遊々と |
愉しんで書く 無心で書く 気を遊ばせて書く それが望み 肩肘張らず 微笑んで 気の赴くままに 遊び心で 遊書させていただけたら 決して上手に書こうと思わぬこと 自分という人間を磨いて 自分らしさが出せたら仕合せだと思う お願いを戴いたら その方の志と私の志を合わせて 志合わせな字が書けたら そう願うばかりである (2006年 5月 31日 [水曜日])
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大切にするもの |
Respect for myself Respect for all of others Respect for language 自分自身を大切にする 他の全てを大切にする 言葉を大切にする 全てを大切にするために 全てを愛する 慈しみ悲しみ思いやり慰める そうすれば一体になることが出来る 自他に分け隔てを持つから欲が出る 全てのものが素粒子ならば 物も私も素粒子なのだ この大宇宙の中で 同じ息をして生きているのだから (2006年 5月 30日 [火曜日])
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君は天才だ |
パソコンの前で 君は微笑んで悪戦苦闘に挑む 誰にも習ったわけではなく 誰に教えられたわけでもないのに 君は未知なる謎を解いていく 何と素晴らしいことだろう メカに弱い僕からみれば それは奇跡に等しい そして 人間の素晴らしさを知る 基本的なことを学べば 幾らでも応用ができる それは能力の問題ではなく 興味と関心の問題だ このことは生きるということ 人生にも通用することだ 君は天才だ 君がその「魔法の力」を活用すれば 君は人生での問題も解けていくはずだ 興味・関心こそ魔法の力の素だ 人はみな 何かにおいて天才だ それが何であるかを見つけることが 学ぶということなのだ (2006年 5月 29日 [月曜日])
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仕合せの贈物 |
『アルケミスト』 初めて耳にする言葉 5月6日 誕生日の日に ストックホルムで アンドレイという心友から聞いた 何か分らないが 素晴らしい言葉の響きが残った 帰国してアンドレイから メールが届いて 本の題名だと分った 直ぐにこの本を手に入れて読んだ そしてもう一度読見直そうと思った それはノウハウではなく マニュアルではなく ストリィーとして サクセスストリィーが書かれてあった 今の私にとって最も必要な これからの生き方について書かれてあった 3週間の時を経て アルケミストの愛蔵版の本が 誕生日プレゼントとして届いた これは機積(奇跡)だ 神様からの贈物だ 考えて見れば 人間が生きていること そのものが機積なのだ だから、神謝をして生きていこう ★ ★ ★ パウロ・コエーリョの著書 「愛蔵版・アルケミスト」「星の巡礼」 5月6日の誕生日の日にストックホルムでアンドレイと人生論・価値観を花詞していて、アルケミストの話が出てきた。帰国してアンドレイのメールに作者の紹介するアドレスが届いて、直ぐにこの本を購入した。この本は物語の中で人生のサクセスストリィーが書かれている。実に素晴らしい本だ。私は小説を読んでいる時もマーカーで線を引く癖がある。ほとんどのページに線を引いた。今まで読んだ中で一番多いような気がする。ビジネス書としてはマーフィ・ナポレオン・カーネギーと主な所は読んだ。その中で一番感銘を受けたのがジェームズ・アレンだが、その他のものはノウハウとマニュアルで、どうもピントかない部分があったが、このアルケミストは物語にして、私にとって実に分りやすく書かれていた。これを友人の国澤君が届けて下さった。先日は仕合せは買えると書いたが、今日は仕合せは貰えると物だと思った。お陰様のお月愛の中で流れて来るというか、運んで下さる貰えるものだと、体験した。何と素晴らしいことだろう。 「ペイフォワード」のDVDと一緒にこれらの本と一緒に誕生日のプレゼントとして届けて下さったのが、國澤君と美奈さん。ペイフォワードもいい映画だった。「次に渡せ!」という意味で、一人ひとりの人が3人ずつの人に「善」「仕合せ」「良い事」を渡していけば、みんなが仕合せになれるというもの。まさに「連愛」を提唱している意義と思いは同じもの。3人。9人。27人と拡がっていくというもの。私は単純と言うか欲張りと言うか、1日に3人の人にペイフォワードしていきたいと思った。明日から実行、それがこの本を下さった人への一番の御礼だと思う。 (2006年 5月 28日 [日曜日])
