会があった。「為さずして成ることなし」というタイトルで、開口一番にお話された言葉が『出愛は神様からのご褒美』だった。この言葉を私が本に書き著したのが1994年の「おやじめえる」、その前の年に「出会いは神様からのおくりもの」と言う形で、「よくみてるね塾の先生」のところで紹介された。その前の年に、「あなたとの出会いは天からのおくりもの」という言葉を聞いて、ヒントを得た。出会いが出愛になったのは、熊さんからの手紙によるもの。今や、ボランテイア葉書にもさせて戴いて、多くの人に目に耳に触れて戴いている。今日の洋先生の講演で、正に人生は出愛によって変るとお話されて本当に嬉しかった。私自身もこの言葉の誕生以来、素晴らしい出愛があり、それによって人生が好転して来ている。出愛とは愛が出るということで、お互いが出会って、お互いが愛を出し合って心が通じ合わないと出愛にはならないと言うことなのだ。もう一つ嬉しいことがあった。洋先生は今、毎日、「一人一祷通心」(いちにんいっとうつうしん)と言うことで、毎日、夜12時にお一人の方に祷りを捧げて手紙、通信を書いておられるそうである。この通心の字も、私が中尾さんの会社の事務所通信を、事夢書通心=夢を書く事で心を通わすとされたらどうですかと9月に。お書きして送ったら、また、ここで「通心」というのが一致した。私の遊書のきっかけは石川洋先生の学(マネ)から始まっている。ちょっと近づいて来ているのであれば嬉しい限りだ。私も「一念一祷通心」を今日から始めさせて戴こうと思っている。 (2004年 10月 21日 [木曜日])
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123志語の夢 |
『ことばは心を伝え愛を語るもの』 今日は台風のために休校。そのお蔭でと言うと申し訳ないが、123の志しの言葉、123志語(イチニィサンシーゴ!)を書かせて戴いた。半分はこじ付けがましいかも知れないが、中々の名句・名言が書けているように自画自賛している。優情・機積・母情・集人力・志事・栄業人・心燃・夢人・微笑夢・栄華感・大夢・花夢舞愛・和愛・夢縁・夢運・美心・一緒懸命、etcはお仲間の人にかなり普及している。 積善展運はそのままで「善い事を積めば運は進展する」と言う意味。全違全良(ぜんいぜんりょう)は「みんな違ってみんないい」とう金子みすずさんの言葉を漢語に当てたものである。いつからこのような言葉遊び、字遊びをする様になったのか、字遊人として、一つの趣味として楽しませていただいている。今日の出来立ては「愛擦」愛を擦る、相手の心に愛を擦り込むために愛擦(挨拶)は不可欠のものという思いを漢字に直した。これもパソコンの漢字変換の面白さから来ているのは確かである。 「感字」これもいいと思う。字を心で感じる。言葉を感性でとらえると言うものだ。20年、30年磨いていけば面白いと思う。○ (2004年 10月 20日 [水曜日])
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魔坂から真坂への夢 |
ライオンズがカリブフ怪物、カブレラの満塁本塁打で10−8で激戦を制した。プレーオフで日ハム・ダイエーを破って、ペナントレースは2位ながら日本シリーズに出場して、中日と戦っている。小学校4年生の時に「尾和久物語」を読んで、福岡生まれということもあって45年来のファンである。第2戦で松阪が魔坂(まさか)の逆転スリーランを打たれて惨敗した。言えばライオンズには怪物といわれている選手が松阪・カブレラと二人いることになる。でも野球は9人の選手でするからそれだけでは勝てない。何が起きるか判らない怒裸真(ドラマ=真剣に裸の心で怒る)があるから野球は面白い。人生も何が起きるか分からない。そうなんだ!人生、全戦全勝なんてありえない。日本シリーズも3回負けても4回勝てば優勝することが出来るのだ。 『失敗学』負けて何を学ぶか、失敗から何を吸収するかが大切だ。あの松阪の魔坂の顔に人生の悲哀を見た。情けないけれどもどうしようもない。頭では解っていたのにスーとホームランボールを投げてしまう。松阪も必死なら立浪も必死。必死と必死がぶつかって、人為の及ばない所で勝敗がつくのだろうか?人間がすることだからミスが起きる。人間がすることの面白さがここにあるのだ。実素(ミス)=ミスは次への実りの素だ。そこでどのように謙虚に素直にミスを認めて何を学ぶということだろう。人生には思いもよらぬ魔の坂が1度や2度はある。勝負の世界に生きる人間にとっては、それは付き物だ。今日一日、感謝の日がおくれたら○、勝ち。不満を覚えたら×、負け。自分をいい意味で律して生きるならば、私も一人の勝負師といえるかも知れない。敵は自分の中にいる、怠け者のもう一人の自分。魔坂は自己実現の真坂(まさか)=栄光への真の坂に変えていけると思う。それは、心、心がけ、心構え、心模様次第だと思える。○ (2004年 10月 19日 [火曜日])
