2007年04月の日志

4月27日〜5月8日

  ケニアへ孤児院建設支援・遊書展

 お土産話をお楽しみに・・・・。
(2007年 4月 26日 [木曜日])

ロダンと愛染明王
 午前中は兵庫県立美術館にロダン展を見に行く。日曜日とあって鑑賞者も多く、その中にあって私は安らぎを覚える。ああ、ここへ来られるような日本心の方もまだまだたくさんおられるのだ。梅田界隈や地下街の喧騒を歩く人たちと違って、芸術文化を愉しむ人がいるのだと「ほっ」とする。 
 叡福寺・聖徳太子、その母と太子の后と祀ってあり、親鸞も弘法大師も参篭した由緒あるお寺で魂源実践セミナーを受講した。
 なんともいえないほどの、微かな和みと安らぎ、あるかなしかの癒しを覚えるのは、根源に慎ましやかさがあるのかも知れない。
     途中、つづく
2007年 4月 22日 [日曜日]

当麻寺
 今日・明日と聖徳太子のお寺で
  魂源実践セミナーに参加してきます

  石川洋先生が主宰されるもので
  私がカンボジアへの活動のキッカケを下さった方です。

■勘違いをして、思い込みで日にちを間違えていた。明日がセミナーでした。折角、ここまで来たので峠を越えて奈良に入り当麻寺へ参った。牡丹がちょうど見ごろであり、花の寺の西南院の芝桜が可憐でこころを惹いた。久しぶりに予定外の時間ができて嬉しい時間が流れた。

見晴るかす
 四月の空に
   季を感ず
2007年 4月 21日 [土曜日]

言葉は心の魔法使い
いい言葉はいいことに魔法をかける
美しい言葉は心を美しくする
善意の言葉は悪意を善意に変える力がある

気付いて欲しい 言葉の大切さを
言魂の存在を・・・

言葉には魔法の力がある
 いいことを思えばいいことが起きる
 それがいいことかどうかは
 あなたの判断ではなく
 神様が判断して下さる

いいこと・いい言葉・いい思いは実現される
 あなたの言葉が美しく
 あなたのこころが美しければ・・・
(2007年 4月 20日 [金曜日])

美世咲Tシャツ
 始めて生徒さんたちにケニアの実情をお話させて頂いて、募金の協力をお願いした。クラス全員13名が美世咲Tシャツを購入して頂くことになった。愛と平和が美しくこの世に咲きますようにという願いを込めて備瀬崎の地名に因んで書いたものである。来週の授業で全員がこのTシャツを着て、クラス写真を撮ることにした。
 この子たち13人とノート交換を始めた。ノートいっぱいに書いてきてくれる子、暑い〜とただ一言の子と、みんな様々だがこれはこちらの熱心さ次第だと思う。木曜日はワクワクする。この子達と会えると思うだけで前の日から朝から楽しくなってくる。この思いが正比例するように子供たちにどのように伝えていくかがポイントだ。休み時間も小テストを採点していたりするとずーと授業をしているみたいなものだ。でも、これは僕が燃えていると言うよりも子供達が燃えさせてくれているのだ。今度はこちらが子供達の助燃材となって燃えさせなければ・・。
 10年経ち、20年経ち そして彼らが社会人として活躍する時に、1人の熱い先生を思い出してくれたら・・・。私が彼らのことを忘れないように。そう言えば私の小4の時の先生が「たけのこ」という日誌で私をこのように育ててくださったのだと思う。
(2007年 4月 19日 [木曜日])

交響曲「こころ」
第一楽章【雑巾の心】
雑巾は我が身を汚しても、我が身がボロボロになっても、他を清め雑草のような心を持って世のため人の為に尽くす。私達、日本人は自他ではなく、他自という優先順位の中で生きていく。
そのような雑草のような逞しさ直向さ、雑巾のような他者のお陰になって、お陰に神謝して生きる心を学びたいものである。
第二楽章【円い心】
大きな心・広い心・長い心、空のように海のように澄み切った美しい心を身に付けたい。
落款に「空海」を押印する。
第三楽章【赤心】
赤心とは「まごころ」の意。人を心から信用して、全く疑わない心。武士、とりわけ維新のの侍達はここの心を持って、新しい時代を切り拓いた。
第四楽章【日本心】
優情・親情・仁情が日本の心、日本心。全てのものに厳しさのある優しさを、全てのものに親心を持って育てようとする親しさのある心を、仁を持って尊しとする人間性。科学がいかに進歩しようとも、我々はこの日本の心を大切にして生きていきたいものである。

