手紙の夢 |
先日はカリフォルニアのMt,シャスタから、今日はシンガポールから手紙が届いた。やっぱり、メールよりも手紙がいいなぁと思う。文面に息吹を感じることが出来る。文字にその人の愛と心と思いを感じさせていただける。私もかつて文字に色気がると、褒めて??いただいたことがある。これは相手の感性によろものだから、こちらは自覚できないことだけれども有難いことだとは思っている。今、「言葉・潜在意識・自律神経・大脳」をテーマにして読書をしている。思いは言葉で、思いになる。それは言葉にして口にして文字にして、はっきりと認識できて大脳に働きかけられてプラスに作用する。家庭教育というほどのものでなく、日常の生活の中で、「勉強しなさい」とは云われたことはないが、言葉遣いだけは厳しくしつけられた。中高校時代、家に電話をしているのを、側で聞いていた友が「何処に電話していたの?」とよく言われた、「家の人にそんな話し方をするの?」と聞かれた。普通・常識・当たり前には最低基準と個々の基準と二通りにレベルがあるようだ。それは高いに越したことはないように思える。シンガポールからの手紙は「人間は心で動く動物」なのですね。と私の言葉を受けて書いてくださっている。旅先にあって、私のことを思ってくださっている思いを、表現して手紙を書いてくださる。なかなか出来ることではないのでうれしい。私も学んでマネをしようと思った。一通の手紙の中で夢が語り合えたらうれしいことだ。 (2004年 11月 30日 [火曜日])
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天使の夢 |
3月に沖縄で遊書展をさせていただいて、リクエストにお応えして「球志意」と書かせて戴いた方があった。そのときの言葉のやり取りもあって、実をいうと私は忘れていたのだけれども、律儀に1週間ほど前の21日にメールを戴「た。世界遺産の一つになっている「座喜味城址」のある読谷村座喜味に住んでおられる若い女性だ。今帰仁・座喜味と共に大好きな場所で、ここに行くと気、雰囲気に溶けることが出来る。今帰仁の風景が好き。座喜味の美ら風が好きなのだ。お名前をyumiさんと言う。座喜味の風のような素敵な感性の持ち主でメールの一語、一語にはっとするものがあって学ばされることが多い。私も負けずにメールを届けさせていただいて学美愛(学び合い)をさせて頂いている。 文は人なり、書は人なり、言葉も人なりということであれば、素直に人となりを表現できる人だ。いい人に出会うと直ぐに惚れてしまう私にとって、心を引き付ける魅力を持った美心だ。 「言葉は心を伝え愛を語るもの」私は出会った人に対して、塾で子供たちの前に立って語るとき、このことを心がけている。お互いの感性が合って波長が合うと老若男女を問わず、これに近いレベルで語り愛が出来ると思う。yumiさんはハートに美美っと(ビビっと)くる言葉を贈ってくる。「出愛は神様からのご褒美」をモットーとしている私からすると嬉しいご褒美に値するような出愛だ。2,3日前のメールに「甲子園の天使さま」とメールが飛び込んで来た。思わず苦笑してしまったが、考えてみれば私も中国で出会った劉頴さんに「月光の天使」と名付けさせていただいて、僕の感性を磨いていただいて勇気を貰って元気にしていただいて生き生きとさせていただいているのだから、逆にそのような立場でとらえていただけるのであれば感謝しなければならないことかもしれない。 偶然の一致かもしれないが、そのメールが届いた時、私はyumiさんに「天使のみつけかた」という本を送った日と奇しくも一致した。私自身はさあーと目を通しただけの本だが、たくさんのいろいろな天使がいると人生は楽しい。元気が出てくるというような内容だ。確かに「天使」がいると、好きな人、愛する人がたくさんいるということは「人生が豊かになる」と思う。 甲子園の天使のメールの返心(返信)に「美ら風の天使」と書いた。字遊人としてボランテイア遊書展をさせて戴くようになって、出愛が拡大して来た。老若男女国際的にいろんな分野の人にお出愛させていただいている。そのことが一番素晴らしいように思える。七人の侍ならぬラッキィー7の「7人の天使」を見つけようと思う。お金にはほぼ無欲だが、いい人との出愛は貪欲でいたい。夢翼(無欲)でいたい。そこから夢の翼が拡がるような出愛が、また、拡がるような気がする。「月光の天使」「美ら風の天使」「熊の天使」「子猫の天使」「牛の天使」。「いい人はいいね」伊豆の踊子の一節が心の襞にいつもある。天使様に感謝。 (2004年 11月 29日 [月曜日])
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何来無差の夢 |
ゴルフの宮里藍が最終日にスコアを落として優勝を逃した。1打差、僅かな差、僅差であった。おそらく殆どの日本人が不動よりも宮里を応援したはず、ギャラリィーもそうだろう。本人のコメントは「心臓が飛び出るほど緊張した」とのこと。きっと「なんくるないさ」という言葉も忘れていたことだろう。この言葉は沖縄通を自認する小生が知らなかった言葉を、宮里藍がNHKのインタビューで応えた言葉。父から教えられたということだった。今年だったか去年だったか、沖縄で1度、熊さんたちとプレーをした。勿論、散々なスコア。今やゴルフよりも字を書くことのほうが圧倒的に愉しい。だから、ゴルフファンではなく、藍ちゃんのファンと言っていい。それもこの言葉を聞いたのがキッカケであり、礼儀正しさと言葉遣いにある。19歳の女の子と思えない落ち着きと考え方を持っているように思え、明るくさわやかで清潔なイメージがいい。あの年代でTVに出ている同世代の女の子の知性のかけらも無い教養の無さに辟易としているので尚更だ。何来無差(なんくるないさ)=幸が来ても不幸が来ても、天から見れば差は無い(さ)。さぁーというのはウチナーグチの沖縄言葉。この言葉を心、頭の中にインプットして生きていくのと、そうでないのとでは潜在意識・自律神経への作用が全然違う。その結果、人生にも差が出るだろう? (2004年 11月 28日 [日曜日])
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心燃の夢 |