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一笑懸命の勝利 |
一球一打に夢賭けて 闘志を燃やし球を打つ 見よ 快心のこの一打 日頃、鍛えしこの技が ピンチを救いチャンスを創る 勝利の女神は我等に微笑む おお 尼崎北 我等がチーム 一投一打に愛賭けて 闘魂燃やし球投げる 見よ 快腕のこの一投 日夜 磨いたこの技が 相手の覇気を飲み込んで 勝利の雄叫び我等に響く おお 尼崎北 我等は勇者 一走一守に魂賭けて 闘志守り抜く 見よ 快心のこのプレー 連日 錬成のこの技が 仲間の心を一つに結び 勝利の王冠我等に輝く おお 尼崎北 我等が勝利 ■春の全国大会でベスト4に進出した徳山君が、今回は初めて、「見に来て下さい」と正々堂々と頼みに来た。今日の試合は3塁打・2塁打と快心の打撃を見せてくれた。9対2、5回コールドゲーム。決して楽勝ではなかったが、結果としては見事な勝利だ。5回表、6対0のスコアーからノーアウト満塁で攻められて2点に押さえたが、零封も不可能ではなった。4回で6対ゼロ。これで勝ったという気の緩みで2点獲られ、紙一重で流れが向こうに傾けばどうなったかはわからない。捕手西川君の好リードと投手徳山君の笑顔の「一笑懸命」の勝利だ。 (2006年 5月 27日 [土曜日])
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睦稔の世界 |
仕合せは買うことが出来る こんなことをいうと 怒られるかなあ でも、ぼくは今日 スプーン一杯の幸せじゃなく ポケット一杯ではなく 胸一杯、心いっぱいの 幸せを買って来ちゃった 名嘉睦稔さんのギャラリィーで 睦稔さんの魂に触れて その作品から溢れる波動を浴びて 買って来ちゃった この50有余年生きてきて 今までいろんなものを買って来て こんなに幸せを感じたことはない こんな仕合せを感じたことがなかった それは僕にとって新発見なんだ それはとても素晴らしくて とても嬉しいことなんだ これから幸せが 身近にあると思うだけで にやけてしまう 幸せを買って来ちゃった だから、 それをみんなにも分けてあげよう それは決してなくなったり減ったりはしないから いつまでも永遠にあるものだから 睦稔さんの志と僕の志が合った それが僕の志合わせ・・・。 ★ ★ ★ 睦稔の作品は魂を揺さぶる ボクネンの美は心を炙る ぼくねんさんの芸術は気を躍らせる そして 心を癒し魂を鎮め 気を燃えさせてくれる 美は 芸術は その人間の魂そのものなんだ (敬称がないのはお許し下さい) (2006年 5月 26日 [金曜日])
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福福しい出愛 |
出愛が出愛を呼び その出愛から、 また新しい出愛が生まれる それを「陰力」といい それを「連愛」という 不思議なご縁というよりも 自然な流れのように感じられる その出愛の拡がりは 永遠無限の果てしない愛 宇宙の大きさに等しく 美しく神秘的だ この素晴らしさに出愛なかったら 人生の歓びが半減してしまう ■カメラマンの宮坂さんが今、川崎で『福』という会員制のレストランを始めておられる。半年で400名を超えるメンバーになったというから、素晴らしい。今夜は泊めていただいて、ゆっくりとお花詞をさせて頂いた。渋谷尼崎神戸大阪アメリカ沖縄と出愛を重ねて、心通わさせていただいている。今夜は名物の野菜料理を戴いた。宮坂さんは僕の『夢人』の写真集を撮って下さって以、たくさんの「福」を僕に下さっている。何のお返しも出来なくって恐縮している所、6月17・18日に遊書展をさせて戴くことになっている。 (2006年 5月 25日 [木曜日])
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ジェームズ・アレンの言葉 |
静かに、意識を強く あなたの目的ーー課題に集中させれば それを完成させる心のパワーが生まれます。 むずかしいことではありません。 ただし、 その目的、あるいは課題が、 素直な心に従った思いと、 心から正しいと信じる考えに一致していなければ 心のパワーを知的に使って すんなりと実現させることは出来ません。 (後略) ★ ★ ★ ジェームズ・アレンの遺したラスト・メッセージ この言葉を素直に受け止められて 信じることができるのは たやすいこと? むつかしいこと? 信じることから始めよう 思うところから始めよう 行動する所から始めよう 疑っていては何も始まらない 考えていると何も始まらない 躊躇していると時が流れていく 信じれば力が湧いてくる 思うとやってみたくなる 行動すると何かが生まれる やれば出来ると 心から信じて やってみよう (2006年 5月 24日 [水曜日])
