2006年10月の詩

小さな多美
 沖縄からのお客様で
 観音寺までお迎えに行き
 関空にお見送り約500キロ

 私が初めてアメリカへ行った時
 ダニーのお父さんが2200`の距離を
 車で迎えに来て下さった

 初めての本格的個人旅行だった
 あの体験が病みつきになった
 以来、5大陸を歩き
 もう一人の自分探しと美を求めて

 朝日に凛と応えて
 車を走らせた

 多美は一人がいい
 旅は連れがあるのがいい
 心通うもの同志の・・・
(2006年 10月 31日 [火曜日])

愛言葉

「あいしてる」
「ありがとう」
「あるがまま」

 良い言葉を唱えよう

「言葉は心を伝え 愛を語るもの」
 それは相手にだけでなく
 自分自身に対しても
 優しく語りかけることです

 心の平安を忘れている
 今の日本人は
 言葉を乱し心を乱しているのです
 乱されていることに気づいていないのです。
 
(2006年 10月 30日 [月曜日])

ホテルルワンダ(映画)
 20世紀以降
 この地球に戦争、内紛が耐えたことはない

 戦後60有余年
 日本は平和へましっぐら
 戦争のない国になった

 『不条理』
 1994年ウガンダでは
 百万人の死者が出る
 内紛で大量虐殺も起きた
 12年前のことだ・・・

 日本ではほとんど報道されなかった?
 私もこのビデオを見るまで
 恥ずかしながら知らなかった
 映画であれほど凄まじいのだから
 それが現実のものであれば
 眼を覆い、眼を背け、見ることは不可能だろう

 平和日本?の昨今の惨状
 若者の命の軽視による自殺
 マスコミの助長する報道

 遥か遠いアフリカのお話
 それは一つの物語であり
 それは一つのゲームなのか
 そういう感覚で捉えたか
 無視をしたか知らなかったか

 人間の非業さ残虐さ
 あれを直視すれば
 命の大切さが命の尊さが学べるのでは

 愛と平和
  これは言葉ではない行動だ
  スローガンではない実践だ
 宇宙へ向けて第一歩を踏み出すようなものだ
 しかし、私はその一歩を踏み出したい
 
 子どもたちとこの映画を一緒に観て見たい
 涙をも流せないこの悲惨さを体験してみたい
2006年 10月 29日 [日曜日]

アフリカからの手紙
西口賢治様
ご無沙汰しています。メールをありがとうございました。以前にもお心のこもったメールを頂いたのに、返事も差し上げず失礼しました。改めて遅ればせではありますが、心からのお礼を申しあげます。
皆様に始めてお会いしてケニアに帰り、息つく暇も無く、撮影隊をお迎えし、慌しく今日に至っています。この4ヶ月余りは子どもたちにも色々な事件が起き、私も激動の日々でしたが、小林監督、吉田カメラマンにも色々教わりながら、助けても頂きながら、どうにか乗り越えてきました。後2週間に迫った日本帰国を前に、撮影隊も私も慌しさに拍車がかかっていますが、私にとってはこれはいつものこと、飛行機の中でぐっすり眠れるまでは気が抜けません。逆に言えば、飛行機の中で眠る楽しみが増すというものです。
こちらのことばかり書いてしまいましたが、いよいよカンボジアでの小学校の開校式だとのこと、おめでとうございます。
「愛と平和の学校」そのものずばりの素敵な名前ですね。現地の方々もどんなにか喜ばれていることかと…。「遠くアフリカから心からのお祝いを!」と子どもたち、現地の方々にお伝えください。次回お会いするときには是非開校式の様子などお聞かせください。楽しみにしています。