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想慈(そうじ)の夢 |
魂源実践会2日目は朝5時に起きて太子廟にお参りをして、お便所の掃除をさせて戴いた。小便便器1台を1時間かけて磨く。 去年の3月から挑戦して、3ヶ月で忙しさを言い訳にストップしてしまったが、再挑戦というよりも自然体で心がけようと思う。 お寺の外にあるお便所を13人で一人1台ずつ分担して磨かせていただいたが、皆さんプロ級の人ばかりで年季が違う、でも一緒にさせていただいて本当に勉強になった。去年は話を聞いてやり始めたが、今回は見て学んでの事なので取り組み易い。挑戦などと硬いことを言わずに、できない時はお休みをして「心がける」をモットーにしていきたい。この夢求日志の最後に○があれば、お掃除した日、×だったらしなかった日ということで、サボったとか、出来なかったことに罪悪感を持つ必要はないように思える。肩肘張らずに自分磨きで、それが「修行」だ、「行」だなどといわずに取り組んでいこうと思っている。ほかの皆さんが熱心に愉しく喜んで、ある人は誇らしくしておられるのに感化された。ボチボチやっていこう。掃除は、その昔は修行僧にとってお経を唱えるよりも先ず掃除を修めたそうだ。想慈(そうじ)=慈しみの想い、ほかの掃除と違って便所掃除は考え事をしながら取り組むことが多い。結構その時に自分と対話できることがある。便所は掃除するというよりも磨くという感覚だ。○ (2004年 10月 18日 [月曜日])
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今日生くの夢 |
『死んでもいいと思えるほどうれしいと感じた時、 その想いを大切に世のため人のために生きてみよう魂は永遠だから』これは字遊人として活動を始めてから何度か感じた思いである。これが「ペンションびせざき」に掲げてある。年間何千人ものお客さんがほぼ皆さんが見て、なんかを感じて帰って行かれるのだろう。これは心からの喜びを思い、生きるということの喜びを謳ったものである。字そのものも初期のもので若い。でもオーナーの熊さんがお気に入りなのかずっと飾ってくださっている。 生死を健康である私たちが簡単に語ってはいけないことは重々自覚している積りだ。 「今日の一日は昨日死んだ人が生きたいと願った一日だ」二十四の瞳の作者壺井栄さんの夫である壺井繁治さんの言葉である。10年ほど前に、小豆島の岬の分教場に行った時にこの言葉に出会って色紙を買い求めた。教育は「今日生く」である。今日一日を元気に生きさせて戴く。そして、それが世のため人のためになることであれば、こんなに幸せなことはないのである。志合和世(しあわせ)=世界中の人の志と平和の想いが合う時、世界の平和、幸せが来ると思う。だから、昨日死んだ人のためにも、今日を生きよう。○ (2004年 10月 17日 [日曜日])
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夢魂(むごん) |
魂源実践会に参加して、南河内郡太子町にある聖徳太子の御廟である「叡福寺」で勉強をさせて戴いて来た。ここは空海・親鸞・日蓮が聖徳太子の下で開眼、悟りを開いた所である。 石川洋先生のお話と参加者41名の方の自己紹介や気づきのお話。そして、「参籠」さんろうというのは、籠もって参ずるという意味で座禅を組ましていただいて、瞑想?に入ることである。無想無念は無理なことである。私は夢想夢念をさせていただくことにしている。でも、これも雑念が入って中々難しいことである。41人の人の発表の中で感心させられたのは、福井武生にある「はぐるまの家」の若者たち。A君は少年院を出て、はぐるまの家に来て2年半ということで、今の事をお話して下さったが、5時間の間、微動だにしない正座の姿勢にも驚いたが、話し言葉そのもの、内容など実に素晴らしいものがあった。