2004年12月の日志

憧夢(どうむ)
 憧夢、憧れの夢、夢への憧れ。イチローモデルのバットを購入した。何かあこがれに対して形を持ちたい。そんな気持ちでバットをお守り代わりにして、これから一日一回バットを振って、思念を深めるのことと健康維持を心がけさせていただこうと思っている。イチローモデルの黒いバットは輝いていて、凛とするものがある。厳粛な気が漂っている。万物がそうであるように、即物的に云えば一本のバットそのものが物理的に凛としたもの、気を発するということはないのかもしれない。主体である私がどのように受け止めさせて戴くことが大切なのであると思う。そう信じること、そう念じることによってパワー、お蔭の力が湧いてくるのではないかと思う。
 思い起こせば先生になったこと、遊書を始めさせて戴いたこと、多美(旅)を求めること、それらの全ての動機は好きな人への憧れから始まっているように思える。来る年も大きな憧夢をもって一歩一歩、皆様のお蔭力をいただいて歩ませていただこうと思う。
■夢求日志もお蔭様で365日年中無休で書かせていただきました。たくさんの方に激励やお褒めの言葉を戴いて、それを継続の力にさせていただきました。あと何年、パソコンに向かわせていただけるのでしょうか、天に導かれてその日の志を刻まさせていただこうと思っております。ご購読ありがとうございました。
皆様のお心に感謝申し上げます。
(2004年 12月 31日 [金曜日])

感謝の夢
感謝 かんしゃのお蔭様
 お蔭様に感謝 かんしゃ

 お蔭様で生かされているのだから
 いつか誰かの蔭になれたら
 それがわたしの幸せ
(2004年 12月 30日 [木曜日])

至福の夢
沖縄からお客さんが来る。いつもボランテイア活動の遊書展でサポートをしてくださっている高原さん。兼ねてより焼肉の但馬屋さん藤屋さんの日本一美味しい話や伊藤社長の話をさせていただいているので、ぜひ、連れて行って欲しいというリクエストに応えて吹田の藤屋さん行く。先日、クリスマスの日にお部屋の壁に字魂させて戴いたのを見せていただくのも兼ねた。実際に部屋に設定した場合どのような感じかを見せていただいた。取り外した壁に書かせて戴いたのと、実際に部屋ごしらえしたのとでは、いい意味で違って「よかった」。一安心と言うところである。
 遠来の客ということもあって伊藤社長が同席して下さって歓待していただいた。しかし、何度戴いてもここの焼肉は美味しい。社長を始めスタッフみんなが一緒懸命で、牛を愛しお客さんを愛して志事しておられる。高原さんはベジタリアンでここ5年間、菜食中だったが、ここの美味に負けてしまって食べられた。店長さんもスペシャルメニューで野菜サラダや野菜料理を作ってくださった。その想い、真心の味がまた美味しい。
 「幸せを超えると感謝になる」と私がいうと「感謝の心があるから幸せを感じることができる」と仰った。どちらも正しいように思う。食卓は贅を尽くした最高級の但馬牛、囲んだ囲炉裏の周りはいい人が集まって話に花を咲かせる。至福の時が流れる。これ以上の歓びはない。この感謝の気持ちを、誰かに返させていただかないと、いい意味で罰(ばち)が当たりそうにさえ思える。本当に皆さんに感謝だ。
(2004年 12月 29日 [水曜日])

娘の夢
 アメリカ、NY州に留学している娘が帰国する。親父としては正月が来ることよりも娘が帰ってくること方が嬉しい。次男もロンドンで勤務しており、もうすでに帰国しているがこちらは志事なので30日に帰省してくる。長男とは大学1年のときにアメリカ・カナダに多美(旅)をして3年の時に1年カナダに留学した。次男も大学1年の時にボストンに行って、後に2年間ボストンに留学して日本企業に入社し、今、海外勤務をしている。娘は小6の時にオーストラリアにコアラを見に行って、そのような体験の中で何かを感じ、今、音楽を学ぶために留学をしている。だから、普段は二人の子供が海外にいる。
 私が初めて海外旅行をしたのが、33年前。1972年?その頃の海外旅行はビザ、種痘などドルもPPに明記して、夢のハワイ旅行という時代だった。今や猫も杓子も海外、海外という時代。ショッピングに海外旅行に出かける。自由な時代だから自由だけれども、何処か何か違うような気がする。旅行は多美でなければと思うのだが。多くの美を求めて、美との出愛の中で自分と出会うことも多美の楽しみであると思うのだが・・・。
 我が子たちはそれぞれに、人生という名の多美の中で様々な美との出愛を求めて、歩き始めている。もう、充分に一人歩きが出来ており親父の助けを必要とすることもなく・・・。
(2004年 12月 28日 [火曜日])

寿魂の夢
天顔かおる寿魂(ジュゴン)への願い
○辺野古の海は世界の宝 一緒に守ろう子孫の為に
○壊した海は二度と戻らない
○取り戻そう 母なる海を 豊かな心を
○もういいさぁ…母の歓喜ぶ顔が見たい
○神々のすむニライカナイを基地で汚さないで
西口賢治寿魂への祈り
■ワッタァ100年 子孫は永遠
■心澄まして海神(わだつみ)の声を聞こう
■聴け!海神の声
■美ら海は人類の世界遺産
■美ら海は地球の人類遺産
■海人は魂生を大切にする
■海人の魂を守ろう
■母なる大地 母なる海の恩に生きよう
■母なる海に恩返し 海人の心意気
■寿魂(じゅごん)は美ら島の守り神
■美ら島の滅びはウチナーの滅び