ところで、私の今回の日本での日程ですが、帰国準備を始めたのが遅く、大きなキャンペーン、講演会等は難しく、各地の支援者の方々をお訪ねしてこの一年のご報告をさせて頂くということにしました。ただ今回は撮影隊のお一人が札幌からいらしているということから、ご縁を頂き始めて北海道にお伺いすることになりました。また、ケニアでお世話になった方が長崎に帰国されたので、長崎にも始めてお伺いすることになり、楽しみにしています
肝心のお訪ねの徳島、或いは神戸ですが、徳島へは12月4日(月)〜13日(水)滞在予定ですが、5日(火)に以前から依頼されていた講演会(板野町という小さな町です)7日・8日は病院での検査、10日(日)は支援者の方々の集まり、まだ決定していないのですが、もう一グループ、支援者の方々との会合があるかも知れません。ただ、九州・長崎から神戸に帰るのが21日或いは22日、その翌日23日(土)に関空から発つのですが、23:15分発なので、その日の昼間にお会い出来れ
ばと思うのですが、ご都合はいかがでしょうか?
 神戸ではいつも「ラミ中学校」というフリースクールに泊めて頂いているのですが、とても交通の便の良い所ですので、ご指定くだされば、何処へでも伺えます。
大切なお礼が一番最後になってしまいましたが、皆様からのご厚志本当にありがとうございました。子どもたち共々心からの感謝を!そして大切に、大切に使わせて頂いております。お仲間の方々にもどうか、どうかよろしくお伝えください。
来年の5月にはケニアにいらして頂けるとのこと、心よりお待ちしています。長々と書きましたが、今日はこれにて失礼します。もうすぐ子どもたちがテレビを見に来る時間です。では、お会い出来るのを楽しみにしています。遅ればせのお礼と日程のみ。
ご連絡をお待ちしています。
モヨ・チルドレン・センター 松下照美
■世界中で、どこかでこのようにして心ある日本人が、いわば何の得にもならない大きなお世話をして徳を積んで下さっている。寂しくもこのようなことはニュースにならないらしく、商業主義の金拝主義のマスコミの方々は取り上げないために知られていない。マスコミの企業倫理は、視聴率の上がる犯罪事件・スキャンダル・覗き見主義がお好きらしい。なぜ、善なるものが報道されないのだろうか?また、ごく一部で報道されてもほとんど関心を示されない実情にも寂しさを覚える。子どもたちはこの渦中の中で育てられてゆく・・・。
(スイマセン、この陽美の日志にはネガテイブなこと、批判的なことを書かないようにしていますが、たまにはグチを言わせてください。ひとり一人、ひとつ一つの積み重ねしかないのでしょう。それでも私は強引我道 Going my wayで歩みます)
2006年 10月 28日 [土曜日]

神劇日本シリーズ
 野球の神様は
  ドラマがお好きのようだ
 野球のおもしろさは
  筋書きのないドラマ仕立て
 強いチームが必ず勝つとは限らない
 
 眼に見えない
 流れがあり勢いがある
 それは人為を超えた
 何者かの働きがあるようだ

 今年の日本シリーズは
 新庄劇場が4月の引退宣言から始まった
 
 人生が僅差であるように
 野球もゲームも僅差で勝敗が決まる
 優勝劣敗の優劣が歴然としているのではなく
 眼に見えない僅かの差で決まる

 野球の神様は
 勝利の女神は
 ボールエンジェルは
 何に微笑み
 何に味方をするのだろう

 それはきっと
 努力・忍耐・一生懸命という
 ハードなものではなく
 ソフトでエンジョイでスマイリィー
 そのようなものであると思う

 新庄の強運と落合の運の差も
 なんとなく感じたシリーズでもあった

 甲子園の女神は
 私の知る限り謙虚な指導者がお好きなようだ

 人生という名のグランドで
 私も明るく楽しく微笑んで
 ソフトな気愛を大切に歩んで生きたい
 私の人生の主人公はわ・た・し・だから
 
(2006年 10月 27日 [金曜日])

愛と平和
 先ずは形から
  先ずは言葉から

 できる、できない
  考える前に行動を

 愛と平和
  この人類の命題 
  誰もが願う希求を

 私は言葉から入っている
  「愛と平和」をテーマに
  ボランテイア活動を始めさせて頂いて

 遊書展を皆さんに支援していただいて
  回をかさねさせていただいて
  支えていただいて2年半

 一つの形となって
  「愛と平和のチェムニ小学校」が建つ
  それは募金というお金ではなく
  ひとり一人の小さな小さな想い
  その想いの重ね愛の形だと思う

 かの親鸞聖人も申された
  「叶うか叶わないかわからない
    わからないけれど唱えなさい」
  愛と平和=和愛
   わぁ〜い、ワァ〜イを
  愛言葉に私は生きて生きたい

■カンボジアの小学校の校舎は4教室。それぞれの教室の前、黒板の右上方に掲示していただく作品です。子どもたちは読むことはできないだろうが、先生からなんと言う言葉か意味を教えてもらうだろう。そして、この文字を見るたびに「愛と平和」を感じ、考えてくれたらと願っている。

 
(2006年 10月 26日 [木曜日])

憂国
今、町が変わって行く
ドンドンと道路が出来上がり
町が人の住むという集落ではなく
車社会が優先されている
外観が変わると同時に
人の心まで変わって行くのだろうか

TVが人の心を犯している
連日連夜に渡ってネガテイブな報道が
未熟な心を侵食して行く
異常の連続はそれが普通のものと変容するのか
そのようなことが許されていいのだろうか

暴言で乱暴な言い方をすれば
感性を蝕み感性を鈍らせ感性をマヒさせ
子どもたちの心を蝕んで行く
本を読む時間を奪い
対話する機会を無くし
学ぶ好奇心を乱す
『バカ製造機』

守らなければならないのは
自然環境だけでなく
精神環境にも眼を向けなければ

日本の心
目覚めよう日本心
(2006年 10月 25日 [水曜日])

「精一敗の賛歌」

人生に常勝はない
勝ちもあれば敗けもある
勝っても学び敗けても学ぶ
君よ、胸を張って誇るがいい
精一杯汗を流し
精一杯練習して
その上での精一敗であれば
この精一敗は
きっと君の人生に生きてくる