■これは「こころ」という字を書いて欲しいと依頼を受けて、色紙に4枚書かせて頂いた作品紹介です。一は草色模様の色紙に雑巾で書かせて頂く。二は白の色紙に円い心を書かせていただく。丸いでなく円いにさせていただいたのは円=お金に神謝する心を忘れず、お金の円に縁があるようにという思い。三は赤い紙に気愛を入れて書かせて頂いたもの。
四は日の丸をあしらった色紙に銀色で「日本心」と書かせて頂いたものです。
(2007年 4月 18日 [水曜日])

コツコツが「コツ」
人生も勉強も
仕事もスポーツも
何をするにもコツがある

コツを掴む方法は
コツコツとやること

コツコツやることが
最善・最上のコツ

コツという感じは「骨」と書く
ウ〜ン 流石というか何というか
漢字は凄い 漢字は感字
漢字を感じる感性・感覚
これが言葉を磨き心を磨く?

「惚」この字もコツと読む
惚れるという字は
物に心を2倍つけている

これもコツを掴む
上達の秘訣ではないだろうか
対象を愛すること
対象に惚れ込むこと
対象を楽しむこと

物事を体得した時の恍惚感
これが次に繋がる
これは心の快感なのだ

骨のある自分を育て
気骨のある人間をめざそう

■新明解国語辞典より
骨(コツ)=物事をうまくやる上で、外してはならない大事な点。
骨法(こっぽう)=芸道において最も重んじられる至妙の境地
恍惚(こうこつ)=ある物事に心を奪われて、我を忘れる様子。
       美しいものに接して、うっとりする様子。
気骨(きこつ)=どんな障害にも屈服しないで、自分の信念を押しとう        そうとする強い気持ち。
(2007年 4月 17日 [火曜日])

龍谷大学茶道部釣寂会(ちょうじゃくかい)
 大学時代の青春を懸けたもの。それが私にとっては茶道である。動機は2つ。一つは伯母が茶道の師範という事で、その茶道における言葉に何か惹かれるものを感じていた。「道・学・術」この言葉などはその極めつけである。道=心、学=頭、術=体。心技体。走攻守。離破守などそれぞれの道の奥義を極めるに、それぞれの言葉がある。なぜか、この頃からか言葉には敏感であったような気がする。もう一つは男子高校へ通っていたので茶道部に入れば女子部員もおおく、さぞかしモテるかなぁという微かな希望を抱いていたという、言わば不純な動機である。残念ながらモテなかったけれども、今の奥さんが茶道部の後輩だということは善しと言う事だろうか???今から思うと、この不純な動機があったればこそ、今日の私がいる事は間違いない。私の考え方・価値観・モノの見方・美意識・行動規範・判断基準は全て茶道にある。あの大学の4年間、最も時間を費やした事は何かと言うと茶道だった。お茶と言う方が親しみがあっていい。なかなかこの想いや生き方は通じがたい所もあるが、熊さんや賢坊さんや伊藤社長さん等は、一つの事に打ち込まれたという事で通じるものを感じる。やった事は全然違っていても、一つのことに打ち込んで得られるものは同じと言う事のように思える。
 久しぶりにその茶道部の先輩Aさんからお手紙を頂いた。しみじみと心に染みるもので、私の心を大いに慰め癒してくれた。このような事に人生の歓びを感じる・・・ ある面で年を重ねたということであり、年輪の素晴らしさでもあると想うのだが・・・。初めてAさんの下宿に行かせて貰った時のあの印象は、一種、カルチャーショックだった。大学生という年代にして「文人」を思わせる雰囲気が部屋中に充満していて、「この人カッコええなぁ」と思わずあこがれてしまった。京阪電車の駅近くの食堂で「目玉焼き」を一緒に食べたのを、今でも覚えている。大脳の記憶の仕組みはどのようになっているのか、以来、目玉焼きが好きになり、未だに、時々、自分で焼いて食べる事がある。そう言えばS先輩とは島原の下宿で卵焼きを食べた。N先輩とは中華定食と言ってラーメン・ライスを食べた。その当時はそれが凄いご馳走で、先輩に奢って貰うのさえ、いい意味で恐縮した。そう言えば、25円をもって通学し、めし20円・みそ汁5円の学生食堂がなぜか涙が出るほど懐かしい。絶対に今の学生さんたちよりも幸せだったように思える。私達の茶道部は夏休みにお稽古としての合宿があり、文字通り「同じ釜のめし」を食い合った仲である。先輩の下宿に集まって僅かなお金を出し合って
豚肉のすき焼きを食べたものだ。あの味が懐かしい。
 わが青春の京都。我が青春の茶道部。思い出は重いデ!
(2007年 4月 16日 [月曜日])