天顔かおるさん、僕の沖縄のお姉さん(ガールフレンド)。出愛とご縁を戴いて、初御目文字で心が通じて仲良しにして頂いている。天顔さんは沖縄の辺野古の海を守るために尽力されている。私はといえば、美ら島、沖縄を愛しているといいながらの役立たず。天顔さんの想いで「寿魂(じゅごん)の夢」「オバアの祈り」の詩を書かせて戴いて、今回もお正月の初漁の幟の言葉を草案させて戴いた。今、沖縄の辺野古の海が米軍の基地として、破壊されようとしている。本土の新聞には紹介されない。政府の陰謀か?沖縄への観光客のイメージダウンを心配して報道規制をされているのか?真実の報道が伝わってこない。それもこれも商業主義の賜物として、自然が沖縄の美ら海が破壊されようとしている。私も一人前の事はいえないが、出来ることから微力をと想っている。聴け!海神(わだつみ)の声!寿魂の夢が天に伝わりますように・・・。
(2004年 12月 27日 [月曜日])

来利寿益(クリスマス)の夢
■来利寿益=寿ぐご利益が来る。
■讃多来朗寿(サンタクロウス)=多くさんの讃えられる朗らか で寿でたいものが来る。
今年の私は本当にこの文字のように寿ぐご利益(ごりやく)がたくさん来た。何もご褒美、ご利益をいただけることなど何もしていないのに、申し訳ない気がする。ただただ感謝をして、これから少しずつお返しをさせていただいて、皆様のお役に立つことでご恩返しをさせて戴くしかない。日々、有り難いことがあり、感謝に堪えない。それにしても遊書を通じてボランテイア活動をさせて戴くようになってから、周りの動きが変って来た。いい人との出愛が重なってどんどん広がりが拡大して来ている。信じられないことが起きてきている。正直言って多少のためらい戸惑いがある。だから、その思いを大切にさせていただいて地道に歩ませていただこうと思っている。「直向さ謙虚さ素直さは心の宝物」この思いを大事に肝に命じて、決して奢ることなく感謝の心を忘れないようにしていきたい。クリスマス・サンタクロウスに感謝して・・・。


 
2004年 12月 26日 [日曜日]

字魂(じだま)の夢
 私が日本一と推奨す焼肉屋さんの但馬屋さん、藤屋さんのお店のお部屋の壁に字魂を記させて戴いた。東京から帰阪して教室によって準備をして、先方に着いたのが夜12時、お客様も帰られて社長のご好意でご馳走になって後、いよいよ遊書させて戴いた。藤屋さんの分を3枚プラス3、東三国店4枚の折畳壁に入魂させて戴いた。お蔭様で大作を書かせて戴く機会を得た。全てが何を頼まれても、初めての体験で「大作」。ご依頼を受けた時に字を書いてくださいと頼まれたら、正直引くところも出るのだが、お部屋に魂を入れて下さいと依頼を受けたら、お断りできないというよりも、光栄なこととお受けさせて戴いた。2,3時間の予定が朝の5時までの大志事(おおしごと)になった。その間、スタッフの方も全員残ってサポートして下さった。10人係りの大仕事だった。小生にとっては処女作なので、後はひたすら繁盛することを祈念するばかりだ。一枚目は流石に壁紙の感じを掴んだり様子見もあって旨く行かない所もあったが、2枚目からはうまくいったかも?お客様が愉しんで下さったら有り難い事だ。5時に終了して帰って喜多のが6時、教室の駐車場で8時まで寝て、そのまま冬期講習、眠さと戦って気愛の授業をさせて戴いた。でも、皆様が必要として?お声をかけて下さることは有り難い事だ。感謝、かんしゃ、カンシャのお蔭様。
2004年 12月 25日 [土曜日]

写真家の夢

12月24.25日
 写真家 宮坂ヒロシ 宮坂嘉津子写真展
 ”風節” 〜八人の人々〜
三味線七代目家元       杵屋勝三郎70代人間国宝辞退
株式会社小糸製作所会長     加藤順介70代叙勲者
ヘルシンキオリンピック体操選手 鍋谷鉄巳70代
少年サッカークラブ生みの親   岸上修二70代叙勲者
壱番館洋服店店主        渡辺明治70代英国叙勲者
レジャーコンサルティング    堀田克之60代叙勲者
西野内科医院院長        西野哲夫60代
遊書・字遊人          西口賢治50代 
 

 プロの業、芸術としての写真を見た。それぞれの人物の人間性・ヒストリィー、その7、60年の風節をたった一枚の写真で表現されていた。何人かの人とはお顔をあわせ挨拶をさせて戴いたが、どの方も皆、私も含めて実物よりも写真の方が素晴らしい。「本物でこんな優しい顔を拝見したことがない」「笑顔を見たことがない」という風貌を見事に捉えて撮影されていた。小生の写真を見た方は「男の色気」があると仰って下さった。『魅せられた』というのが感想である。
■そうそうたる人々、素晴らしい風貌の方々の写真を拝見して、私などまだまだ青二才という感想を持った。この実感は私にとってこれからの人生の勇気になった。これは天が何かを私に啓示しているのだと思う。会場の舞台をプロデュースされた持田先生は国立劇場の舞台演出家、この方と杵屋お家元とランチをご一緒させて戴いたが、実に素晴らしい方だった。気さくで飾り気がなく自然体。威張ることもなく優しさのオーラを醸し出す。このような人になりたいと思った。 
(2004年 12月 24日 [金曜日])