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生誕100年 |
■愛も心もつかうほど育つ 大好きな母の教えです ■すべてを失ったとしても 母の愛があれば人は生きられる ■いつでも夢を心に愛を 母が教えてくれた愛言葉 ■神謝かんしゃのお陰様 お陰様に感謝歓謝 母に神謝 ■魂生 母の魂が今の私を動かしている ○母の命日は12月のいつだったかはっきりと覚えていない。しかし、母の誕生日は今でも覚えている。5月23日。生きていれば1906年生まれなので万100歳になる。 「ひさの星」という童話がある。そう母の名前は戸籍上はヒサ、通称は久子と言った。明治39年の生まれ。明治・大正・昭和・平成と日本の近代史の激動の中を生きた。子供には解らぬ苦労をしてきたことであろう。しかし、グチも文句も弱音も吐かずに5人の子供を育ててくれた。それだけで神謝である。 ひさの星はいつも天にあって、私を見守ってくれ、いつも私の心の中で輝いている。母の苦労に比べれば、母の想いに比べれば、これが今の私の支えである。そして、これからも・・・。 (2006年 5月 23日 [火曜日])
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心教 |
「是諸法空相」 あなたも 宇宙のなかで 粒子でできています 宇宙のなかの ほかの粒子と一つづきです ですから宇宙も『空』です あなたという実体はないのです あなたは宇宙は一つです (心訳・般若心経 「生きて死ぬ智慧」 文・柳沢桂子 小学館より) 素晴らしい「心訳」に出愛った これと出愛ようになっていたような気がする いつもどの時も その時がドンピシャの絶好機 機は創るのではなく 機は自然に生まれる 何が自然かというと 心の中に生まれる想いが自然だ 心自流(しんじる)ままに 自然に心に流れる美しい想いのままに 私は宇宙 宇宙は私 粒子は無 粒子は空 粒子が私 (2006年 5月 22日 [月曜日])
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青銅器 |
商前期 BC.17〜BC.15の青銅器の 前に立って沈思黙考する 中国古代の青銅器 この形の美しさはどうだろう なんと見事なことか シンプルにして無駄のない美は どこから生まれてきたのだろう 4000年近い昔 日本は国すらも存在しないではないか 美とは何なのだろう 人間の創造力の素晴らしさは どこから来るのだろうか 本来的に持っているのだろうか 文明の利器の美を遺す この偉業は その民族の誇りではないだろうか 今 この文明の美を 金が凌駕していないだろうか それは金の問題ではなく 金を遣う人間の心の問題ではないだろうか ある面で美の敵は金かもしれない 金を遣う人の心が美を 醜にしてしまうかもしれない 今日私は 美の前に平伏した ■九州より朋来る。奈良を多美する。国立博物館で坂本コレクションの青銅器を見る。常設展示の御仏と出愛う。美遊手風流(beautiful)サンデェイを過ごす。 帰りにちょっと足を伸ばして、天理のみしまやさんに鰻を食べに行く。ここの鰻は「旨い・美味い・うまい」必見必食に値する。 (2006年 5月 21日 [日曜日])
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心 |
この宇宙の真善美の存在そのものは 人間の中にもそのまま存在している しかし、その純なるものだけでなく 不純なものをも内在している所に 人間の苦悩があり、悪が蔓延る 欲は決して否定されるものではない しかし、利己・我欲・エゴの欲 それは本質的に異質なものだ それは人間の判断を超え 神に委ねなければならない 私が一番正しいという所に誤りが生じる 人間の世界にあるものは すべて正しくすべて誤りである 宇宙の摂理に任せ 天に委ね 神に阿る 自己を砂漠の微塵の砂だと認め 自己を大海に一滴の水だと認め 自己を大気の形なき粒子と認め 無に帰し 空を悟り 滅した時 宇宙大のわが魂を知りうる もしこの宇宙よりも広大なものがあるとするならば それは人心であり それは考えである すべての存在は心想の中にのみ存する 無限の宇宙は眼には見えない その存在を認知することが可能なものは人心である 何の束縛も制約からも逃れることが可能なもの 自由なるものそれは思考だ 心を美しく正しく善く磨くこと そのことによってすべてが 美しく正しく善くなる (2006年 5月 20日 [土曜日])