言葉は音楽
亡くなった友人の息子さんが指揮者をしていて、今日は家内と二人で午後からアミティホール(西宮市民会館)へクラシックを聴きに行ってきた。チケットが500円だったので、塾の生徒さんを20名ぐらい誘って行こうかと思いつつタイミングを外してしまった。
 指揮者のTさんは、近場であるときは案内を下さってお誘い下さるのだが、今回は偶然にこちらが見つけて行かせて頂いた。公演後、控え室にちょっと挨拶に行くと、大きな声を出して歓待の意を示して下さって、ハグして下さった。それがあまりにも突然で予期せぬ出来事だったので、私がビックリしてハグをしっかりさせて頂かなかった。お気持ちを小さな形にしてという想いでネクタイを買って行って、お渡しして握手を求めた後、「凄いですね、オーラを感じます」と言って下さった。
夜、改めて御礼の電話があって「ネクタイありがとうございました。着けさせていただきます。また、パワーを頂きました」とさりげなく仰った。彼は31歳の若手指揮者、家内曰く、「手の動きが綺麗」なナイスガイ。言葉遣いが素晴らしく、若い人でこのような言葉遣いができる人に出会ったことがない。彼は音楽を通じて恩学(おんがく)を学び、心を磨いているのだろう。これからが本当に楽しみで大いに期待している。亡き友人の分まで、親代わりなって応援したいと陰ながら思っている。
 言葉は音楽だ。そのような美しい言葉遣いができる名手になりたいものだ。耳にも心にも響く、心地よく美しい言葉を奏でることができれば、その言葉の音は楽しいものになるだろう。
2007年 4月 15日 [日曜日]

合格力
 合格は
  一緒懸命の
    力で決まる

先生4・生徒4・親2の総合力で合否は決まる。
決して本人だけのやる気ではない。

やる気はみんな持っている
発芽の3要素があるように
やる気の芽も
愛と夢と心の3要素が必要だ

頭の栄養は学習
体の栄養は食物と運動
心の栄養は「こ・と・ば」だ
やる気を起こさせる
ポジテイブな言葉かけが必須条件だ

その気・ヤル気・本気
ホップ・ステップ・ジャンプ
一歩ずつ着実に確実に誠実に

子供の3匹のタイを肥やさなければ
愛されタイ
認められタイ
褒められタイ

真鯛は天然の母親という海で
イキイキとのびのびのと
蕩々(トウトウ)と育てなければ
汚染された海、
TVの情報公害の汚濁の海(日本)では育ちにくい

子供は親次第
生徒さんは先生次第
2007年 4月 14日 [土曜日]

仁燃志組ケン三先生(2年C組賢さん先生)
3年B組金八先生
実際の教育の現場はドラマではない
もっともっと大変で
生徒さんを主人公にして
泥臭い地味なことを
一緒懸命にやらないとできない

「やればできる」
これほど簡単で難しい言葉はない
そんなことは子供達が一番よく知っている
それができれば誰も苦労はしない

わかっているけれどできない
それを第三者は
努力が足りない
やる気がないと
簡単に片付けてしまう
簡単に片付けられて済む子はいい
でも、そうでない子はそこで悩む
その上に親にも先生にも攻撃される
時には人間性まで批判される

14歳の子供に解決法があるはずがない
一緒になって悩んで苦労して
ほんのちょっと数ミリの前進
小さな小さな成功体験
そこからの学美愛

俺が伸ばしたる!
彼らが私のマインドに火をつけてくれた
仁を持って志を燃やして組む
男 賢さん 一緒懸命!