彼自身が完全に人間が変ったのだろう。18,9歳で、あれだけの事は優秀な大学生でも語れないものだと思う。過去ではなく、今、何をして生きているかということだと思う。坂岡嘉世子さんがお育てになっておられる若者たちだが、みんな「おかあさん」と呼んでおられる。 ■過去と人は変えることは出来ない、という。そう信じて生きて来た。でも、今日、おかあさんと子供たちを見て、「愛は人を変える」ということを学ばせていただいた。これは子供たちの前に立つ人間として、「偉大なる気づき」であると思う。 ■参籠中に考えた言葉 ・心呼求(しんこきゅう)=心が呼び求めるもの。 ・志善(しぜん)=善なる志。 ・志合和世(しあわせ)=この世の人類の和と志を合わせる事。 ・和価値愛(わかちあい)=和を持って愛の価値観を一致さる ・気燃美(きねんび)=今日の日を気を美しく燃やす記念日に。 ・多磨志意(たましい)=意志を磨くことを多くすること。 ・心光(しんこう)=感謝と祈りは心の光を輝かせる。 ・心美力(しんびりょく)=美しい心の力が審美力をつける。 ・真向心(しんこうしん)=いつも心を真っ直ぐに向ける。 ・和愛(わぁ〜い)=いつも「わぁ〜い」と歓べる心。 (2004年 10月 16日 [土曜日])
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付礼愛(ふれあい)の夢 |
私のヘルパーとボランテイアの皆さんへ。 直接のふれあいを通して 他の人たちに気づいてください。 カリガートの 『死を待つ人の家』へ行って、 本からではなく、 あなたが二度と忘れることのないような環境の中で、 現実の人々の、 辛い、混乱に満ちた人生を、 どうぞ、学んできてください。 《マザー・テレサ 日々のことばより》 2000.5。50歳の節目の時にインドに訪れて「死を待つ人の家」でボランテイアさせていただいた。初めて訪れてお手伝いさせていただいて、役に立つはずがなかった。見よう見真似でリーダーの方に指示していただいて必死でさせて戴いた。シャワーを浴びた方の体拭き。食事の配膳と食事のお手伝い。点滴をして横たわっている方に食べさせてあげるのに、学ばさせられた。「食べさせてあげる」という、傲慢な想い。私が不自然な姿勢で食べ物を口に運ばせて戴いていると、体をずらせて、座るように目で示唆して気遣って下さった。この時、私は大きな衝撃を受けて、恥ずかしさを覚えた。ボランテイア・お手伝い・ヘルプ。この想いそのものが傲慢なのだと悟らされた。気づかさせて戴いた。この死を待つ人から、私は大きなものをいただいた。それはかけがえのない体験であり、マザーがいう「直接のふれあい」=(付礼愛)からの学びだと思う。あの方は、死が近いという風ではなかったが、もうすでに天国に召されたのだろうか?あの方はこの世で最後のメッセージとして私に「教え」を下さったように思える。私がボランテイアの一歩を踏み出したのは、あの方の想い、あの方の魂の一部をいただいたのかも知れない。ふれあい=付礼愛とは礼に愛を付けること、そこから始まるのだと思う。 (2004年 10月 15日 [金曜日])
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古都の街夢 |
一膳や・恵文社・京都市北文化会館・猫町。学生時代とその後の3年間を過ごした京都に久しぶりに訪ねた。一膳やはイタリアンのレストラン。パスタとケーキとコーヒーと。雰囲気が落ちついていて、室内装飾が正にシンプルイズベスト。無駄がない分、気が落ち着く。1点、書が掛けてあるのも和洋の取り合わせが実にいい。店主のセンスが伝わってくる。恵文社は京都一乗寺の町中にある。古い建物を上手く活かした本屋さん。おそらく日本に一軒しかない個性的な本屋さんだ。京都ならではを感じさせ、品揃えも漫画・参考書など一切なく、売れる本ではなく売りたい本、読んで欲しい本を並べている。梅田、神戸の大書店にない本に出会って思わず、喜んでしまった。遊書のヒラメキを2つも貰った。早速、作品にしようと思う。文化会館は「EGO−WRAPPING」のオールスタンディングのライブ。生まれて初めてライブなるものに行ったが、正直言って、「ヴェリィーグッド」だった。