『人は燃やさなあかん』これはグルメ杵屋の社長さんの言葉。今日は近畿博友会の会合が梅田であった。文部科学大臣政務官、下村博文先生の基調講演とパネルディスカッションがあった。氏は私たち塾業界から出た衆議院議員でまだまだ40代の若さで前前途洋洋で、教育面に強く熱心である。業界の人たちも氏の大臣就任を待望している。セミナー終了後は、杵屋の社長さんで初芝高校の理事長さんの邸宅にお邪魔してご馳走になった。住吉にあるご自宅はご夫婦2人住まいとのことだが、お客さんをお招きすることを第一に建てられていて、立派な迎賓館である。20人は十分に食事まで出来て、50人はお迎えできるようになっている。近畿博友会の会長である森本先生のお心遣いで、檜の一枚板の書をプレゼントされ、それを3週間ほど前に私が書かせて戴いたものをお披露目させていただく機会でもあった。小生にとってもいわば初めての大作で、板を見て流石に手が震えた。お蔭様で自画自賛、私にとっても記念となる作品が出来た。これは森本先生の想いと気が私の手に乗り移ったといってもいいような作品である。実際、今年は10回近く遊書展をさせて戴いて来たが、依頼主の方の気を貰って書かせていただくと、イイ字が生まれているような気がする。書道の有段者という仲間の先生が「私にはこの字は書けない、アートですね」と褒めて下さった。字を見て喜んで下さる。字を見て元気を見出して下さる方がある。なんと嬉しいことだろう。人は燃やさなあかん、何を燃やすのか?心を燃やす、心燃と言うことだろう。今年、たくさんの人に見ていただいた字だが、これを見て、「心を燃やなあかん」と思ってくれる人がいたら、ホントウに素晴らしいことだと思う。 (2004年 11月 27日 [土曜日])
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南瓜への夢 |
南瓜(かぼちゃ)の原産地はカンボジアだ。そこからこの名前がついている。道理で日本語の語感・語韻としては面白い。この3月から遊書展の売上金、他をカンボジア学校建設資金として募金活動をさせて頂いている。焼肉の但馬屋さんはレジの所に賽銭箱を設置して下さり、募金葉書も売ってくださるという形で協力してくださっている。 自社ビルの感謝の集いのお祝儀は全て全額を募金させていただいて、現在の額が172万3961円。時折、「子供の教育を考える会」名義の通帳の記帳に行っている。今日は感動、ビックリさせられた。神戸のN先生から塾名義、個人名義で合計8万円もお振込みいただいた。募金なので決して金額の問題ではない、でも金額が心として美しく表現されることがある。正直を申し上げると、せこい、人間がまだまだ未熟な小生はあの方は?と思って当てが外れたり、全然、ご協力がなかったりでちょっぴり寂しく思ったり、とても勉強になったが、N先生のお心、志には敬意と人となり、器の大きさを受け止めさせていただいた。僕が逆の立場であれば、おそらく2万円ぐらいをさせて戴くだろう。そう素直に考えるとN先生は僕よりも4倍のスケールの大きさがあるのだと思えるし、実際そう思う。確かに、お金の事なのでしたいと思っても出来ない事情もある。一概には言えないけれど、人間、生まれてから死ぬまで、一生、お金と付き合っていかなければならない。「汚く稼いでもキレイに遣う」と一生懸命稼いだお金を300万ポンと下さったYさんの言葉が教訓のように聞こえる。 人生はお金と時間と心の遣い方で決まると、今日もまたN先生に学ばせて頂いた。私は本当に素晴らしい人に囲まれていかされていて、なんと幸せなんだろうと思う。 (2004年 11月 26日 [金曜日])
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機積の夢 |
■機積の一滴(きせきのひとしずく) ・偶然の奇蹟なんて起こらない。一滴の汗を流す者に、 機を積み重ねる者にのみ奇蹟が起きる。 ・一秒,一秒.一瞬,一瞬の機を大切にする心構えが奇蹟を生む。 ・機を疎かにする者は,自ら時機・好機から見放される者となる。 昨年、第83回全国高校ラグビィー大会に名護高校が沖縄代表で出場した。縁が繋がって私の大型段ボールに『機積』と書いた文字が部室に貼ってあって、これが奇蹟を生む原動力となって出場の役に立ったそうである。一つの言葉が、一つの文字が、一枚の紙が人間の心に何らかの働きかけをするのは、心理学的にも実証されているが、現実に形となって現れると嬉しいことである。 (2004年 11月 25日 [木曜日])
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出愛は神様からのご褒美の夢 |
「出愛は神様からのご褒美」この言葉を作らせて戴いて14,5年になる。以来、私の心、頭にインプットされた上で「出愛」をしている。そのお蔭もあるのだろう。本当にいい人にお出愛する機会に恵まれる。今日は東進衛星予備校の方で生物の田部眞哉先生の講演があった。生徒・保護者対象で実に素晴らしいものであった。 内容は勿論ながら、なんともいえない素晴らしい『気』を持っておられた。話しぶりに現れる人柄、真剣さ、迫力。真髄をついた言葉。心に沁みて圧倒された。50歳という年齢で「美しい年輪」を感じさせられた。おじさんの戯言(たわごと)とお許し戴けるのであれば、私には田部先生を見ていて、人間としての美しい年輪がはっきりと見えた。そして、私自身は人様から見ていただいたときに、どのように見えているのだろうかと考えて、兎にも角にも、一瞬・一秒・一日の機を積んで、自分という人間をしっかりと創っていかなければ、正々堂々と子供たちの前に立てないと思った。 美味しいものを戴いた時に感じる、あの小さなささやかな幸せ。それに比べると、いい人、美味しい人、味のある人、ご自身の風を持っておられる人とお出愛すると大きな幸せを感じる。 心の中の奥底で待望していると、神様は素晴らしいご褒美を下さる。今日は、やっぱり、いろいろな出愛の中でも、『人間』との出愛が一番だとつくづく感じさせられた。心熱くなる一日だった。感謝・かんしゃ・カンシャ・・・。(11月23日分) (2004年 11月 24日 [水曜日])
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牛・米・水の夢 |
牛 ・牛は大地を耕し 人は心を耕す ・牛は直向に歩く 牛は素直に働き 牛は謙虚に走る ・牛は自分の使命を知っている だから 黙って真っ直ぐに歩む ・牛は戦わない 牛は争わない 牛は文句を言わない 人に尽ュすを天命と人に仕えるを使命と牛の心が知っている ・牛の瞳は真実をじっと見つめる だから、牛は忍耐強く、誰にも優しくできる 水 ・健全なる心に愛を 健全なる体に水を ・水は大地を潤し 水は花を潤し 水はすべての命を潤す ・天に月 地に花 人に愛 水はすべてのエネルギィー ・一滴の水がすべてに命を与えるように 小さな愛がすべてのものに生命を宿す ・宇宙は光と水と気から成る 人は宇宙のエネルギィー、光をいただき 水と空気をいただいて生かされている だから、宇宙の恵みに感謝しよう 米 ・一つの命の重たさを 一粒の米が支えている ・世界一美味しい米を 優しい人が日夜の努力で作って下さっている ・早苗の緑は春を歌い 黄金の稲穂は錦秋を飾り 実れば人の命となって天寿を全うする ・黄金の稲穂が銀色のお米に変り 人のいの血となって真っ赤に燃える ・一粒(お米)、一語(言葉)、一瞬(時間)を 粗末にして大成した人はいない ・天を敬い お米を仰ぎ 水を治めて 牛を友にして 我々 日本人の心を耕してきた (2004年 11月 23日 [火曜日])
