2007年03月の日志

彩快
4月2日より
 通常に日志書き込み再開(彩快)です。
 よろしくお願いします。
 1週間、パソコンがない生活でした。
 皆さんとつながりがもてないということは
 ネガテイブにたいへんなことだと痛感しました。
 健康一番
 元気が一番
 ありがとうの神謝です。

 PS,書き込みできなかった分の書き込みもしますので
    お読みくださいね。よろしく!
2007年 3月 31日 [土曜日]

千財意思気
 潜在意識
 マフィーは潜在意識を神とも言う

 何冊ものマフィーの著作を読んでいると
 実際にそう思えてくる

 これは決して奢りでも傲慢不遜でもなく
 人は童神として生まれて来るならば
 いい意味で赤ちゃん=人間=神様である
 神人とでも名づけてみようか

 残念ながら
 この世にある沢山のエネルギィ−の中でも
 悪のエネルギィーの力は強い
 政治家然り、悪徳業者然り
 
 ずっと、なぜ?
 真面目にコツコツと働いているのに報われず
 ある人は善人を餌食にして悪徳を栄えさせる人がいる

 因果応報
 原因と結果の法則から行くと
 悪いことをしているのに
 『なんでやぁー』と長年の疑問だった
 
 愚者の管見で2つの答え?を得た
 一つは子々孫々のサイクルの中で
 原因と結果の法則が必ず来るということ
 もう一つは
 潜在意識を活用していることだ

 潜在意識は 
 意識の問題で善人・悪人の区別をしない

 不確かな記憶だが
 親鸞の歎異抄には
 念仏を唱えれば「悪人をも救う」という

 ご参考に申し上げれば
 マフィーの理論は数冊を読まないと入ってこない
 ネガテイブに頭で読むと受け入れられない

 素直にストンと入れることがコツのようだ
 
 
(2007年 3月 28日 [水曜日])

ダスティンホフマン
 深夜のBS放送で
 アクタープロの番組
 ハリウッドスターとの対談を周期的にしている

 今回はダスティンホフマン
 『未来が見えないということは素晴らしい』
 なんと素晴らしい含蓄のある言葉だろう

 未来が見えないということは
 それだけ可能性が大きく広いということだ
 同時に輝く夢を見ることができるということだ

 確かにハリウッドの一流大スターの言葉であるが
 日本人は未来が見えないと不安を抱く
 しかし、考えても見れば
 未来なんて幻想・幻影に過ぎず
 どのようなサプライズがあるか?
 そこに人生の楽しみがある

 描いたスケッチに
 自分の色を塗っていく
 そして、自分の作品を創作して仕上げていく

 それが出来上がっていて
 決まっていれば人生は退屈だろう
 その方が楽だという人種には
 決して楽しい人生は起きてこない
 楽志意というのは
 志、意思を育て上げて行くことではないだろうか

 人生のシナリオが出来ていると
 人は怠惰になって
 人生を怠け、惰性で送ってしまう

 そこにはドラマチックな
 喜怒哀楽もスリルとサスペンスも
 ハッピイサプライズもない
 
 人それぞれに生き方があるだろうが
 未来が見えないからこそ未来は輝き
 創作意欲の中に人は育っていくのだ
(2007年 3月 27日 [火曜日])

出会いと別れ
 春、三月は出愛と和華麗(別れ)の季節

 別れは新しい出愛の始まり

 失敗しなければ
  新たな成功への出愛は生まれない

■30年前、学校をやめる時
 小説家になりたいと言うのが
 一つの動機で塾を始めた

 塾を失敗していたら
 もう一歩、小説家への道を
 踏み込んで前進したかもしれない

 人生は時に失敗しないと
 新たな道へと歩めないこともある

 今を「善し」とするとき
 それら全てを受け入れる
 大器晩成の私は
 今、ここから前進する
 
 
(2007年 3月 26日 [月曜日])