2,3曲目までは違和感は感じなかったが、ちょっと馴染めないものを感じたけれど、歌姫(エゴ)のパワーにぐいぐいと引き付けられて圧倒されてしまった。おじさん感覚でいうと、歌詞はは殆ど聞き取れない。音楽は決して美しいとは言えない。歌姫の踊りも決してビューティフルとは言えない。しかし、「音」にあわせて心の赴く儘にというか、体に感じる儘に踊る中から発散させている「気」には感心させられた。徐々に高めていく、高まっていく興奮・陶酔の境地はプロを感じさせられた。「ボチボチ行きましょか?」と歌姫も観衆も気を合わせて、そこへ行く様は、彼ら若者にとっては桃源郷なのだと感じた。小柄なエゴが私の目の前の高さ1.5メートルの大スピーカーに飛び上がった瞬間は 「ド肝」を抜かれた。命がけのライブ、舞台は自己表現の戦場、祭り場なのだろう。床が地響きを立てるスピーカーから轟音が唸る。ちょっと精気を抜かれたような気さえした。猫町は萩原朔太郎の短編小説の題名をそのままに取った洋食屋さん。名前どおりに微かながら文学の古臭い匂いがするお店。地鶏のソテーも美味しかった。古めかしいそうな店構え、雰囲気も気にいった。これらを一日案内してくれたのが、22日に20歳の誕生日を迎えるチエちゃん。沖縄経由で「出愛は神様からのご褒美」としてお互いが紹介されて出あった賢い可愛い女の子。彼女曰く「三師・三友・三相」のうちの友達の一人として、小生を位置づけして下さった。55歳のおじさんの好みに合うお店をパーフェクトに案内できるのだから、「友達」としてお互いが合格なのかも知れない。私が心の根っこの部分で、「人はみな、生命の尊厳さにおいて対等」という想いを肌で感じるそうで、その点で仲良しになれている?ようだ。 (2004年 10月 14日 [木曜日])
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Let's Enjoy Changing の夢 |
『Let's Enjoy Changing』=変化することを楽しもう。 これは沖縄のリゾートホテルがCI(コーポレート・アイデンティティー)戦略の一環として、ホテルのネーミング変更される折にスローガンとして掲げられたものを、リクエストいただいて書かせて戴いたものである。大袈裟に言うと社是は5分で出来る。しかし、社風は年月がかかる。そのような中で向上をめざして会社を変化させるということはなかなか大変なことである。先ず、トップがその想いになるということが素晴らしい。現場がそう思うことがまた素晴らしい。その想いを込めて書かせて戴いたものの内の一点が上の写真です。沖縄の紅型に英語の文字で、斬新に個性的に書かせて戴いた。この作品自身がもう「変化」を夢現していると思う。書道家の人から見ればご法度の世界である色物の紙を使って英語を書く。型破りというよりも大いなる変化だ。(単純に言えば私が嬉しがりなだけの話)。気に入っていただいて、このホテルさんの事務所に掲げていただいているそうである。今回、ご縁を戴いてここ「喜瀬ビーチリゾート」で遊書展をさせていただくことになった。そろそろ心が美ら島になびいている時だったので、とてもタイムリイーで嬉しい。私にとって作品は、いわば子供のようなもの、娘みたいなもので何処に嫁いでどのようにしているかは、気になる所である。娘に再会しに行くそんな思いで沖縄に行き、また、一人でも多くの方に見ていただければ嬉しいことだ。今日、開催の依頼を正式に戴いた。 (2004年 10月 13日 [水曜日])
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たそがれの夢 |
甲子園学習塾は国道2号線と尼崎宝塚を結ぶ南北の道路、尼宝線の交差点の所にある。6階建てのビルの3・4・5・6階をテナントとして借りている。西側に窓があるので、西の方向には六甲山系の山脈が見渡せる。時折、見驍アとが出来る夕焼け、たそがれの景色は四季折々に愉しいものがある。時に授業を中断して、子供たちと一緒に眺めることがある。今日は大きな夕日が見れた、デジカメに撮ろうと思って、カメラを撮りにいっている間に山の端に日が沈んだ。その変化の速さは十分に秋だ。でもまだ何処かに残暑めいたものがあり、秋がきたという実感がない。考えてみると10月も中旬といえば、もっと秋らしく秋めいているのに、どこかちょっと可笑しい。口にする秋も、天然・自然のままでなく季節感がずれていて、こちらの感性もマヒさせられているように思える。小さな秋、小さな花、小さな善意にもっと敏感になって心を豊かにすることを忘れないでいたい。 (2004年 10月 12日 [火曜日])