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京セラの夢 |
今、稲盛和夫さんの本を読んでいる。人は「思ったら思った通りの人生になる」という。今でこそ、今だから この言葉が解り、理解でき、信じることができる。1年早かったら、信じることができなかっただろうと思う。この本を読んだ人が全部、このことを信じ、それを実践したら、世の中変るだろうと思う、しかし、まだ10万部を超えていないようだし、この内容について、頭では解っても信じることができる為には、それに伴う実践とそこに至るまでの人生の体験が必要だと思う。潜在意識・自律神経・思念・etc、それらに興味を持って関心を持っていたので、書かれてあることがスーと入ってくるが、そうでなければ、素直であるからといっても、とらえきれないところはあると思う。 僕が今、専門外のこと、医学の関係で解り易く書いてあったとしても難しいのと同じなのかも知れない。 稲盛氏に少し、異論を唱えると、努力・努力を言葉が続く、せっかく素晴らしいことが書かれてあるのだが、この言葉によって、サクセスストーリーを物語としてとらえても、自己啓発書として読んで、「僕にもできる」とは思わないだろう。5,6回、努力という文字に触れたところで引いてしまう人が大半だと思う。子供たちは即座に「僕には無理」と感覚的に思われてしまうだろう。 ■やればできる。 だれでもやったらできる。その「やる」方法を知りたい。 ■努力はすべてを可能にする どうしたら努力ができるかを知りたがっている ■強固な意志・強固な忍耐力・強固な精神 意志も弱く、忍耐力もなければ成功しないのか? これは私の意見ではなく、子供たちの思いを想像、推察して申し上げていることだ。「やってみたい」「やってみよう」と思わせる、そんな働きかけができるアドバイスを彼ら子供たちに贈りたい。 (2004年 11月 22日 [月曜日])
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浪商の夢 |
高校時代の同窓会があって参加した。恩師二人、同窓生11人と少数ではあったが、その分、それぞれが話す機会があって和気藹々の時が流れた。昭和43年卒なので、あれから47年。私は2回目の出席をさせて戴いた。恩師の吉田先生が小生のことを、「教え子として誇りに思っている」と他の同窓生に話して下さっていた。自分も今、子供たちを預かって教えさせて戴く立場から考えると有難い言葉だ。小原先生は「褒め育て」の重要性を説いて下さった。何年経っても先生は先生、生徒は生徒、本当に有難いことだ。『仰げば尊しわが師の恩』である。 高校時代。おとなしく目立たなかったS君が、今や警察官になって自動車講習の名講師になっている。話しぶりで分かる。浪商普通科、1・2組があって成績で分けられていた。先生曰く、世の中に出ると、2組の連中の方が、結構逞しく生きているという。なんとなく肯ける話だ。因みに小生は1組のエリート?でも、勉強をしない明るく伸び伸びとした学校で、自習の時間は自習監督の先生がソフトボールとバットを持って来て、いつも野球をしていた記憶がある。みんな愛校心は持っていた。懐かしき良き時代にユニークな学校に縁があって行けたのは光栄だった。 野球の浪商。張本・尾崎・高田・牛島・香川、今や大阪はPLが名門になっているが、高田・牛島と監督を2人輩出したということでは、母校の誇りとして嬉しい。創立80数年、幾多の人物を輩出しているという点では、私立は面白い風土があるのだ。その中で私の16.17.18の心が創られた。狼の中で子羊が逞しくなった・・・。いつの日か、母校に錦を飾りたい、それも私の夢の一つだ。 (2004年 11月 21日 [日曜日])
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ケネディの夢 |
『我々の基本的な共通点は 皆この小さな惑星に住み 皆同じく空気を吸い 皆子供たちの将来を大切に思っていて 限りある命を持つことだ』〜ケネディ大統領〜 これは映画「トータル・フィアーズ」、本の原作名「恐怖の総和」の中での言葉。第3次世界大戦の危機を免れた米ソが和平演説をする場面での、ロシア側の元首の演説でケネディの言葉を借りる。両首脳が核兵器を使って戦おうとする場面で、カウントダウンに入る。その時にストップをかけた言葉が「決断を迫られた時、人は正義に対しての怒りで対応するのではなく、恐怖の総和に対して決しようとする」というCIAの若い調査官の言葉に、ロシア側が動かされる。映画での一つの言葉にも大きく動かされるものがある。考えさせられるものがある。 今の日米においては、国も国民も、ヒューマンな価値観ではなくマネーをベースにした価値観で動いている所に、病んでいるところがあるのではないか?商業主義の中でどれだけ人間性が保てるか?人間の心が物質の権化である金に勝てるかどうか?これが21世紀の人類の課題のようだ。私は20世紀中に我が精神性の中で金を乗り越えた。ケネディのシンプルな言葉が心に沁みる。 (2004年 11月 20日 [土曜日])
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おやじめえるの夢 |
1994.3.1「おやじめえる」を発刊させていただいた。あれから10年が経つ。手塩にかけた卒塾生に何か残るものを手渡したいという思いで作らせて戴いた。さくらめーる・かもめーるに掛けて「おやじめえる」とオて、お父さんから子供へのメッセージとして書かせた戴いた。内容は10年前のものでも、不変のように思っている。残念ながら今、手元にはない。右側を割り箸の書で書き、左にメッセージを書いたものである。この辺から遊書の萌芽はあったのかも知れない。一頁を紹介します。 『できるはやろうという心の現われ できないはやりたくないという心の現われ』 人は20パーセントの顕在意識と 80パーセントの潜在意識で動いている といわれています 「できる」「できない」は 自分にその力があるかどうかで 決めているのではなく ほんとうにやろうという 気持ちがあるかどうかで きめているものです 「できない」という気持ちは むずかしいという 正しい判断ではなく やりたくないという心の現われです そういう人は いつまでたっても何もできません 大きくなったらできるものでも ありません 心の持ち方の問題なのです (2004年 11月 19日 [金曜日])