祇園の夜桜
 朝、礼子さんがホテルにお迎えに来てくださって、雨降りなので浦添の体育館に「沖展」を見に行く。書・絵画・写真・陶芸などなど興味があった。今までと違ってやはり書に眼が行く。いろいろな作品を見て参考になった。その後、フーチバそばを食べに行く。フーチバとはヨモギのこと、これで作った沖縄そば。味があっさりしていて深みある?大阪はお好み焼き屋かうどんや、東京はそばや、沖縄は数知れず沖縄スバやさんがある。各店の個性さは沖縄の食文化の多種多様さかもしれない。
空港へお見送りいただいて帰阪する。
 伊丹から京都へ。いつも沖縄ではお世話になっている楊子さんが兄嫁さんと娘さんの3人で関西旅行。京都の大学で4年、仕事で3年の私にしてはご案内しないわけにはいかず、新京極で合流して寺町麩屋町上がるの晦庵河道屋に案内して芳香炉をご馳走させて頂いて、三条から鴨川、先斗町、祇園、八坂神社、円山公園の祇園の夜桜を見て長楽館で珈琲を飲む。この辺りは夜が風情があって愉しく面白い。5時間ほどの京都の旅だったが、満喫して大満足していただいた様子。私が沖縄で満足するように、やはり地元の人に裏も表も案内して頂かないと、その土地のよさはわからない。芳香炉はうどんすきのそばバージョン。2000円からの価格を知っている身の私としてはどうしても4000円になっていると、やっぱりちょっと高いと思ってしまう。しかし、店の雰囲気、味を考慮するとOKかも、まあ、何よりもお客様が満足したのだからOKでしょう。
 祇園の夜桜はまだ小さな蕾だったが、その薄いピンクが半月の月と照明に照らされて実に美しかった。時間的にも9時半を回り、人が少ないためにその美しさをじっくりと味わうことができた。
2007年 3月 25日 [日曜日]

結魂志気(結婚式)
睡眠不足とはいえ美世咲で爽やかな朝を迎える。
世界的なトライアスロン選手長谷亮君の結魂志気に参列させて頂く。それもサプライズでの参列。熊さんの仕掛けで色紙を2枚遊書させて頂いて参列者180人に引き出物のシィーブン(志分=おまけ)としてお贈りさせて頂くというもの。それを150枚書かせていただき、式場で30枚を書かせていただいた。メインは新郎新婦の好きな言葉「愛と神謝」のほか、おめでたい言葉をひらめきで書かせていただく。
 ご両親への花束贈呈ではもらい泣き。年を経て涙腺が甘くなっているのだろうか、やっぱり神動してしまう。熊さんの愛娘・愛ちゃん美和ちゃんの踊りで始まり、海美ちゃんの踊りもありで3時間の式典が華やかに挙行された。熊さんのこころ配りで、私にもサプライズがあって挨拶をさせれる。沖縄の結婚式は素晴らしい、ハプニング有りサプライズ有りで余興といえば中途半端ではなく、皆さんがその練習の為に1ヶ月もかけることがある。どこの式場にも必ず舞台がある。近所のおばさんが参加する。近所の子供たちが贈り物だけを届けに来る。
 7時からはトリプルアイ学院の加納氏と台湾からの来客、王さんご夫婦と会食。王さんが焼肉がお好きだということで焼肉を食べに行ったが普段伊藤社長の但馬屋さんで食べていると、他の店がいかに高く美味しくないがよくわかる。王さんご夫婦は台湾のエリートでお話をしていても素晴らしい方だということがよくわかった。
 その後は賢坊さんお「まさかやぁ」へ炎のライブ。私が「炎人」と名づけさせていただいたが、その迫力と話法は素晴らしいものがある。熊さんファミリィ−も全員参加、それに合せて童謡のメドレーを歌う賢坊さんの心意気にも神動する。大阪のお客さん、奥山さんも大感動!仲西さんもウチナンチュ−だけれど始めて来て感動する。もともとの出愛は私が書かせていただいた「福島千枝子」という字の名刺から始まった出愛。今や大きな絆の縁が大きな円を描いている。

 
2007年 3月 24日 [土曜日]