■日ハムが7−1で快勝!虎ファンとしては中日に日本一になって欲しくないという、正直、狭い了見がある。新庄にも花道を。
日本シリーズは4勝3敗で優勝だ。人生もそれぐらいの余裕を持って、「精一敗」や「失敗学」からも大いに学ぶべきだと思う。人間としてのプロ、人生のプロは年を経て成功者への評価であって、我々、発展途上人には敗者復活戦の「七転八起」が好ましいと思う。
(2006年 10月 24日 [火曜日])

青磁
 焼物
 土のぬくもり 土の匂いが
 私は好きだ

 人は土に還るというが
 そのようなものが土にはあるのだろう

 青磁 白磁
 この美しさはなんとも形容しがたく
 その色に魅せられる

 青磁の水指を求めた
 その薄い青さに気品さと
 上品な雅を感じる

 中国・韓国はもとより世界の博物館で
 骨董の青磁を見るとその美に痺れる
 自然ではなく人工の焼物だからこその
 美しさがそこにある

■阪神淡路大震災を体験して、一時、物欲がなくなったが、大学時代からの「やきもの」への愛執捨てがたく、沸々と美への欲が出てきて欲しくなって来ている。僅かな自分のお小遣いで買える範囲の、自分の美意識に答えてくれるものを求めているので許していただこう。
■青磁の水指とバックはゴッホの油絵(模写)。 
(2006年 10月 23日 [月曜日])

ちょっとそこまでソウルまで
  上海を歩く
  西安を歩く
  ソウルを歩く

  みんな同胞仲間がいる気がする
  違和感がなく互いに意識しない
  肌の色が同じということの安心感

  遠い祖先が同じであることは間違いない
  仏教にしろ儒教にしろ思想が同じ
  稲作の農耕をして米を主食とし
  文化が同じで漢字が同じで
  マクロ的に言えば漢じ方も同じ

  過去の歴史云々でなく
  今 これからを仲良くしたい
  それが大事なことだと思う
  
■JALのマイレージが貯まって11月中ということで、1泊でソウルへ行ってきた。思えば沖縄・札幌へ行くよりも近い、80分。
仁寺洞を歩いて焼物を見て紙を見て歩きしてきた。30万wウオンの新宮荘に宿泊、カタコトの日本語を話すおじさん、オーナーが親切で家族的で楽しく心地よく泊まれた。今度行くことがあったらお土産を持って行こう。ありがとう。

    
2006年 10月 22日 [日曜日]

中国の名言
 『大事を済すには必ず人を以って本と為す』〜三国志より〜
      =支えてくれる人の存在を忘れないで

 大事でなくとも小事においても
  人は人に支えられて生きている

  人はお陰の力を忘れてはならない
  お陰の力を尊ぶとその力が大きくなる
  軽んじるとお陰の力がなくなる

  直接の陰影はわかる
  しかし、間接的な陰力を
  どれだけ有り難く受け止めて
  お陰の力、人の恩に神謝して生きていくか
  生かされていることに神謝することである
2006年 10月 21日 [土曜日]

前世
 知らないということは無いということ

 例えば、先日、日本史の本を読むまで
 「港川人」というのを知らなかった
 これが1万8千年前の化石人骨で
 日本で一番古いものであるということを
 このように知らないということは
 私の知の世界に無いということである

 あると思えば有り 無いと思えば無い
 信じることが出来れば存在し
 信じなければ存在もしないものがある

 「前世」
 50を過ぎてからか
 人様の対話においても
 前世が兄弟であったと思える人がいる
 あるいは、前世も今世も兄弟弟子
   来世も兄弟弟子と言って下さる
   同じ茶道を志す女性もいる

 「今夜、新たな歴史が二人の間に始まる予感がある。
  言葉を交わさずとも、互いの思っていることが理解できる。  前世に一体であったという陳腐な譬えすらもどかしいような  心身を共有している感覚が、カプセルのように二人を閉じ込  めていた」        〜「未踏峰」森村誠一〜

  前世で一体であった人
  そのような人がいるような気がする
  そして、その人に近く会えそうな気がする

  人生の中で会えるか会えないかは判らない
   求めても会えないだろうし 
   求めない人もいるだろう・・・

  前世云々は別にしても
   この世に同一のフィーリングを持った人が
   いるとするならばそれはなんと素敵なことであろう
   和気和来するものを感じる・・・
(2006年 10月 20日 [金曜日])

空へ
               作詞・宮平照美
 遥か水平戦 わきたつ入道雲
 時がよみがえる なつかしいあの頃を
 焼けた砂浜を駆け抜けた夏休み
 はしゃいでは いつも困らせた 父と母

 あなたを追いかけてた あなたが教えてくれた
 直向な心を 忘れては いけないと・・

 今は遠い故郷の 移りゆく四季 想いながら
 あなたの愛にささえられて 自分の道を信じてゆくよ

 春の風吹く街に出会いと別れめぐり
 悲しみを超えた時 明日は見えてくるでしょう?