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映画の夢 |
隠し剣 鬼の爪 主演/永瀬正敏 松たか子 監督・山田洋二 黒澤明は黒澤時代劇で一世を風靡した。そして、世界の黒沢として日本映画を紹介した。「隠し剣」は「たそがれ清兵衛」を製作した山田洋二。山田洋二といえば「寅さん」だが、彼が描こうとしているのは『日本人』、日本人の良さを描くことを通じて映像に訴えたいものを持っているのだろう。彼はここに「山田時代劇」を作り上げた。まずはこの点に拍手喝采、称賛の言葉を贈りたい。想像するに彼は「藤沢時代劇」を心熱くして目頭を熱くして、読み通しながら同時に映像を心に描いているのではないだろうか。 「哀しさの中にある美しさ」「哀しきが故に美しい儚さ」これは日本人独特の感慨だろう。おそらく西洋人には容易に理解しえぬものがあり、それは同時に東洋人にも、その日本人の良さを掴めぬものがあるだろう。そして、日本人にしても21世紀の今、「哀しい美しさ」など見向きもされず誰も見ないだろう。だからこそ見つめて欲しいという監督山田の主張があるのだと思う。忘れてはならないもの、大事にとっておきたいもの、それを映画にするのが、彼の夢であり、使命だと揺り動かされるものが情熱となって作品に仕上げられるのであろう。山田時代劇の良さは日本人の情、「優情」(筆者の造語)と殺陣に見られるカッコ良さにあるだろう。脚本に散りばめられている、さりげない「台詞」にもはっとするものがある。許しえぬ「人間の業」、「不条理」その中で生きてゆかねばならない、「人の営み」それは今尚あるものであり、洋の東西を問わず人間が生きている限りにおいて続くものであり避けられぬものであるが、ただ屈服するのではなく「人道」を踏まえて抵抗する。その中にある「哀しみを帯びた美しさ」 大枚800円も支払って買い求めたパンフレット。1ページ目のキャッチコピーが『幕末、愛に生きる侍がいた』。あぁ〜、なんと貧弱な発想かと悲しくなってくる。一般受けを狙ってなのだろうが、愛に生きることが出来なかった時代なのだ、だから、監督の山田洋二は、ヒロインのきえ(松たか子)に「好き」という思いも持たせず、言葉も遣わせなかったのだ。愛すること、好きだという思いも自由にならなかった時代の時代劇だからこそ、描けるモノがあるのだ。「雪深い北国でひたすらつつましく大声を出すこともせず、身の丈にあった人生を静かに生きることをした侍たちを、敬意を込めて描きたい、と願った。(中略)僕たちは渾身の力を込めてこの作品を作り上げた」この思いに対してなんと失礼なことだろう。おそらく、藤沢も山田も最後に主人公の片桐宗蔵(永瀬正敏)に、きえを迎えに行かせずにそのまま蝦夷に行かせようかどうしようか、かなり迷ったのではないだろうか?あの時代の「愛」を描くならば、そのまま黙って行くというのが日本人・侍であるように思う。永瀬・松の共演が彩を放った。キャスティングも素晴らしかった。 21世紀の今、自由に夢を持つことが出来て語ることができる時代である。しかし、自由であるが故に、その価値観が認識されず必要性も「軽い」のだろうか?子供たちは自由な日常生活に充足感を持っているのだろうか?志しを持たせる。夢を持たせる。目標を持たせる。これが今、一番大事な教育ではないだろうか。本物を学び、本物の映画を見れば、子供たちもきっと気づくと思う。大人たちがウソを蔓延らせないことだ。 日野貴之 ■塾の業界誌に毎月、寄稿しているものを掲載させていただきました。「日本人の良さ」が描かれていて、山田洋二監督によって素晴らしい映画になっています。おススメです。 昔、日大芸術学部映画学科を志望して、俳優になりたかった少年の感性で書かせていただいています。 (2004年 11月 18日 [木曜日])
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努力しないで出世する方法の夢 |
塾長である私がこんなことを言うと顰蹙を買うのは請け合いだと思います。百も承知ですが、今、これを考えています。人間やる気になって思い込んで打ち込んでいる時、好きなことをしている時、「努力」という言葉は遣いません。僕のデータでは努力をしない人ほどこの言葉を人に強いるようです。 「意志よりも想像力」「努力よりも言葉の魔法の力」これが僕の拙い30年の教職歴から来る学説です。この言葉を浴びせられた子供ほど、この言葉に対するアレルギィーが強いようです。 「できるはやりたいという心の現われ できないはやりたくないという心の現われ」どんなに能力・才能があったとしても、できると思わない限り、人間は力を出せないし、行動も起こしません。やらされている努力では成果は乏しいと思います。言いすぎだとしたら、今の子供たちに対してはそういえます。 私は「努力」という言葉が嫌いです。だから、遣いません。自己体験の中で努力の難しさを体験しました。悟ったといっても過言ではないかも知れません。親は子に、上のものは下のものに、二言目には努力、努力といいます。自分で努力しようと思って遣うのはいいですが、命令として遣われる努力の効力は乏しいと思います。これは乱用されて効力をなくした言葉の代表だと思います。@「社会覚えられへん、どうしたらええの」「努力して頑張ったら覚えられる」A「どうしたら努力できるのかわからへん」「頑張ったらできる、努力したら何でもできる」(そう言っている人は努力して何でも可能にした人でしょうか)努力という言葉はオールマイティーです。全てがこれで解決されてしまいます。しかし。現実は何一つ解決されません。言われた子供には虚しさが残り、言った親は気休めに酔ってしまうだけです。もうその虚しさから親子とも脱却しないといけません。 努力・忍耐・一生懸命、どれも子供たちが何千回聴きならされてきた言葉です。だから、私が子供たちにお聴きした所、これらの言葉が全部嫌いと仰られました。これで正常だと安心しました。(これも顰蹙ものですね) 愛ある言葉・心からの言葉・自らの言葉には「魔法の力」があります。これを遣うには、やっぱり練習が必要です。この答えは塾生にしか教えません。今の所は。でもいつの日か「努力しないで出世する方法」というタイトルの教育書を出したいと思っています。実は、これは僕が高1の時に観た試写会の映画の題名。面白かったことだけは覚えている。それがいい意味で僕の潜在意識に残っていたのだと思う。あなたは努力家ですか。努力がお好きですか? (2004年 11月 17日 [水曜日])