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正夢?西武優勝。 |
中西・豊田・稲尾。福岡生まれの私にとって西鉄ライオンズは少年時代の憧れだった。小学校4年生の時から45年、ライオンズファンを貫いてきた。西鉄から西武への移行期の時代は身売り続きで苦難の時期があった。西宮球場に行ってメンバーを見て愕然と来たことがある。ほとんど知らない名前が並んでいた・・・。 あれから西武になって九州を離れて埼玉に行ったが「ライオンズ」の名前は残った。広岡監督になってチームが西鉄から西武に野球が変って強くなった。長い歴史の中に紆余曲折があって、大袈裟に言うと「歴史」がある。西武が買い取ったということで、維新がおきた。流れが変った。パリーグが来期に向けて、楽天・ライブドアの新規参入でまた、新たな時代を迎える。昔、映画会社・電鉄会社のオーナー会社が、21世紀になってIT産業の進出を見る。サッカーとの兼ね合いなどを考えても、セリーグの巨人の状況を考えても、プロ野球ファンとしては、維新としての変化を期待したい。イチロー・松阪・松井に夢を与えたプロ野球の新生を期待したい。 ライオンズがプレーオフを制してパリーグの優勝を決めた。伊藤監督が1年目で決めた所にうれしさがある。どこか馴染まないプレーオフではあるが、おめでとう!ライオンズ!!。面白い接戦の日本シリーズが期待できそうだ。 (2004年 10月 11日 [月曜日])
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母情の夢 |
『母情』母の胎内で愛と魂が育まれる。 沖縄では赤ちゃんの事を「童神」=わらびがみという。字面・語感・語韻、どれをとっても素晴らしい。 9月には、7月に渋谷でお会いして「どうぞお腹を触ってください」と仰って下さった木村さんご夫婦に童神が誕生する。12月には前世でも来世でも茶道において兄弟弟子と言って下さっている沖縄のNさんにも童神が誕生する。生命の誕生ほど祝福すべきものはない。母はわが子に夢を見る。親はわが子に夢を託す。 天からの授かりもの。神様からの預かりもの。全て天の子、神の子と思って育てていけば、みんないい子に育つように思う。わが子に我欲を持つのは親の情かも知れないが、それを超えた母の情、母情で育てていって欲しい。私の長男が生まれる1週間前に、病院に呼び出されて「未熟児です。心臓に穴が開いています。育たないかも知れません」と言われた。私たち夫婦は二人して泣きながら、「どんな子であっても育てよう」と誓いあった。それは私が脳性小児マヒでの体験があって五体満足に生かされているということへの想いもあった。その長男も今は29、立派に育ってくれている。私たちにはかけがえのない宝物としての子供が3人いる。有難いことだ。子育ての想いとしての原点は、五体満足であればいいという誕生前のこの想いを忘れぬこと、命どう宝=ぬちどうたからで生命そのものに感謝すること。天からの授かりものとして育てていくことだと思う。母情はわが命よりもわが子を尊重するが、生命の尊厳さからいけば、命の重みは平等でなければならない。子供は親の命を懸けた、生涯を懸けた芸術作品でなければならない。 (2004年 10月 10日 [日曜日])
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夢運(ムーン) |
Moon、ムーン、月、cキがある。あの人にはツキがある。ついていたなどというが、何がつくのだろう。運がいい、運がよかったともいう。この世に偶然はない、全てあるべくしてなるように成るとも云われる。日ごろの行ないがイイからなどという。 そう考えて見ると「積善展運」=善いことを積めば運が進展する。「機積」=一秒、一瞬を大事に積み重ねれば奇跡が起きる。という言葉は妥当性が高いと思う。 @夢は動いて運ばれて来る。何もしない所には何も来ないが、動きのあるところには運がやって来る。人が運んでくれる。天が、天使が、神が運んで来てくれる。A夢を運ぶ。ギブアンドテイク。ギブアンドギブ。と英語を当てて表現されるが、どうも日本人にはしっくり来ない。馴染まない。