 今は遠い故郷よ 共に笑った仲間たちよ
 この心に宿った日々は いついつまでも消えやしない
 想い出よありがとう 今あなたに ありがとう

■先日の沖縄行きで、ケイタさんの「かぼ天の店」でjimamaさんとラッキィーにも再会して、ご本人からこのCDを頂戴して、今、車の中でこの曲ばかり聴いている。だんだんと歌詞が心にしみこんで来て、なぜか嬉しく、ほっとする。
 村ちゃん、この掲示板の「空へ」の写真待っています。
(2006年 10月 19日 [木曜日])

年中夢求
 365日年中夢求
   24時間志事中

 私にとっては寝ている時も
       起きている時も

 多美にあっても
  字を書いていても
     それは志事中

 仕事、遊びではなく
  志の事であり遊美である

 27歳から塾長、経営者になって
 そのすべてのことは志事になった

 家に帰ったら
  仕事のことから切り離し
  仕事のことを一切しない
  そういう方がいらっしゃるが
  
  ご飯を食べていても
   映画・TVを見ていても
  四六時中 それは志事につながる
  それが自然であり
  それが志事をするということだと思っている

■来年のカレンダーを書かせて戴いた。
(2006年 10月 18日 [水曜日])

連愛

「連愛」作詞 西口賢治 / 作曲 村久範


1.あなたのとなりの人に 一人だけ愛を語ろう
  あなたのとなりの人に 一つだけ夢を伝えよう
  そうすればみんなが つながり合える
  結び合い 支えあい 譲り合い 分かちあい
  人はみんな愛し合える つながり合える
  たった一人の人を 愛せなくて あなたは・・・
  たった一人の人を 救えなくて あなたは・・・
  夢を語るのか

2.あなたのとなりの人に 一人だけ愛を語ろう
  あなたのとなりの人に ささやかな平和を伝えよう
  この星は明日も まわり続けるから

  たった一人の人を  愛せなくて あなたは・・・
  たった一人の人を  守れなくて あなたは・・・
  たった一つの島を  愛せなくて あなたは・・・
  たった一つの星を  救えなくて あなたは・・・
 
  あなたのとなりの人に 一人だけ愛を語ろう
  あなたのとなりの人に 一つだけ夢を語ろう
  一つだけ夢を語ろう  一つだけ夢を語ろう

■繋がってつながってツナガル。地球に磁気があるように、人の間にも「慈気」がある。いい人はいい人と繋がっていく。私自身がいい人かどうかはわからないが、繋がっている人たちは、間違いなくいい人たちだ。
■今月、1ヶ月間、caffe&ギャラリィー「NOAH」さんで展示販売していただいている。オーナーの上地正子さんとギャラリィーでツーショット。
(2006年 10月 17日 [火曜日])

美運語(ビンゴ!)
 国語・社会・数学・理科
 通知表に表記される科目順
 それは重要性の高い順でもある
 
 理数は世界共通の科目
 英語も世界の共通語?
 世界どこでも同じことを学ぶ

 しかし、国語・社会は
  日本語・日本の歴史・社会を習う
  それが日本心としてのアイデンティティを身につける

 夕刊を見ると
  小学校から英語を教えるために
  先生方が躍起になって学習しているそうな

 授業参観・文化活動を拝見していると
  国語の授業でこのような話し言葉をと
  大いに疑問を抱き これでいいのかと
  嘆いている状況の中で
  国語をないがしろにして英語を

  美しい正しい日本語を身につける過程で
  外国語の学習を・・・と思う
  彼らの知識欲や好奇心を上手く引き出し
  彼らの未知なる可能性に期待してというなら
  大いに結構

  しかし、子どもたちは
  命令・禁止・強制されて
  否定的な言葉、ネガティブワードの
    シャワーを受けてやる気を喪失している

  美しい日本ではなく
  美しい日本語
  美しい日本心を学ぼう

  先ず、それは言葉から
  美運語 美を運ぶ言語を 言葉を

■私の場合も正しいと言えば、漢字の書き換えをしていますので、大きなことは言えませんが、万葉集にも縁語、掛詞があったように、いい意味で言葉の遊びと許していただければと思います。
  
 
(2006年 10月 16日 [月曜日])

形から心へ
忠恕=チュウジョ
 真心と思いやり
 茶道の精神はこの一期に尽きる

 孔子の論語もまた
 「仁」と共にこれを訓える

 学生時代に
  明けても暮れても茶道三昧
  4年間、最も時間を懸けた

 形式より内容 形より心
  表面的には自明の理のような言葉

 しかし、日本文化は
  道を求める日本の伝統は
      形を重んじて来た

 それはなぜか
  人間的に出来上がった人は
  内容、中身を第一に入っていける
  しかし、凡人にはそれは難しい

 『形から入る』
  それを百練千磨して心に移る
  これが日本文化の日本心の妙だ

  未熟な若い者が心から 
  中身から入っていくなんておこがましい

  直向に素直に謙虚に
  形を重視して学び習う
  
  形ができたところで
   心が伴い 心が出来てくる

  それは五七五の言葉にも
  日本の文化に守られてきた
  日本心の伝統だ 

  『今、この一瞬も茶道』
    私にとって「生きる」こと
    そのものが茶道への志
    茶への道だ

  『お客様(相手)を喜ばせること』
   ここに茶道の極意があるように思える 
2006年 10月 15日 [日曜日]