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風節の夢 |
「写真と灯り展」 写真展”風節”〜八人の人々〜 あかり 〜栗の木と漆と和紙〜 2004年12月24日(金)〜12月26日(日) AM11:00〜PM7:00 会場 財団法人国際文化会館講堂 東京都港区六本木5−11−16 ■これは写真家の宮坂ひろし・宮坂嘉津子さんご夫婦の写真展で八人の人々の一人として私が選んで戴いてモデルとして撮って戴いたものである。7月に渋谷で山中さんという素敵な女性にお世話いただいて遊書展をさせていただいた折に、宮坂嘉津子さんが「武士道」という字を見てくださって、一目惚れして下さったのかどうか、「この字を書いている所を写真に撮ってみたい」と仰って下さって、8月に撮影していただいて、今回に至っている。 プロの仕事に接しさせていただいて感嘆し感動し、兎にも角にも写真写りに超自信のない私が、自分でも驚くほど『うまい』写真を撮って下さった。一冊はパソコンを駆使して本にして下さって目下のところ世界に1冊しかない本として、自分の手元にある。 14枚の写真と作品が宮坂さんのプロの手で見事な技・業として仕上がっている。 季節があるように、風節がある? 宮坂さんが思いつかれたこの「風節」は辞書にはない言葉、でもどこかロマンチックで奥ゆかしさを感じる。八人の人の風と志事の風、それぞれの方の人生の節目、その志事の節々をカメラに宮坂さん夫婦の感性で撮ろうとされたが故のタイトルなのだろうか?心から楽しみにしている。東京の方、有楽町で逢いましょう。 (2004年 11月 16日 [火曜日])
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人の気の夢 |
紅葉の季節、今年は?ここ近年は温暖化現象が進行しているのか、師走まであと一息というのに寒くない。 京都の北部に美山町というのがある、甲子園も何処にあるか直ぐ認知していただける良さがあるが、美山町も美しい山とイメージが良い。山が美しいから自然にこの名前がついたのだろう。ここに山田さんという方がおられて、こだわりの食事処、一泊一客の宿を営んでおられる。世間一般流にいうと「癒しの場」私流にいうと、もっと深いものがある。癒し、癒しというのにはどうも抵抗があって、そこに心の卑しさを感じる。本来、「癒し」なるものは心が、気が感じるものであって、温泉に浸かって美味しいものを食べてゆっくりとした時間を持てれば癒されたというのは、何か軽さを覚える。確かにそれはそれで有難い貴重な時間、体験ではあるが、「心気」というものはそのような物理的な条件だけでなく、その空間に醸成されている空気・気・雰囲気や人の気、「人気」(一般的な意味と遣い方が異なるが)が重要な要素になる。残念ながら物理的条件が揃ったとしても、そこにいる人がイヤな人であったり、言動・行動に不手際があると、癒されるどころか不愉快になる。しかし、そのような事態が余儀なくおこったとしても、その対応次第で、何か心がほのぼのとすることもある。「癒」という字はもともとは病気が治癒する、治るという使い方をするのだ。これだけこの言葉が頻繁に遣われるのは、現代人が病気?なのかも知れない。 良い人は良い人のところに集まり、集める気を持っている。それは流行廃りするものでなく、その人が持つ気から発するもので、相手の気に伝わるものだと思う。それが本当の人気だと思う。庵主の山田さんはほのかなほんわりとした気を漂わせておられる。ここには自然と人が溶け合った気ある。山田さんの夢がある。『夢縁』=いい夢はいい夢を持った人を引き寄せる。私はそう思っているのだが・・・。 (2004年 11月 15日 [月曜日])
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奏時(そうじ)の夢 |
そうじ=創時(時間を創る)、創自(自分を創る)、創字(字を創る)、想慈(慈しみ想う)、奏時(時を奏でる)。 パソコンで同音異義語というよりも異擬語を漢字変換するといろいろな言葉が出てきて面白い。私の字遊人、遊書もここに負うところが大きい。 時を奏でるというのは、字面は源泰時と武将の名前のような感じだが、「人生は心と時間とお金の遣い方」で決まると考えた場合に、自分の人生時間を音楽を奏でるように過ごすことが出来れば楽しいと思う。ベートーベンの「運命」は人生を音楽に表現してあの曲を作ったのだろうか。人生も第4楽章からなると考えた場合、80年、90年としてもまだ私は第3楽章だ。人生まだまだこれからだと考えると、これからどんな出愛があり、どんなことが学べてどんなことが出来るのだろうかと思うとワクワクしてくる。お蔭力を戴いて皆様にお蔭を返していくことも出来るように思う。 今日一日は家から一歩も出ずに掃除をした。実の所はさせられたと言った方が正しい。衣服を始めいろいろなものを整理整頓して捨てさせていただいた。スーツにしてもこれから買う必要もないぐらいにあることは確かだ。これからは物欲を捨てて買わないようにして行こうと思っている。焼物だけは別にしてと思っている。 (2004年 11月 14日 [日曜日])
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慈愛の夢 |
71歳になる従兄が天に召された。冥福を祈る。中2になるお孫さんが別れの言葉を述べた。従兄の子煩悩さが伺えて参列者の涙を誘った。私の母の兄弟は7人、従兄が21人いる。私が生まれた時にはもう亡くなっていた、親戚仲間でも優秀な旅順工科大学を主席で合格した従兄もいた。現在では77歳になる剣道9段の従兄を筆頭に私が一番末弟になる。40年以上、剣道の師範をしている従兄と久しぶりに再会して「教育談義」をした。亡くなった従兄は私設で囲碁を教えていて、プロになった教え子が弔辞を述べられた。いろんな話をしていて帰結する所は「指導者次第」ということ。子供は親次第、生徒は先生次第、弟子は師範次第というのは何処の世界でも共通していえることのようだ。決して美化するのではないが、フェイスツゥーフェイス、ハートツゥーハートのtoの所に愛があるかどうかだ。これは理論でもなく理屈でもなく、感覚的な精神的な眼には見えない世界の部分。だから、難しい。ノウハウーやマニアルでは学べない、教えられない。授けようという心と学ぼうという心がないと伝わらない。 ここでも「直向さ謙虚さ素直さ」が両方にないと通じない。良い指導者とそうでない指導者の違いは、教える側に「教えさせていただいている」という思いがあるかどうかだ、親子・教師の間で教えさせて戴いている、育てさせて戴いている。この思いが根底にあると教育は上手くいく。残念ながらそれが10人に1人位しかいない。この世の人間のすることは、そのほとんどが誰でも出来るが誰にでも出来ないことばかりのようだ。自分を大切にするという『自愛』がポイントかもしれない。愛はキリストの心、慈愛(慈悲)はお釈迦様の心ととらえたならば、この慈悲の慈の中には自他の区別のない、他者に対しても自分に対しても慈愛することのように思える。 (2004年 11月 13日 [土曜日])