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アルケミスト(錬金術師) |
人はみなアルケミスト 錬金術師 もっと素直に もっと強く もっと美しく 自分に素直に 優しく美しくなれば そして、求めるならば みんな錬金術師になれる しかし、 そこには微塵の我欲も エゴも利己も許されない それは宇宙の真理と摂理と原理が 味方をしない 美なる大いなる魂のもとに 世のため人のためを超えて 宇宙のために生きるとき すべてが味方となって アルケミストへの道へと誘ってくださる ■「アルケミスト」〜夢を旅した少年〜 パウロ・コエーリョ作 素晴らしい夢物語だ。読めば分る、しかし、何が何だか分らない人も多いだろうし、ストリィーだけの面白さで終る人も多いかも知れない。これは魂生、魂に生きる人のための物語だ。 (2006年 5月 19日 [金曜日])
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お月愛 |
月を愛で 月を愛し 月に愛される 人は 人と人の間で生きていく 生かされていく ヒューマンリレーション 人間関係 人付き合い このお月愛が大切だ お陰様のお月愛 私の陰にどれだけのお蔭様があるか これによってその人の人徳 その人の人間力が伺える お月様 夢運 moon お月様はツキを運んで来てくれる (2006年 5月 18日 [木曜日])
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母情 |
大成した人の共通項は よい母親を持っていたこと そして 神謝の心を忘れなかった人である ■この作品は雑巾で書いたものです。 (2006年 5月 17日 [水曜日])
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観音母薩様(かんのんぼさつ) |
愛することとは 許すということだ 許すということが できないということは 本当に愛していないからだ でも、考えて見れば 人間同士が 許すとか許さないとかは 本来はありえないものなのだ 原罪を考えれば 生きているということが 生かされているということが そもそも天に許されて 生きているということなのだ 許しを得て 生きている人間が 人を許すとか許さないとか それはみなエゴから来ているものだ すべてを許す すべてを受容れる そんな大きな愛を 『観音母薩様』は持っている (2006年 5月 16日 [火曜日])
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二度とない人生だから |
二度とない人生だから 日本心として 心愛の情を大切にしよう 一ぺんでも多く 便りを出そう 二度とない人生だから 日本心として 言葉を大切にしよう 言葉は心を伝え 愛を語るものだから 二度とない人生だから 日本心として 出愛を大切にしよう 人は出愛によって 変化成長していくものだから (2006年 5月 15日 [月曜日])
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母情・遊書展 |
母の日に因んでシーサイドホテル舞子ビラ神戸で遊書展をさせていただいた。お客様の希望・メッセージをお聞きして即興で遊書させて戴く、今年このホテルで結婚式を挙げる予定の方や、今日、式を挙げられた親族の方たちには「結魂」の字を、高齢の紳士が90のお母さんに「ありがとう」のメッセージを、最敬礼をして喜んで下さった。80代のおばあちゃんが「先生、先生」と何度も言って、手を握って感謝されて・・・。こちらが恐縮してしまう。吉村さんが家族で来てくださり、小林さんがHPを観てといって花を持って5人で来て下さり。本当に愉しい嬉しい地元での遊書展だった。若い人たちは字を見て「かっこえぇわぁ」と感嘆して下さる。いい意味で上手とは仰らないが、そのように受けとめて下さるのもまた嬉しいことである。家に帰って額に入れて飾りますと仰って下さった方、無料でいいのですかと仰って、黙って結婚式の引き出物の一部を黙って置いていかれたお洒落なご婦人。