魂生(こんじょう)
 魂に生きるとは
  神謝
  神動
  神性に生きるということ

  
 沖縄では赤ちゃんのことを
  童神(わらびがみ)という
 80歳の老人も、57歳の私も
 その母から見れば人はみな
 心の中に神を宿している
 
 あなたも私も神であり
 お互いに神謝しあう
 生かされていることに神謝して生きる

 心の中の神が喜んで
   動くことを神動という

 性は生きる心と書く
  神性とは心の中の善なるものを
  大切に生きるということ
 
 神謝・神動・神性に生きることを
       魂生、魂に生きるという

■この想いはおそらく10年経っても変わらぬものであろうと思う。大江健三郎氏のいう、「魂のことをしょう」というのが、少しはわかったのだろうか?
○色紙は久高島より、帰って来て書かせて戴いたもの。
 
  
2006年 10月 14日 [土曜日]

ひとりのための遊書展
 ご縁があって
 たった一人のためだけの
 遊書展をさせていただいた

 お花詞をさせて頂いて
 気を戴いて
 想いのままを閃かせて
 書かせて戴いて縁結美させて頂いた

 文字通りご縁を戴いて
 その方とは今日初めてお出愛した
 書かせていただく人と
 それを貰ってくださる人
 そこに気が流れて和みが生まれる

 過去にも1人から延べにすると
  1000人近い展示もさせて頂いた
 ある面で一人でも多い人にとも思うが
 一人だけでいいから神動して下さったらと思う

 今日は一人ではあったが
  何人分もしっかりと喜んで下さった
 お互いの志が合って
 志合せを感じられたのかも知れない

■何処かでカレンダーを求めて下さった方Aさんが、それをプレゼントされて、それを貰ったBさんが、また別の方Cさんに上げられて、その方がブログに感想を書いてくださって、それに私が偶々目に留めてご連絡させていただいて、京都に住んでられるBさんに遊書展をさせて頂いた。不思議なご縁でもあるが、最近の私にとっては「字力」のお陰で、このような繋がり、ご縁を戴く事が多い。喜んでいただけることが嬉しい。お役に立てたのであれば志合せである。茨城のFさんからも、興奮したご様子でお礼のお電話を戴いた。まだ、お目にかかっていない方だがお電話でお花詞させて頂くだけで、気が通じる。顔と顔を合わせなくても出愛は生じる。言葉にはそのような力があるのだろう。神謝。


 
(2006年 10月 13日 [金曜日])

懺悔(ざんげ)
 弱い私は身勝手で我儘で
 謙虚・謙遜・謙譲を思いながら
 傲慢不遜で自分が一番正しいと
 想っているのではないだろうか

 小さな私は自分が見えなくて
 素直でありたいと願いながら
 強情で意地っ張りなのに
 自分は素直だと思っていないだろうか

 欠けたる私は自己満足で
 人様のお役に立ちたいといいながら
 人様に迷惑をかけているのが
 わかっていないのではないだろうか

 お陰様の力で生かされている私は  
 言葉ではいいことを語りながら
 言行一致していない自分を
 しっかりと気づいているだろうか

  もっと悩みなさい
  もっと苦しみなさい
  もっと泣きなさい
  
  悩んで苦しんで泣いた後に
  見えてくる真善美を凝視して
  全てを受け入れなさい
  全てがひとつになって
  全てがひとつに見えてくるように

  天の下に
   神の身胸に
    宇宙の本に
  生かされていることに
  神謝をしよう  
(2006年 10月 12日 [木曜日])

言魂(ことだま)

 一つの言葉に愛をいただく
  ひとつのことばに勇気を見出す
   1つのコトバに魂を揺さぶられる

  言葉には字力がある
   言葉には字気がある
     言葉には魂がある

  恩師のあの一言が
   今の私を支えている
  愛する人のあのひとことが
     心の支柱になっている
  
  何気ないひと言に
    夢を戴き
     愛を感じ
      心躍らせる

  
   有難う ありがとう アリガトウ
   
   心からあなたにあ・り・が・と・う
   
■メールを下さったEさんへの返心です。遊書展をさせて頂いて、いつも思うことは1人でもたくさん来てくださるということよりも、一人でもいいから心琴に触れさせて戴くこと。神動して戴いたら、それが私の志和世(しあわせ)。