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満福の夢 |
心、満福 腹一杯 夢いっぱい。 昨日、魔女の宅急便ならぬ愛の宅急便で直接持参して「蟹」をお届け下さった方があった。早速、夕餉の食事に息子と二人、心行くまで堪能していただいた。それヘ武将の兜のようでこんな立派な蟹は初めて戴いた。美味しいものを戴くと一寸幸せになるというが、それを通り越して、心が満福感で満たされた。料亭や割烹で美味しいものを戴いてもそれはこちらがお金を出して求めたもので、残念ながら板前さんやコックさんの顔が見えない。料理人の心が託されてはいるのだろうが伝わりにくい。この蟹は贈り主の心が蟹の足10本以上にたくさんついている。この満福感を独り占めするのが勿体無いと思った。家内が早速、明日の朝一番にお隣のお医者さんに届けたいと言った。幸せは分かち合った方が大きくなる。ものは物理的に減るだろうが、想いや心は決して減るものでない。分かち合った分むしろ大きくなるものだ。口の中で感じた美味しさはいつか薄れ忘れるかもしれないが、心に感じた美味しさは一生忘れないものだ。 贈り主の方に何もご恩をお返しすることは出来ないが、誰かにして貰ったように誰かにそうしてあげようと思えば、お返しが出来る。そうさせて戴くことが贈ってくださった方の心に一番応えるような気がする。あ〜 有難や、有難や。この満福感を一人でも多くの人と分ち合っていこう。沖縄の「うりずん」という店で Love is sharing.という言葉に出会ったことを想い出した。愛は分かち合うことで、その愛がまた大きくなっていくのだと思う。 (2004年 11月 12日 [金曜日])
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1111夢(一番イイヒのゆめ) |
11月11日、一番いい日の夢、『愛と平和』。家族が元気で大好きな志事として先生(塾長)をさせて戴いて、大好きな人、たくさんのファミリィー(お仲間)、師匠・知人・友人がいて、これ以上の私欲はない。株式会社甲子園学習塾の代表として経営させて戴く上で、スタッフの皆さんの向上を目指す上でのいい意味での欲はあるが、個人的な私欲はない。「世のため人のため」にお役立ちさせていただいて必要としていただけたら、これ以上のことを望むなんて欲どしい(大阪弁?)。 私は今までにT、R、M、Y、Kさんと5人の人に千日祈願は無理なので、お百度参りに因んで100通のお手紙を出させていただいた。大好きな人への想いを伝えるために・・・。今回は夢を託して、人様からは笑われるかもしれないが「愛と平和祈願」として1家族と1人の人に今日からお手紙を書かせていただくようにした。雨の日も風の日も・・・。お手紙を書くのに天候は関係はないのです。心模様の晴雨はお手紙を書かせて戴くことで元気になれる。 『二度とない人生だから一度でも多く便りを書こう、 言葉は心を伝え愛を語るものだから』 もし1通の手紙で愛が伝えられたとしたら、それは素晴らしいことだと思う。日記・日志を書くように、一日の生活にメリハリがついてけじめが出来る。心に張り合いが持てる。そのエネルギィーを仕事に使ったらいいのにという人がいるかもしれない。私はこのことによって志事のエネルギィー、生きる力を頂戴させていただいているのだ。お手紙を出させていただく有難さ、感謝なのです。 (2004年 11月 11日 [木曜日])
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贈り物の夢 |
『心をいただき心に感謝する』 お漬物・絵本・泡ガラス・ヒルトンホテルのケーキ・ビゴの洋菓子・色紙・和紙・柿・焼肉・あられ。最近戴いたもののリスト。それぞれにその方の想いと心を付けて戴いている。なんと有り難いことであろう。こんなにしていただいていいのだろうかと思ってしまう。私を茶道の道に導いてくださった叔母が高校生時代に人様にものを頂戴していただく心得として、「大事なもの、自分が欲しいと思うものを御上げしなさい」と教えてくれた。正直言って、私は差し上げることも頂戴することも大好きだ。私の場合、お金がない分、不足する分を心を付けて補うようにさせて頂いている。このところは、遊書を頂戴して頂いている事が多いので、あまりお金はかかっていない。その分は心を込めて一生懸命に書かせていただいている。大学時代に茶道を学ばせていただいたお蔭でいろいろなことを勉強した。中でも謙譲の美徳的表現というか、粗品と書くのではなく「いも」と平仮名で書くことも教わった。粗末なものという謙譲語の一つである。今の私はいもに心を付けて遊書を頂戴していただいている。 (2004年 11月 10日 [水曜日])
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作文の夢 |
初めて作文を書いて褒めてもらったのが小学4年生の時、私が先生になりたいという夢を持たせて下さった恩師。毎日、「たけのこ」というザラ半紙に半ページ、その日の生活記録を書く習慣をつけて下さって、お蔭で書くことの面白さを教えて戴いた。高校時代まで毎日ではないが日記を書いていた。小中時代に何度かは賞も貰ったことがある。その事と「伊豆の踊子」との出愛で勉強しない私が大学は国文に進むことになった。こうなるとお決まりで「作家」の夢を見る。18の時から書きたいと思い続けて来た。ここ10年近く、宮本輝氏の小説を読む度にムリと痛感させられている。それがこの所、潜在意識を少し齧って勉強しだすと、「もしかして?」などと自分に自分を期待して、できるのではないかと思ったりしている。随筆は行けそうだ。母の生誕100年が来年なので書いてみようと夢見ている。「ひさの星」か「母情」とタイトルは決まっている。 沖縄のお父さん、ペンションびせざきのお父さんが北部地区の老人会で発表されることになった。そこで10枚ほどの作文を添削・推敲させて戴くことになった。土・日とそれに取り組ませていただいて、今までにない肩こりと痛みに襲われている。大正一ケタ、75年の人生を語られるとその重みに頭が下がる。やっぱり年の功で、一つの事を成し遂げられた方は凄いと思う。その重みの分だけ肩が痛いのかもしれない。「私の生い立ちと出愛〜出愛は神様からのご褒美〜」というタイトル。蔭ながら表彰されることを祈念している。 (2004年 11月 9日 [火曜日])