■良い先生は良い生徒によって作られる
春休み2年生のαのクラスを担当して
5人の新しい仲間、友達、塾生がふえた
通常は担任制はないけれど
この1年、この子たちを通じて
自分を磨いて行こうと思う
私自身が恩師ととの出愛で人間が変化成長したように
大袈裟に言えば人生が変わったように
自分も彼らにとってそういう先生になってやろう
出愛で人は変わる 指導者で人は変わるのだ
(2007年 4月 13日 [金曜日])

志合せの麗志平(レシピ)
神謝のお月愛(感謝のお付合い)
 =全てのものに有賀祷(ありがとう)と
愛志輝(あいしてる)と言って
  全てのものに神謝してお月愛していると志合せになれる・・・                      賢治の幸せのレシピです。
(2007年 4月 12日 [木曜日])

男の流儀
 30周年の神謝の礼状を100人の方にお送りさせていただいた。YさんとHさんが、それではせめてお祝いの昼食会でもと言って席を設けてくださった。天王寺の魚市というお店、鮮魚に舌鼓しながら、約5時間酒豪の両横綱とスーパー下戸の3人で本音トークをして頂いた。
ネガテイブに反省はなしとして、大いに気づかせていただけたのが、ある面で何よりモノお祝いであったような気がする。

男たるもの20を過ぎて成人すると、それぞれに流儀を持つようになる。なかなかこれが難しいところである。私はの流儀というと、萬事大慶=ばんじOK。You're OK.I'm OK.という考え方。自分の考え方を大事にしたいのであれば相手の考えも大事に尊重するのは当たり前と思っている。合わせる=愛和世流ということは、愛と和がこの世に流れると言うことだと思う。私にはこれが合っているように思える。少年期、食べれない苦しさを味わった私には身を引く譲歩すると言う生き方は処世訓として身に付いた染み付いたもののようだ。でも、人様からみたらさぞかし頑固モノなのだろう。
(2007年 4月 11日 [水曜日])

以心伝心
朝、携帯に電話に着信が入っていた。8:23なので目覚める前、早速、返信のお電話するとお愛できませんかというお話。ノーと言えない、ノーと言わない私は早速、午後1時にお約束をさせて頂く。
にしむらやの珈琲を飲みながら約2時間。ご相談と言うほどのものではないがお花詞させていただいた。「スッキリ」しましたとの事だったのでよかったのだろう。A事務所の若手女性オーナーさん。私から見たら小さな可愛い妹さんみたいなもの。経営的なことはアドバイスできないけれど人間的なこと、人間経営については少しはお役に立てるかも・・・と思って。
 『問題は神様からの贈り物
       答えは私の人間力
           問題は解決されるために起きて来る』
 『徹頭徹尾 徹楽し
      中庸の心を持って事にあたれば
            永久に美しい子としてある』
 この2つの言葉はお電話を頂いてお愛するまでに思いついた言葉。これがそのままご相談いただいた要件の答え? 本当に気は伝わるものだと自分ながらに感心する。
(2007年 4月 10日 [火曜日])

愛されてお金持ちになる魔法の言葉
■私達の意識は。もともと言語によってつくられる。
■言葉には現実を動かしていく力が宿っている。
■脳は現実と想像の世界の区別をしない。
■脳は時や人称の区別をしない。
 これは医学博士・理学博士・農学博士の佐藤富雄さんの著書からの言葉。もうかれこれ10冊近く読ませて頂いている。言葉と潜在意識を勉強している小生にとっても、とても興味があり自分自身が勉強しているテーマでもあり共鳴する所が多い。スーとそのまま受け入れさせていただいている。でも、初めて読まれる方には、ウソー、そんな思い通りになったら人生苦労しないと思われるか、書かれている内容をスーと入れられないのではないだろうか?でも、ホント、佐藤氏の本は読まなきゃソン、損というネガテイブな言葉は使いたくないけれど・・・。
 中2のアルファクラスの生徒さん、みんな自分はできないと思っている。この子達を私は1年かけて、できる子に変えさせていただこうと挑戦する。成績は勿論ながら 前向きで明るく楽しく取り組む生徒さんに育てさせていただこうとワクワクしている。一緒懸命仲良くやろう!
(2007年 4月 9日 [月曜日])

さくら
花咲いて
 心和むや
   日本心

わが町芦屋川の河畔は
今とばかりに桜が咲き誇っている
あのほのかな薄桃色は
正に日本心的で素晴らしい

それは白でもなく桃色でもなく桜色なのだ
咲来良 さくら
漢字を当ててみた
良いものが来て咲く

なんと言っても
桜の美しさは
その枝ぶりによるのかもしれない

芦屋川に枝垂れる
その姿は艶やかな薄桃と
古木の黒が引き立てあって美しい
2007年 4月 8日 [日曜日]