西口先生
お疲れさまでした!沖縄での三連休いかがだったでしょうか?本来は受験生にお休みはないのでは?ありがとうございました。家族3人でお愛できるように皆(たかが3人されど3人)の日程を合わせやっと、昨日のカフェNoHAでの彩快。素敵な空間にて、縁側の先生の筆の動きを観ておりました。退屈せずすごく楽しかったです。主人の「泰人」は彼そのものを表現しています。まさにそういう存在の男です。よく見抜かれました。ありがとうございます。主人がいただいた書は我家の宝物にいたします。先生も名嘉睦念さんと一緒で、神がかりのような手でした。やはり久高島ひかれましたか?私も4年前に行って参りました。静かなたたずまいで心落ち着く神聖な場所でした。夏まばゆい太陽と海風に触れ・・・生の息吹を感じました。問題のある子等の交流(本土)の子が留学するケースがほとんどでしたが、皆個人個人はやさしい、かわいい子ども達でした。娘を連れ参加しました。(一泊宿泊会)、船旅も楽しいものです。伊是名も今は高速船がでていますが、小学生の頃行った伊是名は遠かった!で、も、楽しかった・・・ゆらり思い切り揺れる船、満天の星空、朝まで響く蛇味線の音色・・・あの島独特の匂いがただよいます。明治生まれのばあさんが生きていたら今年で110才ばあさんの葉巻で吸うタバコの匂いが懐かしい!
主人「泰人」私「神性」娘「和愛」と皆に適するお言葉、ありがとうございました。
素敵な場所と素敵な出愛に神謝いたします。またお逢いできることを、祈念いたします。
(2006年 10月 11日 [水曜日])

 好きな言葉がある
  好きな文字がある

 好きな風景画ある
  好きな場所がある
 
 好きな作者がいる
  好きな本がある

  愛する国があり
   愛する人があり
    愛するものがある

 それだけで幸せではないか
 生きる歓びが溢れてくるはずだ

■熊さん。字遊人の生みの親であり、育ての親である。3時間ばかりゆっくりと優情を深める男同士の話、人生を語った。
大袈裟に言うと21世紀に入って、最大のショックを受けた。NOAHさんの前で、何気なしにタバコをポイ捨てした時に、「先生、娘の愛ちゃんが、あんなに立派で素晴らしい西口先生がタバコをポイと捨てて、靴で踏み潰しているのを見た時、ショックだった」と。「1年前に愛ちゃんに言われて、先生に言うのに1年かかりました」。愛ちゃんのショックもわかる。そのスウ10倍、私もショックだ。でも、問答無用で悪いのは私、恥ずかしいのは私。2度とタバコを捨てないと心に誓った。愛ちゃんありがとう!
(2006年 10月 10日 [火曜日])

神ぬ島
 何も無い一つの島であり
 神の住む島でもある
 それは神性で感じる島

 神性で感じる気が流れている所
  海清く 大気清清しく 
   木々青く 空蒼い

  
  久高島の岬で偉法をし
   海で沐浴をし身を浄めさせて戴いた
  
■久高から帰ってきて3時からNOAHさんで遊書展。神の島で戴いたエネルギィーをそのままに「じまま」に書かせて戴いた。周りの人たちが、気が違う、筆の運び、筆力が違うと仰って下さる。有難いことだ。新しい方、紹介されて来た方、リピーターの方、皆さんに心鮮な想いで書かせて戴いた。
(2006年 10月 9日 [月曜日])

出愛
 出愛
 
 それは偶然の中の必然
  想いが連なり 想いが重なり
  必要性を求めていれば
  いつかどこかで必ず出逢う

 人は
  プラスとプラスが出逢う
   それは想いが溶け合うように・・・

■まさかやぁ〜の賢坊さん。名刺の字を見て感じる所ありと、昨年、4月の読谷での遊書展に愛に来てくださった。それ以来、沖縄での遊書展では必ず顔を出してくださる。いわば後援者的存在。神の島「久高島」から帰って来て、最初に書いた字、言葉が「神性から出る(いずる)説法 『金剛力士』心の響くことば」
平和通りで琉球民謡・説法ライブを毎夜繰り広げる。一度、聞いたら病み付きになる。それほどの集人力を持つ。
2006年 10月 8日 [日曜日]

月光来舞(ムーンライトライブ)
優しい月の光を浴びて
  ムーンライトライブをする
  月桃紙に陰暦カレンダー用の
     言葉を書かせていただく
  
  それは月の精のパワーを戴いて
  無心になって
  風を共として
  心の赴くままに
  筆を走らせる
 
  280枚
   夢運
   出愛に神謝
   何来無差
   志合世
   年中夢求
   機積
   和愛
   美流来癒河風
   花夢舞愛
  
■ 7日  月光来舞(ムーンライトライブ)
       ペンション美世咲
  8日  本との出愛
       上州書店  (浦添市)
  9日  オーガニックライブ
       カフェ&ギャラリィーNOAH (那覇市首里)

   どうぞ、皆様応援の心を
        波動に載せて気をお送りください。
   沖縄の方、ぜひ、お越しください。
2006年 10月 7日 [土曜日]