褒美の夢
 『出愛は神様からのご褒美』いつからこの言葉を遣わせていただくようになったのだろうか。94.3.1発行の「おやじめえる」にこの言葉を記しているので、この頃からとしても10年以上になる。そして、この言葉、この文字を何千と書いてきただろうか。そのお蔭様で本当にこの10年素晴らしい出愛、ご褒美をたくさん沢山戴いてきている。そして、今の私がいる。この10年の出愛の人が今、私の人生を好転させてくださっている。なんと素晴らしい、感謝に堪えないことだろう。これからもまた沢山の出愛を頂戴することだろう。褒美は褒める美しさと書く、正にそのとおりだと思う。10年前は自分が褒められると照れていて、言葉に詰まった。お世辞を言ったりおべんちゃらを言うのが苦手だった。しかし、今は褒めることが自然に心から言えるようになってきている。それは褒め言葉を遣うと心が美しくなるような、気持ちよさが生まれる。褒めた方も褒められた方も美しい気持ちになれる。お世辞はお互いが美しい気持ちにはなれない。人生は練習だ、というようにこのことも練習かも知れない。10年間、この言葉をインプットして自然さが出てきて、自然に使えるようになった?その分、人様の悪口や陰口を言わなくなったように思える。心の中に沢山の美しい言葉を入れる、インプットすることが心を美化することに繋がるように思える。美は人を引き付ける引力がある。言葉を磨くことは心を磨くことだ。自然の美しさが心を癒すならば、人間の美しさは心を和ませるものがあるのではないだろうか。美しすぎるものはない。
『生命の根源は愛であり美の探求に存する』大学時代1971年に書いた文章の一節。これが西口賢治の人生の座標軸であるようだ。
(2004年 12月 23日 [木曜日])

夢地蔵

日本で初めての『夢地蔵』
今治の石彫刻家・馬越正八先生のご縁を戴いて、小生の字を彫っていただいて夢地蔵を作らせて頂いた。おそらくは日本初ではないだろうか。予備校、自社ビルの入り口に安置させて戴いた。馬越先生の彫刻と小生の字に魂を入れてある。頭をなでると大脳が伸びる、夢が叶うという思いで、夢地蔵と名付けさせていただいた。生徒さんたちは、そう思って、そう願って頭を撫でることによって、潜在意識に「頑張ろう」という思いが生まれてくるはず、その内に『情』が生まれてくるはずである。
本当の祈りは行動が伴うもの。念ずるとは、今の心と書く。今の伸びたい、頑張りたい、良くなりたいという初心を忘れぬように、そして、念ずるとは口に出して言うこと。正しいこと、良いこと、夢に描いていることは、念願することである。念願するとは、口に出して行動するということである。
 夢地蔵に愛擦(あいさつ)をすることによって、自他に対して感謝の念を持つ。自他に愛を擦り込む。自他の生命を大切にする。教育以前の最も大切なことを学んで欲しいという想いを夢地蔵に託した。
(2004年 12月 22日 [水曜日])

夢求日志
 夢求日志も後10日、カウントダウン、秒読みの段階に入って来た。中学校高校時代に日記を書いていた。でも、365日完全に書き記したことはなかった。55歳にして始めてメール上に日志、日々の志ということで書き始めて、1月は自由題にしていたが、途中からは『夢』の題をつけた。365日文字通り年中夢求する事が出来た。言葉が潜在意識・自律神経にいい影響を与えるとするならば、書かせて戴くことによって毎日、夢を唱えたことになる。これは凄いというよりも素晴らしいことだと思う。もし、これを日記帳に書いていたとしたら、3日坊主でなくとも努めて書いたとしても100〜120日程度だと思う。それが誰かが読んでくださっているという励みが、継続に繋がった。
 勉強も志事もそうだと思う。よほどの意志の強い人でない限り「自分のため」というのは、自分が納得してしまうと止めてしまう。しかし、これが誰かのため、世のため人のためというと、イイ意味でモチベーションになって頑張ることができる。実際に「自分のため」だけという行為はないように思える。間接的に人のために繋がるはずだ。順位が問題で「世のため人のため」そして、自分のためが望ましい。来年からは『今日生=教育日志』として、子供たちの教育=今日生をテーマにして、誰が読んでくださっても、小さなヒントになるものを書かせていただこうと夢を抱いている。今日感じ(漢字)たことを書き記して行こうと思っている。乞う!ご期待。
 
(2004年 12月 21日 [火曜日])

夢力(ゆめぢから)   
 夢力は自力と他力の和利愛(わりあい)はどのようなものだろうか。割合をして独り占めしたら力はなくなるだろう。でも、利を和して愛を出せば、凄い力になるように思える。少なくとも私の場愛は、9対1か、ひょっとすると10対0で、その殆どを他力、皆様のお蔭だけで夢を叶えて戴いているような気がする。ことに遊書の分野については、その夢力のお蔭様だ。
 地道にコツコツといっても、皆さんのお手伝いのもとにさせて頂いている。していただいているといった方が当たっている。そして、喜んで戴いているのだからこれほど有難い事はない。カンボジアに学校をという一つの夢に対しても、遊書展の募金によるもので、自力で建てさせて戴くものではない。もう1000人以上の方の志を戴いている筈だ。だから、これは私の夢ではなく皆さんの「夢の形」を実践させて戴く、一世話人の役をさせて頂いているようなもので、これはこれでまた有り難い話なのである。インドでマザーテレサ(木彫)の横にすわらさせていただいて以来、大きな加護の力を戴いているような気がする。それが夢力というものかも知れない。
(2004年 12月 20日 [月曜日])

感じる漢字の夢
 昨日、神戸の御影公会堂で講演をさせて戴いた。甘口80点、辛口70点の自己採点。話したいことが一杯あって少し内容が散漫になった嫌いがあるのが減点対象。3分の1は話し残したような気がする。でも、同行したK先生が盛んに良かった良かったと褒めて下さったので「よし」としたい。
 遊書は皆さんが、競争して欲しがってくださったので、その点は嬉しかった。言葉は大脳・潜在意識・自律神経に作用する。言葉、文字が視覚的にとらえられたとき反応する。「365日年中無休」「365日年中夢求」この言葉を耳で聞くと同音だが、眼でとらえると全然違う。無休は無理、しんどい、イヤという反応を起こし顔も気分も暗くなるが、夢求はやろう、できる、したいという反応を起こし顔も気分も明るくなるものだ。私の遊書は素人だから素直な心を大切にして書かせていただこうということをモットーにしている。そして、右脳に反応する漢字る(感じる)漢字を書かせていただいている。これからもそれを大事にして書かせていただこうと思っている。
2004年 12月 19日 [日曜日]