仁情(にんじょう)
那覇の空港にまさかやぁの賢坊さん家族、奥さんと娘さん3人が迎えに来てくださって安謝の翔丸へマース煮(塩煮)を昼食に食べに行く。途中、野菜てんぷらでは沖縄で一番美味しいという、おばあが作った天ぷらを食べながら、糸満・喜屋武の海鮮料理を「きゃん」へ食べに行く、10時半に到着するや昼食を2回も頂く、沖縄には沖縄の魚料理があって新鮮なだけに、この塩煮は素材の味を生かしたもので美味逸品である。このきゃんのお店は岬の灯台と太平洋を借景にして海が雄大に広がり地球の丸さが確認できるところで、これだけでもご馳走。その上に新鮮な魚が心も舌も満喫させてくれる。賢坊さんが差し上げた小生の書が飾られていて、ゆったりとした家屋の店舗が、正に沖縄ならではで60兆の細胞を満喫させてくれる。賢坊さんは自称元公務員(一般では道を極められた極道という)。現在は平和通りでまさかやあという琉球民謡の説法・ライブハウスを経営されている。その説法は聴く人を魅了しお客さんも財界著名人芸能人から観光客まで多士済々の方が来られる。賢坊さんは極道・熊さんは食道・小生は茶道、共に男気の部分で心琴に触れ合うところがあって仁と情を深め愛させて頂いている。
 その後、国際通りの「月ぬ美しや」までお送りいただいてミニ遊書展をさせていただく。40代の仲間が集まっての月を愛する「月の会」というモアイのグループ。モアイ(母愛)というのは、沖縄独自のコミニティで毎月1回集まって、飲み食いをして心を交わせ、1万円ずつを貯金して、そのお金を有効に活用する貸し借りをして貯まったお金で旅行をしたりするもの。月ぬ美しやはオーナーの翁長さんが私の初期からの作品のコレクターで所狭しと遊書を飾ってくださっている。
 10数名が集まって、8時から2時過ぎまで歓談をする。私は賛助会員みたいな立場でお仲間に入れていただいている。美世咲から来られた熊さんは僕が運転するということで心置きなく飲まれて、2時過ぎに一路美世咲まで100キロの道中を対話して帰った。ペンションではアメリカからのお客さん、マイクが出迎えてくれて久しぶりの再会に話の花を咲かせた。
(2007年 3月 23日 [金曜日])

夢の栞

夢の栞ができました。
自画自賛
過去最高のボランテイアグッズです
それもその筈です

ムツゴロウさん
具志堅さん
石川洋先生
この3人の方々の『愛』が込められています

普通なら有名人・著名人として
このように商品化をする場合
かなりの御礼をしなければなりません
それをボランテイアの名の下に
ご好意でしていただけるなんて
『愛』以外の何者でもありません
本当に「志合せ」なことです

どうかみなさん
この『愛』に応えてください
5枚1セット200円です

眼を閉じて
カンボジアの子供達の笑顔を思い浮かべてください
ケニアの子供達の美笑を連想して見てください
きっとあなたの心が微笑むはずです

チリも積もれば山です
あなたの200円が
あなたのお友達にもプレゼントして下されば
「愛と平和」の想いが
あなたのとなりの人に
連鎖して愛が伝わり
連愛の輪が拡がっていくと思います

■どうぞ、こちらへメール下されば志合せです
 aitoyume@k7.dion.ne.jp

   ★   ★   ★
ムツゴロウさん・畑正憲さん
・夢中になれること 熱中できることを見つけよう
元ジュニアフライ級チャンピオン・具志堅用高さん
・練習で泣いて 試合で笑え
一草居士・石川洋さん
・百年の夢を持てば 百年の導きがある
牛心・伊藤勝也さん
・牛は大地を耕し 人は心を耕す
字遊人・西口賢治
・夢現の法則 心に描き言葉にして文字に現す

(2007年 3月 22日 [木曜日])

合格発表
合格というのは
総合的な格が合うということ

それは学力だけではなく
人格や品格や他のもの
ある面では本人の格だけでなく
家族や教える立場の者の格も含まれる野ではないだろうか

格は高めていくことができる
一緒懸命に取り組んで行けば

■公立高校の入試は完全合格を果たした。
 塾としては当たり前として受け止められる
 その中で私は磨かれ格を積んで行っている
 ある面でうれしいことだ
(2007年 3月 20日 [火曜日])

和の会
「出愛は神様からのご褒美です」
人生は何と出会うかによって決まります

人との出愛 モノとの出愛 事との出愛
私は恩師とであって先生になった
伊豆の踊子と出会って国語先生になった

イチローは野球と出会った
モーツアルトは音楽と出会った
ゴッホは絵画と出会った

もし、出会っていなかったら
彼らの人生は大いに変わっていた
あなたは何と出愛ますか?

直向に謙虚に素直に求めれば
必ず出会える

若い皆さんには失敗はありません。
何事も挑戦して頑張ってください。

■和の会、今日は塾の中3生の卒塾式。西宮市内で一番の一流ホテル・ノボテル甲子園でさせていただいた。旅立ちの始めとして一流の場所からの巣立ちを願った。大事なことはその志向を持ってもらう事だと思っている。今日の贈る言葉より。
(2007年 3月 19日 [月曜日])

都合の良し悪し
これは都合のいいこと
あれは都合の悪いこと
その都合とは誰の判断なのでしょう

今度、
お愛したらお聞きしようと思っているが
それは天が神が決めた良し悪しではなく
人間が勝手に自分の都合で決めていることだろう

天からみれば都合の良し悪しはない
全て中庸の事象
幸、不幸も良し悪しも
天から見ればみな一つ

全ては
いい意味で自分次第
じぶんのこころが決める
2007年 3月 18日 [日曜日]