夢運=Moon

 夢運
  Moon

 お月さまは
  お陰さま
   お陰さまに神謝をすると
    お陰さまが夢を運んで来て下さる

 今日は旧暦8月15日
      十五夜の満月、望月です

  心からお月様にお偉法をしよう
   必ずお月さまは叶えて下さいます。

  雲の後ろにかくれんぼしていたら
  そう 目を閉じて心眼を開いてみよう
   煌煌と輝く十五夜が見えるではありませんか

  その煌煌とした光
  月光を浴びて
  私の心も煌煌と輝かせて見よう
           お月様に神謝

  全てのものに神謝のお月愛をしよう
   
(2006年 10月 6日 [金曜日])

エンターテイナー
大勢の人に
感動を与えるような
第一級のエンターテイナーの条件は
人間というものをとことん
信じきっている「大肯定」にある

表現者の心の根底に
「大肯定」がなければ
どんなに飾りが華やかで
技術が立派でも
受け取る側が
大きな解放感を味わい
深い喜びにふるえることはない

「人間は善い 人間は偉大」
この事実を知った者の
発する声だけが
人々の奥底に隠されて
蔵する命の本当の善さ 本当の偉大さを
引き出して現すことができる
またその声が例えどんな形でも
わずかに捕らえただけで
人々は本来の
素晴らしい自分に出会えて
幸福になることができる

人間の
ありもせぬ醜さや
汚さをでっち上げて
暴露したり
強調したりすることが
まるで偉いことや
正しいことのように
錯覚している表現者が
巷にあふれている

悪をどんなに追いかけても
罪をいじくり回しても
全く善くならない
泥水をかき回せば
それだけますます濁り
澄むことはない
暗闇を憎んで
暗闇をなぐってやろうと怒り
真っ暗な部屋で暴れ
もがくことにも等しい
「否定」こそ否定され
「蔑視」こそ蔑視されねばならない

闇を消したいのなら
闇がないことを知り
暗さなど忘れて
「大肯定」の明かりを一つ
心に灯せばいい
すると一瞬のうちに
もともと存在しなかった暗闇は
消え去ってしまう

私たちはエンターテイナーとめぐり会い 
その表現に触れて感動し
「大肯定」の火を
自分の心に分けてもらってくる
エンターテイナーの言葉
笑顔 仕草 立ち居振る舞いに至るまで
一挙手一投足 つま先や指先にまで
「肯定」は表現される人格であって
エンターテイナーの在る所は
花のように祝福された空気に包まれる

私たちは
誰もが素晴らしい存在
しかしそれは
人間が自分もまわりも全てを
幸せにできる力を授かって
生まれついているという価値を
その事実と現実を
真から認めて肯定していなければ
人間の素晴らしさは出ない
出すことができない
出してあげることもできない

自分を素晴らしいと信じて
自分をまっこう肯定して
その実力を発揮することが
自分への愛
誰かを素晴らしいと信じて
他人をまっこう肯定して
その本当の素晴らしさを
出してあげることが
人を愛するということ

愛を生きる人がエンターテイナー
世の中に幸福と平和をもたらすのは
万民を肯定して仕える愛の奉仕者
「愛すれば愛され
生かせば生かされる」愛の法則を
自らの人生で体現する感謝の生活
それは私たちにとって本物の教師
本物の指導者 本物の表現者

例えるのなら
「肯定」は「皇帝」
真の皇帝は私欲のために
圧政を強いて
万民を苦しめる者にあらず
万民の中に神のような
崇高で威厳のある真実の姿を
いついかなるときにも
見届けてそれに仕える者である
盲目な支配の代わりに
聡明な理解をもって
万民に奉仕することが
皇帝の誠の権力である
万民の中心にこの皇帝(肯定)こそ
君臨することが国家の信条
政治は万民をもてなすべき
最大のエンターテイナーであるから

真のエンターテイナーとは
この「大肯定」の炎を
胸に燃やす表現者である
その光は
生きることの素晴らしさ
誇らしさを
知った輝きに満ちていて
その熱は
自己否定や自己限定によって
自分の実力を閉ざす嘘を
溶かして燃やし尽くす

私たちは皆
エンターテイナーとめぐり会い
そのもてなしに初めて憩い
初めて気持ちが安らぐ
なぜなら人は
自分の中の本当の自分を見届けてもらって
それにふさわしい扱いを受けたときに
初めて満足して幸せに感じるからだ

太陽が訪れるとき
広大な地上の夜は跡形もなくなり
闇に封じ込められていた自然は
山も川も海も全てがきらめき
その本当の姿を取り戻し
生き物もみんな目覚め
体温を上げて血気盛んにして
快活な活動を開始する

光は光を呼び
熱は熱を呼ぶのだ
一つの心の鐘の音は
万人の鐘に共鳴を与えて
幸福の一大和音と成す
人々は福音に集う
幸福を望み
真の自分の発露を願うのは
私たちの本能