男惚れの夢
 この宇宙で一番愛する人がいる。この宇宙一番惚れた男がいる。愛される、惚れられるということは別にしてそういう人がいるというだけで嬉しい、楽しい。そのことで潜在意識に勇気がわき、自律神経が安らぎ、脳内モルヒネが発生する。
 世界一美味しい焼肉屋さん。勿論、僕がそういっているのだが、一度食べたら誰もがそう思うだろう。一様、僕は5大陸でお肉は食べてきた。7時半にこのお店に行って夜中の2時すぎまで約7時間。心もお腹も頭も満腹、充足感に満たされた。素晴らしいご縁を戴いて、神様からのご褒美としていただいた出愛。この焼肉屋さんの社長との語らいの中で食した肉と言葉の味は、私に至福を与えてくれた。こんな美味しいお肉があるのだ。こんなん食べていいの?というのが素直な実感だ。スタッフの方にもお会いして話しに花を咲かせて、アッという間の7時間。いい意味で考えられない時間の経過、安らぎの時の流れだった。これほど重みをもって感謝を感じたことも稀である。
 同伴したのが小生のことを、恥かしながら師匠と呼んで下さるKさん。現在、浪人中で元気付けの意図もあってお招きした。200パーセント満足という感想に、この時を与えて下さった全てに感謝する。
 出愛とは出会った対象に愛を出すことである。それが出愛と出会いの違いである。対象に愛を出せばその対象から愛がかえってくる。それは波動のように伝わってくるもののように思える。この波動の中に心が伝わる。一冊の本との出愛がる。本が私に愛を出すということはあり得ない。しかし、私が本に愛を出して、発信した波動が本に吸収され、それが反射されて私にかえって来る。そう考えると、本が愛を出すといってもおかしくない様な気がする。愛したら愛される。嫌ったら嫌われる。
2004年 12月 18日 [土曜日]

風恋人の夢
風恋人(フレンド)
     美ら風の天使に捧げる
風がそよぐ海に向かい
私の心は飛んでいく
瞳閉じればあなたが見える
あなたの匂い あなたの心
それを感じて 私は歓ぶ
風は何にも云わないけれど
あなたの心を伝えてくれる

風がなびく山に向かい
私の心は揺れていく
瞳閉じればあなたを感じる
あなたの温もり あなたのハート
それを受けとめ 私は震える
風は想いを歌わないけれど
あなたの夢を伝えてくれる

風が揺らめく空を仰ぎ
私の心は舞い上がる
瞳閉じればあなたに触れる
あなたの言葉 あなたの愛
それを受け止め 私は燃える
風は流れて彼方へいくが
あなたの愛を伝えてくれる

夢求日志を拝見しました。サイトにいって、ページを開いて、一行目を読み出してから私は、賢ちゃんにハグされたような温かい気持ちになり、涙が出てきました。本当に、パソコンの前で涙がほほを伝ってきました。とても温かい詩(うた)ですね。あ
んなにwarmful and heartfulな詩を私にささげるとあって、なぜかとても誇らしい気持ちになりました。何度も何度も読み返しました。そのたびに、Mt. Shastaが目に浮かんできました。Mt.Shastaの匂いがしました。映画のシーンのように、賢ちゃんの
詩の一行・一行に「Mt. Shasta」を観ました。ゆっくりゆっくり、それでいてやさしく私の中に賢ちゃんの言葉たちは入ってきてくれました。ありがとう。とても動かされました。
It was really touching, and I'm moved. 今私の心は、甲子園からの風とMt.Shatstaからの風がブレンドされて満たされています!すごく気持ちいいですよ(笑)!
(2004年 12月 17日 [金曜日])

夢見月
 12月が春待月であるならば、1月は「夢見月」と言ってもいいと思うのだが・・・。旧暦が通称された時代において、日本人には夢は、まだ、しっかりとした概念として定着していなかったのではないだろうかと思う。
 沖縄に「月の会」というのがあって、3年前の中秋の名月の観月会に参加した。以来、私に月(=ツキ)が周って来た。これはギャンブルのようなツキではなく、原因と結果の法則に適ったもののように思える。月にも引力があって潮の満ち引きはその影響といわれている。太陽がお陽様に対してお月様はお蔭様。私がいてあなたがいると、私がお日様で相手がお蔭様。天の月日は1つしかないが、地上のお日様お蔭様は1対60億と考えることができる。そして、私達はこのお蔭様のお蔭で生かされている。世のため人のために積善展運していくと、お蔭様が力を貸してくださる。ツキは偶然の運ではなく、必然の働き、自然現象である。良い人には良い人が集まり、悪しき人には相応の人が集まる。これもまた、自然の法則だろう。積善展運、人徳を積むと集人力がつく、これがツキ(月)である。集客力はそこにお金が媒体として介在する。集金力はいつか弱まり尽き(月)て来る。集人力は無形の心、徳、人間性の問題である。この力は徐々に大きくなり力も増して来る。互いが集うと引力がさらにまして来る。
 「花には蝶、ウンコには蝿」というが、黄金の花にはたくさんの害虫が集まって来る。しかし、ウンコに蝶が舞うことはない。
本物が本物を呼ぶ。本物をめざしたい。夢見て月(ツキ)を集めよう。夢縁=同じ夢を持つ人の縁力は強大なものがある。
(2004年 12月 16日 [木曜日])