ナイことがイイもの
囚われない
拘らない
偏らない

これができれば中庸の精神で
人生を闊歩して歩いていける
しかし、なかなかこれができないので
人は人生の半ば道で迷い悩む

囚われると
読んで字の如く
四方八方に囲まれて
何も見えず身動きが取れない
拘ると
モノがまっすぐにみえない
美しく透明に見えず濁ってしまう
偏ると
モノが歪んで見える
一方が見えなくなる

いい意味での「コダワリ」だけは
持っていたいものである
いい意味でのプライドにコダワル
本物志向にコダワル

でも、修行する人は
全てのコダワリを捨てなさいというのだろう
2007年 3月 17日 [土曜日]

ツマラナイ人生なんてつまらない
古今東西の成功者から
学ぶことができるのは
成功のウラにある失敗です

私たちは生きていく中で
必ず壁に当たりツマリます
ツマラナイ人生なんて
決してありません

少し考えてみると
スムースに歩んでいる時よりも
ツマッている時の方が
はるかに多くを学んでいるものです
ツマッたからこそ
成功があったと言えるのです
たしかに
壁に直面し、ツマッている時は
投げ出したいし逃げたいものです
しかし、
ここで人間の真価が問われるのです
ツマラナイ人生なんてつまらないという考え方で
前向きにツマッて下さい

■「おやじめえる」より 1994刊 エピック
(2007年 3月 16日 [金曜日])

happyサプライズ
 サプライズでもハッピーなものは大歓迎!しかし、実際に謀られたほうはビックリである。美世咲ファミリィ−の千枝ちゃんの沖縄県立芸大の合格祝いということで梅田の但馬屋さんへいくことになった。当初は千枝ちゃんと二人で行く予定だったところへ、急遽、ようこさんの来阪で千枝ちゃんにも伊藤社長さんにも内緒で、サプライズで参加して頂いた。千枝ちゃんとようこさんは甲子園のノボテルホテルのトイレで鉢合わせ、伊藤社長は自分の店の部屋に入ってビックリ。ビックリして喜んで幸せになれるのだから嬉しいことだ。
 私達のファミリィ−には、よくハッピーサプライズがある。私も一度ならずも謀られた。ある時は気持ちよくペンションびせざきについたら熊さん・和代さんが並んでお出迎えして下さって、それに驚いていたら思わず村チャンが登場。福岡にいる筈の村ちゃんがそこに立っているのだから「信じられない!」。周りの人たちは心を痛めつつも秘密を隠しとおして、喜ばせようとハッピーサプライズを企てる。志合せなことだ。考えてみれば、今日、生きていることが、いい意味で元気に生かされていることがサプライズ、考えようで人生は毎日がハッピ−サプライズであるといえる。だから、ハッピーに感謝しよう。
 
(2007年 3月 15日 [木曜日])

春、はる、ハル
花が咲く

   心が躍る

      春が来る
(2007年 3月 14日 [水曜日])

PCの病気
2002年の9月から
5年近く一緒に生活してきて
風邪ひとつ引かずに
病気もせずに来たが
初めて病に罹りました

病気になって始めて
健康のありがたさが判る

思えば、欧米中国と広範囲に交流があるだけに
不自由さを覚える

神謝のお月愛というように
機械ともモノとも
大事にさせていただいて
いいお月愛をさせていただかなけらば
そう思う 今日この頃です

■写真も簡単に掲載できないようになりました。
古い、デスクトップのPCで不便ですが
仲良くやって行きますのでよろしくお願いします
(2007年 3月 13日 [火曜日])

夢のしおり
ムツゴロウさん・畑正憲さん
・夢中になれること 熱中できることを見つけよう
元ジュニアフライ級チャンピオン・具志堅用高さん
・練習で泣いて 試合で笑え
一草居士・石川洋さん
・百年の夢を持てば 百年の導きがある
牛心・伊藤勝也さん
・牛は大地を耕し 人は心を耕す
字遊人・西口賢治
・夢現の法則 心に描き言葉にして文字に現す

文は人なり
言葉は人なり
字は人なり

五人五様
 それぞれの文字に
 それぞれの言葉
 それぞれの「人」を
 余すことなく現して『美しい』

■ボランテイアグッズをたくさん作らせて頂いてきたが、今回は自信作!自慢の作品!どうぞ、カンボジア、ケニアの子供達の為にお買い求めください!
  ★★5枚1セット ¥200円  全額募金です★★
(2007年 3月 12日 [月曜日])