遥かケニアへ
A ナイロビ観光とマサイマラ(陸路)
4月28日
―ナイロビ着 (6:30AM)
―出迎え車両にて市内レストラン(カフェなど)にて軽食小休止の後市内観光へ
―市内観光は青果市場や青空雑貨市場巡り、地元レストランにてケニア食ランチなど時間とご関心に応じて郊外の博物館(カレンブリクセン)やジラフマナーへもご案内
**ヒルトンホテル宿泊 (ツイン朝食込み×3部屋) **
4月29日
―朝食後専用車両にてマサイマラへ移動 (07:00AM)
 途中悪路もあります。距離にして300キロほどの行程ですが、飛ばさずのんびりと移動。
 適当な個所でお手洗い休憩を入れたり、風光明媚な地溝帯で記念撮影をしたり昼食時間に間に合うように現地へ移動します
―遅めの昼食時間にロッジ着 (13:30PM)
―休憩後 ゲームドライブ
**マラシンバ(またはソパ)宿泊(ツイン3食込み×3部屋)朝昼夕**
4月30日
―早朝ゲームドライブ (6:30AMにロッジ発)
―ロッジへ戻り朝食 休憩後昼食、午後には再びゲームドライブへ
**マラシンバ(またはソパ)宿泊(ツイン3食込み×3部屋)朝昼夕**
5月1日
―早朝ゲームドライブ、朝食後チェックアウト ナイロビへ
来た道を戻ります。悪路につき途中の大きめの町(ナロック)界隈の
ローカル食堂にて昼食をとるなど適当な小休止を入れつつ、夕刻までにティカへお送りします
【ご旅行代金(おひとりあたり):US$482】
◎空港送迎/ナイロビ市内観光用車両費用(専用車)/ゲームドライブ(専用車両ご利用)/マサイマラ国立保護区入場料込み◎

■あと20日でケニアへ。和来和気している。
2007年 4月 7日 [土曜日]

神謝の遊書展
 謙虚・謙遜・謙譲は日本心の美徳ではあるが、それは姿勢態度において好ましいものであるが、言葉にすることには微妙なものがある。「私になどは出来ません」「私のようなものが・・・」は潜在意識にややもするとネガテイブになってしまう。大脳は「できない」と反応してしまう。芳野病院の院長先生は本当に素敵な方だ。低姿勢というのではなく凛として威張らずに好感が持てる。朝、一番にご挨拶に行って少しの間お話をさせていただいた。最近、写真に凝っておられると言う事で「花」の写真を下さって、折角なので100人展のお誘いをさせていただいたら、即座に快諾して、その場で作品を下さった。コスモスの美しさにその人となりがそのまま出ていた。
 若松は私が生まれた戸畑の隣町。北九州生まれといえば、そのまま故郷になる。生まれた所ではあるが、育ったのは大阪の私にとって望郷の念深く、故郷の気、空気は私には心地よく溶け合うものだった。
 来年、白寿を迎えられるおばあちゃんに書を書かせて頂いて、本当に寿ぐような美笑をお返しに頂いた。その微笑みは正に神様か童神か神人のようにさえ思えた。2年前にも書を頂いたというお爺さんは感激して泣いて下さった。
(2007年 4月 6日 [金曜日])

帰郷 
 北九州市・若松の芳野病院さんに2年ぶり2回目の遊書展にお呼び頂いた。デイケアのご老人、高齢の入院患者さん等にお話をさせていただきながら遊書をさせて頂く、お年よりの方で日々、どうしても無反応な状況になりやすいいそうで、非日常的な取り組みをしたいという思いを含んで取り組んでくださる。私はどちらかと言えば、昔からお年寄りには人気があり好かれる方で対応に慣れている事もあって、握手などさせていただくと喜んでくださる。院長先生と園田様の方からボランテイアとしてご寄付を頂き、皆さんには負担なく無料でさせて頂く。涙を流して喜んでいただき最敬礼していただくと、こちらが恐縮する。何人もの方が家宝にすると仰って下さるのだからうれしい。
夜、若松でも老舗のお店で鯛料理を頂いた。お刺身のあの甘さは初めてのもので美味しかった。雰囲気もよく落ち着いた座敷で4人でくつろいだ食事をすることが出来た。その後、少し飲みましょうという事でクラブへ行く。飲めない私にしてみるとこのような所は本当に久しぶりな感もあるが、いつの間にやら話題が「遊書」のことになり、私が繰り出した、それぞれの言葉にわあーと感嘆が沸き起こり、おかげさんで気分よく楽しい飲み会になった。直方から出てきたM氏とホテルに泊まり、3時過ぎまで人生を語りあう。お互いでいい意味で普通、一般的な考え方、生き方を好まないタイプで、ある面意気投合して久々に語ったという思いがした。
 