大脳の夢
 10年程前にベストセラーになった「脳内革命」という本を読んでいる。今年は潜在意識の開発セミナーを受けて、それに類する自律神経などの本を読んで、自分で選んだわけではないような気がするが、それら一連のことがドンドングングンと吸い取り紙のように吸収されて来て、なんかとても自分でも賢くなったような気がする。小中高の生徒時代にはなかった学ぶ歓びを体験している。
 左脳と右脳の説については興味深いものがある。左脳は自己脳で右脳は祖先脳という見解も面白い。正確な医学的な見地はさておいて、生徒さんのため、自分自身のため参考になるところは大いにいいところ取りしていきたいと思う。「左脳が一人とすると、右脳は10万人ほどの人間がいろいろ知恵を絞って教えてくれるのです。」「左脳は個人差が大きい、右脳はあなたの右脳も私の右脳もそれほど変らない」こう言われると勉強しなかった私は納得してしまい、嬉しくなってくる。言語能力を司るのは左脳だそうだが、私の遊書は右脳に訴える視覚的なものであるように思うので、益々、元気が出てくる。右脳を活用した生き方が、脳も体も生き生きさせて行くそうなので、これからも心生き生き、世のため人のため人生を愉しんで生きたいと願っている。感謝。
(2004年 12月 15日 [水曜日])

時を翔ける夢
過去・現在・未来。今日戴いたメールの中に、私達は何万年光年の星の光りを見つめているのですね。ということは、時制の流れの悠久さには過去も現在も未来もそんなに大差はないということですね。と在った。この地球には60億の人類がいる。一人ひとりみんな違うということは、みんな同じであるともいえる。天空に瞬く星が無限にあるということは、一つであるとも言えるのではないだろうか。物事を片一方ではマクロで眺め、一方でミクロで見つめたら、きっと全ては一つに見えるのではないだろうか。一つということはみんな一緒、同一、一体、一個なのです。点も線も面も空間も一つとして捉えたら、みんな一つ、そうであるならば、全てのものをわが身と思いということは可能なように思える。色も混ぜ合わされば黒になって一色に成るのだから、白・黄・黒といわず同色だとは、どうしても無理なのだろうか?
 全てを超越したら1になる。インド人はそれを無限に近いゼロと捉えたのだろうか?自我を超えたら自他は一致するのではないかと信じたい私である。
(2004年 12月 14日 [火曜日])

60兆の夢
 私の体に流れている西口賢治の血、その血潮は熱くいつも燃えている。血液はどのような成分になっていてどのような働きをしているのだろう。どれぐらいの量なのだろうか。私の体にある細胞は60兆。私の意志で動かすことで出来ないもの。それは小宇宙(人間)を構成する目には見えない細胞なのだろう。この60兆の細胞にニュートリノという素粒子が間違いなく透過しているという。これは宇宙の神秘であり、その実態は頭では理解することが出来ない。例えば、太陽の光りがビタミンDとして摂取しているといわれても、それを自覚することは出来ない。牛乳を飲むとカルシウムを供給することが出来るといわれても、白い液体を口から入れたとは解っても、それがどのように吸収され栄養になり、どの成分が不要なものとして排泄されるかはわからない。
 そう人間に関わることで眼に見えるものと見えないものとでは、おそらく見えないものの方がおおく、見えないものがより大事なようだ。例えば、心の在りか・心の動き・心模様など全て眼で見ることは出来ない。60兆の細胞一つさえ見えない。
 この60兆の細胞に愛を送るべきだ。それは生きているということに感謝をすること。宇宙の働きのお蔭を認識して生かされているということを感謝することだ。全てが一つであり、太陽も月も天地万物は一つであり、どれが欠けたとしても、私という人間が存在しないということを悟るべきだ。残念ながら私が消滅しても宇宙は存在するが、月が存在しなければ地球は存在しない。これらの構成は人間の意志や能力ではどうしようもない力、働き、パワー=理力によって成立しているものなのだ。60兆の細胞に愛を送るというのは、言葉を通じてメッセージを伝えることだ。それらは全て美しいものでなくてはならない。自分を伸ばす、自分を生かす、自分の光りを放つということが「生きる」ということだと思う。それはお蔭様・お蔭力に感謝するということにほかならない。一人の人間にとって60兆という数字は天文学的数字であることを認識して・・・。
(2004年 12月 13日 [月曜日])

α波の夢
 「気」は出ているものを受けるというのと、自分から出すのと両方があるようだ。α波というのは大脳に体にとても良いもののようだ。自分から出すという分は心の持ちよう、考え方・思い方を良くすればいいようだ。出ているものをキャッチするのも受け止める心、感じ方が大切なようだ。
 今日は午前中は東進、高校部の方でセミナーがあって、本来は挨拶だけの予定が30分の話をすることになった。その後は、知り合いの高校生と一緒に映画を見に行った。「ハウルの動く城」
宮崎駿さんのアニメ映画。これがα波を出している映画で、私は大脳がとてもいい気持ちになって、しばし眠ってしまった。夢の中を彷徨したような心持になった。
 心の健康は体の健康に直結する。そしてこれらを司っているのは大脳である。お蔭様で私はいつも健康。それはストレスを感じないように努めているからだ。「とらわれない・こだわらない・かたよらない」ように心がけている。これを教示していただいてから20年近くなる。なかなか難しいことであるが、小さな心がけは長く継続することで身についてくるように思える。
「囚われる拘る偏る」この字面を見たらお判りのように、見事に良くない字のイメージが並んでいる。字遊人、遊書家になって、眼でとらえる文字のイメージは大脳に反応、作用して心にも影響を与える。それが表意文字を有する東洋人の良さである。僕の字遊の世界で、皆さんが面白いと言って下さる一つにイメージの良い字を書かせて戴いているということにも在るようだ。α波が出せる字を書けるようになりたい。そう感じた一日である。
2004年 12月 12日 [日曜日]