尊敬できる人との出愛
 この地上で最も愛する人がいる。世界で一番惚れ込んだ人がいる。師匠と慕う人がいる。九州男児の血か、生来の単純な正確なのか、いい人に出会うとすぐに大好きになってしまう。よくよく考えてみると中年を過ぎてこの方、尊敬をする人との出愛がなかった。東進のセミナーで今日、ムツゴロウさんこと畑正憲さんをお招きして『夢をつむいで』というテーマでお話をして頂いた。講演は勿論ながら、新大阪駅に1時半にお迎えして4時の講演までの約2時間、お花詞させていただくなかで、小生は心酔してしまった。芸術論・焼物・書・食・etc、どれをとっても素晴らしかった。年齢は72歳、その年輪の偉大さ深さに、沸沸と尊敬の念が泉に水が湧く如く、大河に水が流れる如くに生じた。氏は動物王国のムツゴロウさんというよりも、人生に対して一流の哲学を持った作家であるという方が適切だと思う。著書350冊を超えると言う。一事に対してのその「こだわり」凄い。例えば、文筆家の命である万年筆を求めて1千万円を下らないという。ウオーターマンの万年筆だけで150本を超えるというから凄いという一語では片付けられない。
 東大理学部卒、受験勉強はしたことがないという。しかし、学問に対しての想いが違う。楽しむという対象として、若い時から学ぶということに「こだわり」をお持ちであったようだ。ボサノバに魅入られ60歳で、ボサノバを歌う女性の小説を書こうと思い立ち、ポルトガル語を習得なされたとか。右手の甲の固形した痕跡(形見)は、触れさせていただいたが、おそらく世界中の文筆家をさがしてもいらっしゃらないだろう。ご自身だけが知り得る歴史だろう。何についても、その博学ぶりたるや凄いものがあって素晴らしいとか、どの言葉を用いても、その言葉が軽すぎる。
 私はついつい自然に、ボランテイア活動のお話をさせていただき厚かましくも、目下、進行中のボランテイアグッズの「しおり」のお話をさせていただき、『夢』の一字をお願いしたところ、極自然に「いいですよ」と仰って下さった。「ただ、私は書くのが仕事だから・・・」と、師、一流のこだわりを仰ったが、B4の洋紙(上質紙)に用意した、安物の中国の小筆で独特な『夢』の書を書いて下さった。そのお姿に触れ、私は「神動」した。書、文字を書く姿というのは、いい意味で独特な雰囲気が漂うものだが、鬼気迫る入魂の気に触れさせて頂いた。魂を入れるなんては並みの凡人には出来るものではない。小生も、恥ずかしながら褒めていただいたことがあるが、自分のことは判明できないが天地の差を感じた。しかし、字遊人を名乗り遊書をさせて頂いている小生にとって、これからの私にとって大いなる勇気となる『気』を戴いた。この出愛は正に神様のご褒美に他ならないという確信を得た。
 『夢中になれるもの、熱中できるものを見つけよう』 これが「夢をつむいで」の講演の私が受け止めさせていただいた要約。人間性に触れさせていただき、心に触れ、言葉に触れさせて頂いて、みんなの心琴が弾んだ。ムツゴロウさんの志と出愛った人は「志合せ」になれた。私が一番「志合せ」になれたような気がした。この年になって、また、心鮮な思いで尊敬できる人と出愛った歓びは、人生の歓びそのものである。
 思えば、かつて20年前に寝屋川の松下塾さんで畑正憲さんの講演を聴かせて戴いているのである。その時は今日ほどの感銘は受け止められなかった。それは先生もスーパー級で進化してらっしゃるのであろうが、私もまた変化成長をさせていただいているように思える。出愛にはこのようにして『『機』タイミングと『縁』があるように思える。この『機縁』こそ人為を超えた神の為せる計り事、天恵=天計のように思えてならない。神謝。
2007年 3月 11日 [日曜日]

チャリテイーオークション

窯変茶碗「里山」

どっしりとして重厚なのに
凛々しくて気品がある
その窯変の美しさは形容しがたく
窯の中の炎の仕業が
神の如く見事なまでに
その器に表現されている

作家の思いとしての炎と
1本1本の薪に託された情念と
1000度を超える炎の熱が相俟って
人工を超えて限りなく自然美に近づいている

その『美』が私の魂を射た

■先日、京都の伊勢丹に立ち寄った時、偶々、チャリィティーオークションの催事があって、目の肥やしにしようと思って冷やかし半分で覗いて見た。吸い付けられる様に魅入られるように、私の足は焼物の方に引き寄せられ、この『里山』という茶碗の前で釘付けになった。小生もチャリィーテイで遊書展をさせた戴いている身、通常であれば欲しいのは山々なれど、グッと我慢をするところだが、恥ずかしながら入札させて頂いた。3万円以上という作家の希望だが、おそらくは10万円以上はする作品だろう。31000円で入札をさせて頂いたら、有難い事にご縁を戴いた。
この作品の運命で私の手元に来るようになって生まれてきたのだと思わせて頂こう。この作家の魂を有難く頂戴させて頂いて、宝物として大事に大事にさせて頂こう。小倉健先生というご芳名で小倉県、私が福岡県・小倉生まれなのでご縁があるのでは?という予感が当たった。神謝・歓謝・感謝。
2007年 3月 10日 [土曜日]