これカンボジアの寄付にと内緒で下さった赤穂の同じ歳の同窓会の面々の方、嬉しい愉しい出愛があって、その方たちが 明日から、私の字を見て喜んで下さるのであれば、それは幸せなことである。 教え子のインさんが3年ぶりに訪ねてきてくれた。中国・上海から中2の時に日本へ来て、慣れない時に甲子園学習塾に入塾して、私と出会って、自分と向き合って話をしてくれる大人の人に出会って励まされたと言う。大学4年生で就職が内定したと、最終の選択で相談に来て下さった。6時から家にお送りする10時まで4時間、人生・生き方・考え方を語り、お互いの共通項を見つけて共鳴して嬉しかった。いつの日か、間接的であれ、母国中国にお返しできる役に立つ人間になりなさいよと、いつも励ましている。教え子の成長、それが教師の歓びだ。 (2006年 5月 14日 [日曜日])
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仕合せ |
仕合わせとは 仕え合うということ 志合わせ、志を合わせること それは人と人の心を合わせること 親子同士 夫婦同士 仲間同士 それは自分の心とモノ 愛する対象に志合わせすること 自然に志合わせしたとき 一枚の絵に志合わせしたとき 映画に志合わせしたとき 食べるものに志合わせしたとき うれし涙が流れて来る それは志合わせが出来た証拠 だから、 私たちは いつでも何処でも何にでも 志合わせになれる 一致すること 合わせること 一つになること そうすれば「しあわせ」になれる ■少年時代、大阪市東淀川区上新庄という町で私は育った。大阪の下町で、お金は流れていないが人情が溢れるほど流れていた町だった。そこで私は少年の心を育んだ。姉のお友達植村さんと姉と3人で舞子ビラで食事をした。そして、わが町、上新庄を懐かしんだ。 (2006年 5月 13日 [土曜日])
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母愛 |
母愛(もあい) 日本人がお互いの生活の中から考えた コミュニテイマネーグループ 本土では頼母子講といい 沖縄では摸合(母愛)という お金を通じて その活用の中でコミュニテイを築き 信頼を築き学んでいく 困った時も 嬉しい時も 愉しい時も あなたがいてくれる その存在の有難さ そこに心の通じるものが生まれてくる ■但馬屋の西村さんと舞子ビラで昼食をご一緒した。私より先輩でいつも但馬屋さんへ行った時にお世話になっている。その温厚そのものの人柄に惹かれる。いつもはお店の中での語らいだが、今日は共に食してふれ愛をさせて頂いた。神謝。 (2006年 5月 12日 [金曜日])
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多美の名残り |
人は人生の中で家路へ旅をする 旅は帰るところがあるから愉しめる 人それぞれに 生い立ちがあり、環境があり、 それぞれのヒストリィーがある そしていつしか その家路へと旅をする それは動物の持つ本能かも知れない 象が象であるように ライオンがライオンであるように 人は人であり 帰巣本能にもにて 人は人として家路へと向かう それは離れることの出来ない定めなのだ 母の元へ 父の元へ 人はいつしか来たところへ戻って行く それが旅路であり 家路への旅なのである 旅の名残りの中で私はそう考えた ■時差ボケのために体が重い。これは睡眠不足によるものと、残念ながら年齢的なものもあるのだろう。でも、24年目に入る文学講座は休まずに10時半から、いつもどおりにさせて頂いた。 (2006年 5月 11日 [木曜日])
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旅の終わりに |
ゴッホ美術館を後にして、トラムに乗ってアムステルダム中央駅からスキポール空港へ。11時間の空の多美(旅)から家に戻ると、大輪の紫陽花が誕生日のお祝いにと届いていた。10日振りにメールを開けるとメッセージが届いていた。私が愛擦る人たちから・・・。西安の月光の天使からも・・・。何と「しあわせ」なことだろう。幸せは「仕合わせ」とも書くが、これは正にお互いが心と心を「仕え愛」することだと思う。「志合わせ」と書くならば、志を合わせることなのだろう。お互いとは人と人だけでなく、すべてのもの、万物と我が心を合わせることだと思う。そうすれば神謝の心が自ずと流れて来て、心自流(=信じる)状態に成れるのだ。それは決して「モノの世界」物理的なものではなく、精神世界、心の世界、心の状態を言うのだと感じた。 