あきらめないで
やけにならないで
心の夜に別れを告げるために
この目で光を見つけよう
この手で熱を探そう
私たちが出会いを求めるとき
それはすでに与えられている
そう 神様はいつもどこでも
完璧なエンターテイナーと
引き合わせてくれる
世の中は神縁の宝庫
私たちはその舞台の上にいる

心の部屋のカーテンを開ければ
出会いの明かりは
すぐに差し込んでくる
そう 素直に無邪気に
心から世の中の幸福と平和を
願う人には贈られる
一流のエンターテイナーとの
「出愛は神様からのご褒美」



遊書「夢人」「機積」
いずれも「フォーラム甲子園」さんからお借りしています。
「出愛は神様からのご褒美」は字遊人西口賢治先生のお言葉です■http://www.hpmix.com/home/kazuyanworld/ 私が20代の若き教師であった頃の教え子さん、山崎加杜矢さんのホームページからの文章です。今や「負うた子に教えられる」形で学美愛をさせていただいています。
(2006年 10月 5日 [木曜日])

鏡の法則
自分の身の回りに起きていることの
  全ては自分の心を映しているもの

 それは目の前の相手に反映し
 それは目の前の出来事にも反映する
 もしかすると自分の関わる遠く離れた所でも
           反映した事が起こりうる

 善を想い善を行えば善が起きる
  悪を行い悪を行えば悪が起きる

 全ては原因と結果の法則であり
  鏡のルールでそのまま映し出される

■「鏡の法則」〜人生のどんな問題も解決する魔法のルール〜
(総合法令・野口嘉則著・1000円)
『人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起こります。そして、あなたに解決できない問題は決して起きません。あなたに起きている問題は、あなたに解決する力があり、そしてその解決を通じて大切なことを学べるから起こるのです。』とてもわかりやすくやさしく書かれている。このような本がたくさん売れて、1人でも多くの人が素直に読まれるようになればいいなあと思う。
  
(2006年 10月 4日 [水曜日])

童神(わらびがみ)

 人はみな心の中に
  産んで下さった親神様という
       神様を内在している

 神動・神謝・神性

 心の中の神様が歓んで動く
      これを神動という
 心の中の神様に感謝する
      これを神謝という
 心の中の性善を感じて生きる
      これを神性という

 心から神動しよう
  心から神謝しよう
   心から神性を磨いて生きよう

 それが産んで下さった親への恩
    童神として生きる子の使命
  
 魂性
  魂に生きるという意味 

■57歳になっても、親から見れば私は「童神」。心の中の神様を大切にしよう。あなたもわたしも人はみな神様だから。
(2006年 10月 3日 [火曜日])

生きているということは  永六輔

生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう

生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあい
やがて別れの日
そのときに悔やまないように
今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない

一つの言葉との出会いによって、自分の生き方の指針を見出すことがある。それが小説の一節であったり、一篇の詩であったり、時には、話し言葉であったりする。中学生時代に読書することの楽しみを覚えて以来、どれだけの言葉が私の心の中にインプットされて、心の襞に染み入っているのであろうか?美しい言葉を心の栄養にして、美しい言葉を語れる人に、表現できる人になりたい。言葉を磨くことは心を磨くことに通じる。豊かな言葉が豊かな心に通じるものでありたい。豊かな心に豊かな言葉が詰まっているような人でありたい。心遣いが言葉遣いに通じるようでありたい。日本古来の伝統文化にある、茶道・華道・書道のように『言道』というものもあっていいように思える。
 もう20年近くも昔のことになるだろうか?インドネシアのバンドンの日本人学校を訪問して、校長先生と対面してお話している向こうの壁に、この永六輔さんの直筆の色紙がかかってあって、この詩と出会った。心に響くものがあって、前半の部分を空暗記して覚えて帰ってきた。今、それが私の生き方の一つとして根付いているように思える。素直に相手の厚意を戴き、素直に自分ができることをさせて頂くことに、小さな小さな喜びを感じる。それがサラッとナチュラルにできる人でありたい・・・。
賢治
(2006年 10月 2日 [月曜日])

共時性

人々はより肯定的な心で生きる。
共時性の増加が起こる。

人々がより自然に生きある種の無意識の
意志決定を受けやすくなり
それに逆らわずに世界と共に在るような
リラックスした受容的な状態になると
共時性は頻繁に起こる。
                (あるHPより)

善なる想いは
  善なる思いを持った人同士を結びつける
 自他共栄の想いが
  自他共栄の結び愛を生む

 日々善心 日進月歩  

■天理のうなぎやさん、「みしまや」さんへ行く。
 福岡の順ちゃん、天理のよーこちゃん、そして、私の共通項は美世咲の家族=ペンションびせざきのお客様同士。お互いに初めてお愛したのは神戸。ペンションで一緒にというのではない。今回は順ちゃんとよーこちゃんのご対面。一瞬にして、顔を合わせただけでもう瞬時に打ち解け合える。それが美世咲の素晴らしさであり、オーナー熊さんの魅力だ。
2006年 10月 1日 [日曜日]

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