「心をいただき心に感謝する」という、心がどうやら東洋人と西洋人では違うようだ。日本人はモノに付いてくる心に感謝するが、西洋人はモノそのものにウエイトを置くように思われる。感謝とThanksはちょっとニュアンスが違うように思われるし、「お蔭様」という言葉は英語にはあるのだろうか。言語は精神を創造する。夢は他者から運ばれて来る。だから、そうして貰ったように誰かに夢を運んであげる。夢は、夢を実現することに意義がある。そこには自他がなく、夢そのものが達成された喜びが生まれる。自分のことをいうと、年頭に書き込んだ39の夢の内、3分の1は実現したが、自分だけ独り占めした夢はない。ともに分かち合って歓び合えた夢だ。だから、自分がシャカリキになって達成した夢もない。皆様のお蔭で成し得たものばかりのように思える。 夢は運を運んで来てくれる。ツキも一緒に持って来てくれる。 お月様は太陽の蔭にあるが、宇宙は太陽と月の陰陽で成り立っている。人間の社会も人様と私で成り立っているのだ。自然界も万物と私の関わりにおいて存在するのだ。月(夢運=ムーン)に感謝、お蔭様に感謝。 (2004年 10月 9日 [土曜日])
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Boys Be Ambitios の夢 |
少年よ大志を抱け。この言葉に出会ったのはいつのことだろうか?以来、私の潜在意識に確実にインプットされたように思う。おそらくは高校時代であったように思う。北海道大学のクラークの像にも数回訪れた。10代、20代、・・・ 。時にそれが野望であったり、野心であったり・・・。今、50代を向かえ、大志は「志魂」に変った。決してそれは大きいとはいえないけれども、世のため人のために、小さな小さなことであるかもしれないが、人様のお役に立つこと。世の一隅を照らせなくとも、私と関わりを持たせていただいた人に喜んでいただくこと。そして、その喜びが伝染して連なっていくこと。連愛の輪になって互いが思いやりの心を紡ぎあっていく。この地球に何億という民が住み、この宇宙に無数の星がある。隣の人に一人だけ、隣の星に一つだけ感化すればそれでいい。太陽のように輝かなくとも、お月様のように蔭になって、人様のお蔭になってお役立ちできれば、それが小さな小さな幸せのよな気がする。天に召されるその一瞬に「よかった」といえるような人生を送りたい。志しの魂に生きる。魂に生きるということが、どういうことかを見つけられたら・・・。素敵な人生のように思える。 (2004年 10月 8日 [金曜日])
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学(マネ)びの夢 |
私が教師になった動機は小4の時の恩師のような先生になりたいという憧れ。茶道を始めたのは叔母さんの学。詩を書いたり短歌を詠むのは宮沢賢治や石川啄木の学。書は石川洋先生や横田先生の学。とにかく単純に素直に大好きな人の学をする所から、私はスタートしている。マネをすることはモチベーションとして一つの効果を発揮する。それが尊敬していたり大好きであるとなお、大きな力として継続されてくる。文章を書くこと、人前で話をすること。どれもみな学から始まって向上を目指している。 「おやじめーる」を発行した時に、「学ぶ」をマネぶという読み方をするということを初めて知ったので、それ以来、これを潜在意識にどっしりと据えて物事を見聞きするようにしている。どんな素晴らしい一流の人であったとしても、すべて学の模範、手本としている。人は笑うだろうけれども、私にとってはイチローでさえも学の対象である。野球は出来ないけれど、生き方・考え方・話し方などなど、盗もうと思えば最高の手本であり、師匠たりえる。大袈裟に言えば世の成功者はみんな、誰かのマネをする所から学び始めたように思う。一生勉強、一生学生ということであれば、楽生、楽しく学んで生きたい。楽しい生徒でありたいと思う。継続をしていけば、心がけていけば、その内、一歩でも二歩でも近づいていけるかも知れないのだから・・・。 (2004年 10月 7日 [木曜日])
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母校の夢 |