業夢(ぎょうむ)
身業=しんごう(身体を動かして為す行為)
口業=くごう(言葉を使う行為)
意業=いごう(自分の心の中で思う行為)
■身のこなし美しく 口にいつもありがとう 
     意(こころ)におもいやりの優しさあり
仏教では人間の行為を業(カルマ)といっています。修業、業をどのように修める生き方をしていくか、この指針をどのように持つかということが大切だと思います。行動・言動・心動の動きの座標軸を正しく持ってぶれさせないこと。今の現代人はこの軸がしっかりしていないように思える。確かに私とて50を過ぎてその辺が解りかけてきたのではと思うところで、若いうちはそうでなかったように思える。でも、善、正義はいい意味で尊重してきたように思う。この何を大切にするかで「身口意」の行為がどう動くかが決まるのかも知れない。『清く正しく美しく』これは私たちの時代では、標語的にあってそれが一つの規範になっていた。行動清く、お金に対して。言葉正しく 自他に対して。意美しく、全てに対して。人間、しっかりと構えないと・・・。 
2004年 12月 11日 [土曜日]

お蔭力(おかげりょく)の夢
■かんしゃ感謝のお蔭様
 お蔭様にカンシャ感謝
 あなた様との出愛があって今のわたしがある
 誰かとすべてのお蔭で今のわたしがいる
 この次 私が誰かの蔭になれたら
 それが私の幸せ
■お蔭様で生かされているのだから
 いつか私が誰かの蔭でお役に立たせていただこう 
■お蔭様の有難さを知ると
 感謝の心が生まれる


人は支えあって立っている。誰かのお蔭で生かされている。自分ひとりの力で生きているのではない。お天道様お蔭様お互い様。それは万物自然人様すべてのお蔭の力に他ならない。
人生55年、折り返しを生かさせて戴いている身の私にとって、これからはご恩返しというか、お蔭返しで感謝の元に生かさせていただくのが本来であると思う。万物に生かされて生きるということが、本来の『生きる』ということになるのだと思う。お蔭力をたくさん貰った人がお蔭力の大きな力を持った人だといえる。
魅力のある人間、器の大きな人間、徳を積んだ人間、集人力のある人間、そういう人間をめざして生きたい。
(2004年 12月 10日 [金曜日])

ポジティブな夢

@夢 なき者は目標なし
 目標なき者は計画なし
 計画なき者は実行なし
 実行なき者は成果なし
 
A夢 のある人には目標がある
 目標のある人には計画がある
 計画のある人には実行がある
 実行のある人には成果がある


 ポジティブシンキング、肯定的な考え方とネガティブシンキング、否定的な考え方。どちらが人を動かすか。私にすれば1+1=2ぐらいに明らかである。@はある中学校の期末考査の時間割の横に書いてある言葉。Aはそれを私が肯定的に書き換えたもの。ないという言葉、Noを8回もいい重ねられる場合とあるという言葉、OKを繰り返される場合とではどちらが、生徒さんに反映されるか、明らかだと思う。おそらくはある先生がどこかで眼にした言葉をそのままに書かれて、おそらくは先生間では評価を受けたことは想像できるが、チョッと違う、ずれている的が外れているように思えてならない。私がAに書き換えるのに何分もかからなかった。パソコンに向かって打ち直す程度の事だ。
 勉強しないと成果がないぞ!と声をかけるのと、勉強したら成果があるよ!と声をかけるのとでは、どちらが子供たちが動くか?人間は、子供たちは特に心で、感性で、感覚で動く。
「人生僅差」人生ほんのチョッとの差が結果としては大きく変る。チョッとした言葉が人を動かす。言葉は心の栄養、日本人として日本語を大切にしたい。言葉の中にチョッとした真心を込めたい。子供を否定して、否定的な思いの中で決して教育は出来ないと思うのだが・・・。子供たちの悲鳴が聞こえる・・・。あの子達に心からの明るい笑顔を・・・。
(2004年 12月 9日 [木曜日])

私ハナリタイ(の夢)
 『私ハナリタイ』
 健ヤカナリシ体モチ
 真理ミツメル瞳モチ
 万物アジワウ心モチ
 大志ヲ抱キ欲ヲステ
 邂逅スルヲ最上ト
 全テノモノヲ我ガ身トオモイ
 忠恕ノ精神(ココロ)を大切ニ
 人ヲ憎マズ憎マレズ
 家庭ヲ志事ヲ全テヲ愛シ
 全テノモノニ感謝ヲモチテ
 我ガ意(ココロ)モチ我ガ道ヲ
 流サレルコトナクユックリト
 走ルコトナクトマラズニ
 ソンナ道ヲ私ハユキタイ
 ソンナ人ニ私ハナリタイ

 大学を卒業する時の自分の人生の指針という思いで、同名の宮沢賢治に肖って、「雨ニモ負ケズ風ニモ負マケズ」を手本にしてこの詩を書かせて戴いた。僕の心にインプットされて32年この言葉を指針にして生きて来た。今でもその座標軸は一部も変っていないと思える。「言葉は思いとなり意志となり行動と成る」
今、振り返ると邂逅・忠恕・感謝は僕の人生のキィーワードになっているような気がする。この指針を進化、深化して世のため人のため、生かさせていただこう、皆様のお蔭に感謝して・・・。
■甲子園学習塾は卒業式があって、卒業証書がある。その証書の左側に割り箸で左手でこの詩を書いたものが印刷されている。
(2004年 12月 8日 [水曜日])