ゴッホの自画像に対峙したとき、自然に涙を流したのはなぜだろう。ストックホルムの朝の風と陽光を浴びて教会の前の広場に佇んでいた時の、あの安心感は何なんだろう。アンドレイ(今回、訪問させて頂いた愚息の得意先の社長さん)と人生を語っていて、思わず涙を流したのは何なのだろう。 それは頭で考えられるものでなく、心に感じるものでなく、魂が何かに微かに触れた歓びのようなもの。そう、それが仕合わせというものではないだろうか?このことに気づかせて戴いた、それだけでも素晴らしい、素敵な、洗心の多美であったように思える。だから、私はすべてのもの、万物に神謝を捧げたい。 ■一番、想いとして心鮮な本日分から書き込みさせて頂きました。順次、書き込み、写真添付させていただきます。ぜひ、お読み下さい。 (2006年 5月 10日 [水曜日])
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再びゴッホ美術館へ |
今回の旅では早寝早起きを励行したというか、上手く時差が作用したのか、6時に起床、7時朝食、7時半には外出をした。 ゴッホの美術館は10時からしか開かないので、横にあるミュージアム広場のベンチに座って時間を過ごした。何を考えるでもなく、気と時と風と陽光に溶けて、自然に心を遊ばせた。 昨日は音声ガイドをじっくり聞いて鑑賞したが、今日はいい意味で角度を変えて鑑賞した。 オランダ時代のあの暗い色使いは特徴であるのだが、その暗さが日本人のフィットする感覚かも知れない。ところが日本では「ひまわり」に代表されてあまり有名ではない。「馬鈴薯を食べる人々」がその暗さのある色使いのある作品だ。パリ時代の作品が一番面白くない?と昨日は思っていたのが、距離を置いて遠くから鑑賞すると、これがなかなか興味のある面白さに気づいた。アルル時代、サン・レミ時代と10年間でかくも多くの作品を遺した偉大なる業績は、世に知られているように、生前にあったのであれば作品ももっと変っていたかもしれないが、生前に売れなかったゆえに、魂が込められたともいえるのではないだろうか。 多くの偉大な画家達は、売れたことを善しとして、その分、乱暴にいうと魂を売った作品もあるかもしれない・・・。ゴッホの油に彩られた「不安定な狂気」、これが炎の人たる所以かも知れない。私はそれに共鳴をする。 (2006年 5月 9日 [火曜日])
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ゴッホとの出愛 |
ゴッホ美術館に入って並べられた自画像を眼にした時、何故か涙が出てきた。人間、美しいものを前にすると、やはり「神動」するのではないだろうか。天地創造物の一つである人間もまた、その内面に「神」を持っているといえないだろうか。その神が美しさに触れて動く、神動・感動するということはそのようなものであるように思える。 ゴッホが弟テオの子供の誕生に画いた「アーモンド」は美しく、ゴッホの作品中、一番愛が込められいる作品であるように思える。安らぎと平安の中で、自分の名前を取って名づけられたうれしさもあって、穏かな感情の中で画かれてように感じられる。200点以上の作品がほぼ年代順に並べられていて、炎の人・ゴッホの人となりが伝わってくるような気がする。小品としてのアーモンドの作品も一般的には有名ではないが私は好きだ。日本語解説のガイドテープを丹念に一つひとつ確かめながら、ゆっくりと2時間以上かけて観て回った。時間の都合で朝はアンネ・フランクの隠れ家に行ったので、明日はもう一度、朝一番に来てみようと思った。絵画、芸術の鑑賞は気愛がいる。こちらがいい心身の状態でないと、いい感性で鑑賞することが出来ないからだ。それはストックホルムの国立美術館に3日、日参して実証して思ったことである。その時その思いで同じ作品から受けるものが違うというのは、間違いでそれは「受ける」ものの差ではなく「感じ方」の差だと思える。今回の旅では延べにすると1000作品を超えて絵画を観て回った。これは相当なエネルギィーの要することだ。 お隣にある国立博物館では生誕400年を迎えるレンブラントの作品を観た。本物よりも美しく描くその画に感動を受ける。フェルメールの作品も特異な美しさがある。『芸術とは死にもの狂いの産物である』という言葉を実感した。 (2006年 5月 8日 [月曜日])
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北欧を後にして |