パリーグのプレーオフで西武がダイエーに9−3で敗れる。明日、松阪が好投してくれるだろう。3勝2敗で西武が勝ちそうな気がするのだが・・・。セリーグは中日が落合監督のオレ流で見事に優勝した。横浜ベイスターズが来年、牛島を監督に迎えるようだ。ドカベン香川と牛島で往年の「浪商旋風」を起こしてくれたバッテリーだ。そう私の母校、牛島は後輩になるのだ。思えばあの時期は甲子園球場に授業ぎりぎりまで応援して、タクシーで教室に戻って応援したものだ。 昔、私が通っていた頃の浪商は「泣く子も黙る浪商」と云われ、大阪NO1の硬派で、平たく云えば悪い学校だった。あえて評価すれば偏差値50以下、根性偏差値65以上というユニークで個性のある高校だった。今から思えば、人生の岐路だったような気がする。公立高校の受験に見事に落ちて、縁があって浪商に行って私の個性も花開く萌芽が芽生えたような気がする。浪商根性という名のもとに培った、コンプレックスをバネにする逞しさは、浪商という土壌において育まれたように思える。通学道、朝練をしている応援団の「不曉不屈の浪商根性で」という応援歌が、否応なしに染み付いて耳に残っている。高校時代の私の心の応援歌となり、潜在意識に刷り込まれたのかもしれない。 元大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の隠れファンとして、後輩牛島監督の就任に心からの祝辞と声援を送りたい。理論的な解説は彼のクレバーさを表しているが、ぜひユニークなおもしろい野球、個性的なチームを作って欲しい。これも母校愛に繋がる母校への夢である。 (2004年 10月 6日 [水曜日])
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愛生(あいしょう)の夢 |
沖縄の海が恋しい。沖縄の空が恋しい。やはり年に2回ぐらいは行かないと、なんか薬が切れてくるような思いがする。元気が沸いてくるビタミン愛という薬。でも一番は美ら島の『気』が恋しい。気合・気愛。沖縄の空気、大気が私の60兆の細胞に瑞々しい潤いと鋭気と元気を与えてくれる。沖縄の気と私の気が合うという気合。私が沖縄を愛し沖縄の気も私を愛してくれているという実感。那覇の空港が近代化して今や、特徴はなくなってしまったが、以前は空港に着いただけだけでほっとしたものだ。愛生(相性)が合う、愛に生きられるそんな気が沖縄にはあるのだ。 稲嶺先生の所に個展の開催予定をお聴きすると9/19〜31まで、コザのプラザハウスであるそうだ。この時期に合わせてぜひ行きたいとチャンスを狙っている。沖縄にいる沢山のファミリィー、仲間に愛たい。 (2004年 10月 5日 [火曜日])
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夢縁の拡がり |
字遊人、西口賢治は沖縄、備瀬崎で生まれた。チエちゃんというもうすぐ20歳になる少女はここで生まれ変わった。熊さん、ようこさんから、2年前ぐらいからお互いの事を聞いていて、ご縁で繋がっていることは自覚していた。昨日、そのチエちゃんが甲子園に会いに来てくださった。美容院に行って髪を結い着物を着付けて和服で来られた。初対面、目上の人、私のことを散々、話で聞かされていて、気合(気愛)を入れて来てくださったそうだ。JR甲子園口の駅前で5時半に待ち合わせして、駅から電話を下さいと約束をしていたので、駅前の公衆電話ボックスに入る着物姿の若い女の子を見て、すぐにこの子だと判った。今時、携帯電話を持っていないこの年代の子というだけで、私は気に入ってしまう。うちとける1分はかからなかった。お会いするという約束をした時にもう既にうちとけていた。このあたりは私のこの頃の特技かもしれない。神戸に「たこ餃子」を食べに行って、もう少し話がしたいということで、ポートピアホテルの32階のラウンジでコーヒーとジュースを飲んで、神戸の海側からの夜景を楽しんだ。雨上がりの後で一段と夜景が美しく見えた。チエちゃんの「キラキラ」という言葉の表現がきらきらと輝いていた。大阪旭区の家まで送っていったのが、ほとんど11時。少し遅かったけれども家にはきちっと電話はかけてもらっていた。 自分の娘、23歳より若い女の子、ついつい私は教師根性を出して、ついつい諭してしまう。頭のいいスマート(頭が)な子で 私の言うことをほとんど理解をした。私が話題を合わせるということもなく、自然に会話できた。とても楽しい時間が流れた。同じ夢を持った人の縁、夢縁の輪がまた拡がって行くのを感じた。 心が通じ合えば、老若男女、違和感でなく同和感が生まれるものだと、可愛いチエちゃんに教えられた。22日が誕生日だから、琉舞の先生の所に飾る「遊書」を欲しいと素直に言った。うれしいことだ。近くライブに連れて行ってくれるそだ。 (2004年 10月 4日 [月曜日])