カウンセリングの夢
 「いい先生はいい生徒によって育てられる。いい生徒はいい先生によって育てられる」これはきちっと等式が成り立つ。お互いが相手に敬意を持ち素直に「学美愛」をすれば、いい生徒イイ先生になることが出来る。先生と生徒、人間として魂と命の尊厳さにおいて対等だ。これが解ってない先生が実に多い。わかってない生徒は、子供だから教えていけばいいし、それが先生の役割、志事であるはずだ。私は30年、いい生徒達にたくさん出会って来た。特に世に言う問題児(私にとって最良の教師たち)にたくさんのことを学ばせて頂いた。不登校・家庭内暴力・いろいろetc
お蔭でどのように対応するかを体で学んだ。体得させて頂いた。ある面で言えば授業料を払わなければならないのかも知れない。 今、学期末の保護者懇談をさせて頂いている。生徒さんのお蔭で懇談をさせて頂いていても、ゆとりを持って自身を持って話をさせていただける。『子供は親次第 生徒は先生次第』これは僕にとっては超常識だが、解ってない先生は、本人次第、やる気次第と仰る。こう言われるとおそらく生徒は立つ瀬がないだろうと思う。成績、点数が悪いのも半分は教える側にも責任があるはずだ。「努力せぇ」「やる気出せぇ」「真剣にやれ」これらの言葉はそんなに軽く、簡単に言い放つことが出来る言葉たちであろうか?もっともっと子供たちの心理、そんな難しいことを言わなくとも、子どもの心を見つめてあげよう。そうすれば言葉遣いが変るはずだ。人間は心で動く動物だ。心は言葉に反応作用する。
心配の種を背負って懇談にこられるお母さんが帰るときには笑顔になる。笑顔まで行かなくても肩が軽くなる、明るくなって帰ってもらう。私の懇談はカウンセリングだと思っている。そういう名人になろうと20年以上実践してきている。
(2004年 12月 7日 [火曜日])

切ない夢
 『切なくて哀しくて愛おしい』ラストシーンの少女の足跡が今も眼に沁みる。涙なんか流すことすら出来ないほどの深い哀しみを描いた名画「少女の髪止め」。報われることのない、それすらも求めない、それが愛するということかも知らない、単純に純愛というよりも、本当の優しさ、これこそが《優情》といえるものではないかと思った。アフガニスタンの難民の少女とイラン人の少年の話。今、思い返すとヒロインの少女には、一言も台詞がない。それでいて万語を伝える見事さは監督の素晴らしさだろう。あれは中東の人間にしか創れない映画かも知れない。そう深く感銘を受けた。本当に日本人は幸せなのだろうか?幸せの条件と物質と心の関わりとはどのようなものなのだろうかと考えさせられた。観ている時、観た直後、しばらく経った今、深く深く心の襞に染み入ってくる。
 代償を求めたら、それは愛ではない。そんなことすら考えさせられた。心の奥底が動かす人間としての善なるもの。それは切ない美しさのように思われる。切ないと思うことすら、底に、そこに不純な思いがあるからなのだろうか。純粋無垢という言葉があるが、あの少年は「無」であるがゆえに、突き動かされる心の命ずるままに行動して美しいのかも知れない。あの少年の心からするといかに自分が不純であるかと大きな衝撃を受ける。夢を持つことが出来るというだけでも有難いこと、感謝すべき幸せだといえる。世界の先進国の人々は、日本人は彼のことを貧しさと無知の為せる業というかも知れない。本当にほんとうにそうなのだろうか・・・。 
(2004年 12月 6日 [月曜日])

南風の夢
春待月(12月)に冬一番の嵐が南風に乗ってきた。遥か南の海上に台風が起きて沖縄に接近して、近畿には熱帯低気圧になって訪れて来た。日曜日の朝、爽やかな晴天の風に乗って、南から嬉しいメールが入ってきた。
 11月の沖黷ナの遊書展に来てくださったお客様から、遊書のリクエストを戴いていて先日お送りしていた。直接にお愛した方ではなく、いつもお手伝いいただいているMさんの会社の同僚の方のお知り合いの方。友達の友達はみな友達です。そんな感じ(漢字)で繋がっていく。メールを送って下さったYさんはぼくの作品をお部屋に飾ってくださっていて、それをメール写真で送って下さったが、この日志に上手く取り込めないのが残念だ。あのように飾っていただいて勿体無いぐらいの気がする。でも、その分、遊書が生きている。
 「捲土重来」=(捲土は土煙を巻上げること。勢いの盛んなさま。一度敗れたものが、再び勢いを盛り返してくること)という字をリクエストいただいて、正直はたと困った。正統派の文字、言葉を注文されると思案してしまう。でも、おかげで勉強させていただいて捲土、土を巻上げてといことで、土砂で文字を書かせて戴いた。5月に砂漠の砂で書かせていただいて、沖縄の星砂で書かせていただいて、またレパートリィーが拡がったようでうれしい。おそらく、沖縄では千人以上の方に僕の作品を求めていただいているので、皆さんが毎日それを見て楽しんでくださり、元気を貰ってくださっているのであればこれ以上の喜びはない。
■書は「捲土重来」も「桃李もの云わざれど・・・」も想像していたものよりもかっこ良く非常に気に入っております。早速部屋に飾らせて頂きましたので写真を貼付して送らせて頂きました。二つの言葉は私の座右の銘で、このようなすばらしい書になり毎日見ることができることに感銘を覚えております。心から感謝申し上げます。
 12月4日、昨日中にホームページのカウントが3,000を越えた。毎日、誰かが見てくださっていると思うと嬉しいことだ。その方は毎日、一日一回、「夢」という字を眼にされることになる。今年一杯はその形を取らせていただこうと思っている。
あと4週間で365日年中夢求の日志が達成する。嬉しいことが一杯あって憂思惟(うれしい)。今日の新語《心楽=しんがく》
2004年 12月 5日 [日曜日]

牛は夢をめざす

・牛は大地を耕し 人は心を耕す
・牛は直向に歩く 牛は素直に働き 牛は謙虚に走る
・牛は自分の使命を知っている だから 黙って真っ直ぐに歩む
・牛は戦わない 牛は争わない 牛は文句を言わない
  人に尽くすを天命と人に仕えるを使命と牛の心が知っている
・牛の瞳は真実をじっと見つめる
   だから、牛は忍耐強く、誰にも優しくできる