愛言葉
あいしてる
ありがとう

この二語に尽きる

一日、
何回この言葉がいえるか
何回この言葉をいうか

ひょっとしたら
その回数が志合せのバロメーターかもしれない
(2007年 3月 9日 [金曜日])

『志合せ語録』〜教え子さんから〜
先生の字遊人としての活動に感化され”志合わせ”な状態になっています。まずは、恩師から「まねび」から始めます。
『心体脳力』
 心を磨き、体を整え、脳をつかえば、最大限の力を発揮出来るのではないかという事を感じました。

そして今日の川柳
弥生月
  寒い朝日と
   お月愛
⇒今朝方、東の空には朝もやの中に朝日があり、西の空には月がとても明るく光っていました。そのお日様とお月様のランデブーがとても綺麗でした。もしかして、人生で初めてみたかも・・・

寒さゆえ
 肌身に感じる
  春情け
⇒もう暦では春なのに真冬並の今朝の洛北。その寒さが今冬暖冬だった為に春が、せめて春の前に冬らしさを感じさせてくれようとしている様に感じました。春に感謝したい気持ちです。

まだまだでしょうが、ご指導お願いします。
1日1首で3年で1000首か、考えてもいなかったです。

■教え子のK君から「春便り」が届いた。
教え子に
 勇気貰える
   春が来る
(2007年 3月 8日 [木曜日])

totoro
6年生、新中1の生徒さんに
英語の授業の一環として
アメリカバージョンの英語版でトトロを観た

どのような反応を示すかと思ったが
字幕もない英語オンリィーだったけれど
集中して見ていた

おそらく何度も見ているので
台詞は想像して身振りでわかるのだろう
英語を喋れるようになろう
英語に親しもうという意図だったが
予想以上に効果があった

■小学校の英語教育には期待もできないし、変化も見られない。今、「日本語」が危ないのに、母国語さえ曖昧なのに、その上に外国語などとは反国際的だ。国際的と言うのは日本心としての主体性を持った上で国際感覚を身に付けることで、英語の問題ではないと思う。私は美しい正しい国語をしっかりと身に付けさせたいと思っている。
(2007年 3月 7日 [水曜日])

芳野病院さんのこと
〜芳野病院の歩み 若松とともに、これまでもこれからも〜
大正2年11月、若松市明治町(当時)に芳野三郎が芳野医院開業。昭和30年に芳野敏章が引継ぎ、「地域に奉仕」を病院の理念とし、80有余年にわたり地域医療活動を行ってきました。平成9年9月更なる飛躍に向けて全面リニューアルオープン。院長も芳野元に交代。そして平成15年8月、外来・リハビリ・透析施設の充実と病棟機能の再編を目的に増改築を行い、医療法人寿芳会を設立し新たなスタートをきりました。 
■上記の文・写真は芳野病院さんのHPより転載。

 2年前にご縁を戴いて芳野病院さんで「遊書展」として2ヶ月近く展示をさせていただき、一日はデイケアのほうでご老人の方々に書を頂戴していただきました。その年の創立記念祭のおりに「神謝状」を戴き、今回はまた、直々に理事長先生からお手紙を戴いて、本命のチョコにはいくらお金をかけてもいいですが、義理チョコはやめましょう。その分を寄付しましょう。という呼び掛けで、子供の教育を考える会にご寄付いただく運びになりました。このアイデアのステキさ素晴らしさに本当に感動します。理事長先生は40代の方で、私が今まで出会った人物の中では、最もソフトでマイルドで知性的な紳士です。その優しさが魅力で、屋上に庭園を作られて花を植えておられます。それを自ら案内して下さった時の嬉しそうな顔は無邪気そのもので、40過ぎてあの顔ができると言うのは本当に純粋な方だと思いました。義理チョコ募金にしても、氏のアイデアだと思われますが、こんなこと提唱してもそう簡単には周りの協力が得られないと思いますが、それを自然にみんなでされたのですから本当に凄いと思います。僕は一目見て、理事長さんを気にってしまって北九州まで行ってでもドッグ入りしょうかと思ったら、わざわざ来られなくても大丈夫ですよと優しく嗜めて下さいました。
 北九州(戸畑)は僕が生まれたふるさと。故郷に錦を飾ると大袈裟なものではなかったですが、戸畑・若松は隣同士、なぜか嬉しかったです。おじいちゃん・おばあちゃんが拍手をして見送って下さった事が歓びでした。
(2007年 3月 6日 [火曜日])