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星夢=same,(セイム) |
朝日・毎日・ニッカン・スポニチ・サンスポ・デイリィー・報知、駅の売店でスポーツ新聞を買ってきて全紙に目を通した。勿論、イチロー選手の偉業に対しての記事、特に彼のコメントを読むためだ。「野球が好きだから」このコメントが目を引いたが、バッターボックスに立てることがうれしいとも言っている。 『知ることは好むことに如かず、好むことは楽しむことに如かず』という孔子の論語の一説を思い浮かべる。イチローが野球を、打撃を楽しむことを知った時、その時、彼は4割打者に成り得るだろう。7月以降の打率が4割を超えており、大リーグの監督、打者が4割可能だといっているので、それは夢でも不可能でもないことなのだろう。彼の多くのコメントは、手本であり、教科書であり、模範になるものだ。メンタル・イメージ・ボディーコントロールが一流であることがよくわかる。心から称賛し凄いと感嘆し同じ日本人として誇りと感動をする。そう、同じ人間なのだ。異星人でも異邦人でもない。だから、ただ感嘆するだけでなく、学ぶものの礼儀として一歩でも近づきたいと思う。 SAME=星夢。スターへの憧れの夢を、遠い憧れで終わらせるのではなく、何か一つでも学て(マネて)近づきたいと願う。近づかなくても学(マネ)るだけでもいいかもしれない。学が楽に繋がっていくように・・・。 (2004年 10月 3日 [日曜日])
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夢 一路(イチロー)。 |
イチローが9月19日にノーヒットに終わった翌日から、「イチローの腕時計」をしている。一ファンの願かけ、験を担ぎだ。しかし、たちまち2本、5本、4本、2本と打ち出して、「257」という数字に近づいた。「261」これが私の予想だ。単なるひらめきだが、もし当たったらどうしようと、ドキドキしている。259安打。遂にイチローは新記録を樹立した。というよりも、淡々とやってのけた。いつもどおりに「普通に」、これがイチローの素晴らしさなのだろう。 『何でもいいから目標を持つこと これを持つことによって人の話をきちんと聞いたり 自分を大切にしたりできるようになる』 この言葉に出会ってからイチローのファンになった。関連の本を買い求め、新聞の記事に注目するようになった。2001年のシーズン中の事だったと思う。200本安打を達成した時のコメントだ。「夢・素直さ・愛」これが一番というキィーワードになる言葉だ。27歳の時にこれが語れるということは、人間が出来ているという何よりもの証拠だ。この言葉との出愛以来、私はイチローのファンになった。そして、彼は「努力」という言葉を使わない。それがまた素晴らしいところだ。夢 一路。世界の子供たちに夢を与えて欲しい。私個人には沢山の夢を与えて貰っている。 彼の生き方を見ていると、風貌・言葉に触れると夢が沸いてくる。 (2004年 10月 2日 [土曜日])
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夢現力 |
みんなは未来に夢を見るが イチロー選手は 未来、次の瞬間にヒットを打って 1塁ベースに立っていること見ている。 2塁から3塁に走っているのを見ている ヒーローインタビューに答えているのを見ている。 彼の大脳は予知能力があるのではなく 夢ではなく、夢を現実化して見る眼力がある。 それが彼の潜在パワーを出させて結果を出している。 先を見る力、夢を現実にする力 その大本(おおもと)は体の細胞である ひとつの一つの細胞はイチローも あなたもわたしも同じ細胞を持っているのだ。 彼は「やれば出来るという信じる力が誰よりも強い人だ」 夢現力を持っているのだ。 ■沖縄・上本部中学校図書室■ (2004年 10月 1日 [金曜日])
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