高村光太郎の「牛」という詩の一節に「牛は大地を踏みしめて歩く」というのがある。丑年の私は大学時代にこの言葉と出愛、以来、心の何処かにいつも置いて生きてきた。果たしてそのように歩んできたかどうかというと、自己評価は難しいところだが、心がけて来たとは思っている。馬車馬のように走るというタイプではない。スローモーのモーさん。牛が自分らしいように思える。
牛心の伊藤社長に出会って、彼がこよなく牛を愛しているのを知って、なんかその想いに嫉妬さえするような心情に駆られて、牛を賛美した。そう思うと無性に、ゆっくりと一日牛を眺めて語ってみたいような気がしてくる。動物園には牛はいないけれど、動物園に行って見たくなった。冬の動物園も面白いかも???
・牛は夢に向かってただひたすらに歩む、
           どんな障害をも乗り越えていく。
・牛はその身の全てを人間に捧げる。
・牛はひとたび怒ればまっしぐらに突き進む。
2004年 12月 4日 [土曜日]

12.3の夢
念ずれば花ひらく・念ずれば夢ひらく。唱えれば叶う。声に出せば心に響く。口にすれば大脳が作用する。行動すれば周りが動く。思念は天に通じる。
《1、世のため・2、人のため・3、自分のために》
いつの頃からか、自分にそう言い聞かせ、子供たちにそう語ってきた。2,3年になるだろうか?そういっているうちに本気になって来る。実際に子供たちも自分のために勉強している子供よりも、親のためや先生を喜ばせるために勉強している子の方が、モチベーションが上がるのか、よくするように見える。
オギャーと産声を上げた瞬間、間接的には4千万人の人のお世話になるという、人が生まれてから死ぬまでに直接的に4千万人の人のお世話になるという。人は誰も一人では歩いていけない、人は一人では生きていけない。そうであるならばその恩を学んで、恩学に徹して、我も自ら世のため人のために生きさせて戴くべきだ。親鸞聖人は救われるかどうかは解らないが、念仏を唱えなさいと教えた。これはやはり真理のようだ、唱えている内にそれが具現化される。私が123(今日は12月3日)の順位で世のため人のため自分のためと唱えるようになってから、周りが変ってきた。人生が拓いてきた。皆さんが私にお力を貸してくださるようになって来た。そこにはgive and takeや代償を求めてではなく、無償の愛を、捧げるお心を注いでくださる。一生をかけてもお返しできないものを与えてくださる。だから、せめてその万分の一でもお返ししたい、それが人の道であるように思う。
今、私は人様のお蔭の上に立たせていただいている。支えていただいて生かされている。今度は私が人様の蔭に成らせていただく順番だと思う。感謝の心に人は惹かれ合うのだと思う。
【いつでも夢を心に愛を 天に感謝 万物に感謝、あなたの隣の人感謝】感謝の心を持つと全てが幸せの対象になって来る。
(2004年 12月 3日 [金曜日])

夢 with you.
『夢 with You』
流れる涙のひとしづく
ぬぐい切れない悲しさに
夢を与えてくれたのは
あなたの優しい一言だった
Sharing あなたと一緒
すべてと 夢 with you

立ち直れない出来事に
出合ったときの切なさに
愛を与えてくれたのは
あなたの熱いまなざしだった
Sharing is love
わたしと 夢 with you

何もないのに淋しくて
空を見つめて泣いていた
勇気を与えてくれたのは
きれいな星の輝きだった
Sharing 一人ではない
地球と 夢 with you  

 私が大好きな和歌山のY先生の塾の20周年の標語、それにわたしが詩を書かせて戴いたもの。かれこれ10年近くになる。
12月は別名が「春待月」、師走というと気が急くが、私はこの呼び方が大好きで、12月は春を待つ月として、蛙がジャンプする前に屈んで構えるように、私もこの月は屈む月として新年を待望している。「夢 あなたと一緒懸命」そんな心燃(新年)を迎えたい。
(2004年 12月 2日 [木曜日])

燦美夢(さんびいむ)
■今日の新語■ サンビーム・Sunbeam.燦美夢=太陽の光線、日光、陽気で明るい子供。(私の意訳)=宇宙の輝煌、宇宙のエネルギィー。
 今日は淀之水高等学校さんの80周年の記念式典にお招きを受けて行って来た。祝賀会で弦楽四重奏と関学のグリークラブの合唱があって心が和んだ。やっぱり、ライブはいい。多忙な毎日の中でついつい「美」と触れ合うことが少なくなってしまう。そんな時にひと時でも、このような時間を過ごすことが出来ると、大脳と心が歓ぶ。α波の音楽と歌が心と頭を癒してくれたような気がした。お土産に電子辞書を戴いて、子供のような私は電車に乗るなりそれをあけて、sunbeamと何気なく引いてみた。私が思っていた意味が出てきて、飛び上がらんほどに喜んでしまった。即座に遊書の文字化して「燦美夢」と創語した。燦燦と美しい夢。なんとイメージのいい字(言葉)たちであろう。
 今日は12月1日、晩生(おくて)で鈍臭い私は、人よりもひと月早く、一年の計を立てる日なのだ。人様よりもひと月早くさせていただいて、ようやく同じぐらいなものだろうと、数十年前から12月1日に、人様の言う、元旦の計を立てさせていただいている。その日に「燦美夢」が生まれたのは何か、来る年が燦燦と輝くようでうれしい。自己暗示の壽文(じゅもん)をいつもつぶやいているが、日々それに近づいて来るものがあって、心から生きる歓びに感謝させていただいている。美しい言葉・美しい文字(母慈=もじ)をイメージしてインプットしておくと大脳にいい刺激が与えられるホルモンが分泌されるのを、この頃、発見した。世のため人のために燦燦と美しい夢が実現する年にして行こう。
(2004年 12月 1日 [水曜日])

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