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泡ガラスの夢 |
牛心の伊藤社長がわざわざ尼崎まで訪ねてくださった。先日、大変なご馳走になり、その直後に沖縄の喜瀬ビーチホテルの遊書展に行くのをかねて泡ガラスの稲嶺盛吉先生の工房にお寄りした時にお土産を求めたところ、かくかくオかじかでと伊藤社長のお話をしたところ、稲嶺先生の奥様が「その方に差し上げて下さい」といって代金をお取りにならなかったので素直に頂戴してきて、それを伊藤社長にお届けしたいといったところ、大阪から来て下さった。そこへ私の師匠の知念会長と稲嶺先生から「お祝い」として、泡ガラスの大作が2つ届いた。ここで泡ガラスと伊藤社長が出愛をした。つまり、知念会長・稲嶺先生・伊藤社長の出愛が生まれたような気がした。稲嶺先生から前に戴いた作品は「夢現」と銘名した。今回の作品は「出愛」と名付けさせて戴いた。先生の魂のこもった作品は名前をつけずには入られない、何かがある。人にオーラがあるように芸術的な作品にもオーラがある。少なくとも私はそれを感じる。本当はオーラという言葉が安っぽく使われているので、他の表現をしたいのだがそれはまた考えることにしよう。たまたま偶然に一致したと言えばそれまでだが、私はここに何かの「ご縁」を感じる。縁というのは人と人を結ぶだけではなく、この宇宙に存在するもの、善なるものを結びつける力を持っているように思える。そのご縁(円)の中に私入れてもらえるというのが嬉しい。 (2004年 11月 8日 [月曜日])
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字遊な夢 |
うれしはずかし?でもやっぱり嬉しいこと。大阪、中津に字遊人のギャラリィーがありました。Nさんのオフィス。事務所・応接間・ミーティングルーム・玄関・トイレ。全室に飾っていただいているのだろうか?有り難いことこの上ない。Nさんは4月11日の「夢語りと遊書の会」に来て下さって、ご夫婦揃って私の遊書に一目惚れして下さって、すっかり私もほだされて仲良しにして頂いている。Nさんは「出愛は神様からご褒美」ご主人は「意志よりも想像力」という言葉を気に入って下さった。ご自宅の杮落としにもお呼びいただいて「夢語りと遊書展」をさせていただいて、今回は会社のスタッフミーティングにお呼びいただいた。私の話を聞いていただくと元気が出ると仰って下さっている。若い経営者の方が頑張っているのを見るとお役に立てるのであればお手伝いしたくなるものだ。こちらも嬉しいことだ。 午後からはウインの森本先生の所へお伺いして大作の遊書を書かせて戴いた。木に書いて欲しいと注文いただいてのこのこ出かけていって驚いてしまった。もしかすると10万はするかと思われる木材を見てビビッてしまった。ある方にお贈りするということで失敗は出来ない。でも森本先生の「大きな優しい気」を戴いて満足のいく字を書かせて戴いた。『人は燃やさなあかん』大阪の私立高校の理事長さんにお贈りする代物。私にとっては生まれて初めての大作。こんな機会を与えて下さった森本先生に心から感謝する次第だ。帰り際にこれはお礼ではなくカンボジア学校建設の募金にと志しを下さった。中身を拝見してビックリ、森本先生の太っ腹な優情に心から頭が下がった。皆様のお蔭で素晴らしい一日を送らせて戴いた。感謝・かんしゃ・カンシャ。(内容は11・6・土曜日の出来事です) (2004年 11月 7日 [日曜日])
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1+1=2の夢 |
1+1=2.普通の人が普通のことをしたら答えは普通。これは宇宙の真理。私は普通の人(1)でも。3.4を求めたい、だから、普通ではなく人よりも2.3をして生たい。それは決して人の2倍、3倍努力すること、仕事をすることではないと思う。 愛したら愛される、嫌ったら嫌われる。これも人間と言う小宇宙の世界での真理。1+1=2、これは誰でも知っているのに愛と嫌の公式はほとんどの人が知らない。かく言う私もこの公式を実践的体験論として体得したのは、ここ数年のこと。でも、昔から生徒に対して塾生全員が恋人と思って接するように努めて来ていたので、今でもおそらく先生が10数人いる中で支持率は一番だと自負している。それは私が生徒さんへの愛が大きい分だけ、こだまのように返ってきているのだろうと思う。 「愛」は教えられない?愛し方、愛され方は教科書では教えられない。それは愛されたものが愛を知りその中で愛を育み愛することを身につけていくのだと思う。だから、成長過程の中で愛をたくさん貰った人は愛をたくさん与えられる人になるのだろうと思う。それでは美人が一番愛されているではないかというのは違う。それは真の愛ではない。異性間の愛と、親愛は違う。異性間においての無償の愛は残念ながらありえない。正し、これも異性であってもそれを超越して人間としてとらえた場合は別だ。私の場合も50を超えて、女性を異性としてではなく一人の人間としてとらえられるようになってきた。「愛のバーゲンセール」この言葉をインプットしたのはかれこれ20年近くなる。35歳で愛のバーゲンセールをすると顰蹙(ひんしゅく)を買うが、この年になると愛のバーゲンセールをしてもOKだ。ここ2,3年はお蔭様で<飛ぶように売れる>。愛したら愛される。これは成功法則の方程式ではないかと思う。 (2004年 11月 6日 [土曜日])
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愛の夢 |
結び愛 支え愛 譲り愛 分ち愛 認め愛 学び愛 守り愛 尽くし愛 教え愛 忍び愛 歓び愛 伝え愛 許し愛 語り愛 救い愛 見つめ愛 連れ愛 創り愛 解り愛 慈しみ愛 詫び愛 運び愛 褒め愛 話し愛 勧め愛 笑い愛 捧げ愛 感じ愛 贈り愛 暖め、 祈り愛 歌い愛 感じ愛 和み愛 労わり愛 巡り愛 伸ばし愛 信じ愛 努め愛 綴り愛 誇り愛 溶け愛 繋ぎ愛 叫び愛 頑張り愛 注ぎ愛 親しみ愛 溢れ愛 勝ち愛 治め愛 守り愛 接し愛 ふれ愛 慰め愛 改め愛 怒り愛 楽しみ愛 咲かせ愛 遊び愛 想い愛 香り愛 唱え愛 立て愛 出愛 歌い愛 夢見愛 集め愛 慕い愛 募り愛 灯し愛 添い愛 称え愛 奉じ愛 抱く愛 遺す愛 活かし愛 楽しみ愛 求め愛 咲かせ愛 返し愛 (2004年 11月 5日 [金曜日])