モヨ・チルドレン・センター(M.C.C.)について
MOYO(モヨ)」って何?
MOYOは、アフリカ東部で使われるスワヒリ語で、心、魂、精神などを意味します。
■子供たちの未来を一緒に考えませんか■
今、世界中で、子供たちを取り巻く環境にひずみが出ています。先進国には先進国特有の、途上国には途上国なりの形でひずみが現れ、子供たちはいやおうなくその渦中に置かれています。私たち大人が作ってしまったひずみならば、私たちの手でなんとかしなければならないのではないでしょうか。共に考え、情報を交換し、それぞれの国で、それぞれの立場で、できることからやってみませんか。
貧しい子供たちの、学費支援を行っています。
ケニアには、貧困などの理由から小学校を卒業できない子供たちがたくさんいます。M.C.C.では現在ケニアの小学生26人、中高生3人、ウガンダの大学生1人の支援を行なっています。この子供達は日本人有志の支援により支えられています。学費は、年平均小学生で1 万円、中高生で4万円位です。                                キャンドゥトゥの小学校に、教科書を寄付しています。「キャンドゥトゥ」は、ケニアの首都、ナイロビの北東約45キロの町、ティカにあるスラムです。ここに、スラムの人たち自らが建てた小学校があり、昨年来、教科書を寄付していますが、それに加え昨年度は1教室を寄付しました。現在、生徒の保護者とともにトイレ増築の準備を進めています。                                  スラム婦人たちの、自立支援を行っています。キャンドゥトゥで、女性のグループを組織しました。現在メンバーは8 人です。彼女達の多くはシングルマザーで、心配事は子供のことです。無利子の小額貸付を行ない、それを元手に彼女たちが小さな事業を行うことで、生計を立てる手助けをしています。一方グループとしてできるビジネスも模索中です。                              ストリートチルドレンと孤児のための、施設をつくります。貧困などの理由から学校に行けず、家庭にも居場所がない子供たちが路上で生活しています。彼らの90パーセント以上がシンナーを吸っていると思われ、現在どういうアプローチをすればよいのか模索中です。彼らに場を提供することで、きっかけを作れればと思い、ティカに1つの施設建設を計画中です。一階がストリートチルドレンのリハビリセンター、二階が10 名ほどの子供たちとスタッフが共同生活できる場、そして運動場、事務所があります。現在土地は取得し、設計図が出来上がっています。資金のめどが立ち次第、できるだけ早くこの建設にとりかかりたいと思っています。
 ウガンダの職業訓練施設とともに活動することになりました M.C.C.の主宰は以前、ウガンダの町マサカである団体のボランティア活動を行なっていました。その時に出会った子供たちをM.C.C.は支援し続けてきましたが、今では成長し、その多くは独立しました。一方当時一緒に活動していたスタッフが、職業訓練施設のNGO を設立し、活動してきました。これまでその活動をささやかながら支援してきましたが、このたび長年の交流の中からM.C.C.と合併しモヨ・チルドレン・センター・ウガンダ支部としてともに活動することになりました。                 モヨ・チルドレン・センター http://moyo.jp/mcc.htm
■5月の連休に孤児院建設に当たってのご寄付の支援とセンターの子ども達との交流としての遊書展で行かせて戴く予定です。
・写真はカンボジアの孤児院でのものです。
(2007年 3月 5日 [月曜日])