ストックホルムで5泊、アムステルダムで2泊。この内4泊を船のドミトリィーで、アムステルダムではホテルのドミトリィーで宿泊して、この1泊だけは誕生日ということもあってホテルに宿泊した。ドミトリィーは初めてであったが、愉しく学んだことがあった。アムステルダムでは、朝、隣の人と手が触れて目覚めて観るとビックリしたことに金髪の20歳ぐらいの女の子が寝ていた。1室6ベッド、先着順で空いているところに自分のベッドを確保する。ここはみんながより安くより多く多美をしたいという多美人が集まるために、みんなフランクでオープンで、会った人がみんな友達という想いで話をする。YHの所もそうでない所もあったが、日本人の感覚では男女一緒というのが考えられず、私にとっても初体験だったので喜びと驚きが混在した。 午前中はガムラ・スタンを再び、歩いた。ここは歩きたい気持ちにさせてくれる場所である。橋を渡ってリッダーホルム教会の広場で佇んで、しばしの時間を過ごした。思索をするでもなくゆったりとした時間を過ごした。日本にいるときには考えられないことで、ゆったりとした心にあわせて時間もゆったりと流れていく。 (2006年 5月 7日 [日曜日])
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素敵な誕生日 |
アンドレイの山荘で誕生日を迎えた。ベランダで私の拙い英語でお互いに人生論を語った。「ポジテイブスィンキング」について、私はジェームズ・アレンの<原因と結果>を持ち出し、彼はパウロ・コエーリョのアルケミストを紹介し、お互いがその本を読もうと意気投合した。ノーベル賞を受賞した小柴昌俊さんの話を持ち出して、私がニュートリノの持論を持ち出し、「気」についても話し合った。彼は禅についても興味を持っており親日的であり日本についても造詣が深い。それにしてもまさかスエーデンで人生論を語るとは思わず感激した。 自宅から小1時間の所に山荘を持ち、また、近くの所に海の家を持っている。ポーランドに工場を持ってスエーデンにメインオフィスを持って仕事をしているが、何よりも感心したのは人生を愉しんでいる生き方だ。趣味は何だと聞いたら、その一つに仕事を上げた。それもまた金儲けのためでなく、人生を愉しむための目的である所に共感をした。志事に打ち込むためのリラックス法としての山荘を持つ、家族で愉しむ時間を持つことは素晴らしいとことだと思う。木が多い分、気のある場所でゆったりとした時間を過ごせた。これもまた素敵な誕生日であった。 アンドレイ自身が庭先でバイキング料理と称してチキンを焼いてくれた。彼の優情に神謝である。 (2006年 5月 6日 [土曜日])
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小さな遊書展 |
アンドレイ一家が自宅に招いてくれて、奥様の手料理を戴いた。新鮮なサーモンを料理したものでとても美味しく戴けた。 その後に、今回はホームパーテイとして「小さな遊書展」をさせていただいた。 Your evening with calligraphy was really very remembering and interesting ! これがアンドレイの感想だ。 アンドレイの会社や娘さんアレキサンダーの高校での遊書展も計画にあったがホームパーテイとして愉しくさせて頂いた。 朝早く起きて時間を過ごすために、ストックホルムカードを活用するためにもバスに乗って終点まで行った。着いた所で散歩をして、またバスに乗り途中まで折り返し今度は地下鉄に乗ってみる。適当な所で降りて路線地図を観ると一致した目的地があって、岬の先のティールスカ・ギャレリーへ向かった。ここは富裕な元銀行家の邸宅をギャラリィーにしたところで、ムンクの作品が多くあった。12時開館の所、10時には到着したので湖の見える公園で手紙を書いたりして、風と陽光と遊んで時を過ごした。多美に出ると何もかもが心鮮で小さなことに驚きを見つけることが出来る。 (2006年 5月 5日 [金曜日])
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旅情 |