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武蔵の夢 |
大阪のとあるメガネ屋さんで3つ8000円で作った。本当は2つで6000円なのだが特別価格。その内の一つを遊び心で青色のサングラスにした。これがまたイケテル。多美(旅)にお供に持っていくことが多いのだが、空が青く見える。薄い青も青空、普通の青なら真っ青な空に見える。実際より青く綺麗に見えるので、何か得した様にいつも気分がよくなる。薄く雲がかかっていてもその程度なら青空に変る。多美に行く時、運転中に使用している。 一つの形容に、よくモノを「色眼鏡をかけて見てはいけない」というが、それは否定的な見方でそう言うけれども、よい見方で色眼鏡をかける、フィルターを通すということをしたらいいと思う。あるものをあるがままに客観的に見ることは難しい。ならば、主観的に見てしまうのであれば、善い様に捉える見方をすればよいと思う。心に真・善・美のメガネをかければいいと思う。 確かに正確に物事を観るということも大切であるけれども、事実を美化して、良化して捉えてもいいと思う。それで自分がたのしくなるのであれば・・・。あるがままに捉えることと、美化して捉えることと、二刀流が使いこなせたら人生は愉しいかも知れない。武蔵は剣豪として捉えられているが、修行者としても人物である。剣が二刀流というだけでなく、人生においてもものの見方も両刀遣いだったのかもしれない。物事をバランスよく捉えられたら素敵だと思う。 (2004年 11月 4日 [木曜日])
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母絵夢(ぽえむ) |
「じっと耳をかたむけて聞いてみると、お祈りそれ自体がその答えだってことも、よくあるんだ。木や風や水と同じように、ぼくたちはここにいるからお祈りをするんだよ。世界を変えるためではなくて、自分たち自身を変えるためにね・・・」「なぜならば、ぼくたち自身が変ることによって、世界も変るからなんだ」 《おじいちゃんと森へ/ダグラス・ウッド》 他人のせいにすることは 弱い人のすることです。 誰かがやるだろうと思うことは 逃げることです。 誰も見ていないだろうと思うことは ずるいことです。 そして、自分には関係ないとおもうことは・・・ それは とても悲しいことです。 《ひとりじゃないよ〜21世紀に生まれてくる子供たちへ〜 アムネスティ・インターナショナル日本編 絵・葉祥明 》 絵本を貰った。感動した。心と目頭が熱くなった。贈り主の心が嬉しかった。『ひさの星』これが一番好きな絵本。絵本を贈る人は心が優しい。一人でも多くの人に読んで欲しい。こんな素晴らしい文学があることを知って欲しい。絵本を読んで流す涙は美しい。絵本からは素直な気づきが出来る。 (2004年 11月 3日 [水曜日])
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学美愛(まなびあい)の夢 |
電話で楽しい事を語る人、明るさを伝える人はいるけれども、なかなか感動を伝えるのは難しい。しかし、手紙は違う。感動を伝えることが出来る。世に電話魔・手紙魔がいらっしゃるが、電話魔は時に相手がどのようなシィチュエーションかわからない時に、タイミングとして迷惑をかけることがある。ほとんどの人は「今、よろしいですか」とお断りを伺って下さるからいいけれども。営業トークには困ったものである。それに比べて手紙はいい、電子メールもいい、受け取った側の事情で読むことが出来る。心を伝えるには手紙がいい。電話は急ぎの用件の時は便利ではある。時に用事はないけれども「声が聞きたかった」というのは、本心ならば情があっていいと思う。 坂村真民先生の詩の一節に「二度とない人生だから一編でも多く便りをしよう返事は必ず書くことにしよう」というのがある。 「二度とない人生だから一度でも多く便りを書こう 言葉は心を伝え愛を語るものだから」というのを学(マネ)びさせていただいて遊書で書かせていただいている。沖縄への多美の間に、先日『但馬屋』さんにご一緒した長崎さんから絵本と一緒に礼状が届いていた。彼は実にいい手紙を書かれる。心が伝わり何度も読み返したくなるものがある。文才というよりも、何をしてきたか何を考えて生きているかが出るように思う。 文は人なり、書は人なり、手紙は人なり。要は人間のすること全てその人の人間性が出るということだと思う。電話の言葉は聞いた瞬間に流れてしまうことがある。手紙は何度も読み返すことが出来る。100通のお手紙を出した人が4人、一番長い手紙が原稿用紙50枚。今までに何通の手紙を書かせて戴いただろうか?嬉しい手紙を貰った時は一日が愉しい。学美愛をして、『いい手紙』が書けるようにしよう。素直に心を伝えること。優情を伝えること。これが一番大切なことだろうと思う。 (2004年 11月 2日 [火曜日])
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太陽美夢(サンヴィーム) |
■敦煌・鳴沙山、砂漠の砂で書いた文字■ お父さん・お母さん・和代さん、皆さんが手を振って見送って下さる。それは名残が惜しいという程度のものでなく、哀しい愉しみなのかも知れない。帰らないとまた来ることが出来ないのだ。びせざきを後にして熊さんの運転する車で一路那覇へ、牧志の公設市場で中垣夫妻、高原さんと合流して沖縄そばを食べる。コーヒーを飲んで尽きぬ話に花を咲かせて別れを惜しむ。私が沖縄に行くと何人もの方がこのようにして会いに来て下さる。自称、喜多台風と言っている。沖縄は南から台風が来る。私は人工の台風で関西から沖縄へ行き、皆様に人騒がせをする。迷惑千万な承知の上だが、それを覚悟しないと沖縄に足を踏み入れることが出来ない。申し訳ないのが不義理をしないといけないことだ。皆さんにお声をかけさせて戴いても皆さんにお会いすることは到底無理なことで、時にはコソッと行って帰ってくることもある。あとから分かることもあってお叱りを受けるのだが、そこはウチナーの人のおおらかさで、お互いにお許しを戴く。 最近はペンションびせざきのある備瀬崎だけでなく、何処へ行っても気を感じる。今回の喜瀬・崎本部・備瀬崎、何処へいっても私は母の懐に抱かれた想いで寛ぐことができる。前世は沖縄の牛だったのかも知れない・・・。降り注ぐ太陽の光が 太陽美夢が私にエネルギィーを与えてくれるのだ。 (2004年 11月 1日 [月曜日])
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