赤毛のアン
 『お目にかかれて、とても嬉しいわ。もう迎えに来てくださらないのじゃないかと、心配になってきたので、どんなことが起こったのかしらて、いろいろ想像していたところだったのよ。もし、今夜いらっしゃってくださらなかったら、あの曲がり角の大きな桜の木にのぼって、一晩暮らそうかと思ってたんです。あたし、ちっともこわくないし、月の光をあびて、真っ白に咲いたさくらの花の中でねむるなんて、すてきでしょう。まるで大理石の広間にいるようだと思うことだってできますものね。』
 『神々しいくらい美しいのと、すばらしくかしこいのと、天使のようにいい性質なのと、どれでも好きなのにしてあげるっていわれたら、おじさんはどれがいい?』
 なんてステキで豊かですばらしく美しい想像力だろう。その子の名は「赤毛のアン」。モンゴメリーの名作。天は57歳の私にこの出愛を下さった。そのことに心から歓謝する。50nほど読んで、もう神動の連続。アンの言葉に魅入られてしまう。そして、この舞台になっているプリンスエドワード島に心引かれて憧れてしまった。そして、次の瞬間、ここへ行くことを決めた。娘と行くか?一人で行くか?まだいない孫と行くか?それも、女の子の孫と・・・。
 この一冊は親子が、中でも父が娘に読み聞かせをするにすばらしい本だと思う。『想像力・夢・子どもの自己啓発』にすばらしいないようだと思われる。我が家では全員が映画・赤毛のアンのファンでDVDがあって、爽やかな気分になりたい時、ストレスが溜まりそうな時、仕事に追われて気持ちにゆとりがない時に観るようにしている。また、天使に出会ったような気分で嬉しい。これからはアンだったら、どんな風に表現するだろう!どのように考えるだろう!どのような言葉を遣うだろう!と、そう考えただけで人生が愉しくなって来る。
2007年 3月 4日 [日曜日]

お雛祭り
 塾の教え子で仲人をさせて頂いたK君が来るということで、ダイエーに行ったついでに花を買ってきて新品の花瓶に活けた。菜の花と青麦。桃は少し高かったのでやめた。大切なのは迎える、お持て成しの心だと思って。(ホントはただのケチなだけ?)
 K君は30年余の私の教師生活の中でも、本気になって怒った一人である。今、思うと大人気ないというか、私が30歳そこそこの時だっただろう。couldという単語が出てきて、前に習ったという私の言に、彼は習ってないと言い張り、言うに事欠いて「それでは、教科書の何ページ出てきたんですか?」と問い返した。私は思わず、カーとなって烈火のごとくというか、一番後ろの席に座っている所まで行って持っていた英語の教科書で思い切り殴った。英語の本が裂けるほどに!「帰れ!」という言に、彼も怯まず、ドアの所まで行って「帰るでぇ!ホンマに帰ってエエネンな!」といった。ここで止めたら教師の負け。帰れと言ったかどうかは記憶にないが、彼は帰った。
 後日談、彼の友達はみんな塾帰りに、彼の所へ寄って、今度、絶対に行こうなぁと慰めに行ったそうだ。私はと言えば、きっと来てくれるという「心燃(信念)」があった。以来、彼は高校へ行ってもクッドと呼ばれたらしい・・・。考えて見れば、充分に言葉で諭して教えることもできたはずだった。でも、手を出してしまった。しかし、あの時に殴っていなかったら、私が仲人をするというご縁も起きなかったかもしれないと思う。殴られた痛みと殴った手の感触は、二人だけの思い出である。
 結婚式の日にお母さんから「先生、この頃、優しくなったんと違います」と言われた・・・。弟さんも預かっていたので、聞き及んでいらしたのかも知れない。
 出会った子供たちが世の中に出て、社会で生きていっている。彼らの心の中に私の存在があって、そして、私の言葉が残っていてくれたら、それが教育の成果だと私は思っている。
 
2007年 3月 3日 [土曜日]

伊豆の踊り子
 道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
 私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。
■この小説に出会わなかったら今の私はない。これを読んで国語の先生になろうと思った。先生になろうと思わなかったら大学へ行っていないだろう。大学へ行っていなければ先生になる事もなし、塾をしていることもなかっただろう。一冊の良書との出愛が人生を変える。
(2007年 3月 2日 [金曜日])

TLOVE 西宮&尼崎

 西宮市と尼崎市の境に武庫川が流れている。国道2号線に武庫大橋が架かっていて、この橋からは西は六甲山、東は生駒山系、北は宝塚を越え六甲山系が見え、南は蛇行した川の向こうに見えないけれども海がある。
 西宮に開塾して30年、尼崎に開塾して15年。筑波と並ぶ学術文化都市の西宮とかつて阪神工業地帯の中心的存在であった下町の尼崎。川を一つ隔てて文化も人情も風土も雰囲気も、がらりと一変する街と町。この地域の人情に触れ、子供たちを預かって、先ず、自分を愛そう、自分の家族を愛そう、自分の学校・塾を愛そう、自分の住む町を愛そう、そして、自分の国を愛そうと「愛○心」を育てさせていただいている。
 今日はウオーキングでJR甲子園口から尼崎本部の教室まで徒歩20分を歩いた。
(2007年 3月 1日 [木曜日])

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