(2007年 4月 5日 [木曜日])

啓栄(けいえい)
経営は教育力と人間力

 啓栄は今日生力と仁現力

啓栄=啓いて栄える
 今日生力=今日を生きる力
 仁現力=仁を現す力
(2007年 4月 4日 [水曜日])

俳句
桜咲く
 心新たに
   新学期
(2007年 4月 3日 [火曜日])

青春18切符
 松山発22:35三宮着5:41 ブルーライナー松山

 生まれて初めての多美の記憶は母と兄と3人で行った山陰、島根県石見益田の浜岡さんという戦時中に2階をお貸ししていて、親戚付合いをするようになった方の所だ。京都を夜行列車で出て朝、朝日を浴びた輝く大山を見たのが原点である。もう50年以上も前のことである。初めて自分で行った多美は高校1年生の夏休みの時に友達5人と一緒に行った「九州一周の旅」だった。この時も夜行列車で佐賀へ行った。
 その後、夜行列車に何回、乗ったことだろう・・・。アムステルダムからスイス。北京から上海。西安から敦煌。列車から眺める車窓の風景は心に旅情を染込ませて心を和ませ清浄にしてくれる。美しい自然の風景に心を溶け込ませて自分を見つめる。時にその雄大さに美しさに圧倒されて我が身の小ささを知って勇気を得る。旅は多美の中で新しい自分探しができる時空の移動世界である。
 夜行列車のヘッドライトが夜の静寂(しじま)の中を駆け抜けていく明りが流れて行く、窓ガラスに映った顔の向こうに灯りが飛んで行く。
雨の日は雨の日の景色が、それがしっとりとしていたり、憂いであったり、そのままに自分の心を映す。黒であったり群青色であったりする山陰のシルエットもまた趣があって面白いものだ。大学時代、啄木の「一握の砂」の文庫本を友にして夜行列車に乗った頃が懐かしい。青春18切符ははじめての体験だったが、もうハマッテしまった。芦屋駅で下車せず、そのまま京都まで乗って快速電車に乗り継いで金沢まで行って、観光をして夜の12時までには帰って来ることもできる。思えば人は皆、天国行きの切符を一枚ずつ持っていて、人生という旅をどのようにするかは『自分持ち』で自由自在のように思える。愉しくするも満喫するも謳歌するも、全部、自分次第。神様は本当に平等にして下さっていると思う。青春18切符は一駅でも1600円(5枚つづり8000円)。大阪から東京まで行っても1600円。自由自在の使い方、活かし方次第。改めて夜行列車に乗って人生を見つめなおせたような気がする。
 人間は日中に活動して、夜は休みにつく。肉体の活動はそうであっても「潜在意識」は、ある面で夜行列車の如くに、目標に向かって走り続けている。時には昼よりも夜のほうが遥かに前進し飛翔していることすらある。
(2007年 4月 2日 [月曜日])

サプライズ!
 まさかやぁの賢坊さんが、石鎚山に琉球民謡を奉納するということでお誘いを受けていたが、どうしても春休みの為に授業が休めずに、1日限りのお月愛をさせていただいた。
朝8時15分の高速バスで三宮から松山へ。沖縄から空路松山へ来られた賢坊さん一行を空港でお迎えした。それもサプライズで予告無しでお迎えした。95パーセント確実で行かせて頂くことを決めていたが、塾長という立場、家族もあり何かがあってやむをえない事情もありうる。賢坊さんの僕もドタキャンなんて性分に合わないし、そんな不細工なことはできない。約束をしたら命を張ってでもという想いがある。空港で隠れるようにして出迎え荷車を押している前に、突然見参!してビックリさせた。賢坊さんもビックリした分、喜んで下さって、奥さんのよしえさんも思わずハグして下さった。
 松山城の桜を車窓から眺め、女性軍のショッピングの間、商店街のイスに腰掛けてマンウオッチングをしながら話に花を咲かせた。人生の表も裏も歩いてこられた方の体験談は本物の世界で小説よりもき奇なりで説得力がある。奥道後の温泉に行って、裸同士で男を語り、かに道楽で美味求心をして夜行列車に乗って帰ってきた。
2007年 4月 1日 [日曜日]

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