レンブラント・セザンヌ・ゴーギャン・ルノワール・ゴヤ etc ナショナルミュージアムにはヨーロッパ絵画が揃っている。丁度、宿泊している船のホテルから近くであり通り道で会ったので、散歩がてらに3日間通った。時に好きな画だけを見に行った。ゴッホ美術館でも小学生以下は無料。ここストックホルムは特別展示は有料だが常設は無料。これは旅行者には非常にありがたいことだが、市民にとっても文化の向上の上で望ましいことだといえる。日本のいろいろな絵画展はやむを得ないといえばそれまでだが、有名な完成度の高い作品しか来ない。海外に来ると初期の作品と言うか若い時代の作品が観れて興味深い。 リーゲルフィヨルド号という船のホテル、ドミトリィータイプに宿泊した。よりリーズナブルな旅を求めて、その分、何度も旅したいというのが思いだ。1泊200シーク、日本円で3500円。船の客室を仕立てたもので1室8ベッド。ビックリしたのが男女共用。同室に一緒に宿泊するのにはビックリしたが、そこは旅を愛好する若者が宿泊するためか、いい意味で誰も気にしていず、みんなフランクに語り合っていい雰囲気がある。 ストックホルムは水の都。湖と海と川が入り混じって古い街並みの向こうに夕日が沈んでいく。なんともいえぬ旅情が身にしみてきて嬉しい。 (2006年 5月 4日 [木曜日])
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ガムラ・スタン |
時差ボケで午前3時に目が覚めると、もう夜が明けてきている。この時期、11時に陽が沈み3時に夜が明ける。夏至の時期はここストックホルムでも1週間程度は白夜を迎えるそうだ。 メラレーン湖に浮かぶ船のホテルに泊まり、ドミトリィーなので甲板に出て、夜明けを愉しみタバコを吸った。北欧の空気は清澄で乾燥している。ひんやりとした冷気が心地よい。 6時に起きて7時に朝食を済ませ、活動を開始する。旧市街ガムラ・スタンを歩く。ガムラ・スタンとは古い街というそうだ。13世紀からの街というから、その趣たるや雰囲気がある。大聖堂は修復されたり、火災にあったりという歴史を遺して1480年から、現存の建物があるらしい。私は教会、中でも古い教会が好きだ。そこには何百年、何千年という人びとの祈りが、祈りの気があるように思える。ヨーロッパの街、特有の路地に雰囲気があって面白い。ガムラ・スタンで一番狭い路地は一つの観光名所にもなっており歩いていて退屈しない。 夕方、連絡の取れていないアンドレイが訪ねてくれてカクネス塔、スカンジナビア半島で一番高い155メートルのTV塔を案内してくれた。外出中に電話をかけてくれたようだが繋がらず、本当にタイミングよく来てくれた。世の中、そんなに甘くないよという人が多いが、世の中うまくいくようになっているというのが、小生の感想だ。 (2006年 5月 3日 [水曜日])
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旅の始めに |
出愛とは、出会ったものに愛を出すこと。そして、そこに心を通わせること。それは美しい花を見て、「いいなあ」と思うようなさり気無い、小さな関心のようなものだ。もう少しよければ好きだと思うこと。人間には60兆の細胞がある。それらは一瞬、いいと思うだけでポジテイブに、互いに働きかけるものなのだ。それは人間同士だけではなく、この世に存在するすべてのものに共通することなのだ。それは神が創りしもの。天地創造のものであるならば・・・。 昨秋、スエーデンのストックホルムから、お客様があった。息子の勤務する取引先の会社の社長さん4人家族だ。京都に滞在された2日間を、茶人の心?でお持て成しをさせていただいた。VIP辞令か社交辞令か、スエーデンは5,6月がベストシーズンですよとお誘い下さった。私は躊躇なく、それを聞いた瞬間、もう心はスエーデンに飛んでいた。では、折角だから、観光だけでなく、「遊書展」も何らかの形でさせていただこうと考えた。 それから半年、私はポケットに愛と勇気とサムマネーと飛行機のチケットを持って関空を飛び経とうとしている。 旅は出愛 美しいものとの出愛 そして もう一人の自分との出愛 街を歩いて その空気に馴染んだとき 体が歓ぶ 建物の中で 千年ン以上の気を感じたとき 体が軽くなる 芸術を前にして その魂に触れたような思いになったとき 体が震える 旅の中で 新しい自分を発見して 私の思いは宇宙に飛翔する 悠久の時の流れと 大自然の中に溶けていく 自分を観て旅の情に涙を流す (2006年 5月 2日 [火曜日])
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母 |
『母情展』 シーサイドホテル舞子ビラ 1F 5/1〜31 一人でも多くの人に見ていただいて 母の情に触れていただければ (2006年 5月 1日 [月曜日])
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